海外最新オークション情報 (Part-2)
現代アート化する20世紀写真

前回は、大判サイズのアイコン的ファッション写真が市場で現代アート作品として高額で取り扱われる事例を紹介した。同様の事例は、モノクロの抽象美とファインプリントの美しさを愛でる20世紀写真でも散見される。

7月13日にフリップス・ニューヨークで「Photographs」オークションが開催された。これは春のオークションがコロナウイルスの影響で延期されたもの。最注目作品だったのが20世紀写真の代表的写真家アンセル・アダムスの壁画サイズ99.1 x 160.7 cmの「Winter Sunrise, Sierra Nevada from Lone Pine California、1944/1967」。落札予想価格は30~50万ドルのところ、41.2万ドル(約4532万円)の同オークションでの最高額で落札された。

Phillips New York “Photographs”, Ansel Adams, 「Winter Sunrise, Sierra Nevada from Lone Pine California 1944/1967」

アンセル・アダムスの壁画サイズの巨大作品は1930年代に主にパブリック・アートとして考案され制作されている。フリップスの資料によると、最初にこのサイズの写真作品が展示されたのは1932年ニューヨーク近代美術館で開催された「Murals by American Painters and Photographers」。同展カタログでアート・ディーラーのジュリアンレヴィ(Julian Levy)は、「良い壁画は、単に小さな写真を機械的に拡大したものではありません。拡大された壁画は新しい独立した作品であり、写真の最終的なスケールを事前に視覚化していない写真家は、たいていの場合、その結果に驚きと落胆を覚えるでしょう」と書いている。その後、1935年にアンセル・アダムスは、ヨセミテパーク&カレーカンパニーの依頼でヨセミテ国立公園の壁画サイズ作品を初めて製作している。主にアメリカン・トラスト・カンパニー(後のウェールス・ファーゴ銀行)やポラロイドなどの企業の依頼でこのサイズの作品を限定数制作している。本出品作品は、Schwabacher Brokerage Companyの依頼で1967年に制作依頼された作品。その後、弁護士Roger Poynerに購入され、彼の法律事務所に展示されていた。大きな特徴は保険目的で依頼された、アンセル・アダムスのサイン入り作品証明書が付いていること。通常、このサイズ作品は、当初は展示目的であり、裏打ちされることからサインは入らない。興味深いのは、この手紙には同作の1969年の価値が600ドルで、保険つまり再制作費用は、その60%の360ドルだと記していること。
本作は、約53年で約686倍、年複利で計算すると約13.1%程度で運用できた計算になる。

Christie’s, The Range of Light : Photographs by Ansel Adams”

アンセル・アダムスの同じ壁画サイズの“Winter Sunrise, Sierra Nevada from Lone Pine, California,1941”作品は、2014年4月3日にクリスティーズで行われた、アンセル・アダムス単独オークション“The Range of Light : Photographs by Ansel Adams”に出品されている。2014年の米国は穏やかな景気回復が続いており株価も堅調だった時期だ。同作はカタログ表紙を飾り、サイズはやや小さい約92X139cm。落札予想価格は30万~50万ドル(約3000~5000万円)のところ、54.5万ドル(当時は1ドル100円/約5450万円)で落札されている。
今回のウィズ・コロナ時代においてのオークション高額落札は、2014年の落札が決して偶然の競り合いによる結果でなかったことを証明しているだろう。

ちなみに、アンセル・アダムスの最高額は巨大な壁画サイズ作品ではない。ササビース・ニューヨークで2006年10月17日に開催されたオークションに出品された小さい14X19″サイズの代表作“Moonrise, Hernandez, New Mexico, 1941”。彼のアシスタントを勤め、生涯の友人だった写真家パークル・ジョーンズのコレクションからの出品。プリントが極めて困難だったネガを再処理する以前の1948年にプリントされた初期作品。1000枚以上プリントされたといわれる作品だが、その中でも抜群の来歴と希少性を兼ね備えていた。落札予想価格は15~25万ドルのところ、約60.96万ドル(1ドル115円/約7000万円)で落札されている。

Sotheby’s New York, Ansel Adams “Moonrise, Hernandez, New Mexico, 1941”

