(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(13)
アレクサンダー・リーバーマン関連本の紹介(Part-2)

リーバーマンもファッション雑誌作りの制限の中で、できる限りの自由な表現の可能性を探求した。その姿勢はライバル誌ハ―パース・バザーのブロドビッチと全く同じだ。両者には、第2次世界大戦が終わり、社会における女性の存在が大きく変化したという確固たる認識があり、それを誌面で提示しようと考えた。大判カメラとスタジオで撮影されたセシル・ビートンやホルストのイメージは時代遅れと考え、新しい時代の女性に合致したファッション写真を世に送りたいという意思がともにあったのだ。

Irving Penn, Vogue cover, October 1, 1943 , Conde Nast

リーバーマンは自分が理想と考えるファッション写真を作り出すために、画家志望だった若きアーヴィング・ペンを写真家に転向させ、ジュニア世代のファッションが理解できる若い女性写真家のフランシス・マクラフリンを起用している。ちなみに、ペンの最初のヴォーグ誌のカヴァー写真は1943年October 1号となる。巧みにファッション小物を配置して構成されたスティル・ライフ写真は画家の視点が生かされている。また将来の可能性を感じさせる作品だ。リーバーマンは、ファッション写真の経験のないフォトジャーナリズム系写真家もファッション雑誌の撮影に起用している。なんと畑違いに感じるエルンスト・ハースやウィージ―にも撮影を依頼しているのだ。

Ernst Haas, Vogue, December 1951 / From “Appearances” by Martin Harrison, page 41

その中には、後にアフリカ系アメリカ人の最初のライフ誌のスタッフ・フォトグラファーになったことで知られるゴードン・パークス(1912-2006)も含まれる。1940年代後半、パークスはハーレムに移り住み、リーバーマンの下でヴォーグ誌の最初のアフリカ系アメリカ人フリーランスのファッション写真家となる。当時の社会には、いまとは比べ物にならない程の人種差別的な考えが蔓延していた。それにもかかわらず、リーバーマンは彼にハイ・ファッションのイブニングドレスのコレクション撮影を依頼している。パークスのファッション写真は主にストリートで撮影された。構図が非常に革新的で、モデルに動きが感じられ、またカラー作品は映画的な美しい色彩で表現されている。それらは、写真集「I AM YOU : Selected Works, 1942-1978」(Steidl、2016年刊)の「Fashion 1956-1978」セクションで紹介されている。
彼のファッション写真は財団管理下でエステート・プリントとしてエディション付きで販売されている。2020年の6月18日~25日にかけてフィリップスがオンラインで開催した「Tailor-Made: Fashion Photographs from the Collection of Peter Fetterman」オークションではパークスのエステート・プリント2点が出品、落札予想価格は5000~7000ドル(約55~77万円)。「James Galanos Fashion, Hollywood, California、1961」が7500ドル(約82.5万円)、「Untitled, New York, N.Y., 1956」が6250ドル(約68,7万ドル)で落札されている。ノーマン・パーキンソンなどと同様に、写真家死後の作品でも財団管理下で制作されたのリミテッド・エディションの相場は極めて安定している。
いまアート界ではアフリカ系アメリカ人や女性アーティストに注目が集まっている。パークスのファッションやポートレート作品も間違いなく市場で再評価されるだろう。

Gordon Parks “Untitled, NY 1956” / Phillips, Tailor-Made: Fashion Photographs from the Collection of Peter Fetterman Online Auction 18 – 25 June 2020

戦後ファッション写真史の資料を調べていると、写真家、デザイナーたちが雑誌ページ内での写真の取り扱いに不満を持っていた事実がよく記されている。洋服を中心に目立って見せて欲しいデザイナー/服飾メーカーや編集者と、それらをヴィジュアルの一部と考え、より自由な表現を目指すクリエーターとの軋轢には長い歴史がある。その後、ファッションが巨大ビジネスとなるに従い、表現の自主規制もさらに厳しくなる。お膳立てがすべて整っているファッションの撮影では、自分の感性を生かしてリスクを冒すことなどできないのだ。多くの写真家はファッション写真の先に自由なアート表現の可能性はないと失望して業界を去る。そして仕事での自己表現の限界を理解すると、自らの欲求を満たす行為を他のアート表現に求めるのだ。

リーバーマンも、ヴォーグ誌を初めとし、グラマー、バニティ・フェア、マドモアゼル、アリュールなどのコンデナスト出版の雑誌全般を率いるとともに、写真家、彫刻家、画家としてのキャリアも追求している。彼の多様なアーティストのキャリアと、特に長年にわたるコンデナスト出版での活躍を見るに、彼は仕事と自己表現のバランスがとれた類まれの人だった事実がわかる。彼は表現者にありがちな、エゴが追求するロマンチストではなく、極めてリアリスト的な生き方を追求したのだと理解したい。前回パート1で触れたように、彼は自分のフレームワークに囚われずに、変幻自在に時代の流れに聞き耳を立て、多くの才能を起用して雑誌作りを行っていた。回りくどい言い方だが、確固たるスタイルにあえて固執しないのも、一つのスタイルだといえるだろう。

ジャンルは違うが、ミュージシャンのデヴィッド・ボウイはキャリアを通して多彩な自身のヴィジュアル作りを行っている。各時代の最先端をゆく写真家を積極的に起用して、カメレオンのように自らのイメージを変化させている。
リーバーマンの創作スタンスはかなりボウイに近いと直感した。彼のファッション雑誌作り自体は一種の自己表現であり、彼はそれにある程度満足していたのではないだろうか。もちろん、彼の立場により、ほかの人と比べて格段に仕事上の自由裁量を持っていたのは明らかだろう。当時、コマーシャルと深く関わるファッション写真や雑誌作りはアート表現だとは考えられていなかった。彼は時代に横たわる気分や雰囲気を感じ取って、写真を通して社会に提示した。ファッション写真の持つアート性をいち早く見出した最初の一人だったのだ。時代が彼に追いつくのは90年代になってからだ。

“Alexander Lieberman” by Barbara Rose, Abbeville Press (1981/11/1)

以上から、リーバーマンのアーティトとしての創作は、自分のやりたいこと追及を求め、それがかなわないと去っていく他の多くの表現者とはかなり違っていたと考える。彼の巨大な彫刻作品は世界中の約40都市の公共スペースに展示されている。しかし実際のところ、彼はアーティストとしては美術評論家から高い評価は受けられなかった。アート・オークションへの出品も限定的だ。

彼が手掛けるヴォーグ誌は、ジャコメッティ、ユトリロ、マティス、ブラックなどのアート特集を掲載するとともに、デュシャンなどの重要な美術評論家によるエッセイをほぼ毎号掲載していた。執筆の仕事の依頼者がアーティストだったという極めてまれな状況だった。アートの専門家は、アートメディアを牛耳るリーバーマンによるアート作品は、利益相反から客観的評価は難しいと考えていたのだ。

わたしは、リーバーマンはその点は十分理解していて、アーティスト活動の評価については気にしていなかったと想像している。たぶん彼は雑誌作りである程度の自己実現ができて満足しており、アーティスト活動は自らの精神をバランスさせるための行為だったのだと思う。方法論の追求は趣味だと言われるが、たぶん彼にとってアートの創作はそのような位置づけだったのではないだろうか。

次回のパート3では、リーバーマン関連のフォトブックを紹介する。

(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(12) アレクサンダー・リーバーマン関連本の紹介(Part-1)

前回まではロシア出身のアート・ディレクター、グラフィック・デザイナー、写真家、教育者で、20世紀グラフィック・デザインの元祖として伝説化されているアレキセイ・ブロドビッチ(1898-1971)を紹介した。

