写真展レビュー
“愛について アジアン・コンテンポラリー”
@東京都写真美術館

本展はアジアン・コンテンポラリーとして高い評価をえているという、アジア出身の女性アーティストのグループ展。企画立案は、4月まで東京都写真美術館でキュレーターを務め、社会における女性の地位やジェンダーのあり方にこだわった展覧会を行ってきた笠原美智子氏による。

キム・インスク(在日コリアン3世)の、“ハイエソ:はざまから”は、在日家族史を収めた映像と日常のポートレートによる作品。
キム・オクソン(韓国)の“ハッピー・トゥゲザー”、“ノー・ディレクション・ホーム”は、グローバル化、多文化がテーマ。国際結婚している女性や国外居住者、外来植物を撮影。
ホウ・ルル・シュウズ(台湾)は、“A Trilogy on Kaohsiung Military Dependents’ Villages”で、戦後の新しい移民集落が姿を消す前の最後の姿を”二重視線”の手法で作品化している。
チェン・ズ(中国)は、自傷行為をテーマに作品を制作、内省的なドキュメンタリーの“我慢できる”と、被写体と交わした各種コミュニケーションを写真作品化した“蜜蜂”を展示。
ジェラルディン・カン(シンガポール)は、自らの家族や親戚にまつわる写真や記憶をもとに、祖母、家族兄弟らと架空のファミリー・ポートレートを撮影した“ありのまま”を展示。
須藤絢乃(日本)は、性別にとらわれない理想の姿に変装した自分自身や友人を撮影した“メタモルフォーゼ”、実在する行方不明の女の子に扮して撮影したセルフポートレート“幻影”などを展示している。

複数文化の中での様々な葛藤と調和、生きるための自傷行為、パーソナルなセルフポートレート、作られた家族写真、忘れられつつある歴史の提示などがテーマの展示は、カタログの“ごあいさつ”で書かれているように、家族、セクシュアルティー、ジェンダーの在り方など、女性が関心を持ちやすいテーマが取り上げられている。
それぞれの作品の制作年を見てみると、かなりばらつきがある。古い作品は、キム・オクソンの2002年制作の作品から、須藤絢乃の2018年制作の作品までが含まれる。“アジアン・コンテンポラリー・フォトグラフィー”ということだが、その意味は現在中心ではないようだ。21世紀最初の18年間における、時代ごとの価値観に影響を受け翻弄されたアジアの女性作家たちの多種多様な作品を展示する意味合いが強いと思う。この期間に世界は、グローバリゼーションと新自由主義の考えが一世を風靡した後に、リーマン危機などを経て一般市民層の経済格差が拡大した。結果的に米国のトランプ政権誕生や英国のEU脱退などに見られるように旧来なナショナルな方向への大きな揺れ戻しが起こっている。それぞれの展示作は、アーティストの出身国独自の問題点や、パーソナルな関心をテーマに、時代ごとの社会の価値観に影響を受けながら制作されているという印象を持った。

コンテンポラリーの日本をテーマにした展覧会のキュレーションは極めて難しいだろう。20世紀後半の一時期のように、多くの人が同じような価値基準や将来の夢を持つような状況ではないからだ。どうしても、狭い範囲内の局地的な視点を掘り下げて提示するものになる。それは、現代アートの世界での問題点やテーマの提示と何ら変わらなくなる。女性やフェミニストやジェンダーのテーマ自体もかなり多様化している。アーティストは、表層的で抽象的な問題にとらわれると自己満足してしまい、思考停止状態に陥ることが多い。21世紀のアーティストは、大きなテーマの中でそれぞれがより内面深く思索を行い、問題点を掘り起こし個別に興味あるテーマを提示しなければならない状況にある。
今回の展示を見て感じたのは、アジアや女性作家を切り口にしても、このような基本的な状況は変わらないことだ。その中で何らかの傾向を提示するのが極めて難しくなってきたのだと感じた。この辺のところはキュレーターの笠原氏の理解も同じで、カタログ巻頭で“このグローバル化し価値観が多様化した情報社会において、国や地域でアーティストを区切り、一つの傾向を示すのは不可能になっているのではないか”と記している。
しかし、美術館の展覧会では何らかの方向性を提示しないわけにはいかないだろう。海外で開催されている若手のグループ展でも、例えばICP(国際写真センターニューヨーク)の“A Different Kind of Order”のように抽象的なキーワードを採用したり、撮影者の世代でグルーピングするものが多くなっている。
本展でも、女性が持つ感性に注目して“愛について”とタイトルを付けたと解釈したい。

しかしながら、各アーティストの国内(ナショナル)に根付いた事柄への関心の高さは、いまグローバル化が転換点を迎えていることが無意識か意識的かわからないが反映されている印象を持った。たぶん10~15年前であったら、グローバルな視点による共通の作品テーマが各国のアーティストから提示され、それらを傾向としてキュレーションすることが可能だっただろう。本展からは、現在のアジアの女性の国内を向きがちなパーソナルな関心を感じ取ることができる。数多いアジアの女性アーティストの中から、彼女たちが選出された理由もそこにあると解釈できるだろう。世界の趨勢とは違い、日本ではまだ反グローバル的な動きは強まっていない。また、フェミニズムに対しても、個人の主観だととらえるような風潮が見られるという意見も聞く。日本から選出された須藤の作品は、自分の内面を掘り下げ、類まれな想像力を駆使して生み出されたセルフポートレートだ。それらは、見事に現在の日本の状況が反映されている。

本展は、かつてのように女性のジェンダー的なこだわりを中心に提示するのではなく、タイトルが示すように、日本を含む現在のアジアの、まとまりのない、ばらけた状況を提示する展示になっている。笠原氏のいままでの仕事の区切りとなる展覧会ともいえるだろう。

愛について
アジアン・コンテンポラリー
東京都写真美術館

http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3096.html

見どころ満載!トミオ・セイケ 写真展
「Street Portraits : London Early 80s」

ブリッツは、10月12日からトミオ・セイケの「Street Portraits: London Early 80s(ストリート・ポートレーツ:ロンドン・アーリー・80s)」展を開催する。

ここ数年、ブリッツはセイケが1980年代初めに英国で制作した初期作品を集中的に紹介している。2016年にリヴァプールの若者グループを撮影した「Liverpool 1981(リヴァプール1981)」展、2017年には、ロンドン在住の若きストリート・パフォーマーの生き方をテーマにした「Julie – Street Performer(ジュリー – ストリート・パフォーマー)」展を行っている。
本作は、若かりしセイケが前2作に続いて1983~1984年にロンドンで取り組んだプロジェクトとなる。ちょうど代表作「ザ・ポートレート・オブ・ゾイ」に取り組み始めた時期とも重なってくる。

実は本シリーズの一点は、2007年秋に上海アート・ミュージアムで行われた「Japan Caught by Camera :Works from the Photographic Art in Japan」に展示されていた。私は同展カタログでセイケ作品を発見。本人に確認したところ、1984年にツァイト・フォトサロンで発表されたシリーズの一部であることが判明した。ツァイト・フォトサロンのコレクションが同展で展示されたのだと思われる。今回の写真展はなんと約34年ぶりの日本での本格的な公開となる。

