私はアート写真の仕事を始める前は金融機関のサラリーマンだった。
まだ入社2~3年目くらいのときに上司から受けた叱責は今でもよく覚えている。それは確か企画書のような書類を大量に制作して取引先に送る仕事だったと思うが、ハンコをきちんと押していなかったことを理由に全ての書類をもう一度作り直させられた。私は数が多かったので単に機械的に適当に押していっただけだった。確かに一部は曲がり、かすれたりしていた。捺印に気持ちが入っていないようなことをいわれた気がするが、その時は何で怒られたのか意味が明確にはわからなかった。今思い起こすと、その書類を受け取った人の気持ちを考えてハンコを押せという指導だったことがわかる。
いまは全く違うアート分野にいるが、仕事が変わっても状況は金融機関と全く同じだと感じている。作品ポートフォリオ制作から、アーティスト・ステーツメント、ビジネス連絡、打ち合わせ、広報活動、事務手続き、などのなかに様々な些細だが重要なことが存在する。
さて上記で書類に押すハンコを紹介したので、アートでの書類関係の例をあげておこう。
例えば写真展関連の開催報道資料や案内情報だ。それらは美術館系のものとそれ以外の2種類に大きく分類できると思う。
だいたい大きな組織、歴史を持つギャラリー、団体が運営している写真展の資料は丁寧に作られている。また、企業系ギャラリーは広告宣伝の一環なので、例外なくきちんとしている。一方で写真家の個人主催や新進ギャラリーの写真展関連資料のなかには、明らかに手を抜いていると感じられるものがある。それらは文章執筆、書類制作、DMなどのデザイン、郵送、ウェブ公開の様々な過程で発生する。主催者の写真家、ギャラリーの気持ちの入れ方が小さな作業に怖いくらい反映されてしまうのだ。
内容が良ければそれらは些細のことだという意見もあると思う。しかし、ブランドが確立した有名作家以外の場合、たとえ中堅作家でも中身の判断がつき難い場合が圧倒的に多いだろう。その時の判断基準になるのが展示関係の各種資料なのだ。また東京などではアート関係の膨大な情報が存在する。新聞などの大手マスコミにはそれらの膨大な報道資料が集まるのだ。その中での情報選択は人間の作業になる。きちんと作られていない感じの報道資料は内容をみる前の段階でアマチュアの写真だと判断されてしまう可能性が高いのではないか。いくら良い作品でも見てもらえないかもしれない。
よく奇をてらったデザインや写真使用で目立とうという考える人がいる。私は地味でも正統法で仕事を行うべきだと思う。実は小さいことを的確に行っていない方が逆の意味で目立つのだ。
こうやって書き続けながら、本当につまらないことを言っているなと感じる。しかし、世の中は案外そんなつまらないことで動いている。競争相手の多いビジネス世界では相手の心証を悪くする行為は絶対に避けなければならない。ハンコの押し方だけでで会社の評価が変わることもあるのだ。そしてアートも特殊性はあるがビジネスに変わりない。また、作家を評価、コレクションで応援してくれるのは組織の側にいる人が多いことも忘れてはいけないだろう。小さな所作をきちんとこなすのが重要なのは、それに全てが反映されるという意味だと理解してほしい。私の経験則だが、小さなことにもこだわりを持っているアート写真展の内容は大体レベルが高い。