ブロドビッチは1934年から1958年まで米国ハーパース・バザー誌のアート・ディレクターとして活躍している。ほぼ同時期にライバルのヴォーグ誌のエディター、アート・ディレクターなどとして活躍していたのが、同じくロシア出身のアレキサンダー・リーバーマン(1912-1999)だ。
彼は、ロシア革命後に国外に亡命した白系ロシア人で、ロシア、英国、フランスで教育を受けている。ブロドビッチと同様に、1924年にパリに移り住んで、同地でキュービズム画家のアンドレ・ロート(André Lhote、1885-1962)に絵画を、オーギュスト・ペレ(Auguste Perret、1874-1954)に建築を学んでいる。
彼は、1933年~1936年にかけて、1928年創刊の初期ヴィジュアル雑誌「Vu」で出版キャリアをアート・ディレクターとして開始する。1941年にドイツのパリ占領によりニューヨークへ移住。その後、ヴォーグ誌を発行するコンデ・ナスト出版での仕事に携わる。1944年から1962年まで約21年間アート・ディレクターを務め、1994年までの32年間はコンデ・ナスト出版のエディトリアル・ディレクターとして長年にわたり活躍を続ける。

Vogue November 1. 1944, Cover photograph by Erwin Blumenfeld

ファッション雑誌業界では、エディター、アート・ディレクター、写真家はまるで消耗品のような存在だ。時代の変化の先を走り続けるのは極めて困難なので、常に人材の新陳代謝が必要だともいえる。その中で、リーバーマンの長年にわたるコンデ・ナスト出版での存在は極めて異例だといえるだろう。あのブロドビッチでさえハーパース・バザー誌で活躍したのは約24年間だった。

「Alex: The Life of Alexander Liberman」By Dodie Kazanjian

彼の伝記「Alex: The Life of Alexander Liberman」(Dodie Kazanjian/Knopf 1993年刊)では、この点を以下のように分析している。「ひとつ考えられる説明は、リーバーマンには明確に定義するようなスタイルがなかったことだろう。彼がディレクションした雑誌に特徴的な視点がなかったこと、そして時代遅れだと決めつけられるものが何もなかったことが挙げられる。リーバーマンのスタイルは変幻自在であり、無限に継続可能だった。彼は常に、アート・ディレクターが追求する「グッドデザイン」を犠牲にしてでも、ジャーナリスティックな多様性を追求してきたのだ。彼はあらゆる種類の変化(社会的態度の変化だけでなく、写真やアート、ビジュアル・コミュニケーションの変化)に直観的かつ敏感に反応した。彼は自分の分野では、いつも誰よりも一歩も二歩も先を行っているようだった、そのせいで 彼がディレクションした雑誌は、常に新鮮で革新的で生き生きとしていた」

同書の分析は見事で、極めて的確だったといえるだろう。写真家の起用にもこの特徴が現れている。彼は1940年代に天才のアーヴィング・ペンを見出している。しかし、その後も定期的にアーウィン・ブルーメンフェルド、セシル・ビートン、ウィリアム・クライン、リチャード・アヴェドン、ヘルムート・ニュートン、デビッド・ベイリー、デボラ・ターバヴィル、シーラ・メッツナー、アニー・リーボヴィッツなどを起用している。自分のいったん成功したフレームワークに固執することなく、常に変化を求め続けた姿勢こそが彼が活躍し続けられた秘訣だと思う。これはすべてのクリエイティブな仕事において、最も重要な資質だと私は考えている。でも一般的には自分の直感を信じてそれを追求することが重要だと勘違いされている。それは各分野の超ベテランと天才のみに当てはまるのだ。

1940年代のころ、リーバーマンは当時のファッション雑誌を以下のように批判している。「私はファッション誌でアートとして言われている言葉に憤りを感じていた。アート・ディレクターという言葉でさえ気取って使われている。エリクソンやウィヨメズのようなイラストレーターを相手に仕事をするのが、アートのディレクションではない。それらはカタログ的なファッションだ。私は何気ない感じに興味があった。この作り物(ファッション誌)の世界に生命力を吹き込みたかったのだ」また以前の(連載3)でも紹介しているが、リーバーマンが理想のファッション写真だとしているのは「最高のセンスをもったアマチュアで、カメラマンの存在を全く感じさせない(写真)」だった。新人編集者に、それに当てはまるアーティストの自己表現とファッション情報の提供がバランスしている2枚の写真を紹介しているのはあまりにも有名だ。

Phillips NY, 2017 April 3, “THE ODYSSEY OF COLLECTING” Edward Steichen “Chéruit Gown (Marion Morehouse) (Mrs. E.E. Cummings), 1927”

何度も紹介しているのでここでは簡単に触れておく。1枚目がエドワード・スタイケン(1879-1973)によるヴォーグ誌1927年5月号に掲載された初期のセレブ・スーパーモデルだったマリオン・モアハウス(Marion Morehouse/1903-1969)をモデルとした写真。流行りのシェルイ(Cheruit)のドレスが写されているものの、女性に敬意を表し彼女の最高の魅力的な瞬間を表現している、としている。1920年代に欧米で流行した革新的なフラッパーの要素を従来の婦人像と融合させている写真といえるだろう。2013年に世田谷美術館で開催された「エドワード・スタイケン/モダン・エイジの光と影 1923-1937」にも展示されていたので、見覚えがある人も多いと思う。ちなみに同作“Cheruit Gown (Marion Morehouse) (Mrs. E.E. Cummings), 1927”は、フリップス・ニューヨークで2017年4月3日に行われた“THE ODYSSEY OF COLLECTING”オークションで、5万ドル(@110円/約550万円)で落札されている。スタイケンのファッション写真は「Edward Steichen In High Fashion: The Conde Nast Years, 1923-1937」(W W Norton、2008年刊)と上記展覧会のカタログで見ることができる。

Bonhams NY 2019 October 2, “Photographs” Walker Evans “Citizen in Downtown Havana,1932”

もう1枚はファッションとは縁遠いと思われがちなウィーカー・エバンス(1903-1975)の作品。彼がキューバのストリートで1923年に撮影した白いスーツを着た男性のドキュメント写真をあげ、「これは明らかにファッション写真ではないが、私はこれこそが根源的なスタイルのステーツメントだ」と語っている。同作“Citizen in Downtown Havana,1932”の大判サイズのエステート・プリントは、2019年10月2日にボナムス・ニューヨークで開催された“Photographs”オークションで17,575ドル(@110円/約193万円)で落札されている。同作品を含むキューバで撮影された一連の作品は写真集「WALKER EVANS: HAVANA 1933」(Pantheon、1989年刊)、「Walker Evans: Cuba」(J Paul Getty Museum、2001年刊)で見ることができる。

(Part-2)に続く

・「WALKER EVANS: HAVANA 1933」(Pantheon、1989年刊)
絶版、相場は8000円~

・「Walker Evans: Cuba」(J Paul Getty Museum、2001年刊)
  絶版、相場は4000円~、ペーパー版の新品は購入可能

・「Edward Steichen In High Fashion: The Conde Nast Years, 1923-1937」(W W Norton、2008年刊) 
絶版、相場は12,000円~

ニューヨーク春のアート写真市場(4)
スワン・オークション・ギャラリーが“Fine Photographs”オークションを実施!