80年代の初頭、セイケはロンドンのストリートでファッションを通して自らのアイデンティティー探しを始めた若者たちに興味を持つ。戦後から70年代後半くらいにかけて、英国を含む西洋先進国の個人は、かつての因習やタブー、家族や他人の期待から自由になる。戦前までファッションは常に階級と深く関連していた。この時代は一般大衆向けの実用的な様々なストリート・ファッションが普及して状況が激変していくのだ。しかし本作が撮影された80年代前半ごろは、大きなファッション・トレンドが存在するというよりも、まだ複数の価値基準が混在している状況だった。多くの人は何を着て、どのように暮らせばよいかの拠り所がなく、自らのスタイルを探し求めていた。このころからファッション写真も雑誌などを通して一般大衆のスタイル構築に重要な役割を果たすようになる。セイケは、このような状況下でファッションでの自己表現に目覚めたロンドンの若者たちの姿を的確にドキュメントしている。

彼らは、いままでのファッションのルールを無視して、いま流行りの服、古着、安物アクセサリー、小物などをごっちゃに取り入れていた。いろいろな時代のファッションを組み合わせ、独自のコーディネートに挑戦しているのだ。セイケは、当時の日本の若者の型にはまったカジュアル・ファッションとのセンスの違いに驚かされたという。ロンドンの若者たちの洗練されたファッション・センスは現在でも十分に通用するだろうと語っている。

注目してほしいのは、洗練されていない感じの若者たちのポートレートが展示作の中に1枚あることだ。前記した上海の展覧会のカタログ掲載作品だ。その写真には、MA-1っぽいフライトジャケットとロンデスデールのスウェット、フレッドペリーのポロシャツ、ジージャンを着た3人の若者が写っている。自分たちのセンスを表現しているのではなく、当時のブランドものファッションを着ている。私はこれこそは、80年代の日本の若者のファッションを象徴的に表している作品ではないかと疑っている。3人の若者の背格好も、白人というよりも、アジア系に近い感じだ。セイケらしい、非常に高度なウィットとユーモアを密かに仕組んだ作品ではないかと思う。80年代の日本のファッションを知っている世代の人は、ぜひ当時を思い出しながら見比べてほしい。

本シリーズは、被写体のファッションと、その背景のストリートシーンを通して、80年代初めのロンドンの気分や雰囲気を私たちに伝えてくれる。そして日本で撮影された写真はないが、日本のファッション・シーンについても語っている。これらは、時代性が反映された優れたドキュメントであるとともに、アート作品になりうる広義のファッション写真ともいえるだろう。

セイケといえば、 ライカ・カメラを使用していることで知られている。しかし、本作では、6X6cmのスクエア・フォーマットの2眼レフカメラ、ローライフレックスを使用している。70年代後半から80年代にかけては、フリークスのドキュメントのダイアン・ アーバスや有名人ポートレートのリチャード・アヴェドンのように、ローライフレックスでの作品制作がブームだった。キャリア初期のセイケも、様々なフォーマットのカメラを使用して、自らの作品スタイル構築を模索するとともに、様々な創作の可能性を探求していたのだろう。

本展では、セイケの初期作約22枚が展示される。ほとんどが、貴重な撮影当時に制作されたヴィンテージ・ゼラチン・シルバー・プリントとなる。印画紙の銀の含有量が多いためか、非常に濃厚で芳醇な印象の美しいモノクロ・プリントだ。アート写真ファンには必見の作品だろう。
毎回好評ですぐに売り切れるフレーム付きミニ・プリント。今回も4セット、各15作品のみの限定販売で用意している。非常にレアなトミオ・セイケ写真集「Paris」のサイン入りデッドストックの入札式オークションも企画している。
「Street Portraits : London Early 80s」は、見どころ満載の写真展だ。アート写真ファンはもちろん、ファッションに興味ある人もぜひ見に来てほしい。なお本展は日曜日もオープンする。

トミオ・セイケ 写真展
「Street Portraits : London Early 80s」
(ストリート・ポートレーツ : ロンドン・アーリー80s)

2018年 10月12日(金)~ 12月16日(日)
1:00PM~6:00PM
休廊 月・火曜日入場無料

ブリッツ・ギャラリー
http://www.blitz-gallery.com

 

日本の新しいアート写真カテゴリー
クールでポップなマージナル・フォトグラフィー(10)
作品の見立てと市場価値の関係

今回は写真の見立てと、作品の市場価値との関係について検討してみたい。私は見立てについて、その問題点や考え方の不明瞭なところを常に考察している。
どうも日本では、作品の見立ての積み重ねが進まず、市場性が高まらないのではないかと考えている。
アート界では、買う、コレクションするのが究極の作品評価だとされている。
もしくは美術館やギャラリーなどの場合、お金(経費)を出して展示してくれる、カタログを制作してくれる、一部を購入してくれる行為に当たるだろう。
つまり、言葉よりも、お金を出すかどうかということだ。
しかし好きで買う、お金を出すのが一人や二人では市場性があるとは言えない。
ある程度の人数の評価の積み重ねの末に市場性が出てくることになる。
ここには、資金力のある人や組織の評価や好みが市場性と強く関わるという矛盾も内包している。

まずは海外の事象を見てみよう。海外にも自らが作品についてを語らないが、第3者によりテーマ性が見立てられた写真家がいる。例えば、日本でも人気の高いソール・ライターやヴィヴィアン・マイヤーなどだ。フランス人アマチュア写真家ジャック=アンリ・ラルティーグはそのはしりといえるだろう。
彼らの作品は、長年にわたる複数の人の見立ての積み重ねにより作品のアート性が認知されている。そして結果的に、複数の見立てが市場での作品価値が上昇につながっている場合が多い。

ソール・ライターの例を紹介してみよう。
2018年5月のササビーズ・ロンドンの“Photographs”オークションでは、“SHOPPER,1953”、“PHONE CALL,1957”の11 x 14インチサイズのサイン入りの、モダンプリントが出品されている。ともに落札予想価格内の1万ポンド(@150/約150万円)で落札。同じくフィリップス・ロンドンで開催された“ULTIMATE EVENING & PHOTOGRAPHY DAY SALE”では、写真集の表紙掲載作の”Through Boards,1957″が1.125万ポンド(約168万円)、“Foot on the El,1954”が1万ポンド(約150万円)で落札されている。
いずれの作品も約11 x 14インチサイズ、サイン入り、タイプCカラー、モダンプリント。コレクター人気はいまだに続き、相場も高値で安定している。ちなみに約10年前の2008年は、同様の作品の相場は2000~3000ユーロ(@130/26~36万円)だった。
ヴィヴィアン・マイヤーは世界に注目浴びた時点ですでに亡くなっていた。それゆえに死後に制作された、エステートプリントに当たる作品しか存在しない。
しかし彼女の作品は、なんとニューヨークの老舗ギャラリーのハワード・グリンバーグでエディション15で販売されている。将来的に、オークション市場で人気が高まる可能性はあるだろう。

しかし、日本の写真家は公共機関での個展開催、市町村、新聞社、企業主催の写真賞を得ても市場価値にあまり影響がない。グループ展に選出された新進写真家などは、すぐに忘れ去られてしまう。日本には写真評価の一貫した客観的評価軸がなく、展示する人、売買する人、集める人がそれぞれの独自の基準を持っている。違う価値観を持った人は、他人の見立てには関心をいっさい示さない。つまり、長年にわたる作家活動を通して、写真家のテーマ性が単発的・局地的に認知されることはあるが、それが幅広いコレクターやディーラーの見立てにつながり市場性が高まるまでにはいかないのだ。
別の言い方をすると、日本写真をアートとしてコレクションしたり売買する市場が小さいから、見立てからの作品価値への影響が少ないとも解釈できる。つまり海外では、見立てがディーラーやコレクターに広がることで市場性が一気に高まる。そもそも日本には、日本写真のディーラーやコレクターがほとんど存在しない。海外で認知されている写真家を扱うディーラーや集めるコレクターしかいない。
以前にも述べたが、海外市場においても欧米の評価基準に合致している日本写真は、見立てが積み重なることで評価上昇につながっている。現代アート的なテーマ性や、多文化主義の視点からの評価のことだ。

