写真展レビュー
TOPコレクション トランスフィジカル
@東京都写真美術館

TOPコレクション トランスフィジカル / 東京都写真美術館

東京都写真美術館は、1990年6月に第1次オープンし、1995年に総合開館している。当時の新聞報道によると、都は開館前に約10億円かけ、国内外の写真コレクターや業者から写真史上の重要作品約6000点を購入。本格開館までの3年間でさらに約20億円の収集費があったという。高額作品は、1840年代にダゲレオタイプで撮られたショワズラーとラテルの「旧フロールの館とチュイルリー公園」の1600万円だったという。(朝日新聞90年5月30日夕刊) 当時は、写真市場がまだ黎明期で、他のアート作品と比べて写真は貴重なヴィンテージプリントでさえ非常に割安だった。当時はバブル経済で東京都の同館の開設関連予算は潤沢だった。同館は極めて有効に都民の税金を使って重要なコレクションの基礎を構築したのだ。
ちなみに、令和7年3月末現在の取集作品数は38,759点とのこと。今年、開館30周年を記念してTOPコレクション展が2期にわたって開催される。本展「トランスフィジカル」は「不易流行」に次ぐもので、学芸員4名による共同企画による。年齢も経験も違う男女の学芸員の多角的な視点からコレクションを紹介する試みで、若手学芸員を育成するという意図もあるとのことだ。

本展は、ファインアート写真コレクターには嬉しい、東京都写真美術館収蔵の珠玉の19~20世紀写真が一堂に鑑賞できる写真展だ。写真展タイトルの「トランスフィジカル」と、フライヤーの小本章と安村崇のシュールなカラー写真とからは、多くの人はややアヴァンギャルド系作品の展示を想像してしまうかもしれない。しかし、これらは企画側があくまでも注目を集めるために行った広報であり、本展は珠玉のファインアート写真をまとめて鑑賞できる純粋なコレクション展だと理解して欲しい。有名写真家による作品画像の展覧会フライヤーへの利用には、著作権クリアーのために様々な面倒なハードルがある。想像するにそれも影響しているのだろう。

20世紀写真分野のコレクターがこだわっているのが撮影後数年以内に本人により制作されたヴィンテージ・プリントだろう。それと比較されるのが、撮影後ある程度の時間経過して製作されたモダン・プリントだ。ヴィンテージは制作枚数が非常に少なく、モダン・プリントは数が多い。大体20世紀には、写真の初期プリントに美術的価値があるなど写真家は想像だにしていなかった。両者の市場価格も全く違い、状態や現存数など色々な条件にもよるが、ヴィンテージはモダン・プリントの数十倍以上に評価される場合がある。本展ではあの巨匠アンリ・カルチェ=ブレッソンの、同じ写真作品のヴィンテージとモダン・プリント3組を同時展示するという、コレクターが狂喜する素晴らしい展示が行われている。これは豊富なコレクションを持つ東京都写真美術館だから可能な展示で、コレクター、写真ファン、学生には本展での必見のパートだろう。ちなみに最近の市場では、カルチェ=ブレッソン作品は、約2000ドルから21万ドル程度の評価になっている。

TOPコレクション トランスフィジカル / 東京都写真美術館

多様な年代、種類、分野、有名無名の写真作品が大きなくくりで紹介されるコレクション展の場合、見る側の興味よって無限の鑑賞アプローチがあるだろう。本展は展示枚数が非常に多いので、どんなテイストを持った人でも間違いなく何点かの自分好みの作品と出会えるだろう。今後のコレクション展の希望だが、美術館のキュレーターが担当するとどうしてもニュートラルな作品セレクションになりがちだろう。もし機会があれば独自の世界観を持ったアーティスト、作家、学者、文化人などがキュレーションする、独断と偏見に満ちたコレクション展も見てみたい。

以下で、写真市場での評価という視点から個人的に必見だと思う作品の一部を紹介する。最初に作品番号を記載しているので写真を探す際に参考にしてほしい。

1-32 ゲルハルト・リヒター、「<MV.6><Museum Visit>2011」
リヒターのオーヴァーペインテッド・フォトグラフは写真と絵画を組み合わせた彼の小振りの実験的作品

2-1 マリオ・ジャコメリ、「I don’t have hands to caressmy face、1962-1963」
モノクロの抽象美が美しいジャコメリの有名作

2-13,14,15 ウィリアム・クライン、「Dance  in Brooklyn 2, New York, 1955」
アレ、ブレ、ボケを多用してその後の多くの写真家に影響を与えたクライン。彼の初期代表作「ニューヨーク」(1956年刊)に収録の2点が展示されている

2-17 ハリー・キャラハン、「Detroit, 1942」
カラー写真の長時間露光で街などの活気ある雰囲気の表現に挑戦した作品

3-17  ウィリアム・エグルストン、「Jackson, Missisippi, c.1972」
写真集「William Eggleston’s Guide」のP47 に収録されているダイ・トランスファー・プリント作品

3-19  シンディー・シャーマン、「Untitled #123, 1983」
マス・メディアが作り上げた女性への固定観念を自らの肉体と変身を通してアート作品化したシャーマンの80年代のカラー作品

4-15~22 シンディー・シャーマン、 「Untitled Film still , #9,#16, #19,#22,#26,#33,#57,#58」
B級映画に描かれた多様な女性のステレオタイプのアイデンティティを自分で演じて表現した、1978年から1980年に8X10 ”カメラで製作された、キャリア初期のモノクロの代表シリーズ

5-2,3 アンセル・アダムス、「Clearing Winter Storm, Yosemite National Park, California C.1944」 、「Moon and Half Dome, Yosemitte Vallery, California, 1960」
“ゾーンシステム”という手法による高いプリントのクオリティー確立と芸術性を兼ね備える作品、アナログ時代に写真表現の限界拡大の可能性を追求したと現代でも再評価されている

総合開館30周年記念 TOPコレクション トランスフィジカル
東京都写真美術館

ルイジ・ギッリ「終わらない風景」
写真展レビュー@TOP MUSEUM

この世の中には客観的な現実の環境などなく、私たちはそれまでの人生で認識してきたものを積み上げて、それぞれが個別の世界を構築している。言い方を変えると、私たちは私的に作り上げた幻想を持っており、自分の見たいものだけを見ているのだ。これは動物行動学者の日高敏隆、心理学者の岸田秀をはじめ、近代以降の多くの哲学者が語っている見方だ。たぶん、ルイジ・ギッリは人間の存在について、このような世界観を持っていたのではないだろうか。彼の何気ない特徴がない風景写真には、私たちが普段は見過ごしがちなシーンが切り取られている。彼はそれらの作品を通して、私たちは様々な思い込みにとらわれて社会で生きている事実に気付かせようとしているのではないか。つまり人の目を引くような特徴的な被写体がセンターに写された風景写真は、思い込みにとらわれた人に見えている世界なのであえて避けて、逆説的な写真を提示しているのだ。

私は写真家の中に、風景写真を長年撮影しているが、自らが作品制作の背景にあるアイデア、コンセプト、テーマなどのメッセージを語らない人が多く存在する事実に注目している。ルイジ・ギッリもそのような写真家の一人だと認識している。それらは、アマチュア写真家が目指す、きれいな写真、グラフィカル/色彩的にデザインされたものと真逆な写真で、写真家からそれらのエゴ/邪念が消失した無心状態で心が動いた瞬間に撮影される。また偶然から生まれた奇跡的なシーンに美を見出すような作品が多いと分析している。

現代のアート界で求められる作品テーマやアイデア、コンセプトは、自分の外部に広がる社会文化の中に求めるものと、人間の内側を志向するものの2種類がある。現代のアート界では思考から生まれる前者が中心だ。自分の心の内面を向いた作品は、本人がそれに気づいていない場合が多く、また語りにくいことから見過ごされてしまいがちだ。これらの風景写真は、人間の本源的な存在に関わる内面を向いた表現だと評価している。仏教には「諸行無常」という基本の考えがあり、人間は空蝉(うつせみ)のような空虚な存在だと言われる。これらの風景写真は、実態がない世界に生きていくしか選択肢がない人間の存在に気付かせてくれる。これがこれら風景写真に隠された語られない作品メッセージだと見立てている。ここに分類できる写真家の撮影の実践自体が、彼ら自身を客観視する行為であり、作品コンセプトと重なるともいえるだろう。このような作品は忙しい日常生活で様々な思い込みにとらわれて生きる現代人を客観視させ、違う視点から自らを見直すきっかけを提供してくれる。ちなみに私は写真家自身が自作を語らない場合、第3者が作品のテーマを見立ててもよいと考えている。

彼らが無意識に求めているシーンは、以前にも紹介したネイチャー・ライティング系作家アニー・ディラードは「ティンカー・クリークのほとりで」(1974年刊)で、“美しさと優雅さは私たちがそれらを感じるかどうかに関係なく出現している。我々ができるせめてものことは、その場所に行こうとすることです”。と的確に表している。創作の背景に、いま存在する宇宙や自然界、また都市のストリートのどこかで、誰も気付かない、見たことがない、心が揺さぶられるシーンが発生しているはずというアーティストの認識/感覚があるのだ。キーワードは「禅/Zen」、写真撮影自体が、瞑想や座禅のように、思考にとらわれずに「今という瞬間に生きる」禅の奥義、マインドフルネス的アプローチにつながる。

