2018年春のNYアート写真シーズン到来!
最新オークション・レビュー

アート相場に影響を与える株価は年初から乱高下が続いている。NYダウは1月に終値ベースの最高値26,616.71ドルを付けた後に、2月発表の雇用統計により短期金利の早期利上げ懸念が浮上して大きく調整。ボォラティリティーが急上昇し、景気拡大、低インフレ、低金利が続く適温相場が変調の兆しを見せ始めた。その後、オークションが行われた4月上旬は24,000ドル台で推移している。米中通商問題、ネット情報保護の問題、シリア情勢、北朝鮮動向などの中期的な不安定要因が横たわるものの、経済実態は拡大基調であることから、短期的にはしばらくはレンジ内相場が続く感じだ。オークション開催時のアート相場への株価の影響はほぼニュートラルといえるだろう。

4月5日から8日にかけて、大手3社が単独コレクションと複数委託者による5つのオークションを開催。クリスティーズは、4月6日に“Photographs”と“The Yamakawa Collection of Twentieth Century Photographs”、
フィリップスは、4月9日に“Photographs & The Enduring Image: The Collection of Dr. Saul Unter”
ササビーズは、4月10日に“A Beautiful Life: Photographs from the Collection of Leland Hirsch”と“Photographs”が行われた。クリスティーズの“MoMA: Walker Evans”オンラインオークションを加えると、今春はトータルで772点が出品。ちなみに昨年春741点、昨年秋は874点だった。

今回の平均落札率は73.5%で、昨年秋の69.9%から改善。ほぼ昨年春の73.8%と同じレベルだった。しかし総売り上げは減少して約1535.5万ドル(約16.9億円だった。昨春比マイナス約14.7%、昨秋比マイナス約19.7%だった。
内訳をみると、ササビーズが昨秋比約76%増加し、クリスティーズが約45%減、フィリップスも約24%減。過去10回の売り上げの平均値と比較すると、リーマンショック後の低迷から2013年春~2014年春にかけて一時回復するものの、再び2016年までずっと低迷していた。2017年春、秋はやっと回復傾向を見せてきたが、今春に再び下回ってしまった。(*チャートを参照)

中長期的な経済の先行きに不安定要素が多いことが心理的に影響を与えたのだろう。もしかしたら現在の売れ上げレベルは、リーマンショックからの回復過程というよりも、市場規模のニューノーマルなのかもしれない。

PHILLIPS NY “Photographs”Peter Beard “Heart Attack City,1972”

今シーズンの高額落札を見ておこう。
1位はクリスティーズ“The Yamakawa Collection of Twentieth Century Photographs”のダイアン・アーバスによる、アート史上重要な10枚のポートフォリオ・セット“A box of ten photographs”。落札予想価格50万~70万ドルのところ約79.25万ドル(約8198万円)で落札。
2位はフィリップの複数委託者オークションのピーター・ベアードのマリリン・モンローがフィーチャーされた“Heart Attack City,1972”。落札予想価格50万~70万ドルのところ約60.3万ドル(約6633万円)で落札されている。
3位はクリスティーズの“Photographs”のリチャード・アヴェドンの代表作“Dovima with Elephants, Evening Dress by Dior, Cirque d’Hiver, Paris, 1955”の大判作品。落札予想価格30万~50万ドルのところ約45.65万ドル(約5021万円)で落札。ササビーズでも同じ作品が出品されたが、そちらは約37.5万ドル(約4125万円)で落札。プリントの制作年が古いほうが高額で落札された。
4位はフィリップ複数委託者オークションに出品されたオーストリア人写真家ルドルフ・コピッツによる“Bewegungsstudie Movement Study).1924”(動作研究)。落札予想価格20万~30万ドルのところ約39.9万ドル(約4389万円)だった。

あいかわらず貴重な美術館級のヴィンテージ作品やエディション数が少ない現代アート系アーティストの代表的作品に対する需要は順調だ。一方で、骨董品的価値しかない19世紀写真や、現代アート系でもブランドが確立していないアーティストの作品への需要は低調だ。またフィリップスに出品されたエドワード・スタイケンの“Gloria Swanson, New  York,1924”などの有名ヴィンテージ作も不落札だった。貴重作の評価はどうしても高く売りたい売り手の希望に左右されることになりがち。流通するプリントが複数あるような作品の場合、買い手は慎重で、落札予想価格が過大だと評価されがちになる。
5万ドルを超える価格帯では、アイコン的ではないエディション数が多い作品に対してはコレクターが慎重になりつつあるようだ。人気写真家の作品でも、強気の最低落札価格を設定している出品作は苦戦していた。ロバート・フランクでも、超有名作の“New Orleans(Trolley)” や“Hoboken(Parade, New jersey)”などは10~20万ドルで落札されるのだが、”アメリカン人”収録作品でもイメージのわりに相場が高いの作品、また70年代に制作された作品には不落札が多くみられた。

ファッション写真はドキュメント系より人気が高く出品数が多い。しかしアーヴィング・ペンでも、6万ドル以上の高価格帯では、キャリア後期作品などは不落札が目立った。ササビーズでは、ヴォーグ誌の1949円11月号の表紙を飾った“VOGUE CHRISTMAS COVER (NEW YORK)”が出品されるが、6~9万ドルの落札価格のところ不落札。ピカソのポートレート作品“PICASSO (B) CANNES”も7~10万ドルの落札価格のところ不落札だった。ファッションやポート-レート系の高額価格帯のペン作品の相場見直しはこれからも続きそうな気配だ。
同様の例は、リリアン・バスマン、ピーターリンドバークでも見られた。特に大判サイズで落札予想価格が高いものは、不落札が目立った。

いま市場には先高観があまりなく、特にいま無理して買わなくてもよいという雰囲気を感じる。中低価格帯では、あいかわらず人気、不人気作品の2極化が進んでいる。いくら写真史で有名な写真家で来歴が良くても、有名でない絵柄の人気が低い。よく20世紀写真を集めるコレクターが減少し、新しいコレクターはよりインテリアでの見栄えを重視して作品を選んでいると言われている。オークション動向がそのようなコレクターの傾向と合致する場合が多くなってきた。今まで以上に、写真は一つの独立したカテゴリーではなく、数多くあるアート表現の一部だと理解しなければならなくなってきたようだ。
(為替レート 1ドル/110円で換算)

写真展レビュー サラ・ムーン「巡りゆく日々」 銀座 シャネル・ネクサス・ホール

Femme voilée ⓒ Sarah Moon

フランスのファッション写真家、映像作家としても知られるサラ・ムーン(1941-)の「D’un jour a l’autre 巡りゆく日々」展が、5月4日(金)まで銀座のシャネル・ネクサス・ホールで開催されている。

本展ではサラ・ムーン自身が構成を手掛け、日本初公開作・新作を含む1989-2017年に撮影された約100点が展示されている。日本での本格展示は、2016年4月に何必館 京都現代美術館で開催された「Sarah Moon 12345」展以来となる。