日本では、いまのところ見立てと市場価値とはあまり関係性がないといえるだろう。状況はかなり複雑で、様々な意見や考え方があることは承知している。私は1990年代から日本市場を見ているが、日本独自の市場が極端に小さいという状況に変化の兆しはない。どちらかというと、経済の低迷の影響で縮小しているという印象すらある。しかし現状については、いまではある程度明確に認識できていると考えている。本連載で繰り返し主張しているように、海外の人たちにも、作品制作継続を通してテーマ性が見立てられるという日独自の価値基準の存在を知ってもらうのが重要だと考える。もしそれが伝われば、海外市場での日本人写真の見立てにつながり、彼らの市場価値も規模が大きい海外市場とつながる可能性がでてくるだろう。何度も繰り返しになるが、まずは国内での啓蒙活動の継続が重要だと理解している。

2018年秋のアート写真シーズンがスタート
大手・中堅ハウスのオークション・プレビュー

夏休みシーズンも今週で終了し、いよいよ来週からアート写真のニューヨーク定例オークションが開催される。大手と中堅のスケジュールと見どころを紹介しよう。

〇大手ハウスのオークション開催予定

  1. 10月3日
    Sothebys(ササビーズ)
    https://www.sothebys.com/en/
    ・Contemporary Photographs 78点
    ・Photographs 130点
  2. 10月4日

    Phillips(フィリップス)
    https://www.phillips.com/
    ・A Constant Pursuit: Photographs from the Collection of
    Ed Cohen & Victoria Shaw 83点
    ・Photographs 216点
  3. 10月4日~5日

    Christie’s(クリスティーズ)
    https://www.christies.com/
    ・An American Journey: The Diann G. and Thomas A. Mann
    Collection of Photographic Masterworks  184点
    ・Photographs 181点〇中堅ハウスのオークション開催予定
  4. 10月2日、Bonhams(ボナムス)
    ・Photographs 138点
  5. 10月12日、Heritage Auctions(ヘリテージ)
    ・ Photographs Signature Auction 430点
  6. 10月18日、Swann auction galleries(スワン)
    ・Artists & Amateurs: Photographs & Photobooks 433点

中~高価格帯を取り扱う大手3業者の出品数は872点(昨年同時期は874点、クリスティーズのMoMAオンライン・オークションを含む)、低価格帯を取り扱う中堅3業者の出品数は1001点(昨年同時期は985点)。今回もほぼ昨年並みの膨大な数のアート写真がオークションにかかる。
今回、ササビーズは午前に現代写真、午後に20世紀写真をカテゴリー分けしてオークションを行う。これからは、21世紀写真も高額作品は現代アートオークションの一部、中低価格帯は現代写真のカテゴリーに分類される可能性は十分にあるだろう。今後も各社による試行錯誤が続くと思われる。

フィリップスとクリスティーズが単独コレクションのセールを開催する。特に注目されているのは、クリスティーズの“An American Journey: The Diann G. and Thomas A. Mann Collection of Photographic Masterworks”だ。第1次大戦前から第2次大戦後の作品までの代表作を幅広く含む写真史の教科書的な184点のコレクションのセールとなる。フォト・セセッションを代表するアルフレッド・スティーグリッツのフォトグラヴュールの代表作、“The Terminal,New York, 1892”、“The Hand of Man, 1902”、“The Steerage, 1907”、30年代FSA(Farm Security Administration)時代の、ドロシア・ラング、ウォーカー・エバンス、マーガレット・バーク・ホワイトらの名作、モダニズム写真のポール・ストランド、エドワード・ウェストン、アンセル・アダムス、またロバート・メイプルソープ、アーヴィング・ペンなども含まれる。ちなみにスティーグリッツの“The Steerage, 1907”は、予想落札価格20~30万ドル(2200~3300万円)。いま20世紀初期の数多くのヴィンテージ作品が美術館や主要コレクションの収蔵品となり、市場での流通量が極めて低くなってきている。現在では、貴重な傑作によるコレクション構築はもはや不可能だと思われる。このような極めて貴重なコレクションが現在の市場でどのような評価で取引されるのか、関係者は皆注目している。見方を変えると、現代美術などと比べるとはるかな低予算で20世紀写真の歴史を語る重要作が一度にコレクションできるチャンスだともいえる。

フィリップスの“A Constant Pursuit: Photographs from the Collection of Ed Cohen & Victoria Shaw”も、エド・コーエン氏によるパーソナルな視点からの良いコレクションのセールだ。注目作はリチャード・アヴェドンの代表作“Marilyn Monroe, New York City, May 6 1957”のヴィンテージ・プリント。予想落札価格は、20~30万ドル(2200~3300万円)。

その他の個別作品で注目されているのは、クリスティーズの複数委託者セールに出品されるダイアン・アーバスによる双子の少女を撮影した代表作“Identical twins, Roselle, N.J., 1966”、予想落札価格50~70万ドル(5500~7700万円)。
ササビーズの複数委託者セールに出品される、カタログのカヴァー作品となるアレクサンドル・ロトチェンコの有名作“GIRL WITH A LEICA (DEVUSHKA S LEIKOI)”は、予想落札価格30~50万ドル(3300~5500万円)。

現代アート系では、フリップスのPhotographsオークションカタログのカヴァー作品となるヴォルフガング・ティルマンスの大判抽象作品“Freischwimmer 20, 2003”。エディション1、アーティスト・プルーフ1の希少作品で、予想落札価格は12~18万ドル(1320~1980万円)。同じく、シンディー・シャーマンの“Untitled #296, 1994”は、予想落札価格は18~22万ドル(1980~2420万円)となっている。

(1ドル110円で換算)

BOWIE:FACES 名古屋展
鋤田正義 トークイベント

“BOWIE:FACES”名古屋展は、先週日曜16日に10日間の会期を無事に終了した。来場してくれた多くの人たちに心より感謝したい。

初日には同展関連イベントとして鋤田正義のトークイベントが開催された。私も、聞き手として参加した。
最近の鋤田は、自らのキャリアを紹介するドキュメント映画公開や回顧展開催などがあり、数多くのトークイベントを行っている。本人も人前で話すのに慣れてきたと語っていた。それらの多くは、音楽関係者が聞き手になって、鋤田の目を通してのミュージシャン(特に多いのはボウイ)のエピソードやその音楽性や人間関係を語ってもらう傾向が強かったと思う。私はアート写真に関わる人間だ。今回のトークでは、鋤田のポートレート写真のアート性に焦点を当てたものにしようと考えた。

