展覧会レビュー
ニューヨークが生んだ伝説の写真家
永遠のソール・ライター
@Bunkamuraザ・ミュージアム(渋谷)

渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで、「ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター」展が開催中だ。
ソール・ライター(1923-2013)は、長きにわたりモノクロ中心だった写真の抽象美を、すでに40年代からカラーにより表現していた写真家として知られている。彼は元々抽象絵画の画家で、色彩感覚が優れていた。カラーは広告やアマチュアが使用するものだと思われていた時代に、写真での抽象表現の可能性に挑戦したと思われる。また日本美術にも造詣があり、浮世絵の構図にも多大な影響を受けている。画面で被写体を中心に置いてフォーカスするのではなく、見る側の視点の動きを取り入れたような映画的なヴィジュアルも特徴だ。
2017年に同ミュージアムで開催され(その後国内各地を巡回)「ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展」は、観客数約8万人を動員したという。彼の色彩豊かでグラフィカルなカラー作品は、写真を叙情的に捉えがちな日本の観客の感性との相性が良かったのだ。

ソール・ライター 《帽子》 1960年頃、発色現像方式印画 ⒸSaul Leiter Foundation
ソール・ライター 《バス》 2004年頃、発色現像方式印画 ⒸSaul Leiter Foundation
ソール・ライター 《赤い傘》 1958年頃、発色現像方式印画 ⒸSaul Leiter Foundation

ソール・ライターは89歳で亡くなっている。死後に約8万点にも及ぶ未発表のカラー写真、モノクロ写真、カラースライドなどが残されていた。2014年、彼の自宅兼アトリエにソール・ライター財団が設立され、それらの発掘調査を現在進行形で行っている。

今回の続編となる大規模展覧会は、モノクロ、カラー、ファッションなどの代表作を展示する「PartⅠソール・ライターの世界」と、「PartⅡソール・ライターを探して」の2部で構成されている。
見どころは第2部で、いままでの財団による調査結果の披露を目的とする、未発表作中心の展示内容になっている。それらは、セルフポートレート、デボラ(ライターの妹)、絵画、ソームズ(ライターのパートナー)、写真撮影時の創作の背景が垣間見えるコンタクトシート、ソール・ライター自らがプリントした名刺サイズの複数の写真をコラージュのように組み合わせた「スニペット(Snippets)」などのセクションで構成されている。


さらに2018年に開始された アーカイヴのデータベース化プロジェクトにより 、新発見のスライドによる初公開のプロジェクションも含まれる。また会場内にソール・ライターが長年住んだ、 ニューヨークのイースト・ヴィレッジの仕事場一部も再現されている。

1月9日には、ソール・ライター財団創設者でディレクターのマーギット・アープ氏とマイケル・バリーロ氏による記念講演会が開催された。マーギット・アープ氏は、もともとニューヨークのハワード・グリンバーグ・ギャラリーに勤めていた。1997年に同ギャラリーで開催されたカラー写真によるソール・ライター展以来、彼のアシスタント的な仕事を行っていた。彼の死後には財団立ち上げに関わっている。

講演では、ソール・ライター財団のミッションと今までの仕事の成果の解説が行われた。その主要目標は、残されたプリント、スライド、ネガ、絵画などのすべての作品の完全カタログ化。最終的にカタログ・レゾネ(総作品目録)を完成させ、ソール・ライターの仕事の全貌を、アート研究者、作家、キュレーター、学生に明かにしたいとのことだ。

まず実際に仕事を共に行っていたアープ氏からソール・ライターのキャラクターが語られた。洞察力があり、おかしく愛らしい、スマート、自分の意見を持っている、写真家というより基本は画家、アート史の深い知識を持つ、好奇心のかたまり、ただし仕事場はカオス状態(モノの定位置は決まっていた)という、印象が語られた。
また新しいテクノロジー好きで、早い段階からデジカメを使用していたという。本展ではキャリア初期に撮影されたカラー作品とともに、2000年代に撮影されたデジタル作品が同じ壁面に展示されている。両作のカラーのトーンが見事に揃っているので、見逃してしまいがちだ。写真撮影に興味ある人はキャプションを注意深く確認して見比べてほしい。展示作品は「発色現像方式印画(Chromogenic print)」と記載されているが、いわゆる、デジタル・タイプC・プリント。画像はヴィンテージ・プリントを目標にデータ作りが行われている印象だ。

続いてキャリアの説明が行われた。いまや広く知れ渡っているので簡単に触れておこう。詳しくは、展覧会ウェブサイトのなかの「ソール・ライターのこと」で、企画協力の㈱コンタクトの佐藤正子氏が書いているので参照してほしい。

ソール・ライターは、1923年にピッツバークのユダヤ教の聖職者の家庭に生まれた。両親は彼が宗教家の道を進むことを望んだという。16歳で絵画をはじめ、独学で美術史を徹底的に学んでいく。その後、親の意向に反して画家を目指してニューヨークに行き、抽象表現画家のリチャード・プセット・ダートとの出会いがきっかけで写真に興味を持つ。ウィリアム・ユージン・スミス(1918-1978)にカメラをもらい、ニューヨークのストリートで写真を撮り始めている。
強調されたのは、彼は基本的に画家であり、それを意識して写真も見てほしいとのこと。ソール・ライターは、そのキャリアを通して写真と絵画の両分野で表現を行っていたのが特徴だ。それは生活のためにファッションや商業写真の仕事を行っていた時期も変わらなかった。50年代後半から80年代はじめまで、彼はファッション写真家として、ハーパース・バザーやエスクアィアなどの雑誌の仕事で活躍し、経済的に比較的安定した生活を送っている。ストリートの写真と同じスタンスで野外でのファッション撮影を好んだ。野外で起こる様々な偶然性が写真にリアリティーを与えると考えていた。
ファッション写真は、自己表現を追求したい写真家と服の情報を最大限に強調したいクライエントやエディターとのせめぎあいの歴史だ。50~60年代ごろのファッション写真には、写真家に比較的多くの自由裁量が与えられた。しかし70年代以降は消費社会の拡大に伴い、クライエントやエディターの撮影への要求や指示がどんどん強くなっていく。この時期には、ファッション分野での写真によるアート表現の可能性に限界を感じて活動を休止した多く人が多くいた。リリアン・バスマンの夫のポール・ヒメール、ルイス・ファー、ギイ・ブルダン、ブライアン・ダフィーなどだ。ソール・ライターも絶望した写真家の一人だった。1981年、彼の我慢は限界に達し、5番街156番地にあった写真スタジオを突然閉鎖してしまう。その後、彼は隠遁生活に入り経済的に厳しい時期を過ごすことになる。
そして80歳を超えてから写真集「Early Color」が刊行。一気にそれまでの仕事が再評価されて人生が急展開するのだ。その後、世界中の美術館やギャラリーで数多くの写真展が開催されるようになる。バリーロ氏は、彼の亡くなるまでの最後の7年間は最も幸せな時期だっただろうと語っている。

続いて、アープ氏とバリーロ氏から以下のような最近までの発掘作業の成果が展覧会の見どころとして紹介された。

ソール・ライター財団ディレクターのマーギット・アープ氏(左)とマイケル・バリーロ氏(右)による記念講演会

・初期写真
ソール・ライターは1930年代、10代の時に母親にデトローラ社製のカメラを買ってもらいモノクロ写真の撮影を開始。母親は、写真が子供のその後の一生を変えてしまうとは思いもよらなかっただろう。財団の調査により今まであまり知られていいなかった、10代の「初期家族写真」が発見されている。主に2才違いの妹のデボラを被写体にしている。デボラは、ライターの撮影での数々の試行錯誤に協力している様子が見て取れる。また、大胆かつグラフィカルな構図やモデルの動作を写真で表現するアプローチなど、彼のその後の特徴的な写真の原点といえる作品も発見されている。絵画や写真など、デボラ関係は約100点が発見されている。本展ではそのうち23点が「デボラ」のパートで紹介されている。

・スニペット(Snippets)

ライターは名刺サイズのモノクロ写真を偏愛していたという。被写体になっているのは、家族、パートナー、友人の女性たち。プリントされた膨大な数の写真は手で破られ、またコラージュのように一つの塊としてがガラスケースの中に展示されている。自らの親しい人間関係を写真によって可視化した作品だと解釈できるだろう。アープ氏は大きな展覧会の中のミニ写真展という説明をしていた。

