ROCK ICONS展が3月29日からスタート
鋤田正義/グイード・ハラリ 珠玉のポートレート

ブリッツ・ギャラリーは、鋤田正義とイタリア人写真家グイード・ハラリによる20世紀ロックの伝説的ミュージシャンたちのポートレート写真展を3月29日(木)から開催する。

鋤田は日本、英国、米国、ハラリは欧州と活躍の地域は違うものの、70年代から90年代までの20世紀ロック黄金期のロック・アインコンを撮影してきた。撮影スタイルは違うものの、お互いの仕事をリスペクトする友人同士でもある。
二人は、ハラリが運営するイタリアのギャラリーでの写真展の際に知り合った。お互いにミュージシャンのポートレートを撮影してきたことからすぐに親しい関係となった。ハラリは熱心な音楽ファンの多い日本での作品展示を熱望して、今回の二人展開催となった。
本人は来日予定だったが、体調悪化でドクターストップがかかり急遽中止になってしまった。

鋤田正義といえば、デヴィッド・ボウイのポートレートを約40年にもわたり撮影し続けてきた写真家として知られている。本展でも、彼の膨大なアーカイヴスの中から、未発表を含む多数のボウイ作品が展示される。彼が時に語るボウイとのエピソードは二人の関係性が読み取れて興味深い。鋤田が撮影したボウイのポートレートが別格である理由がよくわかる。若かりし鋤田は、広告の仕事で資金稼ぎを行って、その時にしか撮れない被写体を求めて世界中を旅したいと考えていた。しかしボウイは、広告の仕事をあまりやるなと、よく鋤田にアドバイスしていたという。そういうボウイ自身は広告に出たりしていたので、鋤田はやや違和感を感じていたという。ボウイの80年の日本での広告の仕事では、最も信頼する写真家のはずの鋤田をあえて指名しなかったという。それは。ボウイが鋤田はアーティストであり、広告写真家ではないという、高いリスペクトを持っていたからだと思われる。

この辺りの価値基準は非常に分かりにくいので説明しておこう。欧米ではファインアート系と広告系の写真家は全く違うキャリアを歩み、仕事が重なり合うことはない。日本ではお金を稼ぐ広告写真家の社会的地位が高い。一方で欧米ではファインアート系の人は、お金よりも自由な表現を追求し、世の中に新しい視点を提供する存在として、社会的に尊敬されている。当然、鋤田は日本をベースに仕事をしており、当初は広告優先の価値観を持っていた。ボウイの広告撮影に指名されなかったときは残念に感じたそうだ。鋤田はボウイの趣旨を後になってから理解したという。彼はボウイとの付き合いの中で、アーティストとして社会で生きていく姿勢を学び実践していったのだ。
その結果、いまや彼のポートレート写真家としてのポジションは日本人としては別格と言えるだろう。海外の一流写真家は、どんな有名人を撮影してもそれは本人の作品として扱われる。それは両者は平等にアーティストだと考えられるからだ。作品は自由に発表できるし、ギャラリーではアート作品として取り扱われる。日本人写真家の場合は、ミュージシャンの方が地位が高く、写真家はただ指示通りに撮影するだけの場合が多い。テレビ局のカメラマンと同じような感じだ。もちろん写真を自由に使用することはできない。鋤田はただ単にボウイのヒーローズのLPジャケットを撮っただけの写真家ではないのだ。日本人で数少ない業界でアーティストとして広く認識されている写真家なのだ。

鋤田はただミュージシャンの写真撮影だけを行っているのではない。たぶんこの点もボウイからアーティストとして認められた理由なのだろう。俳優、文化人から一般人まで幅広い人を被写体にするほか、長年にわたりランドスケープやシティー・スケープの写真にも取り組んでいる。優れたアーティストは、マンネリに陥ることを恐れて、常に新しいテーマを追い求める。彼らは写真での表現者であり、お金稼ぎは重要と考えるが最優先順位ではないのだ。現在は、ボウイが亡くなったことから、ミュージック系のポートレート写真を撮影してきた写真家だと思われがちだ。しかし、彼には過去に撮影した膨大な作品アーカイヴスがある。いまその整理整頓に真剣に取り組んでいる。
過去に撮影した作品の現在の視点での再解釈も行っている。それには彼の代名詞のボウイのポートレートも含まれる。最近フィーチャーされる機会が多い、”Heroes”と同じく1977年に撮影された”Just for one day”。(本展でも展示中) 同作は長らく未発表だった。それは、ロックミュージシャンである強いイメージのボウイの表の顔の緊張が途切れて、リラックスして優しい表情を見せた瞬間をとらえた写真。ロックのカリスマの顔をしている”Heroes”のLPジャケット写真とまさに表と裏の作品だ。鋤田はずっとそれはボウイのイメージに似つかわしくないと考えて発表してこなかった。しかし、長い時間が経過し考え方が変化したという。いまではボウイの好きな写真の1枚だと本人が語るようになっている。

今後は、ミュージック系だけにとどまらないポートレート、そしてランドスケープやシティー・スケープの見直しや編集作業と共に、精力的に新作にも取り組んでいる。4月3日から5月20日、地元福岡県の直方谷尾美術館で鋤田正義 写真展「ただいま。」が開催される。同展では、彼のキャリアを網羅する展示が試みられる。どのような視点で彼のキャリア全体を一貫性を持って提示するか。今後は国内外の様々なプロジェクトで試行錯誤が行われるだろう。

本展は、日本におけるグイード・ハラリ作品のギャラリー初展示となる。彼は自らのギャラリーを設立して写真を販売するとともに、デザインにも関わって写真集やカタログまでを製作してしまう。実は本展のカタログ、ポスター、案内状のデザインも彼のスタジオが手掛けている。
彼のロック・ミュージシャンのポートレートは、いくつかのおおきなカテゴリーに分類できる。ボブ・ディラン、ボブ・マーレィ、エリック・クラプトンなどのカリスマ性を持つ強い被写体の時はモノクロのストレート写真で表現している。それ以外では、ミュージシャンに様々なポーズや動きを提案したり、様々な場所に連れ出したりして撮影。さらに写真をべースにして画像・色彩を重ねたりして全く新しい作品を作り上げている。それらは被写体との信頼関係がないと制作できない一種のコラボレーション作品とも解釈できる。撮影後に作品に手を加える作業や、被写体に過度の指示を与える撮影に対しては、様々な意見があるだろう。ミュージシャンのポートレートは、音楽が存在していた時代性がイメージに反映されると、見る側にはより魅力的な作品となる。優れた写真家は、被写体をストリートに連れ出したり、一緒に長期間行動することで、そのような作品を制作している。しかし、相手に信頼されないと、なかなか時代性が反映された写真は撮影できない。ミュージシャンの写真がアート作品になるか、単なるポートレートで終わるかは両者の関係性に強く影響される。ロックがビッグ・ビジネスなりに従い、かつてのように写真家に多くの自由裁量が与えられるケースは少なくなっている。ハラリ作品は、このような創作に厳しい状況であっても、写真家に作家性を発揮する可能性があることを示している。被写体の動きや、撮影のバックグラウンド、そしてポスト・プロダクションを駆使することで、音楽が奏でられていた時代の気分や雰囲気が表現可能なのだ。彼のミュージシャンへのリスペクトと、音楽への高い理解力がこれらの作品を製作可能にしているのだろう。単にデザイン性、奇抜さ、目新しさを追求したのではないと感じる。彼の様々な作品から音楽の背景にあった時代を感じられるか、ぜひ来場者自身の目で判断してほしい。