世の中にはボウイを撮影した膨大な写真が存在する。それらは大きく分けて二つの種類に分類できる。ほとんどは、彼をスナップしたブロマイド的な写真。しかし、それとは別にファインアートとして認識されているボウイの写真がわずかだが存在する。以前にも述べたように“BOWIE:FACES”展では、そのような写真作品を展示しているのだ。
両者の違いは、被写体と撮影者との関係性にある。スナップには両者の一瞬の出会いがあるだけ。深い関係性は存在しない。ファインアート系では、被写体と写真家が知り合いであり、二人が互いにリスペクト持つことが重要。被写体が、自分のいままでに気付かなかった斬新なヴィジュアルを写真家に引き出してほしいという心理状態を持つ時に、奇跡のようなポートレート写真が生まれるのだ。BOWIE:FACES展では、ブライアン・ダフィー、テリー・オニールなどのファインアート系の写真作品をアイコニック・イメージのロビン・モーガン氏が取捨選択してキュレーションが行われた。そして唯一の日本人として鋤田正義が選ばれているのだ。
彼は1972年のボウイとのロンドンでの出会いから約40年以上に渡り交流を持っている。トークの中にも、ボウイが鋤田をアーティストとしてリスペクトしていた例として、1980年にボウイが出演した宝焼酎「純」のエピソードが紹介された。当時、日本人写真家でボウイと一番懇意にしていた鋤田にこの仕事の依頼は来なかったのだ。しかし、ボウイはコマーシャル撮影後に京都でのプライベートの撮影を鋤田に依頼している。当時、鋤田は仕事が依頼されなかったことを残念に感じたという。しかし、ボウイは鋤田を企業の希望する広告用の写真を撮る人ではなく、写真で自己表現を行うアーティストとしてリスペクトしていたのではないかと、かなり後になって気付いたという。それは写真集や展覧会などの主要な写真セレクションはすべて鋤田自身に一任されていることから意識したそうだ。デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップ、YMOなどの大物でも鋤田の判断に一切口を挟まないという。それらの写真はファインアート写真としてギャラリーで取扱いができるのだ。
一方で日本のミュージシャンの写真の方が、はるかに所属事務所からの使用指示が細かいと語っていた。
日本では、写真家はアーティストだと考えられていないからこのような状況が起こるのだ。欧米ではファインアート系写真家と、広告写真家とは明確に線引きされている。前者は自己表現追及を行う人だとリスペクトされるが、広告写真家は写真でお金を稼ぐ職業人だと思われている。

今回、鋤田正義の写真流儀を聞いたとき、彼の母親の話になった。2014年に富士フィルムの創業80周年記念コレクション展“日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」”が開催された。日本写真界の代表写真家が自分のお気に入りの1枚を選んで展示するという企画だ。鋤田はその1枚を代表作であるデヴィッド・ボウイのポートレートと、初期作“母”のどちらにしようか悩んだ。そして、彼は“母”を選んでいる。彼は事あるごとに同作は自身の最高傑作で今でも超えることができないと語っている。
また、子供の時に母親から聞かされていた二つのメッセージを語ってくれた。
“好きこそものの上手なれ”ということわざと、“世の中寝るほど楽はなかりけり”という江戸時代の狂歌だ。私は特に前者のことわざが鋤田のキャリア形成に大きな影響を与えたと感じた。このごろ、ビジネス界では人生や仕事の成功には、生まれながらの能力や生活環境とともに、仕事を継続して“やり抜く力”が重要だといわれている。英語では“グリット”などと呼ばれている。鋤田の母親が語った“好きこそものの上手なれ”はまさにそのことで、彼はそれを実践してきた。
しかしそれは、ただ何かをやり抜くことではない点にも触れておこう。また嫌なことを歯を食いしばって継続することでもない。本当に自分に合った好きなことを見つけなくてはならないのだ。私はその部分が極めて難しいと理解している。多くの人がそれが見つからないで、また捜し求めないで不本意な人生を送ることになる。

鋤田が人生をかける写真の仕事と出会ったのは母親のおかげである事実がトークからは伝わってきた。鋤田の母親はカメラが欲しいといった鋤田少年に当時としては高価な2眼レフのリコーリフレックスを買い与えている。親ばかだったかもしれないが、そのよう大胆な決断を下せた母親が偉かったのだ。これは多くの人が納得するところだろう。

そして、二つ目の“世の中寝るほど楽はなかりけり”だ、この狂歌には“浮世の馬鹿は起きて働く”という文章が続いている。正確な解釈はないが、世の中には寝ることを惜しんで無理して働くことなどない、という意味ではないだろうか。
いま過労死などが問題視されているが、好きでもない仕事を無理して頑張る必要はないともとれる。そう解釈すると、ことわざと狂歌の暗示している意味が見事に関連しているのだ。鋤田は写真の仕事は徹夜などがあり大変だったけれど楽しんでいた、特に苦痛ではなかったと語っている。そして疲れたら、“世の中寝るほど楽はなかりけり”の部分をまさに実践していたのだろう。また、これはストレスをため込まずに生きていくとも解釈できる。鋤田は今年5月に80歳になった。今でも精力的に写真撮影や講演活動を行っている。その元気の源は母親の言葉を実践しているからではないだろうか。そしていま、それを若い人や子供を持つ人へのへのアドバイスにもしているのだ。

最後に鋤田は、いま最も美しい究極の風景写真を撮影したいと語っていた。彼は“あこがれ”を撮り続けてきたというが、80歳を迎えその対象が風景に変わりつつあるようだ。そのシーンは九州にあるはずだとイメージしているようで、いま活動拠点を生まれ故郷の九州福岡に移す計画を立てている。鋤田はポートレート写真で知られるが、キャリアを通してランドスケープやシティースケープも撮影し続けている。将来的に風景の展覧会や写真集制作の企画を温めているのだ。たぶん、その風景写真シリーズの最後を飾る1枚がまだ撮れていないのだろう。
私はそれは無駄がない非常にシンプルな写真になるのではないかとイメージしている。禅僧が一生に一度描くという、図形のマルを一筆で描いた「円相」がある。それは宇宙の心理や悟りを象徴的に表しているという。たぶん鋤田の究極の風景はその写真版のようなヴィジュアルではないかと想像している。

鋤田正義の名古屋トークイベントでは、彼の何気ない言葉の中に多くの深い意味が発見できた。今回のイベントで鋤田の話を聞いたことで、見る側がその作家性を認識できたのならば、写真作品にも特別の価値を見出せるようになったはずだ。
トーク終了後は、BOWIE:FACES名古屋展会場の高山額縁店には多くの人が来てくれた。彼らは、ただボウイのポートレートを鑑賞するだけではなく、自分の価値観を揺さぶるアート作品と対峙していたのだと思う。

BOWIE:FACES名古屋展(納谷橋高山額縁店)

写真展レビュー
立木義浩 写真展 Yesterdays
黒と白の狂詩曲(ラプソディ)
@シャネル・ネクサス・ホール

ⓒ  Yoshihiro Tatsuki

立木義浩(1937-)といえば、代表作は“舌出し天使”だろう。カメラ毎日の伝説の写真編集者・山岸章二氏が、1965年の同誌4月号の巻頭56ページに掲載した立木の伝説のデビュー作だ。
これは当時売り出し中の若手写真家立木による、一人のハーフ・モデルのスナップで構成された都市のファンタジー作品。同誌に掲載された草森紳一氏の解説には、“・・・・文明批評などと考えないでほしい。夢の観客であってほしい。立木義浩も夢の運転者であると同時に観客なのだ。この写真集の新しさはそこにある。これは従来の数々の主観写真、心象写真などとももちろん異なっている。彼は、写真が文学や絵画の弾力を受けないこと、つまり象徴におちいりがちなセンス(意味)と構図の魅惑を一応放棄したのだ”と書かれている。
草森氏の解説には、編集者の山岸氏の意図が反映していると思われる。これは、立木の写真は、当時のアート写真・広告写真のジャンルにとらわれない写真であり、言葉では表現できない時代の持つ気分や雰囲気を巧みに掬い取った作品という評価だろう。60年代の英国ロンドンのストリート発ファッション写真が意識されており、その日本版を意識したのでないかかと思う。

