夏休み期間の営業について
各種相談会、イベントを開催!

まず最初に念のため”Heliotropism”展の会期延長を伝えておきたい。
同展は、会期中にわたって、豪雨、酷暑、台風に見舞われたことから
作家の提案で会期を8月12日まで延長している。まだ見てない人はどうかお見逃しなく!

さて商業ギャラリーを経営していると、どうしても作品販売と、写真展の運営・企画の業務を優先せざるえない。今年は”ROCK ICONS”展、”Heliotropism”展では、普段はセミナーなどを行う日曜も営業している。8月の夏休み期間には、普段は時間が取れなくてできなかったワークショップ・相談会を集中的に開催したい。アートは大衆向けの娯楽ではない。アート写真リテラシー向上に興味のある人を対象に考えている。全くの素人というよりは、ある程度の経験や知識がある初心者から中級者向けだと思う。多くの人に分かりやすいようなイベントではなく、知的好奇心が高い人向けのマニアックでディープな内容のイベントとなる。
複数人数のグループ、仲間などにも対応していく。興味ある人はぜひ参加してほしい。

(写真鑑賞が趣味の人・フォトグラファー、キュレーター向け)
・「写真の見立て教室」開催
今年も開催します。
ブリッツは日本の新しいアート写真の価値基準として限界芸術や民藝の写真版としてクール・ポップ写真を提案しています。
今回もその考え方をギャラリストが最新の実例を提示しながら紹介します。この提案に興味を持っている、意見交換に興味のある人はぜひご参加ください。

開催日時:8月19日(日) 午後2時~
場所:ブリッツ・ギャラリー
参加費:1000円
講師のスケジュールの関係で今年はお盆期間の開催となります。
参加希望者が少ないと延期になる場合があります。

(アート写真コレクター向け)
・オリジナル・プリント無料鑑定
お持ちの写真作品の価値を無料で鑑定します。売却希望者には個別アドバイスを行います。予約制です。

・フォトグラフィー・コレクション無料相談
アート写真を買いたい初心者向けの個別相談会です。
資産価値を持つコレクションの構築法や考え方をアドバイス。
インテリアへの作品展示の提案もします。予約制です。

(フォトグラファー向け)
・ファインアート・フォトグラファー講座を開催
こちら有料になります。
参加希望者には夏休み期間中に個別で開催。
二人以上のグループでの開催も行っています。予約制です。

内容は、ファインアート写真の定義、日本市場の現状分析、デジタル時代の市場展望、ファインアート系写真家の実例研究、参加者の作品の評価、アドバイスです。

下記ウェブサイトの”をご参照ください。
http://www.artphoto-site.com/seminar.html

・ポートフォリオ・レビュー/コンサルテーション開催
過去にファイン・アートフォトグラフィー講座を受講した人が対象です。こちらは有料になります。予約制です。

下記ウェブサイトの”その他”の項をご参照ください。
http://www.artphoto-site.com/seminar.html

(お問い合わせ・お申し込み)
上記相談会・レビューは以下の日程で予約制で行います。
期間:8月13日~8月下旬まで
時間:午後1時~6時

ご予約・お問い合わせはすべてEメールでお願いします。
“「写真の見立て教室」参加希望”、”オリジナル・プリント無料鑑定希望”など件名、希望日を明記のうえで
ご連絡ください。

info@artphoto-site.com

写真展レビュー
杉浦邦恵 うつくしい実験 ニューヨークとの50年
@東京都写真美術館

杉浦邦恵(1942-)は、現在ニューヨーク在住の愛知県名古屋市出身のアーティト。お茶の水女子大で物理学科で学んでいたが、将来は教師になるしか道がないと悟り、アート方面にキャリア転換をはかる。
1963年、20歳の時に単身渡米。シカゴ・アート・インスティチュートに入学し、写真でのファインアート制作を学ぶ。1967年に拠点をニューヨークに移し、その後は様々な写真表現の可能性を探求。初期の魚眼レンズによるイメージの歪みの取り込み、人物や風景のモンタージュ、モノクロとカラー・ネガの使用、最も長く続けているカメラを使用しない写真表現のソラリゼーション、感光材を塗ったキャンバスへのプリント作品の制作、最新作では再び最新デジタル技術を使用してキャンバス作品を制作している。

本展は彼女のキャリアを5つのパートで紹介する回顧展となっている。
・パート1:”弧(Cko)”(1966-67年)、
シカゴ・アート・インスティチュートの学生時代にビル・ブラントの作品をヒントに制作した実験的手法の作品
・パート2:フォトカンヴァス(1969-1971年)、写真-絵画(1876-1981年)、フォトコラージュ(1876-1981年)
・パート3:フォトグラムとレントゲン写真のインスタレーション(1980年-)
・パート4:アーティスト、科学者、親愛な(1999年-)、
篠原有司男との出会いから始まった草間彌生、村上隆、蔡國強などのポートレートシリーズ
・パート5:DGフォトカンヴァス、(2009年-)、
2016年からは日本で撮影されたデジタルプリントによる最新作。

キュレーターの鈴木佳子氏はカタログの解説で杉浦の創作を以下のように分析している。
“杉浦は写真に絵画的表現や絵そのものとの組み合わせによって、写真の可能性を広げていく。彼女独自の方法を模索し、脱皮をしていくように次々に新たな手法を生み出し、同じ表現形式に留まることはない”。

この写真へのアプローチ自体は、カメラや撮影テクニックを通して、現実世界に存在する多様なフォルムやシーンを発見して自由に表現する20世紀中盤にドイツから起きたサブジェクティブ・フォトグラフィーに近いようでもある。
彼女が学んだシカゴ・アート・インスティチュートは、ドイツのバウハウス出身のラースロー・モホイ=ナジの創作理念を受け継いでいるイリノイ工科大学が近いことからことから影響があるのは当然だろう。
写真史的には、戦前に米国で写真を学び、その後は写真表現での様々な実験を試み、抽象的な作品“What I’m doing”シリーズを制作し、“写真としてのアート”の可能性に挑戦した山沢栄子(1899-1955)の流れの写真家だともいえると思う。

杉浦はキャリアを通して写真表現の限界を拡大しようと挑戦してきた。しかし彼女の作品は、文脈の中でテーマ性を提示するというより、方法論の追求が優先されている印象が強い。インタビューでも、“自分はプロセスを通じて新しい作品をつくることに興味がある”と語っている。
サブジェクティブ・フォトグラフィーに近いとも指摘したが、その要諦は、写真家が発見した世界の事象に対する解釈や視点を、写真テクニックを駆使して表現することだ。しかし彼女の作品からはこの世界の解釈の部分がいまひとつ見えてこない。現代アート系の人からは、方法論が目的化しているというようなツッコミが入るかもしれない。しかし、科学的な要素が強いアナログ写真の時代に、女性アーティストが50年以上に渡り創作を継続するのは並大抵のことではない。仮に方法論の目的化といわれても、それ自体が50年という十分に長いキャリアを通して行われたのならば、十分に作品テーマに純化しているともいえよう。その業績を東京都写真美術館が作家性として見立てたのだ。

