エグルストンがコレクターに訴えられる!いまも続く単独オークションの衝撃

3月クリスティーズで行われたウィリアム・エグルストンの単独オークションが大成功したことは以前に触れた。巨大なデジタル・ピグメント・プリントが落札予想価格をはるかに超えて高額落札されたことにアート写真業界は衝撃を受けた。写真集表紙になっている有名な3輪車のイメージ”Untitled, 1970″ は、約57.8万ドル(約4913万円)という作家のオークション最高落札価格された。

オークションの余波はいまでも続いている。米国のウォール・ストリート・ジャーナルなどの報道によると、ニューヨーク在住のアートコレクター、ジョナサン・ソベル氏が2012年4月4日ウィリアム・エグルストンを詐欺で訴えたとのことだ。彼はエグルストンのリミテッド・エディション作品192点を持つ有力コレクター。限定だったはずの作品が今回デジタルて再び販売され、自身のコレクション価値が棄損されたと主張。またエグルストンはリミテッド・エディションを定めるNY州法に違反すると指摘し、かつて限定作品したイメージのこれ以上の制作差し止めを主張しているとのことだ。
実際、3月のクリスティーズのセールで、エグルストン作品歴代高額落札の上位10位のうち7点までがデジタル作品となってしまった。一方でエグルストン側の主張は、新しいバージョンの作品を制作することは作家の権利だと主張している。この混乱の影響で、4月のニューヨーク・オークションでは、複数枚のエグルストンのダイトランスファー作品の出品が取りやめになっている。

最初の段階で、同じネガからサイズ違いのリミテッド・エディションを制作するのはわりと一般的な慣習だ。また作家の死後にエステート・プリントとして新たに制作される場合はよくある。たしかに、作家の生存中に完売作品の再制作はあまり記憶にない。思い起こすのは同じくニューカラーのジョエル・マイロウィッツだ。彼はタイプCプリントで一部リミテッド・エディション作品を制作していた。最近になってエグルストンと同様に大きなサイズのデジタル・ピグメント・プリントを再制作している。しかし、彼の場合は特に話題にならなかった。やはりセカンダリー市場の規模がエグルストンと比べて圧倒的に小さいから特にコレクターも問題視しなかったのだろう。

日本ではリミテッド・エディションの考え方にかなりばらつきがある。市場が非常に小さく写真に資産価値があると考えられていないのでルール順守はあまり問題にならない。通常はコマーシャル・ギャラリーの取り扱い作家が限定数を設けることができる。つまり写真家以外の第3者が厳密に枚数を管理する体制が整っていることが重要なのだ。 ギャラリー取り扱いでない写真家やアマチュアはオープン・エディションにするのが一般的だ。しかし、日本には欧米的なコマーシャル・ギャラリーが少ないので、 残念ながら仕様に一貫性がない。

本件は海外のアート界でもかなり話題になっている。識者たちのコメントを読んでみると、問題の本質はリミテッド・エディションと違うところにあるのが見えてくる。ソベル氏は長年に渡りアート写真市場でコレクションを行っていた人物だ。どうも彼は、アート写真が、巨大な現代アート市場の一部になりつつある状況への不満があるようなのだ。自分が中心的な存在だったアート写真界に、より資金力を持った現代アートのコレクターが入り込んできたことへの焦りもあるだろう。

どういうことか簡単に説明しよう。つまりソベル氏はオークション開催のことは当然事前に知っていた。かれはオークション自体の中止を求める選択肢もあったはずだ。しかし、それを行わなかった理由は、大判サイズのデジタル作品が自分の貴重なダイトランスファーのヴィンテージ・プリントよりも高額で落札されるとは想像だにしていなかったからだろう。いま思うと控えめなオークションハウスの落札予想価格も、アート写真の従来の基準で設定されていたと思う。しかし、結果は前記のとおりの驚異的な高額落札だった。ダイトランスファーのヴィンテージプリントという従来のアート写真コレクターがこだわる、プリント方法、撮影年、プリント年は一顧だにされなかったのだ。それらよりも作家性や作品自体を重視する現代アートの価値観で、モダンプリントでデジタル作品でも高額落札されてしまったわけだ。ちなみに現代アート系のアンドレアス・グルスキーやシンディー・シャーマンは、3億円以上の値がオークションで付いている。約4913万円のエグルストン作品も視点を変えれば安いといえないことはない。

また、現存作家のエグルストンがオークションハウスを通じて作品を一括販売したことも重要だ。従来は、まずギャラリーを通してコレクターが最初に作品を購入し、その後価値が上昇してオークションで販売するという図式だった。しかし、今回の方式だと、ギャラリーもコレクターも収益機会、作品価値上昇のメリットを享受できない。オークションハウスが手数料を稼ぎ、売り上げは作家が総取りしてしまうのだ。これは、現代アート界の話題の人物ダミアン・ハーストがオークションハウスと組んで初めて行った手法なのだ。このようにアート写真界の重要作家だったエグルストンが現代アート界に活動基盤を移すことへのいら立ちがソベル氏側にあったのではないだろうか。
この裁判、実は現代アートとアート写真との縄張り争い、そしてギャラリー、オークションハウス、アートフェア、有力コレクターの業界内の主導権争いが影を落としているようだ。裁判の結果は写真市場にかなり大きい影響を与えると考えられる。これからも動きをフォローして取り上げるつもりです。

ウィリアム・エグルストンのピグメント・プリント 高額落札は何を示唆するのか?