同作には当時の若い日本人男性があこがれていた、西洋的な顔立ちのハーフの女性がモデルとして採用されている。それは海外では、西洋文化の真似の表現のように写ったと思われる。西洋では各国の伝統文化の独自性を愛でる多文化主義の流れがある。残念ながら本作はその評価軸には乗ってこなかった。当時の日本は、まだアート系写真と商業写真が併存していた。私は、山岸氏は本作などを通して、欧米とは違う日本独自のアート写真の価値基準の提示を考えていたのではないかと想像している。
しかし、山岸氏は79年なくなってしまい、その後の日本の写真界はバブル経済に突入し、商業写真が席巻してしまう。多くの人が、膨大な予算を持つ商業写真の先に、自由なアート表現の可能性があると考えてしまったのだ。しかし、それは不況と共に夢と消えてしまう。その時に、商業写真に背を向け生き延びた数少ない写真家が、いま海外から多文化主義の見地からアート系作家として評価を受けているのが現状なのだ。

さて、日本では自らの作品メッセージを写真家自身が語らないときに、第3者による見立てが行われることになる。そして長年の創作の過程で、複数の人による見立ての積み重ねが行われ、ブランド構築につながる。
見立ては自分が持つ作品への感覚、つまり感じたことを言語化することではないと考える。内観は自分に嘘をつくと心理学では言われている。ここは見立ての理解の上で勘違いを生みやすい箇所だ。
さて当然のこととして、日本には長く活動を続けている写真家が数多くいる。その中にはテーマ性が見立てられる人がいる一方で、感覚的に好みが語られるだけの人がいる。その違いはどこから来るのだろうか。たぶん前者は、人間社会は幻想のようなものであるが、人間はそこで生きる以外の選択肢がないと諦観しているリアリストの人で、後者は自分の感覚を重視するロマンチスト的の人なのではないかと疑っている。両者の作品制作の姿勢も明らかに異なる。前者は、創作は多くの人とのコラボレーション的要素が強いと理解している。後者は自分のやりたいことだけを追求しがちになる。そして後者の中で、優れた時代感覚を持つ写真家は、単にフィーリング重視でスナップ撮影するだけではない、社会に横たわる気分や雰囲気が反映された広義のアート系ファッション写真的な作品を提示しているのだ。立木義浩の写真はこのカテゴリーに入り、シャネル・ネクサス・ホールはその視点から彼を評価したと私は考える。

それでは。今回の展示作品はどのように理解すればよいのか。プレスリリースには“日常のなかでふと眼にした光景にレンズを向けるスナップショットを軸に、4人の女性とのフォトセッションを交え、構成されている”と書かれている。詳しい撮影年などの記述はプレスリリースなどで発見できないが、現代の東京でモデルを使って撮影されたポートレート、風景などのスナップ作品のようだ。ほとんどがモノクロのスクエアーの作品、一部にタテ長のカラー作品が含まれる。
これは立木が21世紀の東京において、彼自身がパーソナルに感じている時代の気分と雰囲気を表現した作品なのだ。“舌出し天使”のDNAが確実に受け継がれていると理解できるだろう。しかし、現在は“舌出し天使”が発表された1965年とは社会状況が全く違う。このような写真は多くの人が共通の価値基準と、同じ将来の夢を持つような時代背景があって成立する。1965年はそのような時代だった。しかし90年代以降の、価値基準がばらけて多様化した。このような時代には、多くの人の共感するようなアート系ファッション写真は成立しにくくなる。このたび“舌出し天使”が再版されるという。若い時にこの時代を生きた団塊の世代が主要な顧客になるだろう。別の言い方をすると、“カッコイイ”の意味が時代によって変遷するということだ。

20世紀に活躍した写真家を、21世紀に紹介する場合、無理矢理に現代アート的なテーマ性をキュレーターや編集者が作品にくっつける場合がある。しかし写真家自らがテーマ性を紡ぎだしたのでないので、体裁を整えただけに見えて違和感を感じる場合が多い。立木はそのようなことはせずに、今回“舌出し天使”の2018年版と解釈できる作品を提示したのだ。
ただし、山岸が亡くなって以来、立木のような写真家の評価軸は誰からも明確に語られなくなった。特にいまの外国では彼らを評価する基準は存在しない。このたび世界的なブランドが運営するシャネル・ネクサス・ホールで立木の写真展が行われたことは重要だと思う。本展開催で日本の写真史の未開拓分野を暗に指摘したているといえるだろう。これがきっかけになって、国内外からの関心が集まり、日本独自のアート写真の論議が巻き起こることを期待したい。

立木義浩写真展
Yesterdays 黒と白の狂詩曲(ラプソディ)

会期:2018年9月1日~9月29日
会場:シャネル・ネクサス・ホール
東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング4階
開館時間:12:00~19:30 (9月14日 17:00まで)
休館日 :無休

https://chanelnexushall.jp/program/2018/yoshihiro_tatsuki/

“BOWIE:FACES”名古屋展
9月8日より開催
鋤田正義スペシャルトーク開催!

2017年の1~3月にかけて、東京の3会場で開催し好評だった“BOWIE:FACES”展。いよいよ今週から名古屋に巡回する。会場はJR名古屋駅からも近い納屋橋 高山額縁店。会期は9月8日(土)~16日(日)まで。

本展では、テリー・オニール、ブライアン・ダフィー、鋤田正義など7名の有名写真家による、1967年~2002年までに制作されたデヴィッド・ボウイの珠玉のポートレート、写真家とのコラボレート作品約30点を紹介する。ボウイによる9枚のアルバムのオリジナル写真、および関連するアート作品が含まれる。
参加写真家は、ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、テリー・オニール(Terry O’Neill)、鋤田正義(Masayoshi Sukita)、ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)、ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)、マーカス・クリンコ (Markus Klinko)、ジェラルド・ファーンリー (Gerald Fearnley)。なお彼ら全員が、昨年春に東京展が行われたヴィクトリア&アルバート美術館企画の”DAVID BOWIE is”に協力している。

実は、”BOWIE:FACES”展の巡回先探しには非常に苦労した。本展は、2016年に亡くなったデヴィッド・ボウイとセッションを行った複数の有名写真家の珠玉のオリジナル・プリントを展示。“アラジンセイン”、“ダイヤモンド・ドック”、“ヒーロース”などの当時のLPジャケットを飾った写真のオリジナル作品が含まれる。超一流の展示コンテンツだといえよう。
ただしプロジェクトのビジネス・モデルが東京以外の地域ではなかなか理解されなかった。つまり、本展は日本の一般的な、入場料収入を主な売り上げとするものではない。入場は無料で、スポンサーの協賛金、展示作品、カタログ等の販売で経費を賄い、利益を目指すもののだ。
東京ではブリッツとテリー・オニールのエージェントである英国のアイコニック・イメージスが中心になって、主催の実行委員会を立ち上げた。会場費、輸送費(海外/国内)、フレーム、ブックマット、会場設営、カタログ製作費、広報活動、スタッフなどの経費はすべて主催者が負担しないといけない。またスポンサー探しも独自に行うことになる。ブリッツは写真作品販売の経験が豊富なのでプロジェクト全体のリスクとビジネスの可能性はすぐに把握できた。
またアイコニック・イメージスは国内の外資系中心にスポンサー探しに尽力してくれた。協賛企業にとってはボウイのヴィジュアルを使用してブランド力の向上が図れる。外資系はこの点をよく理解して協力してくれた。

私どもの決断を後押ししてくれたのが、過去に行ったテリー・オニール展の経験だ。アート・ファン以外に、写真作品の価値が判断できる非常にリテラシーが高いロック音楽ファンが顧客として存在することが確認できたのだ。お陰様で、2017年1月~4月までに3会場で開催した東京展は、予想以上のコストがかかった割に赤字を出さずに終わることができた。
しかし東京以外の地域では、自らが主催者となって写真展を実行する会場がなかなか見つからなかった。ほとんどの企画スペースは、交渉してみると実際は場所貸のレンタル・スぺースだった。日本では写真は売れないとよく言われるが、東京以外では、状況はさらに厳しいのだと思う。

