TOPコレクション セレンディピティ
日常のなかの予期せぬ素敵な発見
@東京都写真美術館

定期的に開催されている東京都写真美術館のコレクション展。毎回、約3万7000点の収蔵作品を利用して、様々な切口で、色々な層の来場者を想定して写真展が企画されている。膨大なコレクションの中から自由な組み合わせが可能なだけに、担当する学芸員の発想力が問われる展示になる。

今回のコレクション展は、子供層への美術教育を意識して構想されたと思われる。日本での美術教育充実の必要性は多くのところで語られている。“13歳からのアート思考”(末永幸歩/ダイヤモンド社、2020年刊)でも、日本の美術教育は「技術/知識」偏重型であると分析している。
学芸員の武内厚子氏は、“美術館は「学習の場」、「社会情勢や現代の諸問題を知る場所」という役割が強くなった”と、本展カタログの解説文で現状分析を行い、その他の数々の役割の可能性に言及している。その新たな試みが今回のコレクション展なのだ。

“TOPコレクション セレンディピティ” 写真展カタログの表紙、イラスト 小池ふみ

本展には、もっと自由にアートに接して、感じてほしいとの狙いが隠されている。その意図が象徴的に表れているのは、参加写真家の吉野英理香が飼う小鳥のジョビンとエドワード・マイブリッジの展示写真から飛び出してきた子犬のマギーが、イラストで描かれて登場し、閉館後の美術館の展示を見て回るという設定が行われている点だ。これだけだと、まだ展示やカタログを見ていない人には全く意味不明だと思われるので、少しばかり説明を加えたい。
参加している写真家の吉野英理香は、2022年の外出制限されていたコロナ禍に、飼っている小鳥のジョビン(JOBIM)をインスタントカメラで撮影。今回そのシリーズから11点が展示されている。そのペットの小鳥ジョビンがイラスト化されているのだ。(上のカタログ表紙に描かれている) エドワード・マイブリッジは、連続写真で知られる19世紀の写真家。本展では走る犬の姿をとらえた1887年の連続写真作品が展示されている。そこから、飛び出してきたというシュールな設定で、ジョビンの相方として、子犬マギーのイラストが生まれているのだ。

会場内の壁面には、作品を鑑賞しているマギーとジョビンのイラストが所々に描かれている。明らかに子供受けを意識した設えだろう。また同展カタログ内の巻頭には、写真作品の前で自由に自分の感じ方を語り合っているマギーとジョビンの会話とイラストが「ジョビンとマギーの素敵な探検」として、まるで絵本のように紹介されている。たぶん ジョビンとマギーの 存在は、来場者の子供たちと重なっていて、彼らにも同じような姿勢で美術館で作品に向かい合って欲しいという意図だろう。
一方展示会場内には、床に座って壁面の作品と向き合うように、人工芝やクッションが置かれる仕掛けも考えられていた。

“TOPコレクション セレンディピティ” 写真展会場 東京都写真美術館

日本では、自分が作品をどのように感じているかを、言葉にして誰かに伝えるような美術教育は行われていない。子供は、作品に対しては、親、先生、友達に対しては言えないことでも、自分の気持ちを自由に主張できる。相手が作品なので誰も傷つかない。そして自分の気持ちを言葉にするのは、かなり難しい行為だという事実に気付くのだ。最初は自分の気持ちが伝えられないことをもどかしく感じるだろう。しかし、これは経験を積めば段々うまくできるようになる。実はこの行為こそはアーティストが何で自分が作品を制作しているかを説明する行為につながるのだ。
子供に、そのきっかけを与える願いが込められた、小鳥のジョビンと子犬のマギーを取り入れた企画はとても斬新だ。大人たちは、ぜひ子供とともに鑑賞に来て、彼らに作品に対しての自分の気持ちを自由に語らせてほしい。また自分の感じを子供にも伝えてはどうだろうか。

出品作家は以下の通り。膨大な収蔵作品から幅広い年齢の人の写真作品がセレクションされている。
(参加者)
相川勝、石川直樹、井上佐由紀、今井智己、潮田登久子、葛西秀樹、
北井一夫、牛腸茂雄、齋藤陽道、佐内正史、島尾伸三、鈴木のぞみ、
中平卓馬、奈良美智、畠山直哉、浜田涼、本城直季、ホンマタカシ、
山崎博、吉野英理香、エリオット・アーウィット、エドワード・マイブリッジ

タイトルのSerendipityは、思いもよらない素敵な偶然との出会いや、予想外の新しいものを発見すること。余談になるが、私はこの言葉から、ニューヨーク市にある有名なスイーツ・ショップを思い出す。90年代に、巨大サイズのデザートを食べに現地の友人に連れられて訪れたのだが、店名が特異で発音が難しかったのでよく覚えている。ここは予期せぬ素敵なスイーツを提供して来店者をもてなしていた。
本展のサブタイトルは“日常のなかの予期せぬ素敵な発見”となっている。これは写真家が日常生活で素敵なシーンを発見したという意味のようだ。しかし、私は一見は統一性がないのように感じるものの、妙に全体のおさまりが絶妙な、本展の参加写真家や作品のセレクション、そしてイラスト化された本展の影の主役である子犬のマギーと小鳥のジョビンの存在にセレンディピティを感じた。

もちろん、子供だけでなくアマチュア写真家やコレクターなどの大人でも十分に楽しめる展示内容だ。貴重で市場で高価なヴィンテージ・プリントなどの展示はないが、見どころは満載。ちなみに、本展フライヤーに掲載されている白い猫の組写真は、アジアを代表する画家の奈良美智の作品になる。プリント・クオリティーも非常に高い。彼は、写真を「その時感じた気持ちを思い出すための「記憶の栞」」であり、「後でそれを見ながら自分の感性チェックをする」ためと語っている。(図録 P-109) 有名画家の感性に写真で触れることができる貴重な機会といえるだろう。

今回の斬新な展示方法の評価は人によってかなり分かれると思う。個人的には、日本の美術館ではあまり見られない、作品展示の方向性や学芸員のメッセージが明確に感じられる優れた企画の写真展だと評価したい。

写真展情報

展覧会レビュー
TOPコレクション
メメント・モリと写真
@東京都写真美術館

東京都写真美術館(TOP MUSEUM)は、約36000点にも及ぶ膨大な国内外の写真コレクションを誇っている。開館が写真の市場価格高騰前の90年代前半で、また当時の東京都の財政状況が良好で購入予算が豊富だったので、いまでは高額で購入が難しい作品を多数収蔵している。定期的に開催されるTOPコレクション展は優れた収蔵品を紹介する非常に質の高い展示になる。担当キュレーターの選んだ企画テーマによりコレクションを見せる方向性が決まってくる。
幅広い分野にまたがる作品をできるだけ自由に見せるには、大きなテーマを採用したほうが都合が良いだろう。今回のキーワードは「メメント・モリ」。死を思えということ。これは、人間はいつか死ぬという、すべての写真作品に当てはめ可能な、誰も文句が言えない大きなテーマとなる。今までのコレクション展では、テーマに引きずられて、多少無理のあるような作品や作家セレクションが見られた。今回の展示では、死を表現した作品が含まれるものの、膨大なコレクションから自由に有名写真家の珠玉の作品が紹介されている印象を持った。

今回の展示にはいくつかの見どころがある。
まず藤原新也(1944-)の「メメント・モリ」(情報センター出版局、1983年刊)からの12点の展示を上げたい。その中の1点となる、“ニンゲンは、犬に食われるほど自由だ、1973”は、1981年(昭和56年)12月4日号雑誌フォーカスに連載された「東京漂流」の第6回の掲載作品。編集部が掲載内容を変更したことで連載がその号で打ち切りになり、当時は大きな話題になった。その経緯は、「東京漂流」(情報センター出版局、1983年刊)に詳しく書かれている。

同作に込められていたのが、経済成長を続ける80年代日本のコマ―シャリズムやマスコミに対する写真家の違和感なのだ。「東京漂流」を読むと、それは生産の拡大と能率のために、無駄、邪魔と考えられる世界の構成要素を汚物畏敬として排除する性向を現代のコマーシャリズムは宿命として持っている、という藤原の認識だとわかる。コマ―シャリズムの発するメッセージは人間や事物の持つ明暗の「明」の部分のみを拡大し、生命や生存の全体像を欠落させている。「死の意味」に対する認識が希薄なのだ。藤原は「ニンゲンは、犬に食われるほど自由なんだ」というコピーと、ガンジス川で野犬が人に食いついている写真作品で「死の意味」をタブー化している日本社会に一撃を加えた。日本社会は、表層は自由な世の中のようだが、実際はここで取り上げられた「死の意味」以外にも様々なタブーが存在する。彼は、政治、大新聞、差別問題、天皇問題、コマ―シャル批判などが世間のタブーになっていることを指摘している。

40年以上経過した現在の日本でも、その状況はあまり変化していないのかもしれない。しかし、変化の兆しは地域の公共美術館による藤原新也の作品展示にあるのではないか。1944年生まれで、すでに1977年には第3回木村伊兵衛賞、81年に第23回毎日芸術賞を受賞している。美術館での大規模な回顧展が既に開催されていても全くおかしくない存在といえるだろう。今回の東京都写真美術館では、“ニンゲンは、犬に食われるほど自由だ、1973”を含む、「メメント・モリ」からの12点の展示。そして2022年9月10日からは北九州市立美術館で「祈りの軌跡 藤原新也展」が開催、11月には世田谷美術館に巡回する予定だ。80年代に藤原が感じた日本社会の違和感に共感する新しい世代が増加していると解釈したい。一連の美術館での作品展示が多様な価値観を持つ社会が訪れるきっかけになることを願いたい。