・コンタクトシート
今回初公開となる、彼の一連の写真撮影の流儀を垣間見ることができる作品。質疑応答時間に質問があったが、撮影時のショット数に関しては特に特徴はないとのこと。2~3ショットのこともあったが、かなりの枚数のショットの場合もあったそうだ。アナログ時代から、成功した写真は撮影時に既に認識していたということ。

・ヌード作品の発見
彼はファッション写真家として活躍する以前から、親しい女性たちのパーソナルなヌードとポートレートを撮影していた。死後にモノクロ作品約3000点見つかっている。それらは、モデルとアイデアを出し合って制作された一種のコラボ作品だと評価できるという。その中でも主要な被写体は長年にわたりパートナーだったソームズ・パントリーだった。彼女は様々な役を演じ、二人は様々な実験を行っている。本展ではソームズ・パントリーのセクションで、ストリートでのカラー/モノクロ写真やインクによる絵画など約34点が展示されている。ヌード作品は、70年代に編集者ヘンリー・ウルフにより写真集化の企画があったものの実現しなかった。2018年に、Steidl社から「In My Room」として刊行されている。

・ペインテッド・ヌード
アクリル絵の具で着色されたヌード作品も1000点以上が発見された。抽象的な絵画のような趣で、それらは本の中で発見、ブックマークとして使用されていた。

・スケッチブック

財団の人たちは「Daily meditation(毎日の瞑想)」と呼んでいる。生前のソール・ライターはそれらを最高作だと語っていた。

・カラースライド

4~6万枚のスライドが発見された。ソール・ライターは自宅で友人たちの前でスライドショーを行って作品を見せることがあったそうだ。調査およびデータベース化は現在進行形で行われている。それらの中には、例えば写真集「Early Color」表紙作品「Through Boards, 1957」の前後に撮影されたと思われるバリエーション・ショットも見つかっている。多くが初公開作品となるスライド作品のプロジェクションは本展の見どころのひとつだ。参考ヴィジュアルとして、アパート周辺のストリートシーンとアトリエのインテリア画像も同時に紹介されている。

・写真集「Early Color」の制作経緯
これは質疑応答の中で語られた。表紙作品「Through Boards, 1957」は最初から、ライターの希望で決定していた。その他の収録作品のセレクションは、すべて写真史家のマーティン・ハリソン氏が行い、ライターは全く注文を付けなかった。1997年のハワード・グリンバーグ・ギャラリーで開催されたカラー写真によるソール・ライター展以来、出版社を探し続けたとのこと。最初に決まっていたニューヨークの出版社は倒産、次に手を挙げたロンドンの出版社も動きが非常に鈍かったという。結局、ドイツのSteidl社から2006年に「Early Color」として刊行された。アープ氏は、カラー写真を取り巻く環境変化が出版につながったと分析している。90年代後半のアート写真はソール・ライター以外はすべてモノクロだったという。その後、ドイツのデュセルドルフ・クンスト・アカデミーでベッヒャー夫妻に学んだアーティストたちが登場。2000年代になってから絵画のような大判作品を制作する、アンドレアス・グルスキー、トーマス・ルフ、トーマス・シュトルートなどが活躍して、カラー写真のアート性が本格的に注目されるようになるのだ。その流れで、写真史におけるシリアス・カラー作品の本格的な再評価が開始された。


本展カタログ掲載のエッセーで、財団の二人は「私はシンプルに世界を見ている。それは、尽きせぬ喜びの源だ」というソール・ライターの言葉を締めくくりに引用している。またソール・ライターは「仕事の価値を認めて欲しくなかった訳ではないが、私は有名になる欲求に一度も屈したことがない」(”ソール・ライターのすべて”(2017年、青幻舎刊)211ページ)、別のインタビューでは「無視されることは、大きな特権です」とも語っている。今回のアーブ氏の話から、彼は写真史での正当な評価が受けられず、また金銭的に恵まれなかった時期でも、自分のために真摯に創作を継続していた事実が伝わってきた。他の多くの同じ環境の写真家のように、絶望し自暴自棄に陥ったり、周りの人に悪態をつくことはなかったようだ。ライターの関係資料には、彼が禅的な思想をもって生きていたと書かれている。たぶん浮世絵などの日本文化を研究するとともに、アメリカ社会に禅思想を広めた鈴木俊隆の「禅マインド ビギナーズ・マインド」(オリジナル版1979年刊)などを愛読して心の支えにしていたのではないだろうか。海外の宗教では、時間は過去、現在、未来と継続していて、将来に天国に行くことを目指して現在を生きるという考えがある。ライターは厳格な宗教家の家庭に生まれている。彼はそのような考え方を不自由さを感じ、強い違和感を感じていたと想像できる。写真を撮る行為、絵を描く行為は、「いまに生きる」つまり座禅のような精神を安定させる行為だったではないか。
ソール・ライターは、写真や絵画などを、評価を受けるために人に見せたりしなかった。また作品制作の意図や目的もいっさい語らなかったという。彼は今に生きる行為としてひたすら自己表現を行ってきたのだ。わたしは、資本主義の中心地である米国ニューヨークでの、このようなアーティストとしての生き方の実践自体がソール・ライター作品のメッセージだと理解している。そして結果的に、彼は多くの人たちに愛されながら幸せな人生を送ったのだ。
ソール・ライター財団の二人は、本展と講演で、そのような彼の生きざまの的確かつ丁寧な提示を心がけていると感じた。

ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター
Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷)
公式ページ

以下もご覧ください(当ブログの過去の関連記事)

2017年6月 写真展レビュー ソール・ライター展  Bunkamura ザ・ミュージアム

2018年4月 ソール・ライター 見立ての積み重ねで評価された写真家(1)

2018年5月 ソール・ライター 見立ての積み重ねで評価された写真家(2)

2018年6月 ソール・ライター 見立ての積み重ねで評価された写真家(3)

令和時代のアーティスト・デビュー
メッセージの明確化と継続的情報発信

2020年代を迎えたいま、写真とアートとの関係性は大きく変化した。写真がデジタル化したことで、だれでも写真が簡単に上手に撮れるようになり、同時に現代アートの市場規模が急拡大した。アナログ時代にはアート界で独立して存在していた「写真」は、現代アート表現の一つの方法となった。かつては、何かに感動して写真を撮影して、印刷で表現できない高品位のプリントを制作したものがアート写真だった。今やそれだけでは表層の情報提供に過ぎないと考えられるようになった。「写真」そのものだけではなく、その中身も問われるようになったのだ。自分が何に心動かされて作品作りに取り組んでいるかを意識して、関連情報を収集して、そこに共通項を見つけ総合化して、社会と接点を持つテーマやコンセプトとして提示することが求められるようになった。
アート・フォト・サイトで行っているアート写真の講座では、デジタル時代の現代アート的要素を含んだ作品を「21世紀写真」とよんで、それ以前の「20世紀写真」と明確に区別している。

このような環境下で、新人アーティストがデビューするにはどのような努力が求められるだろうか?まず作品で伝えたい感動にどのような社会的意味があるかを明確化しなければならない。そのコアとなるメッセージを意識して作品タイトルやアーティスト・ステーツメントとして提示することが重要となる。見る側を刺激する何らかの感情のフックがないと誰も振り向いてくれないのだ。写真表現でも、アーティストに求められる素養が変化した事実を理解しなければならない。

表現者の中には優れた感性を持つものの、自分の感動を客観視して、社会と接点を持つテーマとして展示することが不得意な人も多い。作品を制作して、その意味を後付けする人も多く見られる。これは体裁を整えるだけなので注意が必要だ。できない人は、専門家の力を借りることを検討してほしい。
私は、作品制作は企業活動のイノベーションを起こす行為に似ていると考えている。新しい発見や、道を極めるにはアドバイザーが必要なのはいつの時代も変わらないのだ。しかし、それは自分の言うことをきいて応援してくれる人探しではない。アーティスト自身が気付かない作家性を見立てて、言語化して世の中に伝える語り部となる人探しのことだ。

現代の情報社会では、この部分の理解が極めて重要になる。人間は簡単に想像できることは、現実になりやすいと感じる心理的な特性を持つ。成功しているアーティストの情報は話題性があるので数多く提供される。しかし世の中で全く認知されずに消えていく膨大な人たちの情報などはどのメディアも紹介しないのだ。また写真のデジタル技術の進歩で、いわゆる上手い写真を撮影するのが極めて簡単になった。画像の補正もアプリで簡単にできる。結果的に、多くの人が自分の感覚で好き勝手に表現するのがアーティストだと勘違いし、積極的に生きれば自分も成功すると思い込んでしまう。また情報を持たない経験が浅い人ほど、学ぶべき情報量を過小に考えがちだ。以上から、特に学生や新人やキャリアの浅いアマチュアは自らを過大評価しがちになる。思い込みに囚われると、その時点で成長や進歩が停止してしまう。できる限り自分を客観視する姿勢を持つように心がけてほしい。

