2017年アート写真市場を振り返る
相場回復の中、現代アートとの
融合が進む

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

今世界が歴史的な転換点に直面していると、マスコミや識者が盛んに指摘している。英国のEU離脱とトランプ大統領登場に象徴されるように、経済のグローバル化の変調がそれを推進してきた英国と米国から起きているということだ。グローバル化の終わりが始まり、国民国家や地域が志向されるようになったという言い方も見られる。トマ・ピケティが「21世紀の資本」で指摘しているように、欧米で70年代以降に貧富の格差が拡大したのが原因との見方が多い。

 

さてアート業界に目を向けると、2017年にはまだ変化が訪れるような際立った兆しは見られなかった。それどころか、市場の1極集中が進行した印象だった。まずアーティスト人気の集中化が進んだ。artnetニュースの分析によると、2017年前半の戦後/現代アートオークションでは25人の有名アーティストがオークション売り上げの約50%を占めたという。1位バスキア、2位ウォーホール、3位リヒテンシュタインとのこと。まさに一部の勝者が市場シェアを席巻したといえよう。

ギャラリーのプライマリー市場では、欧米の大手ブランド・ディーラーが市場が拡大しているアジアに拠点を新設する動きを見せる中、中堅クラスのギャラリーの閉鎖が各地で数多く見られた。
アート界も資本主義の一部として成立している。ギャラリーやディーラーは、経済グローバル化の影響を受け、コストのかかる世界的なアートフェアへの参加、家賃の高い世界的大都市でのギャラリー運営などを強いられてきた。しかしここにきて一部の富裕層を世界中で奪い合うという、コストのかかるアートビジネスは限界にきている印象だ。それに生き残り可能なのは、豊富な資金力を持つ大手ディーラーのみ。視点を変えれば、貧富の格差拡大により、富裕層相手の大手が繁栄して、中間層相手の中小ギャラリーが苦戦している構図ともいえるだろう。
中堅ギャラリーがビジネスを見直すのは、フランスの学者エマニュエル・トッドがいう”グローバリゼーション・ファティーグ(グローバル化の疲れ)”のアート版の動きともいえるだろう。もしかしたら、中期的には地元の幅広い中間層相手の民主的なアート・ビジネス回帰が始まったのかもしれない。もちろんそれにはやせ細った中間層の復興が前提となる。

 

2017年アート写真オークション実績の内容を見てみよう。念のためにに、ここでカバーずるカテゴリーを確認しておく。
現在は、写真表現は現代アート分野まで広がっている。また、高額な19~20世紀写真が現代アートのカテゴリーに出品される場合もある。しかし、統計数字の継続性を重視して、ここでは従来の“Photographs”分野のオークションの数字を集計している。
2017年の出品数は7248点。前年比約0.85%微減、一方で落札数は4884点で落札率は61.7%から67.3%へ改善した。
地域別では、北米は出品数が約6.3%増、落札率は64.8%から71.7%に改善。欧州は出品数が約21.6%増、落札率はほぼ横ばいの60.7%から61.1%。 英国は出品数が約53%減少、落札率は55.6%から60.2%に上昇した。
総売り上げの比較は、通貨がドル、ポンド、ユーロにまたがり、為替レートが変動するので単純比較は難しい。私どもは円換算して比較している。
それによると総売り上げは約78.9億円で、前年比約17%増加した。内訳は米国が約18%増加、欧州が約70%増加、英国が約27%減だった。主要市場での高額落札の上位20位の落札総額を比べると、2016年比で約9.3%減少している。
これは、高額セクターの19~20世紀の写真作品が現代アートのカテゴリーに出品される傾向が強まったことによると判断したい。
ちなみに2017年アート写真部門の最高額落札はクリスティーズ・パリで11月9日に開催された“Stripped Bare: Photographs from the Collection of Thomas Koerfer”に出品された極めて貴重なマン・レイのヴィンテージ作品“Noire et Blanche, 1926”の、2,688,750ユーロ(約3.63億円)だった。 現代アートを含む写真の高額落札の分析は機会を改めて行いたい。
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Christie’s Paris, Man Ray “Noire et Blanche, 1926”
以上の数字から、米国市場が好調な経済環境の影響により良好だった一方、欧州では市場の中心がEUを離脱する英国から大陸にシフトしている構図が浮かび上がってくる。好調な欧州経済と減速気味の英国経済もその流れをサポートしていると思われる。
オークションの総売り上げの推移を中期的におさらいしておこう。まずリーマンショック後の2009年に大きく落ち込み、2013年春から2014年春にかけてやっとプラス傾向に転じた。
しかし2014年秋以降は再び弱含んでの推移が続き、ついに2015年秋にはリーマンショック後の2009年春以来の低いレベルまで落ち込んだ。
2016年はすべての価格帯で低迷状態が傾向が続いていたものの、2017年は春から市場が回復傾向を示し、年間総売上高では急減前の2015年春のレベルを上回ってきた。過去5年の売上平均値を春と秋ともに上回ってきた。売り上げサイクルは2016年秋を直近の底に2017年に回復したと判断できるだろう。