アーティスト活動を行うファッション写真家のキャリア回顧は非常に難しい。同じファッション系写真でも、時代性が反映されたアート性が高いものと、単に洋服の情報を提供しているものが混在しているからだ。後者の写真の展示だと、写真家の創作ではなくファッションを撮影した仕事の紹介になってしまう。これは、写真展、フォトブックでも同様となる。彼らはお金を稼ぐので、キャリアを記念碑的に振り返る豪華本を制作したり、豪勢な展覧会を開催したりする。これは展覧会や写真集を通しての仕事関係者へアピール的な要素が強くなる。広告と同様にアート・ディレクターが企画を行い、写真家の営業活動の一環として行われる。したがってこのような展示や写真集は、シリアスなアートファンや評論家にはなかなか評価されない。まして写真家作品の市場価値には何も影響を与えないのだ。
現在でもこのような種類の写真展が圧倒的に多い。しかしその中にファッション写真が成立していた時代の気分や雰囲気を表現したものも存在している。長い過小評価や無視の時代が続いたが、いまでは優れたファッション写真はアートのカテゴリの一部だと考えられるようになった。キュレーターやギャラリストは理論武装したうえで、その違いを見つけ出して、両者を明確に区別している。

今回のサラ・ムーン写真展”巡りゆく日々”は、そのタイトルが示唆しているように本人の回顧写真展的な性格が強い。しかし、決して過去のファッション写真の紹介に陥ることなく、パーソナルな視点で自らの表現者のキャリアを振り返ることに見事に成功している。過去の代表作の年代順展示ではなく、自らの手による作品セレクション、展示ディレクションが大きな特徴だろう。過去の作品をベースに、全く新しい世界を作り上げているのだ。頭のなかで過去と現在が行き来して、様々な思いが交錯するような状況を展示で表現しようとしている。

展示は大きく5つのパートで構成されている。それぞれに特に明確なテーマは提示されていない。誰の人生においても、何らかの強い思い出があり、その前後の様々な意識や感情が連なって記憶として存在しているだろう。記憶はずっと継続して存在しているというよりも、時々のライフイベントが中心になって断片的な連なりとして点在しているのではないか。本展でサラ ムーンは、自分の頭と心の中に去来してまた消えていく記憶の連なりに思いをはせ、それらを振り返り、再び現実に戻る行為を繰り返し行っている。長年連れ添ったご主人で編集者のロベール・デルピール氏が2017年9月に亡くなったことも作品セレクションに影響を与えていると思われる。すべてのパートごとに、過去の写真と最近の写真が混在している。それゆえ1点の写真は特にインパクトが強いものである必要はない。今回の展示ではアイコン的なファッション写真はほとんど登場しない。結果的にファッション写真も、ポートレート、旅行、風景、静物などの写真と共に彼女の人生の一部として並列に登場してくる。
一見、日本で好まれるフィーリングの連なりのような写真展示ととらえられがちだ。しかしすべての背景に、ファッション写真制作のベースとなる時代認識が存在している。それが自分の人生と関連付けられ、ヴィジュアルのリズム・流れや作品フォーマットが決められているのだ。言い方を変えると、彼女がファッション写真家として人生体験を通して記憶化されたもの、頭の中で意識に上った気づき、考えが、展覧会の3次元時間軸のなかで写真を通して再構築されている。映像作家でもある、サラ・ムーンらしい展示といえるだろう。

このアプローチは、やや写真のカテゴリーは違うがドイツ人写真家のマイケル・シュミットに近く感じる。また、サラ ムーンが影響を受けたかは定かでないが、ロバート・フランクが近年になって続けている、”Tal Uf Tal Ab”(2010年刊)、”You Would” (2012年刊)などのヴィジュアル・ダイアリー・シリーズも彷彿させる。彼は同シリーズで、過去が現在にどのように影響を与え、またどのように人生がフォトブック形式で記述可能で、形作られるかの提示に挑戦し続けている。もしかしたら彼女が本展で提示している時代性に共感を持てない若い層の人もいるかもしれない。

ファッション写真は、それが成立した時代に、共通の価値基準が存在していることで共感を生む。彼女が活躍していた80~90年代前半くらいまでには多くの人が似通った夢や未来像を持っていた。彼女はそれを感じ取り巧みに作品に反映させてきた。これがファッション写真家のサラムーンの真骨頂なのだ。しかし、2000年以降は価値観が細かくばらけてしまい、多くの人が共感するファッション写真はもはや成立し得ない状況になった。本展を見て、共感するのはかつての時代を経験した人、共感しない人は、当時を知らない人ということになるだろう。

本展では2000年以降の作品が多数含まれ、それ以前の時代の強い共通の価値観が薄められている。それは、ファッション写真でのアート表現の現状を的確に提示しているともいえるだろう。価値観が多様化したことでファッションのアイコン的な作品が生まれにくい状況になっているのだ。本展では、21世紀のアート系ファッション写真が、展覧会やフォトブックを通して、パーソナルな文脈から提示される可能性があると感じた。

写真展タイトル:「D’un jour a l’autre 巡りゆく日々」
会期:2018年4月4日(水)~5月4日(金)
会場:シャネル・ネクサス・ホール(東京都)
オープン時間:12:00~19:30

http://chanelnexushall.jp/program/2018/dun-jour-a-lautre/

 

2018年アート写真市場がいよいよ幕開け
春の大手業者のオークション・プレビュー

4月5日から8日にかけて、世界最大規模のアート写真に特化したアートフェアーの”AIPAD フォトグラフィー ショー2018″がニューヨークで行われる。今年もこの世界中のコレクターや関係者が集まる機会に合わせて大手3社のオークションが開催される。

クリスティーズでは、昨秋から続いているニューヨーク近代美術館コレクションのオンライン・セール6回目となる”MoMA: Walker Evans”が、4月3日から11日にかけて開催される。多数の代表作を含む落札予想価格が3000ドル~15,000ドル(約33~165万円)の109点が出品される。ほとんどの作品が同館で1971年に開催された回顧展の際に制作されたものとのことだ。ウォーカー・エバンスは、アーバスやウィノグランドなど多くのストリート系写真家に多大な影響を与えた巨匠。これまでのオンライン・セールの目玉となることから動向が注目されている。

ライブ・オークションでは、大手3者が単独コレクションと複数委託者による5つのオークションが開催される。
クリスティーズは、4月6日に”Photographs”と”The Yamakawa Collection of Twentieth Century Photographs”、フィリップスは、4月9日に”Photographs & The Enduring Image: The Collection of Dr. Saul Unter”、ササビーズは、4月10日に”A Beautiful Life: Photographs from the Collection of Leland Hirsch”と”Photographs”を開催する。
トータルで663点が出品。昨年春の741点、昨年秋の874点よりは少ない。