現代アメリカ写真の展示にも注目したい。ロバート・フランク(1924-2019)、ダイアン・アーバス(1923-1971)、リー・フリードランダー(1934-)などだ。彼らが表現しているのは、それ以前の雑誌「ライフ」のような、世界を記録するドキュメンタリー、そして「決定的瞬間」重視ではなく、写真家のパーソナルな視点で切り取られた普通の写真だ。そこにはマスコミが吹聴するアメリカンドリームの中に埋没している一般市民の日常生活が切り取られている。それは繁栄の裏にあるアメリカ社会のダークサイドであり、市民が抱くリアルな孤独や狂気なのだ。
ロバート・フランクは5点、ダイアン・アーバスは5点、リー・フリードランダーは6点を展示。
ダイアン・アーバスの“Identical twins, Roselle, N.J. 1966”は、彼女の没後の1972年にMoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催された回顧展のカタログ「Diane Arbus: An Aperture Monograph」の表紙作品。2018年にクリスティーズNYで開催されたオークションでは、アーバス本人が生前にプリントした極めて貴重な同作が73.2万ドル(@110円/約8052万円)で落札されている。展示作品は、本人によるプリントか、死後に制作されたエステートプリントかは不明だ。

ロバート・フランクの代表作“Trolley-New orleans, 1955”にも注目したい。本作は、1950年代のニューオーリンズに残るアメリカの人種隔離を提示した象徴的イメージ。フランクは、長期にわたる全米旅行で、大勢の人々が歩道に群がる賑やかなニューオーリンズのカナル・ストリートで通り過ぎるトローリーを撮影する。それは路面電車の乗客を囲むように窓が並んでいて、前方に白人、後方に黒人が乗っているイメージ。フランクは、ワークシャツを着た疲れた様子の黒人男性や、彼の目の前に座っている人種ごとに区分エリアを示す木製看板に手をかけている若い白人女性など、長方形の窓越しから外を見つめる個々の表情を捉えたのだ。1958年、フランクは「これらの写真で、私はアメリカの人々の断面を見せようと試みました。私が心がけたのは、それをシンプルに混乱なく表現することでした」と書いている。ニューオーリンズの路面電車とバスでは、1958年の裁判所の命令で人種差別撤廃が行われた。しかし1959年にアメリカで出版された写真集「The Americans」では、まだ差別が残っている事実を意識して、表紙にはあえて本作が採用している。アメリカにおける人種的正義のための継続的な戦いでは、本作のような写真の力が極めて重要な役割を果たしてきたのだ。
ちなみに、本作のヴィンテージ・プリントは、2021年4月フィリップスNYのオークションに出品されている。落札予想価格15万~25万ドルのところ40.32万ドル(@110円/約4435万円)で落札された。今回の展示作品のプリント年は不明。

そしてニューカラーの先駆者ウィリアム・エグルストン(1939-)の作品も必見だろう。エグルストン作品は米国南部の色彩豊かな情景をカラーとシャープ・フォーカスで表現しているのが特徴。画家エドワード・ホッパーの描いた風景画や、スーパー・リアリズムの絵画作品と対比して語られることも多い20世紀を代表する人気写真家。70年代のファインアート写真はモノクロが主流でカラーは広告分野での利用が中心だった。エグルストンは大判カメラと染料を転写してカラー画像を作り出すダイ・トランスファーという手法を使用して、レンズは絞りこんで、当時に流行していたスーパー・リアリズム絵画のようなカラー作品を制作した。1976年にニューヨーク近代美術館で開催された展覧会で華々しくデビューする。写真史では、同展が本格的カラー写真時代の到来のきっかけだとしている。エグルストンが好んで撮影したのは、出身地であるアメリカ南部の色彩豊かな何気ない日常生活や風景などだった。それはアメリカ人が無意識に持っているアメリカ原風景と重なるのだ。カラーを取り入れたことで、モノクロでは難しかった被写体表面の質感や色彩のコントラストの表現を可能にした。
本展では、高価なダイ・トランスファー・プリントによる6点を展示している。

同展では、ハンス・ホルバイン(子)、マリオ・ジャコメッリ、ロバート・キャパ、澤田教一、セバスチャン・サルガド、ウォーカー・エヴァンズ、W. ユージン・スミス、牛腸茂雄、荒木経惟、ウジェーヌ・アジェ、ヨゼフ・スデック、小島一郎、東松照明など、19世紀から現代を代表する写真約150点を4つのセクションで展示している。これだけの優れた多分野に渡る歴史的写真作品が一度に鑑賞できる機会は世界的にも珍しい。私はニューヨークで大手業者により開催される「Photographs」オークションに先立ち行われる、出品作品すべてを紹介する作品プレビュー会場のシーンを思い出した。ファインアート写真のコレクションに興味ある人、アーティストを目指す人、アマチュア写真家には必見の展覧会だ。

開催情報
TOPコレクション メメント・モリと写真 -死は何を照らし出すのか-
東京都写真美術館(恵比寿)
6月17日(金)~9月25日(日)
http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4278.html

「テリ・ワイフェンバック/
Saitama Notes」  
@さいたま国際芸術祭2020

「さいたま国際芸術祭2020」は、今春に開催予定だったが新型コロナウイルスの感染拡大を受け延期になっていた。このたびウィズコロナ時代に対応したオンラインとオンサイト2つの作品鑑賞スタイルを採用し、感染予防のために完全予約制(日時指定)により開催が決定した。私どもの取り扱い作家テリ・ワイフェンバックの「Saitama Notes」シリーズもメイン会場の旧大宮区役所での展示がついに実現した。
今回のディレクターは映画監督の遠山昇司氏。彼はもともとワイフェンバック作品を写真集で見ていて、彼女の世界観を気に入っていたとのこと。彼が掲げたテーマは「花/flower」で、ぜひ彼女に埼玉の自然と花(特に桜)を撮って欲しい、という熱い希望により今回のプロジェクトは実現した。

テリ・ワイフェンバックとディレクター遠山昇司氏、2019年3月28日県庁にて

ワイフェンバックは2019年春に来日して浦和市に滞在。約2週間にわたり埼玉県各地を回り、見沼田んぼ周辺、見沼自然公園、名もなき小道などを積極的に散策して、桜の花などを含む自然風景を撮影した。
彼女の作品スタイルは日本の埼玉でも不変だ。誰も見たことのないような同地域の自然風景が作品化されている。撮影はソニーのα7Rシリーズで行われ、インクジェットプリントで出力後にアルミ複合板にマウント加工して、様々なサイズの約37点の作品が展示されている。
テストプリントを彼女の住むパリに何度も送り、スカイプを利用して色校正の指示を受けて手直しを行い、最終の展示作品を日本でプリント制作した。日本の業者は特に大きなサイズのプリントの場合、色を濃い目に調整しがちだ。彼女からは、多くのテストプリントの濃度が濃すぎると指摘された。
彼女の初期写真集の印刷は色彩が濃い目にプリントされている。それが意図的と勘違いする人もいるが、実際のオリジナルプリントはもっと色彩が抑えられているのだ。写真集とオリジナルプリントは全くの別物だと理解していると彼女は語っている。

会場の旧大宮区役所では、昭和の残り香が残る、やや廃墟然とした会場のたたずまいを、作品一部に取り込んで表現しているアーティストが多かった。しかしテリ・ワイフェンバックのスペースだけは壁面と照明がほぼ美術館同様に設営されている。主催者の作家への高いリスペクトを感じた。展示会場の一部には窓部分があり、外光を取り入れる会場の設計になっている。これは当初開催が予定されていた3月~4月にかけては、窓越しに桜並木が見られることによって企画された。窓越しの桜と、ワイフェンバックの大判の桜の作品のコレボレーション的な効果を考えたアイデアだった。 会期が秋になってしまい、残念ながら本物の桜との夢のコラボは実現しなかった。

2019年春の撮影直後には、彼女は埼玉の作品は2002年のイタリアで撮影された写真集「Lana」の延長線上にあると感じると語っていた。光の具合と空気の湿り気はイタリアと埼玉ではかなり違う。しかし展示作品のベースとなる画像をパソコン画像上で順番に見ていくと「Lana」と同じような印象の作品が多いと感じた。しかし、実際の展示を見た印象は予想とかなり違っていた。大きなサイズの、やや抽象的な作品を組で見せたり、咲いて散っていく桜の作品を並べて時間の流れとともに見せたり、つぼみの芽吹きや花が咲いていく過程を連作で提示し自然のダイナミックな動きを可視化し、壁面ごとに見せ方を工夫したかなりリズミカルな展示になっている。会場のレイアウトもすべてワイフェンバックのディレクション。これはアナログ時代には制作できなかった大判サイズの作品制作がデジタル技術の進歩により可能になったのだと思う。

彼女は写真のデジタル化により、鳥のような動きの速い被写体や、また光が弱い時間帯での撮影が可能になり、また抽象的作品の制作がより容易になった。同時にプリント作品制作と展示においてもより自由な表現が可能になったのだ。アナログ時代の彼女の展示では、大きめのタイプCプリントで制作された作品は整然とフレームに入れられて並べられていた。アーティストは自分のシャッターを押した時の感動を写真展でできるだけ忠実に再現したいと考える。しかし、アナログ時代はプリントサイズなどに限界があり、ある程度の妥協が求められたのだろう。