戦後・現代アート市場と同様に、写真市場も一部の人気作家の人気作品への需要集中傾向が見られた。これは、従来中心だった中間層のアート写真コレクターではなく、現代アート分野の富裕層コレクターが主導したと思われる。現代アート分野で、だれでも知っている人気作品を購入するのには多額な資金が必要だ。
しかし、エディションがあるアート写真ならいまでも写真史上の名だたる写真家の代表作品を現代アート系と比べるとはるかに手ごろな価格で購入可能なのだ。
もちろん、それは従来のアート写真コレクターの相場観からは高額なのはいうまでもない。

一方で、有名写真家の作品でも絵柄が良くない、来歴に特徴のない作品の市場性は低くなっている。ギャラリー店頭では低価格帯の作品の売り上げは好調だったという。日本でもブランド作家の低価格作品の売り上げは順調だった。
経済グローバル化の揺り戻しはまだ始まったばかりだ。アート写真市場全体でみると、オークションで高額人気作品、ギャラリーで低価格作品が売れる一方、
中間価格帯の特徴がない作品が売れない状況がしばらくは続きそうだ。

日本ではアート写真はまだ20世紀写真を意味する場合が多い。欧米市場ではますますアート写真と現代アート系写真との融合が進んだ。
ちなみに2017年に現代アートのカテゴリに出品されたされた写真関連作品は867点となり、落札総額は約67.6億円にもなるのだ。現在はちょうど過渡期にあたりカテゴリー分類の考え方は各業者により違いがある。将来的には19~20世紀のクラシック写真と、現代アートの一部のコンテンポラリー写真に分類されていくのではないだろうか。今年からは、それを考慮したより多面的な市場分析を検討したい。

2018年ブリッツの写真展開催予定
高橋和海「Eternal Flux」展

2018年は、高橋和海の「Eternal Flux」(- 行く水の流れ -)からスタートする。会期は、1月9日(火)から3月10日(土)まで。

Ⓒ Kazuumi Takahashi

高橋の展示は、2009年開催の 「Moonscape – High Tide Wane Moon-」以来となる。彼は、前作で月と海の組写真を通して、月の引力と地球の海との関係性や、その潮の満ち引きの私たちの行動への影響を提示。作品は、大型カメラ(4×5版)を使用し、自然との長時間の対峙の中から生みだされた。静謐かつ瞑想感が漂う風景シーンは、人間が自然の大きな営みのなかで生かされている事実に直感的に気付かせてくれる。無限な宇宙の中では、一人の人間の人生の悩みなど取るに足らない、などとよく人生論の本などに書いてある。しかし、日々忙しい生活を続けていると、様々な悩みごとやトラブルが世の中のすべてのように感じてしまう。言葉を変えると、自分の持つ狭いフレームを通して世界を把握しているともいえる。瞑想や座禅を通して、自らを客観視する方法もある。しかし、私たちは優れたアート作品と対峙することで直感的に自らの思い込みに気付くのだ。宇宙飛行士は、宇宙空間に身を置くことで直感的に何か神々しいものの存在を感じたという。それに近い体験だと思う。私たちは気軽に宇宙に行くことはできないが、優れたアートを体験できるのだ。高橋の作品は、見る側が自らを客観視するきっかけを提供してくれる。私たちはそれらによって、癒されるとともに、枯渇していたエネルギーが再注入される。ただしアートの効用をうまく生活に取り込むには、本人がどれだけ人間の認知能力の特性を学び理解しているかが問われる。