このカテゴリーの風景写真は、接写/近景/中景/遠景を撮影している人に分けられる。大きく平面の2次元空間と広がりのある3次元空間という分け方もある。セミナーや学校の講義では、アーロン・シスキン、アンソニー・ヘルナンデス、ジャン=マルク・タンゴー、ウィリアム・クリステンベリー、エドガー・マーチン、ヘンリー・ウェッセル、ソール・ライター、ウィリアム・エグルストン、ヴィム・ヴェンダース、テリ・ワイフェンバック、百瀬俊哉などの風景写真の一部がこのカテゴリーに当てはまると解説している。
ルイジ・ギッリとの関係では、ウィリアム・エグルストンと映画監督のヴィム・ヴェンダースが興味深い。エグルストンはギッリが影響を受けた可能性がある写真家だと言われている。彼の写真スタイルは既存の価値観(画面の真ん中に人やモノが写っている)を無効にするパーソナルな視点で世界を切り取る「デモクラティック」だと評されている。人は見たいモノしか見ていないし、それで安心しており、各種バイアス、ヒューリステック(経験則)にとらわれていることを暴いている。彼の視線は、外の世界ではなく、内側を見ている。それは鋭い「ミクロ」を追い求める視点/まなざしなのだ。
また、ヴェンダースはギッリの著作『写真講義』(邦訳:みすず書房)の帯に「私の机の前には、ルイジ・ギッリの写真がかかっている。私は彼の写真が好きだ。そして写真と同じくらい、彼が書くものにも心動かされる。ルイジ・ギッリは最後の、真のイメージの開拓者だった。そして間違いなく、20世紀写真の巨匠のひとりだ」とコメントしている。
ギッリを含む彼らの写真には、人間の存在をリアルにとらえた人たちのクールかつ覚めた視点が感じられる。だからそれらの普通のシーンは私たち見る側の心に沁みるのだろう。

TOP MUSEUM 展覧会カタログ

さて今回の展示では時代が経過した70年代~のプリントと思われる小さめなサイズのカラー作品を鑑賞できる。「第1章」ではChromogenic Printのほか一部にインクジェット・プリントがあり、色味を当時のものに合わせていた。両者の違いはキャプションを見ないとわからないくらいだ。会場には来日中の写真家のお嬢さんも来ていた。作品制作の監修ができる直系の親族がいるのなら、次回の展示では、デジタル化してオリジナルのネガからギッリがファインダー越しに実際に見た当時の色味を再現したプリントを、大きなサイズで見てみたいものだ。しかしこの一種のリマスター作業は膨大な費用がかかるので、作品にあまり市場性がないと難しいかもしれない。
展示作品では、初期のコダクローム・シリーズと市場人気の高い画家ジョルジュ・モランディ―のアトリエを撮影した人気シリーズは必見だろう。また彼の代表作が掲載されたフォトブックで入手可能なものは少ないので、展覧会カタログはぜひ入手したい。なぜだか意図は不明だが、写真家ホンマタカシ氏のギッリに関連したフィクションも掲載されている。

Sotheby’s Paris, 2014-11「Photographies 」, Luigi Ghirri 「Atelier Morandi, 1992」

ファインアート写真市場では、20世紀美術史上で重要なイタリア人画家ジョルジュ・モランディ―(1890-1964)の創作が生まれた美意識や気配が感じられるアトリエ・シリーズの人気が高い。オークションでは、2014年11月のサザビーズ・パリ「Photographies 」 で、1992年にエディション・コントルジュール・パリで制作された「Atelier Morandi, 1992」のポートフォリオ23点が、落札予想価格3~4万ユーロのところ、51,900ユーロ(当時のレート/1ユーロ/145円、約752万円)で落札されている。ギャラリーでは、ニューヨークのMatthew Marksで、2023年に「Luigi Ghirri : Mediation」、2020年に「Luigi Ghirri : The Idea of Building」が開催されている。プライマリー市場では1970年から1991年に製作されたType C-print、Chibachrome printによるヴィンテージ作品が約1~2万ドルで販売されている。オークションでの出品は多くないが、だいたい1000~5万ドルのレンジの評価がなされている。

よくコレクターや学生から、何でルイジ・ギッリは評価されているのですか、という素朴な質問を受ける。このあたりの明確な解説はあまり見られないからだろう。まず人気の高いモランディ―のアトリエを撮影したシリーズは、写真家個人とともに、画家モランディ―の評価が市場価値に影響している。ギッリの1970年代のカラー作品は21世紀になって欧州以外でも再評価されるようになった。そのきっかけは2004年刊行のフォトブックガイド「The Photobook: Volume I」(Phaidon)。著者のマーティン・パーとジェリー・バジャーは、彼を「戦後ヨーロッパにおける創造的なカラー写真の先駆者の一人」とし、1978年のフォトブック「コダクローム」を、「ウィリアム・エグルストンのフォトブックのエグルストン・ガイド(MoMA、1976年刊)と同じくらい重要で、またウォーカー・エバンスの“American Photographs”の、写真は世界をドキュメントする行為ではなく、世界を見る視点が写真により形作られる、というテーマと間接的につながっている」と評価している。しかし、これはあくまでの20世紀カラー写真としての再評価だ。2004年以降は写真がデジタル化し現代アートと写真表現が一体化していく。あのエグルストンも2012年春のクリスティーズ・ニューヨークでの有名な大判デジタル作品による単独セールの完売をきっかけに現代アートの視点から再評価された。しかし、このような市場環境の大変動にかかわらず、ギッリはその後もヴィンテージ写真の展示が中心だった。評価もプリントの希少性と表層にとどまり、社会との接点を持つ背景にあるメッセージ性が十分に語られていなかった。この辺が現代アート表現の写真が中心になった最大市場の米国での評価が盛り上がらない理由だと思う。私はコダクローム・シリーズやイタリアの風景シリーズなどの風景写真を、上記の説明のように人間の存在を直視し、自分の内面に創作動機を求めたと作家のテーマ性を見立てるべきで、その上で現代アートの文脈や他のカラー写真との比較を行い、再評価すべきだと考えている。

総合開館30周年記念
ルイジ・ギッリ 終わらない風景
東京都写真美術館
会期・時間:7月3日(木)~9月28日(日)、10:00~18:00(木金は20:00まで)

写真展レビュー
TOPコレクション 見ることの重奏
@東京都写真美術館

ファインアート写真コレクターには嬉しい、珠玉の19~20世紀写真が一堂に鑑賞できる写真展だ。

東京都写真美術館は、1990年6月に第1次オープンしている。当時の新聞報道によると、都は開館前に約10億円かけ、国内外の写真コレクターや業者から主に写真の歴史的を語るときに欠かせない約6000点を買い集めた。本格開館までの3年間でさらに約20億円の収集費があったという。(朝日新聞90年5月30日夕刊) 今ではにわかに信じられないが、この潤沢な予算は好景気で余裕があった都の財政によるところが大きいと思われる。当時は「有名作品買いあさり?!」などの批判もあったようだが、開館に際してのコレクション構築は素晴らしい判断だったといえるだろう。80年代のオークションやギャラリー市場では、まだ写真自体が独立したカテゴリーとして存在していた。いまのように、ファンアートの一分野としての写真表現ではなく、どちらかというと写真プリントのコレクタブル系のように考えられていた。したがって、写真史上の重要作品でさえ、いまでは考えられないほど価格は安かった。東京都は本当に税金を極めて有効に使って基礎となるコレクションを構築したのだ。

本展で展示されている、アンナ・アトキンス、ウジェーヌ・アジェ、ベレニス・アボット、モーリス・タバール、マン・レイ、アンドレ・ケルテス、ウィリアム・クライン、マイナー・ホワイトなどは、想像するに初期のコレクションだと思われる。多くが、写真史の教科書に掲載されている写真家たちの代表作となる。実はこれだけの数の逸品の写真がグループ展でまとめて展示される機会はあまりない。ウジェーヌ・アジェ作品では、鶏卵紙プリントと、アボットがプリントしたゼラチン・シルバー・プリント写真が同時展示。ブレ、ボケ、荒れ、大胆なトリミングの元祖ウィリアム・クライン作品は、人気の高い50年代のニューヨークで撮影された12点がセレクション。マン・レイ作品では、代表作の「黒と白、1926」、「アングルのヴァイオリン、1924」を鑑賞できる。

1987年2月号の雑誌ブルータスに高橋周平氏による「写真経済学」という特集が組まれている。当時のニューヨークのオリジナル・プリント(当時はそう呼ばれていた)の相場が紹介されている。それによると、アンドレ・ケルテスの相場は1300~2800ドル、本展で展示されている「水面下の泳ぐ人、1917」が1500ドルと書かれている。マン・レイは5000~1万数千ドル、ウジェーヌ・アジェのアボットのプリントは400~800ドルと信じがたい販売価格だったのだ。ちなみに1987年のドル円の為替レートの平均値は144円67銭だった。

日本人では、奈良原一高、杉浦邦恵、寺田真由美、山崎博が展示されている。奈良原一高は、フイラデルフィア美術館収蔵のマルセル・デュシャンの「彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも、(通称)、大ガラス」を1973年に撮影した作品を展示。奈良原は当時ニューヨーク在住。美術評論家、詩人、画家の瀧口修造による撮影依頼とのこと。この「大ガラス」の1980年制作の東京ヴァージョン・レプリカは東京大学駒場博物館に収蔵されている。2018年に東京国立博物館平成館で開催された「マルセル・デュシャンと日本美術」展に貸し出され展示されていたので覚えている人も多いと思う。今回のコレクション展のフライヤー、図録のカヴァーに使用されているメイン・ビジュアルは、この奈良原の「デュシャン/大ガラス」となる。作品の一部をクローズアップ気味に切り取った、抽象的でモダンなカラー写真なので、現代アート的作品が多く展示されているグループ展だとの印象を持つかもしれない。しかし、展示作の中心はクラシック写真の展示なので勘違いしないでほしい。