PHILLIPS NY “Photographs” Catalogue

高額落札が予想されている作品はフィリップスに集中している。”Photographs”に出品されるピーター・ベアードの”Heart Attack City,1972″。100.6 x 123 cmサイズの、銀塩写真、水彩ドローイングなどを含むコラージュ作品。落札予想価格は50万~70万ドル(5500~7700万円)。
同じく”The Enduring Image: Photographs from the Dr. Saul Unter Collection”に出品されるのは、エドワード・スタイケンの”Gloria Swanson, New York,1924″。こちらは24.1 x 19.1cmサイズの銀塩のヴィンテージ作品。落札予想価格は40万~60万ドル(4400~6600万円)。続いては、これも”Photographs”に出品されるアンドレアス・グルスキーのサッカー場と選手を撮影した”EM, Arena, Amsterdam I,2000″。207 x 166.7 cmサイズ、エディション4のクロモジェニックカラー・プリント作品。 こちらの落札予想価格は35万~45万ドル(3850~4950万円)。

クリスティーズの”The Yamakawa Collection of Twentieth Century Photographs”には、ダイアン・アーバスによる、アート史上において非常に重要なポートフォリオ・セット”A box of ten photographs”が出品される。このポートフォリオが、彼女の死後のキャリア評価を決定づけるとともに、写真がシリアスなアートだと認識されるきっかけを作ったと言われている。こちらには、ニール・セルカークがプリントして、ドーン・アーバスがサインしたポーツマス・プリント10点が収録。アーバス本人が作品をセレクションしていることから、数多い個別作品の中でもポートフォリオ収録作品の評価が高くなっている。落札予想価格は50万~70万ドル(5500~7700万円)。個人コレクターというよりも美術館などの公共機関がぜひ所有したい逸品だろう。

ササビーズの”Photographs”で注目されているのは、マン・レイの”MINOTAUR,1933″と、ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットの”THE PENCIL OF NATURE(自然の鉛筆)”の6冊完全セット。落札予想価格はともに15万~25万ドル(1650~2750万円)。

私が個人的に注目しているのは、ササビーズの”A Beautiful Life: Photographs from the Collection of Leland Hirsch”と、クリスティーズ”Photographs”に出品されるリチャード・アヴェドンの代表作”Dovima with Elephants, Evening Dress by Dior, Cirque d’Hiver, Paris, 1955″。ともに124.5 x 101.6 cmサイズ、エディション50の銀塩写真。落札予想価格は30万~50万ドル(3300~5500万円)。
ちなみに90年代の前半、まだアヴェドンが存命だったときは、一回り小さい20X24″(約51X61cm)の方が人気があって、値段も高かった。約4半世紀が経過して、アート写真は現代アートの一部となり、大きなサイズの方がはるかに高額になっている。本オークションの出品作の当時の値段は2.7万ドルだった。現在の評価は10倍以上になっている。

(為替レート1ドル/110円で換算)

ROCK ICONS展が3月29日からスタート
鋤田正義/グイード・ハラリ 珠玉のポートレート

ブリッツ・ギャラリーは、鋤田正義とイタリア人写真家グイード・ハラリによる20世紀ロックの伝説的ミュージシャンたちのポートレート写真展を3月29日(木)から開催する。

鋤田は日本、英国、米国、ハラリは欧州と活躍の地域は違うものの、70年代から90年代までの20世紀ロック黄金期のロック・アインコンを撮影してきた。撮影スタイルは違うものの、お互いの仕事をリスペクトする友人同士でもある。
二人は、ハラリが運営するイタリアのギャラリーでの写真展の際に知り合った。お互いにミュージシャンのポートレートを撮影してきたことからすぐに親しい関係となった。ハラリは熱心な音楽ファンの多い日本での作品展示を熱望して、今回の二人展開催となった。
本人は来日予定だったが、体調悪化でドクターストップがかかり急遽中止になってしまった。

鋤田正義といえば、デヴィッド・ボウイのポートレートを約40年にもわたり撮影し続けてきた写真家として知られている。本展でも、彼の膨大なアーカイヴスの中から、未発表を含む多数のボウイ作品が展示される。彼が時に語るボウイとのエピソードは二人の関係性が読み取れて興味深い。鋤田が撮影したボウイのポートレートが別格である理由がよくわかる。若かりし鋤田は、広告の仕事で資金稼ぎを行って、その時にしか撮れない被写体を求めて世界中を旅したいと考えていた。しかしボウイは、広告の仕事をあまりやるなと、よく鋤田にアドバイスしていたという。そういうボウイ自身は広告に出たりしていたので、鋤田はやや違和感を感じていたという。ボウイの80年の日本での広告の仕事では、最も信頼する写真家のはずの鋤田をあえて指名しなかったという。それは。ボウイが鋤田はアーティストであり、広告写真家ではないという、高いリスペクトを持っていたからだと思われる。

この辺りの価値基準は非常に分かりにくいので説明しておこう。欧米ではファインアート系と広告系の写真家は全く違うキャリアを歩み、仕事が重なり合うことはない。日本ではお金を稼ぐ広告写真家の社会的地位が高い。一方で欧米ではファインアート系の人は、お金よりも自由な表現を追求し、世の中に新しい視点を提供する存在として、社会的に尊敬されている。当然、鋤田は日本をベースに仕事をしており、当初は広告優先の価値観を持っていた。ボウイの広告撮影に指名されなかったときは残念に感じたそうだ。鋤田はボウイの趣旨を後になってから理解したという。彼はボウイとの付き合いの中で、アーティストとして社会で生きていく姿勢を学び実践していったのだ。
その結果、いまや彼のポートレート写真家としてのポジションは日本人としては別格と言えるだろう。海外の一流写真家は、どんな有名人を撮影してもそれは本人の作品として扱われる。それは両者は平等にアーティストだと考えられるからだ。作品は自由に発表できるし、ギャラリーではアート作品として取り扱われる。日本人写真家の場合は、ミュージシャンの方が地位が高く、写真家はただ指示通りに撮影するだけの場合が多い。テレビ局のカメラマンと同じような感じだ。もちろん写真を自由に使用することはできない。鋤田はただ単にボウイのヒーローズのLPジャケットを撮っただけの写真家ではないのだ。日本人で数少ない業界でアーティストとして広く認識されている写真家なのだ。

鋤田はただミュージシャンの写真撮影だけを行っているのではない。たぶんこの点もボウイからアーティストとして認められた理由なのだろう。俳優、文化人から一般人まで幅広い人を被写体にするほか、長年にわたりランドスケープやシティー・スケープの写真にも取り組んでいる。優れたアーティストは、マンネリに陥ることを恐れて、常に新しいテーマを追い求める。彼らは写真での表現者であり、お金稼ぎは重要と考えるが最優先順位ではないのだ。現在は、ボウイが亡くなったことから、ミュージック系のポートレート写真を撮影してきた写真家だと思われがちだ。しかし、彼には過去に撮影した膨大な作品アーカイヴスがある。いまその整理整頓に真剣に取り組んでいる。
過去に撮影した作品の現在の視点での再解釈も行っている。それには彼の代名詞のボウイのポートレートも含まれる。最近フィーチャーされる機会が多い、”Heroes”と同じく1977年に撮影された”Just for one day”。(本展でも展示中) 同作は長らく未発表だった。それは、ロックミュージシャンである強いイメージのボウイの表の顔の緊張が途切れて、リラックスして優しい表情を見せた瞬間をとらえた写真。ロックのカリスマの顔をしている”Heroes”のLPジャケット写真とまさに表と裏の作品だ。鋤田はずっとそれはボウイのイメージに似つかわしくないと考えて発表してこなかった。しかし、長い時間が経過し考え方が変化したという。いまではボウイの好きな写真の1枚だと本人が語るようになっている。