本展で紹介されるミュージシャンは、鋤田が、デヴィッド・ボウイ、マーク・ボラン、デヴィッド・シルヴィアン、イギー・ポップ、YMO (イエロー・マジック・オーケストラ)、忌野清志郎、シーナ & ロケッツ、SUGIZO(スギゾー)など、ハラリが、ピーター・ガブリエル、ボブ・ディラン、トム・ウェイツ、ルー・リード、ローリー・アンダーソン、ボブ・マーレィ、エリック・クラプトン、パティー・スミス、ケイト・ブッシュ、イギー・ポップ、坂本龍一、ジョニー・ミッチェルなど。モノクロ・カラーのよる様々なサイズの約45点を展示する。

展示予定作の一部は以下からご覧いただけます。
・鋤田正義 作品
http://blitz-gallery.com/sukita.html
・グイード・ハラリ 作品
http://blitz-gallery.com/Harari.html

なお本展ではブリッツは19時まで営業、日曜日もオープンする。ただし、月曜に加え火曜水曜も休廊なのでご注意ください。(ゴールデン・ウィーク中も同様)

(開催概要)
ROCK ICONS SUKITA X HARARI 鋤田 正義 / グイード・ハラリ
2018年3月29日(木)~ 5月20日(日) 1:00PM~7:00PM
休廊 月・火・水曜日
入場無料

ブリッツ・ギャラリー
〒153-0064  東京都目黒区下目黒6-20-29  TEL 03-3714-0552

日本の新しいアート写真カテゴリー クールでポップなマージナル・フォトグラフィー(10) なんで日本で写真が売れないのか Part-2

前回のパート1では、なんで日本で写真が売れないのかその理由を分析してみた。

繰り返すと、欧米のファインアートの世界では、写真展開催や写真集製作は、自分が社会に対するメッセージを伝える手段である。しかし、日本では制作側、見る側ともに写真を撮影して発表する行為自体が目的で、それがアート表現だと考えている。両者の価値基準が全く異なるということだ。
海外をベースに活動する日本人写真家が評価されたケースはあるが、世界で認められる写真家が日本から出てこないのは当たり前だといえる。評価されるべきメッセージ自体が発信されていないからだ。日本では、プロの写真家、先生の写真家、アマチュア写真家は、表現者としてみんな同じフィールドの中にいる。様々な価値基準を持つ集団が存在しており、その勢力拡大を目指すとともに、狭い範囲内で切磋琢磨しているのだ。
このような現状認識の上での、日本の新しい写真の価値基準の提案なのだ。

第3者による「見立て」は海外でも行われている。ただし、それに対する受け止め方が日本とは違う。西洋では新たな創作を行うためには、アーティストは自らがとらわれている思考のフレームワークの存在を意識して、それを破らなければならないと考えられている。
そのためには、多種多様な作品テーマに挑戦してマンネリに陥らない努力を行う。
優れた写真家はキャリアを通して変化しており、多種多様な作品の中に代表作があるのだ。またそのために、様々な意見を外部から取り入れ、自らをできる限り客観視して新たな視点を獲得するように努力する。
第3者の「見立て」は、作品アドバイスと同様の意味で、作品が無意識的に持つテーマ性に気付くきっかけになる。それが意識化されてアイデアやコンセプトに展開していくことが多い。

日本では、人間の本来持っている、思い込みや考えのフレームワークから抜け出すという意味が理解されない。第3者の「見立て」は作品のテーマ性発見にあまり役立たないのだ。同じテーマを長きにわたり追及する人が多いと感じている。

現代社会のシステムでは、一般論として、私たちは年齢を重ねるに従い能力や家庭環境などにより選別されていく。社会に出る段階ではすでに皆が違うスタート地点に立っている。どうしても自分の能力に近い人間関係の中で社会生活を送り、その世界にどっぷりとつかることになる。しだいに自分の知らない世界が存在するという意識が消えてなくなる。そして比較対象が少ないことから、狭い枠の中で自分はそこそこイケていると考えるようになり、人間の成長は止まってしまうのだ。西洋でアーティストがなんで尊敬されるかというと、その枠にとらわれないように悪戦苦闘している人だからだ。彼らの存在が人間社会の未来の多様性を担保すると考えられている。

日本は全く逆で、パート1でも触れたように、自分の持つフレームの中で表現を追及するのが作家活動だと思う人が圧倒的に多い。第3者からの「見立て」が自分の枠から外れている場合は重要視しないのだ。「見立て」を通しての写真家への働きかけは短期的には有効には働かない。
戦後日本には平等幻想があるとともに、いまでも共同体社会のセンチメントを無意識に持つので、周りも自分とたいして変わらないと考える傾向が強いからではないかと私は疑っている。

それゆえに日本では「見立て」は写真家を離れて第3者が独自に行う行為となる。多くの写真家は天才ではないので、ここの意識の違いはキャリア展開に非常に大きな影響を与える。
海外では、「見立て」やアドバイスがきっかけに若い写真家が優れたテーマ性の提示に成功することがある。しかし、日本では通常キャリアの後期になって複数の人からの「見立て」が積み重なることで、写真家の作品のテーマ性が徐々に認識されるようになる。時に数十年以上の長年にわたる作品制作の継続が必要となる。それが可能なのは、自らの写真表現が社会と何らかの関りがあり、継続するモーチベーションになっているからだと思われる。これはアマチュア写真家のように長期にわたってただ写真を撮影しているという意味ではない。ここでの作品継続の意味とは、何かに突き動かされて、被写体と一体になって一切の邪念を持たずに写真を撮影し、定期的に作品発表する行為のことだ。作品制作には、膨大な時間と資金が必要になる。社会的また金銭的な評価を求める人だと、短期的に結果が伴わないと継続するのは難しい。多くの人には、個展開催や写真集出版はキャリア上の思い出作りなのだ。

このように、日本の写真家の中には、自らがモーチベーションを持って作品制作を続けられる人と、写真を仕事や趣味で撮っている人が混在している。社会との関りから写真撮影を継続する人はいるのだが、彼らの多くは自らがメッセージを発信しない。誰かが隠れたテーマ性の「見立て」を行わないと、優れた才能は埋もれて忘れ去られてしまうだろう。
特に、広告写真家やアマチュアの中には、優れた作家性が発見されずに消えていった人が多数いるのではないかと疑っている。日本独自の新しいがアート写真が認知されないと、彼らを評価する価値基準が存在しないのだ。

最近は、「見立て」の行為に興味を持つ人への啓蒙活動がより重要だと感じている。日本には写真家はあまたいるが、「見立て」ができる人は圧倒的に少ないのだ。「見立て」には、その人の経験と知識の蓄積が重要になる。それなくして、作家性や作品のテーマ性に気づくことはないからだ。これは写真分野における、知的好奇心を刺激する高度な趣味的な行為だと思う。撮影はしないが、写真を通しての自己表現でもある。
おかげさまで、「写真の見立て教室」開催への問い合わせを数多くもらっている。どうも興味を持つ人がある程度の数はいるようだ。今後は、「見立て」ができる人を養成するような全く新しい写真のワークショップを春以降に開催したいと考えている。