私が興味を持ったのは、何が杉浦の50年間の創作活動継続のモーティベーションになったのかだ。キャリアを見て気付いたのは、若い時から彼女には多くの優れたメンター(指導者/助言者)がいたことだ。それは支援が必要な人に対して指導や助言をする人のことを意味する。仕事面から精神面まで支援するメンターは、日本語の指導者とはややニュアンスが違うが、ここでは指導者としておこう。
私は、キャリアを通して指導者たちの存在が杉浦のキャリア継続を支えてきたのだと考える。米国の教育心理学者ベンジャミン=ブルームの1985年の著書「Developing talent in young people」によると、音楽家、芸術家、数学者、神経学者など世界的に活躍する著名な人々を詳しく調査したが、IQと成功達成には全く相関がない。しかし若い時から優れた指導者について努力を重ねている、という。
なぜアーティストに指導者が必要なのか。彼らは自らを客観視することで創作のアイデアを捻りだす。一人でいくら努力しても自分の枠の中でぐるぐる回るだけになりがちだ。その枠の存在を指導者が気付かせてくれる。またオリジナリティーが認められるまでには厳しい修業が必要だろう。だいたい修業とは数々の失敗を乗り越えていくこと。その道の先輩である指導者はすでに同じ失敗を経験したり、見聞きしている可能性は高いだろう。彼らのアドバイスにより無駄な失敗を避けることができるかもしれない。また複数の指導者とのかかわりも重要だ。指導者が一人だと、言われたとおりに行動したり、指導者の創作をまねをしたりすることがある。複数の人がいることで創作スタイルや方法が多様に展開していくのだ。
またアーティストとしての評価を受けるために業界の重鎮である指導者の支援が欠かせない。指導者も自らの実績のために弟子を育てたいのが本音だろう。彼らからのアート業界への紹介や推薦は若いアーティストが注目されるきっかけになる。いくら自分に才能があると思っていても、誰かが認めない限り、それは独りよがりでしかない。
杉浦の指導者は、シカゴ・アート・インスティチュートでの指導教官だったハリー・キャラハン、アーロン・シスキンやケネス・ジョセフソン。ニューヨーク時代は、ジェーコム・デシン、アートディーラー/批評家ディック・ベラミー、個展を何回も開催しているレスリー・トンコノウ、日本ではツァイト・フォトの石原悦郎、鎌倉画廊の中村路子などだ。同じギャラリーで数多くの個展を開催しているのは、ギャラリストとアーティストとのコミュニケーションが極めて良好だった証拠だろう。杉浦が素晴らしい人たちと関係が持てたのは、彼女の優れた人間力があったからだろう。これは私の想像なのだが、彼女は見栄やプライドなどもたずに自分をオープンにできたからこそ多くの人から受け入れられたのではないだろうか。

また杉浦が美術手帳へニューヨーク・アート・シーンの記事を“海外ニュース(NY)”で寄稿していたことにも注目したい。彼女は、1986年~2008年まで約20年間以上にわたり、展覧会などの取材や写真撮影を行い現地レポートを書いていた。年齢的には44歳から66歳まで、まさにアーティスト・キャリアのなかで肉体と気力が最も充実する重要期に当たる。レビューの総数は約400本以上にのぼるとのことだ。ちなみにカタログにエッセーを寄せている美術批評家の椹木野衣氏は、編集者時代に杉浦を担当していた時期があったそうだ。

この仕事が彼女のキャリア形成と創作継続に非常に大きな影響を与えたのではないかと考える。アーティストはだいたいが創作途中でマンネリに陥る。そこから脱出できないで消えていく人が無数にいる。前にも指摘したように、自分の狭い創作世界に囚われてしまい、新たな展開ができなくなるのだ。そのようなときに有効なのが、指導者のアドバイスとともに、自分以外の優れた表現に触れて刺激を受けること。それが自らを客観視するきっかけを作り、マンネリ脱出の突破口につながるのだ。だが、アーティストはなかなか自分以外の、特に成功している表現者の作品を見に行かない。しかし、杉浦は雑誌の連載の仕事なので、自分の好みや感情と関係なく、否応なしにアートシーンの最前線で活躍する幅広い人の作品を取材しなければならなかったのだ。彼女は、おのずと刺激を受けるとともに、自らのアート表現のデータベースの情報量が増えていったと思われる。
創作は過去の先人たちのアート表現を新たにかけ合わせたり、それらを突然変異させることで生まれてくる。当然のこととして、杉浦の持つ圧倒的な情報量は、新たな発想を生み出す際に役立ったはずだ。また自分より優れた能力を持つ人とも数多く接することになる。そのために、自信過剰になることもなく、新しい視点を柔軟に受け入れる姿勢が維持できたと想像できる。杉浦は、指導者に恵まれたこと、それに続く美術手帳の仕事により、長きにわたり創作キャリアを継続できたのではないだろうか。

本展“杉浦邦恵 うつくしい実験 ニューヨークとの50年”は、国内外の美術館による初めての回顧展になるという。彼女の仕事の全貌が初めて明らかになったことで、写真史やアート史とのかかわりが新たな視点から専門家により見立てられる可能性がでてきたでてきたのではないか。特に現代アート系で、生き物を使用したフォトグラム作品があるアダム・フスや、巨大な抽象作品で写真メディアの探求を続けているウォルフガング・ティルマンスとの関連が語られると、再評価がさらに行われると考える。

〇開催情報
“杉浦邦恵 うつくしい実験 ニューヨークとの50年”
東京都写真美術館
7月24日(火)~9月24日(月振休)
10:00~18:00、木金は20:00まで (7/26~8/31の木金は21:00まで)
休館日 毎週月曜日、ただし、9/17, 9/24は開館、9/18は休館

http://topmuseum.jp/

“Heliotropism”のメッセージを読み解く
異常豪雨や酷暑もテーマとつながっている!

ギャラリーでは、テリ・ワイフェンバックとケイト・マクドネルの二人展の“Heliotropism”を開催している。
会場でよく聞かれるのは、ケイト・マクドネルの作品タイトル“Lifted and Struck”の意味。そして、作品解説に書かれている、ネイチャー・ライティング系作家のアニー・ディラードの著作「ティンカー・クリークのほとりで」の世界観を写真で表現するの意味だ。これらが難解なのは私どもも承知しているので、色々なところで解釈を書いたり話したりしている。たぶん、それを読んでの質問でもあるだろう。
風景写真では、文脈の中で写真家のメッセージを読み解くことがほとんどないだろう。それは日本だけでもない。ある外国人来場者は海外でもテーマ性を明確に提示する自然風景がモチーフの写真は少ないと言っていた。多少は過去の解説の繰り返しになるが、いま一度ケイト・マクドネル作品の説明をしておこう。

Median, 2009 ⓒ Kate MacDonnell

作品タイトル“Lifted and Struck”は、彼女が本作で表現しようとしているアニー・ディラードの著作「ティンカー・クリークのほとりで」から引用されている。

I had been my whole life a bell, and never knew it until at that moment I was lifted and struck.
(“Pilgrim at Tinker Creek” Annie Dillard(1974年刊))

ここでのbellとは、広がった逆カップ状の鐘、もしくは鈴のようなものだとろう。“Lifted”は“Lift”の過去形・過去分詞で、持ち上げられた。“struck”は“strike”の過去形・過去分詞で鳴らされたという意味になる。

全文を直訳すると、
私のいままでの全人生はベルでした、しかし持ち上げられて鳴らされるまでそれに気づきませんでした、

となる。まるで禅問答のようだ。海外の英文による解説を探してみた。かなり有名な文章なのだろう、英語圏のウェブサイトに、膨大な数の個人的意見や解説が発見できた。解説自体も本文同様にかなり難解なものが多かった。その中で私が反応したのは以下のような解説だった。