今後は、ミュージック系だけにとどまらないポートレート、そしてランドスケープやシティー・スケープの見直しや編集作業と共に、精力的に新作にも取り組んでいる。4月3日から5月20日、地元福岡県の直方谷尾美術館で鋤田正義 写真展「ただいま。」が開催される。同展では、彼のキャリアを網羅する展示が試みられる。どのような視点で彼のキャリア全体を一貫性を持って提示するか。今後は国内外の様々なプロジェクトで試行錯誤が行われるだろう。

本展は、日本におけるグイード・ハラリ作品のギャラリー初展示となる。彼は自らのギャラリーを設立して写真を販売するとともに、デザインにも関わって写真集やカタログまでを製作してしまう。実は本展のカタログ、ポスター、案内状のデザインも彼のスタジオが手掛けている。
彼のロック・ミュージシャンのポートレートは、いくつかのおおきなカテゴリーに分類できる。ボブ・ディラン、ボブ・マーレィ、エリック・クラプトンなどのカリスマ性を持つ強い被写体の時はモノクロのストレート写真で表現している。それ以外では、ミュージシャンに様々なポーズや動きを提案したり、様々な場所に連れ出したりして撮影。さらに写真をべースにして画像・色彩を重ねたりして全く新しい作品を作り上げている。それらは被写体との信頼関係がないと制作できない一種のコラボレーション作品とも解釈できる。撮影後に作品に手を加える作業や、被写体に過度の指示を与える撮影に対しては、様々な意見があるだろう。ミュージシャンのポートレートは、音楽が存在していた時代性がイメージに反映されると、見る側にはより魅力的な作品となる。優れた写真家は、被写体をストリートに連れ出したり、一緒に長期間行動することで、そのような作品を制作している。しかし、相手に信頼されないと、なかなか時代性が反映された写真は撮影できない。ミュージシャンの写真がアート作品になるか、単なるポートレートで終わるかは両者の関係性に強く影響される。ロックがビッグ・ビジネスなりに従い、かつてのように写真家に多くの自由裁量が与えられるケースは少なくなっている。ハラリ作品は、このような創作に厳しい状況であっても、写真家に作家性を発揮する可能性があることを示している。被写体の動きや、撮影のバックグラウンド、そしてポスト・プロダクションを駆使することで、音楽が奏でられていた時代の気分や雰囲気が表現可能なのだ。彼のミュージシャンへのリスペクトと、音楽への高い理解力がこれらの作品を製作可能にしているのだろう。単にデザイン性、奇抜さ、目新しさを追求したのではないと感じる。彼の様々な作品から音楽の背景にあった時代を感じられるか、ぜひ来場者自身の目で判断してほしい。

本展で紹介されるミュージシャンは、鋤田が、デヴィッド・ボウイ、マーク・ボラン、デヴィッド・シルヴィアン、イギー・ポップ、YMO (イエロー・マジック・オーケストラ)、忌野清志郎、シーナ & ロケッツ、SUGIZO(スギゾー)など、ハラリが、ピーター・ガブリエル、ボブ・ディラン、トム・ウェイツ、ルー・リード、ローリー・アンダーソン、ボブ・マーレィ、エリック・クラプトン、パティー・スミス、ケイト・ブッシュ、イギー・ポップ、坂本龍一、ジョニー・ミッチェルなど。モノクロ・カラーのよる様々なサイズの約45点を展示する。

展示予定作の一部は以下からご覧いただけます。
・鋤田正義 作品
http://blitz-gallery.com/sukita.html
・グイード・ハラリ 作品
http://blitz-gallery.com/Harari.html

なお本展ではブリッツは19時まで営業、日曜日もオープンする。ただし、月曜に加え火曜水曜も休廊なのでご注意ください。(ゴールデン・ウィーク中も同様)

(開催概要)
ROCK ICONS SUKITA X HARARI 鋤田 正義 / グイード・ハラリ
2018年3月29日(木)~ 5月20日(日) 1:00PM~7:00PM
休廊 月・火・水曜日
入場無料

ブリッツ・ギャラリー
〒153-0064  東京都目黒区下目黒6-20-29  TEL 03-3714-0552

日本の新しいアート写真カテゴリー クールでポップなマージナル・フォトグラフィー(10) なんで日本で写真が売れないのか Part-2

前回のパート1では、なんで日本で写真が売れないのかその理由を分析してみた。

繰り返すと、欧米のファインアートの世界では、写真展開催や写真集製作は、自分が社会に対するメッセージを伝える手段である。しかし、日本では制作側、見る側ともに写真を撮影して発表する行為自体が目的で、それがアート表現だと考えている。両者の価値基準が全く異なるということだ。
海外をベースに活動する日本人写真家が評価されたケースはあるが、世界で認められる写真家が日本から出てこないのは当たり前だといえる。評価されるべきメッセージ自体が発信されていないからだ。日本では、プロの写真家、先生の写真家、アマチュア写真家は、表現者としてみんな同じフィールドの中にいる。様々な価値基準を持つ集団が存在しており、その勢力拡大を目指すとともに、狭い範囲内で切磋琢磨しているのだ。
このような現状認識の上での、日本の新しい写真の価値基準の提案なのだ。

第3者による「見立て」は海外でも行われている。ただし、それに対する受け止め方が日本とは違う。西洋では新たな創作を行うためには、アーティストは自らがとらわれている思考のフレームワークの存在を意識して、それを破らなければならないと考えられている。
そのためには、多種多様な作品テーマに挑戦してマンネリに陥らない努力を行う。
優れた写真家はキャリアを通して変化しており、多種多様な作品の中に代表作があるのだ。またそのために、様々な意見を外部から取り入れ、自らをできる限り客観視して新たな視点を獲得するように努力する。
第3者の「見立て」は、作品アドバイスと同様の意味で、作品が無意識的に持つテーマ性に気付くきっかけになる。それが意識化されてアイデアやコンセプトに展開していくことが多い。

日本では、人間の本来持っている、思い込みや考えのフレームワークから抜け出すという意味が理解されない。第3者の「見立て」は作品のテーマ性発見にあまり役立たないのだ。同じテーマを長きにわたり追及する人が多いと感じている。