デジタル時代になり、IZU PHOTO MUSEUMで開催された「The May Sun」展あたりから、彼女は表現の一部として自由に空間を演出するようになった。今回は本人不在にもかかわらず、彼女の意図がほぼ正確に反映された展示になっていると思う。会場設営の実務を的確に行った実行委員会のチームがとても良い仕事をしたと評価したい。

本展では、アーティストの感動から生み出された自然風景の作品が、どのように解釈されて実際の展示に落とし込まれるかが見事に例示されている。展示自体も本展の見どころになっている。風景で作品を制作している写真家は必見だろう。今回の写真作品は、特徴がないと見逃されていた埼玉の自然風景が、多くのアマチュア写真家に再発見されるきっかけになるのは間違いないだろう。私は主催者に、絶対にテリ・ワイフェンバックの撮影した場所を地図化して一般に公表すべきだと提案したくらいだ。北海道にはマイケル・ケンナが写真撮影したということでアマチュア写真家の聖地となった洞爺湖畔などの地がある。埼玉にもテリ・ワイフェンバックが撮影したことで有名になる場所がいくつも生まれるのではないだろうか。彼女の写真を見たことで、個人的にも見沼自然公園とその周辺には行ってみようと考えている。

最近のワイフェンバックは、日本でのプロジェクトが続いている。2015年に静岡、奈良、そして2019年に埼玉を撮影している。特に、2015年に伊豆三島に長期間滞在して撮影された「The May Sun」は、彼女のライフワーク的な風景作品に重要な意味をもたらすことになる。彼女は場所の持つ気配を感じ取って写真表現するのを得意とする。2005年には、オランダ北東部のフローニンゲン(Groningen)で行われた「Hidden Sites」プロジェクトに参加。時代の変遷により歴史から消えた場所(Hidden Sites)の気配を写真作品で新たに蘇らせている。伊豆三島では、歴史を大きく遡って古の日本人が伊豆の山河に感じた神々しさ、言い変えると八百万の神を意識し、自然に美を見出す「優美」の表現に挑戦している。西欧人作家による日本の伝統的な美意識への気付きは極めて重要だ。同作は視点を変えると、自然を神の創造物ととらえ、人間が支配管理するという近代西洋の考え方の限界を提示しているとも解釈できる。初期作から続く日常の自然風景の作品は、日本の自然美が加わったことで、いま世界的に広がっている地球の温暖化対策や環境保護という大きなテーマにつながったのだ。
今回も全く同じスタンスで埼玉を撮影している。一貫した大きなテーマは不変で、その延長線上として埼玉の春の美しい自然風景を紡ぎだしたのが今回の展示なのだ。IZU PHOTO MUSEUMでの「The May Sun」の作品展示を見た人なら、会場に足を踏み入れた瞬間にその意味が直感的に理解できるのではないだろうか。
会期は11月15日まで、週末はあと2回だけ。ぜひお見逃しなく!

「さいたま国際芸術祭2020 (花 / flower)」
「テリ・ワイフェンバック/Saitama Notes)」
開催期間:2020年10月17日(土)- 11月15日(日)/完全予約制(日時指定)
会場:メインサイト 旧大宮区役所2階

公式サイト

予約サイト

展覧会レビュー
ニューヨークが生んだ伝説の写真家
永遠のソール・ライター
@Bunkamuraザ・ミュージアム(渋谷)

渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで、「ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター」展が開催中だ。
ソール・ライター(1923-2013)は、長きにわたりモノクロ中心だった写真の抽象美を、すでに40年代からカラーにより表現していた写真家として知られている。彼は元々抽象絵画の画家で、色彩感覚が優れていた。カラーは広告やアマチュアが使用するものだと思われていた時代に、写真での抽象表現の可能性に挑戦したと思われる。また日本美術にも造詣があり、浮世絵の構図にも多大な影響を受けている。画面で被写体を中心に置いてフォーカスするのではなく、見る側の視点の動きを取り入れたような映画的なヴィジュアルも特徴だ。
2017年に同ミュージアムで開催され(その後国内各地を巡回)「ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展」は、観客数約8万人を動員したという。彼の色彩豊かでグラフィカルなカラー作品は、写真を叙情的に捉えがちな日本の観客の感性との相性が良かったのだ。

ソール・ライター 《帽子》 1960年頃、発色現像方式印画 ⒸSaul Leiter Foundation
ソール・ライター 《バス》 2004年頃、発色現像方式印画 ⒸSaul Leiter Foundation
ソール・ライター 《赤い傘》 1958年頃、発色現像方式印画 ⒸSaul Leiter Foundation

ソール・ライターは89歳で亡くなっている。死後に約8万点にも及ぶ未発表のカラー写真、モノクロ写真、カラースライドなどが残されていた。2014年、彼の自宅兼アトリエにソール・ライター財団が設立され、それらの発掘調査を現在進行形で行っている。

今回の続編となる大規模展覧会は、モノクロ、カラー、ファッションなどの代表作を展示する「PartⅠソール・ライターの世界」と、「PartⅡソール・ライターを探して」の2部で構成されている。
見どころは第2部で、いままでの財団による調査結果の披露を目的とする、未発表作中心の展示内容になっている。それらは、セルフポートレート、デボラ(ライターの妹)、絵画、ソームズ(ライターのパートナー)、写真撮影時の創作の背景が垣間見えるコンタクトシート、ソール・ライター自らがプリントした名刺サイズの複数の写真をコラージュのように組み合わせた「スニペット(Snippets)」などのセクションで構成されている。


さらに2018年に開始された アーカイヴのデータベース化プロジェクトにより 、新発見のスライドによる初公開のプロジェクションも含まれる。また会場内にソール・ライターが長年住んだ、 ニューヨークのイースト・ヴィレッジの仕事場一部も再現されている。

1月9日には、ソール・ライター財団創設者でディレクターのマーギット・アープ氏とマイケル・バリーロ氏による記念講演会が開催された。マーギット・アープ氏は、もともとニューヨークのハワード・グリンバーグ・ギャラリーに勤めていた。1997年に同ギャラリーで開催されたカラー写真によるソール・ライター展以来、彼のアシスタント的な仕事を行っていた。彼の死後には財団立ち上げに関わっている。

講演では、ソール・ライター財団のミッションと今までの仕事の成果の解説が行われた。その主要目標は、残されたプリント、スライド、ネガ、絵画などのすべての作品の完全カタログ化。最終的にカタログ・レゾネ(総作品目録)を完成させ、ソール・ライターの仕事の全貌を、アート研究者、作家、キュレーター、学生に明かにしたいとのことだ。

まず実際に仕事を共に行っていたアープ氏からソール・ライターのキャラクターが語られた。洞察力があり、おかしく愛らしい、スマート、自分の意見を持っている、写真家というより基本は画家、アート史の深い知識を持つ、好奇心のかたまり、ただし仕事場はカオス状態(モノの定位置は決まっていた)という、印象が語られた。
また新しいテクノロジー好きで、早い段階からデジカメを使用していたという。本展ではキャリア初期に撮影されたカラー作品とともに、2000年代に撮影されたデジタル作品が同じ壁面に展示されている。両作のカラーのトーンが見事に揃っているので、見逃してしまいがちだ。写真撮影に興味ある人はキャプションを注意深く確認して見比べてほしい。展示作品は「発色現像方式印画(Chromogenic print)」と記載されているが、いわゆる、デジタル・タイプC・プリント。画像はヴィンテージ・プリントを目標にデータ作りが行われている印象だ。

続いてキャリアの説明が行われた。いまや広く知れ渡っているので簡単に触れておこう。詳しくは、展覧会ウェブサイトのなかの「ソール・ライターのこと」で、企画協力の㈱コンタクトの佐藤正子氏が書いているので参照してほしい。

ソール・ライターは、1923年にピッツバークのユダヤ教の聖職者の家庭に生まれた。両親は彼が宗教家の道を進むことを望んだという。16歳で絵画をはじめ、独学で美術史を徹底的に学んでいく。その後、親の意向に反して画家を目指してニューヨークに行き、抽象表現画家のリチャード・プセット・ダートとの出会いがきっかけで写真に興味を持つ。ウィリアム・ユージン・スミス(1918-1978)にカメラをもらい、ニューヨークのストリートで写真を撮り始めている。
強調されたのは、彼は基本的に画家であり、それを意識して写真も見てほしいとのこと。ソール・ライターは、そのキャリアを通して写真と絵画の両分野で表現を行っていたのが特徴だ。それは生活のためにファッションや商業写真の仕事を行っていた時期も変わらなかった。50年代後半から80年代はじめまで、彼はファッション写真家として、ハーパース・バザーやエスクアィアなどの雑誌の仕事で活躍し、経済的に比較的安定した生活を送っている。ストリートの写真と同じスタンスで野外でのファッション撮影を好んだ。野外で起こる様々な偶然性が写真にリアリティーを与えると考えていた。
ファッション写真は、自己表現を追求したい写真家と服の情報を最大限に強調したいクライエントやエディターとのせめぎあいの歴史だ。50~60年代ごろのファッション写真には、写真家に比較的多くの自由裁量が与えられた。しかし70年代以降は消費社会の拡大に伴い、クライエントやエディターの撮影への要求や指示がどんどん強くなっていく。この時期には、ファッション分野での写真によるアート表現の可能性に限界を感じて活動を休止した多く人が多くいた。リリアン・バスマンの夫のポール・ヒメール、ルイス・ファー、ギイ・ブルダン、ブライアン・ダフィーなどだ。ソール・ライターも絶望した写真家の一人だった。1981年、彼の我慢は限界に達し、5番街156番地にあった写真スタジオを突然閉鎖してしまう。その後、彼は隠遁生活に入り経済的に厳しい時期を過ごすことになる。
そして80歳を超えてから写真集「Early Color」が刊行。一気にそれまでの仕事が再評価されて人生が急展開するのだ。その後、世界中の美術館やギャラリーで数多くの写真展が開催されるようになる。バリーロ氏は、彼の亡くなるまでの最後の7年間は最も幸せな時期だっただろうと語っている。

