画家谷川晃一の著書「視線はいつでもB級センス」(1981年、現代企画室刊)に浅井慎平に関するエッセー「ジャマイカを見つめるロンリーセンス」が収録されている。
これは元々はフォトテクニック誌別冊(1979年刊)の「浅井慎平/人と作品」に書かれた小論。そこに篠山紀信が浅井の写真をドキュメント写真と誤解しているエピソードが紹介されている。谷川は「クソリアリズムともいうべき奇妙な発言」と篠山をやんわりと批判。谷川は浅井の写真を、自己の存在に対するリアリズムの写真と評価している。自由の論理は、日本的な共同体的なセンチメントでは存在せず、個人主義的な考え方が前提になることを主張。彼はその視点を浅井の写真に見出しているのだ。
ちなみに谷川は戦後の進駐軍文化に影響を受けた、デザイン感覚あふれるポップな写真、イラストなどを「アールポップ」という一種のアート・ムーブメントとして評価している。彼はそれを「アールポップの時代」(1979年、皓星社刊)にまとめ、1979年の6月には池袋パルコで「アールポップ展」を開催している。浅井の写真もその中に含まれていた。ちなみに美術評論家の椹木野衣は「アールポップ」を村上隆の唱える「スーパーフラット」の先駆けと評価している。
以前、横須賀功光の写真集 「射」を紹介した時に、「70年代後半から80年代にかけて、特に米国では写真はよりアートへと接近していくが、 日本は高度経済成長による消費社会の拡大により広告写真が中心になっていく。実際、好景気により広告予算拡大によりコマーシャル・フォトの中にも写真家に自由裁量を与えられる幻想を多くの写真家が見てしまったのだと思う。アートとコマーシャルフォトとは分断してしまい現在にいたっている。」と書いた。今回、谷川の浅井評を読んで、当時の日本美術界では、欧米と同じ視点で写真をアート作品と評価する土壌が存在していたことを発見し感動した。
上記のように、その後の経済成長につれて日本人は消費中心のライフスタイルを追求するようになる。谷川の評価とは裏腹に浅井の写真はまさに篠山が批判したヴィジュアルの表層部分で愛でられるようになるのだ。つまり広告写真的な流れの中で評価されるようになる。実際に彼の写真は多くの広告に採用されている。
当時の若者は日本的でウェットではない西欧的なドライな人間関係を志向し始めていた。浅井もフォトテクニック誌別冊掲載のインタビューで、「僕の中には日本がしがみついているのね。湿度が、家が。そいつから離脱しようというのが、ビートルズであり、カリブ海であり、思ったことはやってみるということだったんでしょうね」と語っている。しかしこれはフリー・カメラマンの浅井だから実行できたこと。実際は、ほとんどの若者にとって従来のムラ社会の枠組みが会社組織に移り変わっただけだった。しかし当時は高度経済成長による余裕から表層上は組織の締め付けは強くなく、多少の自由も容認されるような環境だった。洋楽ポップス、片岡義男の小説、浅井慎平のヴィジュアルなどを消費することでうわべだけの自由を享受できる気分があったのだ。会社という共同体に身をゆだねながらも、個人的には消費の延長上に自分らしい生き方があると多くの人が妄信してしまった。
そしてバブル崩壊後の失われた20年を経験して、私たちはその前提に安定した経済成長があったことを実感している。いま70年代の日本人が思い悩んだのと同じ問題に私たちは再び直面している。当時とは状況が変わり、現代人は過剰に空気を読むことを強いられて苦しんでいる。
昨年の東日本大震災という天変地異が更に私たちを本能的に不安にさせた。未来が不透明で存在自体の不安感が高まる中、何らかの共同体の価値観に身を任せた方が楽と考える人が増えている気がする。しかし一方で、70年代の浅井の写真が持っていた眼差しのように、孤独な自分の存在を見つめ、個人として少しだけ強くなり、自由を優先して生きていくという選択肢もあると思う。価値が単一化する傾向が強いこの時代だからこそ、本当に再評価が待たれる浅井の初期写真集だ。
・「海流の中の島々」(1977年、れんが書房新社刊)
海外旅行があまり一般化していなかった当時、世界中を旅して仕事をする写真家は自由の象徴だった。一般人は、エキゾチックな場所のヴィジュアルを消費することで自由な感覚を持つことが出来たのだ。当時は欧米のミュージシャンがレゲエなどの要素を曲に取り込み始めた時期でもある。 浅井がジャマイカ、ハイチに行ったのはその影響による。
そして若者は、人の聞いていない新しい種類の曲を聞くことが個性的だと信じていた。ちなみに、日本にレゲエブームを持ち込んだ一人が浅井とのことだ。
初版定価3500円。
・「ISLANDS」(1978年、角川書店刊)
1976年5月に浅井がジャマイカのモンテゴ・ベイで収録した波の音は1977年にレコード化される。いまでは環境音楽の古典といわれ、CD化もされている。前作と本書はそのビジュアル版という意味合いがあるのだろう。本書には有名な、「Bird Watchers’ Bar」の写真も収録されている。初版定価2900円。82年、84年に再版されており、たぶん発行部数は一番多いのではないだろうか。
・「ウィンズ 風の絵葉書」(1981年、サンリオ刊)
スリップケース入りの豪華本。定価はなんと1万円。しかし、古書市場での現在の評価は決して高くない。いまでもアート系ではなくコマーシャル系写真集と思われているのだろう。
たぶんややベタすぎるサブ・タイトルの「風の絵葉書」が誤解を生んだのだと思う。しかし、当時としては高額な値段設定を考えるに少数販売のアートブックが意識されていたのではないかと思う。ちなみに1980年に刊行されたアーヴィング・ペンの洋書写真集「Flowers」は50ドルだった。その時の為替レートは1ドルが約210円位だったので、ほぼ同じくらいの10,500円になる。収録写真は海外で撮影されたものなのだが、高度経済期の日本の若者の気分や雰囲気が色濃く反映された一種のファッッション写真としても評価できると思う。