「Eternal Flux」は、永遠に続く絶え間ない変化、という意味。サブタイトルの「行く水の流れ」は、方丈記を意識して付けられている。本作で、高橋はライワークとしている宇宙の営みの視覚化をさらに展開させている。今回は、海の水は太陽によって蒸発し、再び水に還り、雨として陸地に降り、そして再び海へと還るという、完全なる水の循環サイクルを意識して作品を制作。その自然サイクルから現代社会の諸問題の解決ヒントを導き出そうとしている。人間が自然を支配するという西洋的な思想が、地球の資源を消費し自然破壊を引き起こしてきた。それに対して、仏教の輪廻に通じる自然サイクルを重視する考えが、この問題への対処方法になるのではないかと示唆しているのだ。

いまや日本の伝統的美意識の「優美」をテーマにするのは風景を撮影する写真家の定番といえるだろう。私は写真家の知識、経験の違いにより、見る側が受けるコンセプトの深みがかなり違うと考えている。例えば、ネット上の解説を引用しているだけのものと、長い人生経験を通して自らが紡ぎだしてきた感覚がテーマに昇華した作品は全くの別物だろう。高橋の場合、作品のテーマ性が人生と深いかかわりを持つ。彼は潮の満ち引きが生活に根付く漁師の家に生まれ、常に自然のリズムを意識しながら生きてきた。その延長線上に、宇宙の営みの仕組みを解明して視覚化するというテーマを膨らましてきたのだ。

本展では、デジタル化進行で制作が困難になった貴重な銀塩のタイプC・カラープリントによる作品16点が展示される。ぜひアナログ・カラープリントの持つ、ぬめっとした芳醇な質感を実感してほしい。会場では、フォトブック「Eternal Flux」(SARL IKI 2016年刊)も限定数販売される。プリント付き限定カタログも現在進行形で制作が行われている。2018年正月は、新年にふさわしい清々しい風景写真をぜひご高覧ください。

http://blitz-gallery.com/

アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(連載) (4):ファッション写真の美術館展カタログの歴史

長きにわたり、ファッション写真は作り物のイメージなのでアート性は認められていなかった。しかし、70年代以降の欧米では写真は客観的真実を伝えるのではなく、写真家がパーソナルな視点で自己表現するメディアと認識されるようになる。ここで作りものの写真だから評価に値しないという考えが覆ったのだ。70年代後半から、美術館やギャラリーでのグループ展などが開催されるようになる。それらを通して優れたファッション写真は各時代の言葉に表せない人々のフィーリングを伝えるメディアだと認識されるようになる。欧米の美術館はアートの歴史で見逃されていた価値基準を再評価して、そこに新たなページを書き加えてきた。ドキュメントやファッション写真のアート性はその活動から見いだされた。
美術館がファッション写真独自の価値基準を認めると、プライマリー市場でギャラリーが作品を取り扱いコレクターが購入するようになる。そして時間経過とともにセカンダリー市場のオークションでも頻繁に売買されるようになり、相場が上昇した。30年前、ほとんどのコレクターが見向きもしなかったファッション写真は、いまでは市場の人気カテゴリーとなったのだ。

一番高価なのはリチャード・アヴェドンの代表作“Dovima with elephants”(1955)だろう。ディオールの黒いドレスのモデルと象の作品。誰でも一度は見たことがるだろう。2010年11月に、クリスティーズ・パリで1978年プリントの216.8×166.7cmサイズ作品が約115万ドルで落札された。当時は円高時で1ドル82.50円くらいだったので、円貨だと約9,503万円となる。
以上の流れを踏まえて、私がアート系のファッション写真のオリジナルプリントやフォトブックを選別する場合、以下の3点を判断基準にしている。今回の連載でも、それらに該当する写真家のフォトブックを取り上げていくことになる。
 
a.美術館などで開催されるグループ展に選出されている、

b.アート・ギャラリーでの個展開催や取り扱い実績、
c.アート写真オークションに作品が継続的に出品されている

アート系ファッション写真のフォトブックの刊行数は、美術館による再評価以前は非常に少なかった。リチャード・アヴェドンやアービング・ペンなど、作品プロジェクトのアート性が認められていたファッション写真家のモノグラフが中心だった。またそれ以外は、アートのカテゴリーというよりは、服飾のファッションのカテゴリーで取り扱われていた。90年代になり、ファッション写真のアート性が市場で広く認識されるようになると、上記のフォトブックのアート性の価値が見直される。見向きもされなかった本がレアブック扱いされるようになる。同時に過去に活躍した写真家の作品が見直されて再評価されるようになり、新たにフォトブックも刊行されるようになるのだ。
今では有名なギイ・ブルダン、リリアン・バスマン、ソール・ライターなどもここに含まれる。いま刊行されている多くのファッション系フォトブックは、90年代以降に再評価された写真家によるものだ。分類すると以下のようになる。