続いて、アープ氏とバリーロ氏から以下のような最近までの発掘作業の成果が展覧会の見どころとして紹介された。

ソール・ライター財団ディレクターのマーギット・アープ氏(左)とマイケル・バリーロ氏(右)による記念講演会

・初期写真
ソール・ライターは1930年代、10代の時に母親にデトローラ社製のカメラを買ってもらいモノクロ写真の撮影を開始。母親は、写真が子供のその後の一生を変えてしまうとは思いもよらなかっただろう。財団の調査により今まであまり知られていいなかった、10代の「初期家族写真」が発見されている。主に2才違いの妹のデボラを被写体にしている。デボラは、ライターの撮影での数々の試行錯誤に協力している様子が見て取れる。また、大胆かつグラフィカルな構図やモデルの動作を写真で表現するアプローチなど、彼のその後の特徴的な写真の原点といえる作品も発見されている。絵画や写真など、デボラ関係は約100点が発見されている。本展ではそのうち23点が「デボラ」のパートで紹介されている。

・スニペット(Snippets)

ライターは名刺サイズのモノクロ写真を偏愛していたという。被写体になっているのは、家族、パートナー、友人の女性たち。プリントされた膨大な数の写真は手で破られ、またコラージュのように一つの塊としてがガラスケースの中に展示されている。自らの親しい人間関係を写真によって可視化した作品だと解釈できるだろう。アープ氏は大きな展覧会の中のミニ写真展という説明をしていた。

・コンタクトシート
今回初公開となる、彼の一連の写真撮影の流儀を垣間見ることができる作品。質疑応答時間に質問があったが、撮影時のショット数に関しては特に特徴はないとのこと。2~3ショットのこともあったが、かなりの枚数のショットの場合もあったそうだ。アナログ時代から、成功した写真は撮影時に既に認識していたということ。

・ヌード作品の発見
彼はファッション写真家として活躍する以前から、親しい女性たちのパーソナルなヌードとポートレートを撮影していた。死後にモノクロ作品約3000点見つかっている。それらは、モデルとアイデアを出し合って制作された一種のコラボ作品だと評価できるという。その中でも主要な被写体は長年にわたりパートナーだったソームズ・パントリーだった。彼女は様々な役を演じ、二人は様々な実験を行っている。本展ではソームズ・パントリーのセクションで、ストリートでのカラー/モノクロ写真やインクによる絵画など約34点が展示されている。ヌード作品は、70年代に編集者ヘンリー・ウルフにより写真集化の企画があったものの実現しなかった。2018年に、Steidl社から「In My Room」として刊行されている。

・ペインテッド・ヌード
アクリル絵の具で着色されたヌード作品も1000点以上が発見された。抽象的な絵画のような趣で、それらは本の中で発見、ブックマークとして使用されていた。

・スケッチブック

財団の人たちは「Daily meditation(毎日の瞑想)」と呼んでいる。生前のソール・ライターはそれらを最高作だと語っていた。

・カラースライド

4~6万枚のスライドが発見された。ソール・ライターは自宅で友人たちの前でスライドショーを行って作品を見せることがあったそうだ。調査およびデータベース化は現在進行形で行われている。それらの中には、例えば写真集「Early Color」表紙作品「Through Boards, 1957」の前後に撮影されたと思われるバリエーション・ショットも見つかっている。多くが初公開作品となるスライド作品のプロジェクションは本展の見どころのひとつだ。参考ヴィジュアルとして、アパート周辺のストリートシーンとアトリエのインテリア画像も同時に紹介されている。

・写真集「Early Color」の制作経緯
これは質疑応答の中で語られた。表紙作品「Through Boards, 1957」は最初から、ライターの希望で決定していた。その他の収録作品のセレクションは、すべて写真史家のマーティン・ハリソン氏が行い、ライターは全く注文を付けなかった。1997年のハワード・グリンバーグ・ギャラリーで開催されたカラー写真によるソール・ライター展以来、出版社を探し続けたとのこと。最初に決まっていたニューヨークの出版社は倒産、次に手を挙げたロンドンの出版社も動きが非常に鈍かったという。結局、ドイツのSteidl社から2006年に「Early Color」として刊行された。アープ氏は、カラー写真を取り巻く環境変化が出版につながったと分析している。90年代後半のアート写真はソール・ライター以外はすべてモノクロだったという。その後、ドイツのデュセルドルフ・クンスト・アカデミーでベッヒャー夫妻に学んだアーティストたちが登場。2000年代になってから絵画のような大判作品を制作する、アンドレアス・グルスキー、トーマス・ルフ、トーマス・シュトルートなどが活躍して、カラー写真のアート性が本格的に注目されるようになるのだ。その流れで、写真史におけるシリアス・カラー作品の本格的な再評価が開始された。


本展カタログ掲載のエッセーで、財団の二人は「私はシンプルに世界を見ている。それは、尽きせぬ喜びの源だ」というソール・ライターの言葉を締めくくりに引用している。またソール・ライターは「仕事の価値を認めて欲しくなかった訳ではないが、私は有名になる欲求に一度も屈したことがない」(”ソール・ライターのすべて”(2017年、青幻舎刊)211ページ)、別のインタビューでは「無視されることは、大きな特権です」とも語っている。今回のアーブ氏の話から、彼は写真史での正当な評価が受けられず、また金銭的に恵まれなかった時期でも、自分のために真摯に創作を継続していた事実が伝わってきた。他の多くの同じ環境の写真家のように、絶望し自暴自棄に陥ったり、周りの人に悪態をつくことはなかったようだ。ライターの関係資料には、彼が禅的な思想をもって生きていたと書かれている。たぶん浮世絵などの日本文化を研究するとともに、アメリカ社会に禅思想を広めた鈴木俊隆の「禅マインド ビギナーズ・マインド」(オリジナル版1979年刊)などを愛読して心の支えにしていたのではないだろうか。海外の宗教では、時間は過去、現在、未来と継続していて、将来に天国に行くことを目指して現在を生きるという考えがある。ライターは厳格な宗教家の家庭に生まれている。彼はそのような考え方を不自由さを感じ、強い違和感を感じていたと想像できる。写真を撮る行為、絵を描く行為は、「いまに生きる」つまり座禅のような精神を安定させる行為だったではないか。
ソール・ライターは、写真や絵画などを、評価を受けるために人に見せたりしなかった。また作品制作の意図や目的もいっさい語らなかったという。彼は今に生きる行為としてひたすら自己表現を行ってきたのだ。わたしは、資本主義の中心地である米国ニューヨークでの、このようなアーティストとしての生き方の実践自体がソール・ライター作品のメッセージだと理解している。そして結果的に、彼は多くの人たちに愛されながら幸せな人生を送ったのだ。
ソール・ライター財団の二人は、本展と講演で、そのような彼の生きざまの的確かつ丁寧な提示を心がけていると感じた。

ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター
Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷)
公式ページ

以下もご覧ください(当ブログの過去の関連記事)

2017年6月 写真展レビュー ソール・ライター展  Bunkamura ザ・ミュージアム

2018年4月 ソール・ライター 見立ての積み重ねで評価された写真家(1)

2018年5月 ソール・ライター 見立ての積み重ねで評価された写真家(2)

2018年6月 ソール・ライター 見立ての積み重ねで評価された写真家(3)

展覧会レビュー 「至近距離の宇宙」
日本の新進作家vol.16
@東京都写真美術館

本展タイトルのサブタイトルは「日本の新進作家vol.16」となっている。しかしその意味合いは、例えば朝日新聞社主催の「木村伊兵衛賞」などの新人写真賞とは違う。昨年の同展レビューでも書いたが、本展は東京都写真美術館の担当キュレーターが提示する、現代社会が反映されたテーマとコンセプトがあり、現在活躍中で将来性が期待される写真家がいままでに制作した作品シリーズの中から、合致したものがセレクションされている。写真家の6人による個展の集合体ではなく、全体の展示でキュレーターのパーソナルな視点が提示される複数写真家による企画展となる。毎年違うキュレーターにより様々な視点により企画されていることから、今回16回目となる継続される展示の流れを通して、現代日本における将来性が期待される写真家が提示されている。

現在は価値観が多様化した時代だといわれている。どのような新人の紹介でも、写真家を選ぶキュレーター、評論家、ギャラリスト、写真家の価値基準が多くの人に共感されることはないだろう。このような状況から、古から続く写真賞への関心が極めて低くなっている。個人的には、その存在意義がいま問われていると考えている。それゆえ東京都写真美術館の、複数のキュレーターによる継続的な企画で新人写真家の多様性をカバーするのも一つの可能性だと思う。しかし本展だけを単体で見る観客は、写真家セレクションの規準がわかり難いと感じるかもしれない。