現代社会のシステムでは、一般論として、私たちは年齢を重ねるに従い能力や家庭環境などにより選別されていく。社会に出る段階ではすでに皆が違うスタート地点に立っている。どうしても自分の能力に近い人間関係の中で社会生活を送り、その世界にどっぷりとつかることになる。しだいに自分の知らない世界が存在するという意識が消えてなくなる。そして比較対象が少ないことから、狭い枠の中で自分はそこそこイケていると考えるようになり、人間の成長は止まってしまうのだ。西洋でアーティストがなんで尊敬されるかというと、その枠にとらわれないように悪戦苦闘している人だからだ。彼らの存在が人間社会の未来の多様性を担保すると考えられている。

日本は全く逆で、パート1でも触れたように、自分の持つフレームの中で表現を追及するのが作家活動だと思う人が圧倒的に多い。第3者からの「見立て」が自分の枠から外れている場合は重要視しないのだ。「見立て」を通しての写真家への働きかけは短期的には有効には働かない。
戦後日本には平等幻想があるとともに、いまでも共同体社会のセンチメントを無意識に持つので、周りも自分とたいして変わらないと考える傾向が強いからではないかと私は疑っている。

それゆえに日本では「見立て」は写真家を離れて第3者が独自に行う行為となる。多くの写真家は天才ではないので、ここの意識の違いはキャリア展開に非常に大きな影響を与える。
海外では、「見立て」やアドバイスがきっかけに若い写真家が優れたテーマ性の提示に成功することがある。しかし、日本では通常キャリアの後期になって複数の人からの「見立て」が積み重なることで、写真家の作品のテーマ性が徐々に認識されるようになる。時に数十年以上の長年にわたる作品制作の継続が必要となる。それが可能なのは、自らの写真表現が社会と何らかの関りがあり、継続するモーチベーションになっているからだと思われる。これはアマチュア写真家のように長期にわたってただ写真を撮影しているという意味ではない。ここでの作品継続の意味とは、何かに突き動かされて、被写体と一体になって一切の邪念を持たずに写真を撮影し、定期的に作品発表する行為のことだ。作品制作には、膨大な時間と資金が必要になる。社会的また金銭的な評価を求める人だと、短期的に結果が伴わないと継続するのは難しい。多くの人には、個展開催や写真集出版はキャリア上の思い出作りなのだ。

このように、日本の写真家の中には、自らがモーチベーションを持って作品制作を続けられる人と、写真を仕事や趣味で撮っている人が混在している。社会との関りから写真撮影を継続する人はいるのだが、彼らの多くは自らがメッセージを発信しない。誰かが隠れたテーマ性の「見立て」を行わないと、優れた才能は埋もれて忘れ去られてしまうだろう。
特に、広告写真家やアマチュアの中には、優れた作家性が発見されずに消えていった人が多数いるのではないかと疑っている。日本独自の新しいがアート写真が認知されないと、彼らを評価する価値基準が存在しないのだ。

最近は、「見立て」の行為に興味を持つ人への啓蒙活動がより重要だと感じている。日本には写真家はあまたいるが、「見立て」ができる人は圧倒的に少ないのだ。「見立て」には、その人の経験と知識の蓄積が重要になる。それなくして、作家性や作品のテーマ性に気づくことはないからだ。これは写真分野における、知的好奇心を刺激する高度な趣味的な行為だと思う。撮影はしないが、写真を通しての自己表現でもある。
おかげさまで、「写真の見立て教室」開催への問い合わせを数多くもらっている。どうも興味を持つ人がある程度の数はいるようだ。今後は、「見立て」ができる人を養成するような全く新しい写真のワークショップを春以降に開催したいと考えている。

日本の新しいアート写真カテゴリー
クールでポップなマージナル・フォトグラフィー(9)
なぜ日本で写真が売れないのか Part-1

いまや写真界では日本で写真は売れないというのが一般論になっている。私どものギャラリーの経験でも、特に日本人写真家による自然や都市の風景がモチーフの写真が売れ難いのは明確な事実だ。
私がよく引き合いの出す例は、アート写真のオークション規模の違いだ。ちなみに欧米では2017年に現代アートを除くアート写真だけのオークションが45回程度開催され、総売り上げは約79億円になる。日本にはアート写真だけのオークションはなく、SBIアートオークションのモダン&コンテンポラリー・アート・オークションのごく一部に写真が出品されるにとどまる。ちなみにギャラリーの店頭市場の規模は、オークションと同等から2倍程度といわれている。

その理由は、日本と欧米の住宅事情に帰せられる場合が多いが、状況を分析すると売れないのは当たり前なのがわかってくる。私はその状況を踏まえて、日本では全く新しい価値基準のアート写真カテゴリーが必要だと意識した。なんで写真の評価に第3者の「見立て」が必要なのか。本連載の読者により理解を深めてもらうために、今回は写真が売れない理由の説明を行いたい。

まず作家活動の意味や定義が海外のファインアートの世界と日本は全く違う事実を指摘しておきたい。念のために最初に述べておくが、これは日本と西洋とを比べてどちらが良いとか上だとかいうことではない。ただ価値基準が違うということ。この点を誤解しないでほしい。そして日本ではこの二つの全く違った価値観が混同されているという事実を伝えておきたい。

いま海外のファインアート分野で活躍する写真家は、社会の中で何らかの問題点を見つけ出して、それを写真を通して表現したり解決策を提示するアーティストなのだ。作品が売れるとは、そのメッセージの意味をコレクターが受け止めて、両者にコミュニケーションが生じることなのだ。日本でも、写真家は表現するという意味でアーティストといわれるが、それは海外とはやや意味合いが違う。アート系の学校の出身者や、海外べースで活動している人を除くと、最初に社会に何か伝えたいメッセージがあって写真を撮影する場合は圧倒的に少ない。また世間一般は、写真家は写真家であり、ファインアートのアーティストとは考えていない。多くの写真家にとって、自分の興味ある対象の写真撮影し、展覧会を開催したり、写真集を出版するのが作家活動なのだ。
また最近は、海外の現代アートの影響で、アイデアやコンセプトを撮影後に探してきて後付けする人も若い人中心に増えている。これは本質が伴わない、外見だけを現代アート風に仕立てた作品となる。
見る側の認識も同じで、展覧会に見に行って芳名帳に記載し、余裕があれば写真集を購入することが作家支援なのだ。

写真家は何もメッセージを発信していないし、見る側も何らかのメッセージを読み解こうという意識がない。だから写真が売れる、つまりアートコレクションの対象になるはずがない。日本では写真はアート作品ではなく商品なのだ。売れるのは、インテリア向けの飾りやすい絵柄の低価格帯の写真、商業写真家のクライエントや関係者が仕事上の人間関係で買う場合。親族・友人が社交辞令で買う場合などだ。しかし、コレクターとして作品のアート性を愛でて買うわけではないので、ほとんどが1回限りとなる。
そこには欧米的なアート史と対比してオリジナリティーを評価するような客観的な価値基準は存在しない。すべてが見る側のあいまいな感覚もしくはフィーリングでの判断となる。写真がアートになる以前の20世紀写真の基準がいまだに反映されがちだ。きれいな写真、うまく撮影された写真、クオリティーの高い写真、銀塩写真なのだ。また作品の客観的な基準がないことから写真家の知名度や経歴によって大まかな差別化が行われる。
それ以外にも撮影方法の目的化や学閥など、複数の価値基準が存在している。それぞれの人が自分の価値基準が普遍的だと考える傾向が強く、どうしてもそれぞれの基準に準じたコミュニティーが生まれやすい。