(1)美術館で開催されたファッション写真の展覧会カタログ
(2)ファッション写真のアート性が認識される以前の本
(3)90年代以降に再評価された写真家の本

すべては、美術館で開催されたファッション写真のグループ展での写真家たちの評価から始まる。これらの展示に作品が複数回選出された人がコレクター間で人気作家となる。実際のフォトブック紹介にあたって、個別の写真家のモノグラフよりも、まず20世紀に刊行された美術館展カタログの紹介から始めるのが適当だと考えた。(ちなみに21世紀のファッション写真の展覧会カタログは別の機会に紹介する。)以下に、私が選んだカタログのリストを上げておく。次回以降に個別に紹介していきたい。

“The History of Fashion Photography”Nancy Hall-Duncan, Alpine Book Co.Inc New York, 1979
“Shots of Style – Great Fashion Photographs Chosen by David Bailey” Vivtria & Albert Museum, London, 1985
“Images of Illusion” The fashion Group of St.Louis, 1989
“Appearances : Fashion Photography Since 1945” Martin Harrison, Jonathan Cape, London, 1991
“VANITES – PHOTOGRAPHIES DE MODE DES XIXe ET XXe SIECLES” CENTRE NATIONALDE LA PHOTOGRAPHIE, Paris,1993

もしかしたら、私が把握できていない美術館展カタログもあるかもしれない。資料を持っている人はぜひ情報を提供してほしい。

写真展レビュー
アジェのインスピレーション
ひきつがれる精神
東京都写真美術館

本展は、フランス人写真家ウジューヌ・アジェ(1857-1927)の20世紀写真史への影響を多角的に考察するもの。東京都写真美術館(以下、都写美)のプレスリリースによると、”アジェがこの世に遺した20世紀前後に捉えたパリの光景の写真が、なぜ現代も多くの写真家たちに影響を与え、魅了してやまないかを考察します”と書かれている。
アジェを評価した、マン・レイ(アーティスト)、ベレニス・アボット(写真家)、ジュリアン・レヴィ(ギャラリスト)、ジョン・シャーコフスキー(NY近代美術館ディレクター)の4人のアメリカ人の視点を通して、アジェの写真界への影響を探求。展示は、同館収蔵の12人の写真家の作品158点と写真集などの資料で構成されている。同展カタログに掲載されている学芸員の鈴木佳子氏の解説では、”ジャーコフスキーはアジェとウォーカー・エバンス以降のアメリカ写真家たちをリンクさせ、写真史の大きな流れを作り出すという、偉大な偉業を成し遂げている”と語っている。また、アジェが何で写真史で高く評価されてかの解説を前記の4人の言葉を引用して的確に行っている。
本展は、アジェを近代写真の元祖としているシャーコフスキーの写真史へのまなざしを、都写美のアジェ・コレクションをベースとしてその他収蔵作品を有効的に利用して再解釈したといえるだろう。アジェの影響をやや拡大解釈している印象はあるが、たぶん展覧会実現のために確信犯で行っている考える。

展示の見どころ解説は様々なところで書かれているので、ここでは展示されている個別作品に触れてみよう。アジェの詳しいプロフィールやキャリアは、展覧会カタログに掲載されている写真評論家の横江文憲のエッセーを参考にしてほしい。

まず本展の主役であるアジェの100年以上前に制作されたオリジナルの薄茶色の鶏卵紙作品は必見だろう。同館は開館時に114点を購入し、現在までに150点を収蔵しているとのこと。その中から約38点がセレクションされている。それと比較して展示されているのがベレニス・アボット制作のアジェの銀塩写真。黒白のトーンが強調されて感じられオリジナルとは印象が全く違う。しかし、モノクロームの抽象美が表現された作品群はアボットがアジェのプリントを再解釈して制作した全くの別物として鑑賞したい。