今回の展覧会タイトルは「至近距離の宇宙」。図録の冒頭にはヘルマン・ヘッセの「クルルプ」から「人間はめいめい自分の魂を持っている。それを他と混ぜ合わせることができない。(以下略)」が引用されている。キュレーターの武内厚子氏は同展カタログで、「一般的に世の中では、家を出ないこと。遠くに行かないこと、広い世界を見ようとしないことは否定的に受け取られ、様々な国々へでかける活動的なことは肯定的にとらえられる傾向があります。その一方、近年では、インターネットで世界の隅々の風景を見ることができ、世界中のものを出かけることなく手に入れることができるほか、VTRやホームシアターなどによって家にいながらリアルな臨場感や没入感を持って映像体験ができるなど、どこかに行かずとも何でもできることを、グローバル化とともに人々は積極的に受容しています。本展では、はるか遠い世界に行くのではなく、ごく短なみのまわりに深遠な宇宙を見出し作品を制作する6名の作家を紹介します。」と開催趣旨を表している。

参加しているのは30~40歳代の6名。
相川 勝(1978-)は、写真撮影は行わず、プロジェクターやタブレット端末の画面の光を光源に写真を制作。AIがランダムに作り出し架空の人物のポートレート64枚などを展示。
井上佐由紀(1974-)は、生まればかりの新生児の瞳を撮影している。
斎藤陽道(1983-)は、暮らしの中で身の回りに起きていることや、見知った人々のスナップを壁面全体で展示。展覧会チラシにも写真が採用されている。
濱田祐史(1979-)は、アルミ箔で制作した架空の山、東京湾の海水と手作り印画紙を用いてフォトグラム作品を展示。
藤安 淳(1981-)は、双子を被写体に撮影・2枚一組だが、1枚のみの展示もある。
八木良太(1980-)は、様々なオブジェの立体作品を制作している。パンチングメタルという工業製品に使われる素材による円形の作品”Resonance of Perspective”、色覚検査表を使った作品”On the Retina”などを展示。
発色現像方式印画(Chromogenic Print)、ゼラチン・シルバー・プリント(Gelatin Silver Print)、単塩紙(Salted paper print)などで、様々な支持体に写真がプリントされており、まさに現在の写真表現が多様化している状況が提示されている。

ごく身近の身の回りに意識を向けている写真家を紹介するのは、狭いフレーミング内にとらわれ、それがすべての世界のように思いこんで閉じこもり、あまり行動しない現代人を表しているのだろう。これは非常に興味深い試みだ。一般にアーティストは、これとは逆に、思い込みにとらわれている一般の人に彼らが気付かないような斬新な視点を行動することで見つけ出し、作品提示を通して見る側が客観視するきっかけを提供する人だと考えられているからだ。
現代日本では、多くの写真家は自らの内面を志向しその先に新たな表現の可能性を探求している傾向が強いという見立てだと思われる。私も仕事柄、多くの写真家の作品を見る機会があるが、共感できるところが大いにある。
見る側がそのような作品に共感できるかは、写真家がどれだけ大きな感動を持って内面を深堀して作品制作に向かっているかによるだろう。それができていれば、方向がどちらを向いていても、結果的に作品制作の継続に繋がっていくと思われる。社会で作品が広く認知されるには普通に何10年という長い時間がかかる。表現者の創作のきっかけとなる感動が弱いとなかなか活動継続はできないのだ。その場合、どうしても自己満足の追求と押し付け、もしくは撮影の方法論が目的化している作品だとの指摘が出てくるリスクがある。彼らの本当に評価は今後の活動にかかっているといえるだろう。このように未来の活躍の可能性を見据えて新人に展示の機会を与えるのは美術館の重要な役割だと考える。

「至近距離の宇宙」日本の新進作家 vol. 16
東京都写真美術館(恵比寿)

写真展レビュー
「山沢栄子 / 私の現代」
@東京都写真美術館

山沢栄子(1899-1995)は、日本における女性写真家のパイオニア的な存在として知られている。戦前のアメリカで写真を学び、1930年代からスタジオを開設して主にポートレート写真分野で活躍し、キャリア後半には写真作家に転じている。

本展は彼女の生誕120年を記念して行われる大規模な展覧会で、現存する70~80年代の代表作を中心に、約140点を全4章で紹介。
第1章「私の現代」では、1986年の個展に展示された、彼女が「抽象写真」と呼んでいたモノクロ・カラーの長辺が最大100cmにもなる大作28点を展示。シルバーのフレームも当時に特注されたものとのこと。
第2章「遠近」では、1962年に刊行された同名写真集に収録された1943年~1962年までに撮影された77点を紹介。モノクロ、カラー、抽象写真が含まれ、ニューヨークでのドキュメントから静物など、山沢の興味の対象の流れがみてとれる。すでにプリントやフィルムが現存していないことから写真集のページを額装して展示している。
第3章「山沢栄子とアメリカ」では、山沢に大きな影響を与えた20世紀前半のアメリカ写真の代表作を、同館のTOPコレクションから紹介している。
第4章「写真家 山沢栄子」では、「私の現代」、「遠近」以前の、仕事を、「ポートレート」、「疎開中の写真」、「商業写真」の3部構成で紹介している。

山沢栄子は、2014年に開催された「フジフィルム・フォトコレクション展 (日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」)」でも「What I Am Doing No.24, 1982」が選出されている。私は抽象的な写真を研究しており、縁があってカタログのテキスト執筆を担当している。

数多くの古本屋を回って、「遠近」を含む4冊の写真集を執筆用資料として収集した。当時は、彼女の存在を知る人は非常に少なく、写真集探しは困難を極めたことを記憶している。作品解説では、写真という狭いカテゴリーの中でのアート性追求にとどまらず、「写真としてのアート」の幅広い可能性にいち早く挑戦している、と書いている。

さて山沢の写真を写真史/アート史のどの流れで評価可能かを考えてみよう。写真集「遠近」の収録作品には、アーロン・シスキン、ラルフ・スタイナー、エルスワーズ・ケリ―のような、自然世界の抽象性に注目した写真作品が散見される。これらは多くの表現者が行ったように、彼女も写真による絵画表現の可能性を考えた痕跡だと考える。しかし、彼女はドキュメント写真の視点で、フォルムを優先させた抽象的作品制作の追求は行わなかった。様々な、フォルムや色彩のオブジェを用いて被写体自体を作り上げて撮影する方向へと進んでいく。
山沢の写真をコンストラクテッド・フォトもしくはステージド・フォトの流れで評価が可能だと思いついた人は多いと思う。コンストラクテッド・フォトは、写真の客観的な記録性への信頼が崩壊していった1980年代にアメリカではじまった撮影に作り込む美術的要素を合体させた新分野の写真表現だ。
ちなみに写真家バーバラ・カステンが1987年に山沢のインタビューを行っている。会場内で映像が紹介されており、生前の彼女の姿を見ることができる。実はカステン自身もこのコンストラクテッド・フォト分野の代表作家だった。ちなみに同展カタログでは、キュレーターの鈴木佳子が同じく同分野の代表者ジャン・グルーヴァ―が山沢と類似する作品を制作していると指摘している。

その後、コンストラクテッド・フォトの多くの表現者たちは制作する行為自体にアート性を見出そうとする。いわゆる方法論が目的化されるようになったのだ。山沢が呼んだ「抽象写真」自体も、抽象的な雰囲気の写真を制作する行為が目的化されていると解釈される可能性はあるだろう。写真集「私の現代3」に掲載されている、京都大学教授 乾 由明のエッセーでも、「フォルムと色彩の抽象的なイメージを追求すれば、写真は余りにも絵画的な表現におちいる危険を孕んでいる。それは写真からそのメディアの固有性を失わせ、安易に現実によりかかかった芸術性に乏しい写真とは逆の意味で、写真を絵画の領域に従属する、堕落した状態に置くことになる」と指摘している。
しかし彼女の作品のアート性をこの方面から論ずるのはあまり意味がないのではないか。私は、彼女がいま再評価されているのはその生き方自体によると考えている。山沢は、明治、大正、昭和という男性優位の考えが残る時代の日本において、商業写真家、作家とし社会で自立した女性のキャリアを追求した。それを実践した彼女の人生/生き方そのものが大きな作品テーマなのだと理解し評価すべきだろう。

同展のもう一つの見どころは第3章「山沢栄子とアメリカ」で紹介されているTOPコレクション。まさに、20世紀前半のアメリカの写真史をコンパクトに紹介する教科書的な展示内容だ。アルフレッド・スティーグリッツ、ポール・ストランドなどの写真雑誌「カメラ・ワーク」に収録されたフォトグラビア作品、イモジェン・カニンガム、エドワード・ウェストン、アンセル・アダムス、ポール・アウターブリッジ・ジュニアなどの珠玉の作品も何気なく展示されている。ポール・アウターブリッジ・ジュニア(プラチナ・プリント)は小さなサイズで見過ごしがちだが、おそらく極めて貴重かつ高価なヴィンテージ・プリントだと思われる。
ファッション写真ファンは、ヴォーグ誌で活躍したジョン・ローリングスやセシル・ビートンの戦前の作品も見逃さないように。なんと山沢はジョン・ローリングスのポートレートも撮影している。

アート写真コレクションに興味ある人は、珠玉の20世紀写真が展示されたこのセクションは時間をかけて鑑賞してほしい。それぞれのプリントの質感を、近くからじっくりと味わいたい。