“あなたが求めることを止めたとき、世界はあなたが探していたものしか見せてくれない事実に気付いた”というもの。これをさらに意訳してみると“私たちは自分の見たいものしか見ていない”、言い方を変えると“自分のフレームワークを通してしか世界を見ていない”のようなことではないか。

実はこの文章はいきなり登場するのではない。これは、女の子がティンカー・クリークのほとりで「内側から光る木」を発見したことがきっかけで起こった反応なのだ。女の子は作家自身と重なるのだろう。「内側から光る木」は原文では“the tree with the lights in it”となる。調べてみると、雷が木に落ちると、木の幹の中が燃えることがあるそうだ。どちらにしても極めてまれに起こる現象、自分の今まででの人生で出会ったことがないシーンに直面したことで、作者は自らを直感的に客観視できたのではないかと想像できる。以前にも述べたが、立花隆が”宇宙からの帰還”で書いている、宇宙から暗闇の中に浮かぶ地球をみた宇宙飛行士が直感的に神の存在を感じた、のような経験ではないだろうか。
これまでの説明で、マクドネルの、アニー・ディラードの「ティンカー・クリークのほとりで」の世界観を写真で表現するの意味が多少は理解できるようになるのではないか。

以前に、彼女は既存のどんなシーンにもとらわれないヴィジョンを持っており、いまの宇宙や自然界のどこかでで発生しているが、誰も気付かない、見たことがようなシーンを探し求めている、と解説した。それこそが、彼女にとっての、森の中で「内側から光る木」を探す行為なのだ。前回も書いたが、今回の展示作品はそのような一種の求道の旅の中で「はっ、ドキッ」とする瞬間を撮影したものなのだろう。しかしマクドネルは、まだディラードの「内側から光る木」のような強烈なインパクトがあり、意識が瞬間で裏返るようなシーンには出会ってないのだろう。本作は彼女の現在進行形のライフワークで、これからも「内側から光る木」を探し求める旅は続くのだ。彼女にとってその撮影旅行自体が作品であって、それに意味を見出しているのだろう。ぜひ、上記の作品解説を含んだうえで、いまいちど“Lifted and Struck”を見てみてほしい。

本展は、二人の写真で重層的なテーマを見る側に提供している。マクドネルは、人生で出会ったことがないシーンを探し求める。これは宇宙を集中して観察する行為に他ならない。これこそは西洋社会の自然観を象徴しているといえるだろう。
一方で、ワイフェンバックの”The May Sun”は俳句のような写真作品。伊豆の山河で自然に神々しさを感じるという、古来の日本の自然観が反映されている。
西洋と古来の日本の自然観を対比させているのは、神が創造した自然を人間が自由にコントロールできるという考えの背景にある西洋の自然観、つまりその延長上の化石燃料を燃やして経済成長を続けることが、いまや地球の温暖化などの顕在化で持続できないという問題提起がある。最近の異常豪雨や酷暑は温暖化と関係があるといわれている。
しかしワイフェンバックは、単純に世界の人々は古の日本の自然観を見習うべきだとは考えていない。私たち日本人も、明治以降は自然と人間が一体という優美の美意識を忘れて、西洋の考え方を取り入れて経済成長を果たてきたのだ。彼女には、近代社会では生物と自然との関係のバランスが崩れて、一方へ傾きすぎていると認識があるのだと思う。西洋の自然観一辺倒になったので、そろそろ東洋の自然観の方への揺り戻しが必要ということだろう。
私は専門家でないので詳しくは触れないが、その背景には地球と生物は相互に関係しあいながら環境を作り上げている、という思想があると想像している。

「Heliotropism」
テリ・ワイフェンバック / ケイト・マクドネル
2018年 6月1日(金)~ 8月5日(日)
1:00PM~6:00PM/ 休廊 月・火曜日(本展では日曜も営業) / 入場無料
ブリッツ・ギャラリー
http://www.blitz-gallery.com

 

 

“BOWIE:FACES”展が名古屋に巡回決定
鋤田正義スペシャルトーク開催!

 

2017年春に東京の3会場で行い好評だった”BOWIE:FACES”展。9月に名古屋に巡回することが決定した。会場は納屋橋 高山額縁店。会期は9月8日(土)~16日(日)までとなる。

本展では、テリー・オニール、ブライアン・ダフィー、鋤田正義など7名の有名写真家による、1967年~2002年までに制作されたデヴィッド・ボウイの珠玉のポートレート、写真家とのコラボレート作品約30点を紹介する。ボウイによる9枚のアルバムのオリジナル写真、および関連するアート作品が含まれる。

参加写真家は、ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、テリー・オニール(Terry O’Neill)、鋤田正義(Masayoshi Sukita)、ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)、ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)、マーカス・クリンコ (Markus Klinko)、ジェラルド・ファーンリー (Gerald Fearnley)。なお彼ら全員が、昨年春に東京展が行われたヴィクトリア&アルバート美術館の”DAVID BOWIE is”に協力している。

会場では幅広い価格帯のオリジナル・プリントを展示販売する。中心価格帯は、10~30万円。しかし憧れの鋤田正義作品も、一部の小さいサイズの作品だと、額・マット込みで約3万円から、ブライアン・ダフィーのあの有名作“アラジン・セイン”も、LPジャケットのマットサイズのエステート・プリントならで約2万円購入可能。

東京展では、初めてアート写真を購入したという人が多数いた。実際に買うかどうかは別にして、買おうと思って会場に行くと展示作品への興味が一段と増す。コレクション初心者は、提示されている写真の価格が適正なのかが判断できないだろう。まずは買うつもりになって、作品を色々と見比べて、情報を集めていくと、自分なりの相場観ができてくるのだ。販売価格が、割安、割高、適正かがなんとなくわかってくる。高額作品は、現存するエディション数、イメージの人気度、サイズなどの高くなった理由がある。まず最初は安い作品からコレクションを始めて経験を積めばよい。そのきっかけになる作品が見つかる写真展だと思う。また、経験豊富なコレクターにも、真剣に探せば、名古屋で好まれる“お値打ち感”のある作品がかなり見つかるだろう。私は週末にはだいたい会場にいる予定だ。興味ある人はぜひ声をかけてほしい。ディープな情報を提供するつもりだ。

また、デヴィッド・ボウイの“Heros”のジャケット写真で知られる鋤田正義氏を招いてスペシャルトークを開催する。鋤田氏の名古屋でのトークは今回が初めてとのことだ。“BOWIE:FACES”展・展示作品を含む、鋤田正義氏の数々の作品画像やミニ・ドキュメンタリー動画をプロジェクターにて紹介。鋤田正義の写真家キャリアの変遷 と将来の計画、デヴィッド・ボウイ撮影にまつわるエピソード、撮影と作品制作の流儀、国内外での最近の活動などについて語ってもらう予定だ。ただし、サインは会場内で販売する限定カタログのみとなる。ご本人が高齢であることと、会場の混乱を避けるためなのでどうかご理解いただきたい。販売方法は、会期前に実行委員会から発表になると思う。

・鋤田正義スペシャルトーク概要
日 時:9月8日(土)14:00~15:30(開場13:30)
会 場:電気文化会館イベントホール
定 員:200名 ※予約制、全て自由席
参加費:2,500円

詳しくは以下をご覧ください

http://www.artphoto-site.com/inf_press_bowiefaces_nagoya_talk.pdf

・写真展について

開催時期: 2018年9月8日(土)-16日(日)
9:00-19:00(日曜/12:00-19:00)