日本の新しいアート写真カテゴリー
クールでポップなマージナル・フォトグラフィー(9)
なぜ日本で写真が売れないのか Part-1

いまや写真界では日本で写真は売れないというのが一般論になっている。私どものギャラリーの経験でも、特に日本人写真家による自然や都市の風景がモチーフの写真が売れ難いのは明確な事実だ。
私がよく引き合いの出す例は、アート写真のオークション規模の違いだ。ちなみに欧米では2017年に現代アートを除くアート写真だけのオークションが45回程度開催され、総売り上げは約79億円になる。日本にはアート写真だけのオークションはなく、SBIアートオークションのモダン&コンテンポラリー・アート・オークションのごく一部に写真が出品されるにとどまる。ちなみにギャラリーの店頭市場の規模は、オークションと同等から2倍程度といわれている。

その理由は、日本と欧米の住宅事情に帰せられる場合が多いが、状況を分析すると売れないのは当たり前なのがわかってくる。私はその状況を踏まえて、日本では全く新しい価値基準のアート写真カテゴリーが必要だと意識した。なんで写真の評価に第3者の「見立て」が必要なのか。本連載の読者により理解を深めてもらうために、今回は写真が売れない理由の説明を行いたい。

まず作家活動の意味や定義が海外のファインアートの世界と日本は全く違う事実を指摘しておきたい。念のために最初に述べておくが、これは日本と西洋とを比べてどちらが良いとか上だとかいうことではない。ただ価値基準が違うということ。この点を誤解しないでほしい。そして日本ではこの二つの全く違った価値観が混同されているという事実を伝えておきたい。

いま海外のファインアート分野で活躍する写真家は、社会の中で何らかの問題点を見つけ出して、それを写真を通して表現したり解決策を提示するアーティストなのだ。作品が売れるとは、そのメッセージの意味をコレクターが受け止めて、両者にコミュニケーションが生じることなのだ。日本でも、写真家は表現するという意味でアーティストといわれるが、それは海外とはやや意味合いが違う。アート系の学校の出身者や、海外べースで活動している人を除くと、最初に社会に何か伝えたいメッセージがあって写真を撮影する場合は圧倒的に少ない。また世間一般は、写真家は写真家であり、ファインアートのアーティストとは考えていない。多くの写真家にとって、自分の興味ある対象の写真撮影し、展覧会を開催したり、写真集を出版するのが作家活動なのだ。
また最近は、海外の現代アートの影響で、アイデアやコンセプトを撮影後に探してきて後付けする人も若い人中心に増えている。これは本質が伴わない、外見だけを現代アート風に仕立てた作品となる。
見る側の認識も同じで、展覧会に見に行って芳名帳に記載し、余裕があれば写真集を購入することが作家支援なのだ。

写真家は何もメッセージを発信していないし、見る側も何らかのメッセージを読み解こうという意識がない。だから写真が売れる、つまりアートコレクションの対象になるはずがない。日本では写真はアート作品ではなく商品なのだ。売れるのは、インテリア向けの飾りやすい絵柄の低価格帯の写真、商業写真家のクライエントや関係者が仕事上の人間関係で買う場合。親族・友人が社交辞令で買う場合などだ。しかし、コレクターとして作品のアート性を愛でて買うわけではないので、ほとんどが1回限りとなる。
そこには欧米的なアート史と対比してオリジナリティーを評価するような客観的な価値基準は存在しない。すべてが見る側のあいまいな感覚もしくはフィーリングでの判断となる。写真がアートになる以前の20世紀写真の基準がいまだに反映されがちだ。きれいな写真、うまく撮影された写真、クオリティーの高い写真、銀塩写真なのだ。また作品の客観的な基準がないことから写真家の知名度や経歴によって大まかな差別化が行われる。
それ以外にも撮影方法の目的化や学閥など、複数の価値基準が存在している。それぞれの人が自分の価値基準が普遍的だと考える傾向が強く、どうしてもそれぞれの基準に準じたコミュニティーが生まれやすい。

まとめてみると、欧米のファインアートの世界では、写真展開催や写真集製作は、自分が社会に対するメッセージを伝える手段である。しかし、日本では制作側、見る側ともに手段自体が目的で、それがアート表現になっている。両者の価値基準が全く異なるということだ。海外の基準やデザイン性で評価された日本人写真家は何人かはいるが、日本から世界に認められる写真家が出てこないのは当たり前なのだ。認められるためのメッセージ自体が発信されていないからだ。
これはアマチュア写真の世界と全く同じ構図となる。日本ではアマチュアの個展開催や出版もアート活動だと考えられている。プロの写真家、学校の先生の写真家、アマチュア写真家は、表現者としてみんな同じフィールドの中に存在している。このような現状認識ができて、初めて日本では欧米と違う新しいアート写真の基準が必要なのだと理解できるのだ。

次回は、日本と欧米の創作における決定的な考え方の違いなどに触れたい。

(Part-2 に続く)

2018年アート写真のオークションがスタート! アイコン的作品の人気が続く

今年のライブによるアート写真オークションは、2月15日に米国ニューヨークの中堅業者スワン(Swann Auction Galleries)の”Icons & Images:Photographs & Photobooks”でスタートした。出品作品の約86.6%が落札予想価格上限1万ドル以下の低価格作品中心のオークションとなる。落札結果はほぼ予想通りで、落札率は約73%、総売り上げは約166万ドル(約1826万円)だった。
ちなみに2017年の同オークションも、落札率は約73.9%、総売り上げは約158万ドルとほぼ同等の結果だった。

Swann Auction Galleries, Robert B. Talfor

今回注目点ははフォトジャーナリズムのルイス・ハイン (1874-1940) の24作品が出品されたこと。注目されていたカタログの表紙を飾るハインの代表作”Mechanic at Steam Pump in Electric Power House, Circa 1921”。落札予想価格は7万~10万ドル(770~1100万円)のところ、8.125万ドル(約893万円)で落札された。
最高額だったのは19世紀の英国出身写真家Robert B. Talforによる113点の歴史的写真アルバム “Photographic Views of Red River Raft, 1873″。(上の画像)
落札予想価格は1.8万~2.2万ドルのところ、9.375万ドル(約1031万円)で落札された。アートコレクションとというよりも歴史的な資料の価値が強い作品。美術館や公共機関が購入したのではないだろうか。

2月15日には、ササビーズ・ロンドン”Erotic: Passion & Desire”オークションが開催された。リチャード・アヴェドン、ロバート・メイプルソープ、ヘルムート・ニュートン、マン・レイ、トーマス・ルフなどの高額評価のヌード写真が絵画、版画、ドローイング、彫刻などとともに出品された。
総売り上げは約371万ポンド(5.56億円)。写真関連作品は18点が出品された。全体の落札率は約70%、写真は約77%だった。

写真の最高額はクリス・レヴィーンの、ケイト・モスをモデルにした立体感のあるレンティキュラー・プリントのライトボックス作品”SHE’S LIGHT (LASER 3), 2013″の7.5万ポンド(約1125万円)だった。(下の画像)

Sotheby’s London, “Erotic: Passion & Desire”, Chris Levine SHE’S LIGHT (LASER 3), 2013

レヴィーンは、ロンドンを拠点に活躍しているカナダ出身のアーティスト。セントラル・セント・マーチンズを卒業してから、光とアートを融合した“ライトアート”作品を制作。最新テクノロジーを駆使して光や画像を形にして、レーザー、LED、レンズ、ライトボックス、写真などによる斬新な官能的作品を作り上げている2004年、エリザバベス2世のホログラム(レーザー光線によって作られる3次元の立体写真)撮影に指名される。20世紀に最もアイコニックなイメージと言われるこの3Dポートレートシリーズがレヴィーンを一躍著名なアーティストにした。今回のケイト・モス作品は彼の代表作。100X150cmの大判サイズでAPを含めて2点しか制作されていない写真だが絵画に近い貴重な作品。