中国からはチェン・ウェイ作品が展示されている。令和5年度の新規収蔵作品とのことだ。彼のプロフィールには、メインの展示になっている「In the Waves」シリーズは、ダンスクラブで音楽に陶酔する若者を写しだし、彼が作り出すシーンにおいて、今日の中国における社会問題を表現している、と記載されている。
社会問題とは非常に幅広い意味を持つ。それは何なのかに疑問に感じたので、会場にいた本人に通訳を通して質問してみた。
私たちは、クラブは一般の若い世代が集う西洋的な息抜きやストレス発散の場だと感じる。しかし、彼によると中国のクラブ文化は80年代に独自に発展したとのこと。西洋のクラブ文化が中国に輸入されたのではないそうだ。したがって作品制作には西洋文化/民主主義と中国文化/共産主義とは関係性の提示はないそうだ。そして中国でそこに集うのは、一般人ではなくインテリ層だったとのこと。たぶん当時のクラブの若い人たちは中間層以上の社会的に恵まれた人々であり、彼らが日常生活のストレス発散目的で踊りに陶酔したのだろう。会場で展示されている2点の大判写真「In the Waves」のクラブシーンは2013年制作だ。
私は同じ政治思想を持つ国家のキューバを思い出した。米国人写真家マイケル・ドウェックは「Habana Libre(ハバナ・リブレ)」(2011年)で、西洋社会では知られていないキューバのクリエイティブ・クラスという階級の存在を私たちにドキュメントを通して知らせてくれた。キューバの多くの住民はいまでも経済的には非常に貧乏だ。しかしキューバ政府が文化振興に力を入れた結果、アーティスト、作家、俳優、モデル、ミュージシャンたちの一種の特権階級が生まれているとのこと。彼らは裕福ではないが、ファッショナブルな生活を楽しんでおり、そこにも彼らがダンスを楽しんでいるナイトクラブのシーンが撮影されていた。

しかし、チェン・ウェイの話によると、どうも中国の状況はキューバとは全く違うようだ。キューバのような新たな階級の存在の提示を意図してはいないようだ。彼は、その時にクラブで踊っている人たちが、我を忘れて真に心の底から楽しんでいるとは決して感じられなかった、その発見が作品を作るきっかけになったという。
今の中国社会では、若者の失業率の高さや格差拡大など様々な問題があるとマスコミで指摘されている。いまから10年前のまだ経済が絶好調だった中国でも、すでにインテリ層は社会の軋みを感じていたのだろう。つまり、当然のこととしてクラブやディスコは当局が承認しているストレス発散の娯楽なのだと思う。本来なら社会システムの抑圧から一瞬でも自由になるために若者はクラブに集うのだ。しかし息抜きの娯楽さえも社会システムに組み込まれていて、インテリの若者たちは狭い空間に押し込められて、お上からストレス発散という価値を与えられているのだ。個人的に自由がない隠れた独裁や横暴な官僚主義が存在するディストピア的な社会を暗示していると感じた。これは戦後の昭和日本の、経済的安定を対価に会社に人生をささげたサラリーマンと同じだと感じた。レジャーに出かけても死んだ魚のような眼をした、不自由な人生を生きるサラリーマンの絶望感/閉塞感と重なる印象を持った。
チェン・ウェイ作品は中国の80年代以降に生まれた「80後」世代の若者たちの、とめどもない閉塞感や精神的な抑圧感が反映されているのだ。たぶん現在の若者の絶望感はインテリから幅広い層に広がり、さらに深くなっているのではないか。
またこのクラブシーンはドキュメントではなく、完全に演出されたいわゆるステージド作品とのこと。これは、作品の含むメッセージが社会的な重い要素を含むがゆえに、あえてアーティスト自身が完全にコントロールできる環境で、美しいビジュアル制作を意図したのではないか。人物の配置やポーズは巧みに秩序だっている、とても美しいライトが織りなす色彩の幻想的なビジュアルとして制作されている。チェン・ウェイ作品は、作品の美しい表層と深淵な社会的メッセージを併せ持っていた。本展の現代アーティスト作品の中で一番見応えがあった。

本展はファインアート写真のコレクションに興味ある人、写真撮影が趣味の人には今年の夏休み必見の写真展だ。
地下1階の展示室では、絵本作家/メディア・アーティストの岩井俊雄の展覧会「いわいとしお X 東京都写真美術家 光と動きの100かいだてのいえー19世紀の映像装置とメディアアートをつなぐ」も開催中。こちらは子供や学生を意識した展示内容になっているので、家族で一緒に訪れても皆が十分に楽しめるだろう。

東京都写真美術館 公式サイト

写真展レビュー
TOPコレクション 時間旅行
@東京都写真美術館

私は、人間の主観的な行為はすべて広義のアート表現になりうると理解している。また写真、絵画、彫刻などの作品を制作する人だけでなく、作品をコレクションするコレクターやフォトブックの編集者もアーティストの一部だととらえている。さらにギャラリーの小規模な写真展から美術館の大規模展覧会など、作品を選んで組み合わせて展示するキュレーションや企画もアート表現に含まれると考えている。
これらの作品展示は主観的な判断で行われる、自己満足的なものが大部分なのだが、中には私たちが生きている時代の見過ごされている価値観を提示するものも含まれている。しかしながらポストモダンの現在では多くの人が同時の共感するような価値基準はなかなか存在しない。果てしなく多様化した価値観の一部に、興味を持つ人だけが局地的に反応するような状況なのだ。だから大成功するような展示企画は非常に生まれにくい構造になっている。
しかし、世の中の誰でもが問題意識を持つ、「気候変動」、「環境汚染」、「森林崩壊」などの大きなテーマを持ってくると、問題の上辺だけを提示した自己満足的な軽い企画に陥る。当たり前のことを偉そうに提示されても、オーディエンスはリアリティーを持つことができなくて、そっぽを向かれてしまう。結果的に、多額の予算がかかる美術館展の場合、どうしても人気の高いアーティストや、歴史的に有名な海外美術館やコレクションの収蔵作品であることを強調するイベント的な企画になりがちだ。商業ギャラリーも若手新人よりも、市場性がある作品を提供する人気アーティストの展示が主流になる。

今回のTOPコレクション展「時間旅行 / 千二百箇月の過去とかんずる方向から」は、この難しい課題にキュレーターのアイデアで果敢に挑戦した意欲的な企画といえるだろう。
「時間旅行」をキーワードに、そして誰もが知る詩人・童話作家の宮沢賢治の視点を取り入れながら、膨大なコレクションから各時代の写真を取り上げて多様なテーマごとにセレクションして展示している。この見せ方の評価は観客の主観にゆだねられるが、国内外の様々な時代の名作やあまり知られていない膨大な写真がまとめて鑑賞できるのは写真/美術ファンやコレクターにとってはありがたい機会だと思う。

それらの展示は、「プロローグ」、第一室「1924年ー大正13年」、第二室「昭和モダン街」、第三室「かつて ここでエビスビールの記憶」、第四室「20世紀の旅ーグラフ誌に見る時代相」、第五室「時空の旅ー新生代沖積世」で構成されている。総作品展示数は約156点におよぶ。

キービジュアルとして同展カタログの表紙およびフライヤーで使用されているのが、黒岩保美の「D51 488 山手貨物線(恵比寿)、1953」と宮沢賢治の肖像写真。同館が建つかつてのエビスビール工場の横を蒸気機関車が走る象徴的な写真が採用されている。2024年に東京・恵比寿ガーデンプレイスが開業30周年を迎えることを意識した企画なのだ。蒸気機関車が走るビジュアルは、宮沢賢治の銀河鉄道の夜を意識したものだと思われる。

TOPコレクション 時間旅行、大久保好六「東京」シリーズ

私の専門のファッション写真では、特に「第2室 昭和モダン街」で展示されていた大久保好六による「東京」シリーズが興味深かった。これは1930~1935年の東京のストリートで撮影された作品。この時期の景気は良くなったが、日本の近代化が進み新しいデザインやファッションなどの文化が花開いた時期だった。女性のファッションでは、ボブカットやワンピースが流行、男性のファッションでは、スーツやネクタイが一般的だったという。
いま放映中の110作目のNHK連続テレビ小説「虎に翼」は、ちょうどこの時代が舞台に物語がスタートしている。大久保の作品は、日本では珍しい当時の時代の気分がファッションや被写体の動きを通して見事に反映されたファインアート系ファッション写真といえるだろう。彼は朝日新聞のカメラマンで、資料によるとこれらの展示作品は「アサヒグラフ」誌上で発表された作品のようだ。
ここでは、同時に桑原甲子雄「東京昭和十一年」のストリート写真も展示されている。大久保好六の写真と対照的にこちらで撮影されているのは和装の男性ばかりなのだ。つまり東京のストリートのドキュメントなのだ。時代の雰囲気をとらえたファインアート系ファッション写真と記録の写真との違いが非常にわかりやすい展示になっている。ぜひ見比べてほしい。

本展では、「昭和モダン街」、「かつて ここでエビスビールの記憶」のセクションで多くの広告写真も展示されていた。日本ではファッション写真や広告写真のアート性はあまり研究されていない。今回写真専門の美術館が取り上げたのは非常に意義がある。かつてファッションやポートレート写真は作り物の写真でアート性は低いと考えられていた。1990年代以降、欧米の美術館はこの分野の作品の評価基準を確立させ、同時に市場も拡大した経緯がある。しかし日本では全く手が付けれれていない分野なのだ。戦前の昭和時代の調査は、戦後の高度経済成長期のファッション写真をファインアートの視点から評価する原点となる。同館の膨大なコレクションから、欧米のファッション/広告写真との同時展示を行うことで、文化の違いや共通性を幅広くに探求してほしい。

第四室「20世紀の旅ーグラフ誌に見る時代相」も見どころが多い。同館のエントランスに続く外壁にある巨大な写真作品3点のうち2点のオリジナル作品を鑑賞することができる。いずれもグラフ雑誌「LIFE」掲載作品で、ロバート・キャパによる第2次世界大戦時のノルマンディー上陸を撮影した「オマハ・ビーチ、コルヴィユ・シュル・メール付近、ノルマンディー海岸、1944」と、ロベール・ドアノーの「パリ市庁舎前のキス、1950」だ。写真が掲載された雑誌のオリジナルも同時展示されている。