2000年代になり、アンセル・アダムスの木製パネルなどに貼られていた巨大作品の高額落札が定着してきた。1990年代には、それらはサインがないし、作品むき出しによるコンディションの問題もあり、ポスター的な作品と考えられており、市場の評価も決して高くなかった。近年の傾向は、アダムスはアナログ銀塩写真のサイズの限界に挑戦していたアーティストだったことが現代アート的視点から再評価されている証拠。いま主流の現代アート系写真の元祖的な存在で、巨大作品はその象徴だと認識されているのだ。もし状態の良い、優れた来歴の作品が市場に出てくれば今後も高値による落札が続くのではないか。

一方で、最近は現代アートの視点で作家性が再評価されない20世紀写真も顕在化している。それらは、知名度のある作家の代表作にコレクターの興味が集中する傾向がある。いま市場では、ファッション系を含む一部の20世紀写真と現代アートとの融合が着実に進行中なのだ。

(為替レートは1ドル110円で換算)

海外最新オークション情報(Part-1)
現代アート化する巨大ファッション写真

Christie’s「ONE, a global 20th-cantury art auction」

平常時の5月から6月にかけては、ニューヨーク、ロンドンで印象派、モダン、戦後アート、現代アート作品などの主要作品のライブ・オークションが開催される。しかし今シーズンは、コロナウイルスの影響で状況が一変した。大手のサザビーズ、クリスティーズ、フィリップスは、開催者、参加者の健康を考慮した、ライブ・ストリーミングなどを利用した新しい仕組み構築を短期間に求められた。多くは手探り状態で開催されたが特に大きな混乱はなかったようだ。結果をみるに、買い手の興味は、パンデミックがきっかけの景気悪化懸念の中でも大きく減速していないようだった。しかし、売り手は高額落札の可能性が薄い市場環境だとの判断から、貴重な良品を消極的に提供しようとしなかったようだ。

その中でも注目されたのが、7月10日にクリスティーズが実施した、「ONE, a global 20th-cantury art auction」。これは複数パートからなるライブ・セールが、アート界の主要ハブの、香港、パリ、ロンドン、ニューヨークを連続して移動しながら、時差を超えてリアルタイムで開催するもの。クリスティーズによると、「各地展示室のオークショナーが中心となって、イブニング・セールの興奮とドラマを、世界中の対面式とオンラインの両方の観客に向けて新たなセール体験を提供する試み。今回のグローバルセールでは、カテゴリーを超えた、国境を越えたアートが一つの究極のビジョンの中に集結し、この特別な時代とその先のための前代未聞のイベントとなります」とのこと。

Christie’s 「ONE」auction, Richard Avedon 「Dovima with Elephants, Evening Dress by Dior, Cirque d’Hiver, Paris, 1955/1979」

本セールに出品された写真作品はリチャード・アヴェドンの代表作「Dovima with Elephants, Evening Dress by Dior, Cirque d’Hiver, Paris, 1955/1979」の1点のみだった。203.2 x 161.2 cmの巨大サイズで、エディションは9/10、落札予想価格は80~120万ドルのところ、なんと181.5万ドル(約1.99億万円)で落札。これはアヴェドン作品のオークション最高価格となる。これまでの記録は、2010年11月20日に、クリスティーズ・パリで行われたアヴェドン作品の単独オークション「Photographies Provent de la Foundation Richard Avedon」で落札された同じイメージ作品の84.1万ユーロ(約115.3万ドル)だった。同作のサイズは、216.8 X 166.7cm、1978年のメトロポリタン美術館の展覧会で展示され、その後アヴェドン事務所の入り口に展示されていた極めて価値ある作品だった。モデルのドヴィマ着用のイーブニング・ドレスをデザインしたメゾン・クリスチャン・ディオールが落札している。

Christie’s Paris「Photographies Provent de la Foundation Richard Avedon」

今回の落札価格は、20世紀ファッション写真としては高額だが、数億円での落札が当たり前の現代アート作品の相場からみれば魅力的な価格といえるだろう。特にこの「ONE, a global 20th-cantury art auction」は、高額アート作品が数多く出品されたオークションだった。参加者の作品価格を判断する参照点が高くなっていたのかもしれない。ちなみに同オークションの総売上高は4.21億ドル(約463億円)、落札率は94%、最高額はロイ・リキテンスタイン「Nude with Joyous Painting (1994)」の4620万ドル(約50.8億円)だった。アヴェドンの落札価格は、同オークションの他の高額作品と比較すると心理的にとても安く感じてしまう。
ちなみに、ここ数年はファッション写真の壁画サイズ作品の高額落札が続いている。2019年の現代アート系以外の写真オークションの最高額落札は、フィリップス・ニューヨークで4月4日に行われた「Photographs」に出品されたヘルムート・ニュートンの2点組み写真「Sie Kommen, Paris (Dressed and Naked), 1981」だった。同作は、戦後社会の新しい女性像を表現したニュートンの代表作であり、197.5 X198.8cmと196.9 X 183.5cmの巨大サイズだった。落札予想価格60~80万ドルのところ182万ドル(約2億円)のニュートンのオークション最高額で落札されている。