ササビーズ・パリは、低価格帯から中間価格帯までの比較的買いやすい価格帯の現代アート、家具などのデザイン、アート写真をまとめ販売する”NOW!”を2月28日に開催。住空間の中でのアートや関連商品を新しいコレクター層に提案するオークションとなる。総売り上げは約179万ユーロ(約2.32億円)。

写真関連作品は現代アート系から銀塩20世紀写真まで約60点が含まれた。全体の落札率は約75%だったが写真は約58%にとどまった。最高額はドイツ人写真家ギュンター・ザックス(1932-2011) の、1点102X102cmの大判カラー作品の8点組”Hommage a Warhol, 1991″で、3万ユーロ(約390万円)で落札。ナン・ゴールディンの69.8 x 101.5 cmサイズのチバクローム作品”GREER AND ROBERT ON THE BED, NYC, 1982″は、2.357万ユーロ(約306万円)で落札された。

2月28日には、ヘリテージ・オークションが約170点の”Online Photographs Auction”を開催。こちらは1000ドルから1万ドルの作品が中心、総売り上げは約14.2万ドル(約1562万円)だった。今後は、このような低価格帯の20世紀写真はコストのかかるライブ・オークションからオンライン・オークションにシフトしていくと思われる。

2月になって1月の米国の雇用統計のよるインフレ懸念と長期金利上昇を受けて、景気回復、低インフレ、低金利が続く適温相場が変調の兆しを見せてきた。金融市場では相場の乱高下が続き、どうも低ボラティリティーの時代は終焉を迎えてようだ。金利上昇などがアート相場に与える影響にについては皆がまだ予想できないでいる。先の見通しが不明確だとなかなか参加者も入札に強気になれないだろう。作品の選別化が進行していたアート写真市場にはどのような影響が出てくるのだろうか?今週ロンドンで行われる現代アート・オークションとともに、来月のニューヨークのアート写真定例オークションが注目される。

(1ドル/110円、1ポンド/150円。1ユーロ/130円)

 

スティーブン・ショアMoMAで回顧展開催
巨匠は良い写真やデジタル時代をどう考えているのか?

Stephen Shore MoMA回顧展カタログ

 

 

 

 

 

スティーブン・ショアー(1947-)は、70年代初期からカラーでシリアス作品に取り組んでいる。写真史ではウィリアム・エグルストンとともに70年代のニューカラーの代表写真家と分類されている。

ニューヨーク近代美術館(MoMA)では、2017年11月から2018年5月まで大規模な回顧展が開催されている。キューレションは同館のクエンティン・バジャックが担当、ショアーの一連の作品を新たな視点から紹介して、ニューカラーの写真家というステレオタイプのイメージを覆そうという挑戦を行っている。

同展は50年以上のショアーのキャリアを、60のテーマ別セクションで構成して紹介。10代に撮影されてMoMAに購入されたモノクロ銀塩写真、アンディ・ウォーホール・スタジオだったファクトリーの日常生活を撮影した作品、ファウンド・フォトのコラージュ作品、古き良きアメリカン・シーンを撮影した代表的なカラー作品、イスラエル、ヨルダン川西岸地区、ウクライナを探求した作品、最新のデジタルによるインスタグラム作品までを年代順に紹介している。

彼は使用するカメラや撮影手法をキャリアを通して変化させ、様々なフォームの写真作品に取り組んでいる。70年代には安価なオートマチック・カメラ、その後は8X10″の大判カメラに切り替えてカラーフィルムを使用する先駆者となる。1990年にはモノクロ写真に再び戻り、2000年代にはデジタル写真、デジタル・プリント、ソーシャルメディアによる新たな表現の可能性を追及している。

昨年、彼が行った記者会見の様子をMoMAのウェブサイトで見ることができる。彼の創作の背景にある深遠な思想が垣間見れて非常に興味深い。彼はどのように考えて様々な写真作品に取り組んでいるかを自分の言葉で明確に語れる人なのだ。私が興味を持ったのは、参加者からの質問への彼の示唆に富んだ回答だった。
写真を教えているという女性から、生徒はみんなスティーブン・ショアのような良い写真(good pictures)を目指している。どうすれば、あなたのような独自のオリジナリティーを持つことができるのか、というようなストレートな質問があった。彼はやや視点を変えると前置きして以下のように回答している。
「私や生徒が尊敬する良い写真はそれ自体を追及して生まれたのではない。写真家が何らかのヴィジュアルを通して解決したい問題点を持っていて、それを追及した過程で誰かが評価するものが生まれている。良い写真は結果的にたまたま生まれたもので、それを目指したものではない。良い写真を撮ろうと誰かの真似をするのは本末転倒だ」

アマチュア写真家は良い写真を撮ろうと悪戦苦闘する。自己表現するファインアート作家は、写真撮影の段取りが全く違うようだ。撮影前に何らかの問題点を世の中で見つけ出しており、写真を通してそれを提示・追及するとともに、それに対する答えを探している。
ショアーによればその制作過程で見る側がよいと感じる写真が生まれるというのだ。彼は決して、グラフィカルや色彩的にバランスが取れたヴィジュアルを良い写真と定義してないのがよくわかる。

私はショアーの言う良い写真は、見る側にとって意味がある写真のことだと思う。写真家がアーティストとして認められるには、提示されたテーマやコンセプトが見る側にも共有されなければならない。そのようなコミュニケーションが成立すると、見る側は写真に意味が見いだす、つまり良い写真になるということだろう。だから見る側の知識、経験、理解力によって、良い写真が全く違っているともいえるだろう。

インスタグラムなどが登場してきた現代写真界の現状についての質問もあった。70年代と比べて写真は進化したのか、変化したのかの意見を聞かせてほしいというものだった。
ショアーの回答は、「技術進化で誰でもカメラをいつでも持ち写真を撮る環境が訪れた。この事実はアーティストの写真による作品制作を何ら減少させることはないだろう。誰でも文字を書ける、伝票を書くし、法律的な文章も書く、しかしそれは小説家の仕事に影響を与えるわけではない。デジタル化で写真もそのようになったと考えればよい。誰でも写真を撮るが、偉大なアート作品はそれらとは違う」というようなものだった。

ショアーが例えた”文字”は国によって違い、また文法などがある。私は彼の意図は、写真が絵やイラストなどのヴィジュアルと同等になり、絵筆やペンのような制作手段の一つにデジカメやスマホが加わったという風に理解したい。写真デジタル化の良いところは、技術がなくてもそれなりの高いクオリティーのヴィジュアルが制作可能になったことだ。また現代アートが主流となったことで、作品クオリティー自体の追及が昔よりも重要視されなくなった。いまやすべての分野のアーティストが写真を使用する。デジタル化で写真は真に民主的な表現メディアとなったのだ。しかし子供を含めて、誰でも絵やイラストは描けるがプロのイラストレーターにはなれない。趣味で絵を描く人は、若い時から専門教育を受けてアート界でキャリアを積んできた画家にはなれない。同じようにいまや誰でも良い写真は撮れるが、それだけではスティーブン・ショアのようなアーティストにはなれないのだ。

ニューヨークを訪れる機会があればぜひ行きたい展覧会だ。それができそうもないファンは、MoMAのウェブサイトのヴィデオ映像を見て展示の気分を味わってはどうだろうか。またやや高価だが豪華なカタログを購入してもよいだろう。大手通販サイトでは日本にいても現地とほぼ同価格で購入可能だ。同書は、約400点にも及ぶ図版を駆使して、アーティストの広範囲な経歴の斬新かつ、万華鏡的な展望を行っている。独特の百科事典スタイルの本のフォーマットを通して、アーティストのテクニックと作品の多様性の提示を試みている。

・カタログは以下で紹介しています。

www.artphoto-site.com/b_977.html

・MoMAのウェブサイト

https://www.moma.org/calendar/exhibitions/3769

MoMAオンラインオークションの続報 いま20世紀写真は誰がコレクションするのか?