「山沢栄子 私の現代」
2020年1月26日まで開催
東京都写真美術館 3階展示室

イメージの洞窟 意識の源を探る
@東京都写真美術館

「イメージの洞窟 意識の源を探る」という、興味がそそられるタイトルがつけられたグループ展が東京都写真美術館で開催中だ。本展のキュレーションは、人間の意識の形成を視覚と関連付けて、テーマとして取り扱おうとする試みだと思われる。しかし、このイメージや意識の形成は、極めて学術的に専門的な大きなテーマである。畑が違うアートの感覚的な視点からの掘り下げは簡単ではないと思われる。実際のところ、来場者が持つこの分野の情報や知識量にはかなりばらつきがある。多くの人がリアリティーを感じるテーマの提示は実際的ではないだろう。しかし、大きなテーマに対しては誰もが納得するしかない。美術館は何らかの切口での作品展示を実施する必要がある、たぶん今回のテーマ提示も確信犯でのことだろう。理想的には、複数のアーティストによる踏み込んだ関連テーマの掘り下げが同時に必要だ。しかし日本では写真でのアート表現が表層的になりがちなので、候補アーティスト探しは難航すると思われる。

たぶん本展の中心コンセプトは写真表現最先端での制作アプローチの独創性と多様性の提示だと思われる。東京都写真美術館は、「写真」表現を見せる美術館であることから当然の流れといえるだろう。
展示作品は、オサム・ジェームス・中川の分割して撮影したファイルを継ぎ合わせて制作された高精細インクジェット・プリント。和紙に出力され、墨、酸化鉄がくわえられた巨大オブジェ作品。これなどは、表面の釉薬の焼き上がりの偶然性を愛でる陶芸に近い感覚だと感じた。
北野謙の新生児をモデルにした巨大なカラーのフォトグラム作品。
ゲルハルト・リヒターの写真に油彩やエナメル塗料が塗られた作品。
この3人のほかには、会場入り口に志賀理江子が1点、
フィオナ・タンが約9分30秒のビデオ作品で参加している。
特別展示としてジャン・ハ―シェルによるカメラ・ルシーダを用いて描かれたドローイング作品も鑑賞できる。これは、1839年に写真技術が発表される約20年前に制作された貴重作品となる。カメラ・ルシーダとは、プリズムを通して画用紙に目の前の風景を映す光学機器のこと。写真表現の原点を提示することで、その後の多様化していった表現方法を際立たせる意図があるのだろう。見事なセレクションだと思う。

本展の見どころは、ドイツを代表する現代アート・アーティストのゲルハルト・リヒター作品にあるだろう。世界のアート市場で高い価値が認められている別格のアーティストだ。彼は抽象絵画が有名だが、キャリア初期からフォト・ペインティングという写真をキャンパスに描き出す手法により、写真を絵画作品に取り込んでいる。リヒターの作品表現は幅広く、フォト・ペインティング、抽象絵画以外にも、風景画、海景、ポートレート、カラーチャート、グレイ・ペインティング、ミラー・ペインティング、彫刻、ドローイング、写真などがある。2002年にはニューヨーク近代美術館で、2011年にはロンドンのテート・モダンで回顧展が、2005年には日本初の回顧展が金沢21世紀美術館、川村記念美術館で開催されている。
作品はアート・オークションで高額で取引されている。ちなみに巨大な抽象絵画作品「Abstraktes Bild (1986年)」は、2015年2月10日のササビーズ・ロンドンで、約30.4百万ポンド(当時の為替レート/1ポンド@180円/約54億円)という、当時の現存作家のオークション最高額で落札されている。
またロック・ファンの人なら、米国のバンド・ソニック・ユースが、リヒターのフォト・ペインティング作品「Candle(1983年)」をアルバム「Daydream Nation(1988年)」に採用したことは知っているだろう。
フォト・ブックの分野では、「Gerhard Richter: Atlas(1997年刊)」はコレクターズ・アイテムとして知られている。同書は、彼が作品を描くために集めた膨大な、スナップ写真、スケッチ、コラージュ、カラーチャートなどを収録。それらを整理、グループ化し、格子状などに並べられたものは「ATLAS(アトラス)」と呼ばれ、リヒター自身の人生、創作アイデア、思考過程などを現している世界地図だと評価されている。

「イメージの洞窟 意識の源を探る」展覧会カタログ

本展では写真に油彩やエナメル塗料が塗られた小ぶりの作品13点が展示されている。同展カタログによると、今回展示している「Museum Visit(2011年)」シリーズは、ロンドンのテート・モダンの来場者を撮影した写真の上にエナメルで着色された作品。オーバーペインテッド・フォトグラフと呼ばれるこの手法において、エナメルが「境界」として写真のイメージと鑑賞者を隔て、鑑賞者へ「絵画と写真」「具象と抽象」「現実と仮称」の再考を促しているとのことだ。ちなみに本展カタログのカヴァーに採用されている「MV.6<Museum Visit>2011」は、日本初公開作品とのこと。
大きなサイズで知られるリヒター作品。小作品を近くによってじっくりと鑑賞するのは新鮮な体験になるだろう。

イメージの洞窟 意識の源を探る
東京都写真美術館(恵比寿)

写真展レビュー
“写真の時間(The Time of Photography)”
@東京都写真美術館

東京都写真美術館は、約35000点にもおぶ膨大な数の写真コレクションを誇っており、どのような切口でそれらを的確に展示するかの試行錯誤を常に行っている。
最近では、2018年5月に、写真を「たのしむ、学ぶ」をキーワードに展覧会を企画。同年11月には「建築写真」によるキュレーションに果敢に挑戦。2019年には「イメージを読む」という切口で、5月に第1期として「場所をめぐる4つの物語」を開催、今回の「写真の時間」はその第2期の企画となる。

本展では、写真が持つ時間性と、それによって呼び起こされる物語的要素に焦点を当てて紹介しているとのこと。写真と時間、そしてそこに横たわる物語の関係性を、「制作の時間」、「イメージの時間」、「鑑賞の時間」というキーワードでグルーピングしたと解説されている。キュレーションはやや抽象的で、展示の方向性が明確に提示されているわけではない。しかし今回はコレクション展なのでオーディエンスは特に展示の意図を意識する必要はないだろう。

展示されている20世紀写真の多くはアート写真市場で高額で取引されている希少な作品。美術館はヴィンテージ・プリントや初期プリントにこだわって作品収集する。もし、アート写真コレクションに興味を持つ人なら、それらの現物が見られるのは本当に貴重な体験である。特にインクジェットのプリントに見慣れた若い世代の人は、それらとの違いを意識して鑑賞してほしい。
現代作家の表現の場合、テーマ性やコンセプトが重要なのはいうまでもない。しかし、この価値観が多様化した21世紀では、表現の幅は本当に幅広いといえるだろう。そうなると一人の写真家の展示点数が限定されるコレクション展では、なかなか作家性をキュレーターが的確に提示するのは難しいと思われる。評価が定まっていない写真家の場合は、鑑賞者が持つ事前の情報が少ないのでどうしても中途半端な印象になってしまう。選ぶ側も、作品のテーマ性よりも、方法論が面白いものや展示映えする作品を選びがちになることも想像できる。このあたりが、現代作家のコレクション展での紹介の難しさだと感じる。

さて本展の見どころとなる作品を独断と偏見で紹介してみよう。
「決定的瞬間」で知られる20世紀写真の巨匠アンリ・カルチェ=ブレッソン。彼の代表作の1枚で、キャリア初期に撮影された「サン・ラザール駅裏、パリ,1932」(作品番号012)が展示されている。

Henri Cartier-Bresson,”Behind the Gare, St.Lazare,Paris France, 1932″ /TOP Collection:Reading Images

最近のカルチェ=ブレッソンの相場は、人気のある絵柄とそれ以外でかなり価格の幅が広くなってきている。本作は2017年10月にクリスティーズ・で行われたニューヨーク近代美術館の重複収蔵作品を売却するオンランオークションに出品されている。1964年にプリントされた約50X36cmの今回よりも大きめの作品。1.5~2.5万ドルの落札予想価格のところ8.125万ドル(@113/約918万円)で落札されている。MoMAコレクションのプレミアムが付いたのだろう。2011年11月に、クリスティーズ・パリの「HCB : 100 photographies provenant de la Fondation Henri Cartier-Bresson」には、同作の現存する最古と言われている1946年プリントの、23X35cmサイズ作品が出品されている。こちらは12万から18万ユーロの落札予想価格のところ、43.3万ユーロ(@105円/約4546万円)で落札されている。

第2章の見どころは、アウグスト・ザンダーの「20世紀の肖像」からの11点だろう。1918年にマルクス主義の現代作家たちと知り合い、芸術とは社会の構造を露わにする表現だ、との彼らの考えに影響を受ける。

August Sander, “Bricklayer, 1928” /TOP Collection:Reading Images

あらゆる階層、民族、職業のポートレートを 記録するという膨大なプロジェクトを思いつく。撮影ではモデルの実像をありのままに表現することを心がける。彼は無名な人達をありのまま表現し、職業を特徴付けるようと試みる。そのために撮影は被写体の仕事場などの日常環境で仕事着のままで行われている。平凡なポートレートのカタログに陥りがちなプロジェクトだが、彼のアーティストとしての被写体への繊細な感受性がドキュメントを芸術写真にまで高めたと、教科書では評価されている。ザンダーの写真はベッヒャ-夫妻、クリスチャン・ボルタンスキーをはじめその後の若いドイツ写真家、芸術家 に多大な影響を与えている。「20世紀の肖像」には様々な種類のプリントが存在する。スタジオが1944年に焼けたことから20年から30年代の本人制作のヴィンテージ・プリントは流通量が少なく非常に高額、2014年12月にササビーズで開催されたオークションでは今回展示されている作品リスト027の「レンガ積職人」と同じヴィンテージ作品が74.9万ドル(@119/約8913万円)で落札されている。
サンダー作品は、その他に息子が制作したモダンプリント(1万~数10万ドル)、孫が90年代に制作したエステート・プリント(5000ドル~)、有名作のインクジェット・プリントが存在している。