Phillips NY, Helmut Newton 「Sie Kommen, Paris (Dressed and Naked), 1981」

2018年の最高額もヘルムート・ニュートン。フィリップス・ロンドンで5月18日に行われた「ULTIMATE Evening and Photographs Day Sales」オークションに出品された1点ものの可能性が高いという151.5 x 49.5 cmサイズの巨大作品「Panoramic Nude with Gun, Villa d’Este, Como, 1989」。落札予想価格25~35万ポンドのところ、72.9万ポンド(1ポンド150円/約1.09億円)での落札だった。

これらの作品は、従来のアート系ファッション写真の範疇というよりも、作家性と巨大サイズ作品とが現代アート的な価値基準で評価されたと考えるべきだろう。どちらにしても、いま市場では巨大サイズのファッション写真と現代アートとの融合が着実に進行中なのだ。

次回(Part-2)では、市場における20世紀写真と現代アートとの関係を分析してみたい。

(為替レートは1ドル110円で換算)

(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(13)
アレクサンダー・リーバーマン関連本の紹介(Part-2)

リーバーマンもファッション雑誌作りの制限の中で、できる限りの自由な表現の可能性を探求した。その姿勢はライバル誌ハ―パース・バザーのブロドビッチと全く同じだ。両者には、第2次世界大戦が終わり、社会における女性の存在が大きく変化したという確固たる認識があり、それを誌面で提示しようと考えた。大判カメラとスタジオで撮影されたセシル・ビートンやホルストのイメージは時代遅れと考え、新しい時代の女性に合致したファッション写真を世に送りたいという意思がともにあったのだ。

Irving Penn, Vogue cover, October 1, 1943 , Conde Nast

リーバーマンは自分が理想と考えるファッション写真を作り出すために、画家志望だった若きアーヴィング・ペンを写真家に転向させ、ジュニア世代のファッションが理解できる若い女性写真家のフランシス・マクラフリンを起用している。ちなみに、ペンの最初のヴォーグ誌のカヴァー写真は1943年October 1号となる。巧みにファッション小物を配置して構成されたスティル・ライフ写真は画家の視点が生かされている。また将来の可能性を感じさせる作品だ。リーバーマンは、ファッション写真の経験のないフォトジャーナリズム系写真家もファッション雑誌の撮影に起用している。なんと畑違いに感じるエルンスト・ハースやウィージ―にも撮影を依頼しているのだ。

Ernst Haas, Vogue, December 1951 / From “Appearances” by Martin Harrison, page 41

その中には、後にアフリカ系アメリカ人の最初のライフ誌のスタッフ・フォトグラファーになったことで知られるゴードン・パークス(1912-2006)も含まれる。1940年代後半、パークスはハーレムに移り住み、リーバーマンの下でヴォーグ誌の最初のアフリカ系アメリカ人フリーランスのファッション写真家となる。当時の社会には、いまとは比べ物にならない程の人種差別的な考えが蔓延していた。それにもかかわらず、リーバーマンは彼にハイ・ファッションのイブニングドレスのコレクション撮影を依頼している。パークスのファッション写真は主にストリートで撮影された。構図が非常に革新的で、モデルに動きが感じられ、またカラー作品は映画的な美しい色彩で表現されている。それらは、写真集「I AM YOU : Selected Works, 1942-1978」(Steidl、2016年刊)の「Fashion 1956-1978」セクションで紹介されている。
彼のファッション写真は財団管理下でエステート・プリントとしてエディション付きで販売されている。2020年の6月18日~25日にかけてフィリップスがオンラインで開催した「Tailor-Made: Fashion Photographs from the Collection of Peter Fetterman」オークションではパークスのエステート・プリント2点が出品、落札予想価格は5000~7000ドル(約55~77万円)。「James Galanos Fashion, Hollywood, California、1961」が7500ドル(約82.5万円)、「Untitled, New York, N.Y., 1956」が6250ドル(約68,7万ドル)で落札されている。ノーマン・パーキンソンなどと同様に、写真家死後の作品でも財団管理下で制作されたのリミテッド・エディションの相場は極めて安定している。
いまアート界ではアフリカ系アメリカ人や女性アーティストに注目が集まっている。パークスのファッションやポートレート作品も間違いなく市場で再評価されるだろう。