アート写真市場の本格的な幕開けは、ニューヨークで4月に行われる大手業者のオークションからだ。今年は、クリスティーズで昨年秋から断続的に行われているニューヨーク近代美術館(MoMA)の重複コレクションを売却するオンラインオークションが既に年初に行われている。124日締め切りが“MoMA: Bill Brandt”25日締め切りが“MoMA: Garry Winogrand”だった。二人はMoMAにゆかりの深い20世紀写真家として知られる。

“Bill Brandt: A Life” Stanford Univ Pr, 2004

英国人写真家ビル・ブランド (1904-1983)は、1941年のグループ展で展示されて以来、ドキュメントやヌードなどが何度も展示されている。初個展“Bill Brandt”1969年に開催、その時にプリントされた多くの作品が今回のオークションに出品されているという。その後、19831984年に2回目の個展“Bill Brandt 1905-1983”、死後の2013年にも “Bill Brandt: Shadow and Light”が開催されている。
本オークションでは、落札予想価格2000ドル~10000ドルの43点が出品。落札率は100%、総売り上げは43万ドル(約4730万円)だった。最高落札作品は、目部分を拡大したポートレート“Jean Arp, 1960”で、落札予想価格5000~7000ドルのところ35,000ドル(約385万円)で落札されている。(紹介している写真集“Bill Brandt A Life”の表紙は別作品)

“Garry Winogrand: The Game of Photography” Tf Editions, 2001

米国人写真家ゲイリー・ウィノグランド (1928-1984) は、ウォーカー・エバンスを崇拝し、ロバート・フランクをリスペクトしていたことで知られている。1955年にエドワード・スタイケンが企画した伝説的展覧会“The Family of Man”に選出される。スタイケンは、彼のプリント3枚を合計30ドルで購入したとのことだ。1963年には、同館の当時の新任写真部長ジョン・シャーカフスキーが企画した“Five Unrelated Photographers”に選出。ウィノグランドはシャーカフスキーの多大な影響を受けたことで知られている。
1967年には、これも写真史上重要な“New Documents”展にダイアン・アーバス、リー・フリードランダーとともに選出された。しかし彼は56歳という若さで亡くなってしまう。なんと死亡時には約2500本の未現像フィルムが残されていたという。それを整理するのには約4年の時間がかかり、1988年に死後の回顧展“Garry Winogrand : Figments from the Real World”が開催された。90年代には、コレクターのBarbara Schwartzが同館に約200点のウィノグランド作品を寄贈。その後、1998年には“Garry Winogrand : Selections from a major Acquisition”が開催された。今回のオンラインオークションの出品作はこの時の展示作品が多くを占めるとのことだ。こちらは、落札予想価格3000ドル~10000ドルの作品48点が出品。落札率は約96%、総売り上げは18.68万ドル(2054万円)だった。最高額は、“World’s Fair, New York City, from Women Are Beautiful, 1964″、こちらは1981年プリントのエディション80点の作品。落札予想価格8000ドル~12000ドルを超える16,250ドル(178万円)で落札。(上記写真集の表紙作品)

いずれのオークションも落札率が高かったのは、通常のような価格に最低落札価格(リザーブ)が設定されていなかったからだと思われる。リザーブは通常は未公開だが、だいたい落札予想価格下限の80%前後に設定される。結果を見渡してみると、写真集掲載の有名作などは落札予想価格上限を超える価格で落札されている。しかし一部の不人気作は予想落札価格下限を大きく下回る1000ドル台でも落札されている。通常通りの最低落札価格が設定されていれば不落札だったと思われる。

MoMAオンラインオークションという、最高の来歴の写真作品でも、ブランド力が弱い写真家の市場性は相変わらず低いようだ。実際に昨年末に開催された、より知名度が低い20世紀の女性写真家のオンライン・オークション“MoMA:Women in photography”の落札率は約62%201710月に開催された“MoMA: Pictorialism into Modernism”の落札率は約52%同じく10月に行われた“MoMA: Henri Cartier-Bresson”でさえ落札率は約71%だった。
20世紀を代表する有名写真家による、MoMA収蔵作品でも、有名作以外は需要が思いのほか低いのが現状のようだ。ここ数年続いている市場の傾向がここでも明らかだった。
もし一連のオークションが15年位前に行われていたら状況はもっと良かったのでないか。有名写真家の銀塩モノクロ写真は、従来のコレクターが最も好んだカテゴリーだ。しかし、2010年代に入りベテラン・コレクターが亡くなったり引退し、また売り手に回ることで、購入サイドでの彼らの影響力が落ちてきている。一方でベビーブーマーやジェネレーションX世代が市場に参加してきたものの、彼らの好みは現代アート系や有名写真作品が中心なのだ。またコレクション構築に興味があるというよりもデコレーションの一環として写真を含むアート作品を購入する傾向が強い。オークションハウスはそれらのニーズの受け皿として、マルチ・ジャンルのオークションを企画している。新しい世代の人たちは、コレクションを通してアートや世界を学ぶという姿勢があまりないのだろう。個人的には、販売価格があまり変わらない、現役アーティストによる派手で大判サイズのデジタルによるコンテンポラリー写真よりも、有名写真家による地味で小ぶりの銀塩の20世紀写真の方が将来的には高い資産価値を持つと考える。しかし、そこにアート的価値があると気づくには、様々な経験の積み重ねと地道な勉強が必要となる。かつてのアート写真コレクターは学んで視野が広がることに喜びを感じていたものだ。ただし、もし多くの人が価値を見出さないと作品の相場は永遠に上昇しないで忘れ去られてしまうという冷徹な現実もある。はたして未来のアート写真は高級ブランド品と同じ贅沢品の一部と、それ以外になってしまうのだろうか?
今後の動向を注意深く見守っていきたい。

(為替レート 1ドル/110円で換算)

2018年アート写真市場 ジャンル横断のアート・オークションが開催!

今年のアート写真オークションはいよいよ今週からスタートする。

215日に、米国の中堅業者スワン(Swann Auction Galleries)“Icons & Images:Photographs & Photobooks”が例年通り開催される。アート写真、ヴァナキュラー写真、フォトブックなど、ほとんどが1万ドル以下の低価格帯作品332点が出品される。今回はフォトジャーナリズムが特集されており、ルイス・ハイン (1874-1940) の作品が数多く出品されている。
高額落札が予想されるのは、カタログの表紙を飾るハインの代表作“Mechanic at Steam Pump in Electric Power House, Circa 1921”。落札予想価格は7万~10万ドル(770~1100万円)。ややブームが去った感があるレア・フォトブックはわずか19点の出品にとどまっている。

Swann Auction Galleries NY Catalogue

春前のアート市場は閑散期となる。オークション・ハウスは新しいコレクターを獲得するために新たな切口でアート作品やコレクタブルの紹介を試みる。今年はササビーズが積極的で、ロンドンとパリでユニークな取り組みを行う。

ササビーズ・ロンドンでは、216日までのオンライン・オークションでエロティック・アートに特化した“Erotic Art Online”を開催。

Sotheby’s London

絵画、彫刻、ドローイング、ヌード系写真など78点が出品。ハーブ・リッツ、パトリック・デマルシェリエ、ミッシェル・コンテ、ヘルムート・ニュートン、ボブ・カルロス・クラーク、ベッティナ・ランス、荒木経惟などが含まれる。

215日には、“Erotic: Passion & Desire”オークションを開催。こちらにはやや高めの評価の、リチャード・アヴェドン、ロバート・メイプルソープ、ヘルムート・ニュートン、マン・レイ、トーマス・ルフなどのヌード写真が他分野の作品とともに出品される。

ササビーズ・パリは、お求めやすい価格帯の現代アート、家具などのデザイン、アート写真をまとめ販売する“NOW!”228日に開催する。

Sotheby’s Paris NOW!