ライフ誌、1950年6月12日号

ドアノー作品には数々のエピソードがあることが知られている。展示しているようにライフ誌1950年6月12日号の「パリの恋人」という企画で発表された1枚の作品で、1986年にポスターになったことで大人気となった。世界中で50万枚以上がポスターに複製されたとのこと。実は写真のモデルだった元女優のフランソワ・ボネが90年代に写真の肖像権料の支払いをドアノーに求めた裁判を起こし、この写真が純粋なドキュメントでなかったことが明らかになった。彼女によると、写真は演出して撮影されたが当時恋人だった二人のキスには偽りがなかったそうだ。実は数々の名作のコンタクトシートを収録した写真集「The Contact Sheet」(編集Steve Crist、2009年 Ammo Books刊)に、本作が収録されている。実際のコンタクトを見ると、ドアノーがカップルを様々な場所で演技させて撮影していることが分かる。

「The Contact Sheet」(2009年 Ammo Books刊)より

本作のエピソードはさらに続く。彼女は裁判では敗れるものの、2005年4月25日にパリArtcurial Briest Pulain le Fuで開催されたオークションで、彼女が所有する同作のオリジナル作品が155,000ユーロ(当時のレート@140、約2千2百万円)、落札予想価格の十倍以上でスイスのコレクターが落札されたのだ。同作は1950年に撮影された数日後にドアノーからプレゼントされた非常に貴重なヴィンテージ・プリントで、裏面にはドアノーのスタンプが押されていた。超人気イメージの来歴が確かな正真正銘のヴィンテージ・プリントだったことが高額落札の理由だった。今回の展示作品は特に記載はないので、年月経過後にプリントされたモダンプリントだと思われる。

本展は一般観客向けに用意された「時間旅行」と宮沢賢治という、大きな切口のほかにも、本当に様々な視点で作品がセレクションされて展示されている。いま写真が好きな人の興味は本当に多様化しているが、必ず自分の関心のある分野の作品に出会えるだろう。

コレクターにとっては、エドワード・ウェストン、ラースロ・モホイ=ナジ、マン・レイ、W.ユージン・スミス、フィリップ・ハルスマンなどの20世紀写真のオリジナル作品や同館収蔵の国内外の現代写真を鑑賞できる展覧会になっている。

「TOPコレクション 時間旅行」
(千二百箇月の過去とかんずる方角から)
東京都写真美術館 (担当学芸員 石田哲朗)

TOPコレクション セレンディピティ
日常のなかの予期せぬ素敵な発見
@東京都写真美術館

定期的に開催されている東京都写真美術館のコレクション展。毎回、約3万7000点の収蔵作品を利用して、様々な切口で、色々な層の来場者を想定して写真展が企画されている。膨大なコレクションの中から自由な組み合わせが可能なだけに、担当する学芸員の発想力が問われる展示になる。

今回のコレクション展は、子供層への美術教育を意識して構想されたと思われる。日本での美術教育充実の必要性は多くのところで語られている。“13歳からのアート思考”(末永幸歩/ダイヤモンド社、2020年刊)でも、日本の美術教育は「技術/知識」偏重型であると分析している。
学芸員の武内厚子氏は、“美術館は「学習の場」、「社会情勢や現代の諸問題を知る場所」という役割が強くなった”と、本展カタログの解説文で現状分析を行い、その他の数々の役割の可能性に言及している。その新たな試みが今回のコレクション展なのだ。

“TOPコレクション セレンディピティ” 写真展カタログの表紙、イラスト 小池ふみ

本展には、もっと自由にアートに接して、感じてほしいとの狙いが隠されている。その意図が象徴的に表れているのは、参加写真家の吉野英理香が飼う小鳥のジョビンとエドワード・マイブリッジの展示写真から飛び出してきた子犬のマギーが、イラストで描かれて登場し、閉館後の美術館の展示を見て回るという設定が行われている点だ。これだけだと、まだ展示やカタログを見ていない人には全く意味不明だと思われるので、少しばかり説明を加えたい。
参加している写真家の吉野英理香は、2022年の外出制限されていたコロナ禍に、飼っている小鳥のジョビン(JOBIM)をインスタントカメラで撮影。今回そのシリーズから11点が展示されている。そのペットの小鳥ジョビンがイラスト化されているのだ。(上のカタログ表紙に描かれている) エドワード・マイブリッジは、連続写真で知られる19世紀の写真家。本展では走る犬の姿をとらえた1887年の連続写真作品が展示されている。そこから、飛び出してきたというシュールな設定で、ジョビンの相方として、子犬マギーのイラストが生まれているのだ。

会場内の壁面には、作品を鑑賞しているマギーとジョビンのイラストが所々に描かれている。明らかに子供受けを意識した設えだろう。また同展カタログ内の巻頭には、写真作品の前で自由に自分の感じ方を語り合っているマギーとジョビンの会話とイラストが「ジョビンとマギーの素敵な探検」として、まるで絵本のように紹介されている。たぶん ジョビンとマギーの 存在は、来場者の子供たちと重なっていて、彼らにも同じような姿勢で美術館で作品に向かい合って欲しいという意図だろう。
一方展示会場内には、床に座って壁面の作品と向き合うように、人工芝やクッションが置かれる仕掛けも考えられていた。

“TOPコレクション セレンディピティ” 写真展会場 東京都写真美術館

日本では、自分が作品をどのように感じているかを、言葉にして誰かに伝えるような美術教育は行われていない。子供は、作品に対しては、親、先生、友達に対しては言えないことでも、自分の気持ちを自由に主張できる。相手が作品なので誰も傷つかない。そして自分の気持ちを言葉にするのは、かなり難しい行為だという事実に気付くのだ。最初は自分の気持ちが伝えられないことをもどかしく感じるだろう。しかし、これは経験を積めば段々うまくできるようになる。実はこの行為こそはアーティストが何で自分が作品を制作しているかを説明する行為につながるのだ。
子供に、そのきっかけを与える願いが込められた、小鳥のジョビンと子犬のマギーを取り入れた企画はとても斬新だ。大人たちは、ぜひ子供とともに鑑賞に来て、彼らに作品に対しての自分の気持ちを自由に語らせてほしい。また自分の感じを子供にも伝えてはどうだろうか。

出品作家は以下の通り。膨大な収蔵作品から幅広い年齢の人の写真作品がセレクションされている。
(参加者)
相川勝、石川直樹、井上佐由紀、今井智己、潮田登久子、葛西秀樹、
北井一夫、牛腸茂雄、齋藤陽道、佐内正史、島尾伸三、鈴木のぞみ、
中平卓馬、奈良美智、畠山直哉、浜田涼、本城直季、ホンマタカシ、
山崎博、吉野英理香、エリオット・アーウィット、エドワード・マイブリッジ

タイトルのSerendipityは、思いもよらない素敵な偶然との出会いや、予想外の新しいものを発見すること。余談になるが、私はこの言葉から、ニューヨーク市にある有名なスイーツ・ショップを思い出す。90年代に、巨大サイズのデザートを食べに現地の友人に連れられて訪れたのだが、店名が特異で発音が難しかったのでよく覚えている。ここは予期せぬ素敵なスイーツを提供して来店者をもてなしていた。
本展のサブタイトルは“日常のなかの予期せぬ素敵な発見”となっている。これは写真家が日常生活で素敵なシーンを発見したという意味のようだ。しかし、私は一見は統一性がないのように感じるものの、妙に全体のおさまりが絶妙な、本展の参加写真家や作品のセレクション、そしてイラスト化された本展の影の主役である子犬のマギーと小鳥のジョビンの存在にセレンディピティを感じた。

もちろん、子供だけでなくアマチュア写真家やコレクターなどの大人でも十分に楽しめる展示内容だ。貴重で市場で高価なヴィンテージ・プリントなどの展示はないが、見どころは満載。ちなみに、本展フライヤーに掲載されている白い猫の組写真は、アジアを代表する画家の奈良美智の作品になる。プリント・クオリティーも非常に高い。彼は、写真を「その時感じた気持ちを思い出すための「記憶の栞」」であり、「後でそれを見ながら自分の感性チェックをする」ためと語っている。(図録 P-109) 有名画家の感性に写真で触れることができる貴重な機会といえるだろう。

今回の斬新な展示方法の評価は人によってかなり分かれると思う。個人的には、日本の美術館ではあまり見られない、作品展示の方向性や学芸員のメッセージが明確に感じられる優れた企画の写真展だと評価したい。写真展情報

展覧会レビュー
TOPコレクション
メメント・モリと写真
@東京都写真美術館

東京都写真美術館(TOP MUSEUM)は、約36000点にも及ぶ膨大な国内外の写真コレクションを誇っている。開館が写真の市場価格高騰前の90年代前半で、また当時の東京都の財政状況が良好で購入予算が豊富だったので、いまでは高額で購入が難しい作品を多数収蔵している。定期的に開催されるTOPコレクション展は優れた収蔵品を紹介する非常に質の高い展示になる。担当キュレーターの選んだ企画テーマによりコレクションを見せる方向性が決まってくる。
幅広い分野にまたがる作品をできるだけ自由に見せるには、大きなテーマを採用したほうが都合が良いだろう。今回のキーワードは「メメント・モリ」。死を思えということ。これは、人間はいつか死ぬという、すべての写真作品に当てはめ可能な、誰も文句が言えない大きなテーマとなる。今までのコレクション展では、テーマに引きずられて、多少無理のあるような作品や作家セレクションが見られた。今回の展示では、死を表現した作品が含まれるものの、膨大なコレクションから自由に有名写真家の珠玉の作品が紹介されている印象を持った。

今回の展示にはいくつかの見どころがある。
まず藤原新也(1944-)の「メメント・モリ」(情報センター出版局、1983年刊)からの12点の展示を上げたい。その中の1点となる、“ニンゲンは、犬に食われるほど自由だ、1973”は、1981年(昭和56年)12月4日号雑誌フォーカスに連載された「東京漂流」の第6回の掲載作品。編集部が掲載内容を変更したことで連載がその号で打ち切りになり、当時は大きな話題になった。その経緯は、「東京漂流」(情報センター出版局、1983年刊)に詳しく書かれている。