ウィリアム・エグルストン(1939-)は、シリアス・カラーの元祖として知られている。それまでのアート写真はモノクロで抽象的な美を追求するものだった。カラー写真は商業写真や個人のスナップ用として低く見られていた。エグルストンはダイトランスファーの技法を探求し、色のコントロール可能にして作品制作を行ったのだ。彼は1976年にニューヨーク近代美術館で同館写真部門ディレクターのジョン・シャーカフスキー企画による個展でデビューしている。彼の作品は米国南部の色彩豊かな情景をカラーとシャープ・フォーカスで表現しているのが特徴。モノクロでは退屈な南部のありきたりのシーンを一気に魅力的な作品にした。画家エドワード・ホッパー、チャールズ・バーチフィールドの描いた風景画や、スーパー・リアリズムの絵画作品と対比して語られることも多い。2008年にはホイットニー美術館で米国初の本格的回顧を開催。アメリカの原風景をカラーで表現してきた作家として、市場での評価は更に高まっている。

今年の3月12日にクリスティーズ・ニューヨークでウィリアム・エグルストンの単独オークションが行われた。(上記図版はカタログ)総売り上げは約590万ドル(約5億円)。これは当初の予想の2倍を超える金額だった。出品された36点は完売。最も高価だったのは写真集”William Eggleston’s Guide”の表紙になっている3輪車のイメージ”Untitled, 1970″ 。約57.8万ドル(約4913万ドル)という作家のオークション最高落札価格だった。
オークションの注目点は出品作品がすべてインクジェットによる112 x 152 cmの巨大プリントだったこと。ピグメント・プリント(カタログの表記)がコレクター、美術館に評価されるかが注目された。結果的には、高額落札が実現したことでインクジェットでも作品評価が全く変わらないことが示された。
私は、オリジナルのダイトランスファーの微妙な色合いや雰囲気を再現することにこだわって制作されたことがポイントだと考えている。つまり出品作は明確な基準があって制作されたということだ。そして、1994年にコダックがダイトランスファー製品を生産中止していることも重要だ。 それを代替するモノとしての意味づけがある。そしてアナログでは制作不可能だった112 x 152 cmの巨大プリントであることも、デジタル技術を利用する重要な理由となる。その上で、エディション数を僅か2枚に限定したことが高額落札の背景にあるだろう。
オークションの収益はEggleston Artistic Trustのものとなるそうだ。メンフィスにエグルストン・ミュージアムを設立する計画が昨年に発表されている。官民協力の上で行われ、予算規模は約15mという。今回の売り上げはそのために使われるのだろう。オークション落札者も、その事業を応援しようという寄付的な意思もあったと思う。

2011年4月8日クリスティーズでは、同じ3輪車のダイトランスファー作品が、266,500ドル(約2265万円)で落札されている。これは1980年に制作されたもので、サイズは30X44cm、エディション20。当時のクリスティーズが付けた落札予想価格は20~30万ドルだった。興味深いことに、今回のピグメント・プリントの落札予想価格も20~30万ドルとまったく同じなのだ。結果は前回26.65万ドル(約2265万円)、今回は57.8万ドル(約4913万円)。かなり大きな差がついた。
落札価格から読み取れるのは、ダイトランスファーからデジタルに変更されたことによる作品価値の評価減よりも、大きなサイズと少ないエディションという希少性の評価増が遥かに勝ったということだろう。作家の厳密な管理下で制作された少数限定作品の場合、インクジェットプリントでも決して価値を減じるわけではないようだ。
これは重要な市場センチメントの変化なのだ。彼はダイトランスファーを探求し、色のコントロール可能にした上で作品を制作した写真家。それゆえ、ダイトランスファーの技法が作品価値に非常に影響を与えていた。オークションでもタイプCプリントとダイトランスファーとはかなり価格差がある。しかし21世紀が10年以上が経過した現在、技術進歩によりデジタル写真のクオリティーが大きく向上し、またアート界の主流となった現代アートが写真をその一部にとり込んでしまった。いまや写真は長らく引きずってきた作品制作技法のしがらみから解放されつつあると考えてよいだろう。

私は2007年にペース・マクギルで開催されたアービング・ペン(1917-2009)の花の写真展を思い出す。その展示では、ダイトランスファーとともに、インクジェット作品が並列販売されていた。当時は、デジタル写真は銀塩写真の普及版で、安く買えるという認識があった。しかし、ペース・マクギルは他の技法の作品と全く同じフォーマットと値段で販売したのだ。たしか、スタートは2万ドル程度だったと記憶している。これには、かなりの賛否両論があった。銀塩時代の終わりという肯定的意見や、デジタルで高額の値段をつけるのは詐欺だ、という意見も聞かれた。
デジタルプリントをとりまく状況はこの5年で大きく変わったのだと思う。いまでは、アニー・リーボビッツのように、エディションの途中で、制作方法をデジタルプリントに変える写真家もいる。
しかし、デジタルカメラで撮影された写真は、その行為自体が作品コンセプトの一部として提示されない限りいまだ評価は確定していない。デジタル撮影では、作家が何を作品のオリジナルとするかの明確な提示が必要になる。それがなされないと、インテリア向けの大衆アート作品に陥るリスクがあるのだ。フィルムの生産中止を見込んでデジタルに移行した写真家もいた。しかしデジタルは銀塩写真の延長上に存在するものでないことが次第に意識されるようになってきた。今後も、様々な試行錯誤が行われながら共存が続くのではないだろうか。

さて海外では今週からニューヨーク春の写真オークションが主要ハウスで開催される予定だ。市場の将来を占う意味でも重要なイベントだ。株価の上昇が、レアな作品の相場を押し上げるのか?また中間価格帯の作品にどのような影響を与えるかに注目している。