続いてササビーズ・ロンドンでは、英国にゆかりのある低価格帯の、絵画、版画、アート写真、陶器などを取り扱う“Made in Britain”320日に開催。

一方、フィリップス・ニューヨークは、高額セクターを含む幅広い価格帯の写真表現を含む現代アート系作品のオークション“NEW NOW”228日に開催する。このシーズンに行われる新機軸のオークションは徐々に定着しつつあるようだ。

定例のニューヨークの大手業者のアート写真オークションは、世界最大のフォト・フェア“The Photography Show”45日から8日に開催されるのに合わせて開催される。クリスティーズが46日、フィリップスが49日、ササビーズが410日を予定している。

実は今年になってからクリスティーズでは昨年来から続いているMoMAコレクションのオンラインセールが行われている。
1月には“MoMA: Bill Brandt”“MoMA: Garry Winogrand”が開催。こちらの分析は近日中にお届けする予定だ。

(為替レート 1ドル/110円で換算)

アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(連載) (5)
“The History of Fashion Photography”の紹介

アート系ファッション写真の意味はよく誤解される。それは洋服の情報を提供している写真が単純にアート作品になるという意味ではない。ファッションの意味を辞書でひくと、流行の洋服以外に、時流、風潮のような幅広い意味を含んでいる。ここではファッションを幅広い意味で解釈した、時代性が反映された写真がアート作品になりうると理解してほしい。

この点の理解をより深めるために、私たちの生きている時代は、どのようにアーティストによって作品として提示されるかを考えてみよう。
いま主流の現代アート系の人は、時代にある様々な価値基準を頭で色々と考えてテーマとして抽出する。一方でアート系ファッション写真は、人々が心で感じる、言葉では表せない時代の気分や雰囲気をヴィジュアルで提示しているのだ。時代の価値を作品として提示するのは同じなのだが、一方は頭で考えるもの、他方は心で感じるものとなる。ファッション写真家の作品が過小評価されていたのは、多くの自由裁量が与えられるファッション誌のエディトリアル・ページの仕事やファッション的なパーソナルワークがある一方で、クライエントの意図が強く反映される、高額のギャラが支払われる広告写真が共存するからだ。欧米のアート界では、広告はアートと比べて一段低く見られる。日本とは全く逆の構図なのだ。
それは、リチャード・アヴェドンのような大物でも例外でなかったようだ。昨年、彼の長年のマネージメントを担当していたノーマ・スティーブンスらによって書かれた“Avedon: Something Personal”という一種の暴露本が発売された。それによると、アヴェドンが存命中に行った数々の美術館の展覧会に対して多くのアート評論家の評価は厳しいものだったそうだ。アヴェドンは、常にファッション写真家を超えてアーティスととしての評価を期待していた。しかし、レヴロン、シャネル、ヴェルサーチなどの高額ギャラの広告も手掛けるアヴェドンの作家性は、当時の正統なアート界には理解してもらえなかったのだ。

さて、ずっと過小評価されていたファッション写真にアート性が見いだされるきっかけの一つは、ニューヨーク州北東部ロチェスター市にあるジョージ・イーストマン・ハウスにあるInternational Museum of photography 1977625日~102日に開催され、その後に全米を巡回した“The History of Fashion Photography”展なのだ。
前回に美術館や公共機関で開催されたファッション写真の展覧会のカタログをリスト化した。今回はリストの最上位の、1979年に Alpine Book Co.Inc New Yorkより刊行された同展のカタログの内容を紹介しよう。

キュレーション担当はナンシー・ホール・ダンカン。最初の系統だったファッション写真の歴史を記した解説書だと同書紹介文には書かれている。表紙はサラ・ムーンのフレンチ・ヴォーグ1973年2月号掲載の作品。
“The Beginnings”“Pictrialism”“Modernism”“Realism”“Surrealism and Fantacy”“The Hiatus:World War II”“Avedon and Penn”“The Photographer-Hero”“The Seventies”の9章で構成されている。
イントロダクションには、ファッション写真の中身は洋服だけではなくそれを身にまとう人の態度や習慣を現している。それは文化と社会においての、人々の希望やテイストのコンパクトな索引のようなものです。それはモードの移り変わりを提示しますが、最高のファッション写真はただの流行を超越して、その時代が持つスタイルが反映されています。その時代の人々の自己イメージとともに、夢や欲望を反映していますと書かれている。
現在のアート系ファッション写真の解説とほぼ重なるといえる。しかし、当時はここで書かれている内容の意味は多くの人には理解されなかったと思う。

紹介されているのは以下の写真家。簡単なプロフィールも巻末に掲載されている。

“Avedon and Penn” page 144-145

James Abbe, Diane Arbus, Richard Avedon, David Bailey, Cecil Beaton, Bissonnais and Taponnier, Erwin Blumenfeld, Guy Bourdin, Anton Bruehl, Hugh Cecil, Henry Clarke, Clliford Coffin, Louise Dahl-Wolfe, Baron Adlf de Meyer, D’Ora, Andre Durst, Joel, Feder, Felix, John Fremch, Toni Frissell, Arnold Genthe, Hiro, Emil Otto Hoppe, Horst P. Horst, George Hoyningen-Huene, Andre Kertesz, Art Kane, William Klein, Francois Kollar, Herman Landshoff, Remie Lohse, George Platt Lynes, Henri Manuel, Frances McLaughlin-Gill, Harry Meerson, Lee Miller, Sarah Monn, Jean Moral, Martin Munkacsi, Arik Nepo, Helmut Newton, Norman Parkinson,  Irving Penn, Phillipe Pottier, John Rawlings, Man Ray, Charies Reutlinger, Bob Richardson, Peter Rose-Pulham, Egidio Scaioni, Seeberger Freres, Charies Sheeler, Jeanloup Sieff, Edward Steichen, Bert Stern, Maurice TRabard, Deborah Turbeville, Chris von Wangenheim

リストを一覧するに、今では名前を聞かない写真家の名前が数多く見られる。本書が書かれた70年代後半の時点では、写真自体がまだコレクションの対象としては目新しいカテゴリーだった。ましてや広告の匂いがするファッション写真がアート作品としての市場性を持つとは多くの人は考えていなかった。現在では、写真家が撮影時の時代性を的確に感じ取り、それが反映されたファッション写真が評価されるようになっている。たぶん当時のファッション写真家は、知名度や露出度などを基準に評価されていたのだと思う。

1979年に写真コレクションのガイドブック“Photographs : A Collector’s Guide”(Richard Blodgett著、Ballantine)が刊行されている。同書がファッション写真でコレクション候補として挙げているのは、Erwin Blumenfeld, Horst P. Horst, Richard Avedon, Irving Penn, George Platt Lynes, James Abbe
ちなみにペンの相場は7002000ドル、アヴェドンの8X10″プリントが300900ドル、ホルストが200600ドルと記載されている。ちなみに1979年のドル円の為替レートの平均は1ドル/219円。

写真家のセレクションはともかく、今に至るアート系ファッション写真の歴史はこの展覧会から始まったのは間違いない。資料的価値が高いので、この分野に興味ある人はぜひ同展のカタログを古書市場で探してみてほしい。なお本書は、ハードカヴァーとペーパーバックがあり、英語版とフランス語版がある。フランス語版は安いが読めない人は注意してほしい。流通量は多いが、ダストジャケットの状態が悪い場合がある。古書の相場は普通状態で10,000円~。

2017年に売れた写真集
“All about Saul Leiter “が1位 !