Gordon Parks “Untitled, NY 1956” / Phillips, Tailor-Made: Fashion Photographs from the Collection of Peter Fetterman Online Auction 18 – 25 June 2020

戦後ファッション写真史の資料を調べていると、写真家、デザイナーたちが雑誌ページ内での写真の取り扱いに不満を持っていた事実がよく記されている。洋服を中心に目立って見せて欲しいデザイナー/服飾メーカーや編集者と、それらをヴィジュアルの一部と考え、より自由な表現を目指すクリエーターとの軋轢には長い歴史がある。その後、ファッションが巨大ビジネスとなるに従い、表現の自主規制もさらに厳しくなる。お膳立てがすべて整っているファッションの撮影では、自分の感性を生かしてリスクを冒すことなどできないのだ。多くの写真家はファッション写真の先に自由なアート表現の可能性はないと失望して業界を去る。そして仕事での自己表現の限界を理解すると、自らの欲求を満たす行為を他のアート表現に求めるのだ。

リーバーマンも、ヴォーグ誌を初めとし、グラマー、バニティ・フェア、マドモアゼル、アリュールなどのコンデナスト出版の雑誌全般を率いるとともに、写真家、彫刻家、画家としてのキャリアも追求している。彼の多様なアーティストのキャリアと、特に長年にわたるコンデナスト出版での活躍を見るに、彼は仕事と自己表現のバランスがとれた類まれの人だった事実がわかる。彼は表現者にありがちな、エゴが追求するロマンチストではなく、極めてリアリスト的な生き方を追求したのだと理解したい。前回パート1で触れたように、彼は自分のフレームワークに囚われずに、変幻自在に時代の流れに聞き耳を立て、多くの才能を起用して雑誌作りを行っていた。回りくどい言い方だが、確固たるスタイルにあえて固執しないのも、一つのスタイルだといえるだろう。

ジャンルは違うが、ミュージシャンのデヴィッド・ボウイはキャリアを通して多彩な自身のヴィジュアル作りを行っている。各時代の最先端をゆく写真家を積極的に起用して、カメレオンのように自らのイメージを変化させている。
リーバーマンの創作スタンスはかなりボウイに近いと直感した。彼のファッション雑誌作り自体は一種の自己表現であり、彼はそれにある程度満足していたのではないだろうか。もちろん、彼の立場により、ほかの人と比べて格段に仕事上の自由裁量を持っていたのは明らかだろう。当時、コマーシャルと深く関わるファッション写真や雑誌作りはアート表現だとは考えられていなかった。彼は時代に横たわる気分や雰囲気を感じ取って、写真を通して社会に提示した。ファッション写真の持つアート性をいち早く見出した最初の一人だったのだ。時代が彼に追いつくのは90年代になってからだ。

“Alexander Lieberman” by Barbara Rose, Abbeville Press (1981/11/1)

以上から、リーバーマンのアーティトとしての創作は、自分のやりたいこと追及を求め、それがかなわないと去っていく他の多くの表現者とはかなり違っていたと考える。彼の巨大な彫刻作品は世界中の約40都市の公共スペースに展示されている。しかし実際のところ、彼はアーティストとしては美術評論家から高い評価は受けられなかった。アート・オークションへの出品も限定的だ。

彼が手掛けるヴォーグ誌は、ジャコメッティ、ユトリロ、マティス、ブラックなどのアート特集を掲載するとともに、デュシャンなどの重要な美術評論家によるエッセイをほぼ毎号掲載していた。執筆の仕事の依頼者がアーティストだったという極めてまれな状況だった。アートの専門家は、アートメディアを牛耳るリーバーマンによるアート作品は、利益相反から客観的評価は難しいと考えていたのだ。

わたしは、リーバーマンはその点は十分理解していて、アーティスト活動の評価については気にしていなかったと想像している。たぶん彼は雑誌作りである程度の自己実現ができて満足しており、アーティスト活動は自らの精神をバランスさせるための行為だったのだと思う。方法論の追求は趣味だと言われるが、たぶん彼にとってアートの創作はそのような位置づけだったのではないだろうか。

次回のパート3では、リーバーマン関連のフォトブックを紹介する。