スワン・オークション・ギャラリーは、コロナウイルスの影響で延期されていた“Fine Photographs”オークションを6月11日に開催した。他社と違うところは、オンライン・オンリーではなく、ライブのオンライン・オークションだったこと。会場に人がいて競り合う公開ライブ・オークションではなく、オンライン、電話、書面など様々な方法の入札をオークショナーな仕切る方法のようだ。セカンダリー市場の場合、コンディションレポートが信頼できれば特に現物を見なくても作品購入する人は少なくない。このような開催方法と相性が良いだろう。「withコロナ」の時代には、ライブ・オンライン・オークションは、より一般化する可能性が高いと考える。

出品作数は324点、217点が落札、不落札率は約33%。総売り上げは約85.2万ドル(約9379万円)だった。昨年の春と比べると、1万~5万ドルの中間価格帯の落札率が低迷。結果的に総売り上げも約122万ドルから約30%も減少した。全般的に、市場状況を鑑みて落札予想価格の範囲をかなり広めに設定している印象を持った。結果に対する評価は分かれると思うが、少なくともコロナウイルスの影響下でもアート写真の市場は十分に機能していることを示したといえるだろう。

Swann Auction Galleries NY, Michael Halsband, “Andy Warhol and Jean-Michel Basquiat, 1985”

最高額はマイケル・ハルスバンド (MICHAEL HALSBAND /1956- )の“Andy Warhol and Jean-Michel Basquiat with Boxing Gloves, NY , 1985”。80年代アート界のスーパースターのアンディ・ウォーホルとジャン・ミッシェル・バスキアを撮影したアイコン的作品。本作はシートサイズが 30×24 inches (76.2×61 cm)と大きめなのが特徴。落札予想価格2~3万ドルのところ、2.75万ドル(約302万円)で落札されている。時代が反映された広義のアート系ファッション写真という評価だと考える。
コレクターの積極的入札が期待された、ロバート・メイプルソープの“Lisa Lyon, 1980”、落札予想価格.3~4.5万ドル、リー・フリードランダーの“The American Monument, Volumes I and II, 1976”落札予想価格.2.5~3.5万ドルなどは不落札だった。

Christie’s , Ansel Adams, “Winter Sunrise, Sierra Nevada, from Lone Pine, California, 1944”

クリスティーズは、6月4日に“Ansel Adams and the American West Photographs from the Center for Creative Photography”オンライン・オークションを開催。アリゾナ大学のCCP(Center for Creative Photography)コレクションという一流の来歴を持った、1970年代に制作された、アンセル・アダムス作品のセールとなる。海外ではよく見られる、公共機関による新規コレクション購入のための重複コレクションの売却だろう。出品作数は34点、33点が落札、不落札は1点。総売り上げは約32.7万ドル(約3603万円)だった。
最高額は“Winter Sunrise, Sierra Nevada, from Lone Pine, California, 1944”落札予想価格4~6万ドルのところ、9.375万ドル(約1031万円)で落札されている。

クリスティーズは4月末から5月にかけて、取扱い分野を19~20世紀のモノクロ写真に絞った“Walker Evans: An American Master”と“From Pictorialism into Modernism: 80 Years of Photography”のオークションをオンラインで開催している。両方ともほとんどがニューヨーク近代美術館収蔵という最高の来歴の作品だった。しかし、すでにリポートしたように、落札予想価格下限を極端に下回る落札が相次いで市場関係者を驚かした。それに比べて、アンセル・アダムスのセール結果は、知名度の低い作品が多かった中で極めて順調だったと言えるだろう。落札予想価格上限以上の落札が14件、範囲内が1件、下限以下は18件、極端な低価格での落札は見られなかった。

アンセル・アダムスは、様々な技術的制約があったアナログ時代に、作品サイズ、プリント・クオリティーなどにおいて表現の境界線を広げる努力を行った。彼が開発した、フィルム露出と現像の技法であるゾーンシステムは、アナログのフォトショップ的だ、などと指摘する人もいる。いまではアンセル・アダムス作品は、現代のカラーによる大判の現代アート系風景写真の元祖だと再解釈されている。今回の結果をみても市場の評価は極めて正直なのが分かる。もしコレクターが写真家のアート性を正しく見極めることができれば、このような市場環境下には、価値ある作品を普段より安く購入するチャンスが訪れるのだと思う。

(1ドル/110円で換算)

ニューヨーク春のアート写真市場(3)
クリスティーズが春の定例オークションをオンラインで実施!

通常は3月下旬から4月上旬にかけて行われる大手業者によるニューヨークの公開アート写真オークション。今シーズンはコロナウイルスの影響で、各社とも開催時期の変更、オンライン・オークション開催で対応している。

クリスティーズは、メインの“Photographs”をオンラインに変更して、5月19日~6月3日にかけて行った。
出品作数は238点、130点が落札、不落札率は約45.3%。総売り上げは約242.2万ドル(約2.66億円)だった。全体的に、落札予想価格がやや高いなという印象を持った。今回の出品は、コロナウイルスの影響が顕在化する以前に委託者との最低落札価格を決めていると思われる。複数委託者のオークションの場合、急激な環境変化により数多い委託者との条件再交渉は困難を極めると思われる。多くの出品作は、たぶんほぼ同じ条件でオークションを実施したのだろう。高額落札が難しいとの判断で出品を取りやめた委託者もいたようだ。以上の複合的な理由から非常に厳しい落札結果になったといえるだろう。

ダイアン・アーバス“Family on their lawn one Sunday in Westchester, N.Y.,1968”、写真集から

今回の注目作で、高額落札が期待されていたのがダイアン・アーバスの“Family on their lawn one Sunday in Westchester, N.Y.,1968”。1968年のロンドンのサンデー・タイムズ・マガジンに掲載された、彼女の有名なポートフォリオ“A box of ten photographs”にも含まれる代表作。ちなみにドーン・アーバス(Doon Arbus)がサイン、ニール・セルカーク(Neil Selkirk)プリントの、エディション50の同10枚セットの最高額は、2018年4月6日クリスティーズ・ニューヨークで落札された79.2万ドル。アーバス作品のオークション最高額だ。

ダイアン・アーバスがサインした1点ものでは、有名作の手りゅう弾を持った少年“Child with a toy hand grenade in Central Park, N.Y.C., 1962”が、2015年5月11日クリスティーズ・ニューヨークで開催された現代アートやモダンアート中心の“Looking Forward to the Past”オークションで78.5万ドルで落札。
“Family on their lawn one Sunday in Westchester, N.Y.,1968”の、ダイアン・アーバスがサインした1点ものの最高額は、ちょうどリーマンショック前の好況期だった2008年4月8日ササビーズ・ニューヨークで落札された55.3万ドル。

クリスティーズによると、今回の出品作は1968~1971年にプリントされ、作家サインが入ったペーパーサイズ16X20″作品、相場環境を意識した20~30万ドルの落札予想価格だったが、時期が悪く残念ながら不落札だった。この価格帯の貴重作品をコレクションするのは主に美術館。しかし、コロナウイルスの影響でほとんどが休館し、従業員を休職させているところもあった。新たな作品コレクションどころではなかったのだろう。
その他、ロバート・フランク、ピーター・ビアード、リチャード・アヴェドン、ピーター・リンドバーグなど、予想落札価格10万ドル以上の価格帯の注目作が不落札だった。いままでは比較的好調だった高額セクターの人気作も、価格の調整が進行する気配だ。

Christie’s NY, Peter Beard “But past who can recall or done undo (Paradise Lost), 1977”

最高額は今春に亡くなったピーター・ビアードの“But past who can recall or done undo (Paradise Lost), 1977”。 約50.8X220.9cmの巨大横長サイズの1点もの。落札予想価格7~10万ドルのところ、11.875万ドル(約1306万円)で落札されている。