21世紀になりメディア環境も大きく変化した。インターネットの普及で、誰でも簡単に情報発信が可能になった。世界的に生成されるデータ量が急増し、個別情報の価値がはるかに薄まっている。アート関連情報も同様で、いまや新人賞受賞、美術館やギャラリーでの個展やグループ展選出に対して世の中の関心度はかつてのように高くない。それだけだと単なる情報の断片でしかなく、世の中が瞬間的に注目してくれきっかけにはなりうるがキャリアが大きく変化することはない。
もはや突然の大成功は起きない、それは宝くじが当たるようなものだ。新人デビューはますます困難になっているといえるだろう。したがって新人の行うマーケティングも従来のメディアや関係者への「売り込み」のような努力だけでは効果が上がらなくなった。売り込み先だったメディア自体の影響力も低下しているのだ。さらにオーディエンスの価値基準も多様化、細分化している。アーティスト情報を求めている人まで届けるのが極めて困難な時代となった。

アーティストは、前記のように特徴を明確化した次のステップとして、自らでそのまわりに共感するコアとなる人を囲い込む地道な努力が求められるのだ。コーリー・ハフ(Cory Huff)著の「How to sell your art online」には、50対50の法則が紹介されている。アーティストは、50%の時間を作品制作に使い、残りの50%を自らのマーケティングに費やせという意味だ。このルールは今やすべての新人アーティストに当てはまるだろう。自らの特徴を伝えるために、展覧会開催、フォトブック出版などの従来の方法だけでなく、SNSなどで情報発信を続け、できるだけ多くの支持者を集めファンを固めていくのだ。繰り返しになるが、マーケティングは自分のコアのメッセージを伝える手段だ。その行為自体を目的化しないように注意して欲しい。
もし社会との接点を持つメッセージを長期にわたり提示し続けたら、キュレーター、ギャラリスト、編集者、美術評論家など、誰かが必ず見立ててくれる。複数の人からの見立てが積み重なることで情報発信が重層的になり、アーティストとしてのブランドが次第に確立していくことになる。
新規参入するギャラリー、ディーラーなどの販売業者も全く同じ努力が求められる。独自の極を作り上げるために尽力しなければならない。その特徴に合致したアーティストを見立てて情報発信を行うのだ。複数の特徴が育っていけば、共感するファンとなる顧客が集まってきて経営が成り立つだろう。

成功するかどうかは誰もわからない。アーティストもギャラリーもまずは仕事の継続に挑戦てほしい。もし続けられるのであれば、伝えたいメッセージの内容に何らかの社会との接点があるということ。独りよがりだと、社会とのコミュニケーションは成立しない。ポジティブな反応がないのでモーチベーションを保つことができないだろう。令和の時代、やり方は多少変わったものの、アート表現と情報発信の地道な努力が続けられる人が成功をつかむのだ。たぶん、同じ種類の情報発信を行うアーティストとギャラリーの、互いにリスペクトしあうコラボレーション成立が「21世紀写真」の理想の展開だと思う。
私はいつも新人に対して次のようなアドバイスを行っている。アーティストとは社会に対して能動的に接する生き方を実践している人のこと。そして、短期的な成功を求めることなく、ライフワークとして継続するのが成功の秘訣だと理解しようというものだ。

テリー・オニール追悼
相手を好きになるのが良い写真を撮る秘訣

テリー・オニールの死を惜しむ声が世界中から上がっている。

2015年来日時の写真展会場でのテリー・オニール氏

数々の仕事を一緒に行ったミュージシャンのエルトン・ジョン。彼はいま引退ワールド・ツアーを行っている。テリー・オニールが亡くなった2019年11月16日はニューヨーク・ユニオンデールのナッソー・コロシアムで公演を行っていた。ライブの途中で、テリー・オニールの死に触れて、有名な別れの歌「Don’t Let The Sun Go Down On Me(僕の瞳に小さな太陽)」を捧げている。

テリー・オニール作品の人気はキャリア後半期になって大きく盛り上がった。ここ数年は、世界中のギャラリーで展覧会が開催されるとともに、写真集も相次いで刊行。大手のアート写真オークションで、作品が頻繁に取引されるようになっていた。ポートレート写真には、ブロマイド的な写真が数多く存在している。この分野の写真はアート性が低い、という先入観を持っている人は今でも多い。なぜアート界でテリー・オニールのポートレート写真の人気が高かったのか考えてみたい。

ファッション/ポートレート写真のアート性は撮影を依頼する雑誌や新聞などと写真家との関係性による。これはどれだけ自由裁量が写真家に与えられるか、また写真家が獲得するかという撮影時の環境による。有名写真家になるほど、撮影スタイルが確立している。依頼主は完成する写真が想像できるので写真家に与えられる自由度が高くなる。テリー・オニールの活躍した60~70年代のファッション、ポートレートは比較的に自由に仕事ができたそうだ。花形のグラフ雑誌のフォトエッセーでは編集者の力が強く写真家の自由度はあまりなかった。それに比べて、まだマイナーだったロック系ポートレートでのテリー・オニールの自由度は相当に高かった。彼の名作が生まれた背景にはこのような幸運な撮影環境があったのだ。
また与えられた自由裁量の中で、写真家がどのように作家性を発揮するかも重要になる。テリー・オニールは世界的なセレブリティ―たちの自然な表情を撮影することで定評があった。その一種ドキュメンタリー性を兼ね備えた作風が広くアート界でも認識されているのだ。彼は自然な表情を撮影するためには、被写体との関係性構築と環境作りが重要だと語っていた。それが上手くいけば、あとは瞬間を切りとるだけだという。彼が最も尊敬していたのはマグナム・フォト所属のアメリカ人写真家ユージン・スミス。スミスは撮影環境作りを重視し、被写体が写真家やカメラを意識しなくなるまでシャッターを押さなかったという。テリー・オニールも、同じアプローチを実践。カメラも同じくコンパクトなライカを用いている。彼は時に被写体と長期間にわたり行動を共にし、また姿を隠したりしてシャッターチャンスを待ったという。彼は写真家として成功する秘訣は、あまり目立たないことだといっている。最初、その意味は良くわからなかった。その後に本人と話したことで、被写体にとって写真家が自然の存在になることで初めて良い写真が撮影可能になるという意味だと分かった。また被写体である相手を好きになることも強調している。写真にはすべてが出てしまう、良い写真と悪い写真の違いはすべてそこにある、とも語っている。
彼の写真作品は、セレブリティーが被写体となったドキュメンタリーで、被写体とのコラボから生み出された自己表現であり、各時代を代表する各界の顔が撮影された、当時の気分や雰囲気が反映されたアート系ファッション・ポートレート写真であることがわかる。
大手アート・オークション会社クリスティーズのスペシャリスト・ジュード・ハル(Jude Hull)氏は、彼の写真を「20世紀から時代が経過したいま、テリー・オニールの写真は過去の(時代性が反映された)重要なドキュメントと考えられるようになった」と評価している。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は TON-Frank-Sinatora-on-the-Boardwalk-Miami-1968.jpg です
Frank Sinatora on the Boardwalk, Miami, 1968/ Iconic Images

80年代以降、撮影依頼者から次第に指示や制限が加えられるようになっていく。ファッションやポートレートを取り扱うメディアがビック・ビジネスとなった。彼らが出版後の様々な事態を想定して自己規制を行うようになったのだ。健康被害を思い起こすタバコ、宗教的、人種差別、性差別などに事前に配慮したヴィジュアルが求められるようになる。その後は、自由な表現を追求したい写真家と、編集者やクライエントとの戦いが繰り返されることになる。多くの写真家は、この分野の自由な表現の可能性に見切りを捨て、業界を去ったりファインアートを目指すようになる。21世紀になりデジタル化が進行したことで、写真家に与えられる自由裁量はさらに狭まっているのは多くの人が知るところだ。最近では、写真家はクライエントやデザイナーの指示でカメラを操作するオペレーターのような存在になっている。このような不自由な状況では、かつてのようにポートレート写真から時代に残るようなアート作品が生まれ難くなってしまった。テリー・オニールがキャリア後期に撮影をしなくなった理由は、年齢のせいだけではないのだ。最後の本人が納得のいった仕事はネルソン・マンデラの撮影だったという。