アート・フォト・サイトは、ほぼ毎週ごとにおすすめのフォトブックを紹介している。毎年、それを通してのネット売り上げをベースに、ギャラリー店頭での動向を参考にして、独自のフォトブック人気ランキングを発表している。
最近は大手通販サイト経由ではなく、独自のネットワークやフォトブック専門店のみで販売する出版社、ギャラリー、美術館、写真家も多くなっている。また発行部数が少ない人気写真家の限定フォトブックなどは、市場に出回る前に完売する場合もある。
いまや複雑化したフォトブック流通を完ぺきに網羅する人気ランキングの集計は非常に困難といえるだろう。それぞれの専門店、オンライン・ブックショップごとのランキングが存在する状況だと考えている。

こちらの洋書ベスト10″も、できる限りの客観性を心掛けているが、あくまでもコレクションのための参考資料だと捉えてほしい。さて、2017年の速報データが揃ったので概要を紹介しよう。

All about Saul Leiter 青幻舎 2017年

1位は、“All about Saul Leiter ソール・ライターのすべてだった。これは20174月に東京のBunkamura ザ・ミュージアムで開催され、約8万人という記録的な来場者を動員したというニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展に際して刊行された展覧会カタログ。ソール・ライター財団全面協力により制作された、完全日本オリジナル作品集。
初期のストリートフォト、広告写真、プライベートヌード、ぺインティングなど約200点とともに、アトリエ写真、愛用品などの資料も収録。彼の、人生観、情緒的表現、浮世絵の影響を感じされる構図、色彩などを探求している。サイズはコンパクトだが、豊富な図版や情報が詰まっているわりに2,500円(税別)と非常に魅力的な価格設定だった。

2016年の1位は、荒木経惟の復活した名作フォトブック「センチメンタルな旅」だった。これで2年続けて洋書と比べて価格が為替で変化しない和書のフォトブックが1位を獲得した。

また5位には、これも20174月に三島のIZU PHOTO MUSEUMで開催されたテリ・ワイフェンバックの“The May Sun”展のカタログが入った。同書は、ハードカヴァーの高品位印刷による限定の大判豪華本。それにも関わらず3,500円(税別)という非常に良心的な値段設定だったことが印象的だった。すぐに完売したので、発行部数が多かったら売り上げも伸びたと思われる。

洋書は、ここ数年の急激な円安で販売価格が上昇し、売上高・販売冊数の減少傾向が続いていた。2016年は英国のEU離脱や米国大統領選挙の不透明さから為替が円高方向に戻って、ドル・円の為替で108.7929円となった。しかし、2017年の平均は112.1661円と再びドル高に戻り、洋書価格が上昇傾向になった。従って、売上高・販売冊数ともに2016年よりも減少している。

1年前の1月と比べると、売れ筋のスティーブン・ショアーの“Stephen Shore: Uncommon Places: The Complete Works”5,042円から6,631円へ、“Morandi’s Objects, Joel Meyerowitz”4,227円から5,805円、“Sarah Moon: Now And Then”4,136円から5,957円へと、かなり値上がりしている。(価格は日々変動している)人気の高いヴィヴィアン・マイヤーの定番フォトブック“Street Photographer”2011年の刊行当時は3,500円だったがいまは4,685円だ。
為替の影響以外にも、洋書の販売価格はドル高時、そして版元の在庫冊数が減少すると割引率が悪くなる傾向があるの点を付け加えておこう。販売業者が、為替差損を回避したいという心理が働くからだ。
また2017年に刊行された注目フォトブックは、当初の販売価格がかなり強気の設定だったと感じた。“Stephen Shore: Selected Works 1973-1981”9,500円、Stephen Shoreのニューヨーク近代美術館での回顧展カタログが8,900円、アーヴィング。ペンのメトロポリタン美術館のカタログが8,200円、リチャード・アヴェドンの“Nothing Personal”8,400円、ウィリアム・エグルストンの“Election Eve”10,100円、リー・フリードランダーの“The American Monument” 18,000円と、かなり高価なのだ。アート写真の表現の一部と考えると安いのだが、コレクターではないと気軽に何冊も購入とはいかないだろう。
しかし、その中でマイケル・デウイックの“The End: Montauk”と、リー・フリードランダーの“The American Monument” (ランク外)は高価な割に売れていた。この2冊はともに伝説のフォトブックの再版。初版は、古書市場で高価なことを知っているコレクターが入手したのであろう。

2017年を振り返るに、高価でもアート写真コレクションとして価値があるものと、ソール・ライターやテリ・ワイフェンバックのように低価格で高品質の、お値打ち感の高い展覧会カタログが売れる傾向が顕著だったといえるだろう。中途半端な、写真家のブランド、価格、内容、装丁のフォトブックはかなり売れにくい状況になっている。
フォトブックは、アート写真分野で低価格帯に分類される。その主要な購入者は中間層だと言われている。もしかしたら、最近よく言われる、中間層の収入の伸び悩みと、貧富の差の拡大がフォトブック市場にも影響を与えているのかもしれない。

 2017年フォトブック人気ランキング

  1. All about Saul Leiter ソール・ライター(和書)、青幻舎 2017
  2. Stephen Shore – Uncommon Places: The Complete Works スティーブン・ショア、Aperture 2014
  3. Wolfgang Tillmans: Concorde ウォルフガング・ティルマンズ、Walther Konig 2017
  4. Vivian Maier: Street Photographer, 2011 ヴィヴィアン・マイヤ、powerHouse Books 2011
  5. Terri Weifenbach The May Sun テリ・ワイフェンバック(和書)、IZU PHOTO MUSEUM 2017
  6. Ryan McGinley: The Kids Were Alright ライアン・マッギンレイ、Skira Rizzoli 2017
  7. Avedon’s France: Old World, New Look リチャード・アヴェドン、Harry N. Abrams 2017
  8. The End: Montauk, N.Y., Michael Dweck マイケル・デウィック、Ditch Plains Press 2016
  9. Holiday Purienne Holiday ヘンリック・プリエンヌ、Prestel 2017
  10. Hiroshi Sugimoto: Gates of Paradise 杉本博司、Skira Rizzoli 2017

 

フランク ホーヴァット写真展
シャネル・ネクサス・ホール:パリ発 新時代のファッション写真誕生

フランク ホーヴァット(1928-)は、主に50年代から80年代にかけて取り組んだファッション写真で知られるフランス在住の写真家。70年にも及ぶキャリアで、フォトジャーナリズム、ポートレート、風景など幅広い分野の作品に取り組んでいる。