マン・レイの、カメラを使用せずにオブジェを感光材の上に置いて露光したレイヨグラム作品も必見だろう。これは同館が1990年にプレ開館するときに約8億円の予算をかけて収集した名品の一部。当時は“有名作品 買いあさり?”などと一部に批判があったものの、写真の相場はこの27年間で高騰している。買いあさりどころか、先見の明があったと高く評価できるだろう。1990年4月11日の朝日新聞の記事によると、同作品の購入費用は570万円だったいう。

ちなみに以前に紹介したが、今年の11月のクリスティーズ・パリで行われたアート写真オークションでは、マン・レイの“Noire et Blanche, 1926”が、落札予想価格上限の150万ユーロを大きく超える268.8万ユーロ(3.57憶円)で落札された。これはオークションでのマン・レイ作品の最高額となる。都写美のレイヨグラム作品の市場評価もかなり高価になっていると予想できる。写真の右下の黒い部分にはマン・レイの直筆のサインがあるので、じっくりと鑑賞してほしい。その他、同展では日本ではめったに鑑賞できない貴重な作品が目白押しだ。シリアスな写真コレクターは各コーナーごとに展示されている数々の名品に、唸ってしまうのではないだろうか。アジェ以前の19世紀の都市整備事業のパリ改造を記録撮影したシャルル・マルヴィル、アルフレッド・スティーグリッツの美しい銀塩作品“Poplars、Lake George、1920”とフォトグラビアの“The Steerage(三等船室)”、ウォーカー・エバンスの20年から30年代の12点の作品は必見。彼の“Flower Pedder’s Pushcar, 1929”には、右下のマット部分に直筆のサインが見られる。見逃さないようにしたい。
現代アメリカ写真ではリー・フリードランダーによる、おもに60年代に撮影された代表作が10点展示されている。
日本人写真家、森山大道、荒木経惟、深瀬昌久、清野賀子の同時展示には違和感を感じる人もいるかもしれない。しかし、これはアジェとMoMAのジョン・シャーコフスキーとのかかわり、そして、彼とカメラ毎日の山岸章二とが1974年に同館で開催した「ニュージャパニーズ・フォトグラフィー展」でつながってくる。ちなみにMoMAでの展示には、深瀬、森山が選出。展覧会カタログも資料として展示されている。そして、出品日本人写真家は、みな自らのアジェからの影響を声高に語っていると紹介されている。

唯一のカラーが清野賀子の作品。シャーコフスキーが引用されているので、一部にアメリカのニューカラー作品を展示すれば、展示作の関係性がより重層化したのではないかと感じた。

フォトブックの展示にも注目したい。数ある有名フォトブック・ガイドに例外なく収録されているのが、“Atget Photographe de Paris”だ。ニューヨークの有名なウエイー・ギャラリー(Weyhe Gallery)で1930年に開催された写真展に際して、米国版、フランス版、ドイツ版が刊行。本展の展示物はドイツ版だと紹介されている。アメリカ版はワイン・レッドの布張りで知られている。同書のタイトル・ページ左側には、アボット撮影のアジェのポートレートが収録されている。本展でもこの見開きページが展示されている。

シャーコフスキーが1981年から1985年にMoMAで4回開催した“The Works of Atget”展の4分冊のカタログも展示されている。もっとも忠実にアジェの鶏卵紙プリントを印刷で再現しているといわれている。アジェのファンなら全4巻揃えたいだろう。実はこれらの本は出版数が多いので、いまでも古書市場で比較的容易に入手可能。一番人気が高く高価なのが第2巻の“The Art of Old Paris”だ。

アジェの写真が初めて印刷物で紹介されたのが、
“LA REVOLUTION SURREALISTE(シュルリアリズム革命)”の1926年刊の第7号。”バスティーユ広場で日食を見上げる人たち”が表紙に掲載されている。アジェの写真にシュールレアリスム的な要素を見出して初めて評価したのがマン・レイだった事実は広く知られている。その時にいつも同書が引用される。私も初めてオリジナルを見たが、現在のニュースレターや冊子に近いのがわかった。(写真は上記美術館チラシに掲載のものと同じ)

アジェのストレートな写真とシュールレアリスムとの関係性はややわかりにくいかもしれない。同展カタログに掲載されている学芸員の鈴木佳子氏の解説は非常にわかりやすいので紹介しておこう。一見まったくかけ離れている2種類の作品について、「ストレート写真にこそ現実を超えた世界がある、というシュールレアリスム本来の概念に注目する必要があるだろう」と説明している。

