それ以降、特に21世紀以降になると、従来の基準のアートとしてのファッション写真はなくなり、ファッション的な要素がある、テーマ性を持つ現代アート的な写真になる。それらは、かつてのようにファッション雑誌の中ではなく、より自由な表現空間の、フォトブックや美術館やギャラリー展示から生まれるのだ。
鑑賞者は最終コーナーの作品展示を通して、ぜひ戦後のファッション写真の一時代の終わりを意識するとともに、それがどこに向かうのかにも思いを馳せてほしい。
世界の現代アート市場で活躍する数少ない日本人アーティストの村上隆(1962-)。現在、森美術館で「村上隆の五百羅漢図展」が開催中だ。村上隆は、アーティストとして精力的に活躍する一方で、キュレーター、ギャラリスト、プロデューサー、コレクターなどとしても活動している。
本展は 1950年代から現在までの国内外のアート作品、縄文時代の古陶、朝鮮・中国の陶磁器、桃山期の茶陶、ヨーロッパのスリップ・ウェアやアンティーク、現代陶芸、生活雑器、書、骨董品、古道具などにおよぶ、多様かつ膨大な村上隆コレクションを本格的に紹介するもの。ちなみに写真では、スターン・ツインズ、リチャード・プリンス、ヴォルフガング・ティルマンス、テリー・リチャードソン、藤原新也、荒木経惟、篠山紀信、畠山直哉、ヒロミックスなどが含まれていた。
村上隆は、コレクションはアートを理解するためのトレーニングだとしている。その意味あいは一般のアート・コレクションとは違うようだ。蒐集品を周りにおいて楽しむことはせず、買ったら倉庫へ直行とのこと。本展の提示に際して、学芸員は膨大な数の梱包用木枠の中身の照合に多大な時間を費やしたそうだ。
村上隆の公開された本展のコメントによると、彼はライフワークとして「芸術とは何か?」を追求してきたという。一部を転載すると、
「芸術はなんで高額で取引されるのか?」
「古いものはなぜ、高額になってゆくのか?」
「古くて、かつ、芸術的に高い価値のもつものとは何か?」
「有名な名物の古いものと、無名なものとの間にある差とは何か?」
「芸術における良し悪しとは何に起因しているのか?」
などだ。
その一環として、アーティストだけにとどまらず、コレクター、ギャラリスト、企業家などとして行動してきた。彼の人生での基本姿勢は、体験、体感しないと理解できない、というもの。今回のコレクションも、購入することが芸術をたしなむ行為だ、という認識のもとに、 作品の価値体系を把握するとともに、アート・コレクターの価値観を知るためにコレクションを行ってきたのだ。
行き当たりばったりで買っているというが、作品技巧、テーマ性やアイデア・コンセプトの直感的な評価で購入しているのだろう。最初は自らのフィールドの現代アートを購入していたのが、最近は陶芸や書のコレクションが中心とのこと。頭をこねくり回してテーマやアイデアを絞り出す現代アートから、自然世界のゆらぎとシンクロして無意識で作られる、民藝、工藝、現代陶芸へと興味がシフトしていったようだ。
そして作品価値が構築される過程の、見立てや目利きにも関心を持つようになった。彼は、千利休や柳宗悦らの上流階級の目線による見立てのさらに先にある可能性まで追求している。その極端な展示例が、アート界や骨董界では価値がない、雑巾と、コーヒー用の布製のフィルターの展示だろう。ともに使い古されてボロボロの状態なのだ。これは東京目白にある「古道具坂田」店主で、骨董界のカリスマといわれる坂田和實氏が見立てたものらしい。彼は富裕層出身ではない。裕福で趣味のよい金持ちでなくても、エゴを持たずにモノを素直に能動的に見ることができれば、そこに独自の美の見立ての可能性があることを提示している。
私たちは資本主義体制の高度消費社会というシステムの中で生かされており、今回の展示物はその中で価値が与えられ値段がつけられ売買されている。しかし、システムから一歩離れると、それらのモノは何ら本質的な価値を持つものではない。ボロ雑巾とコーヒー用の布製のフィルターをガラスケースの中で骨董やアート作品と同じ空間に展示することでその事実が見事に暗示されている。
最初は誰にも価値のないものなのだが、まず誰かがそれを見立てる。それをありがたがる人があらわれて初めて価値が創造されるという事実に気付かされる。 このようなコミュニケーションが成立してアート作品が出現する。また見立てる人がブランド化すると、その人が選んだだけでありがたがる人が出てくるというわけだ。
