フランク ホーヴァット写真展
シャネル・ネクサス・ホール:パリ発 新時代のファッション写真誕生

フランク ホーヴァット(1928-)は、主に50年代から80年代にかけて取り組んだファッション写真で知られるフランス在住の写真家。70年にも及ぶキャリアで、フォトジャーナリズム、ポートレート、風景など幅広い分野の作品に取り組んでいる。

For “STERN”, shoes and Eiffel Tower, 1974, Paris, France ⓒ Frank Horvat

本展は、初期のルポルタージュから、ファッション、1976年制作の“The Tree”2000年代のラ・ヴェロニクシリーズまでの約58点でキャリアをコンパクトに紹介している。展示の中心となるファッション写真には、1951年にフィレンツェで撮影された最初の作品から、欧州時代のジャルダン・デ・モード、米国時代のハーパース・バザー、英国時代のヴォーグ 英国版などに掲載された代表作が含まれている。彼の写真展は、198812月に青山ベルコモンズで開催された「フランク・ホーヴァット写真展 – Mode, Paris, 60’s-」以来ではないだろうか。しかし、同展はタイトルの通り、60年代のファッション写真の展示だった。彼の幅広い分野の写真を紹介する回顧展は今回が日本初となる。

ホーヴァットのキャリアを振り返っておこう。
彼は、オパティア(現クロアチア領)生まれ。父はハンガリー人、母はオーストリア人で、ともに医師だった。20歳の時に、ミラノのブレラ画塾でデッサンを学ぶ。しかしその後は写真分野で頭角を現し、イタリアの新聞などの仕事を行うようになる。1951年にパリを最初を訪れ、アンリ・カルチェ=ブレッソンやロバート・キャパらに出会っている。1952年からは約2年間の予定でインドを訪問し、それらのフォト・ジャーナリスト的写真は “Paris Match” ” LIFE”などに掲載。本展でもインドでの作品が数点展示されている。1955年ニューヨーク近代美術館で開催された「ファミリー・オブ・マン」展にも参加した。

1956年に、パリに移住。その後、当時の欧州でもっとも革新的なファッション雑誌ジャルダン・デ・モードと契約する。1957年、雑誌カメラが彼の作品“Paris Au Teleobjectif”シリーズを掲載。それを見たジャルダン・デ・モードのアート・ディレクターだったジャック・ムータンから、レポルタージュの精神でファッション写真を撮るようにアドバイスを受ける。当時のホーヴァットはファッション写真の経験はなく、またスタジオも持っていなかった。彼はムータンのアドバイスを参考にして、自らが自然にふるまえて、リラックスできる環境の野外にモデルを連れ出して撮影を行う。また迅速に動けて、ルポルタージュでの撮影に近いカジュアルな撮影アプローチを取り入れるために、ファッション写真を35mmライカで撮影した。それは、今までにない革新的なファッション写真への取り組み方法だった。
ちなみに、カルチェ=ブレッソンはこのドキュメント的なファッション写真に批判的だったという。

“Please Don’t Smile”(Hatje Cantz)

ホーヴァットは、またモデルである女性へのリスペクトにも心を砕いた。2015年に刊行された写真集のタイトル“Please Don’t Smile”(Hatje Cantz)象徴しているように、男性目線を意識した笑顔の女性像ではなく、自立した女性像の表現を意識したのだろう。また彼は当時は当たり前だった、モデルの過度のメイク・アップを好まなかった。このアプローチは、60年代英国のスウィンギング・ロンドンのイメージ・メーカーだった、ブライアン・ダフィー、デビット・ベイリー、テレス・ドノヴァンを思い起こす人は多いのではないか。彼らはそれまで主流だったスタジオでのポートレート撮影を拒否し、ドキュメンタリー的なファッション写真で業界の基準を大きく変えた革新者だった。いまでは当たり前のストリート・ファッション・フォトの先駆者たちだったといわれている。
ちょうどファッションは注文服のオートクチュールから既製服のプレタポルテへの移り変わっていた。ロンドン同様にパリの若者層でも新しい時代を反映したヴィジュアルへの渇望があったのだ。ホーヴァットの、モデルのパーソナリティーを重視した、人形ではない生身のリアリティーを持つ女性像はまさに時代の流れに合致していたのだ。