シンディー・シャーマンの初期代表作「Untitled Film Still」シリーズからも、1978年から1980年の4点が展示されている。

Cindy Sherman, “Untitled still #9, 1978” /TOP Collection:Reading Images

彼女はセルフ・ポートレート写真で知られる有名アーティスト。1977年、大学卒業後の23歳のときに本シリーズに取り組み始める。最初は自らがブロンドの映画女優に扮することから実験的に始め、その後、マリリン・モンローやソフィア・ローレンのなどの映画のワンシーンの架空のスティール写真を自らがヒロインとなるセルフポートレートとして製作していく。彼女はポップアート同様に映画という戦後の大衆文化を作品に取りこもうとしている。そして、ナルシシズムを感じさせる作品は、自作自演に酔うだけではなく、みずからが被写体になることでフィクションの中にリアリティーを見出そうとしている。同シリーズは1995年にニューヨーク近代美術館がAPを一括購入して相場は上昇した。展示されている作品とだいたい同サイズの約20x25cmサイズ、エディション10作品は、絵柄の人気度にもよるがだいたい12万~18万ドル程度からの評価となる。同シリーズの最高額は2015年5月にクリスティーズ・ニューヨークで取引された「Untitled Film Still#48」。エディション3、約76X101cmの巨大作品が、296.5万ドル(@120円/約3.55億円)で落札されている。

写真での現代アート表現で世界的に高い評価を得ている杉本博司(1948-)。2016年秋には東京都写真美術館の総合開館20周年記念展として「ロスト・ヒューマン」展を開催。人類と文明の終焉という壮大なテーマを、アーティストがアートを通して近未来の世界を夢想する、形式で提示している。

Hiroshi Sugimoto, “Regency, San Francisco,1992” /TOP Collection:Reading Images

今回のコレクション展に出品された「劇場(Theaters)」は、「海景(Seascapes)」と並ぶ杉本の代表シリーズ。彼は約40年間に渡り、消えゆく歴史的な劇場のインテリアを映画上映の光だけを利用して大判カメラで撮影している。カメラでの撮影は、映画の上映時間に合わせて行われる。結果的にスクリーンは輝く白い部分として残り、周囲の光が劇場内部を細部の装飾までを精緻に写し出している。彼は主に20~30年代に作られたクラシックな映画館を撮影。凝った作りのインテリアは、当時の急成長していた映画産業の文化的な証拠といえるだろう。
今コレクション展の中で杉本作品は特別扱い。「劇場(Theaters)」9点のための閉じた専用展示スペースが用意されている。423X541mmサイズ、エディション25の作品の相場は絵柄の人気度により1.5万~5万ドル。最近はやや勢いが衰えている印象だ。今回展示されている作品リスト061の“Regency, San Francisco,1992”は、2015年10月にフィリップス・ニューヨークで開催されたオークションで3.75万ドル(@120/約450万円)で落札されている。杉本の8×10″の大判カメラと長時間露光で制作された銀塩プリントは時間を凝縮した静寂の中に豊かな美しさを持っている。ぜひ近くに寄って劇場の細部まで鑑賞したい。

エドワード・ルシェの有名フォトブック「サンセット・ストリップのすべての建物,1966」も注目作品。

Edward Ruscha, “Every Building on the Sunset Strip, 1966” (フォトブックの部分画像) /TOP Collection:Reading Images

これは1963から1978年にかけてルシェにより自費出版された16冊のアーティストブックの第4冊目。ルシェはハリウッドの全長約2.4キロにおよぶサンセット通りの両側のすべての建物を車で走りながら撮影。なんと7メートルを超える長さのパノラマ状のヴィジュアルを折り畳んだ本になる。本展ではそれを横に広げて展示している。ドキュメント写真とコンセプチュアル・アートを融合した作品で、フォトブック制作を念頭に写真撮影が行われるアプローチは多くの写真家に影響を与えた。実は本書刊行の13年前の1954年に「銀座界隈」(木村荘八編、東峰書房、1954年刊)という2分冊の書籍が出版されている。別冊の「アルバム・銀座八丁」には、写真家鈴木芳一が撮影した戦後の銀座中通りの左右の店構えの景観を上下に対比して蛇腹折のページで紹介している。写真の扱いや文字内容の掲載方法は上記のルシェの本にかなり似ている。真偽のほどは定かでないが、ルシェが「アルバム・銀座八丁」に発想を得た可能性があると言われている。「サンセット・ストリップのすべての建物,1966」は、主要なフォトブックガイドには必ず紹介されている人気コレクターズアイテム。本の状態、初版(1966年、1000部)か2刷り(1970年、5000部)か、スリップケース/サインの有無などで、相場は1000ドル台から8000ドル台まで。

会場内には、その他にも国内外の有名写真家による名作が何気なく展示されている。アート写真のコレクションに興味ある人がじっくり鑑賞すると優に半日くらい時間がかかるだろう。コレクション展と聞くと、鑑賞者は地味な展示だという印象を持ちがちだろう。しかしTOPコレクション展は、展示作品のクオリティーが極めて高い東京都写真美術館の目玉企画だといえるだろう。今後どのような作品が紹介されるかとても楽しみだ。

TOPコレクション イメージを読む
写真の時間
http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3439.html
東京都写真美術館(恵比寿)

嶋田 忠    野生の瞬間
華麗なる鳥の世界
@東京都写真美術館

嶋田 忠(1942-)は、カワセミ類を中心に、鳥獣専門として国際的にも高く評価されている自然写真家。埼玉県生まれだが、1980年以降は北海道を拠点に、いまでも第一線で国内外の自然写真を撮影している。

嶋田 忠”オウゴンフウチョウモドキ、2008年”

本展では約179点を展示し、彼の約40年にも及ぶキャリアを回顧するとともに、「世界最古の熱帯雨林」と言われているニューギニア島で撮影された貴重な野生動物の作品を初紹介している。
展示構成は、以下の通りとなる。
I. ふるさと・武蔵野 思い出の鳥たち 1971-79、
II. 鳥のいる風景・北海道 1980-2017、
III. 赤と黒の世界 1981-87、
IV. 白の世界 2009-14, 2010-17、
V. 緑の世界2000-18

“シマエナガ”

嶋田の写真撮影の流儀は、人と同じことはしない、人と同じ場所では撮影しないこと。誰も見たことのない鳥を撮るには、人がいない自然環境の中での撮影が必要となる。ときに厳しい天候や野生動物の脅威に身をさらすことになる。北海道や、熱帯雨林での撮影では、常に緊張感をもって覚悟を決めて撮影に臨むという。
嶋田によると作品制作では現場の事前観察が70%を占めるという。カメラでの撮影は一連の過程の最後の仕上げとのこと。「日本一シャツターを切らない写真家ではないか」と自身を評している。撮影の失敗はほとんどないという、徹底的に観察し、データを収集して、様々な状況を想定して、複数の撮影プランを構築する。こだわりを持たずに、上手くいかないとすぐに諦めて、次のプランの実行に移るとのこと。鳥からは約10メートルの距離で撮影する。すべて自らが隠れる場所を事前に作り込み、1週間くらい自然の中に放置しておくという。そうすると鳥も写真家の隠れ場所を意識しなくなるのだ。

“オジロオナガフウチョウ オス”

まるで、ドキュメンタリー写真家のユージン・スミスのようだと直感した。彼は最初からカメラを被写体に向けることなく、まず行動を共にする。相手が写真家とカメラを意識しなくなり、自然な態度や表情になった時に撮影するのだ。またユージン・スミスを敬愛するテリー・オニールがフランク・シナトラを撮影した時のエピソードも思い出した。彼もシナトラと行動をずっと共にするとともに、時にカーテンなどに隠れて自然な表情を切り取ったという。嶋田はまさに自然環境の中で鳥という被写体相手に完璧なドキュメントを目指しているのだ。ただ鳥を運任せに超望遠レンズを駆使して連写するのではない。自然環境にいるそのままの鳥の姿を、その羽毛の質感までもを忠実に表現しようとしている。彼の鳥の写真は非常に高いレベルの職人技にまで高められているといえよう。また写真撮影の一連の過程が一種のパフォーマンスのような自己表現にさえなっていると感じる。

Terri Weifenbach “Des oiseaux”(Editions Xavier Barral Paris、2019年刊)

ファインアート系分野の写真家は、鳥自体を撮影することはない。何らかの感動があって、それを表現する中に鳥が写されている。自然が作品テーマに関わるときには鳥が写っている場合が多い。たとえば、パリ在住の米国人写真家テリ・ワイフェンバックは、自然風景や植物を撮影対象として作品制作をしている。そこに鳥が含まれていることがある。身の回りの何気ない自然風景でも決して静止しているのではなく、風や昆虫、鳥たちの動き、光の変化で、まるで万華鏡のように常に変化している様子を、ピンボケ画面にシャープにピントがあった部分が存在する、瞑想感漂うイメージ表現している。最新刊の写真集“Des oiseaux” (Editions Xavier Barral Paris、2019年刊)では、彼女のかつてワシントンD.C.の自宅周辺で、移り変わる四季の自然風景の一部として鳥が撮影されている。