一方で、世の中は本質的に実体がないといっても、私たちにはそこで生きるしか選択肢はない。村上隆は、それを承知の上でシステムに乗っかって確信犯でアーティスト活動していることを意思表示しているのだ。
現代アート、写真、骨董、陶芸などのファンはもちろんのこと、世の中の仕組みを理解したいというような、哲学的な興味を持つ人にも鑑賞を奨めたい。
ウエスト・ピアは、英国イングランド南東部イースト・サセックス州にあるヴィクトリア朝の1866年に建築された観光目的の巨大な桟橋。イングリッシュ・ヘリテッジから指定建築物第1級に認定された貴重な歴史建造物だった。そこにはコンサートホールや各種の娯楽施設があり、長きにわたり人気観光名所として賑わっていた。しかし1975年に施設老朽化のために閉鎖。その後は複雑に絡み合う利害関係に翻弄され、補修されることなく放置されていた。老朽化が進む中、2002年にはハリケーンの影響で施設の一部が破壊。また度重なる原因不明の火災発生と悪天候により崩壊が進行し、いまや一部の鉄骨の骨組みを残すだけの存在になってしまった。興味ある人はネットで検索すると、現在や過去の画像などが見られるので参考にしてほしい。
末永史尚(1974-)は、愛知県美術館が所蔵する名画のいくつかを、額縁を含めた大きさのキャンバスへと置き換えます。しかしそこでは、本来注目すべき名画の主題や表現は消去され、逆にこれまで目の端のほうで焦点を結べずにいた額縁が画面の内側に入り込んでいます。そして、そのことに気づいた途端に、額縁の機能は損なわれ、わたしたちは何に注目すべきなのかわからなくなってしまいます。鑑賞をめぐる視覚の秩序をこのようなかたちで転倒させながら、「絵をみる」という行為に含まれているけれども普段は意識されることのない、不安定で曖昧なわたしたちの視線の存在を、末永は本展を通じて鮮やかに提示します。
(愛知県美術館のウェブサイトより転載)
——————–
今回の展示作品はフレーム自体を描いたものだけではない。注意しないと見過ごしてしまうのだが、名画の横に設置されている作品情報を紹介する小さなキャプションも単色に塗られてフレームを描いたものと共に展示されている。
また立体作品もあり、同館独自規格のスポットライト、事務所に置かれた過去の展覧会カタログの束、作品輸送のための段ボールなどのオブジェも展示されている。ここの部分の創作は、オブジェを紙で制作して写真撮影するアーティストのトーマス・ディマンドを思い起こさせる。
これらの多様な作品群を見るに、末永の表現の目的は、現代社会における美術品が存在するシステム自体を明らかにすることではないかと思えてくる。実はそれは美術品だけではない。私たちが普段はあたりまえのように感じて、接している様々な価値基準は実は私たちの共同の思い込みでもあるのだ。お金、名声、社会的地位、またブランド品の価値などはその例だ。これが時に私たちの悩みや生きにくさの原因になったりする。しかし世の中のすべての価値など幻想で実態がないと達観しても、人間は社会の中でしか生きる選択肢がないのも事実。システムの中にいることを知ったうえで確信犯で生きていく方が少しは精神的に楽ではないかということだろう。そして忙しい社会生活の中で自分を見失いがちな時に、自分を客観視させてくれるのがアートの役割なのだ。末永史尚の「ミュージアムピース」は、アーティストにとっての普遍的なこの大きなテーマを、美術館でのアート展示自体を通じて追求した力作だと思う。
私はアート写真が専門なので、本作のアプローチを写真に当てはめるとどのような作品ができるかを考えてしまった。写真はまず、印画紙にプリントされるという性格上、ブック式のマットにセットされるのが一般的。白色の無酸紙に窓が切り抜かれているものだ。まずそれにより作品と環境とが隔てられている。それ故に写真入りのマットはシンプルなフレームにいれられることが一般的だ。写真作品がモノクロームで抽象化された世界が中心だったことも影響しているだろう。これらのフレームをただ撮影してもあまり面白味はなさそうだ。
しかし、写真でもフレームや額装方法にことだわる分野が存在する。最近の日本で市場が拡大しているインテリア展示を目的とした写真作品だ。業界ではそれらをラウンジフォトと呼ぶことが多い。欧米にも同様の市場が、アート系とは全く別に存在している。しかし日本では欧米的なアート写真市場規模が非常に小さいので、ラウンジフォトがアート写真のように思われることも多い。これらの写真の特徴は、インテリアに飾り易いモチーフのイメージであることだ。アートっぽい雰囲気になる抽象作品も非常に多くみられる。メッセージ性は希薄なのだが、それは写真家の感情の連なりを表現したと解説されることが多い。そして写真のコンテンツの弱さを補うためにフレームの設えに非常に凝るのだ。中にはこだわったデザイン性、カラーなどのフレームが主役で、それにあった写真を探している印象のものもある。