まとめてみると、欧米のファインアートの世界では、写真展開催や写真集製作は、自分が社会に対するメッセージを伝える手段である。しかし、日本では制作側、見る側ともに手段自体が目的で、それがアート表現になっている。両者の価値基準が全く異なるということだ。海外の基準やデザイン性で評価された日本人写真家は何人かはいるが、日本から世界に認められる写真家が出てこないのは当たり前なのだ。認められるためのメッセージ自体が発信されていないからだ。
これはアマチュア写真の世界と全く同じ構図となる。日本ではアマチュアの個展開催や出版もアート活動だと考えられている。プロの写真家、学校の先生の写真家、アマチュア写真家は、表現者としてみんな同じフィールドの中に存在している。このような現状認識ができて、初めて日本では欧米と違う新しいアート写真の基準が必要なのだと理解できるのだ。

次回は、日本と欧米の創作における決定的な考え方の違いなどに触れたい。

(Part-2 に続く)

2018年アート写真のオークションがスタート! アイコン的作品の人気が続く

今年のライブによるアート写真オークションは、2月15日に米国ニューヨークの中堅業者スワン(Swann Auction Galleries)の”Icons & Images:Photographs & Photobooks”でスタートした。出品作品の約86.6%が落札予想価格上限1万ドル以下の低価格作品中心のオークションとなる。落札結果はほぼ予想通りで、落札率は約73%、総売り上げは約166万ドル(約1826万円)だった。
ちなみに2017年の同オークションも、落札率は約73.9%、総売り上げは約158万ドルとほぼ同等の結果だった。

Swann Auction Galleries, Robert B. Talfor

今回注目点ははフォトジャーナリズムのルイス・ハイン (1874-1940) の24作品が出品されたこと。注目されていたカタログの表紙を飾るハインの代表作”Mechanic at Steam Pump in Electric Power House, Circa 1921”。落札予想価格は7万~10万ドル(770~1100万円)のところ、8.125万ドル(約893万円)で落札された。
最高額だったのは19世紀の英国出身写真家Robert B. Talforによる113点の歴史的写真アルバム “Photographic Views of Red River Raft, 1873″。(上の画像)
落札予想価格は1.8万~2.2万ドルのところ、9.375万ドル(約1031万円)で落札された。アートコレクションとというよりも歴史的な資料の価値が強い作品。美術館や公共機関が購入したのではないだろうか。

2月15日には、ササビーズ・ロンドン”Erotic: Passion & Desire”オークションが開催された。リチャード・アヴェドン、ロバート・メイプルソープ、ヘルムート・ニュートン、マン・レイ、トーマス・ルフなどの高額評価のヌード写真が絵画、版画、ドローイング、彫刻などとともに出品された。
総売り上げは約371万ポンド(5.56億円)。写真関連作品は18点が出品された。全体の落札率は約70%、写真は約77%だった。

写真の最高額はクリス・レヴィーンの、ケイト・モスをモデルにした立体感のあるレンティキュラー・プリントのライトボックス作品”SHE’S LIGHT (LASER 3), 2013″の7.5万ポンド(約1125万円)だった。(下の画像)

Sotheby’s London, “Erotic: Passion & Desire”, Chris Levine SHE’S LIGHT (LASER 3), 2013

レヴィーンは、ロンドンを拠点に活躍しているカナダ出身のアーティスト。セントラル・セント・マーチンズを卒業してから、光とアートを融合した“ライトアート”作品を制作。最新テクノロジーを駆使して光や画像を形にして、レーザー、LED、レンズ、ライトボックス、写真などによる斬新な官能的作品を作り上げている2004年、エリザバベス2世のホログラム(レーザー光線によって作られる3次元の立体写真)撮影に指名される。20世紀に最もアイコニックなイメージと言われるこの3Dポートレートシリーズがレヴィーンを一躍著名なアーティストにした。今回のケイト・モス作品は彼の代表作。100X150cmの大判サイズでAPを含めて2点しか制作されていない写真だが絵画に近い貴重な作品。

ササビーズ・パリは、低価格帯から中間価格帯までの比較的買いやすい価格帯の現代アート、家具などのデザイン、アート写真をまとめ販売する”NOW!”を2月28日に開催。住空間の中でのアートや関連商品を新しいコレクター層に提案するオークションとなる。総売り上げは約179万ユーロ(約2.32億円)。

写真関連作品は現代アート系から銀塩20世紀写真まで約60点が含まれた。全体の落札率は約75%だったが写真は約58%にとどまった。最高額はドイツ人写真家ギュンター・ザックス(1932-2011) の、1点102X102cmの大判カラー作品の8点組”Hommage a Warhol, 1991″で、3万ユーロ(約390万円)で落札。ナン・ゴールディンの69.8 x 101.5 cmサイズのチバクローム作品”GREER AND ROBERT ON THE BED, NYC, 1982″は、2.357万ユーロ(約306万円)で落札された。

2月28日には、ヘリテージ・オークションが約170点の”Online Photographs Auction”を開催。こちらは1000ドルから1万ドルの作品が中心、総売り上げは約14.2万ドル(約1562万円)だった。今後は、このような低価格帯の20世紀写真はコストのかかるライブ・オークションからオンライン・オークションにシフトしていくと思われる。

2月になって1月の米国の雇用統計のよるインフレ懸念と長期金利上昇を受けて、景気回復、低インフレ、低金利が続く適温相場が変調の兆しを見せてきた。金融市場では相場の乱高下が続き、どうも低ボラティリティーの時代は終焉を迎えてようだ。金利上昇などがアート相場に与える影響にについては皆がまだ予想できないでいる。先の見通しが不明確だとなかなか参加者も入札に強気になれないだろう。作品の選別化が進行していたアート写真市場にはどのような影響が出てくるのだろうか?今週ロンドンで行われる現代アート・オークションとともに、来月のニューヨークのアート写真定例オークションが注目される。

(1ドル/110円、1ポンド/150円。1ユーロ/130円)

 

スティーブン・ショアMoMAで回顧展開催
巨匠は良い写真やデジタル時代をどう考えているのか?