名古屋巡回展が実現できたのは、ブリッツと長く付き合いがあるコピー・ライターの岡田新吾氏の協力があったからだ。実は、彼は筋金入りのアート写真コレクター。以前、好きが高じて自らのアート写真ギャラリーを名古屋市で運営していたこともあるくらいだ。もちろん、昨年の“BOWIE:FACES”東京展も見に来てくれた。この企画を持ち込んだら、すぐに名古屋の実行委員会立ち上げに動いてくれた。岡田氏の今までの経験から、これはいけると判断してくれたのだろう。彼は優秀なプロデューサーでもある。瞬く間にアートやビジネス関連のネットワークを駆使して、展示会場を提供してくれる納屋橋 高山額縁店、アートへの協賛に理解を持つ、株式会社マグネティックフィールド、諸戸の家株式会社を見つけてきてくれた。彼の実行力にはいつも驚かされる。
“BOWIE:FACES”名古屋展は、岡田氏をはじめ実行委員会のメンバーの尽力と、協賛企業の援助により開催決定までたどりつけた。心より感謝したい。

さて会場では幅広い価格帯のオリジナル・プリントを展示販売する。中心価格帯は、10~30万円。しかしお買い求めやすい作品も数多くある。憧れの鋤田正義作品も、一部の小さいサイズの作品だと、額・マット込みで約3万円から、ブライアン・ダフィーのあの有名作“アラジン・セイン”も、LPジャケットのサイズのマット付きエステート・プリントならで約2万円で購入可能。
週末には私も現地で接客に当たる予定だ。見かけたら気軽に声をかけてほしい。

また、デヴィッド・ボウイの“Heroes”のジャケット写真で知られる鋤田正義氏を招いてスペシャルトークを開催する。鋤田氏の名古屋でのトークは今回が初めてとのことだ。ボウイを含む、鋤田正義氏の数々の作品画像やミニ・ドキュメンタリー動画をプロジェクターにて紹介。鋤田正義の写真家キャリアの変遷と将来の計画、デヴィッド・ボウイ撮影にまつわるエピソード、撮影と作品制作の流儀、国内外での最近の活動などについて語ってもらう予定。ただし、鋤田氏による会場でのサインは行わない。ご本人が高齢であることと、会場の混乱を避けるためなのでどうかご理解いただきたい。
ただし鋤田氏がカヴァーにサインを入れたカタログを限定数だけ販売する。こちらは希望者が多い場合は抽選販売となる。

“BOWIE:FACES”展は、東京、名古屋に続く巡回先をまだ募集中だ。興味ある人はぜひ問い合わせてほしい。

・鋤田正義スペシャルトーク概要
日 時:9月8日(土)14:00~15:30(開場13:30)
会 場:電気文化会館イベントホール
定 員:200名 ※お申込み方法は オフィシャルサイトをご覧ください。
http://bowiefaces.com/

参加費:2,500円

・写真展の概要
開催時期:
2018年9月8日(土)-16日(日)9:00-19:00
(日曜/12:00-19:00)
最終日は18:00より撤収作業を開始します。お早めに来場ください!

開催場所: 納屋橋 髙山額縁店2F
名古屋市中村区名駅南一丁目1-17
http://nayabashi-gakubuchi.jp/publics/index/7/

写真展レビュー “TOPコレクション たのしむ、学ぶ 第2部 夢のかけら”
@東京都写真美術館

東京都写真美術館は、平成29年3月時点で約34,000点の作品・資料を収集しているという。本展は、2018年5月から行われている、同館コレクションを紹介する“TOPコレクション たのしむ、学ぶ”展の、第1部“イントゥ・ザ・ピクチャーズ”に続く、第2部の“夢のかけら”となる。今回の展示でも、日本人と外国人、有名と無名写真家、クラシック写真から現代写真、ゼラチン・シルバーのモノクロからカラーのダイトランスファー、大判から小さいサイズ、フォトグラムなどを含む多様な写真表現技法、ドキュメントから化学写真まで、多種多様な写真作品が、美術館が提示するテーマごとに組み合わされて展示されている。
ほとんどが、19~20世紀写真で現代アート系の写真の展示はない。ただし一部の日本人写真家の作品には現代アート的な大判サイズのものがある。

テーマは、“大人X子供+アソビ”、“なにかをみている”、“人と人をつなぐ”、“わからないことの楽しさ”、“ものがたる”、“時間を分割する/積み重ねる”、“シンプル・イズ・ビューティフル”、“時間の円環”など。そのなかに写真史上の名作がちりばめられている点も見どころになっている。
キュレーターの石田哲朗氏によると、この展示は同館の写真のスクールプログラムが発想の原点とのこと。子供に、“やわらか”、“のんびり”、“しずか”などの様々な感覚的なキーワード言葉を与えて、写真をグルーピングすることからヒントを得たとのこと。
オークションで高額に取引されている写真史上の巨匠の作品と、評価が定まっていない若手・現存写真家の作品が、多種多様なテーマごとに分類され同じ空間に展示されている。
たぶん欧米の美術館ならば、キュレーターがファイン・アート史上の新たな視点から作品を分類して展示されるだろう。本展では、被写体の種類/行為/関係性。見る側の感覚、印象、抽象的概念などで作品がグルーピングされている。いま欧米で主流の現代アートのテーマ性を重視する視点だけにとらわれず、写真による表現作品を自由に、より幅広く、かつ多様に紹介している。日本には多種多様な写真の評価軸が並存している。普段、それらは個別に独自の世界を形作っている。それぞれの価値観を取り去ってしまい、美術館空間に並列に放り込んで、全く別のキーワードで意味づけしての展示。まさに日本の写真界の現状の提示をテーマとした展覧会だと理解したい。全体の作品展示がシュールに感じるのは、戦後の日本文化が海外文化を取り込み極端に複雑化し、その結果として生まれた歴史にとらわれない自由な土壌が反映されているとも解釈できるだろう。
観客のほとんどの人は、正当なアートや写真の歴史を学ぶ機会は持たないだろう。そのような人が主要な観客であるならば、アートの歴史と関係づけられた専門的な視点でのキュレーションよりも、今回のような展示の方によりリアリティーを感じるのではないだろうか。上から目線が多い美術館展の中で、極めて観客視線の民主的な展覧会だと思う。
本展の第1部“イントゥ・ザ・ピクチャーズ”のメイン・ヴィジュアルに、ロベルト・ドアノーの“ピカソのパン,1952”が使用されていた。なんと同館のカフェ メゾン・イチでは、同作内のピカソの前に置かれたパンをイメージして焼き立てパンを手作りして販売していた。まさに全体の展示方針に符合したシュールな演出だったといえるだろう。個人的には、美術館は現在の日本の現状認識の提示を超えて、将来的にはその状況の理論化を行ってほしいと希望する。

前記のように、本展ではすべての写真が並列に並べられる中に意識的に名作が何気なくちりばめられている。それらは以下の作品だろう。

“パリ市庁舎前のキス”が表紙のロベール・ドアノーの写真集

キャプション番号
27.ジョセフ・クーデルカ“Rumania, 1968”、
83.ギャリー・ウィノグランド“Albuquerque, new Mexico, 1958”、
91.ダイアン・アーバス“A Widow in Her Bedroom, NYC, 1963”、
51.ロベ-ル・ドアノー“Kiss by the Hotel de Ville, 1950”(パリ市庁舎前のキス)、
52.ジュリア・マーガレット・キャメロン“The Kiss of Peace, 1908”、
123.ハロルド・ユージン・エジャートン“Milk Drop Coronet, 1957”
また、W.ユージン・スミスの“カントリー・ドクター”シリーズからの11点、瑛九の“フォトデッサン”シリーズの一連のフォトグラム作品なども一見の価値がある。
個人的には岩宮武二の“かたち”シリーズは、人の手により作られたか「ゆらぎ」のある構造物を撮影している点が興味深かった。
これら名作展示は特に特別扱いされていない、うっかりと見逃さないようにしてほしい。