続いたのはアーヴィング・ペンの“Rag and Bone Man, London, 1951”。1961年にプリントされた貴重な初期プラチナ・プリントで、落札予想価格4~6万ドルのところ、10.625万ドル(約1168万円)で落札された。ちなみに本作は、2001年5月10日のササビーズ・ロンドンで2,350ポンド(3,408ドル)で落札されている。単純に計算すると、19年でなんと約31倍、1年複利で計算すると約19.85%で運用できた計算となる。

Christie’s NY, Irving Penn, “Rag and Bone Man, London, 1951”

ペンのパリ、ロンドン、ニューヨークの労働者をヴォーグ誌の依頼で撮影した「Small trades」シリーズは、2001年当時は明らかに過小評価されていた。本格的に認められるのは、2009年9月にJ・ポール・ゲティ美術館で展覧会が開催されて、写真集が刊行されてからなのだ。ちなみにペンは2009年10月に亡くなっている。現役の有名人気作家の過小評価作品を見つけるのはコレクションの醍醐味だといえるだろう。
一方で、同じペンのファッション作品“Black and White Fashion (with Handbag) (Jean Patchett), New York, 1950”は、落札予想価格5~7万ドルのところ、6.25万ドル(約687万円)で落札。同作は2013年4月5日のクリスティーズ・ニューヨークで9.375万ドルで落札された作品。所有期間約7年の単純の利回りはマイナスで-5.62%となってしまう。ペンのファッション系は最も人気の高いカテゴリー。ちなみに2013年の落札予想価格は3~5万ドルだったことを考えるに、当時の落札額は明らかに過大評価だったといえるだろう。こちらは、逆に人気作家の人気作の購入タイミングの難しさを示唆している。

今後は、スワン・オークション・ギャラリーが、6月11日に324点の“Fine Photographs”の公開オークション開催を予定している。フィリップスも、開催時期を変更して“Photographs”236点の公開オークションを7月13日に開催する。ただし、コロナウイルスの影響もあり、入札の中心はオンラインや電話になると予想されている。

(1ドル/110円で換算)

ギャラリー今後の予定 「レアフォトブック・コレクション 2020」予約制で開催

緊急事態宣言が解除になり、都内の美術館やギャラリ―も6月から慎重に営業を再開する見通しだ。

ブリッツは、ノーマン・パーキンソンなど6名の有名アーティストが撮影したオードリー・ヘップバーンの珠玉のポートレート展の「Always Audrey」開催を予定していた。

「Always Audrey」2020年秋に開催予定。写真はNorman Parkinson撮影

デパートではヘップバーンの映画スティールを展示するようなイベントが数多く開催されている。しかし、本展はロンドンのギャラリーで企画されたファインアート作品として認識されているポートレート写真を展示する企画だった。世界巡回展の東京展で、同名洋書写真集の日本版刊行に際しての開催だった。しかし、ロンドンがいまだにロックダウン状態が続いており、現地からの作品発送が困難となり秋への延期となった。

したがって、夏に予定していたフォトブック・コレクター向けの「レアフォトブック・コレクション 2020」を前倒しで完全予約制にて開催することにした。
完全予約制にしたのは、フォトブックのイベントだから。写真展のように来廊者が距離を開けて鑑賞するのではなく、どうしてもコレクターは欲しい本を手に取り中身や状態を確認する。来場者が多くなるとどうしても感染リスクが高くなってしまう。

2000年代の日本は、洋書写真集のコレクションがミニ・ブームだった。当時、ブリッツはレア・フォトブックを積極的に取り扱っていた。2004年から6年間に渡り、毎年5月の連休明けに絶版写真集やレアブック約150~200冊を販売するイベントを渋谷パルコのロゴスギャラリー(現在は閉廊)で企画開催していた。同ギャラリーは洋書販売のロゴス書店の横にあるパルコ主催のイベントスペース。新刊とレアブックの相乗効果を狙った企画だった。2週間の会期で、毎年それなりの売り上げを達成していた。この時期は洋書写真集がブームとなり、同時に絶版写真集も注目されたのだ。

以前のブログで当時の状況を次のように分析している(2016年7月)
「このブームのきっかけはネット普及によりアマゾンで洋書がかなり割安で購入できるようになったからだと分析している。90年代、洋書店で売られていた写真集は高額の高級品だった。よく雑誌のインテリア特集のページ内でお洒落な小物として使用されていた。私は約30年洋書を買っているが、かつてのニューヨーク出張ではスーツケースの持ち手が破損するくらい膨大な数の重い写真集を持ち帰ったものだ。アマゾンの登場は衝撃だった。とにかく重い写真集が送料込みで、ほぼ現地価格で入手可能になったのだ。最初は欧米のアマゾンでの購入だったが、2000年11月に日本語サイト“amazon.co.jp”が登場して日本の一般客も今まで高価だった洋書写真集がほぼ現地価格で購入可能になったのだ。
2008年のリーマン・ショックまで続いたブームは、かつては高価で高級品だった洋書写真集が低価格で買えるようになったから起きたのではないか。一種のバブルだったのだ。今まで高額だったカジュアルウェアをユニクロが高機能かつ低価格で発売してブームになったのと同じような現象だった。時間経過とともに、洋書が安く買えるという驚きがさめ、その価格の認識が一般化し始めたころにリーマン・ショックが起きたのだ。アート系商品は、心は豊かにするが、お腹を満たしてくれない不要不急の際たるものだ。それ以降は、本当にアート写真が趣味の人が興味を持つ写真家の本を購入するという従来のパターンに戻ったのだ。2010年代には、アベノミクスによる円安で輸入価格が上昇して、景気の長期低迷とともに市場規模は縮小均衡してしまった」

その後、レア・フォトブックを専門に取り扱う業務はショップ/オンライン共に非常に厳しい環境に直面する。かつてのブーム時には、写真集コレクターの人が自らの在庫を販売する形でショップ業務を開始することがあった。しかし、在庫がなくなり、新たに仕入れを行うようになってからが厳しいのだ。ネット普及以前は、相場を知らない人からかなり安い仕入れが可能だった。しかし、いまや人気写真集の相場はネット検索で全くの素人でも把握可能になった。ネットのオークションやフリマで自ら売ることも可能だ。もちろん、コレクターもネット検索して相場を確認したうえで、状態と販売価格から総合的に購入先を判断する。人気の高いフォトブックの場合、情報と価格の格差が縮小し、業者として売買ビジネスが完全に成立しなくなったのだ。業者はいまだ未評価の本をいち早く見つけ出す、高い目利き力が求められるようになった。

「レアフォトブック・コレクション 2020」も、このような状況を意識して行う。多くは販売価格の値札をつけないで時価とする予定だ。つまり、その時点でのネットの価格を参考にして、同じ状態の本と同じ値段にする。買いたい人は、その場でスマホを使い相場をチェックするからだ。会場はブリッツ・アネックスを予定している。フォトブックの中には、ブリッツ・コレクションも混在している。おもにファッション系なのだが、それらは参考資料なので、内容の確認は可能だが販売はしない。もし購入希望者がいたら、販売しているネット古書店を紹介してそちらで買ってもらう予定だ。商品はあるが「販売しないイベント」なのだ。

今回は、フォトブック・ガイド本に掲載されているレア・フォトブック、サイン本、プリント付きフォトブックなど多数を紹介する予定。展示内容については、公式インスタグラムなどで順次紹介していく。また完全予約制なので、マニアックなコレクターへの情報提供とコレクションの各種啓蒙活動が可能だと考えている。

「ブリッツ・フォトブック・コレクション 2020」
会期:6月5日(金)~ 8月9日(日)*完全予約制
休廊:月、火曜日、オープン時間 1時~6時

主要出品フォトブック

・サイン入りフォトブック
リチャード・アヴェドン、アーヴィング・ペン、ウィリアム・エグルストン、ブルース・ダビットソン、ピーター・ベアード、ジャック・ピアソン、ライアン・マッキンレイ、テリー・オニール、シンディー・シャーマンなど

・オリジナル・プリント付フォトブック
メルヴィン・ソコルスキー、マイケル・デウィック、テリー・オニール、テリ・ワイフェンバック、アレック・ソスなど

・オリジナル・プリントの展示
ギャラリー・コレクションから珠玉のオリジナル・プリント約15点が会場の壁面に展示されます。

・プレスリリース、画像資料は以下でご覧いただけます。
http://www.artphoto-site.com/inf_press_87.pdf

ニューヨーク春のアート写真情報(2)
クリスティーズがオンライン・オークションを開催!

