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ファインアート写真は何を表現するのか(3)
定型ファインアート風景写真の可能性

・はじめに
前回に紹介したオマージュ作品への取り組み。しかし、それには本当に自分が尊敬、敬愛するアーティスト/写真家との出会いが必要になる。最初から好きな人の作品のスタイル、アイデア、コンセプト、テーマ性などを取り上げて、それらを意識して、その枠やルールの中で表現を行うアプローチになる。しかし、そこに行きつくまでには、美術館/ギャラリーでの実物の作品鑑賞/コレクションなどの経験の積み重ねや、関連フォトブックなどの資料収集。読み込みが必要になる。どうしても時間も費用もかかってしまう。特にコスパやタイパを重視する学生や若手/新人には敷居が高いかもしれない。

・定型のオマージュ作品
そこで、いま何を撮ってよいかわからない人のために、今回はオマージュ作品を特定のアーティストや作品ではなく、一般的なスタイル、アイデア、コンセプト、テーマ性などに絞り込んで、その定型ルールの中で表現するアプローチを紹介したい。これは日本文化の背景を思い浮かべたときに閃いたファインアート写真の可能性だ。日本には伝統的に、定型表現のルールあり、その中で創作を行う茶道、華道がある。また定型詩の俳句や、短歌の叙景歌などもある。

既存のルールに従う撮影なので、自らが創作の理由、動機、方法を見つける必要がない、すぐに創作を開始できる。また写真撮影を通して、思考(思い込み)にとらわれずに自由に自分と向き合えるメリットがある。エゴ/邪念がないので、自尊感情への良い影響や、自己発見につながる可能性もあるだろう。今という瞬間に生きた時のビジュアルの記憶/記録行為にもなる。

・定型ファインアート風景写真
このような定型創作のひとつに定型ファインアート風景写真がある。撮影対象は自然/都市やストリートのスナップ的な写真になる。自分で撮影するほかに、ファウンド・フォトや古写真など、第3者の作品をこの視点で見立てた上でセレクションするアプローチもある。

Photographs By Toshiya Momose

なぜ風景の定型ファインアート写真なのか、という突っ込みが入るかもしれない。20世紀から現代までの写真の歴史を俯瞰するに、タイル、アイデア、コンセプト、テーマ性が提示されないが、似通った視点を持って撮影された自然や都市風景を対象とした作品群があり、カテゴライズされることなく、大きな鉱脈のように横たわっている事実に気付いたのがきっかけだ。それらの写真では、撮影者は無心の状態で自然や世界と対峙しており、心が動いた瞬間をとらえたビジュアルなのだ。例えると、瞑想しているときに目の前に立ち上がったシーンを、一瞬我に返って撮るような写真なのだ。心から邪念が消えると、普段は誰も気づかないシーンが目の前に立ちあがってくることがある。頭で考えるのではなく、心で「はっ、ドキッ」と感じる、カオス世界の中に調和して美しく整っている奇跡的な瞬間を発見して写真で表現している。

・撮影時の意識について
撮影時の前提となる写真家の意識は、いま存在している宇宙や自然界、また都市のストリートの混沌の中で、誰も気付かない、見たことがないような、心が揺さぶられる美しいシーンが発生しており、今この瞬間にも存在するはずという感覚があると想像している。参考になるのは、ネイチャー・ライティング系作家アニー・ディラードの「ティンカー・クリークのほとりで」(1974年刊)の世界観。”美しさと優雅さは私たちがそれらを感じるかどうかに関係なく出現している。我々ができるせめてものことは、その場所に行こうとすることです”という認識。
親和性があるキーワードは「禅/Zen」。自我が消えた精神状態で風景と対峙する。写真を撮ること自体が、「今という瞬間に生きる」という禅の奥義につながる。「瞑想や座禅のように、いまに生きる」手段の実践として、ここでの写真撮影がある。

Photographs By Terri Weifenbach

・取り組み方法
定型ファインアート風景写真の取り組みは、自動で浮かんでくる様々な思考/雑念(記号消費などを含む)をスルーして、頭から消し去ることから始まる。それは今この瞬間に生きるという、瞑想やマインドフルネスの実践に近いともいえる。そして、よい写真、他人の評価などのエゴを捨てて、無心状態で世界と対峙して心で何かを感じた瞬間に写真を撮る。写真撮影を通して、自らを客観視して、自分らしさを取り戻し自由な人生を探求する行為になる。現代社会におけるこのような撮影行為の実践自体が定型ファインアート風景写真の作品コンセプトだといえるだろう。
また無心で撮影している風景写真作品は、社会生活の中で様々な思い込みにとらわれている人たちに提示される。見る側にも、自分を客観視して違う視点から見直すきっかけを提供する。

・2種類のタイプ
定型ファインアート風景写真は、撮影時に被写体に近寄ったものと、離れたものの2種類に分類できる。独断と偏見でセレクションした、それぞれに該当すると思われるフォトブックのリストも掲載しておく。このカテゴリーに含まれると思われる写真を撮影しているのは、ソール・ライター、ウィリアム・エグルストン、ルイジ・ギッリ、リチャード・ミズラック、テリ・ワイフェンバック、ヴィヴィアン・サッセン、ヴィム・ヴェンダース、ジョン・ポーソンなど。またスティーブン・ショアーやマイケル・ケンナの初期作、藤原新也、百瀬俊哉などの自然/都市の風景写真の中にも同じ視点の作品が発見できる。