さて、名作展示は本展ではどのような意味を持つのだろうか?名作とは、オークションなどのセカンダリー市場で高く資産価値が評価されている作品でもある。しかし本展タイトルが“たのしむ、まなぶ”が表すように、市場価値の高さは写真の価値基準の一部であってそれがすべてではないということだろう。最近の欧米市場で進行している、ブランド優先傾向への疑問符とも解釈できる。
いま特に20世紀写真では、名作に人気が集中してマネーゲーム化の兆候が見られる。有名写真家でも絵柄によっては人気が極端に二分化しているのだ。
また、アートで稼ぐ政府構想である“リーディング・ミュージアム”構造に対して。全国美術館会議が反対の姿勢を鮮明にしたという、朝日新聞の記事(2018年8月3日付)も思い起こさせた。

このような展示はキュレーションする側の個性がかなり明確に表れるだろう。たぶんすでに検討しているだろうが、今後は、美術館員だけではなく、複数の写真家や各分野のアーティストがそれぞれのキーワードを選んで、TOPコレクションから写真作品を選ばせたら興味深い展示になるのではないだろうか。キュレーションした人の世界観が反映された展示になれば、それはコレクションを利用した新たなアート表現にもなるだろう。ただし、美術館による全体のキュレーション、つまり選出者選びは非常に重要になる。複数の価値基準が併存する日本の写真界の現状をできるだけニュートラルに提示することに重点を置くべきでだと考える。知名度や人気度だけで人選しないようにしてほしい。

“TOPコレクション たのしむ、まなぶ 夢のかけら”
東京都写真美術館
開催情報
8月11日(土祝)~11月4日(日)
10:00~18:00、木金は20:00まで
ただし、8/30, 8/31は21:00まで
入館は閉館30分前まで
休館日 毎週月曜日
入場料 一般500円、学生400円、中高生・65歳以上250円
http://topmuseum.jp/

夏休み期間の営業について
各種相談会、イベントを開催!

まず最初に念のため”Heliotropism”展の会期延長を伝えておきたい。
同展は、会期中にわたって、豪雨、酷暑、台風に見舞われたことから
作家の提案で会期を8月12日まで延長している。まだ見てない人はどうかお見逃しなく!

さて商業ギャラリーを経営していると、どうしても作品販売と、写真展の運営・企画の業務を優先せざるえない。今年は”ROCK ICONS”展、”Heliotropism”展では、普段はセミナーなどを行う日曜も営業している。8月の夏休み期間には、普段は時間が取れなくてできなかったワークショップ・相談会を集中的に開催したい。アートは大衆向けの娯楽ではない。アート写真リテラシー向上に興味のある人を対象に考えている。全くの素人というよりは、ある程度の経験や知識がある初心者から中級者向けだと思う。多くの人に分かりやすいようなイベントではなく、知的好奇心が高い人向けのマニアックでディープな内容のイベントとなる。
複数人数のグループ、仲間などにも対応していく。興味ある人はぜひ参加してほしい。

(写真鑑賞が趣味の人・フォトグラファー、キュレーター向け)
・「写真の見立て教室」開催
今年も開催します。
ブリッツは日本の新しいアート写真の価値基準として限界芸術や民藝の写真版としてクール・ポップ写真を提案しています。
今回もその考え方をギャラリストが最新の実例を提示しながら紹介します。この提案に興味を持っている、意見交換に興味のある人はぜひご参加ください。

開催日時:8月19日(日) 午後2時~
場所:ブリッツ・ギャラリー
参加費:1000円
講師のスケジュールの関係で今年はお盆期間の開催となります。
参加希望者が少ないと延期になる場合があります。

(アート写真コレクター向け)
・オリジナル・プリント無料鑑定
お持ちの写真作品の価値を無料で鑑定します。売却希望者には個別アドバイスを行います。予約制です。

・フォトグラフィー・コレクション無料相談
アート写真を買いたい初心者向けの個別相談会です。
資産価値を持つコレクションの構築法や考え方をアドバイス。
インテリアへの作品展示の提案もします。予約制です。

(フォトグラファー向け)
・ファインアート・フォトグラファー講座を開催
こちら有料になります。
参加希望者には夏休み期間中に個別で開催。
二人以上のグループでの開催も行っています。予約制です。

内容は、ファインアート写真の定義、日本市場の現状分析、デジタル時代の市場展望、ファインアート系写真家の実例研究、参加者の作品の評価、アドバイスです。

下記ウェブサイトの”をご参照ください。
http://www.artphoto-site.com/seminar.html

・ポートフォリオ・レビュー/コンサルテーション開催
過去にファイン・アートフォトグラフィー講座を受講した人が対象です。こちらは有料になります。予約制です。

下記ウェブサイトの”その他”の項をご参照ください。
http://www.artphoto-site.com/seminar.html

(お問い合わせ・お申し込み)
上記相談会・レビューは以下の日程で予約制で行います。
期間:8月13日~8月下旬まで
時間:午後1時~6時

ご予約・お問い合わせはすべてEメールでお願いします。
“「写真の見立て教室」参加希望”、”オリジナル・プリント無料鑑定希望”など件名、希望日を明記のうえで
ご連絡ください。

info@artphoto-site.com

写真展レビュー
杉浦邦恵 うつくしい実験 ニューヨークとの50年
@東京都写真美術館

杉浦邦恵(1942-)は、現在ニューヨーク在住の愛知県名古屋市出身のアーティト。お茶の水女子大で物理学科で学んでいたが、将来は教師になるしか道がないと悟り、アート方面にキャリア転換をはかる。
1963年、20歳の時に単身渡米。シカゴ・アート・インスティチュートに入学し、写真でのファインアート制作を学ぶ。1967年に拠点をニューヨークに移し、その後は様々な写真表現の可能性を探求。初期の魚眼レンズによるイメージの歪みの取り込み、人物や風景のモンタージュ、モノクロとカラー・ネガの使用、最も長く続けているカメラを使用しない写真表現のソラリゼーション、感光材を塗ったキャンバスへのプリント作品の制作、最新作では再び最新デジタル技術を使用してキャンバス作品を制作している。

本展は彼女のキャリアを5つのパートで紹介する回顧展となっている。
・パート1:”弧(Cko)”(1966-67年)、
シカゴ・アート・インスティチュートの学生時代にビル・ブラントの作品をヒントに制作した実験的手法の作品
・パート2:フォトカンヴァス(1969-1971年)、写真-絵画(1876-1981年)、フォトコラージュ(1876-1981年)
・パート3:フォトグラムとレントゲン写真のインスタレーション(1980年-)
・パート4:アーティスト、科学者、親愛な(1999年-)、
篠原有司男との出会いから始まった草間彌生、村上隆、蔡國強などのポートレートシリーズ
・パート5:DGフォトカンヴァス、(2009年-)、
2016年からは日本で撮影されたデジタルプリントによる最新作。

キュレーターの鈴木佳子氏はカタログの解説で杉浦の創作を以下のように分析している。
“杉浦は写真に絵画的表現や絵そのものとの組み合わせによって、写真の可能性を広げていく。彼女独自の方法を模索し、脱皮をしていくように次々に新たな手法を生み出し、同じ表現形式に留まることはない”。