もし写真で「ミュージアムピース」的な作品を提示するなら現在の日本の写真界を象徴したラウンジフォトに焦点を当てると面白いのではないか。 眩い光輝く風景や花や、色彩がきれいな抽象など、あえて普通の写真を撮影したり引用して、凝ったデザインや作りのフレームにいれる。最終的にそれらをフレームを含めて撮影して作品として提示するのは面白いのではないか、などと考えてしまった。
展示方法についても色々と可能性があるだろう。作品の性格を重視して、単に裏打ちだけして直接展示するのが常道だろう。「ミュージアムピース」ではパネル張りで展示していた。
しかし写真なので、あえてブックマットに入れてシンプルなフレームにセットしても面白いのではないか。この方法による作品の肝は、どのようなテーマ性を写真家が提示できるかにかかっている。興味ある作家志望の人はぜひ考えてみてほしい。もしかしたら欧米ではすでにこのようなアプローチで作品を制作している人がいるかもしれない。
愛知県美術館では企画展の「これからの写真(Photography
Will Be)」が9月28日まで開催中だ。また展示室4では、巡回展「日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」
―フジフイルム・フォトコレクションによる」も開催中。日本の代表的な写真家101人の貴重なオリジナルプリントが鑑賞できる写真ファン必見の展示だ。
「ミュージアムピース」はコレクション展の一部として展示室6で展示されているので、見逃さないようにしてほしい。
本展は一般にはあまり知られていない戦争写真家、岡村昭彦(1929-1985)のキャリアを本格的に回顧するもの。
彼は1964年6月12日号の「ライフ」に9ページにわたり掲載されたベトナム戦争の写真でフォトジャーナリストとして国際的デビューを果たし「キャパを継ぐ男」として世界的に注目された写真家。学芸員の金子隆一氏によると、展示作品は5万点におよぶ写真原版にまで遡り、研究者と関係者の監修のもとに既発表、未発表を問わずに新たにセレクトをおこない、オリジナル・プリントとして制作したもの、とのことだ。知名度の高くない岡村の本格的紹介を試みた意欲的な展示といえるだろう。
私の写真に対する第一印象は予想とかなり違っていた。岡村は戦争や紛争を撮影していたと聞いていたが、特に被写体の悲惨さや残酷さを強調するものではなかった。フレーミングといい、モノクロではなくカラーで撮影されている点など、オーディエンスがその場にいて見ているような普通に感じるイメージが多いと感じた。
全くの畑違いの写真なのだが、ウォルフガンク・ティルマンス(1968-)の最近のフォトブック「Neue Welt」(2012年、Taschen刊)に収録されている、ストリートを撮影した写真に雰囲気が似ている気さえした。
写真展カタログに掲載されている写真研究者、戸田昌子氏のエッセー「目の中の傷」を読んだら、私がそのような印象を持った理由が良く理解できた。戸田氏は岡村の写真を「コンテンポラリー・フォトグラファーズ(社会的風景に向かって)」の流れで捉えているのだ。これはイーストマン・ハウスで1966年から3回にわたって開催された展覧会のこと。ブルース・デビットソン、リー・フリードランダー、ゲイリー・ウィノグランド、ダニー・ライアン、ドゥェイン・マイケルズらが選ばれている。彼らは記録目的のドキュメントの対象になるドラマチックな出来事ではなく、個人的な普通の日常の出来事に対して視点を向けているのが特徴だ。もちろん、その原点はロバート・フランクの「アメリカ人」とウィリアム・クラインの「ニューヨーク」にある。
かつて、写真は大衆に世界の様々なイベントを目撃させて真実を伝えることが可能だと考えられていた。その後、テレビがその役割を担うようになり、真実を伝えるという写真神話は崩壊した。 一方で写真が自己表現の可能性なメディアであることが認識されるようになった。それが写真表現にも変化を与え、それまでのタブーだった、アレ・ブレ・ボケなども表現方法として取り入れられるようになる。「コンテンポラリー・フォトグラファーズ」展はそのような状況変化を提示した60年代の写真動向を語るうえで重要な展覧会なのだ。