ニューヨークの株価は3月中旬の大きな急落から持ち直している。米連邦準備理事会(FRB)が大規模金融支援の発表し、企業の資金繰り不安が収まったことによる。新型コロナウィルスの感染拡大のピークは過ぎたとして、全米で経済活動が再開しつつある。しかし、このところ非常に厳しい経済指標の発表が続いている。4月の鉱工業生産指数は前月比11.2%低下、これは過去100年で最大の落ち込みとのこと。小売売上高も前月比16.4%も減少。5月に入り、百貨店大手JCペニー、ニーマン・マーカス、衣料品チェーンのJクルーが相次いで経営破綻している。経済活動再開で、7~9月期の経済成長はプラスに転じそうだが、新型コロナ感染第2波のリスクもあり、当初言われていたよなV字回復は難しそうだ。

アート写真市場で、今回のコロナウィルスが従来の景気悪化と違う点は、美術館、ギャラリーなどが長期にわたり閉鎖されていること。美術館は閉鎖期間の入場料収入が蒸発する、ギャラリーは売り上げが減少する。ともに経営が非常に厳しくなる。一部では従業員のレイオフが始まっているという。従来、美術館はオークション市場を通してアート史での重要作品を購入し、コレクション充実を図っていた。ギャラリーは、在庫の仕入れ元だった。このような状況だと、彼らの新規購入は難しく、今後は逆に運転資金確保のためのコレクション、在庫の売却に動く可能性もあると考える。

さて参考のために2008年の金融危機後の市場動向を振り返ってみよう。
2008年にはニューヨークの大手3社の年間売り上げは約1.22億ドルだった。明らかにバブルの様相を呈していた。それが2009年には1980万ドルと、約83%も減少。その後、2013年には約4782万ドルまで回復したが再度低迷する。2019年の売り上げは約3528万ドルと、ピークだった2008年の28%にとどまっている。
売り上げが回復しないのは、写真表現においても現代アート系作品の存在感が増してきたことが背景にあると考える。つまり、現代写真は“Photographs”ではなく、他のアート作品と共に“Contemporary Art”系カテゴリーでの取り扱いになる場合が多くなっている。

さて既にレポートしたように、通常は3月下旬から4月上旬にかけて行われる大手業者によるニューヨークの公開アート写真オークションは全て中止となった。各社、開催時期の変更やオンライン・オークション開催で、コロナウィルス感染時の市場動向を探っている状況だ。
大手3社の対応方法は全く違う。既報のようにササビーズは3月24日から4月3日までの期間に、ほぼ公開オークションと同じ内容で“Photographs”を開催。結果は122点が入札されて落札率は約61.3%、総売り上げは約299万ドル(約3.29億円)を達成している。
クリスティーズは、メインの“Photographs”をオンライン・オンリーに変更して、5月19日~6月3日にかけて238点のオークションを行う。フィリップスは、開催時期を変更して“Photographs”236点の公開オークションを7月13日に開催、同様にスワン・オークション・ギャラリーも、6月11日に324点の“Fine Photographs”の開催を予定している。公開オークションでも、入札の中心はオンラインや電話になると予想される。

一方、クリスティーズは4月末から5月にかけて取扱い分野を19~20世紀写真に絞った二つのオンライン・オークションを行った。4月21日~29日にかけて、“Walker Evans: An American Master”、4月30日~5月13日にかけてピクトリアリズムからモダニズム関連のモノクロ写真を集めた“From Pictorialism into Modernism: 80 Years of Photography”を開催。作品の詳細をみるに、両方ともほとんどがニューヨーク近代美術館収蔵という最高の来歴の作品。たぶん海外でよくある、新規コレクション購入のための重複コレクションの売却なのだろう。
両オークションともに全作品が落札されたものの、その詳細は驚くべきものだった。どうも今回は最低落札価格が設定されていないか、極端に低い金額に決められていたようだった。“Walker Evans: An American Master”では、落札39点のうち落札予想価格下限以下での落札が36点に達した。総売上げは9.1875万ドル(約1010万円)。1000ドル以下も4点あった。

Christie’s NY, Edward Steichen “Heavy Roses, Voulangis, France, 1914”

“From Pictorialism into Modernism: 80 Years of Photography”では、89点中78点が落札予想価格下限以下の落札。総売り上げは約30.5375万ドル(約3359万円)。出品写真家は、エドワード・スタイケン、アルフレッド・スティーグリッツ、イモージン・カニンガム、イルゼ・ビング、ベレニス・アボット、ドロシア・ラング、アンリ・カルチェ=ブレッソンなど一流どころ21名。ただし、写真家の代表的作品は非常に少なかった。スタイケンやカルチェ=ブレッソンのような有名写真家の多くの作品も、最低落札予想価格下限の数分の一という、通常なら不落札の信じられない低い金額で落札されていた。1000ドル以下は26件だった。
最高額は、エドワード・スタイケンの“Heavy Roses, Voulangis, France, 1914”。落札予想価格4~6万ドルのところ2.75万ドル(約302万円)で落札。アンリ・カルチェ=ブレッソン“Madrid, 1933”も、落札予想価格3~5万ドルのところ、同額の2.75万ドル(約302万円)で落札された。

Christie’s NY, Henri Cartier-Bresson “Madrid, 1933”

もともと新世代のコレクターにあまり人気がなかった19~20世紀写真。有名写真家の代表作以外は動きが極端に鈍くなっていた。写真表現でも現代アート系作品が市場の中心になる中で、もし19~20世紀写真にアート的価値を見出すのなら今回のオークションでの買い物はバーゲン価格だっただろう。しかし、それらに古い骨董品や伝統工芸の写真版の価値しかないと認識する人には適正価格ということではないか。今回は、大手オークション会社の、有名写真家の、最高の来歴の作品だったから低価格でも落札されたと考える。それ以外の作品の評価は本オークション結果が既成事実となり、かなり厳しくなると予想できる。この分野の在庫を抱えるディーラーは肝を冷やしているのではないだろうか。
いま市場では、アート性がある人気アーティストとそれ以外、重要作と不人気作、という二つの2極化が同時進行している。今春のいままでのオークションではこの傾向が強まった印象だ。しかしそれらは世界的な緊急事態下という極めて特殊な時期に開催された。多くの参加者は、健康を第一義と考え、決して冷静に作品を総合評価していなかったと思う。
これからのコロナウィルスとともに生きる新しい時代、はたしてこの流れが続いていくのだろうか?初夏に予定されている、各社の“Photographs”オークションの動向に注目したい。

(1ドル/110円で換算)

(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(11)
アレクセイ・ブロドヴィッチ関連本の紹介
(Part-3/ブックリスト)