開催場所: 納屋橋 髙山額縁店2F
〒450-0003 愛知県名古屋市中村区名駅南一丁目1-17

オフィシャルサイト
http://bowiefaces.com/

2018年前期の市場を振り返る
アート写真のオークション高額落札

アート写真市場は前半のオークション・スケジュールをほぼ消化した。昨年前期と比べると、出品数は約15%減少して3488点、落札率は若干改善して69%。総売り上げは、1点の落札単価が約14%上昇したことでほぼ同じ約36億円だった。6月末までにオンライン・オークションが6回開催されているのが今年の特徴。とりあえず前半は予想通りの結果で、波乱なく無事に終了したといえるだろう。

私どもは現代アート系と20世紀写真中心のアート写真とを区別して分析している。厳密には、アンドレアス・グルスキー、ロバート・メイプルソープなどは評価額によって両方のカテゴリーに出品される。しかし、ここでは便宜上、出品されたカテゴリー別の高額落札作品のランキングを制作している。
それではアート写真オークションでの高額落札をみてみよう。

  1. ヘルムート・ニュートン
    “Panoramic Nude with Gun, Villa d’Este, Como, 1989”
    フィリップス・ロンドン、5月18日
    72.9万ポンド(1.09億円)
  2. ピーター・ベアード
    “Heart Attack City, 1972”
    フィリップス・ニューヨーク、4月9日
    60.3万ドル(約6633万円)
  3. ラースロー・モホリ=ナジ
    “Untitled, Weimar, 1923/1925”
    ヴィラ・グリーゼバッハ、5月20日
    48.75万ユーロ(約6240万円)
  4. リチャード・アヴェドン
    “Dovima with Elephants, Paris, 1955”

    クリスティーズ・ニューヨーク、4月6日
    45.65万ドル(約5021万円)
  5. ロバート・メイプルソープ
    “Double Tiger Lily, 1977”
    フィリップス・ロンドン、5月18日
    29.7万ポンド(4455円)

アート写真の上位の1位、2位、3位と5位は、すべて1点ものだとオークションハウスが判断している作品。現代アート系や絵画同様に希少性がある作品が高額になる傾向が一段と強まっている。それを考えると、4位のリチャード・アヴェドン作品は約124X101cm、エディション50点。極めて人気が高いのがわかる。90年代前半のアヴェドン存命時の価格は2,7万ドル(@130/約351万円)だった。ちなみに2010年11月のクリスティーズでは、美術館展用に特別制作された約216X166cmサイズの同作品が約84.1万ユーロ(@112/約9419万円)で落札されている。
なおダイアン・アーバス“A box of ten photographs, 1970”が、4月6日のクリスティーズ・ニューヨークにおいて79.25万ドル(約8717万円)で落札されている。しかしこれは10点のポートフォリオ・セットとなる。

現代アート系の高額売り上げ上位には、お馴染みの顔ぶれが並んでいる。

  1. リチャード・プリンス
    “Untitled (Cowboy), 1999”
    ササビーズ・ロンドン、3月7-8日
    102.9万ポンド(1.54億円)
  2. シンディー・シャーマン
    “Untitled Film Still #21A, 1978”
    ササビーズ・ロンドン、6月26-27日
    94.6万ポンド(約1.41億円)
  3. アンドレアス・グルスキー
    “James Bond Island I, II, & III, 2007”
    ササビーズ・ロンドン、6月26-27日
    67万ポンド(約1億円)
  4. アンドレアス・グルスキー
    “Avenue of the Americas, 2001”
    ササビーズ・ニューヨーク、5月16-17日
    75.9万ドル(約8349万円)
  5. デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ
    “Science Lesson, 1982-1983”

    クリスティーズ・ニューヨーク、5月17-18日
    70.8万ドル(約7793万円)

現代アート系ではアンドレアス・グルスキーの人気が高く、高額ベスト10に4点が入っている。これは2018年1月~4月にロンドンのヘイワード・ギャラリーで開催された英国初の回顧展による影響だと思われる。5位のデイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ(David Wojnarowicz)は、落札予想価格上限を超える高額落札。彼は、70年~80年代のニューヨーク・アート・シーンで活躍した話題の多いアーティスト、映画製作者。写真を含むマルチジャンルの表現で知られている。写真家ピーター・ヒュージャー(1934-1987)と個人的に親しく、本人もエイズで1987年に亡くなっている。7月13日からホイットニー美術館で“David Wojnarowicz: History Keeps Me Awake at Night”が開催されることから注目されたのだろう。主要美術館での展覧会開催は、現代アート系オークションの高額セクターには確実に影響を与えているようだ。

昨年の最高額落札は、クリスティーズ・パリで11月9日に開催された“Stripped Bare: Photographs from the Collection of Thomas Koerfer”に出品されたマン・レイのヴィンテージ作品“Noire et Blanche, 1926”。約268万ユーロ(約3.63億円)。2位はアンドレアス・グルスキー。フィリップス・ロンドンで10月に開催された“20th Century & Contemporary Art”に出品された“Los Angeles, 1998-1999”の、約168万ポンド(約2.53億円)だった。

ちなみに、これらは年後半の出品作。いまのところ米国の景気は堅調だが、景気循環サイクルの最終局面との見方も根強くある。中期的には米国と中国の貿易摩擦やその影響も懸念されている。貿易戦争が激化して長期化すれば消費者心理が悪化すると思われる。2018年後半期の、高額で貴重なアート作品の出品にも影響がでてくる可能性もあるだろう。不安要素を抱えつつも、とりあえずアート写真市場は夏休み入りだ。

(1ドル/110円、1ポンド・150円、1ユーロ・128円)

2018年欧州アート写真オークション・レビュー
低価格帯分野で進行する人気・不人気の二極化

アート写真の定例オークションは、4月のニューヨーク、5月のロンドンが終わり、6月にかけて欧州で開催。欧州の経済状況は、昨年よりは弱くなったものの景気拡大傾向が続いている。しかし通商面では、EUと米国の対立が表面化しており、貿易戦争への懸念から企業業績の先行きには慎重な見方が増えている。またイタリアの政局が混迷してきており、将来的な財政悪化への懸念から国債の利回りが上昇しているのも懸念材料だろう。

Villa Grisebach lot 2062, László Moholy-Nagy, “Untitled, Weimar, 1923/1925”

5月30日にベルリンのヴィラ・グリーゼバッハ(Villa  Grisebach)、6月1日~2日にかけてケルンのレンペルツ(Lempertz)でオークションが開催された。2社合計で472点が出品され、落札率は約58%、総売り上げは167万ユーロ(約2.13億円)。低価格帯(約7500ユーロ以下)の出品が約90%だった。
最高額はヴィラ・グリーゼバッハで落札された、ラースロー・モホリ=ナジの“Untitled, Weimar, 1923/1925”。これは1点物の12.5 × 17.6 cmサイズのヴィンテージ・フォトグラム作品。落札予想価格30~50万ユーロのところ、48.75万ユーロ(約6240万円)で落札された。これはドイツのオークションで落札された最高額の写真作品とのことだ。
5月29日には、ササビーズ・パリで”Photographs Online”が開催。
低価格帯中心に57点が出品され、落札率約63%、総売り上げ約18万ユーロ(約2310万円)だった。