テリー・オニールが異例ともいえる長期間にわたり業界最前線で活躍してきた点にも注目したい。2015年に東京で開催された写真展では、キュレーションを担当したロビン・モーガン氏は写真展タイトルを 「Terry O’Neill : 50 Years in the Frontline of Fame」(「テリー・オニール:華麗なる50年の軌跡」と意訳した)としている。文字通り、現役として業界の最前線で約50年以上にわたり活躍してきたのだ。多くの写真家は専門分野があり、活躍するのもピーク時期はだいたい10年くらいではないだろうか。特にファッション写真の場合、創造性はいくら優れた写真家でも長続きしないことで知られている。ハ―パース・バザー誌のアレクセイ・ブロドビッチは、寿命は7年くらいだと語っている。

しかし、ポートレート写真では様々な有名人を被写体として撮影することから、写真家は刺激を受けつづけ、創造性への情熱も継続ができる場合が多い。現在ブリッツで展示中のノーマン・パーキンソンも、キャリア途中でファッションからポートレートへ軸足を移して活躍し続けている。
テリー・オニールのポートレートはミュージシャンから始まる。1963年のビートルズの撮影以来、エイミー・ワインハウスまで、常に音楽業界の最前線のミュージシャンを撮影してきた。彼は、幸運にもビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、デヴィット・ボウイのヴィジュアル作りに初期段階から関わり、彼らが世界的なロック・スターへと成長していくにしたがって、オニールの写真家の名声も上がっていくのだ。しかし、音楽専門写真家は数多くいる。彼が特別にミュージシャンと親しい関係性を構築できたのは、自身がジャズドラマーでもあり、被写体から同じミュージシャンの仲間だと尊敬されていたからだと思われる。写真家というより、被写体のミュージシャンと同じ目線での撮影が、彼の魅力的な作品の背景にあるのだ。

Kate Moss English fashion model Kate Moss in a black body stocking, March 1993/ Iconic Images

そして、撮影対象の分野が多岐にわたることも大きな特徴だろう。音楽界、映画界はもちろん、なんとサッチャー首相などの英国政界の人々や、エリザベス女王など英国王室も撮影。その範囲は、スーパーモデル、スポーツ/文化界、自動車レース界まで及ぶのだ。だいたい写真家には専門分野がある。彼のような人は極めて稀なのだ。

Hepburn With Dove A contemplative Audrey Hepburn with a dove perched on her shoulder, 1966/ Iconic Images

テリー・オニールの代表作品は既に完売している。これからは、オークションでの取引が中心になると思われる。ただし、エディションが残っている作品については、その範囲内で限定エステート・プリントとして新たに販売されることが決定した。また代表作でない生前のサイン入り作品は、かなり高価になったがロンドンのギャラリーに在庫がある場合がある。興味ある人はぜひブリッツに問い合わせてほしい。

最後に冒頭に紹介したエルトン・ジョンの別れの言葉を紹介したい。「彼は本当に偉大な写真家だった。テリー、あなたの旅がどこに向かっていようとも素晴らしいものでありますように。私へのいままでのすべての仕事に感謝します。」

テリー・オニールが安らかな眠りにつかれるように、心よりお祈り申し上げたい。

展覧会レビュー 「至近距離の宇宙」
日本の新進作家vol.16
@東京都写真美術館

本展タイトルのサブタイトルは「日本の新進作家vol.16」となっている。しかしその意味合いは、例えば朝日新聞社主催の「木村伊兵衛賞」などの新人写真賞とは違う。昨年の同展レビューでも書いたが、本展は東京都写真美術館の担当キュレーターが提示する、現代社会が反映されたテーマとコンセプトがあり、現在活躍中で将来性が期待される写真家がいままでに制作した作品シリーズの中から、合致したものがセレクションされている。写真家の6人による個展の集合体ではなく、全体の展示でキュレーターのパーソナルな視点が提示される複数写真家による企画展となる。毎年違うキュレーターにより様々な視点により企画されていることから、今回16回目となる継続される展示の流れを通して、現代日本における将来性が期待される写真家が提示されている。

現在は価値観が多様化した時代だといわれている。どのような新人の紹介でも、写真家を選ぶキュレーター、評論家、ギャラリスト、写真家の価値基準が多くの人に共感されることはないだろう。このような状況から、古から続く写真賞への関心が極めて低くなっている。個人的には、その存在意義がいま問われていると考えている。それゆえ東京都写真美術館の、複数のキュレーターによる継続的な企画で新人写真家の多様性をカバーするのも一つの可能性だと思う。しかし本展だけを単体で見る観客は、写真家セレクションの規準がわかり難いと感じるかもしれない。

今回の展覧会タイトルは「至近距離の宇宙」。図録の冒頭にはヘルマン・ヘッセの「クルルプ」から「人間はめいめい自分の魂を持っている。それを他と混ぜ合わせることができない。(以下略)」が引用されている。キュレーターの武内厚子氏は同展カタログで、「一般的に世の中では、家を出ないこと。遠くに行かないこと、広い世界を見ようとしないことは否定的に受け取られ、様々な国々へでかける活動的なことは肯定的にとらえられる傾向があります。その一方、近年では、インターネットで世界の隅々の風景を見ることができ、世界中のものを出かけることなく手に入れることができるほか、VTRやホームシアターなどによって家にいながらリアルな臨場感や没入感を持って映像体験ができるなど、どこかに行かずとも何でもできることを、グローバル化とともに人々は積極的に受容しています。本展では、はるか遠い世界に行くのではなく、ごく短なみのまわりに深遠な宇宙を見出し作品を制作する6名の作家を紹介します。」と開催趣旨を表している。

参加しているのは30~40歳代の6名。
相川 勝(1978-)は、写真撮影は行わず、プロジェクターやタブレット端末の画面の光を光源に写真を制作。AIがランダムに作り出し架空の人物のポートレート64枚などを展示。
井上佐由紀(1974-)は、生まればかりの新生児の瞳を撮影している。
斎藤陽道(1983-)は、暮らしの中で身の回りに起きていることや、見知った人々のスナップを壁面全体で展示。展覧会チラシにも写真が採用されている。
濱田祐史(1979-)は、アルミ箔で制作した架空の山、東京湾の海水と手作り印画紙を用いてフォトグラム作品を展示。
藤安 淳(1981-)は、双子を被写体に撮影・2枚一組だが、1枚のみの展示もある。
八木良太(1980-)は、様々なオブジェの立体作品を制作している。パンチングメタルという工業製品に使われる素材による円形の作品”Resonance of Perspective”、色覚検査表を使った作品”On the Retina”などを展示。
発色現像方式印画(Chromogenic Print)、ゼラチン・シルバー・プリント(Gelatin Silver Print)、単塩紙(Salted paper print)などで、様々な支持体に写真がプリントされており、まさに現在の写真表現が多様化している状況が提示されている。

ごく身近の身の回りに意識を向けている写真家を紹介するのは、狭いフレーミング内にとらわれ、それがすべての世界のように思いこんで閉じこもり、あまり行動しない現代人を表しているのだろう。これは非常に興味深い試みだ。一般にアーティストは、これとは逆に、思い込みにとらわれている一般の人に彼らが気付かないような斬新な視点を行動することで見つけ出し、作品提示を通して見る側が客観視するきっかけを提供する人だと考えられているからだ。
現代日本では、多くの写真家は自らの内面を志向しその先に新たな表現の可能性を探求している傾向が強いという見立てだと思われる。私も仕事柄、多くの写真家の作品を見る機会があるが、共感できるところが大いにある。
見る側がそのような作品に共感できるかは、写真家がどれだけ大きな感動を持って内面を深堀して作品制作に向かっているかによるだろう。それができていれば、方向がどちらを向いていても、結果的に作品制作の継続に繋がっていくと思われる。社会で作品が広く認知されるには普通に何10年という長い時間がかかる。表現者の創作のきっかけとなる感動が弱いとなかなか活動継続はできないのだ。その場合、どうしても自己満足の追求と押し付け、もしくは撮影の方法論が目的化している作品だとの指摘が出てくるリスクがある。彼らの本当に評価は今後の活動にかかっているといえるだろう。このように未来の活躍の可能性を見据えて新人に展示の機会を与えるのは美術館の重要な役割だと考える。

「至近距離の宇宙」日本の新進作家 vol. 16
東京都写真美術館(恵比寿)