岡村がいままで美術館レベルであまり注目されなかったのは、戦争写真という性格上、ドキュメンタリーの視点からの評価しかされなかったからだろう。しかし、実際は戦地や紛争の場所が彼の日常だったのだ。写真家デビューが遅く、初期写真はピントが甘かったり、また決定的瞬間を重視した写真でなかったことも影響していたのだろう。しかし、彼がパーソナルな視点で戦争現場の出来事を撮影していたと解釈すると、その一見技術が劣ると感じる写真がとてつもなく魅力的になると思う。当時の感度の低いカラーフィルムで撮影したのも、戦争現場がモノクロで抽象化されインパクトを強めることを意識的に回避したからだろう。会場で配られている、モノクロ写真をコレクションしたパンフレット「monochrome」を見ると、それらはまさにステレオタイプの戦争写真だ。カラーとモノクロだと印象が全く変わってくることが良く理解できた。
これらはすべて利害関係がからむことから、彼らの事業方針や方法論には様々な意見がある。しかし日本のアート写真市場はまだ黎明期で、市場がまだ非常に小さい規模にとどまっている。どんな形でも上場企業による先行投資は、市場拡大のための好ましい活動といえるだろう。もし彼らのここ数年の取り組みがなかったならば、いまの日本の写真界はいまよりもアマチュア写真が中心となり、アート写真は世間で忘れ去られた存在になっていただろう。
本展のIMA Galleryの案内コピーは「世界の写真家たちのストリートフォトの共演。路上を様々なアプローチで切り撮った7人の写真家の中からあなたのお気に入りの1枚を見つけてください」というもの。参加者は、スティーブン・ショア、マーク・コーエン、北島敬三、ホンマタカシ、ピーター・サザーランド、春木麻衣子、ロレンツォ・ヴィットォーリ、オスカー・モリソン。資料には特定のキュレーターのクレジットはないので、IMA編集部が中心になって参加者が選ばれたと思われる。
展示のメインはウィリアム・エグルストンとともにシリアス・カラー写真を代表する米国人写真家スティーブン・ショア(1947-)の新作「WINSLOW ARIZONA (SEPTEMBER 19th, 2013)」の展示だろう。
彼は、1970年代から米国中のロードトリップを敢行し、何気ない普通のアメリカン・シーンを撮影している。代表作に、35ミリカメラで撮影した写真によるロードムービー的な作品の「American Surfaces」や、大型8X10インチ・ビューカメラによる「Uncommon Places」がある。客観的な視点で撮影された一連のカラー作品は、アンドレアス・グルスキーやトーマス・シュトゥルートなどの現代アート系アーティストに多大な影響を与えている。いま市場を席巻している巨大風景作品の原点がショアだともいえるのだ。
本作は「アート・トレイン」で全米を横断するという、現代アート作家ダグ・エイケンの「Station to Station」プロジェクトにショアが参加した時に制作されている。これは、エイケンが列車を貸し切り、事前に決められている駅に到着するたびに参加しているアーティスト、映像作家、パフォーマーがその地に用意された会場で作品を展示したり、パフォーマンスを行うようなイベント。ショアは本プロジェクト参加に際し、単なる展示やフォトブックのために写真を撮るのではなくパフォーマンスを行いたいと考えたという。彼は、南カリフォルニアの小さな町バーストウが停車駅に含まれ、そこのドライビングシアターが発表の場であることを知らされていた。 彼は「American
Surfaces」の撮影の際に、バーストウの一つ前の駅となるアリゾナのウィンスローを訪れたかことがありそこには土地勘があったようだ。彼は、列車がウィンスローに到着する2日前に町に入り、その地で1日中撮影を行い、それらの写真をバーストウのドライビングシアターでスライドショーとして上映する計画を立てる。写真の編集は一切行わず、シークエンスもそのままで上映すれば写真撮影の行為自体が一種のパフォーマンスになるのではないかと考えたのだ。前半の写真撮影、後半の上映を通してのパフォーマンスということで、彼はこれを「Visual Improvisation(即興映像)」と呼んでいる。実際のスライドショーでは、なんとロックバンドのノー・エイジとベックがライブ演奏する中で約180点が上映されたという。
