ウィリアム・エグルストン(1939-)は、シリアス・カラーの元祖として知られている。それまでのアート写真はモノクロで抽象的な美を追求するものだった。カラー写真は商業写真や個人のスナップ用として低く見られていた。エグルストンはダイトランスファーの技法を探求し、色のコントロール可能にして作品制作を行ったのだ。彼は1976年にニューヨーク近代美術館で同館写真部門ディレクターのジョン・シャーカフスキー企画による個展でデビューしている。彼の作品は米国南部の色彩豊かな情景をカラーとシャープ・フォーカスで表現しているのが特徴。モノクロでは退屈な南部のありきたりのシーンを一気に魅力的な作品にした。画家エドワード・ホッパー、チャールズ・バーチフィールドの描いた風景画や、スーパー・リアリズムの絵画作品と対比して語られることも多い。2008年にはホイットニー美術館で米国初の本格的回顧を開催。アメリカの原風景をカラーで表現してきた作家として、市場での評価は更に高まっている。
今年の3月12日にクリスティーズ・ニューヨークでウィリアム・エグルストンの単独オークションが行われた。(上記図版はカタログ)総売り上げは約590万ドル(約5億円)。これは当初の予想の2倍を超える金額だった。出品された36点は完売。最も高価だったのは写真集”William Eggleston’s Guide”の表紙になっている3輪車のイメージ”Untitled, 1970″ 。約57.8万ドル(約4913万ドル)という作家のオークション最高落札価格だった。
オークションの注目点は出品作品がすべてインクジェットによる112 x 152 cmの巨大プリントだったこと。ピグメント・プリント(カタログの表記)がコレクター、美術館に評価されるかが注目された。結果的には、高額落札が実現したことでインクジェットでも作品評価が全く変わらないことが示された。
私は、オリジナルのダイトランスファーの微妙な色合いや雰囲気を再現することにこだわって制作されたことがポイントだと考えている。つまり出品作は明確な基準があって制作されたということだ。そして、1994年にコダックがダイトランスファー製品を生産中止していることも重要だ。 それを代替するモノとしての意味づけがある。そしてアナログでは制作不可能だった112 x 152 cmの巨大プリントであることも、デジタル技術を利用する重要な理由となる。その上で、エディション数を僅か2枚に限定したことが高額落札の背景にあるだろう。
オークションの収益はEggleston Artistic Trustのものとなるそうだ。メンフィスにエグルストン・ミュージアムを設立する計画が昨年に発表されている。官民協力の上で行われ、予算規模は約15mという。今回の売り上げはそのために使われるのだろう。オークション落札者も、その事業を応援しようという寄付的な意思もあったと思う。
2011年4月8日クリスティーズでは、同じ3輪車のダイトランスファー作品が、266,500ドル(約2265万円)で落札されている。これは1980年に制作されたもので、サイズは30X44cm、エディション20。当時のクリスティーズが付けた落札予想価格は20~30万ドルだった。興味深いことに、今回のピグメント・プリントの落札予想価格も20~30万ドルとまったく同じなのだ。結果は前回26.65万ドル(約2265万円)、今回は57.8万ドル(約4913万円)。かなり大きな差がついた。
落札価格から読み取れるのは、ダイトランスファーからデジタルに変更されたことによる作品価値の評価減よりも、大きなサイズと少ないエディションという希少性の評価増が遥かに勝ったということだろう。作家の厳密な管理下で制作された少数限定作品の場合、インクジェットプリントでも決して価値を減じるわけではないようだ。
これは重要な市場センチメントの変化なのだ。彼はダイトランスファーを探求し、色のコントロール可能にした上で作品を制作した写真家。それゆえ、ダイトランスファーの技法が作品価値に非常に影響を与えていた。オークションでもタイプCプリントとダイトランスファーとはかなり価格差がある。しかし21世紀が10年以上が経過した現在、技術進歩によりデジタル写真のクオリティーが大きく向上し、またアート界の主流となった現代アートが写真をその一部にとり込んでしまった。いまや写真は長らく引きずってきた作品制作技法のしがらみから解放されつつあると考えてよいだろう。
私は2007年にペース・マクギルで開催されたアービング・ペン(1917-2009)の花の写真展を思い出す。その展示では、ダイトランスファーとともに、インクジェット作品が並列販売されていた。当時は、デジタル写真は銀塩写真の普及版で、安く買えるという認識があった。しかし、ペース・マクギルは他の技法の作品と全く同じフォーマットと値段で販売したのだ。たしか、スタートは2万ドル程度だったと記憶している。これには、かなりの賛否両論があった。銀塩時代の終わりという肯定的意見や、デジタルで高額の値段をつけるのは詐欺だ、という意見も聞かれた。
デジタルプリントをとりまく状況はこの5年で大きく変わったのだと思う。いまでは、アニー・リーボビッツのように、エディションの途中で、制作方法をデジタルプリントに変える写真家もいる。
しかし、デジタルカメラで撮影された写真は、その行為自体が作品コンセプトの一部として提示されない限りいまだ評価は確定していない。デジタル撮影では、作家が何を作品のオリジナルとするかの明確な提示が必要になる。それがなされないと、インテリア向けの大衆アート作品に陥るリスクがあるのだ。フィルムの生産中止を見込んでデジタルに移行した写真家もいた。しかしデジタルは銀塩写真の延長上に存在するものでないことが次第に意識されるようになってきた。今後も、様々な試行錯誤が行われながら共存が続くのではないだろうか。
さて海外では今週からニューヨーク春の写真オークションが主要ハウスで開催される予定だ。市場の将来を占う意味でも重要なイベントだ。株価の上昇が、レアな作品の相場を押し上げるのか?また中間価格帯の作品にどのような影響を与えるかに注目している。