テリー・オニール追悼
アート系ポートレート写真の元祖

病気療養中だったテリー・オニールが11月16日ロンドンの自宅で亡くなった。81歳だった。

ブリッツでは、過去に何度も写真展(個展)を開催している。ギャラリーが広尾にあった1993年に「TERRY O’NEILL:Superstars of 70s」、目黒に移ってからは 「50 Years in the Frontline of Fame」(2015年)、「All About Bond」(2016年)、「Rare and Unseen」(2019年)を行っている。
2015年には初来日している思い出深い写真家だ。世界的に知名度があり、華麗なキャリアを持つ人なのに、偉ぶることなく誰にでもとても気さくに接してくれていた。かなりの冊数の写真集のサインにも嫌がることなく笑顔で応じてくれたのが印象に残っている。たぶんどんな有名人に対してでも、同じように普通に接することで被写体の自然体の表情を引き出したのだろうと感じた。

Terry O’Neill “Diamond Dogs, London, 1971” (C) Iconic Images

テリー・オニールには、デヴィッド・ボウイの「ダイヤモンドの犬」(1974年)リリースの際に撮影した有名なアートワークがある。同じくボウイの「ヒーロズ」(1977年)のジャケット写真を撮った鋤田正義との写真展会場での出会いは感慨深いものだった。

二人は同い年ということもあり初対面に関わらずすぐに打ち解けた。後日、友情の印として互いにボウイの写真作品の交換まで行っている。その後も二人の交遊は続き、昨年にはロンドンでの再開が実現している。

Terry O’Neill “Brigitte Bardot, Spain 1971” (C) Iconic Images
Terry O’Neill “Faye Dunaway, Beverley Hills Hotel, 1977” (C)Iconic Images

テリー・オニールは、私にとって思い入れがある写真家だ。実は初めて買った写真がテリー・オニールのブリジット・バルドー「Brigitte Bardot, Spain 1971」とフェイ・ダナウエイ「Faye Dunaway, Beverley Hills Hotel, 1977」のアナログ銀塩作品だった。ロンドンのポートベロ・マーケット近くにあったThe Special Photographers Companyという写真専門ギャラリーで1987年に購入している。

30年前、ファッションやポートレート写真のアート性はまだ市場で全く認識されていなかった。販売価格はバルドー作品が185ポンドと驚くほど安かったと記憶している。亡くなる前の彼のギャラリー店頭価格は16 x 20″サイズで最低1750ポンドからだった。約30年間で相場が約9.5倍に上昇したことになる。ただし上記の2点のような代表作は既に完売している。既に生前からオークションで高額で取引されていた。

かつて有名人を撮影したオリジナルプリントは、有名人のブロマイド写真と同じでアート性が低いと考えられていた。しかし世の中の価値観の変化により、いまでは時代性が反映されたファッション・ポートレート写真にはオリジナリティーとアート性があると認識されるようになったのだ。それらは大手のアート写真・オークションでも頻繁に取引されている。テリー・オニールは、その分野における先駆者だったといえるだろう。作品人気の理由やアート性の詳しい分析は次回に行う予定だ。

今後、テリー・オニール作品は、オークションでの取引が中心になると思われる。代表作は完売しているが、それ以外の作品はロンドンのギャラリーに在庫が残っている場合がある。生前の価格で買える可能性もあるかもしれない。興味ある作品がある人はできるだけ早く問い合わせてほしい。アーティスト本人が亡くなってもその作品は永遠に残るのだ。

なおブリッツではテリー・オニールの代表作「Brigitte Bardot, Spain 1971」、「Faye Dunaway, Beverley Hills Hotel, 1977」の特別展示を行っている。どうぞお見逃しなく!

テリー・オニール氏が安らかな眠りにつかれるよう、心よりお祈りしたい。

写真展レビュー
「山沢栄子 / 私の現代」
@東京都写真美術館

山沢栄子(1899-1995)は、日本における女性写真家のパイオニア的な存在として知られている。戦前のアメリカで写真を学び、1930年代からスタジオを開設して主にポートレート写真分野で活躍し、キャリア後半には写真作家に転じている。

本展は彼女の生誕120年を記念して行われる大規模な展覧会で、現存する70~80年代の代表作を中心に、約140点を全4章で紹介。
第1章「私の現代」では、1986年の個展に展示された、彼女が「抽象写真」と呼んでいたモノクロ・カラーの長辺が最大100cmにもなる大作28点を展示。シルバーのフレームも当時に特注されたものとのこと。
第2章「遠近」では、1962年に刊行された同名写真集に収録された1943年~1962年までに撮影された77点を紹介。モノクロ、カラー、抽象写真が含まれ、ニューヨークでのドキュメントから静物など、山沢の興味の対象の流れがみてとれる。すでにプリントやフィルムが現存していないことから写真集のページを額装して展示している。
第3章「山沢栄子とアメリカ」では、山沢に大きな影響を与えた20世紀前半のアメリカ写真の代表作を、同館のTOPコレクションから紹介している。
第4章「写真家 山沢栄子」では、「私の現代」、「遠近」以前の、仕事を、「ポートレート」、「疎開中の写真」、「商業写真」の3部構成で紹介している。

山沢栄子は、2014年に開催された「フジフィルム・フォトコレクション展 (日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」)」でも「What I Am Doing No.24, 1982」が選出されている。私は抽象的な写真を研究しており、縁があってカタログのテキスト執筆を担当している。

数多くの古本屋を回って、「遠近」を含む4冊の写真集を執筆用資料として収集した。当時は、彼女の存在を知る人は非常に少なく、写真集探しは困難を極めたことを記憶している。作品解説では、写真という狭いカテゴリーの中でのアート性追求にとどまらず、「写真としてのアート」の幅広い可能性にいち早く挑戦している、と書いている。

さて山沢の写真を写真史/アート史のどの流れで評価可能かを考えてみよう。写真集「遠近」の収録作品には、アーロン・シスキン、ラルフ・スタイナー、エルスワーズ・ケリ―のような、自然世界の抽象性に注目した写真作品が散見される。これらは多くの表現者が行ったように、彼女も写真による絵画表現の可能性を考えた痕跡だと考える。しかし、彼女はドキュメント写真の視点で、フォルムを優先させた抽象的作品制作の追求は行わなかった。様々な、フォルムや色彩のオブジェを用いて被写体自体を作り上げて撮影する方向へと進んでいく。
山沢の写真をコンストラクテッド・フォトもしくはステージド・フォトの流れで評価が可能だと思いついた人は多いと思う。コンストラクテッド・フォトは、写真の客観的な記録性への信頼が崩壊していった1980年代にアメリカではじまった撮影に作り込む美術的要素を合体させた新分野の写真表現だ。
ちなみに写真家バーバラ・カステンが1987年に山沢のインタビューを行っている。会場内で映像が紹介されており、生前の彼女の姿を見ることができる。実はカステン自身もこのコンストラクテッド・フォト分野の代表作家だった。ちなみに同展カタログでは、キュレーターの鈴木佳子が同じく同分野の代表者ジャン・グルーヴァ―が山沢と類似する作品を制作していると指摘している。

その後、コンストラクテッド・フォトの多くの表現者たちは制作する行為自体にアート性を見出そうとする。いわゆる方法論が目的化されるようになったのだ。山沢が呼んだ「抽象写真」自体も、抽象的な雰囲気の写真を制作する行為が目的化されていると解釈される可能性はあるだろう。写真集「私の現代3」に掲載されている、京都大学教授 乾 由明のエッセーでも、「フォルムと色彩の抽象的なイメージを追求すれば、写真は余りにも絵画的な表現におちいる危険を孕んでいる。それは写真からそのメディアの固有性を失わせ、安易に現実によりかかかった芸術性に乏しい写真とは逆の意味で、写真を絵画の領域に従属する、堕落した状態に置くことになる」と指摘している。
しかし彼女の作品のアート性をこの方面から論ずるのはあまり意味がないのではないか。私は、彼女がいま再評価されているのはその生き方自体によると考えている。山沢は、明治、大正、昭和という男性優位の考えが残る時代の日本において、商業写真家、作家とし社会で自立した女性のキャリアを追求した。それを実践した彼女の人生/生き方そのものが大きな作品テーマなのだと理解し評価すべきだろう。