撮影は8X10インチの大判カメラではなくニコンD3Xで行われている。しかし撮影スタイルは不変で、彼はひとつの被写体について1枚だけシャッターを押している。ギャラリーの資料によると、展示作品は50.8X61cmのサイズ、C-Print、エディション8枚とのこと。販売価格は売れた枚数により異なるが、人気アーティストであることから展示作はすべて100万円を超えていた。
なお「WINSLOW ARIZONA」は写真集化もされ、それには上映された180点のうち約64点が収録されている。パフォーマンスで使用された作品を、その当初の意図から離れて写真集化するのはどのような意味があるのかはやや気になるところだ。単にその資料として制作されたということだろうか?ショアというと私たちははどうしても「American Surfaces」や「Uncommon Places」を思い起こしてしまう。特に本作は撮影場所や写真フォーマットが「American Surfaces」と重なることから、オーディエンスはその延長上の作品と捉えてしまいがちになるだろう。
写真集のページをめくるに、どうも彼が21世紀のウィンスローに代表作を制作した70年代の残り香を求めているような印象を感じてしまう。当時の未発表作として提示されても信じる人が多いのではないか。シティー・スケープを撮影する場合、頻繁にモデルチェンジを繰り返す車に時代性が反映されることが多い。本作でショアは、ファイヤーバード・トランザムなど70年代以前の車を多く撮影している。また、古びて朽ち果てた看板、ネオンサイン、家屋や町の断片を意識的に撮影している。 またデジカメでの撮影なのだが人間は撮影されていない。ポートレートは髪型やファッションを通して時代の雰囲気が写真に現れることが多い。インテリアの写真がないのも同じ理由からだろう。「Visual Improvisation(即興映像)」ということは、アイデアやコンセプトはないオーディエンスは自由にヴィジュアルを見て楽しんで欲しいという意味だろう。しかし、普通で何気なく感じられる一連のイメージは、決してドキュメントではなくショアのパーソナルな視点で映し出された風景なのだ。
「Visual Improvisation(即興映像)」として作品を提示したのは、「Station to Station」の企画者であるダグ・エイケンへ敬意を表したということだろう。自分のスタイルを確立した写真家は、特に明確なコンセプトを提示しなくても観る側がどのように意識するかを想像できる。ショアは、本作のオーディエンスが自分の70年代の作品を思い浮かべることを最初から意識しているのだと思う。
彼は70年代のアメリカがすでに懐かしむ対象になっていることを示そうとしているのではないか。70年代は、石油危機、ベトナム戦争、スタグフレーションなどがあり経済や社会文化が決して良い時代ではなかったと思う。
だから、彼は当時の作品でアメリカン人の心に沁みるような原風景の残り香を提示し、消費文化が盛り上がった黄金の50年代の断片を皮肉を多少込めて表現した。それはかつてアメリカンドリームが描けた古き良き時代の象徴なのだ。
シャネル・ネクサス・ホールは、数ある日本のアート作品展示スペースの中でも、最も熱心に最先端の欧米のビジュアル表現を紹介している。常にアーティストの展示意図をできる限り尊重する彼らの姿勢には敬意を表したい。 そこからは、日本とは違う欧米社会でのアート支援の基本姿勢が垣間見えてくると思う。
現在、同ホールではジュリアン・レヴィ(Julien Levy)「Beauty Is You Chaos Is Me」展が7月20日まで開催されている。レヴィは1982年パリ生まれ。現在はニューヨーク中心に活躍しているアーティスト。本展では、東京、パリ、ニューヨークで制作された、写真、映像、インスタレーション、フォトブックなどを複合的に展示している。それらはデジタル革命第2ステージを迎えた欧米の最先端のアート写真表現といえるだろう。
全体の様々な形態の作品を俯瞰するに、一種のヴィジュアル・ストーリーのような印象だ。会場がシャネル・ネクサス・ホールであることから美を追求するシャネルというブランドの世界観をビジュアルで表現しているような感じもする。同社のリシャール コラス氏は彼のことを”ジュリアン・レヴィの作品は私たちの心を揺さぶり、混沌と嵐、無垢と残酷、エレガンスと無頓着とを問いかける。過去に例の見ないポエティックな「美」の賛歌であり、シャネルがこれに関心を寄せたのは当然の成り行きであった”と評している。彼もそのような印象を持ったのだろう。