アレクセイ・ブロドヴィッチ(1898-1971)本人が撮影して制作されたフォトブックは、「Ballet」(J. Augustin Publisher, New York, 1945年刊)だけとなる。

実は知る人ぞ知るもう一つのプロジェクトがあった。1960年代、ブロドヴィッチは抑うつとアルコール中毒に苦しみ、入退院を繰り返していた。彼は、入院中に超小型のミノックス・カメラを使用して数百枚の写真を撮影していたという。空のタバコ・ケースに入れて入院患者を密かに撮影したり、野外で島の工業施設などをスナップしていた。「Master of American Design / BRODOVITCH」(Andy Grunberg/Harry N.Abrams,1989年刊)には、そのコンタクトシートが見開きページで「In Focus : Ward’s Island」として、「Alexey Brodovitch」(Kerry William Purcell, Phaidon, 2002年刊)には、1961年のコンタクトシートとドローイングが「Ward’s Island」として紹介されている。それらは、「Ballet」の雰囲気を持つ、アレ・ブレ・ボケが取り入れられたモノクロ写真。本人が意図しているかどうかはわからないが、撮影者と被写体の患者との存在が一体化されているのが特徴だ。しかしながらネガの所在が不明で、残念ながらいままでにフォトブック化されていない。

「Alexey Brodovitch」(Kerry William Purcell, Phaidon, 2002年刊)に収録されているWard islandでの作品のコンタクトシート

彼のもう一つの重要な仕事は、グラフィックアートの季刊誌「Portofolio」(Zebra Press刊)のアート・ディレクションとアート編集だ。エディターは、George S. Rosenthalと Frank Zachary。広告収入で成り立つファッション誌「ハ―パース・バザー」では、様々なデザイン上の制約があった。「Portofolio」は、編集とデザインの自由度を優先するために、広告掲載を行わず定期購読での予算確保を目指した。この雑誌でブロドヴィッチは、アートの高級、大衆的かにこだわらず、すべてのヴィジュアルを民主的に取り扱っている。彼の真の能力がいかんなく発揮された、キャリアのピーク時の仕事といえるだろう。しかし制作コストがかさんだことから、1949年から1950年にかけて僅か3冊だけの刊行となった。いまでも伝説のグラフィック・デザイン雑誌として知られている。

「Alexey Brodovitch」(Kerry William Purcell, Phaidon, 2002年刊)には、「Portofolio」の多くの主要ページが再現されている。古書市場での相場は、非常に古い雑誌なので状態によりかなりばらつきがある。状態の良いものは500ドル以上している。

〇 アレクセイ・ブロドヴィッチ関連本リスト

(1)「Ballet」(J. Augustin Publisher, New York, 1945年刊)

ブロドヴィッチは1935~1937年にかけて、バレエ・リュス・ド・モンテ・カルロ・ニューヨーク公演のリハーサル、本公演、バックステージのシーンを35mmコンタックス・カメラでストロボなしでスロー・シャッターで撮影。当時の主流はシャープなストレート写真だった。彼はタブーだった、明暗、ブレ、ダブり、ボケなどを多用することで、バレーの動きと、演技が盛り上がる雰囲気を見事に表現する。ブロドヴィッチは本書で写真表現の可能性を大きく広げ、その後のデザイン、写真界に大きな影響を与えたと言われている。グラビア印刷による104点がパフォーマンスごとに11パートで紹介。しかし収録写真のほとんどのネガはブロドヴィッチの自宅の2度の火災で焼失している。オリジナル版の発行部数は500部、多くが贈呈され書店にはほとんど流通しなかったと言われている。
本書はかつて幻のフォトブックと言われ極めて入手が困難だった。しかし、いまネットで検索してみたところ約10冊がヒットした。価格は2500ドルから1万ドルくらいまで。約75年も前の本なので個別状態により価格は大きく影響されるが、ネットの一般普及の以前と比べて相場はかなり下がっている。90年代は、状態の悪い本でも希少性によりかなり高価だった。レアな写真集を本ごと完全に複写して販売する「Books on Books No.11」として再現されたのも多少影響しているかもしれない。本書は、松浦弥太郎氏が責任編集のユニクロ「Life Wear Story 100」の中でも取り上げられている。

(2)Alexey Brodovitch and His Influence
(George R. Bunker, Philadelphia College of Art, Philadelphia,1972年刊)

本書はブロドヴィッチの生前に企画され、没後の1972年にフィラデルフィア美術大学で開催された回顧展「Alexey Brodovitch And His Influence」に際し刊行されたカタログ。

(3)「Alexey Brodovitch」(Ministere de la Culture, Paris,1982年刊)

1982年10月27日~11月29日にかけてパリのグラン・パレ(Grand Palais)で開催された回顧展「Hommage a Alexey Brodovitch」展のカタログ。

(4)「Master of American Design / BRODOVITCH」
(Andy Grunberg/Harry N.Abrams,1989年刊)

その前の2冊のカタログと違い、カラー印刷で彼の多くの仕事を紹介しているのが特徴。新しい世代の写真家、デザイナーにブロドヴィッチの存在を紹介した功績が大きいだろう。

(5)「Alexey Brodovitch」(Gabriel Bauret, Assouline,1998年刊)

ヨーロッパ写真美術館パリで、1998年2月18日~5月17日までに開催された展覧会のカタログ。企画はフランスの著名なキュレーター、評論家、写真史家のガブリエル・バウレット。

(6)「Alexey Brodovitch」(Kerry William Purcell, Phaidon, 2002年刊)

ブロドヴィッチのキャリアと仕事を総合的に回顧。著者は、英国の作家、フリーの写真エディターのケリー・ウィリアム・パースル。豊富なヴィジュアル、関わりのあった広い分野の人物とのインタビュー、未発表を含むデザインワークの紹介でブロドヴィッチの再評価と分析を試みている。 全272ページ、275のカラー、75のモノクロ・イメージを収録。絶版になったレアな写真集類の参考資料も多数掲載されており、ブロドヴィッチの現代に与え続けている影響を知るには格好の1冊。カヴァーは、1957年3月号のハ―パース・バザーに掲載されたリリアン・バスマンの写真。

(つづく)

(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(10)
アレクセイ・ブロドヴィッチ関連本の紹介(Part-2/伝説はどのように生まれたのか )

ブロドヴィッチのキャリア末期は不運続きだった。2度にわたる自宅の焼失、また夫人との死別によるショックで抑うつとアルコール中毒に苦しみ、入退院を繰り返す。ワークショップの「デザイン・ラボラトリー」を再開することもあったが、心臓発作を起こしたことから中断。1966年、最終的に親戚のいるフランスに戻る決断を下す。
アーヴィング・ペンはブロドヴィッチがフランスへ向かう直前にグリニッジ・ヴィレッジでランチを共にしたという。その時のエピソードが「Alexey Brodovitch and His Influence」に書かれている。
「私たちは、ともにもう二度と会うことがないことを知っていたと思う。彼は私が取り組んでいる作品プロジェクトについて尋ねた。彼は注意深く私の話を聞いていた。しかし、彼の理解力はすでに衰えていた。そして、私はあなたの言っている意味が理解できない。しかし、ペン、私はあなたのやってることを信じるよ」と語ったという。
ブロドヴィッチは、1971年4月15日、アビニオン近くのル・トールにおいて73歳で亡くなっている。

「Alexey Brodovitch and His Influence」より

実は生前に、フィラデルフィア・カレッジ・オブ・アートでブロドヴィッチの回顧展が企画されていた。死の約1年後の1972年に「Alexey Brodovitch And His Influence」展が開催されている。その後、1982年10月~11月にかけてパリのGrand Palaisで回顧展「Hommage a Alexey Brodovitch」が開催。二つの展覧会では、ともにペーパー版のカタログが製作されている。