全体的に、ロバート・メイプルソープ、ウィリアム・クライン、ヘルムート・ニュートン、エリオット・アーウィット、杉本博司など知名度の高いアーティストの人気作は順調に落札されている。しかし、土地柄だろうか米国人アーティストの現代写真はあまり人気がない。特に知名度の低い20世紀写真の落札率は低くなっている。それらは落札予想価格は低めに設定されているのにかかわらず。コレクターの反応は鈍いのだ。欧州でも米国同様にコレクターのブランド志向の強まりを感じられる。低価格帯のなかでも、作品/アーティストの人気と不人気という、ふたつの二極化が進行しているようだ。

6月なってからニューヨークでも中堅業者の、ヘリテージ(Heritage)、ドイル(Doyle)で中低価格帯中心のオークションが開催されている。ヘリテージでは、423点が出品され、落札率は約76%、総売り上げは約135万ドル(1.48億円)だった。同社のオークションは、まるで90年代の大手のカタログを見ているような気がした。知名度が高いが、エディション数が多く、比較的低価格帯の良作が多数出品されている。ウォーカー・エバンス、エドワード・ウェストン、アンセル・アダムス、ベレニス・アボット、アンリ・カルチェ=ブレッソンなどの20世紀写真から、ホルスト、ヘルムート・ニュートン、アーヴィング・ペン、リチャード・アヴェドン、ハーブ・リッツなどの人気の高いファッション系が多数みられる。大手が積極的に取り扱わない作品がこちらに出品されている印象だ。
最高額は、アーヴィング・ペンの“Cuzco Children, Peru, December, 1948”。落札予想価格10~15万ドルのところ、9.375万ドル(約1031万円)で落札された。本作は“World in the small room”からのペンの代表作。落札予想価格の下限付近の落札と、上値がやや重たい印象だ。
一方で、ドイルは、さらに低価格帯の19~20世紀の写真作品が多く出品されている。184点が出品、落札率約82%、総売り上げ約34.9万ドル(約3839万円)だった。

6月27日には、中堅のボンハムス(Bonhams)ニューヨークによるオンライン・オークション“Photographs Online”が行われた。こちらは低価格帯中心に117点が出品されるが落札率が約29%、総売り上げ約15.1万ドル(約1661万円)にとどまった。

今後、低価格帯のオークションは開催コストが低いオンライン・オンリーに移行していくと思われる。今までは、価格帯により大手と中小業者の棲み分けが行われていた。しかし、今回のボンハムスの結果を見るに、オンライン・オークションでも、高いブランド力とマーケティング力を持つ大手がシェアーを伸ばしていく予感がする。特にクリスティーズは積極的で、オンライン・オークションでの高ブランド低価格帯作品の取り扱いを強化している。5月には“Stephen Shore : Vintage photographs”を開催。結果は、落札率約60%、総売り上げ15.9万ドル(1749万円)だった。7月9日から19日には、クリスティーズ・ニューヨークで、先日に日本で内覧会が行われたオンライン・オークションの“MoMA: Tracing Photography’s History ”の開催が予定されている。中堅のヘリテージ・ダラスは、オンラインとライブを組み合わせた低価格帯中心の101点のオークション“Online Photographs Fine Art”を企画している。7月5日からオンライン・オークションを開始、最終日の7月25日にライブ・オークションを行うという。ここにきて伝統のあるオークション業界でも、デジタル技術を利用した効率化への試行錯誤が行われるようになってきた。

(1ユーロ・128円)(1ドル・110円)

アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(連載) (6)
“Shots of Style ” の紹介

美術館や公共機関で開催されたファッション写真の展覧会カタログの紹介を続けよう。今回は、ロンドンのケンジントンにあるヴィクトリア&アルバート美術館で1985年10月から1986年1月にかけて開催された“Shots of Style – Great Fashion Photographs Chosen by David Bailey” のカタログを取り上げる。

タイトル通り、英国人写真家デビット・ベイリー(1938-)が20世紀のファッション写真約174点をセレクションしている。
ベイリーは、60~70年代に活躍した英国人ファッション写真家。彼は、ブライアン・ダフィー、テレス・ドノヴァンとともに、60年代スウィンギング・ロンドンの偉大なイメージ・メーカーであるとともに、モデルやロック・ミュージシャンと同様のスター・フォトグラファーだった。60年代には、女優のカトリーヌ。ドヌーブと結婚していた時期もある。この3人はそれまで主流だったスタジオでのポートレート撮影を拒否し、ドキュメンタリー的なファッション写真で業界の基準を大きく変えた革新者だった。彼らこそは、いまでは当たり前のストリート・ファッション・フォトの先駆者たちだったのだ。
当時のザ・サンデー・タイムズ紙は彼らのことを「Terrible Trio(ひどい3人組)」、写真界の重鎮ノーマン・パーキンソンは「The Black Trinity(不吉な3人組)」呼んだそうだ。

ベイリーは、本書掲載のファッション写真の大まかな定義を“ファッション雑誌のエディトリアル・ページのために掲載された、服を1点かそれ以上を着ている女性の写真”としている。また前文では、以下のように記している。

“偉大なファッション写真は極めて稀だ。それは他の分野の写真と同様だ。いくつかの例外を除いて、ここに選ばれた写真は他の優れた分類の写真と同様のクオリティーを持っている。それは、ポートレートのアヴェドン、ルポルタージュのクライン、スティルライフのペンなど。本書で紹介している写真はすべての分野のアートを網羅しているともいえる。その意味で「ファッション写真」という言葉は当てはまらないだろう”

また、彼は35mmカメラとモータードライブの登場、一般の女性たちに多様なファッションが普及するようになったことがファッション写真を激変させた。ファッション写真が、時代の、姿勢、テクノロジー、セクシーさ、環境を反映させるメディアとなった、とも指摘している。
80年代くらいまでに、西洋先進国の中間層はかつてのタブーや因習、家族や他人の期待から自由になる。しかし複数の価値観が混在し、多くの人は何を着たらよいか、どのように暮らせばよいか、拠り所がわかりにくくなってしまう。そのような人たちはスタイルを求めるようになり、ファッション写真が世の中のスタイル構築に重要な役割を果たしたのだ。スタイルは明確な定義が難しい単語だが、物事がどのように見え、どのようになっているかということ。本書タイトルの“SHOTS OF STYLE”は、まさに新しい時代にスタイルを提供しているファッション写真という意味なのだ。
ベイリーの文章は、現在考えられている、20世紀におけるアートとしてのファッション写真の定義に近いといえるだろう。

掲載されている写真家は以下の通りとなる。
Diane Arbus、
Richard Avedon、
Gian Paolo Barbieri、
Lillian    Bassman、
Cecil Beaton、
Erwin Blumenfeld、
Louise Dahl-Wolfe、
Bruce Davidson、
Baron Adlf de Meyer、
Andre Durst、
Arthur Elgort、
Hans Faurer、
Toni Frissell、
Hiro、
Horst P. Horst、
Frank Horvat、
George Hoyningen-Huene、
William Klein、
Francois Kollar、
Germaine Krull、
Barry Lategan、
Peter Lindbergh、
Sarah Moon、
Jean Moral、
Martin Munkacsi、
Genevieve Naylor、
Helmut Newton、
Norman Parkinson、
Irving Penn、
Denis Piel、
John Rawlings、
Man Ray、
Paolo Roversi、
Jeanloup Sieff、
Melvin Sokolsky、
Edward Steichen、
Bert Stern、
Deborah  Turbeville、
Bruce Weber