同展のもう一つの見どころは第3章「山沢栄子とアメリカ」で紹介されているTOPコレクション。まさに、20世紀前半のアメリカの写真史をコンパクトに紹介する教科書的な展示内容だ。アルフレッド・スティーグリッツ、ポール・ストランドなどの写真雑誌「カメラ・ワーク」に収録されたフォトグラビア作品、イモジェン・カニンガム、エドワード・ウェストン、アンセル・アダムス、ポール・アウターブリッジ・ジュニアなどの珠玉の作品も何気なく展示されている。ポール・アウターブリッジ・ジュニア(プラチナ・プリント)は小さなサイズで見過ごしがちだが、おそらく極めて貴重かつ高価なヴィンテージ・プリントだと思われる。
ファッション写真ファンは、ヴォーグ誌で活躍したジョン・ローリングスやセシル・ビートンの戦前の作品も見逃さないように。なんと山沢はジョン・ローリングスのポートレートも撮影している。

アート写真コレクションに興味ある人は、珠玉の20世紀写真が展示されたこのセクションは時間をかけて鑑賞してほしい。それぞれのプリントの質感を、近くからじっくりと味わいたい。

「山沢栄子 私の現代」
2020年1月26日まで開催
東京都写真美術館 3階展示室

デジタル時代における写真表現の最前線 「snap+share」展覧会カタログ

 アナログからデジタル時代になり、私たち一般人にとっての「写真」の意味合いが大きく変わってきた。それがどのような変化なのか、どこに向かっているかの個人的な感想を述べる人は数多くいる。しかし現状の客観的な分析と考察はあまり見ることがない。
 2019年3月30日~8月4日まで、サンフランシスコ現代美術館でシニア・キュレターのクレマン・シェルー(Clément Chéroux)企画により開催された「snap+share」展では、いまの「写真」の現状分析を「写真をスナップして/送る/シェアする」という視点からかなり突っ込んで行っている。本書は、同名の展覧会のカタログ。サブタイトルは、「transmitting photographs from mail art to social network」。


 同展では、ダゲレオタイプ、スナップ写真、ポストカードなどを郵送する行為を原点として、その延長線上に現在の写真撮影とSNSでの画像シェアーの行動をとらえて分析している。
 本書による「写真」の変化の変遷と分析を見てみよう。
まず写真流通がデジタル時代に革命的に変化したという認識が前提としてある。巻末資料によると、2018年時点で、毎日9500万点以上の写真と動画がインスタグラムでシェアされ、3億点の写真がフェイスブックにアップロードされているという。
 写真の進歩をイメージの即時性の追求という視点からとらえ、歴史的にはコダックにより写真を早く撮れるようなり、ポラロイドによりすぐに見られるようになり、インスタグラムにより他人とシェアするようになったと分析。現在は写真の第3革命期だとしている。そして現代の「写真」は、「snap+share」で象徴されるように、スナップと拡散で特徴づけられると定義。デジタル技術により、写真に物理的な重さがなくなり膨大な数の写真が制作可能となる。そして、個人のアドレス化、スマートフォンやタブレット端末での持ち運び、短期間の流通が可能となったとし、写真は一般的な言語性を獲得したと解釈。つまり写真撮影は、しゃべること、会話/言葉になったという意味だ。そして、イメージは言葉と同じように、人間のエゴを表現し、自撮りなどは、見る人の関心、承認、認識を求めており、写真は社会的な存在として、コミュニティー所属の確認、自分の状況や居場所を主張し自尊心と関係づけて提示されていると分析している。
 以上の状況を俯瞰して、本書では「写真」がもたらす現代社会の問題点として、自己中心的傾向、繋がりたがる願望、繋がりの存在を感じるためにシェアーを求めること、の3点を問題点だと指摘。現代のアーティストによる、それらの問題点をテーマとした作品を紹介している。

 美術館の仕事は、今まで関連性が気づかれなかった歴史上のアート表現を抽出して新たな視点から規定していくことにある。本展でも、各時代における写真を郵送する行為に触発されて行われてきたアーティストの表現を、広義のメール・アートから、現代の「snap+share」時代のものまでを関連付けて紹介している。「写真」のことが語られているのだが、前衛芸術の流れをくむパフォーマンス・アートなどの文脈で語られているのでアート系写真分野の人にはややわかり難いかもしれない。しかし、新たな視点から語られる写真表現の歴史は、無理なこじつけなどを一切感じさせない。とても分かりやすく多くの人が納得できる内容だと言えるだろう。現代社会で「snap+share」で象徴される「写真」をテーマにしたアーティストの表現は、アートの歴史的とのつながりが明確だと見事に定義されているのだ。

 本書では、現代社会に生きる一般人には、もはや「写真」は物理的な存在ではなくなっているという認識が示されてる。それではモノとしての「写真」はどのようになっているのだろうか?もちろん広告宣伝、医療用など用途が明確な写真は物理的に存在する。写真を使用してアーティストが制作したものも、アート作品として存在する。もし写真家が自らの表現について何も語らず、第3者が見立てを行わない場合は、写真作品は伝統工芸の職人技の一つのカテゴリーのものとして存在する。いわゆる、陶芸などの工芸品の一部ということだ。この分野の市場も存在するが、アート作品ではないので値段はリーズナブルとなる。しかし、私が「写真の見立て」でしつこく語っているように、このような作品でも写真家が長年にわたり制作を継続できれば、第3者が見立ててアートとして取り扱われる可能性があるのは言うまでもない。

本書に紹介されている作品を簡単に紹介しておこう。

Unknown Me, Collection of Peter J. Cohen 

Peter J. Cohenは、作者不詳のファウンド・フォトのポートレートのなかに「Me(私)」とペンで書かれたものをコレクションしている。まさに自撮りセルフィーの原点だ。

Stephen Shore, Greeting from Amarillo, “Tall in Texas”, 1971

写真家のスティーブン・ショア―の「Greeting from Amarillo, “Tall in Texas”」では、アメリカの西部と南部の交差点として有名なルート66の主要都市アマリロ・テキサスが舞台。ショア―は、この地の様々な建物を撮影して、大量生産のポストカードを商業的に制作した。彼は、自らの全米のロードトリップの際に各地の店のポストカード・ラックにそれらを入れていった。カードには意図してアマリロを記載しなかったことから、それらは各地におけるアメリカの原風景の写真となったという。どの地でも画一的な建築が多い事実が明らかになる。

On Kawara, 29,771 days I Got Up… 1975

コンセプチュアル・アートの第一人者として知られる河原 温の「29,771 days I Got Up… 1975」も取り上げられている。彼は1968年から1979年にかけて継続的にメールアートに取り組んでいた。毎日、朝起きると、起きた時間を記したツーリスト用カード2枚を友人や同僚に郵送し続けた。このシステマチックな仕事の記録は、時間の経過と人間の存在の証拠を提示しているという。

Thomas Bachler, From Frankfult to Kassel, 1985

ドイツ出身のThomas Bachlerは、カードボード・ボックスでピンホール・カメラを制作して様々な都市から自宅へそれらを送付している。発送時にボックスには穴が開けられ、配送中は露光が行われ続ける。到着しだい、パッケージは閉じられて現像される。そこから生まれた奇妙な画像の写真は都市間の移動の痕跡になっている。

Ken Ohara, Contacts, 1971-76

ニューヨークで撮影されたポートレート写真集「ONE」で知られる小原健も紹介されている。グッゲンハイム奨学金を得て行った「Contacts、1974-76」では、彼はフィルム入りのオリンパスRCカメラを、見ず知らずの無作為の人々に指示書ともに送り付けている。それには、カメラの使用法や、自分の周りの人を撮影して返送してくれと書かれていた。返送されると、小原はコンタクトシートを制作している。アメリカ社会のより正確な現実が提示できると考えたという。

Erik Kessels, 24HRS in Photos, 2011

オランダのアーティストErik Kesselsによる膨大なインスタレーション「24 HRS in Photo, 2011」では、24時間にイメージ・シェアリング・サイトと、ソシアル・ネットワークにアップロードされた画像すべてをプリントアウト。同館の展示ではそれらからの数千枚の写真を展示会場内に山のようにうず高く積み上げている。インターネット時代の画像の洪水を視覚化し物理的作品として提示。物として感じられる写真と、ネット上のはかない存在の写真との緊張感を表現している。

Corinne Vionnet, Agra,Paris, Beijin, and San Francisco,from the series Photo Opportunities, 2006-07

Corinne Vionnetの「Agra,Paris, Beijin, and San Francisco,from the series Photo Opportunities, 2006-07」では、彼女はエッフェル塔、タージマハル、天安門広場、ゴールデンゲイト・ブリッジなどの有名観光地のオンライン・キーワード検索を行い、数千点にも及ぶスナップ・ショットを収集。それらを合体させ重ね合わせて精妙な構造の1枚のヴィジュアルを制作。写真をシェアする文化において、有名な場所では多くの人は執拗に同じような写真を撮影していることを提示している。