この写真へのアプローチ自体は、カメラや撮影テクニックを通して、現実世界に存在する多様なフォルムやシーンを発見して自由に表現する20世紀中盤にドイツから起きたサブジェクティブ・フォトグラフィーに近いようでもある。
彼女が学んだシカゴ・アート・インスティチュートは、ドイツのバウハウス出身のラースロー・モホイ=ナジの創作理念を受け継いでいるイリノイ工科大学が近いことからことから影響があるのは当然だろう。
写真史的には、戦前に米国で写真を学び、その後は写真表現での様々な実験を試み、抽象的な作品“What I’m doing”シリーズを制作し、“写真としてのアート”の可能性に挑戦した山沢栄子(1899-1955)の流れの写真家だともいえると思う。

杉浦はキャリアを通して写真表現の限界を拡大しようと挑戦してきた。しかし彼女の作品は、文脈の中でテーマ性を提示するというより、方法論の追求が優先されている印象が強い。インタビューでも、“自分はプロセスを通じて新しい作品をつくることに興味がある”と語っている。
サブジェクティブ・フォトグラフィーに近いとも指摘したが、その要諦は、写真家が発見した世界の事象に対する解釈や視点を、写真テクニックを駆使して表現することだ。しかし彼女の作品からはこの世界の解釈の部分がいまひとつ見えてこない。現代アート系の人からは、方法論が目的化しているというようなツッコミが入るかもしれない。しかし、科学的な要素が強いアナログ写真の時代に、女性アーティストが50年以上に渡り創作を継続するのは並大抵のことではない。仮に方法論の目的化といわれても、それ自体が50年という十分に長いキャリアを通して行われたのならば、十分に作品テーマに純化しているともいえよう。その業績を東京都写真美術館が作家性として見立てたのだ。

私が興味を持ったのは、何が杉浦の50年間の創作活動継続のモーティベーションになったのかだ。キャリアを見て気付いたのは、若い時から彼女には多くの優れたメンター(指導者/助言者)がいたことだ。それは支援が必要な人に対して指導や助言をする人のことを意味する。仕事面から精神面まで支援するメンターは、日本語の指導者とはややニュアンスが違うが、ここでは指導者としておこう。
私は、キャリアを通して指導者たちの存在が杉浦のキャリア継続を支えてきたのだと考える。米国の教育心理学者ベンジャミン=ブルームの1985年の著書「Developing talent in young people」によると、音楽家、芸術家、数学者、神経学者など世界的に活躍する著名な人々を詳しく調査したが、IQと成功達成には全く相関がない。しかし若い時から優れた指導者について努力を重ねている、という。
なぜアーティストに指導者が必要なのか。彼らは自らを客観視することで創作のアイデアを捻りだす。一人でいくら努力しても自分の枠の中でぐるぐる回るだけになりがちだ。その枠の存在を指導者が気付かせてくれる。またオリジナリティーが認められるまでには厳しい修業が必要だろう。だいたい修業とは数々の失敗を乗り越えていくこと。その道の先輩である指導者はすでに同じ失敗を経験したり、見聞きしている可能性は高いだろう。彼らのアドバイスにより無駄な失敗を避けることができるかもしれない。また複数の指導者とのかかわりも重要だ。指導者が一人だと、言われたとおりに行動したり、指導者の創作をまねをしたりすることがある。複数の人がいることで創作スタイルや方法が多様に展開していくのだ。
またアーティストとしての評価を受けるために業界の重鎮である指導者の支援が欠かせない。指導者も自らの実績のために弟子を育てたいのが本音だろう。彼らからのアート業界への紹介や推薦は若いアーティストが注目されるきっかけになる。いくら自分に才能があると思っていても、誰かが認めない限り、それは独りよがりでしかない。
杉浦の指導者は、シカゴ・アート・インスティチュートでの指導教官だったハリー・キャラハン、アーロン・シスキンやケネス・ジョセフソン。ニューヨーク時代は、ジェーコム・デシン、アートディーラー/批評家ディック・ベラミー、個展を何回も開催しているレスリー・トンコノウ、日本ではツァイト・フォトの石原悦郎、鎌倉画廊の中村路子などだ。同じギャラリーで数多くの個展を開催しているのは、ギャラリストとアーティストとのコミュニケーションが極めて良好だった証拠だろう。杉浦が素晴らしい人たちと関係が持てたのは、彼女の優れた人間力があったからだろう。これは私の想像なのだが、彼女は見栄やプライドなどもたずに自分をオープンにできたからこそ多くの人から受け入れられたのではないだろうか。

また杉浦が美術手帳へニューヨーク・アート・シーンの記事を“海外ニュース(NY)”で寄稿していたことにも注目したい。彼女は、1986年~2008年まで約20年間以上にわたり、展覧会などの取材や写真撮影を行い現地レポートを書いていた。年齢的には44歳から66歳まで、まさにアーティスト・キャリアのなかで肉体と気力が最も充実する重要期に当たる。レビューの総数は約400本以上にのぼるとのことだ。ちなみにカタログにエッセーを寄せている美術批評家の椹木野衣氏は、編集者時代に杉浦を担当していた時期があったそうだ。

この仕事が彼女のキャリア形成と創作継続に非常に大きな影響を与えたのではないかと考える。アーティストはだいたいが創作途中でマンネリに陥る。そこから脱出できないで消えていく人が無数にいる。前にも指摘したように、自分の狭い創作世界に囚われてしまい、新たな展開ができなくなるのだ。そのようなときに有効なのが、指導者のアドバイスとともに、自分以外の優れた表現に触れて刺激を受けること。それが自らを客観視するきっかけを作り、マンネリ脱出の突破口につながるのだ。だが、アーティストはなかなか自分以外の、特に成功している表現者の作品を見に行かない。しかし、杉浦は雑誌の連載の仕事なので、自分の好みや感情と関係なく、否応なしにアートシーンの最前線で活躍する幅広い人の作品を取材しなければならなかったのだ。彼女は、おのずと刺激を受けるとともに、自らのアート表現のデータベースの情報量が増えていったと思われる。
創作は過去の先人たちのアート表現を新たにかけ合わせたり、それらを突然変異させることで生まれてくる。当然のこととして、杉浦の持つ圧倒的な情報量は、新たな発想を生み出す際に役立ったはずだ。また自分より優れた能力を持つ人とも数多く接することになる。そのために、自信過剰になることもなく、新しい視点を柔軟に受け入れる姿勢が維持できたと想像できる。杉浦は、指導者に恵まれたこと、それに続く美術手帳の仕事により、長きにわたり創作キャリアを継続できたのではないだろうか。

本展“杉浦邦恵 うつくしい実験 ニューヨークとの50年”は、国内外の美術館による初めての回顧展になるという。彼女の仕事の全貌が初めて明らかになったことで、写真史やアート史とのかかわりが新たな視点から専門家により見立てられる可能性がでてきたでてきたのではないか。特に現代アート系で、生き物を使用したフォトグラム作品があるアダム・フスや、巨大な抽象作品で写真メディアの探求を続けているウォルフガング・ティルマンスとの関連が語られると、再評価がさらに行われると考える。

〇開催情報
“杉浦邦恵 うつくしい実験 ニューヨークとの50年”
東京都写真美術館
7月24日(火)~9月24日(月振休)
10:00~18:00、木金は20:00まで (7/26~8/31の木金は21:00まで)
休館日 毎週月曜日、ただし、9/17, 9/24は開館、9/18は休館

http://topmuseum.jp/