同作に込められていたのが、経済成長を続ける80年代日本のコマ―シャリズムやマスコミに対する写真家の違和感なのだ。「東京漂流」を読むと、それは生産の拡大と能率のために、無駄、邪魔と考えられる世界の構成要素を汚物畏敬として排除する性向を現代のコマーシャリズムは宿命として持っている、という藤原の認識だとわかる。コマ―シャリズムの発するメッセージは人間や事物の持つ明暗の「明」の部分のみを拡大し、生命や生存の全体像を欠落させている。「死の意味」に対する認識が希薄なのだ。藤原は「ニンゲンは、犬に食われるほど自由なんだ」というコピーと、ガンジス川で野犬が人に食いついている写真作品で「死の意味」をタブー化している日本社会に一撃を加えた。日本社会は、表層は自由な世の中のようだが、実際はここで取り上げられた「死の意味」以外にも様々なタブーが存在する。彼は、政治、大新聞、差別問題、天皇問題、コマ―シャル批判などが世間のタブーになっていることを指摘している。

40年以上経過した現在の日本でも、その状況はあまり変化していないのかもしれない。しかし、変化の兆しは地域の公共美術館による藤原新也の作品展示にあるのではないか。1944年生まれで、すでに1977年には第3回木村伊兵衛賞、81年に第23回毎日芸術賞を受賞している。美術館での大規模な回顧展が既に開催されていても全くおかしくない存在といえるだろう。今回の東京都写真美術館では、“ニンゲンは、犬に食われるほど自由だ、1973”を含む、「メメント・モリ」からの12点の展示。そして2022年9月10日からは北九州市立美術館で「祈りの軌跡 藤原新也展」が開催、11月には世田谷美術館に巡回する予定だ。80年代に藤原が感じた日本社会の違和感に共感する新しい世代が増加していると解釈したい。一連の美術館での作品展示が多様な価値観を持つ社会が訪れるきっかけになることを願いたい。

現代アメリカ写真の展示にも注目したい。ロバート・フランク(1924-2019)、ダイアン・アーバス(1923-1971)、リー・フリードランダー(1934-)などだ。彼らが表現しているのは、それ以前の雑誌「ライフ」のような、世界を記録するドキュメンタリー、そして「決定的瞬間」重視ではなく、写真家のパーソナルな視点で切り取られた普通の写真だ。そこにはマスコミが吹聴するアメリカンドリームの中に埋没している一般市民の日常生活が切り取られている。それは繁栄の裏にあるアメリカ社会のダークサイドであり、市民が抱くリアルな孤独や狂気なのだ。
ロバート・フランクは5点、ダイアン・アーバスは5点、リー・フリードランダーは6点を展示。
ダイアン・アーバスの“Identical twins, Roselle, N.J. 1966”は、彼女の没後の1972年にMoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催された回顧展のカタログ「Diane Arbus: An Aperture Monograph」の表紙作品。2018年にクリスティーズNYで開催されたオークションでは、アーバス本人が生前にプリントした極めて貴重な同作が73.2万ドル(@110円/約8052万円)で落札されている。展示作品は、本人によるプリントか、死後に制作されたエステートプリントかは不明だ。

ロバート・フランクの代表作“Trolley-New orleans, 1955”にも注目したい。本作は、1950年代のニューオーリンズに残るアメリカの人種隔離を提示した象徴的イメージ。フランクは、長期にわたる全米旅行で、大勢の人々が歩道に群がる賑やかなニューオーリンズのカナル・ストリートで通り過ぎるトローリーを撮影する。それは路面電車の乗客を囲むように窓が並んでいて、前方に白人、後方に黒人が乗っているイメージ。フランクは、ワークシャツを着た疲れた様子の黒人男性や、彼の目の前に座っている人種ごとに区分エリアを示す木製看板に手をかけている若い白人女性など、長方形の窓越しから外を見つめる個々の表情を捉えたのだ。1958年、フランクは「これらの写真で、私はアメリカの人々の断面を見せようと試みました。私が心がけたのは、それをシンプルに混乱なく表現することでした」と書いている。ニューオーリンズの路面電車とバスでは、1958年の裁判所の命令で人種差別撤廃が行われた。しかし1959年にアメリカで出版された写真集「The Americans」では、まだ差別が残っている事実を意識して、表紙にはあえて本作が採用している。アメリカにおける人種的正義のための継続的な戦いでは、本作のような写真の力が極めて重要な役割を果たしてきたのだ。
ちなみに、本作のヴィンテージ・プリントは、2021年4月フィリップスNYのオークションに出品されている。落札予想価格15万~25万ドルのところ40.32万ドル(@110円/約4435万円)で落札された。今回の展示作品のプリント年は不明。

そしてニューカラーの先駆者ウィリアム・エグルストン(1939-)の作品も必見だろう。エグルストン作品は米国南部の色彩豊かな情景をカラーとシャープ・フォーカスで表現しているのが特徴。画家エドワード・ホッパーの描いた風景画や、スーパー・リアリズムの絵画作品と対比して語られることも多い20世紀を代表する人気写真家。70年代のファインアート写真はモノクロが主流でカラーは広告分野での利用が中心だった。エグルストンは大判カメラと染料を転写してカラー画像を作り出すダイ・トランスファーという手法を使用して、レンズは絞りこんで、当時に流行していたスーパー・リアリズム絵画のようなカラー作品を制作した。1976年にニューヨーク近代美術館で開催された展覧会で華々しくデビューする。写真史では、同展が本格的カラー写真時代の到来のきっかけだとしている。エグルストンが好んで撮影したのは、出身地であるアメリカ南部の色彩豊かな何気ない日常生活や風景などだった。それはアメリカ人が無意識に持っているアメリカ原風景と重なるのだ。カラーを取り入れたことで、モノクロでは難しかった被写体表面の質感や色彩のコントラストの表現を可能にした。
本展では、高価なダイ・トランスファー・プリントによる6点を展示している。

同展では、ハンス・ホルバイン(子)、マリオ・ジャコメッリ、ロバート・キャパ、澤田教一、セバスチャン・サルガド、ウォーカー・エヴァンズ、W. ユージン・スミス、牛腸茂雄、荒木経惟、ウジェーヌ・アジェ、ヨゼフ・スデック、小島一郎、東松照明など、19世紀から現代を代表する写真約150点を4つのセクションで展示している。これだけの優れた多分野に渡る歴史的写真作品が一度に鑑賞できる機会は世界的にも珍しい。私はニューヨークで大手業者により開催される「Photographs」オークションに先立ち行われる、出品作品すべてを紹介する作品プレビュー会場のシーンを思い出した。ファインアート写真のコレクションに興味ある人、アーティストを目指す人、アマチュア写真家には必見の展覧会だ。

開催情報
TOPコレクション メメント・モリと写真 -死は何を照らし出すのか-
東京都写真美術館(恵比寿)
6月17日(金)~9月25日(日)
http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4278.html

「テリ・ワイフェンバック/
Saitama Notes」  
@さいたま国際芸術祭2020

「さいたま国際芸術祭2020」は、今春に開催予定だったが新型コロナウイルスの感染拡大を受け延期になっていた。このたびウィズコロナ時代に対応したオンラインとオンサイト2つの作品鑑賞スタイルを採用し、感染予防のために完全予約制(日時指定)により開催が決定した。私どもの取り扱い作家テリ・ワイフェンバックの「Saitama Notes」シリーズもメイン会場の旧大宮区役所での展示がついに実現した。
今回のディレクターは映画監督の遠山昇司氏。彼はもともとワイフェンバック作品を写真集で見ていて、彼女の世界観を気に入っていたとのこと。彼が掲げたテーマは「花/flower」で、ぜひ彼女に埼玉の自然と花(特に桜)を撮って欲しい、という熱い希望により今回のプロジェクトは実現した。

テリ・ワイフェンバックとディレクター遠山昇司氏、2019年3月28日県庁にて

ワイフェンバックは2019年春に来日して浦和市に滞在。約2週間にわたり埼玉県各地を回り、見沼田んぼ周辺、見沼自然公園、名もなき小道などを積極的に散策して、桜の花などを含む自然風景を撮影した。
彼女の作品スタイルは日本の埼玉でも不変だ。誰も見たことのないような同地域の自然風景が作品化されている。撮影はソニーのα7Rシリーズで行われ、インクジェットプリントで出力後にアルミ複合板にマウント加工して、様々なサイズの約37点の作品が展示されている。
テストプリントを彼女の住むパリに何度も送り、スカイプを利用して色校正の指示を受けて手直しを行い、最終の展示作品を日本でプリント制作した。日本の業者は特に大きなサイズのプリントの場合、色を濃い目に調整しがちだ。彼女からは、多くのテストプリントの濃度が濃すぎると指摘された。
彼女の初期写真集の印刷は色彩が濃い目にプリントされている。それが意図的と勘違いする人もいるが、実際のオリジナルプリントはもっと色彩が抑えられているのだ。写真集とオリジナルプリントは全くの別物だと理解していると彼女は語っている。

会場の旧大宮区役所では、昭和の残り香が残る、やや廃墟然とした会場のたたずまいを、作品一部に取り込んで表現しているアーティストが多かった。しかしテリ・ワイフェンバックのスペースだけは壁面と照明がほぼ美術館同様に設営されている。主催者の作家への高いリスペクトを感じた。展示会場の一部には窓部分があり、外光を取り入れる会場の設計になっている。これは当初開催が予定されていた3月~4月にかけては、窓越しに桜並木が見られることによって企画された。窓越しの桜と、ワイフェンバックの大判の桜の作品のコレボレーション的な効果を考えたアイデアだった。 会期が秋になってしまい、残念ながら本物の桜との夢のコラボは実現しなかった。