前回に紹介した“The History of Fashion Photography”と比較してみよう。写真家数は、59名から39名に減少。新たに加わったのが14名、2冊で重複しているのが25名となる。前者は物理的にファッション写真を撮影している人を紹介している一方で、本書では、よりアート性(写真家の創造性)が重視されていると思われる。特に当時の若手を積極的にセレクション。マーティン・ハリソンはイントロダクションで、ヘルムート・ニュートン、ギイ・ブルダン、ブルース・ウェバーの登場で、コマーシャルとプライベートの作品2分法が成り立たなくなったと分析。彼はブルース・ウェバーを高く評価しており、彼の写真にはもはやファッション写真とパーソナル・ワークとの境界線がなくなっていると指摘している。
そして、“Fashion Photography of the 80s”の章で、ベイリーが当時の有力な若手として、ピーター・リンドバーク、デニス・ピール、パオロ・ロベルシの3名を上げていることを紹介、彼らが80年代以降のファッション写真の中心人物になると指摘している。ベイリーはこの時代に、既にリリアン・バスマン、アーサー・エルゴート、メルヴィン・ソコルスキーの仕事を評価し作品をセレクションしている。彼の優れたキュレーション力と先見性には感心させられる。

ハリソンのイントロダクションからは、80年代初期のファッション写真の状況が伝わってきて興味深い。写真展開催に際して、展示作品を集めるのに極めて苦労したようだ。当時はファッション写真の多くは作品だとは考えられていなく、雑誌編集部や写真家のもとにきちんと保存されていなかった。ファッション写真の多くは、雑誌掲載後は廃棄され、編集部や写真家の引っ越し時に処分されたという。
ルイス・ファーやボブ・リチャードソンの代表的ファッション写真は、当時には入手できずに展示を諦めたという。
またアート批評の世界でも、作り物のファッション写真は全く無視されていた事実にも触れられている。それが、アート界で、シンディー・シャーマン、ジョエル・ピーター・ウィトキン、ベルナール・フォーコンなどによる、作りこんで制作される写真作品が登場してきたことで、ファッション写真への偏見が徐々に減少していったそうだ。
ハリソンの本書にけるファッション写真の分析が、1991年に同じくヴィクトリア&アルバート美術館で開催された戦後のファッション写真に特化した展覧会“Appearances : Fashion Photography Since 1945” のキュレーションに発展していったと考えるが自然だろう。

(写真集紹介)
“Shots of Style – Great Fashion Photographs Chosen by David Bailey”
Victoria and Albert Museum、London、 1985年刊
ハードカバー(ペーパーバック)、サイズ 約33 X 24cm, 256 page.
Foreword : David Bailey
Introduction : Martin Harrison
約174点の図版を収録。

表紙はバロンド・メイヤーによる、米国化粧品ブランド“エリザベス・アーデン”用の1935年撮影の作品。本書にはハードカバーとペーパーバックがある。古書市場に流通しているのはほとんどがペーパーバック。前半がカラーで後半がモノクロの部分となる。モノクロは2色印刷と思われ、クオリティーは今一つ。本書はあくまでも資料だと考えたい。
古い本なので状態によって小売価格はかなりばらつきがある。一部にはカバーに変色が見られるものもある。状態が良好なものは75ドル(約8250円)程度から、ただし大判で割と重い本なので、海外から購入する場合は送料には注意してほしい。本自体は安くても、本体以上の送料がかかる場合がある。

ケイト・マクドネルの風景写真
「はっ、ドキッ」とする瞬間の訪れ

ⓒ Kate MacDonnell “Caddis fly hatch by the Gallatin River, MT, 2014”

ケイト・マクドネルは、“Lifted and Struck”のアーティスト・ステーツメントで自作を以下のように語っている。

「見ることはなんと素晴らしいことでしょう!それでも、美の事例を捕まえるのは本質的に悲しい行為です。捉えたつかの間の閃光はすぐに消えていくからです。人生は時によって長くも短くも感じます。私は人生で努力して、これらの言い表せない瞬間の痕跡を集めるために働きます。時間をかけて、もっと近くで世の中の美しさやきらめきを見てほしい、そして不安で未知数だけど次のステップへと進んでほしい、私は皆さんにそう伝えたいのです」

マクドネルが、ネイチャー・ライティング系作家アニー・ディラードの“ティンカー・クリークのほとりで”(1974年刊)という著作に多大な影響を受けている事実は以前に紹介した。ディラードと同様に彼女は自然と対峙する。それを丹念に観察し自分との関係性を見出して、独自の宇宙や自然のヴィジョンを確立させている。それをヴィジュアルで作品として表現しているのだ。
このような説明だとアートに詳しくない人は意味が不明だと感じるだろう。それでは彼女の宇宙のヴィジョンとは何か?もう少し探求してみよう。やや難解なのだが、風景写真のアート性に興味ある人はどうか付き合ってほしい。
それはもちろん多くのアマチュア写真家のように、ただ感覚的に優雅で美しい瞬間や情景を探しているのではない。多くのアーティストは、自分の持つビジョンを自然や宇宙に探し求め、それが出現したシーンを作品化する。しかし、彼女は既存のどんなシーンにもとらわれない、というヴィジョンを持っている。まるで禅問答のようなのだが、そこには、いまの宇宙や自然界のどこかで発生しているが、誰も気付かない、見たことがようなシーンが存在するはずという認識がある。彼女の創作とはそのような現象を新たに発見して写真で表現することに他ならない。その作品制作のアプローチは、まるでビジネスでイノベーションを起こすための過程のように感じられる。
これは、上記のアニー・ディラードの語る以下の文章からの影響だと思われる。

「美しさと優雅さは私たちがそれらを感じるかどうかに関係なく出現している。 我々ができるせめてものことは、その場所に行こうとすることです」

作品制作時には、彼女は自分をニュートラルな心理状態にして、自然と対峙しながら「はっ、ドキッ」とする瞬間の訪れをひたすら待つのだ。一般的な美しい風景とは、見る側の解釈に他ならない。それは時にデザイン的要素が強い。彼女は目の前のシーンの観察に集中することで、その先入観から自由になろうとする。マクドネルは”心理学者と脳神経学者によると、混乱している状態は何か新しい知識を得ることと関連している”という引用を2017年のステーツメントで行っている。なにか自分に居心地がよくない状況こそが、宇宙での新たなシーンとの出会いにつながと認識しているのだ。普通の人は嫌な感じを避けようとする。しかし、彼女には自分の既存のフレームワークだけで世界を見ていても新たな発見がないという確信があり、あえて自分を追い込むのだ。たぶんその瞬間の訪れまでシャッターはむやみに切らないのではないか。
繰り返しになるが、それは美しいから、優雅に見えるからという認識ではなく、上記のように言葉で言い表せない「はっ、ドキッ」とする瞬間をとらえる行為だと思う。デジタルカメラ使用は、この作品コンセプトと見事に合致している。気候や光の状態や被写体の移動速度など、アナログでは再現できなかったシーンも作品として表現が可能になったのだ。

彼女は、自然風景だけでなく自分の身の回りにも同じ視線を向けている。これは自分の日常の中で作品制作を行うワイフェンバックの影響もあるだろう。被写体が異なるが、二人の対象を見つめる撮影アプローチは非常に類似している。それが今回の二人展につながるとともに、作品タイトル「Heliotropism」になったのだろう。二人の違いは、マクドネルが意識的に幅広く移動することを心がけている点だろう。それは自分を新鮮な状況に置くことが、新たな作品が生まれる可能性を高めるという考えによる。