Stephen Shore MoMA回顧展カタログ

 

 

 

 

 

スティーブン・ショアー(1947-)は、70年代初期からカラーでシリアス作品に取り組んでいる。写真史ではウィリアム・エグルストンとともに70年代のニューカラーの代表写真家と分類されている。

ニューヨーク近代美術館(MoMA)では、2017年11月から2018年5月まで大規模な回顧展が開催されている。キューレションは同館のクエンティン・バジャックが担当、ショアーの一連の作品を新たな視点から紹介して、ニューカラーの写真家というステレオタイプのイメージを覆そうという挑戦を行っている。

同展は50年以上のショアーのキャリアを、60のテーマ別セクションで構成して紹介。10代に撮影されてMoMAに購入されたモノクロ銀塩写真、アンディ・ウォーホール・スタジオだったファクトリーの日常生活を撮影した作品、ファウンド・フォトのコラージュ作品、古き良きアメリカン・シーンを撮影した代表的なカラー作品、イスラエル、ヨルダン川西岸地区、ウクライナを探求した作品、最新のデジタルによるインスタグラム作品までを年代順に紹介している。

彼は使用するカメラや撮影手法をキャリアを通して変化させ、様々なフォームの写真作品に取り組んでいる。70年代には安価なオートマチック・カメラ、その後は8X10″の大判カメラに切り替えてカラーフィルムを使用する先駆者となる。1990年にはモノクロ写真に再び戻り、2000年代にはデジタル写真、デジタル・プリント、ソーシャルメディアによる新たな表現の可能性を追及している。

昨年、彼が行った記者会見の様子をMoMAのウェブサイトで見ることができる。彼の創作の背景にある深遠な思想が垣間見れて非常に興味深い。彼はどのように考えて様々な写真作品に取り組んでいるかを自分の言葉で明確に語れる人なのだ。私が興味を持ったのは、参加者からの質問への彼の示唆に富んだ回答だった。
写真を教えているという女性から、生徒はみんなスティーブン・ショアのような良い写真(good pictures)を目指している。どうすれば、あなたのような独自のオリジナリティーを持つことができるのか、というようなストレートな質問があった。彼はやや視点を変えると前置きして以下のように回答している。
「私や生徒が尊敬する良い写真はそれ自体を追及して生まれたのではない。写真家が何らかのヴィジュアルを通して解決したい問題点を持っていて、それを追及した過程で誰かが評価するものが生まれている。良い写真は結果的にたまたま生まれたもので、それを目指したものではない。良い写真を撮ろうと誰かの真似をするのは本末転倒だ」

アマチュア写真家は良い写真を撮ろうと悪戦苦闘する。自己表現するファインアート作家は、写真撮影の段取りが全く違うようだ。撮影前に何らかの問題点を世の中で見つけ出しており、写真を通してそれを提示・追及するとともに、それに対する答えを探している。
ショアーによればその制作過程で見る側がよいと感じる写真が生まれるというのだ。彼は決して、グラフィカルや色彩的にバランスが取れたヴィジュアルを良い写真と定義してないのがよくわかる。

私はショアーの言う良い写真は、見る側にとって意味がある写真のことだと思う。写真家がアーティストとして認められるには、提示されたテーマやコンセプトが見る側にも共有されなければならない。そのようなコミュニケーションが成立すると、見る側は写真に意味が見いだす、つまり良い写真になるということだろう。だから見る側の知識、経験、理解力によって、良い写真が全く違っているともいえるだろう。

インスタグラムなどが登場してきた現代写真界の現状についての質問もあった。70年代と比べて写真は進化したのか、変化したのかの意見を聞かせてほしいというものだった。
ショアーの回答は、「技術進化で誰でもカメラをいつでも持ち写真を撮る環境が訪れた。この事実はアーティストの写真による作品制作を何ら減少させることはないだろう。誰でも文字を書ける、伝票を書くし、法律的な文章も書く、しかしそれは小説家の仕事に影響を与えるわけではない。デジタル化で写真もそのようになったと考えればよい。誰でも写真を撮るが、偉大なアート作品はそれらとは違う」というようなものだった。

ショアーが例えた”文字”は国によって違い、また文法などがある。私は彼の意図は、写真が絵やイラストなどのヴィジュアルと同等になり、絵筆やペンのような制作手段の一つにデジカメやスマホが加わったという風に理解したい。写真デジタル化の良いところは、技術がなくてもそれなりの高いクオリティーのヴィジュアルが制作可能になったことだ。また現代アートが主流となったことで、作品クオリティー自体の追及が昔よりも重要視されなくなった。いまやすべての分野のアーティストが写真を使用する。デジタル化で写真は真に民主的な表現メディアとなったのだ。しかし子供を含めて、誰でも絵やイラストは描けるがプロのイラストレーターにはなれない。趣味で絵を描く人は、若い時から専門教育を受けてアート界でキャリアを積んできた画家にはなれない。同じようにいまや誰でも良い写真は撮れるが、それだけではスティーブン・ショアのようなアーティストにはなれないのだ。

ニューヨークを訪れる機会があればぜひ行きたい展覧会だ。それができそうもないファンは、MoMAのウェブサイトのヴィデオ映像を見て展示の気分を味わってはどうだろうか。またやや高価だが豪華なカタログを購入してもよいだろう。大手通販サイトでは日本にいても現地とほぼ同価格で購入可能だ。同書は、約400点にも及ぶ図版を駆使して、アーティストの広範囲な経歴の斬新かつ、万華鏡的な展望を行っている。独特の百科事典スタイルの本のフォーマットを通して、アーティストのテクニックと作品の多様性の提示を試みている。

・カタログは以下で紹介しています。

www.artphoto-site.com/b_977.html

・MoMAのウェブサイト

https://www.moma.org/calendar/exhibitions/3769

MoMAオンラインオークションの続報 いま20世紀写真は誰がコレクションするのか?

アート写真市場の本格的な幕開けは、ニューヨークで4月に行われる大手業者のオークションからだ。今年は、クリスティーズで昨年秋から断続的に行われているニューヨーク近代美術館(MoMA)の重複コレクションを売却するオンラインオークションが既に年初に行われている。124日締め切りが“MoMA: Bill Brandt”25日締め切りが“MoMA: Garry Winogrand”だった。二人はMoMAにゆかりの深い20世紀写真家として知られる。

“Bill Brandt: A Life” Stanford Univ Pr, 2004

英国人写真家ビル・ブランド (1904-1983)は、1941年のグループ展で展示されて以来、ドキュメントやヌードなどが何度も展示されている。初個展“Bill Brandt”1969年に開催、その時にプリントされた多くの作品が今回のオークションに出品されているという。その後、19831984年に2回目の個展“Bill Brandt 1905-1983”、死後の2013年にも “Bill Brandt: Shadow and Light”が開催されている。
本オークションでは、落札予想価格2000ドル~10000ドルの43点が出品。落札率は100%、総売り上げは43万ドル(約4730万円)だった。最高落札作品は、目部分を拡大したポートレート“Jean Arp, 1960”で、落札予想価格5000~7000ドルのところ35,000ドル(約385万円)で落札されている。(紹介している写真集“Bill Brandt A Life”の表紙は別作品)