2019年春の撮影直後には、彼女は埼玉の作品は2002年のイタリアで撮影された写真集「Lana」の延長線上にあると感じると語っていた。光の具合と空気の湿り気はイタリアと埼玉ではかなり違う。しかし展示作品のベースとなる画像をパソコン画像上で順番に見ていくと「Lana」と同じような印象の作品が多いと感じた。しかし、実際の展示を見た印象は予想とかなり違っていた。大きなサイズの、やや抽象的な作品を組で見せたり、咲いて散っていく桜の作品を並べて時間の流れとともに見せたり、つぼみの芽吹きや花が咲いていく過程を連作で提示し自然のダイナミックな動きを可視化し、壁面ごとに見せ方を工夫したかなりリズミカルな展示になっている。会場のレイアウトもすべてワイフェンバックのディレクション。これはアナログ時代には制作できなかった大判サイズの作品制作がデジタル技術の進歩により可能になったのだと思う。

彼女は写真のデジタル化により、鳥のような動きの速い被写体や、また光が弱い時間帯での撮影が可能になり、また抽象的作品の制作がより容易になった。同時にプリント作品制作と展示においてもより自由な表現が可能になったのだ。アナログ時代の彼女の展示では、大きめのタイプCプリントで制作された作品は整然とフレームに入れられて並べられていた。アーティストは自分のシャッターを押した時の感動を写真展でできるだけ忠実に再現したいと考える。しかし、アナログ時代はプリントサイズなどに限界があり、ある程度の妥協が求められたのだろう。

デジタル時代になり、IZU PHOTO MUSEUMで開催された「The May Sun」展あたりから、彼女は表現の一部として自由に空間を演出するようになった。今回は本人不在にもかかわらず、彼女の意図がほぼ正確に反映された展示になっていると思う。会場設営の実務を的確に行った実行委員会のチームがとても良い仕事をしたと評価したい。

本展では、アーティストの感動から生み出された自然風景の作品が、どのように解釈されて実際の展示に落とし込まれるかが見事に例示されている。展示自体も本展の見どころになっている。風景で作品を制作している写真家は必見だろう。今回の写真作品は、特徴がないと見逃されていた埼玉の自然風景が、多くのアマチュア写真家に再発見されるきっかけになるのは間違いないだろう。私は主催者に、絶対にテリ・ワイフェンバックの撮影した場所を地図化して一般に公表すべきだと提案したくらいだ。北海道にはマイケル・ケンナが写真撮影したということでアマチュア写真家の聖地となった洞爺湖畔などの地がある。埼玉にもテリ・ワイフェンバックが撮影したことで有名になる場所がいくつも生まれるのではないだろうか。彼女の写真を見たことで、個人的にも見沼自然公園とその周辺には行ってみようと考えている。

最近のワイフェンバックは、日本でのプロジェクトが続いている。2015年に静岡、奈良、そして2019年に埼玉を撮影している。特に、2015年に伊豆三島に長期間滞在して撮影された「The May Sun」は、彼女のライフワーク的な風景作品に重要な意味をもたらすことになる。彼女は場所の持つ気配を感じ取って写真表現するのを得意とする。2005年には、オランダ北東部のフローニンゲン(Groningen)で行われた「Hidden Sites」プロジェクトに参加。時代の変遷により歴史から消えた場所(Hidden Sites)の気配を写真作品で新たに蘇らせている。伊豆三島では、歴史を大きく遡って古の日本人が伊豆の山河に感じた神々しさ、言い変えると八百万の神を意識し、自然に美を見出す「優美」の表現に挑戦している。西欧人作家による日本の伝統的な美意識への気付きは極めて重要だ。同作は視点を変えると、自然を神の創造物ととらえ、人間が支配管理するという近代西洋の考え方の限界を提示しているとも解釈できる。初期作から続く日常の自然風景の作品は、日本の自然美が加わったことで、いま世界的に広がっている地球の温暖化対策や環境保護という大きなテーマにつながったのだ。
今回も全く同じスタンスで埼玉を撮影している。一貫した大きなテーマは不変で、その延長線上として埼玉の春の美しい自然風景を紡ぎだしたのが今回の展示なのだ。IZU PHOTO MUSEUMでの「The May Sun」の作品展示を見た人なら、会場に足を踏み入れた瞬間にその意味が直感的に理解できるのではないだろうか。
会期は11月15日まで、週末はあと2回だけ。ぜひお見逃しなく!

「さいたま国際芸術祭2020 (花 / flower)」
「テリ・ワイフェンバック/Saitama Notes)」
開催期間:2020年10月17日(土)- 11月15日(日)/完全予約制(日時指定)
会場:メインサイト 旧大宮区役所2階

公式サイト

予約サイト

展覧会レビュー
ニューヨークが生んだ伝説の写真家
永遠のソール・ライター
@Bunkamuraザ・ミュージアム(渋谷)

渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで、「ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター」展が開催中だ。
ソール・ライター(1923-2013)は、長きにわたりモノクロ中心だった写真の抽象美を、すでに40年代からカラーにより表現していた写真家として知られている。彼は元々抽象絵画の画家で、色彩感覚が優れていた。カラーは広告やアマチュアが使用するものだと思われていた時代に、写真での抽象表現の可能性に挑戦したと思われる。また日本美術にも造詣があり、浮世絵の構図にも多大な影響を受けている。画面で被写体を中心に置いてフォーカスするのではなく、見る側の視点の動きを取り入れたような映画的なヴィジュアルも特徴だ。
2017年に同ミュージアムで開催され(その後国内各地を巡回)「ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展」は、観客数約8万人を動員したという。彼の色彩豊かでグラフィカルなカラー作品は、写真を叙情的に捉えがちな日本の観客の感性との相性が良かったのだ。

ソール・ライター 《帽子》 1960年頃、発色現像方式印画 ⒸSaul Leiter Foundation
ソール・ライター 《バス》 2004年頃、発色現像方式印画 ⒸSaul Leiter Foundation
ソール・ライター 《赤い傘》 1958年頃、発色現像方式印画 ⒸSaul Leiter Foundation

ソール・ライターは89歳で亡くなっている。死後に約8万点にも及ぶ未発表のカラー写真、モノクロ写真、カラースライドなどが残されていた。2014年、彼の自宅兼アトリエにソール・ライター財団が設立され、それらの発掘調査を現在進行形で行っている。

今回の続編となる大規模展覧会は、モノクロ、カラー、ファッションなどの代表作を展示する「PartⅠソール・ライターの世界」と、「PartⅡソール・ライターを探して」の2部で構成されている。
見どころは第2部で、いままでの財団による調査結果の披露を目的とする、未発表作中心の展示内容になっている。それらは、セルフポートレート、デボラ(ライターの妹)、絵画、ソームズ(ライターのパートナー)、写真撮影時の創作の背景が垣間見えるコンタクトシート、ソール・ライター自らがプリントした名刺サイズの複数の写真をコラージュのように組み合わせた「スニペット(Snippets)」などのセクションで構成されている。


さらに2018年に開始された アーカイヴのデータベース化プロジェクトにより 、新発見のスライドによる初公開のプロジェクションも含まれる。また会場内にソール・ライターが長年住んだ、 ニューヨークのイースト・ヴィレッジの仕事場一部も再現されている。

1月9日には、ソール・ライター財団創設者でディレクターのマーギット・アープ氏とマイケル・バリーロ氏による記念講演会が開催された。マーギット・アープ氏は、もともとニューヨークのハワード・グリンバーグ・ギャラリーに勤めていた。1997年に同ギャラリーで開催されたカラー写真によるソール・ライター展以来、彼のアシスタント的な仕事を行っていた。彼の死後には財団立ち上げに関わっている。

講演では、ソール・ライター財団のミッションと今までの仕事の成果の解説が行われた。その主要目標は、残されたプリント、スライド、ネガ、絵画などのすべての作品の完全カタログ化。最終的にカタログ・レゾネ(総作品目録)を完成させ、ソール・ライターの仕事の全貌を、アート研究者、作家、キュレーター、学生に明かにしたいとのことだ。

まず実際に仕事を共に行っていたアープ氏からソール・ライターのキャラクターが語られた。洞察力があり、おかしく愛らしい、スマート、自分の意見を持っている、写真家というより基本は画家、アート史の深い知識を持つ、好奇心のかたまり、ただし仕事場はカオス状態(モノの定位置は決まっていた)という、印象が語られた。
また新しいテクノロジー好きで、早い段階からデジカメを使用していたという。本展ではキャリア初期に撮影されたカラー作品とともに、2000年代に撮影されたデジタル作品が同じ壁面に展示されている。両作のカラーのトーンが見事に揃っているので、見逃してしまいがちだ。写真撮影に興味ある人はキャプションを注意深く確認して見比べてほしい。展示作品は「発色現像方式印画(Chromogenic print)」と記載されているが、いわゆる、デジタル・タイプC・プリント。画像はヴィンテージ・プリントを目標にデータ作りが行われている印象だ。

続いてキャリアの説明が行われた。いまや広く知れ渡っているので簡単に触れておこう。詳しくは、展覧会ウェブサイトのなかの「ソール・ライターのこと」で、企画協力の㈱コンタクトの佐藤正子氏が書いているので参照してほしい。