A.  フラクタル的要素を持つシーンの発見(接写/近景) 
AIによると、“フラクタルとは自己相似性を持つ図形のことで、自然界に多く存在するものの一つ。フラクタルは、繰り返しの規則性を持ちながら、その形状が複雑であるため、美しいとされている。また自己相似性を持つため、どこから見ても同じような形状をしており、その形状が複雑であるため、美しいとされている”と説明されている。
年代を経て劣化/風化した建物の一部、壁面、ポスターなどの都市に存在するシーンのなかに、際立った色彩やグラフィカルな調和、侘び/寂び/渋みを発見して撮影。「やつれ」、「風化美」という、被写体の持つ古さや使用感、経年変化などの味わい深さを見出す。
通常よりも被写体に近寄って撮影されており、平面や人工物、空間、人物などの複数要素が重なって偶然に生まれるシーンだ。複雑性や規則性を持つフラクタル的な微妙な調和の美を、自然ではない人工的な要素を含むカオス化している都市風景のなかに見出す。

・“Places Aaron Siskind Photographs” Aaron Siskind, Light Gallery1976
・“Kodachrome” Luigi Ghirr,i Mack 2013
・“Waiting for Los Angeles” Anthony Hernandez, Nazraeli Press 2002
・“Tingaud Intérieurs” Jean-Marc Tingaud, Contrejour 1991
・“Pikin Slee” Viviane Sassen, Prestel 2014

B.   偶然から生まれたシーンにある必然的な美(中景/遠景) 

自然が彫刻的と呼べるような3次元の美を偶然に目の前の世界に作り出す。対象は自然や、人工的な都市や建造物、もしくはその組み合わせ。それに太陽光線、月の光、闇、霧、雨、雪、虹、雲などの天候や自然現象が関係して、3次元のシーンの中にフラクタルのような美を偶然的に作り出している。

・“Democratic Forest” William Eggleston, 1989
・“Written in the West” Wim Wenders, Schirmer Mosel 1987
・“Kodachromes” William Christenberry, Harry N.Abrams 2010
・“Topologies” Edgar Martin, Aperture 2008
・“HENRY WESSEL” Henry Wessel, Steidl 2007
・“Early Color” Saul Leiter, Steidl 2006
・“Hyper Ballad: Icelandic Suburban Landscape” Takashi Homma, Swaitch Pub. 1997
・“A Visual Inventory” John Pawson, Phaidon 2012

・注意点/撮影場所
一見すると、定型ファインアート風景写真に表層は似ているが、実は全く違う種類の写真も存在するので注意が必要だ。それらはグラフィックや色彩のデザイン的な視点で撮影されたもので、インテリアへの展示を目的とした写真となる。また20世紀写真では、モノクロや色彩で抽象化された世界に価値を見出していた。それらはグラフィック・デザイン感覚を生かして写真での抽象表現が目的化したスタイルなので勘違いしないようにしたい。また意識して何気ないシーンやありきたりの風景を撮影するのは、ミイラ取りがミイラになるので注意が必要だ。

撮影場所についても触れておこう。世界中を移動すれば確率的にそのようなシーンを発見する可能性は高まる。旅は非日常に身を置くことで、自らを日常のマンネリから脱して客観視するきっかけを無理やり提供してくれる。しかし世界に対して能動的に接すれば、身の回りにもそのようなシーンが存在している事実を発見できるだろう。

このような写真は過去に撮影したアーカイヴスの中から発見できるかもしれない。いったん撮影を小休止して、何も考えずに偶然に出会ったシーンを切り取った写真を探し、編集/セレクションを行ってみよう。全く違う時間、場所空間で撮った写真の中に精神性のつながりが見つかるかもしれない。違う視点で過去の写真を見直すと思いがけない新発見があるかもしれない。

・そしてファインアート作品への展開を目指す
私たちは、日常生活で様々な思考や思い込みにとらわれて生きている。ここでは写真を撮ることで自らを客観視しようという姿勢が重要になる。頭でっかちになり、作品制作自体が目的化してはいけないのだ。基本になるのは意識のコントロール。自然と浮かんでくる様々な思考/雑念への判断を避けてスルーする。そのような心がまえで世界と対峙したら、もしかしたら平面や空間に「はっ、ドキッ」とする瞬間が立ち上がり、定型ファインアート風景写真が生まれるかもしれない。

このようなアプローチで撮影された写真作品が蓄積されてくると、そこから、個性、強み、好きなこと、価値観などの本当の自分らしさが見えてくるかもしれない。次のステップとして、それを意識して情報収集/調査/整理を行い、自らの問いや課題(テーマ)を見つけるのだ。自分の中に気になるテーマや問いが立ち上がってきたら、それを意識して世界や宇宙に対峙して撮影を開始する。その繰り返しの先に、社会の見えない前提を問いかける作品が生まれるかもしれない。この段階で正当なファインアート写真の製作アプローチにつながってくる。定型ファインアート風景写真は、そのように創作が展開していくきっかけを提供してくれると考えてほしい。

余談だが、 「定型ファインアート風景写真 」は少しばかり固い呼び名だと思っている。趣旨を踏まえて「Zen Space Photography」はどうだろうかと思案中だ。
自分の写真のファインアート分野でのカテゴライズに悩んでいる人は、ぜひ自分の作品がここで紹介した定型写真の要件に当てはまらないか検証してみて欲しい。それは写真史との接点の検証になるのだ。