“Garry Winogrand: The Game of Photography” Tf Editions, 2001

米国人写真家ゲイリー・ウィノグランド (1928-1984) は、ウォーカー・エバンスを崇拝し、ロバート・フランクをリスペクトしていたことで知られている。1955年にエドワード・スタイケンが企画した伝説的展覧会“The Family of Man”に選出される。スタイケンは、彼のプリント3枚を合計30ドルで購入したとのことだ。1963年には、同館の当時の新任写真部長ジョン・シャーカフスキーが企画した“Five Unrelated Photographers”に選出。ウィノグランドはシャーカフスキーの多大な影響を受けたことで知られている。
1967年には、これも写真史上重要な“New Documents”展にダイアン・アーバス、リー・フリードランダーとともに選出された。しかし彼は56歳という若さで亡くなってしまう。なんと死亡時には約2500本の未現像フィルムが残されていたという。それを整理するのには約4年の時間がかかり、1988年に死後の回顧展“Garry Winogrand : Figments from the Real World”が開催された。90年代には、コレクターのBarbara Schwartzが同館に約200点のウィノグランド作品を寄贈。その後、1998年には“Garry Winogrand : Selections from a major Acquisition”が開催された。今回のオンラインオークションの出品作はこの時の展示作品が多くを占めるとのことだ。こちらは、落札予想価格3000ドル~10000ドルの作品48点が出品。落札率は約96%、総売り上げは18.68万ドル(2054万円)だった。最高額は、“World’s Fair, New York City, from Women Are Beautiful, 1964″、こちらは1981年プリントのエディション80点の作品。落札予想価格8000ドル~12000ドルを超える16,250ドル(178万円)で落札。(上記写真集の表紙作品)

いずれのオークションも落札率が高かったのは、通常のような価格に最低落札価格(リザーブ)が設定されていなかったからだと思われる。リザーブは通常は未公開だが、だいたい落札予想価格下限の80%前後に設定される。結果を見渡してみると、写真集掲載の有名作などは落札予想価格上限を超える価格で落札されている。しかし一部の不人気作は予想落札価格下限を大きく下回る1000ドル台でも落札されている。通常通りの最低落札価格が設定されていれば不落札だったと思われる。

MoMAオンラインオークションという、最高の来歴の写真作品でも、ブランド力が弱い写真家の市場性は相変わらず低いようだ。実際に昨年末に開催された、より知名度が低い20世紀の女性写真家のオンライン・オークション“MoMA:Women in photography”の落札率は約62%201710月に開催された“MoMA: Pictorialism into Modernism”の落札率は約52%同じく10月に行われた“MoMA: Henri Cartier-Bresson”でさえ落札率は約71%だった。
20世紀を代表する有名写真家による、MoMA収蔵作品でも、有名作以外は需要が思いのほか低いのが現状のようだ。ここ数年続いている市場の傾向がここでも明らかだった。
もし一連のオークションが15年位前に行われていたら状況はもっと良かったのでないか。有名写真家の銀塩モノクロ写真は、従来のコレクターが最も好んだカテゴリーだ。しかし、2010年代に入りベテラン・コレクターが亡くなったり引退し、また売り手に回ることで、購入サイドでの彼らの影響力が落ちてきている。一方でベビーブーマーやジェネレーションX世代が市場に参加してきたものの、彼らの好みは現代アート系や有名写真作品が中心なのだ。またコレクション構築に興味があるというよりもデコレーションの一環として写真を含むアート作品を購入する傾向が強い。オークションハウスはそれらのニーズの受け皿として、マルチ・ジャンルのオークションを企画している。新しい世代の人たちは、コレクションを通してアートや世界を学ぶという姿勢があまりないのだろう。個人的には、販売価格があまり変わらない、現役アーティストによる派手で大判サイズのデジタルによるコンテンポラリー写真よりも、有名写真家による地味で小ぶりの銀塩の20世紀写真の方が将来的には高い資産価値を持つと考える。しかし、そこにアート的価値があると気づくには、様々な経験の積み重ねと地道な勉強が必要となる。かつてのアート写真コレクターは学んで視野が広がることに喜びを感じていたものだ。ただし、もし多くの人が価値を見出さないと作品の相場は永遠に上昇しないで忘れ去られてしまうという冷徹な現実もある。はたして未来のアート写真は高級ブランド品と同じ贅沢品の一部と、それ以外になってしまうのだろうか?
今後の動向を注意深く見守っていきたい。

(為替レート 1ドル/110円で換算)

2018年アート写真市場 ジャンル横断のアート・オークションが開催!

今年のアート写真オークションはいよいよ今週からスタートする。

215日に、米国の中堅業者スワン(Swann Auction Galleries)“Icons & Images:Photographs & Photobooks”が例年通り開催される。アート写真、ヴァナキュラー写真、フォトブックなど、ほとんどが1万ドル以下の低価格帯作品332点が出品される。今回はフォトジャーナリズムが特集されており、ルイス・ハイン (1874-1940) の作品が数多く出品されている。
高額落札が予想されるのは、カタログの表紙を飾るハインの代表作“Mechanic at Steam Pump in Electric Power House, Circa 1921”。落札予想価格は7万~10万ドル(770~1100万円)。ややブームが去った感があるレア・フォトブックはわずか19点の出品にとどまっている。

Swann Auction Galleries NY Catalogue

春前のアート市場は閑散期となる。オークション・ハウスは新しいコレクターを獲得するために新たな切口でアート作品やコレクタブルの紹介を試みる。今年はササビーズが積極的で、ロンドンとパリでユニークな取り組みを行う。

ササビーズ・ロンドンでは、216日までのオンライン・オークションでエロティック・アートに特化した“Erotic Art Online”を開催。

Sotheby’s London

絵画、彫刻、ドローイング、ヌード系写真など78点が出品。ハーブ・リッツ、パトリック・デマルシェリエ、ミッシェル・コンテ、ヘルムート・ニュートン、ボブ・カルロス・クラーク、ベッティナ・ランス、荒木経惟などが含まれる。

215日には、“Erotic: Passion & Desire”オークションを開催。こちらにはやや高めの評価の、リチャード・アヴェドン、ロバート・メイプルソープ、ヘルムート・ニュートン、マン・レイ、トーマス・ルフなどのヌード写真が他分野の作品とともに出品される。

ササビーズ・パリは、お求めやすい価格帯の現代アート、家具などのデザイン、アート写真をまとめ販売する“NOW!”228日に開催する。

Sotheby’s Paris NOW!

続いてササビーズ・ロンドンでは、英国にゆかりのある低価格帯の、絵画、版画、アート写真、陶器などを取り扱う“Made in Britain”320日に開催。

一方、フィリップス・ニューヨークは、高額セクターを含む幅広い価格帯の写真表現を含む現代アート系作品のオークション“NEW NOW”228日に開催する。このシーズンに行われる新機軸のオークションは徐々に定着しつつあるようだ。

定例のニューヨークの大手業者のアート写真オークションは、世界最大のフォト・フェア“The Photography Show”45日から8日に開催されるのに合わせて開催される。クリスティーズが46日、フィリップスが49日、ササビーズが410日を予定している。

実は今年になってからクリスティーズでは昨年来から続いているMoMAコレクションのオンラインセールが行われている。
1月には“MoMA: Bill Brandt”“MoMA: Garry Winogrand”が開催。こちらの分析は近日中にお届けする予定だ。

(為替レート 1ドル/110円で換算)