ソール・ライターは、1923年にピッツバークのユダヤ教の聖職者の家庭に生まれた。両親は彼が宗教家の道を進むことを望んだという。16歳で絵画をはじめ、独学で美術史を徹底的に学んでいく。その後、親の意向に反して画家を目指してニューヨークに行き、抽象表現画家のリチャード・プセット・ダートとの出会いがきっかけで写真に興味を持つ。ウィリアム・ユージン・スミス(1918-1978)にカメラをもらい、ニューヨークのストリートで写真を撮り始めている。
強調されたのは、彼は基本的に画家であり、それを意識して写真も見てほしいとのこと。ソール・ライターは、そのキャリアを通して写真と絵画の両分野で表現を行っていたのが特徴だ。それは生活のためにファッションや商業写真の仕事を行っていた時期も変わらなかった。50年代後半から80年代はじめまで、彼はファッション写真家として、ハーパース・バザーやエスクアィアなどの雑誌の仕事で活躍し、経済的に比較的安定した生活を送っている。ストリートの写真と同じスタンスで野外でのファッション撮影を好んだ。野外で起こる様々な偶然性が写真にリアリティーを与えると考えていた。
ファッション写真は、自己表現を追求したい写真家と服の情報を最大限に強調したいクライエントやエディターとのせめぎあいの歴史だ。50~60年代ごろのファッション写真には、写真家に比較的多くの自由裁量が与えられた。しかし70年代以降は消費社会の拡大に伴い、クライエントやエディターの撮影への要求や指示がどんどん強くなっていく。この時期には、ファッション分野での写真によるアート表現の可能性に限界を感じて活動を休止した多く人が多くいた。リリアン・バスマンの夫のポール・ヒメール、ルイス・ファー、ギイ・ブルダン、ブライアン・ダフィーなどだ。ソール・ライターも絶望した写真家の一人だった。1981年、彼の我慢は限界に達し、5番街156番地にあった写真スタジオを突然閉鎖してしまう。その後、彼は隠遁生活に入り経済的に厳しい時期を過ごすことになる。
そして80歳を超えてから写真集「Early Color」が刊行。一気にそれまでの仕事が再評価されて人生が急展開するのだ。その後、世界中の美術館やギャラリーで数多くの写真展が開催されるようになる。バリーロ氏は、彼の亡くなるまでの最後の7年間は最も幸せな時期だっただろうと語っている。

続いて、アープ氏とバリーロ氏から以下のような最近までの発掘作業の成果が展覧会の見どころとして紹介された。

ソール・ライター財団ディレクターのマーギット・アープ氏(左)とマイケル・バリーロ氏(右)による記念講演会

・初期写真
ソール・ライターは1930年代、10代の時に母親にデトローラ社製のカメラを買ってもらいモノクロ写真の撮影を開始。母親は、写真が子供のその後の一生を変えてしまうとは思いもよらなかっただろう。財団の調査により今まであまり知られていいなかった、10代の「初期家族写真」が発見されている。主に2才違いの妹のデボラを被写体にしている。デボラは、ライターの撮影での数々の試行錯誤に協力している様子が見て取れる。また、大胆かつグラフィカルな構図やモデルの動作を写真で表現するアプローチなど、彼のその後の特徴的な写真の原点といえる作品も発見されている。絵画や写真など、デボラ関係は約100点が発見されている。本展ではそのうち23点が「デボラ」のパートで紹介されている。

・スニペット(Snippets)

ライターは名刺サイズのモノクロ写真を偏愛していたという。被写体になっているのは、家族、パートナー、友人の女性たち。プリントされた膨大な数の写真は手で破られ、またコラージュのように一つの塊としてがガラスケースの中に展示されている。自らの親しい人間関係を写真によって可視化した作品だと解釈できるだろう。アープ氏は大きな展覧会の中のミニ写真展という説明をしていた。

・コンタクトシート
今回初公開となる、彼の一連の写真撮影の流儀を垣間見ることができる作品。質疑応答時間に質問があったが、撮影時のショット数に関しては特に特徴はないとのこと。2~3ショットのこともあったが、かなりの枚数のショットの場合もあったそうだ。アナログ時代から、成功した写真は撮影時に既に認識していたということ。

・ヌード作品の発見
彼はファッション写真家として活躍する以前から、親しい女性たちのパーソナルなヌードとポートレートを撮影していた。死後にモノクロ作品約3000点見つかっている。それらは、モデルとアイデアを出し合って制作された一種のコラボ作品だと評価できるという。その中でも主要な被写体は長年にわたりパートナーだったソームズ・パントリーだった。彼女は様々な役を演じ、二人は様々な実験を行っている。本展ではソームズ・パントリーのセクションで、ストリートでのカラー/モノクロ写真やインクによる絵画など約34点が展示されている。ヌード作品は、70年代に編集者ヘンリー・ウルフにより写真集化の企画があったものの実現しなかった。2018年に、Steidl社から「In My Room」として刊行されている。

・ペインテッド・ヌード
アクリル絵の具で着色されたヌード作品も1000点以上が発見された。抽象的な絵画のような趣で、それらは本の中で発見、ブックマークとして使用されていた。

・スケッチブック

財団の人たちは「Daily meditation(毎日の瞑想)」と呼んでいる。生前のソール・ライターはそれらを最高作だと語っていた。

・カラースライド

4~6万枚のスライドが発見された。ソール・ライターは自宅で友人たちの前でスライドショーを行って作品を見せることがあったそうだ。調査およびデータベース化は現在進行形で行われている。それらの中には、例えば写真集「Early Color」表紙作品「Through Boards, 1957」の前後に撮影されたと思われるバリエーション・ショットも見つかっている。多くが初公開作品となるスライド作品のプロジェクションは本展の見どころのひとつだ。参考ヴィジュアルとして、アパート周辺のストリートシーンとアトリエのインテリア画像も同時に紹介されている。

・写真集「Early Color」の制作経緯
これは質疑応答の中で語られた。表紙作品「Through Boards, 1957」は最初から、ライターの希望で決定していた。その他の収録作品のセレクションは、すべて写真史家のマーティン・ハリソン氏が行い、ライターは全く注文を付けなかった。1997年のハワード・グリンバーグ・ギャラリーで開催されたカラー写真によるソール・ライター展以来、出版社を探し続けたとのこと。最初に決まっていたニューヨークの出版社は倒産、次に手を挙げたロンドンの出版社も動きが非常に鈍かったという。結局、ドイツのSteidl社から2006年に「Early Color」として刊行された。アープ氏は、カラー写真を取り巻く環境変化が出版につながったと分析している。90年代後半のアート写真はソール・ライター以外はすべてモノクロだったという。その後、ドイツのデュセルドルフ・クンスト・アカデミーでベッヒャー夫妻に学んだアーティストたちが登場。2000年代になってから絵画のような大判作品を制作する、アンドレアス・グルスキー、トーマス・ルフ、トーマス・シュトルートなどが活躍して、カラー写真のアート性が本格的に注目されるようになるのだ。その流れで、写真史におけるシリアス・カラー作品の本格的な再評価が開始された。


本展カタログ掲載のエッセーで、財団の二人は「私はシンプルに世界を見ている。それは、尽きせぬ喜びの源だ」というソール・ライターの言葉を締めくくりに引用している。またソール・ライターは「仕事の価値を認めて欲しくなかった訳ではないが、私は有名になる欲求に一度も屈したことがない」(”ソール・ライターのすべて”(2017年、青幻舎刊)211ページ)、別のインタビューでは「無視されることは、大きな特権です」とも語っている。今回のアーブ氏の話から、彼は写真史での正当な評価が受けられず、また金銭的に恵まれなかった時期でも、自分のために真摯に創作を継続していた事実が伝わってきた。他の多くの同じ環境の写真家のように、絶望し自暴自棄に陥ったり、周りの人に悪態をつくことはなかったようだ。ライターの関係資料には、彼が禅的な思想をもって生きていたと書かれている。たぶん浮世絵などの日本文化を研究するとともに、アメリカ社会に禅思想を広めた鈴木俊隆の「禅マインド ビギナーズ・マインド」(オリジナル版1979年刊)などを愛読して心の支えにしていたのではないだろうか。海外の宗教では、時間は過去、現在、未来と継続していて、将来に天国に行くことを目指して現在を生きるという考えがある。ライターは厳格な宗教家の家庭に生まれている。彼はそのような考え方を不自由さを感じ、強い違和感を感じていたと想像できる。写真を撮る行為、絵を描く行為は、「いまに生きる」つまり座禅のような精神を安定させる行為だったではないか。
ソール・ライターは、写真や絵画などを、評価を受けるために人に見せたりしなかった。また作品制作の意図や目的もいっさい語らなかったという。彼は今に生きる行為としてひたすら自己表現を行ってきたのだ。わたしは、資本主義の中心地である米国ニューヨークでの、このようなアーティストとしての生き方の実践自体がソール・ライター作品のメッセージだと理解している。そして結果的に、彼は多くの人たちに愛されながら幸せな人生を送ったのだ。
ソール・ライター財団の二人は、本展と講演で、そのような彼の生きざまの的確かつ丁寧な提示を心がけていると感じた。

ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター
Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷)
公式ページ

以下もご覧ください(当ブログの過去の関連記事)

2017年6月 写真展レビュー ソール・ライター展  Bunkamura ザ・ミュージアム

2018年4月 ソール・ライター 見立ての積み重ねで評価された写真家(1)

2018年5月 ソール・ライター 見立ての積み重ねで評価された写真家(2)

2018年6月 ソール・ライター 見立ての積み重ねで評価された写真家(3)

展覧会レビュー 「至近距離の宇宙」
日本の新進作家vol.16
@東京都写真美術館

本展タイトルのサブタイトルは「日本の新進作家vol.16」となっている。しかしその意味合いは、例えば朝日新聞社主催の「木村伊兵衛賞」などの新人写真賞とは違う。昨年の同展レビューでも書いたが、本展は東京都写真美術館の担当キュレーターが提示する、現代社会が反映されたテーマとコンセプトがあり、現在活躍中で将来性が期待される写真家がいままでに制作した作品シリーズの中から、合致したものがセレクションされている。写真家の6人による個展の集合体ではなく、全体の展示でキュレーターのパーソナルな視点が提示される複数写真家による企画展となる。毎年違うキュレーターにより様々な視点により企画されていることから、今回16回目となる継続される展示の流れを通して、現代日本における将来性が期待される写真家が提示されている。