当時のファッション写真家のあこがれは、戦後の経済発展を謳歌していた米国でハーパース・バザー誌の仕事を行うことだった。ちょうどジェット航空機が就航して大都市間の移動が容易になった時期と重なり、ファッション写真は一気の国際化する。
1961年、ホーヴァットもニューヨークへ行き、新たなキャリア展開を模索する。当時は、彼以外にも、ジャンルー・シーフ、デビッド・ベイリーなどもキャリア・アップを目指して渡米している。ホーヴァットとシーフはニューヨークのスタジオを半年にわたり共同利用した時期もあったという。米国の編集者は欧州のテイストを誌面に持ち込むことを好んだ。彼は、当時のハーパース・バザー誌のアート・ディレクターだったマーヴィン・イスラエルに気に入られ、1962年~1965年にかけて同誌の仕事を行っている。

この時代、多くの写真家は経験を積むに従い、ファッション分野でいくら表現の限界に挑戦しても完全なる自由裁量が与えられない事実に気づくことになる。ファッション写真の先に自由なアート表現の可能性はないと失望して、ギイ・ブルダンやブライアン・ダフィーのように燃え尽きる人も多かった。ホーヴァットも創作に退屈してしまい、自らが刺激を感じなくなる。写真も次第にマンネリ化して、ワンパターンの繰り返しに陥ってしまう。
写真史家マーティン・ハリソンは、戦後ファッション写真の歴史を記した著書の「Appearances」で、ホーヴァットのファッション写真の最盛期は1957年から1964年としている。しかし彼は燃え尽きることなく新たな方向性を模索し、て再び創作意欲を取り戻し1979年に写真集“The Tree”を発表している。

Walnut tree,1976, Dordogne, France (c) Frank Horvat

90年代になって、優れたファッション写真は、単に服の情報を伝えるだけのメディアではないと理解されるようになりそのアート性が市場でも認識されるようになる。ホーヴァットが自らのファッション写真の延長線上にアート表現の可能性が描けなかったのは非常に残念だ。

本展の見どころは、5060年代の代表的なファッション写真とともに、あまり知られていなかったキャリア初期のパリのストリートなどで撮影されたドキュメント的なスナップだろう。
1956年のナイトクラブでの写真は、当時のパリの猥雑な雰囲気を感じさせる作品が数多く含まれている。また、展覧会フライヤーでメイン・ヴィジュアルとして採用されている、パリの路上でキスしているカップルを真上から撮影した写真“Quai du Louvre, couple, 1955, Paris”などは、戦後の自由な新しい時代の気分の芽生えが伝わってくる。これらは、いまでは時代性をとらえた広義のファッション写真となる。それらの作品をみた、当時のアートディレクターや編集者が彼にファッションを撮らせてみよう、と考えたのは容易に察しがつく。

Quai du Louvre, couple, 1955, Paris, France ⓒ Frank Horvat

展覧会ディレクターのダルガルカーによる作品セレクションは、優れた時代感覚を持つ写真家によるドキュメント的写真が、時代性をとらえたファッション写真だと認識されるようになる過程を見事に提示していると評価したい。パリでストリート発の新時代のファッション写真が誕生した背景が垣間見える。
また限られた空間展示数の中で、ファッション以外の作品を巧みに組み合わせて展示していた。ホーヴァットの持つ、幅広い創作ヴィジョンを見る側に提示しようという意図が強く感じられた。アート写真やファッションに興味ある人には必見の写真展だろう。

なお本展は例年通りに、20184月にKYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭のプログラムとして京都に巡回予定とのこと。

・フランク ホーヴァット写真展 Un moment d’une femme

会期:2018117() – 218() 無休
時間:12:00 – 20:00 / 入場無料
会場:シャネル・ネクサス・ホール
住所:東京都中央区銀座3-5-3シャネル銀座ビルディング4

http://chanelnexushall.jp/program/2018/un-moment-dune-femme/