今回の展示作の中に、2羽のフクロウと3匹の鹿の写真が含まれている。

ⓒ Kate MacDonnell “Broken winged owls, 2009”
ⓒ Kate MacDonnell “Deer corn, 2013”

これもアニー・ディラードの著作「イタチのように生きる」からの影響だろう。そこで彼女は、イタチは“必然”に生き、人は“選択”に生きる、と書いている。自らを客観視するきっかけとして、自我を持たず目的なく生きるイタチに思いをはせている。本作のマクドネルの動物たちも、人間が自然の一部である客観的な事実に気付くために意識的に収録されているのだ。写真のシークエンスのアクセントとして登場しているのではない。

マクドネルの“Lifted and Struck”は、フォトブックのフォーマットにより、より多くのヴィジュアルが紹介されることで、メッセージの強度が増すと思う。実際に来場者の多くがもっと多くの写真を見てみたいという意見を聞かせてくれる。ぜひ多くの出版関係者に見てもらい、フォトブックの可能性を検討してもらいたい。

また、本作は日本では珍しい、写真で自己表現する米国の若手アーティストの紹介となる。開催期間は8月まである。アート写真を学びたい人には絶好の教材となるだろう。ぜひ多くの人に見てもらいたい作品展示だ。

ケイト・マクドネル(Kate MacDonnell)
1975年米国メリーランド州、アッパー マールボロ出身。大学時代にワシントンD.C.移り住む。
子供のころから両親のサポートで写真を学ぶようになる。ハイスクール時代には、ヴィジュル・アートのカリキュラムの中で、絵画やドローイングと共にモノクロの暗室写真クラスを受講。1997年、コーコラン・アート・デザイン大学を卒業。自分が理想とするヴィジュアルつくりに写真が適していることに気づき、カラー写真による表現を開始する。
2000年代から、様々な研究奨励金を得て創作活動を行い、主にワシントンD.C.やニューヨークのギャラリーや美術館で作品を展示。2013年には、 ワシントンD.C.のシビリアン・アート・プロジェクツ(Civilian Art Projects)で個展「Hidden in the Sky」を開催。本展は初めて彼女の作品を日本で紹介する写真展となる。

「Heliotropism」
テリ・ワイフェンバック / ケイト・マクドネル
2018年 6月1日(金)~ 8月5日(日)
1:00PM~6:00PM
休廊 月・火曜日(本展では日曜も営業)
入場無料
ブリッツ・ギャラリー
http://www.blitz-gallery.com

 

2018年春ロンドン・アート写真オークション

5月17日~20日に行われたロンドンのサマーセット・ハウスで開催されたフォト・フェア”Photo London 2018”にあわせてアート写真オークションがロンドンで集中的に行われた。5月17日~18日にかけて複数委託者のオークションが、大手のクリスティーズ、フィリップス、ササビースで開催。

3社の実績を昨年春と比べてみよう。2017年は、総売り上げ約502万ポンド、408点が出品されて261点が落札、落札率は約63.97%だった。今年は、総売り上げ約643万ポンドに約28%増加、365点が出品されて284点が落札、落札率も約78%と改善した。全体の出品数が減少しているものの、落札予想価格が2.5万ポンド(約375万円)以上の高額価格帯、5000ポンド(約75万円)以上の中間価格帯の落札数が増えていた。
今回はクオリティーの高い希少作の出品が多く、全般的に良好な結果だったといえるだろう。

Phillips London, ULTIMATE Evening and Photographs Day Sales Catalogue

今春は、特にフィリップスの“ULTIMATE Evening and Photographs Day Sales”の好調が目立った。同社は、適切にエディティングされた複数委託者と共に、複数の優れたコレクションからの委託を獲得し、出品数は昨年の93点から172点に大幅に増加させている。売り上げは昨年比約51%も増加して約355万ポンド(約5.32億円)、落札率も平均を上回る約85%だった。これは同社のロンドンでの最高売上とのこと。
今回の目玉となったのは、1点もの“POLAROIDS from the Piero Bisazza Collection”32点と、現代アート系写真の“Michel and Sally Strauss Contemporary Photography Collection”の50点のセール。ポラロイド・コレクションは、イタリアのガラス製モザイクタイル業界をリードするメーカー「ビザッツァ」のCEOのピエロ・ビザッツァ(Piero Bisazza)のもの。彼は、モザイク・タイルとの類似性からポラロイドに魅了されコレクションを行っているとのこと。アンディー・ウォーホール、ロバート・メイプルソープ、ヘルムート・ニュートン、パオロ・ロベルシ、ピーター・ベアード、サラ・ムーン、カルロ・モリーニ、荒木経惟など、様々なアーティストが多様なアプローチでポラロイドを利用していた事実がわかって興味深い。ニュートン作品の一部は、実際に写真集“Pola Woman”制作時のオリジナル作品とのこと。有名写真家の来歴の確かで絵柄もよい1点物。コレクター人気が高いのもうなずける。ウォーホール、ニュートン、ベアードなどの人気作は落札予想価格上限を超えて落札。全体の売り上げアップに大きく貢献していた。

高額落札はファッション系が目立った。
最高額はフィリップスに出品されたヘルムート・ニュートンの“Panoramic Nude with Gun, Villa d’Este, Como, 1989”。

Phillips London, Lot 16, “Panoramic Nude with Gun, Villa d’Este, Como, 1989” ⓒ Helmut Newton

現存しているのは同作1点だけの可能性が高いという151.5 x 49.5 cmサイズの巨大作品。希少性が寄与して、落札予想価格25~35万ポンドのところ、72.9万ポンド(約1.09億円)で落札された。これはニュートンのオークション最高額での落札となる。ちなみに同作はニュートンが亡くなった直後の2004年4月のクリスティーズ・ニューヨークのオークションで、18.11万ドルで落札されている。当時の為替は約1ドル/107.70円、円貨で単純比較すると約15年間で作品の市場価値は約5.6倍になったことになる。
続くのは、同じくフィリップスのロバート・メイプルソープの“Double Tiger Lily,1977”。こちらは花の写真2点組からなる1点もの。90年代前半に日本で開催された展覧会にも何回か展示されている。落札予想価格上限を超える29.7万ポンド(約4455万円)で落札されている。

ササビーズ“Photographs”では、リチャード・アヴェドンの“AVEDON/PARIS, 1978”が、落札価格上限を超える23.7万ポンド(3555万円)で落札。本作は1978年にメトロポリタン美術館ニューヨークで開催されたファッションの回顧展の際に制作された、11点からなるパリで撮影された代表的ファッションのポートフォリオ。本作も、2010年11月にクリスティーズ・パリで16.9万ユーロで落札された作品。当時の為替は約1ユーロ/112.61円なので約1903万円、円貨で単純比較すると約8年間で作品の市場価値は約1.86倍になったことになる。ちなみにニュートン作品の希少性と比べて、こちらはエディション75点。

ファッション系がすべて好調というわけではない。今春のニューヨーク・オークションで、アーヴィング・ペンの、6万ドル以上の高価格帯作品や、キャリア後期作品などは不落札が目立ったことを報告した。
ロンドンでもフィリップスに出品されたペンの代表作“Black and White Vogue Cover (Jean Patchett), New York,1950”が不落札だった。こちらは、2012年4月のクリスティーズ・ニューヨークで43.45万ドル(@81.25/約3500万円)で落札されたプラチナ作品。今回の落札予想価格は20万~30万ポンド(3000万円~4500万円)。エディションが34点であることを考えると、前回の落札価格はやや過大評価だったということだろう。