ブロドヴィッチの存在は、彼の死後かなり長いあいだ忘れ去られていた。本格的な再評価は、80年代後半以降になってからとなる。彼が追求していた「時代の気分や雰囲気を写したファッション写真」のアート性が新たに見いだされるのを待たないといけない。
彼は生前「写真はアートではないが、良い写真家はアーティストだ」と語っている。彼が活躍していた時代は、写真自体はともかく、作り物のファッション写真はアートではないと考えられていた。それゆえに、生前は彼の才能と実績は、アートの視点からは全く評価されなかった。
1989年に、彼の仕事を本格的に回顧する写真集「Master of American Design / BRODOVITCH」(Andy Grunberg/Harry N.Abrams刊)が刊行される。しかし、80年代後半におけるブロドヴィッチの評価はタイトル一部の「Master of American Design」が示すようにデザイン分野の視点からだった。

「Appearances」、「The New York School」

ブロドヴィッチがアート写真界にとって偉大な存在であった事実を本格的に再評価し紹介したのは、この連載で以前に紹介した1991年にロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催された、戦後のファッション写真のアート性を提示した「Appearances: Fashion Photography Since 1945」だった。同展キュレーターの写真史家マーティン・ハリソンは、1991年刊の同展のカタログで、「戦後に欧州から米国に移住して建築や絵画を教えたジョゼフ・アルバース、ミース・ファン・デル・ローエ、ヴァルター・グロピウス、ラースロー・モホリ=ナジと比べて、つい最近までブロドヴィッチの存在はほとんど知られていなかった」と書いている。90年前半、まだブロドヴィッチは知る人ぞ知る存在だったのだ。その理由は、前回に書いたように、ブロドヴィッチが当時の人たちが認識していなかった「ファッション写真におけるアート性」を教えようとしていたからだ。多くの人がその価値を理解する知識と経験を持たなかった。90年代以降にやっと時代がブロドヴィッチに追いついてきたのだ。同展サブタイトルは、「1945年以来のファッション写真」だが、1945年はブロドヴィッチの写真集「Ballet」が刊行された年。ハリソンは同カタログで「Ballet」にも触れており、ブレを利用してバレーの動きの本質の表現、動きや偶然性を駆使し、感情的な部分を優先させた作品は、ファッション写真に多大な影響を与えた。その長期的影響を予想するのは難しいが、その遺産は現在にも受け継がれている、と書いている。彼の認識しているアート系ファッション写真の歴史は1945年の「Ballet」から始まっているということだろう。

90年代に訪れたブロドヴィッチ再評価には、フランス出身のアート・ディレクター、編集者のファビアン・バロン(1959-)も貢献している。彼はスティーブン・マイゼルが撮影して話題になった、マドンナの写真集「Madonna’s Sex」(1992年刊)のデザインを手掛けたことでも知られている。1992年、ハ―パース・バザー誌のアート・ディレクターに就任。マリオ・ソレンティ、デビット・シムなどの若手写真家を積極的に起用する。かつてのブロドヴィッチを彷彿させる、余白を生かした、シンプル、クラシック、エレガントな要素を持つ大胆なデザインで雑誌リニューアルを成功させるのだ。同じく欧州出身であることなどから、ブロドヴィッチの再来などとも言われていた。
当時の日本にも、ブロドヴィッチを崇拝する編集者の林文浩(1964-2011)がいた。彼が創刊した、独立系のハイ・ファッション誌「リッツ」、「デューン」では、白バックを利用したファッション、ポートレート写真を積極的に取り入れていた。

「Harper’s Bazaar, February 1997」,「dune 1993 No.2 AUTUMN」

90年代を通しブロドヴィッチの再評価の流れは続いていく。キュレーター・ジェーン・リビングストンが編集企画した「The New York School : Photographs, 1936-1963」(Stewart Tabori & Chang, 1992年刊)では、1930年代から1960年代にかけてニューヨーク市に住み、活動していた写真家16人「ニューヨーク・スクール・フォトグラファー」と大まかに定義。ブロドヴィッチもその一人に選ばれ、「Ballet」の写真が紹介されている。ほとんどのネガが消失しているので、写真集から作品を複写している。その他に、リゼット・モデル、ロバート・フランク、ルイス・ファー、ウィリアム・クライン、ウィージー、ブルース・デビットソン、ダイアン・アーバス、リチャード・アヴェドン、ソール・ライターなどが含まれる。ブロドヴィッチが主宰していた伝説のワークショップに参加していた写真家が多く含まれている。ニューヨーク・スクール・フォトグラファーは、雑誌の仕事を行う一方で、ストリートで撮影したパーソナル・ワークでこの分野の表現の境界線を広げてきた。なかには、ソール・ライターやルイス・ファーのように、ストリート写真の伝統を取り入れているものの、さらにその背景にある社会の思いやフィーリングまでを探求していると評価されている写真家も含まれる。彼らの評価は、上記のマーティン・ハリソンの著作が語るアート系ファッション写真の評価と重なってくる。

以下は次回「Part-3/ブロドヴィッチ関連本の紹介」に続く

(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド
(9)アレクセイ・ブロドヴィッチ関連本の紹介
(Part-1/デザイン・ラボラトリー)

連載の9回目からは、ロシア出身のアート・ディレクター、グラフィック・デザイナー、写真家、教育者で、20世紀グラフィック・デザインの元祖として伝説化されているアレキセイ・ブロドビッチ(1898-1971)のキャリアと関連本を数回に分けて紹介する。

彼を取り上げる理由は、アート系ファッション写真の歴史の原点は、1945年刊行のブロドビッチのフォトブック「Ballet」にあると考えるととともに、彼の主宰したワークショップ「デザイン・ラボラトリー」が、同分野で活躍する写真家たちに多大な影響を与えたからだ。

「Ballet」(Augustin Publisher、1945年刊)

ブロドビッチは1934年から1958年まで米国ハーパース・バザー誌のアート・ディレクターとして活躍。フォトブックでは、アンドレ・ケルテスの「Day of Paris」(1945年)、リチャード・アベドンの「Observations」(1959年)のデザインを手掛けている。

写真家としては、写真集「Ballet」が1945年に刊行されている。
当時は写真撮影のタブーだった、明暗、ブレ、ダブり、ボケなどを多用することで、バレーの動きと盛り上がる雰囲気を表現。写真表現の可能性を大きく広げ、その後のデザイン、写真界に大きな影響を与えている。彼の写真はデジタル化が進行した現在では目新しさはないかもしれない。しかし、ブロドビッチの時代のアート系写真は、ストレート写真の「f/64」グループと、FSA (米国農業安定局)プロジェクト関連のドキュメンタリー写真だった。
アーヴィング・ペンは、彼の戦後ファッション写真への長きにわたる影響について「すべての写真家は、その人が知っていようがいまいが、すべてがブロドビッチの生徒だ」と指摘、リチャード・アヴェドンは「彼は天才だった、そして、彼は気難しかった。いまや、彼は自らが人生を通して蔑んでいた栄誉ある存在として扱われるだろう。彼は、私の生涯でただ一人の先生だった。私は、彼の苛立ち、彼の傲慢、彼の不満から多くを学んだ」と語っている。

Richard Avedon “Observations”(1959年刊)