現在は価値観が多様化した時代だといわれている。どのような新人の紹介でも、写真家を選ぶキュレーター、評論家、ギャラリスト、写真家の価値基準が多くの人に共感されることはないだろう。このような状況から、古から続く写真賞への関心が極めて低くなっている。個人的には、その存在意義がいま問われていると考えている。それゆえ東京都写真美術館の、複数のキュレーターによる継続的な企画で新人写真家の多様性をカバーするのも一つの可能性だと思う。しかし本展だけを単体で見る観客は、写真家セレクションの規準がわかり難いと感じるかもしれない。

今回の展覧会タイトルは「至近距離の宇宙」。図録の冒頭にはヘルマン・ヘッセの「クルルプ」から「人間はめいめい自分の魂を持っている。それを他と混ぜ合わせることができない。(以下略)」が引用されている。キュレーターの武内厚子氏は同展カタログで、「一般的に世の中では、家を出ないこと。遠くに行かないこと、広い世界を見ようとしないことは否定的に受け取られ、様々な国々へでかける活動的なことは肯定的にとらえられる傾向があります。その一方、近年では、インターネットで世界の隅々の風景を見ることができ、世界中のものを出かけることなく手に入れることができるほか、VTRやホームシアターなどによって家にいながらリアルな臨場感や没入感を持って映像体験ができるなど、どこかに行かずとも何でもできることを、グローバル化とともに人々は積極的に受容しています。本展では、はるか遠い世界に行くのではなく、ごく短なみのまわりに深遠な宇宙を見出し作品を制作する6名の作家を紹介します。」と開催趣旨を表している。

参加しているのは30~40歳代の6名。
相川 勝(1978-)は、写真撮影は行わず、プロジェクターやタブレット端末の画面の光を光源に写真を制作。AIがランダムに作り出し架空の人物のポートレート64枚などを展示。
井上佐由紀(1974-)は、生まればかりの新生児の瞳を撮影している。
斎藤陽道(1983-)は、暮らしの中で身の回りに起きていることや、見知った人々のスナップを壁面全体で展示。展覧会チラシにも写真が採用されている。
濱田祐史(1979-)は、アルミ箔で制作した架空の山、東京湾の海水と手作り印画紙を用いてフォトグラム作品を展示。
藤安 淳(1981-)は、双子を被写体に撮影・2枚一組だが、1枚のみの展示もある。
八木良太(1980-)は、様々なオブジェの立体作品を制作している。パンチングメタルという工業製品に使われる素材による円形の作品”Resonance of Perspective”、色覚検査表を使った作品”On the Retina”などを展示。
発色現像方式印画(Chromogenic Print)、ゼラチン・シルバー・プリント(Gelatin Silver Print)、単塩紙(Salted paper print)などで、様々な支持体に写真がプリントされており、まさに現在の写真表現が多様化している状況が提示されている。

ごく身近の身の回りに意識を向けている写真家を紹介するのは、狭いフレーミング内にとらわれ、それがすべての世界のように思いこんで閉じこもり、あまり行動しない現代人を表しているのだろう。これは非常に興味深い試みだ。一般にアーティストは、これとは逆に、思い込みにとらわれている一般の人に彼らが気付かないような斬新な視点を行動することで見つけ出し、作品提示を通して見る側が客観視するきっかけを提供する人だと考えられているからだ。
現代日本では、多くの写真家は自らの内面を志向しその先に新たな表現の可能性を探求している傾向が強いという見立てだと思われる。私も仕事柄、多くの写真家の作品を見る機会があるが、共感できるところが大いにある。
見る側がそのような作品に共感できるかは、写真家がどれだけ大きな感動を持って内面を深堀して作品制作に向かっているかによるだろう。それができていれば、方向がどちらを向いていても、結果的に作品制作の継続に繋がっていくと思われる。社会で作品が広く認知されるには普通に何10年という長い時間がかかる。表現者の創作のきっかけとなる感動が弱いとなかなか活動継続はできないのだ。その場合、どうしても自己満足の追求と押し付け、もしくは撮影の方法論が目的化している作品だとの指摘が出てくるリスクがある。彼らの本当に評価は今後の活動にかかっているといえるだろう。このように未来の活躍の可能性を見据えて新人に展示の機会を与えるのは美術館の重要な役割だと考える。

「至近距離の宇宙」日本の新進作家 vol. 16
東京都写真美術館(恵比寿)

写真展レビュー
「山沢栄子 / 私の現代」
@東京都写真美術館

山沢栄子(1899-1995)は、日本における女性写真家のパイオニア的な存在として知られている。戦前のアメリカで写真を学び、1930年代からスタジオを開設して主にポートレート写真分野で活躍し、キャリア後半には写真作家に転じている。

本展は彼女の生誕120年を記念して行われる大規模な展覧会で、現存する70~80年代の代表作を中心に、約140点を全4章で紹介。
第1章「私の現代」では、1986年の個展に展示された、彼女が「抽象写真」と呼んでいたモノクロ・カラーの長辺が最大100cmにもなる大作28点を展示。シルバーのフレームも当時に特注されたものとのこと。
第2章「遠近」では、1962年に刊行された同名写真集に収録された1943年~1962年までに撮影された77点を紹介。モノクロ、カラー、抽象写真が含まれ、ニューヨークでのドキュメントから静物など、山沢の興味の対象の流れがみてとれる。すでにプリントやフィルムが現存していないことから写真集のページを額装して展示している。
第3章「山沢栄子とアメリカ」では、山沢に大きな影響を与えた20世紀前半のアメリカ写真の代表作を、同館のTOPコレクションから紹介している。
第4章「写真家 山沢栄子」では、「私の現代」、「遠近」以前の、仕事を、「ポートレート」、「疎開中の写真」、「商業写真」の3部構成で紹介している。

山沢栄子は、2014年に開催された「フジフィルム・フォトコレクション展 (日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」)」でも「What I Am Doing No.24, 1982」が選出されている。私は抽象的な写真を研究しており、縁があってカタログのテキスト執筆を担当している。

数多くの古本屋を回って、「遠近」を含む4冊の写真集を執筆用資料として収集した。当時は、彼女の存在を知る人は非常に少なく、写真集探しは困難を極めたことを記憶している。作品解説では、写真という狭いカテゴリーの中でのアート性追求にとどまらず、「写真としてのアート」の幅広い可能性にいち早く挑戦している、と書いている。

さて山沢の写真を写真史/アート史のどの流れで評価可能かを考えてみよう。写真集「遠近」の収録作品には、アーロン・シスキン、ラルフ・スタイナー、エルスワーズ・ケリ―のような、自然世界の抽象性に注目した写真作品が散見される。これらは多くの表現者が行ったように、彼女も写真による絵画表現の可能性を考えた痕跡だと考える。しかし、彼女はドキュメント写真の視点で、フォルムを優先させた抽象的作品制作の追求は行わなかった。様々な、フォルムや色彩のオブジェを用いて被写体自体を作り上げて撮影する方向へと進んでいく。
山沢の写真をコンストラクテッド・フォトもしくはステージド・フォトの流れで評価が可能だと思いついた人は多いと思う。コンストラクテッド・フォトは、写真の客観的な記録性への信頼が崩壊していった1980年代にアメリカではじまった撮影に作り込む美術的要素を合体させた新分野の写真表現だ。
ちなみに写真家バーバラ・カステンが1987年に山沢のインタビューを行っている。会場内で映像が紹介されており、生前の彼女の姿を見ることができる。実はカステン自身もこのコンストラクテッド・フォト分野の代表作家だった。ちなみに同展カタログでは、キュレーターの鈴木佳子が同じく同分野の代表者ジャン・グルーヴァ―が山沢と類似する作品を制作していると指摘している。

その後、コンストラクテッド・フォトの多くの表現者たちは制作する行為自体にアート性を見出そうとする。いわゆる方法論が目的化されるようになったのだ。山沢が呼んだ「抽象写真」自体も、抽象的な雰囲気の写真を制作する行為が目的化されていると解釈される可能性はあるだろう。写真集「私の現代3」に掲載されている、京都大学教授 乾 由明のエッセーでも、「フォルムと色彩の抽象的なイメージを追求すれば、写真は余りにも絵画的な表現におちいる危険を孕んでいる。それは写真からそのメディアの固有性を失わせ、安易に現実によりかかかった芸術性に乏しい写真とは逆の意味で、写真を絵画の領域に従属する、堕落した状態に置くことになる」と指摘している。
しかし彼女の作品のアート性をこの方面から論ずるのはあまり意味がないのではないか。私は、彼女がいま再評価されているのはその生き方自体によると考えている。山沢は、明治、大正、昭和という男性優位の考えが残る時代の日本において、商業写真家、作家とし社会で自立した女性のキャリアを追求した。それを実践した彼女の人生/生き方そのものが大きな作品テーマなのだと理解し評価すべきだろう。

同展のもう一つの見どころは第3章「山沢栄子とアメリカ」で紹介されているTOPコレクション。まさに、20世紀前半のアメリカの写真史をコンパクトに紹介する教科書的な展示内容だ。アルフレッド・スティーグリッツ、ポール・ストランドなどの写真雑誌「カメラ・ワーク」に収録されたフォトグラビア作品、イモジェン・カニンガム、エドワード・ウェストン、アンセル・アダムス、ポール・アウターブリッジ・ジュニアなどの珠玉の作品も何気なく展示されている。ポール・アウターブリッジ・ジュニア(プラチナ・プリント)は小さなサイズで見過ごしがちだが、おそらく極めて貴重かつ高価なヴィンテージ・プリントだと思われる。
ファッション写真ファンは、ヴォーグ誌で活躍したジョン・ローリングスやセシル・ビートンの戦前の作品も見逃さないように。なんと山沢はジョン・ローリングスのポートレートも撮影している。

アート写真コレクションに興味ある人は、珠玉の20世紀写真が展示されたこのセクションは時間をかけて鑑賞してほしい。それぞれのプリントの質感を、近くからじっくりと味わいたい。

「山沢栄子 私の現代」
2020年1月26日まで開催
東京都写真美術館 3階展示室