Eva and Franco Mattes, Various iteration of the orijinal ceiling cat meme

本書の表紙に掲載されている。天井から頭を出して覗いている子猫の作品は、イタリアのカップルEva and Franco Mattesによる作品「Various iteration of the orijinal ceiling cat meme」。作品には「天井の猫があなたを監視している」というテキストが書かれている。猫はSNSで最も多くシェアーされている画像の一つ。作品の猫はインターネット自体の暗喩の意味を持っており、ウェブの総監視システムを非難している。

その他、19世紀から21世紀までの写真を使用した様々なアート表現41点が収録されている。テキストは英文だが、非常に分かりやすくスラスラ読めてしまう。最先端のアート表現に興味ある人はぜひ手に取ってほしい。間違いなく知的好奇心を刺激してくれるだろう。

「Snap + Share: Transmitting Photographs from Mail Art to Social Networks」
Clément Chéroux (著), Cernunnos 2019年刊, 参考価格 3600円

Art Photo Site 紹介ページ

2019年秋のニューヨーク・アート写真オークション
最新レビュー(2)

今秋のニューヨークで開催された大手のアート写真オークションレビュー。第2回は各社ごとの高額売り上げを見てみよう。

クリスティーズは、10月2日に「Photographs」(296点)を開催。総売り上げは約601.5万ドル(約6.61億円)、落札率は68.5%だった。1年前の2018年秋と比較すると、売り上げは約10.5%減少している。

Helmut Newton「Panoramic Nude, Woman with Gun, Villa d’ Este, Como, 1989」

最高額はヘルムート・ニュートンの「Panoramic Nude, Woman with Gun, Villa d’ Este, Como, 1989」で、落札予想価格30~50万ドルのところ39.9万ドル(約4389万円)で落札。ニュートンの本作が、今シーズン最高額落札となった。2018年5月18日にフィリップス・ロンドンで別カットの1点もの作品が72.9万ポンド(当時の為替レート/約1.09億円)で落札されたのは記憶に新しい。サイズがほぼ同じだがこちらはエディション3となる。ちなみに本作は2006年4月22日のササビーズ・ニューヨークで12万ドルで落札された作品。約13年の所有で約3.3倍、年単利の複利計算で約9.68%で運用できたことになる。
続いたのは、カタログの表紙を飾るラズロ・モホリ=ナギの「From the Radio Tower, Berlin, 1928」。落札予想価格20~30万ドルのところ27.5万ドル(約3025万円)で落札された。(カタログ・イメージは前回紹介)
ピーター・ベアード人気はまだ衰えていないようだ。高額が期待された「Gardeners of Eden, 1984」は不落札だったが、「Orphaned Cheetah Cubs, Mweiga, Kenya, 1968」が、落札予想価格20~30万ドルのところ25万ドル(約2750万円)で落札。「World-Class Black Rhino, Aberdare Forest, 1972」は、落札予想価格4~6万ドルのところ、なんと25万ドル(約2750万円)で落札されている。

ササビーズは、9月27日に「Contemporary Photographs」(91点)、10月2日に「Classic Photographs」(138点)の二つのオークションを開催。

総売り上げは約426.7万ドル(約4.69億円)、落札率は約64%だった。1年前の2018年秋と比較すると売り上げは約6%増加。この二つのカテゴリーはコレクター層が違うことがあるので、今後は同様の分類が多くなると思われる。写真が現代アート表現の一部と考えられるようになったので、オークションハウスは常に試行錯誤を重ねている。ちなみに1点の落札単価は前者が約3.4万ドル、後者が約2.5万ドルだった。
女性アーティストの高額落札が目立ち、シンディー・シャーマンの「Untitled Film Still #10, 1978」が、30万ドル(約3300万円)でプリンストン大学美術館により落札されている。フランチェスカ・ウッドマンが学生時代の1976年に制作した「Polka Dots, 1976」は、落札予想価格5万~7万ドルのところ、なんと20万ドル(約2200万円)で落札。これはウッドマン作品のオークション落札最高額記録となる。

Sotheby’s NY Contemporary Photographs Auction Catalogue

「Contemporary Photographs」のカタログ表紙はオランダの写真家ヘンドリック・ケルステンス (Hendrik Kerstens)の「Bag, 2007」。落札予想価格8千~1.2万ドルのところ3.25万ドル(約357万円)で落札されている。

Phillips NY Photgraphs Auction Catalogue

フィリップスは、10月1日に「Photographs」(247点)を開催。総売り上げは約353.4万ドル(約3.88億円)、落札率は66.4%だった。1年前の2018年秋と比較すると売り上げは約38%減少。
最高額はハンナ・ウィルケ「S.O.S. Starification Object Series (Performalist Self-Portrait with Les Wollam)、1974」。このサイズの作品は極めて貴重であることから、落札予想価格18~28万ドルのところ22.5万ドル(約2,475万円)で落札された。ハンナ・ウィルケは、フェミニズム美術を手がけたパフォーミング・アーティスト、画家、彫刻家、写真家。彼女は女性としてのセクシュアリティやエロティシズムを、生涯を通して一貫して視覚化を試みる表現活動に従事していた。
ウィルケとともに注目されていた、女性パフォーマンス・アーティストとして知られるマリーナ・アブラモビッチの「Cleaning the Floor、2004」は、カタログのカバー作品。こちらは落札予想価格6~8万ドルのところ7.5万ドル(約825万円)で落札されている。
続いたのは、9月に亡くなったロバート・フランク作品。「Parade, Hoboken, New Jersey、1955」が、落札予想価格7~9万ドルのところ16.25万ドル(約1,787万円)で落札。同じくフランクの代表作「Trolley, New Orleans、1955」は、落札予想価格5~7万ドルのところ15万ドル(約1,650万円)で落札された。しかし、フランク作品全部が高額落札されたわけではなかった。9点が出品されて5点の落札にとどまっている。写真集「The Americans」収録の有名な「Chicago-Political Rally,1956」は、落札予想価格3~5万ドルだったが不落札だった。フランクはすでに94歳と高齢だった。本人の死亡が相場に与える影響はあまり大きくないと思われる。

今秋は特に5万ドル以上の高額価格帯カテゴリーでの成績に業者間で大きな差が見られた。クリスティーズは好調で、落札率約69%で、20点の落札で約295万ドル(約3.25億円)を売り上げた。落札予想価格6~9百万ドルのエドワード・カーティスの「The North American Indian (20 portfolios and 20 text volumes), 1907-1930」こそは不落札だったものの、最高額のニュートン作品を含む10万ドル以上の落札点数が13件あった。
ササビーズは、クラシックとコンテンポラリー合計で、落札率約85%、17点の落札で約186.65万ドル(約2.05億円)の売り上げ。10万ドル以上の落札点数は5件だった。
一方でフィリップスは苦戦し、落札率約50%、11点の落札で約111.5万ドル(約1.22億円)の売り上げ。高額の落札予想額が提示されていた、ロバート・メイプルソープ、シンディー・シャーマンが不落札。10万ドル以上の落札点数は4件だった。

高額セクターの成績がそのまま今秋の大手業者の売り上げ順位に反映され、クリスティーズが再びトップとなった。

(為替レート/1ドル/110円で換算)

2019年秋のニューヨーク
アート写真・オークション
最新レビュー(1)

アート業界は、今後に直面するかもしれない、景気の悪化とともに、企業債務や不動産のバブル崩壊に身構えているようだ。少し前になるが、マスコミ報道では長期金利が短期金利を下回る逆イールドカーブ発生が話題になっていた。米国債市場では2000年や07年の景気拡大終盤で逆イールドが発生し、その後に景気後退に直面している。米国の中央銀行に当たるフェデラル・リザーブによる最近の短期金利の引き下げは「景気後退」を意識したうえでの行動だと言われている。
景気後退やバブル崩壊による不況は、コレクター心理に悪影響を与え、アート業界の売り上げは低迷することになる。CNBCの報道によると、実際に2019年前半は金融市場の乱高下や将来不安から、米国の富裕層がお金を使わなくなったという。アメリカの高級老舗百貨店「バーニーズ・ニューヨーク」は、8月に破産申請しているし、オークションハウスの売り上げも、前年同期比でササビーズの売り上げは約10%、クリスティーズは約22%減少している。アート業界は、不要不急の消費者向けの比較的高額な商品を取り扱っている。不況になると市場で資産価値が認められていない作品が全く売れなくなるのだ。資産価値のある作品だけを取り扱う大手オークションハウスは、相場を下げることで状況にあったレベルの売り上げは確保可能だ。しかし、委託者は安く良いコレクションを売りたくないので出品数が減少して、市場規模が縮小することになる。そして資産価値が未確定のアート作品を取り扱う中堅ギャラリーは売り上げが激減する。若手新人のみを取り扱う業者は売り上げがゼロになることも珍しくない。ギャラリーは固定費がかかるのですぐに経営に行き詰ってしまう。最近のアートネット・ニュースでは「アート市場は新たな不況に向かっているのか?専門家によるギャラリーが低迷時に生き残る9つのヒント」などという不気味な記事が掲載されていた。
オークションが開催中の週も、景気懸念と利下げ観測でNYダウは不安定な動きをしていた。このような状況下で秋のニューヨーク定例オークションが9月27日から10月2日にかけて開催された。