ブロドビッチの重大な功績には、「デザイン・ラボラトリー」と呼ばれるワークショップで、若手写真家やデザイナーを育てたことだ。1936年にフィラデルフィアで、その後は1941年から約20年間に渡りニューヨークで、写真、グラフィック・ジャーナリズム、広告、デザイン、ファッションなどの指導を行っている。ブロドビッチは、その場をクリエーターが表現方法の実験を行う場所と位置付けていた。彼はかなり厳しい指導者だった事実は多くの資料に書かれている。その教育理念の背景には20世紀初頭の欧州の規律を重んじる考え方があったからだと言われている。カジュアルな米国文化の中では多くの反発があったであろうことは容易に想像できる。彼の評判には、多くの才能を発掘した一方で、多くの才能を潰したという厳しいものもある。

「Ballet」の掲載写真

彼の指導法は欧州バウハウスの教育学に影響を受けていた。特徴は、教えない、判断しない、育てない、提案しない、教義もないというスタイル。彼はアートの教育には懐疑的で、生徒は先生に教わることでそれを真似するようになり、先入観を持つようになると考えていた。ここの部分はかなり分かり難いので、私の解釈を追加しておこう。

彼が生徒に何を学んでほしかったかを正しく把握しないといけない。ここの部分の認識と理解によって彼の評価は大きく変わる。多くの人は、生徒はいわゆる「良い写真、上手な写真」を撮影する方法を学ぼうと考える。しかし、ブロドビッチの考えは違う。彼は生徒には自らが生きている時代をどのように認識、解釈して写真で提示するかを学んでほしいのだ。言い方を変えると、生徒に写真の撮影スタイルを教えるのではなく、時代に能動的に接して、自分の才覚でそこに横たわる言葉にできない時代性を探し、写真で表現する方法を教えようとしていた。「過去の創作に囚われることなく、イマジネーションを最大限に生かして新しい独立したものを見つけなければならない」という主張もこれを意味するのだ。生徒に対して「私が今までに見たことのある写真を見せるな」と言ったという。また「surprise quality」という言葉を引用。見る側に「驚き」、「ショック」を与えろと言った。しかしそれらは生徒に誤解されることが多かったようだ。このように言われると写真家は奇をてらった写真を撮影したり、暗室作業で新しい方法論を追求しがちになる。そして、それが目的化してしまうのだ。
アヴェドンの解釈によると「“少しばかりに驚きの快感を与える写真”は、非常にシンプルで手が加えられていない写真」とのこと。それはより洗練された作品を意味し、まさに方法論が目的化した写真と真逆なのだ。さらに「“驚き”と“ショック”は、探求をさらに進めろ、見えないものを可視化しろという意味だ」と語っている。
これこそは、過去の思い込みにとらわれない姿勢を心がけて、イノベーションを呼び起こせという、現代のアートのテーマ探しにつながるだろう。現代アートでは時代に横たわるテーマを言語化してコンセプトとして提示すること。ブロドビッチは、時代に感じられる気分や雰囲気を心で感じてヴィジュアルで表現しろということなのだ。両者は、頭で思考するのと、心で感じるのとの違いだけなのだ。いま、この考え方は私が写真を評価するときの一つの規準になっている。
しかし実際にその意味がなんとなく分かるようになるには10年以上もかかった。たぶんこの部分に初めて触れた人は、禅問答を聞いているよう印象を持つのではないだろうか。

デザイン・ラボラトリーの様子。”Alexey Brodovitch”(Phaidon, 2002年刊)より

ワークショップ参加者が互いを知るようになると課題がだされるようになる。それは、「人間とその感情」、「ハロウィーン」、「ブロードウェイ」、「新聞スタンド」、「青春」、「カフェテリア」、「デキシーカップ」などだったそうだ。課題研究では写真表現について生徒間の激しい作品批評が行われた。
参加者は、リチャード・アベドン、アービング・ペン、ロバート・フランク、リリアン・バスマン、 アーノルド・ニューマン、ブルース・ダビッソン、ダイアン・アーバス、ヒロ、バート・スターン、ルイス・ファー などの錚々たる写真家のほか、デザイナー、アート・ディレクター、モデルらが参加している。
もう1点重要な点は、このワークショップはあくまでも「アート系ファッション写真」の方向性を持っていたことだ。当時ファッション写真はアートではないというのが一般的な認識。そのようなカテゴリーの存在は生徒には認識されてなったと想像できる。したがって、作品制作の方向性が違う、アーバスやフランクなどはやがてこの場を離れていくことになる。また上記のような、当時としては極めて難解だったと思われる彼の指導目的を理解した参加者は少なかったと思われる。実際のところ、写真クラスの初回には60名以上が参加したが、厳しいブロドビッチの指導で参加はどんどん減少していき、最後のセッションのころに残ったのは多くて8名くらいだったそうだ。
「デザイン・ラボラトリー」は、厳しい海兵隊の訓練のようだったという意見もあるぐらいだ。

次回「Part-2/伝説はどのように生まれたか」に続く

ニューヨーク春のアート写真情報(1)
ササビーズがオンライン・オークションを実施!

この時期は定例の春のニューヨーク・アート写真オークションが開催される。通常ならば結果を分析して提供しているはず。しかし、今期はコロナウイルスの影響で状況が様変わり。大手3社や、スワン・ギャラリー・オークションも公開オークションを延期。その中でササビーズ・ニューヨークのみがオンライン・オークションを開催した。

入札は3月24日から4月3日までの期間で開催。当初は227点の出品が予定されていたものの、市場環境の急変から全体の約12%にあたる28点が出品取り下げ、総出品点数は199点のオークションとなった。結果は122点が入札されて落札率は約61.3%、総売り上げは約299万ドル(約3.29億円)だった。
ちなみに昨年同期のササビーズの結果は、189点が出品され131点が落札、落札率は約69.31%、総売り上げは約403万ドル(約4.44億円)だった。

今回の中身を分析するに、手数料込での落札予想価格下限以下の落札が34件も見られた。それらが果たしてバーゲンの買い物だったかどうかは今後の相場動向次第だろう。
総出品点数の約48%が不落札か落札予想価格下限以下の落札となる。平時ならば厳しい内容だが、このような環境下であることを考慮すると、比較的順調だったと評価できるのではないか。なんとしても市場を支えようとする、アート写真コレクターたち関係者の強い意志を感じた。たぶん他の市場関係者にもその心意気は伝わったのではないだろうか。

Lazlo Moholy-Nagy, Photogram cover for the magazine Broom, Sotheby’s NY

最高額は、ラズロ・モホリ=ナギの「Photogram cover for the magazine Broom, 1922」。落札予想価格40~50万ドルのところ52.4万ドル(約5764万円)で落札された。

Christian Marclay, MEMENTO (UB40),2008, Sotheby’s NY

続いたのは、クリスチャン・マークレー(Christian Marclay、1955- )の、青いサイアノタイプの1点もの、約139X260cmの巨大作品「MEMENTO (UB40),2008」。落札予想価格5~7万ドルのところ16.25万ドル(約1787万円)で落札。

アルフレッド・スティーグリッツの「The hand on the man,1902」は、落札予想価格8~12万ドルのところ11.25万ドル(約1237万円)で落札された。
本作は2013年4月にフィリップス・ニューヨークで10.45万ドルで落札された作品。手数料などのコストを考慮すると約7年のリターンはマイナス。売却時期が悪かったといえるだろう。

私が注目しているアーヴィング・ペンは9点が出品。人気は相変わらずで7点が落札されている。しかし落札予想価格下限近辺のものが多かった。今後は相場が下方修正されると思われる。

コロナウイルスの影響はどれだけ続くかだれも予想できない。当分の間は、プライマリー市場はオンライン・ヴューイング・ルーム、セカンダリー市場はオンライン・オークションという流れが続くと思われる。

(為替レート/1ドル/110円で換算)