深瀬昌久の「烏」(蒼穹社、1986年刊)は、国内外で高く評価されているフォトブック。烏を不吉な存在の象徴として、戦後の工業化によりもたらされた、非人間的、環境が汚染された環境における、パーソナルな絶望を本の中で表現したと評価されている。金子隆一は、“日本写真集史 1956-1986(赤々舎、2009年刊)”で、「烏は、深瀬自身の孤独の化身である。そして写真集の最後に登場するホームレスの写真が、このシリーズのテーマを物語っている。それは社会に存在しながらも片隅でしか生きられない、人の眼に触れない存在の象徴として表されているのだ」と同書を評している。

写真には価値基準が異なる様々な分野が存在している。どの分野の写真でも、その最先端の仕事を行っている人は、アプローチは違えども、非常に高い強度を持って、また覚悟を持って被写体に接している。その姿勢には、アートの基本である何らかの感動を見る側に伝えるという作家性が意識的/無意識的に滲み出ている。ファインアート系には、それを評価する基本的な方法論が存在する。従来、その範疇だと考えられていなかった分野で活躍する写真家の作品でも、誰かがその作家性を見立てて、アート系の方法論の中での存在意義が語られれば、アート作品だと認知されるようになる。

かつてはアート性が低くみられたドキュメント、ファッション、ポートレート。いまやその中にも優れたファインアート系作品が含まれることは広く認知されている。それは本展のような自然写真の最前線で40年以上に渡り活躍している写真家の作品にも当てはまるだろう。
東京都写真美術館は今回の展覧会開催で、嶋田忠の作家性の「見立て」の第1歩を踏み出したと解釈したい。本展カタログに掲載されている学芸員関次和子氏のエッセーでは、「嶋田が作品集を制作するプロセスは、テーマやタイトルが決まると。ストーリーを考え、大量の絵コンテを描き、撮影の構図が確定すると、最後に写真撮影に取り掛かるというもので、それは現在でも変わっていない。この手法は人から学んだのではなく、自らで編み出したもので、映画製作の意プロセスに似ている」と記している。重要なのは、上記の嶋田のテーマが、いまという時代の中でどのように存在意義が語られるかだろう。
本展カタログの樋口広芳東京大学名誉教授のエッセーでは、「身近な鳥の世界を気軽に撮影することの楽しみが、多くの人に広がっていくことも、とても素晴らしいことだ。野生の鳥の世界の観察や撮影を通じて自然を愛し、理解する人の数が増えれば、今日急速に失われつつある自然環境の保全ももっと進みやすくなるに違いない」と書いている。たぶん、いま世界的に叫ばれている地球環境保護との関連や、自然の撮影と個人的生き方との関連などの見立てが可能だと思う。
本展がきっかけとなり、嶋田の作品性の評価が多方面から行われることに期待したい。

嶋田 忠 野生の瞬間 華麗なる鳥の世界
東京都写真美術館
7月23日(火)~9月23日(月・祝)10:00~18:00、
木/金は20:00まで(7/25-8/30の木金は21:00まで)
入館は閉館の30分前まで
休館日 毎週月曜日

写真展レビュー
宮本隆司 いまだ見えざるところ
@東京都写真美術館

宮本隆司(1947-)は、建築写真を通しての都市の変容、崩壊、再生などのドキュメントで知られる写真家。建築解体現場を撮影した「建築の黙示録」(1986年)、香港の高層スラムを撮った「九龍城砦」(1988年)などが評価され、1989年に第14回木村伊兵衛賞を受賞している。1996年に、第6回ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展に参加し、阪神淡路大震災により破壊された建築物の作品で金獅子賞を受章。2004年には世田谷美術館で「宮本隆司写真展」を開催。2005年、第55回芸術選奨文部科学大臣賞、2012年、紫綬褒章を受章している。2001~2005年、京都造形芸術大学教授、2005~2017年、神戸芸術工科大学教授を歴任、着実にキャリアを積み重ねている写真家だ。

本展では、会場後半の約半分の大きなスペースで、自らの出身地の奄美群島の徳之島で撮影された「シマというところ」、「ソテツ」、「面縄ピンホール2013」を展示。入口から続く前半の展示では、ネパールの標高3,789メートルの辺境地にある城壁都市を撮影した「ロー・マンタン1996」、アジアのマーケットを撮影した「東方の市」、いま東京都写真美術館の建っている旧サッポロビール恵比寿工場の解体を撮影した「新・建築の黙示録」、イタリアのシュルレアリスム画家キリコの絵画に触発されたというスカイツリーの建築過程をピンホールで撮った「塔と柱」が展示されている。
展示作品数は合計112点、全体を通して写真のドキュメント性に注目した作品の展示。しかし特にキャリア自体を本格的に回顧するものではない。自らの生まれ故郷の徳之島に残る現地住民の祭りや生活にフォーカスした、キャリアの回顧と共に自分のルーツ探し的な要素が強い作品展示となる。

私たちは、普段は自分の見たいものだけに意識を向けるという認知的な特徴があると言われている。いわゆる認知バイアスと呼ばれ、心理学の世界でよく知られている傾向だ。これは個人だけの傾向ではなく、集団や社会にも当てはまるのではないだろうか。効率化が求められる現在社会では、その流れから外れて、人々に見られなくなった多くのものが、気付かないうちにどんどん世界から忘れ去られ消えていく。歴史の必然と言えばその通りかもしれない。
本展タイトル「いまだ見えざるところ」は、色々な解釈が可能だろう。私は、「いまだ見えざるところ」を意識する重要性を示唆していると直感した。タイトルの“見えざる”は“見えていない”、もしくは“見ていない”なのだ。それは宮本自身が自らの生まれ故郷を見ていなかったという意味でもあるのだろう。
写真家である宮本は意識的に世の中を客観的、批判的に見る習慣を持っている。今回展示の一連のドキュメント作品は彼の冷徹なまなざしの存在をよく物語っている。優れた写真家は、思い込みにとらわれず、感情的にならず、自分自身をも客観視できる人なのだ。このような素養を持った写真家は案外少ない。

“面縄ピンホール2013″の展示風景と宮本隆司

宮本の両親はともに徳之島出身。しかし彼は幼少期に島で短期間だけ暮らしたものの、その記憶を持たないまま世界中で仕事を続けてきた。しかし彼の心の中には、生まれ故郷の徳之島の無意識化した記憶がひっかかっていた。キャリア後期になり、自分のルーツへの対峙を意識する。2014年に手掛けた「徳之島アートプロジェクト」以来、この島での作品制作に取り組むことになる。そこで「見えてきた」、琉球文化の影響を受ける島の特徴的な文化の存在の提示が本展の大きなテーマなのだ。
宮本が撮影した、サトウキビやソテツ、現地住民のポートレートを見ていると、本土とは全く違う時間が流れているのがわかる。しかし、これらは厳密な民俗学的ドキュメントではない。彼は自分の無意識化した幼い時の島の思い出を、現在の島に残る様々な断片的なシーンの中からパーソナルな視点で紡ぎだしたのだ。ソテツやサトウキビ畑が展示の中でフィチャーされているのは、幼少時に感じたそれらの存在感が記憶に強く残っていたからだろう。
本展には、1968年、彼が21歳の時に島を再訪した時に撮った、たぶんオリジナルはやや変色しているであろうカラー作品3点が展示されている。その他の最近に撮影されたカラー作品も、何か色のトーンが1968年作品に近いように見えてきてしまう。特に図録の図版にはそのような印象が強い。現在と過去との時間感覚が混ざりあい、まるで幼少の宮本が見たであろうシーンが現代に蘇ったようだ。

島の特徴的な文化や人々の生活風習を写真で撮影する行為は、効率重視で多様性を失っていく現代社会の是非を世に問う、より広い社会的メッセージ性も感じられる。メインビジュアルに抽象的なアナログのピンホール写真を持ってきたのは、現代社会の象徴であるデジタル技術を駆使したヴィジュアル・テクノロジーに対抗する表現だからではないか。それは現代建築技術の粋を集めて制作されているスカイツリーをピンホールカメラで撮影したのと同じアプローチだと思う。

いま時代の流れは大きく変化し始めたように感じられる。1990年代から拡大してきた貿易重視の経済のグローバル化が大きな曲がり角を迎えている。経済のナショナリズム化、ローカル化が今後の大きな流れになるような予感がするのは私だけだろうか?いままでのグローバル化の世界は効率重視で、文化の多様性にあまり寛容ではなかった。本展の「東方の市」、「建築の黙示録」などの前半展示の流れは、まさにそのような今までの世界的な流れを回顧している。最初のロー・マンタンの展示は、全体との関連はややわかり難い。しかし、世界から隔離された電気もガスも通っていない、標高3,789メートルの城壁都市のシーンは、グローバル経済から孤立した世界として象徴的に展示されていると読み取れる。それは日本に当てはめると、徳之島と同じような場所だという意味でもある。そしてメイン展示である徳之島のシリーズでは、世界の現状と変わりゆく未来を暗示していると解釈できるのではないだろうか。

宮本隆司 いまだ見えざるところ
東京都写真美術館(恵比寿)
5月14日(火)~7月15日(月・祝)
10:00~18:00、木金は20:00まで
入館は閉館の30分前まで
休館日 毎週月曜日 ただし、7月15日(月・祝)は開館
入場料:一般 700円/学生 600円/中高生・65歳以上 500円