日本人写真家では、石内都の“絶唱、横須賀ストーリー,1976-1977”の22点セットがフィリップスに出品。落札予想価格上限の9万ポンドを上回る、10.625万ポンド(約1593万円)で落札されている。こちらは11.9X16.3cmの小ぶりサイズの、1979年プリントの1点もの作品。出品作のシリーズは全体で約100点現存するうちの22点。40点はテート・モダンがコレクションしているとのことだ。

ここ数年の欧州における大手業者のアート写真オークションは、春は英国のフォトロンドンと、秋は大陸のパリフォトと同じ時期での開催が一般化してきた。春のニューヨークの大手のオークションは、AIPADフォトグラフィー・ショーと同時期の開催だ。今春の良好な結果は、欧州でもフォトフェアとオークションの同時開催が業者やコレクターの間で定着してきた証拠だろう。

(1ポンド・150円で換算)

ソール・ライター
見立ての積み重ねで評価された写真家(3)

Saul Leiter, Phillips London 2018 May “ULTIMATE EVENING & PHOTOGRAPHY DAY SALE”、”Through Boards,1957”

私どもは日本独自のアート写真の価値基準として限界芸術の写真版のクール・ポップ写真を提唱している。海外の20世紀写真家の中のクール・ポップ的な写真家にも注目している。ソール・ライターの歩んできたキャリアと、その評価過程はこの価値基準に見事に合致すると考えている。
連載3回目は、クール・ポップの視点からソール・ライターを分析してみたい。

私どもはこの分野の写真を以下のように定義している。最も重要なのは「表現の欲求」、つまりどうしても自らの表現を通して世の中に伝えたい真摯かつ強い要求を持っていること。世の中の評価、名声、お金儲けなどへの一切の執着がなく、無意識のうちに社会の問題点(視点、価値観)との接点や関わりも持っている人だ。ファイン・アート系のように、社会と関わるテーマやアイデア、コンセプトを自らが紡ぎだして提示する必要はない。また、アート作品を発表して販売して生計を立てるような職業ではなく、生きる姿勢そのものになる。
彼らが評価されるきっかけは、第3者による見立てによる。その大前提は、上記のような姿勢で作品制作を長期にわたり継続することにある。
まず作家の真摯な制作姿勢が見極められ、関係者にその存在が認められるようになる。次に、複数の人がテーマ性を見立てることにより、写真家のブランド構築につながるのだ。

もう少し詳しく説明しよう。
まず作品制作の見極めだ。これは写真家が邪念を持たずに作品制作を行っているかの見立てになる。現代アートのように、明確にテーマを提示するのではなく、何かに関心を持って積極的集中からフロー状態になって撮影を続けている人かどうかが重要となる。フロー状態は、心理学者チクセントミハイによる、無我の境地に達して「ビーイング・アット・ワン・ウィズ・シングス Being at one with things」(物と一体化する)ような心理状態のこと。これは瞑想のような行為だと以前に指摘したが、瞑想そのものではない。瞑想的に作品制作する行為は、明確な定義がなく、感情の連なりに身を任せてだらだらと写真を撮る行為と混同されがちだからだ。フロー体験を生む活動にいたるには努力がいる。いったんは入ると自分の行為にあまりに没頭しているので、他の人からの評価を気にしたり、心配したりしない。フローが終わると、反対に、自己が大きくなったかのような充足感を覚えると言われている。しかし、現実には写真家がどのような姿勢で作品を制作しているか第3者が見抜くのは容易ではない。そこに他人からの承認欲求のような邪念がないかを見極めるのはほぼ不可能だろう。
結局、作家が長期間にわたって創作を継続しているかで最終的に判断されるのだ。ただし、アマチュア写真家のように趣味で長年にわたり写真を撮影する意味ではない。

続いてテーマ性の見立てだ。この新しい日本の価値基準では、現代アートと違い作品テーマを自らが語らない。第3者が見立てるのだが、単体作品でのテーマ性の見立ては困難だ。ここでも作品制作を継続する過程で、テーマ性が顕在化して見立てが行われる。継続できるとは、何らかの社会との接点が存在することを意味するのだ。作品のテーマ性が複数の人から継続的に見立てられれば、結果的にそこに価値が生まれる。その積み重ねにより、本人の意図とは別に写真家や作品のブランド化が図られる可能性がある。日本の有名写真家のブランド化はそのように構築された場合が多い。

ではライターのケースを考えてみよう。彼は、写真や絵画などの創作を通じて何らかの社会との接点を感じていた。それが評価を求めることなく継続できた理由だろう。また自らが作品のテーマ性を語ることがなかった。そして継続の末に80歳を超えてから再評価される。
シンプルな生活を送り、邪念を持たずに世界と対峙し、自分の持つ宇宙観を世界で発見する行為に喜びを感じ、それらを写真や絵画で表現し続けてきたのだろう。作品制作の継続の長い過程で、キュレーターのジェーン・リビングストン、写真史家マーティン・ハリソン、ギャラリストのハワード・グリーンバーグ、出版人のゲルハルト・シュタイデル、映画監督のトーマス・リーチなど様々な人が彼の作品のアート性を見立てた。キャリア後期になって、彼のリアリストの生き方自体が大きな作品テーマとして認められたのだ。そしてファッション写真だけでなく、ストリート、ヌード、ポートレート写真が時代性を見事に切り取っていたことが再評価される。特に初期カラー作品は、時代の気分や雰囲気は色彩により見る側により強く伝わる事実を提示した。ライターの場合、テーマ性の見立てと作品制作の見極めが同時進行したと解釈したい。

Saul Leiter, Sotheby’s London 2018 May “Photographs” “PHONE CALL,1957”

いま写真はデジタル化が進み、色彩や構図の美しいストリート写真を撮影する人はアマチュアを含めて世の中に数多くいる。しかしライターの作品は、その清らかな生き方と共に称賛され、多くの人の見立てが積み重なって今の高い評価につながった。
エゴやお金を追及する現代社会において、彼の生き方と実践そのものが大きな作品テーマだった。すべての写真と絵画などの作品はその表現手段だったと見立てられたのだ。彼の生前のインタビューなどをみると、ジョークなどを織り交ぜた語り口に暗さはあまり感じられない。もちろん自分を評価しない世の中への恨み節もない。普通の人はこのような人生は追及できないだろう。だから彼の作品は、いまでの多くの人を魅了し続けているのだ。

最後にソール・ライターの最近の相場情報をお知らせしよう。ちょうど、2018年5月に開催された、ササビーズ・ロンドンの”Photographs”オークションに、”SHOPPER,1953″、”PHONE CALL,1957″が出品されていた。ともに落札予想価格範囲内の1万ポンド(約150万円)で落札。

Saul Leiter, Sotherby’s London 2018 May “Photographs”, “SHOPPER,1953”

同じくフィリップス・ロンドンで開催された”ULTIMATE EVENING & PHOTOGRAPHY DAY SALE”では、写真集”Early Color”表紙の有名作”Through Boards,1957″が1.125万ポンド(約168万円)、”Foot on the El,1954″が1万ポンド(約150万円)で落札されている。
これらの作品は約11X14″サイズ、サイン入り、タイプCカラー、モダンプリント。
コレクター人気はいまだに続き、相場も高値で安定している。