現代社会の中で自由に生きることもレヴィの重要なテーマとなっている。彼はココ・シャネルと自分は「美」のとらえ方が共通していると主張している。さらに続けて”「美」は、パーソナルで、形がなく、変化し続けるもの。闘って手に入れなければならないもの。与えられるのではなく、この手で掴みとるもの-。私にとって、美を渇望することは、独立宣言と同じなのです。”と語っているのだ。ここの「美」は全て「自由に生きる」に置き換えられるだろう。
生きにくい社会生活のなかでできる限り自由に生きるために、シャネルは服を通して、レヴィはヴィジュアル表現を通して、「美」を追求してきたのだ。
この点を正しく知っていないと、本展の趣旨は理解できないだろう。自由に生きることを自分の夢を一方的に追求すること、権威を否定することと勘違いしている人がとても多い。しかし自由とはある一定の条件の中で成し遂げられることなのだ。アーティストは好き勝手なことを行っている人ではない。それができるのはアマチュアだけだ。
シャネルのような有名ブランドとの仕事では、レヴィはアーティストとしてある程度の妥協が求められるだろう。時に納得がいかなくて精神的に落ち込むこともあるかもしれない。それは一般の社会人が行っている仕事と何ら変わらない。そこで自己主張だけを一方的に行えば仕事は成立しない。自由と不自由との落としどころを的確に見つけ出す能力がプロのアーティストには求められるのだ。
またそれは仕事を行う相手にもよっても変わってくるだろう。フランス人の彼は、同じような考えを持って苦労してブランドを構築したシャネルの生き方に敬意を払っている。だからこそ妥協点が見つけられるではないか。彼のように自分より上位のものを尊敬して、認められる人は自分自身をそこまで高めることができるのだ。それで逆に彼は自由を獲得しているといっても良いのではないか。またアートの世界で生きていくこと自体も、資本主義という大きなシステムの中で確信犯で自分をそれに合わせることを意味する。彼は、若い時は「美」を追及していたが、いまは「優雅」を追求しているという。その優雅「Grace」とはシステムをうまく乗りこなすという意味も含んでいるだと思う。 彼はアーティスト活動を続けていくうちに自由に生きるということの真の意味を理解して実践しているのだと思う。
本展では、欧米のアートシーン最前線で活躍するアーティストの写真表現を見ることができる。まさに「デジタル革命第2ステージ」の現場といえるだろう。特に写真表現でアーティストを目指す人には見て、考えて欲しい展覧会だ。
石元泰博(1921-2012)の生誕93年記念展が、東京広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで6月22日まで開催されている。主催は「石元アーカイヴ事務局」。ちなみに6月14日は本人の誕生日とのことだ。
石元は、米国サンフランシスコ生まれ。1969年に日本国籍を取得している。シカゴ・インスティテュート・オブ・デザインのニューバウハウスでハリー・キャラハンやアーロン・シスキンらに写真を学んでいる。
彼の偉業のひとつは日本建築の象徴的存在である京都の桂離宮が400年前のモダニズム住宅だったことをヴィジュアルで明らかにしたこと。彼は、1953年~1954年にかけて京都の桂離宮を大型フォーマットのカメラで集中的に撮影。一連の仕事は、写真集「Katsura:Picturing Modernism in Japanese Architecture(桂-日本建築における伝統と創造」(1960年刊)にまとめられた。写真集では桂離宮の幾何学的外見の屋根部分を切り落とし、モダニズムの絵画のようにグリッド状の構図にレイアウト。開放的な建築空間がモダニズムの直線的でシンプルな空間構成と重なることを提示しているモダニズムの視点で17世紀の日本の伝統的建築物、桂離宮の美を再発見した点が高く評価された。
初版は、バウハウスのヘルベルト・バイヤーがデザインを担当、建築家丹下健三とヴァルター・グロビウスのエッセーを収録した幻のレアブック。2010年には米国のヒューストン美術館で開催された写真展に際して約50年ぶりに新版が刊行されている。ヒューストン美術館写真部門の中森康文が石元泰博と丹下健三の関係を新たな視点から探求。建築物の写真を抽象的な部分として見せようという、丹下の意向が石元の写真のトリミングや配列順序に深くかかわっていたことを解き明かしている。