For “STERN”, shoes and Eiffel Tower, 1974, Paris, France ⓒ Frank Horvat

本展は、初期のルポルタージュから、ファッション、1976年制作の“The Tree”2000年代のラ・ヴェロニクシリーズまでの約58点でキャリアをコンパクトに紹介している。展示の中心となるファッション写真には、1951年にフィレンツェで撮影された最初の作品から、欧州時代のジャルダン・デ・モード、米国時代のハーパース・バザー、英国時代のヴォーグ 英国版などに掲載された代表作が含まれている。彼の写真展は、198812月に青山ベルコモンズで開催された「フランク・ホーヴァット写真展 – Mode, Paris, 60’s-」以来ではないだろうか。しかし、同展はタイトルの通り、60年代のファッション写真の展示だった。彼の幅広い分野の写真を紹介する回顧展は今回が日本初となる。

ホーヴァットのキャリアを振り返っておこう。
彼は、オパティア(現クロアチア領)生まれ。父はハンガリー人、母はオーストリア人で、ともに医師だった。20歳の時に、ミラノのブレラ画塾でデッサンを学ぶ。しかしその後は写真分野で頭角を現し、イタリアの新聞などの仕事を行うようになる。1951年にパリを最初を訪れ、アンリ・カルチェ=ブレッソンやロバート・キャパらに出会っている。1952年からは約2年間の予定でインドを訪問し、それらのフォト・ジャーナリスト的写真は “Paris Match” ” LIFE”などに掲載。本展でもインドでの作品が数点展示されている。1955年ニューヨーク近代美術館で開催された「ファミリー・オブ・マン」展にも参加した。

1956年に、パリに移住。その後、当時の欧州でもっとも革新的なファッション雑誌ジャルダン・デ・モードと契約する。1957年、雑誌カメラが彼の作品“Paris Au Teleobjectif”シリーズを掲載。それを見たジャルダン・デ・モードのアート・ディレクターだったジャック・ムータンから、レポルタージュの精神でファッション写真を撮るようにアドバイスを受ける。当時のホーヴァットはファッション写真の経験はなく、またスタジオも持っていなかった。彼はムータンのアドバイスを参考にして、自らが自然にふるまえて、リラックスできる環境の野外にモデルを連れ出して撮影を行う。また迅速に動けて、ルポルタージュでの撮影に近いカジュアルな撮影アプローチを取り入れるために、ファッション写真を35mmライカで撮影した。それは、今までにない革新的なファッション写真への取り組み方法だった。
ちなみに、カルチェ=ブレッソンはこのドキュメント的なファッション写真に批判的だったという。

“Please Don’t Smile”(Hatje Cantz)

ホーヴァットは、またモデルである女性へのリスペクトにも心を砕いた。2015年に刊行された写真集のタイトル“Please Don’t Smile”(Hatje Cantz)象徴しているように、男性目線を意識した笑顔の女性像ではなく、自立した女性像の表現を意識したのだろう。また彼は当時は当たり前だった、モデルの過度のメイク・アップを好まなかった。このアプローチは、60年代英国のスウィンギング・ロンドンのイメージ・メーカーだった、ブライアン・ダフィー、デビット・ベイリー、テレス・ドノヴァンを思い起こす人は多いのではないか。彼らはそれまで主流だったスタジオでのポートレート撮影を拒否し、ドキュメンタリー的なファッション写真で業界の基準を大きく変えた革新者だった。いまでは当たり前のストリート・ファッション・フォトの先駆者たちだったといわれている。
ちょうどファッションは注文服のオートクチュールから既製服のプレタポルテへの移り変わっていた。ロンドン同様にパリの若者層でも新しい時代を反映したヴィジュアルへの渇望があったのだ。ホーヴァットの、モデルのパーソナリティーを重視した、人形ではない生身のリアリティーを持つ女性像はまさに時代の流れに合致していたのだ。

当時のファッション写真家のあこがれは、戦後の経済発展を謳歌していた米国でハーパース・バザー誌の仕事を行うことだった。ちょうどジェット航空機が就航して大都市間の移動が容易になった時期と重なり、ファッション写真は一気の国際化する。
1961年、ホーヴァットもニューヨークへ行き、新たなキャリア展開を模索する。当時は、彼以外にも、ジャンルー・シーフ、デビッド・ベイリーなどもキャリア・アップを目指して渡米している。ホーヴァットとシーフはニューヨークのスタジオを半年にわたり共同利用した時期もあったという。米国の編集者は欧州のテイストを誌面に持ち込むことを好んだ。彼は、当時のハーパース・バザー誌のアート・ディレクターだったマーヴィン・イスラエルに気に入られ、1962年~1965年にかけて同誌の仕事を行っている。

この時代、多くの写真家は経験を積むに従い、ファッション分野でいくら表現の限界に挑戦しても完全なる自由裁量が与えられない事実に気づくことになる。ファッション写真の先に自由なアート表現の可能性はないと失望して、ギイ・ブルダンやブライアン・ダフィーのように燃え尽きる人も多かった。ホーヴァットも創作に退屈してしまい、自らが刺激を感じなくなる。写真も次第にマンネリ化して、ワンパターンの繰り返しに陥ってしまう。
写真史家マーティン・ハリソンは、戦後ファッション写真の歴史を記した著書の「Appearances」で、ホーヴァットのファッション写真の最盛期は1957年から1964年としている。しかし彼は燃え尽きることなく新たな方向性を模索し、て再び創作意欲を取り戻し1979年に写真集“The Tree”を発表している。

Walnut tree,1976, Dordogne, France (c) Frank Horvat

90年代になって、優れたファッション写真は、単に服の情報を伝えるだけのメディアではないと理解されるようになりそのアート性が市場でも認識されるようになる。ホーヴァットが自らのファッション写真の延長線上にアート表現の可能性が描けなかったのは非常に残念だ。

本展の見どころは、5060年代の代表的なファッション写真とともに、あまり知られていなかったキャリア初期のパリのストリートなどで撮影されたドキュメント的なスナップだろう。
1956年のナイトクラブでの写真は、当時のパリの猥雑な雰囲気を感じさせる作品が数多く含まれている。また、展覧会フライヤーでメイン・ヴィジュアルとして採用されている、パリの路上でキスしているカップルを真上から撮影した写真“Quai du Louvre, couple, 1955, Paris”などは、戦後の自由な新しい時代の気分の芽生えが伝わってくる。これらは、いまでは時代性をとらえた広義のファッション写真となる。それらの作品をみた、当時のアートディレクターや編集者が彼にファッションを撮らせてみよう、と考えたのは容易に察しがつく。

Quai du Louvre, couple, 1955, Paris, France ⓒ Frank Horvat

展覧会ディレクターのダルガルカーによる作品セレクションは、優れた時代感覚を持つ写真家によるドキュメント的写真が、時代性をとらえたファッション写真だと認識されるようになる過程を見事に提示していると評価したい。パリでストリート発の新時代のファッション写真が誕生した背景が垣間見える。
また限られた空間展示数の中で、ファッション以外の作品を巧みに組み合わせて展示していた。ホーヴァットの持つ、幅広い創作ヴィジョンを見る側に提示しようという意図が強く感じられた。アート写真やファッションに興味ある人には必見の写真展だろう。

なお本展は例年通りに、20184月にKYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭のプログラムとして京都に巡回予定とのこと。

・フランク ホーヴァット写真展 Un moment d’une femme

会期:2018117() – 218() 無休
時間:12:00 – 20:00 / 入場無料
会場:シャネル・ネクサス・ホール
住所:東京都中央区銀座3-5-3シャネル銀座ビルディング4

http://chanelnexushall.jp/program/2018/un-moment-dune-femme/