Christie’s ”PHOTOGRAPHS” Auction Catalogueカタログ表紙はLASZLO MOHOLY-NAGY「From the Radio Tower, Berlin, 1928」、27.5万ドル(約3025万円)で落札。

秋のニューヨーク・オークション・レビューの第1回は、まず全体像を明らかにしたいと思う。クリスティーズ、ササビーズ、フィリップスの大手3業者の出品数は772点だった。(2019年春はトータル739点、2018年秋は866点) 大手3社による合計5つのオークションの平均落札率は66.58%。今春の75.24%よりは低下、ちなみに2018年秋は62.36%、2018年春は72.50%だった。業界では不落札率が35%を超えると市況はよくないと言われている。現状は出品作品の約1/3は買い手が見つからなかったということだ。総売り上げは約1381.6万ドル(約15.19億円)で、春の約2146.6万ドル(約23.6億円)から約35%減少。2018年秋の約1648.3万ドルよりも約16%減少している。

過去10回の売り上げ平均額と比較すると、リーマンショック後の低迷から2013年春~2014年春にかけて一時回復するものの、再び2016年まで低迷が続いた。2017年春、秋はやっと回復傾向を見せはじめ、2019年春にはフリップスが開催した逸品をそろえた単独オークションの成功により総売り上げは再び2014年レベルに戻っていた。しかし、2019年秋は2016年以来のレベルに戻ってしまった。オークション・レビューを初めて約20年になる。グラフを見返してみると今秋の総売り上げ約1381.6万ドルは、なんと1999年春の約1584.9万ドル以下のレベルに戻ったことになる。売り上げが減少したというよりも、最近は現代写真の多くがコンテンポラリー・アート系のカテゴリーに出品されていることによる影響が大きいと思われる。このあたりの詳しい分析は今後行いたい。

各社ごとに見てみよう。1年前の2018年秋と比較すると、ササビーズ約6%増加、クリスティーズ約10.5%減少、フリップス約38%減少。2019年春と比較すると、ササビーズ約5.7%増加、クリスティーズ約13.3%減少、フリップス約66%減少となる。特にフリップスの数字の振れ幅が大きい。結局、今秋の実績は過去10シーズン(過去5年)の売り上げ平均と比べてもマイナス・レベルに落ち込んでしまった。

やはりアート業界を取り巻く厳しい先行き予想が心理的に反映された結果だと解釈すべきなのだろうか。

次回は個別業者の高額落札の内容を見てみる。今シーズンは、シンディー・シャーマン、フランチェスカ・ウッドマン、ハンナ・ウィルケ、マリーナ・アブラモビッチなどの女性アーティストの人気が高かった。

オークション最新レビュー(2)につづく

(為替レート/1ドル/110円で換算)

イメージの洞窟 意識の源を探る
@東京都写真美術館

「イメージの洞窟 意識の源を探る」という、興味がそそられるタイトルがつけられたグループ展が東京都写真美術館で開催中だ。本展のキュレーションは、人間の意識の形成を視覚と関連付けて、テーマとして取り扱おうとする試みだと思われる。しかし、このイメージや意識の形成は、極めて学術的に専門的な大きなテーマである。畑が違うアートの感覚的な視点からの掘り下げは簡単ではないと思われる。実際のところ、来場者が持つこの分野の情報や知識量にはかなりばらつきがある。多くの人がリアリティーを感じるテーマの提示は実際的ではないだろう。しかし、大きなテーマに対しては誰もが納得するしかない。美術館は何らかの切口での作品展示を実施する必要がある、たぶん今回のテーマ提示も確信犯でのことだろう。理想的には、複数のアーティストによる踏み込んだ関連テーマの掘り下げが同時に必要だ。しかし日本では写真でのアート表現が表層的になりがちなので、候補アーティスト探しは難航すると思われる。

たぶん本展の中心コンセプトは写真表現最先端での制作アプローチの独創性と多様性の提示だと思われる。東京都写真美術館は、「写真」表現を見せる美術館であることから当然の流れといえるだろう。
展示作品は、オサム・ジェームス・中川の分割して撮影したファイルを継ぎ合わせて制作された高精細インクジェット・プリント。和紙に出力され、墨、酸化鉄がくわえられた巨大オブジェ作品。これなどは、表面の釉薬の焼き上がりの偶然性を愛でる陶芸に近い感覚だと感じた。
北野謙の新生児をモデルにした巨大なカラーのフォトグラム作品。
ゲルハルト・リヒターの写真に油彩やエナメル塗料が塗られた作品。
この3人のほかには、会場入り口に志賀理江子が1点、
フィオナ・タンが約9分30秒のビデオ作品で参加している。
特別展示としてジャン・ハ―シェルによるカメラ・ルシーダを用いて描かれたドローイング作品も鑑賞できる。これは、1839年に写真技術が発表される約20年前に制作された貴重作品となる。カメラ・ルシーダとは、プリズムを通して画用紙に目の前の風景を映す光学機器のこと。写真表現の原点を提示することで、その後の多様化していった表現方法を際立たせる意図があるのだろう。見事なセレクションだと思う。

本展の見どころは、ドイツを代表する現代アート・アーティストのゲルハルト・リヒター作品にあるだろう。世界のアート市場で高い価値が認められている別格のアーティストだ。彼は抽象絵画が有名だが、キャリア初期からフォト・ペインティングという写真をキャンパスに描き出す手法により、写真を絵画作品に取り込んでいる。リヒターの作品表現は幅広く、フォト・ペインティング、抽象絵画以外にも、風景画、海景、ポートレート、カラーチャート、グレイ・ペインティング、ミラー・ペインティング、彫刻、ドローイング、写真などがある。2002年にはニューヨーク近代美術館で、2011年にはロンドンのテート・モダンで回顧展が、2005年には日本初の回顧展が金沢21世紀美術館、川村記念美術館で開催されている。
作品はアート・オークションで高額で取引されている。ちなみに巨大な抽象絵画作品「Abstraktes Bild (1986年)」は、2015年2月10日のササビーズ・ロンドンで、約30.4百万ポンド(当時の為替レート/1ポンド@180円/約54億円)という、当時の現存作家のオークション最高額で落札されている。
またロック・ファンの人なら、米国のバンド・ソニック・ユースが、リヒターのフォト・ペインティング作品「Candle(1983年)」をアルバム「Daydream Nation(1988年)」に採用したことは知っているだろう。
フォト・ブックの分野では、「Gerhard Richter: Atlas(1997年刊)」はコレクターズ・アイテムとして知られている。同書は、彼が作品を描くために集めた膨大な、スナップ写真、スケッチ、コラージュ、カラーチャートなどを収録。それらを整理、グループ化し、格子状などに並べられたものは「ATLAS(アトラス)」と呼ばれ、リヒター自身の人生、創作アイデア、思考過程などを現している世界地図だと評価されている。

「イメージの洞窟 意識の源を探る」展覧会カタログ

本展では写真に油彩やエナメル塗料が塗られた小ぶりの作品13点が展示されている。同展カタログによると、今回展示している「Museum Visit(2011年)」シリーズは、ロンドンのテート・モダンの来場者を撮影した写真の上にエナメルで着色された作品。オーバーペインテッド・フォトグラフと呼ばれるこの手法において、エナメルが「境界」として写真のイメージと鑑賞者を隔て、鑑賞者へ「絵画と写真」「具象と抽象」「現実と仮称」の再考を促しているとのことだ。ちなみに本展カタログのカヴァーに採用されている「MV.6<Museum Visit>2011」は、日本初公開作品とのこと。
大きなサイズで知られるリヒター作品。小作品を近くによってじっくりと鑑賞するのは新鮮な体験になるだろう。

イメージの洞窟 意識の源を探る
東京都写真美術館(恵比寿)