その後、石元は「ある日ある所」(芸美出版社、1958年刊)、「シカゴ、シカゴ」(美術出版社、1969年刊)などの代表作を相次いで発表している。それらのフォトブックは入手が難しいレアブックとして世界的に知られている。
リリアン・バスマン(Lillian Bassman、1914 – 2009)は、米国を代表する女性ファッション写真家。日本での本格的展示は、1994年に三越美術館新宿で開催されたファッション写真のグループ展「VANITES」以来ではないだろうか。
本展では彼女の1940年代からのキャリアを振り返る約47点が、白色と、黒色の箱型のフレームに分けられて展示されている。その中で約7点は大きく引き伸ばされている。作品はすべて透明アクリルなしで直接フレーム上にセットされている。いかにも粗いモノクロのインクジェット出力のように感じられるが、マット系の印画紙にプリントされたオリジナル作品の質感はかなり展示作品に近い。もしアクリル入りフレームに額装されていればたぶん見分けは難しいと思う。
彼女は写真表現の可能性を広げる努力を行ってきたことでいま高く評価されている。その背景には写真も現代アート表現の一つの分野と考えられるようになったことがある。 それは従来の写真プリント自体よりも、写真家の作家性により重点を置くという意味だ。 いまでは多くのアーティストがデジタル技術を駆使して、写真での様々な表現探求を行っている。彼女はなんと1940年代からアナログでそれを実践していた。ティッシュやガーゼを使い、暗室作業で写真トーンの調整なども行っていたのだ。
特に女性ランジェリーの仕事で高い評価を得ていた。それまでのイメージは男性写真家の撮影が多く、非常に堅苦しくて面白みがないものだった。モデルが同じ女性であるから親しみのある雰囲気のヴィジュアルを作れたこともある。 当時はいまよりもはるかに撮影時間に余裕があり、写真家とモデルは撮影に1日を費やすことも多かったという。おしゃべりをして、ランチをともにすることで肩の力抜けたモデルの表情を引き出したとのこと。
彼女の写真は戦後の自由に生きるアメリカの女性像を様々なセッティングや技法を駆使して表現しようという試みだったのだ。
しかし当時はストレート写真に絶対的な価値が置かれていたので絵画的なヴィジュアル作りは写真界からはあまり評価されなかったと思われる。いまでこそ、ファッション写真はアートになりうると考えられているが、当時はファッションは作り物の商業写真で、アートとは最も縁遠い表現と考えられていた。またファッションが巨大産業化し、次第に写真家の自由な表現が難しくなっていく。彼女はファッション写真の先に自由なアート表現の可能性はないとしだいに考えるようになる。
1969年に広告関連のネガを全て破壊し、エディトリアル・ページで使用されたネガをゴミ袋に入れて物置に放置してしまう。それらは長らく忘れ去られてしまい、やっと1990年代になってから写真史家のマーティン・ハリソンにより発見される。時代の価値観がやっとバスマンに近寄ってくるのだ。彼女の本格的な再評価は、1991年にヴィクトリア&アルバート美術館ロンドンで開催されたファッション写真のグループ展「Appearances: Fashion photography since 1945」での紹介がきっかけだ。
その後、彼女はかつてのネガを再解釈して新たな作品として提示するようになる。最終的には画像処理ソフトのフォトショップを使用していたとのことだ。
今回の展示でも90年代以降に再解釈された作品が多く含まれている。彼女の再解釈作品とは、アナログ写真の技術的限界により撮影時やプリント時に自分の思う通りにできなかった表現を、デジタル技術を駆使することで新たに実践しているということだろう。サイズもそれに含まれる。たぶん大きな作品を作りたかったのだろう。
ファッションの流行は20年周期で繰り返すといわれている。彼女が再評価された90年代は、ちょうど40~50年代から二周りした時期にあたっていた。当時は忘れ去られていた、アレクセイ・ブロドビッチが再評価を受けており、その流れで彼の愛弟子だったバスマンにも注目が集まったという事情もある。2010年代もちょうど90年代から20年経過している。バスマン作品を斬新に感じる若い世代の人は多いのではないだろうか。
作家としてのりリアン・バスマンはもちろん才能のある人なのだが、今回の例のようにいったん忘れ去られた才能を新たに見つけ出して評価する欧米アート写真界のダイナミズムにはいつも驚かされる。世の中の価値観の変化に合わせて歴史の評価軸も巧みに修正していくのだ。日本でも同じように優れた才能が歴史に埋もれているのではないだろうか?まずアートの視点から、日本のファッション写真、商業写真界の歴史が書き直されることが必要になるだろう。
松岡モナは僅か15歳でミラノコレクションにデビューした若手ファッションモデル。本展は、広告とファッション分野で活躍中の日本人写真家9名が様々なセッティングで彼女を撮影した作品を展示しているグループ展。
展示を見て「Kate」(1995年、Pavilion刊)というケイト・モスをフィーチャーした写真集を思い出した。彼女は長年にわたり第一線で活躍しているスーパーモデル。この本は、複数のファッション写真家が撮影したケイト・モスの写真をコレクションしたもの。その後しばらくしてから彼女がスーパーモデルとして世界中で大活躍するようになり、本書は古書市場で高額で売買されるようになる。
松岡モナはケイト・モス的な要素をもったモデルだと感じた。ケイト・モスが評価されたのは、彼女がデザイナーやフォトグラファーのディレクションによりまるで別人かのように様々な表情やスタイルをみせることだろう。 20世紀後半以降は人々の価値観が多様化したことで、強い個性がないことが個性になったのだ。90年代前半の各自があらゆる面で超個性的だったスーパーモデル・ブームとは状況が大きく変化した。いまや見る人が自分の理想像を反映させる対象になりえるモデルの人気が高いのだ。個性的だと見る側の好き嫌いが明確に出てしまう。
今回の展示の中には、本当に様々な顔を持つ松岡モナがいた。とても一人のモデルだとは思えなかった。オーディエンスは間違いなく、自分好みの彼女を展示作品の中から見つけられたのではないか。ほとんどの写真が、彼女の写真というよりも見事に写真家自身の作品になっていた。
ちなみにケイト・モスのデビューも同じく15歳だった。松岡モナも将来的にぜひケイト・モスのようになって欲しい。
個別の写真家の作品に触れておこう。
小林幹幸は彼の得意とするエロがない透明感のあるスクールガールの世界を表現していた。
鶴田直樹はいつものエンリケ・バドレスクを思い起こさせるカラーながら、サラ・ムーンの色見とスタイリングを感じさせる斬新なアイデアを展開、個別作品を見せるスタンスが強く感じられた。
北島明は、4点のグリッド状作品、2点の組作品で相変わらずややシュールでアバンギャルドな世界を表現していた。
半沢健は、様々なサイズのシート作品を壁面にインスタレーション。松岡モナを自分の日常世界に引き込もうとしていた。ウォルフギャング・ティルマンズを思い起こさせる展示アプローチだ。
設楽茂男は画家のように彼女自身の顔をキャンバスに、カラフルなペインティングを施したポートレート作品。
Rrosemaryは濃厚なモノクロームで松岡モナのフォルムを抽象的に表現。モダンとクラシックが共存していた。
舞山秀一は東京のストリートを背景にした、ドキュメント的作品だった。カラー、モノクロを混在させて小作品をグリッド状に並べた作品は映画のようにイメージが連続する効果が感じられた。見る側によって流れが変わっていく印象だ。
中村和孝は1点物のポラロイド作品の展示。 ニック・ナイトやパオロ・ロベルシの雰囲気を感じられる。
インフィニティーの人たちはアート性を目指していると公言しない点が清々しい。 変にエゴを押しつけるアート風の作品よりもはるかに親しみが感じやすい。世界的なモデルを日本の最先端の写真家が撮影した写真はカッコいいに決まっている。都会で暮らす現代人にはアート写真といわれる小難しい写真よりもはるかにリアリティーを感じるはずだ。
しかしこのような写真は広告写真の場合が多くなかなか販売はされていない。案外、カッコイイ写真がみれて買える機会はないのだ。
ちなみにサロンスぺースで展示販売されている8X10″の作品はフレーム込で21,000円。その他の作品も3万円くらいから売られている。
これらの写真ははたして将来的に値段が上がるのかという突っ込みが入るかもしれない。それは見る人、買う人の目利き次第だといっておきたい。もし将来的に、今回のどれかの展示作品が21世紀東京の時代の気分や雰囲気が反映されていると評価されれば、それはアートとしてのファッション写真になるということだ。また、松岡モナがケイト・モスのような有名モデルになれば、15歳の彼女をとらえた作品の価値は間違いなく上がるだろう。
まずは自分の目利きを試す意味合いで、単純に今の自分の気分に合った写真を選んでみてはどうだろうか。