本展は、都写美の珠玉のコレクションを有効利用した、写真史の教育的な要素も持った優れた発想の企画だと評価したい。アート写真やフォトブックのコレクション、写真でのアート表現に興味ある人には必見の展覧会といえるだろう。様々な写真家や関係者たちの影響が複雑に提示されているので、写真史の知識がない人はつながりが見えない場合もあるかもしれない。関係性が不明だと感じたら、ぜひその部分の写真史を詳しく学ぶきっかけにしてほしい。
個人的には、現代アート系のアーティストたちも展示して、アジェの美術界全体への関わりを提示して欲しかった。
本展はコレクション展なので、同館にはその関連性を提示するような適当な収蔵作品がなかったかもしれない。現代アート分野は20世紀写真と比べてもかなり高額になっている。現在では、このカテゴリーの優れたコレクション構築は極めて困難だと思われる。コレクション展の枠の中ではなく、作品を他美術館から借りたりして、アジェの影響をもっと大規模に展開したような展覧会企画を将来的に期待したい。

TOP
Collection
アジェのインスピレーション ひきつがれる精神
東京都写真美術館

http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2878.html

トミオ・セイケ写真展いよいよ最終週!個別作品の見どころを解説

トミオ・セイケの「Julie – Street Performer」展は、いよいよ今週末の12月2日まで。どうぞお見逃しがないように!今回は、写真展をより楽しめるように個別作品の見どころを紹介しておこう。
Ⓒ Tomio Seike 禁無断転載
 地下鉄の入口付近に座ってジュリーが大判の新聞を見ている作品がある。紙面サイズからして、大衆が読むタブロイド判の夕刊紙ではなく一般紙だと思われる。
紙面から、「Dancer」、「Perfection」などの文字が読み取れ、縦位置のダンサーの写真が確認できる。ジュリーが読んでいるのはアート・文化欄だと思う。ストリート・パフォーマーが一般紙を読むのはやや意外な感じがするが、インテリ層が読む英国の一般紙は、バレー、演奏会、舞台などの公演の論評に大きく紙面スペースをさいている。
私がロンドンに住んでいた時に驚いたのは、公演記事の迅速性だった。前の晩に見た公演の評論と評価が、早ければ翌日の朝刊、もしくは数日のうちに紙面に掲載されていた。それを見て、自分が実際に鑑賞した演奏などの印象と専門家の評価との違いを確認し勉強していた。ジュリーは、当時はストリート・パフォーマーだったが、バレーを幼少時から学んでいて、将来は舞台などでの表現者になるのを夢見ていたという。それゆえ、毎夜ロンドンで開催される各種の公演(たぶんダンスやバレー系)の専門家の意見に関心が高かったのではないか。
偶然、ギャラリーでこの作品を見ていた人が新聞社に勤めていて、日本と西洋との一般紙のアート欄の違いへと話題が展開した。一般的に、海外の記事は過去のその分野の実績の積み重ねとの比較で優劣の判断を下す傾向がある。日本のアート記事は、プレスリリースの内容そのままの紹介である場合が多い。今年話題になったキュレーションサイトのアート版に近いともいえるだろう。小説家や評論家が文章を寄せる場合もあるが、それらは本人が好き嫌いの理由を探して書いている場合が多い。好き嫌いは本来言葉で簡単に表せない。それを無理に語ろうとすると感想文的になってしまう。どうしてこのような違いが出てくるかというと、西洋では長年にわたり業界の動きをフォローする専任の記者が存在するものの、日本では文化欄の担当者が頻繁に内部移動するからだと思われる。またアートについてコメントする作家は文章執筆には慣れているが、決して一分野の専門家ではない。アートや文化分野はあまり専門知識や経験の蓄積が重要視されないのも背景にあるだろう。海外の読者は、公演などを判断する上での専門的な視点の提供を求めるが、日本の読者は小難しい文章よりも、よい情報を選んで整理整頓して伝えてほしいという要望が強いのだと思う。結局、新聞自体ではなく一般大衆の求める情報の違いが日本と西洋の文化関連の記事に反映されているのではないだろうか。新聞社の人との止めどない会話はこのような結論となった。
Ⓒ Tomio Seike 禁無断転載
進行方向が違う2台の車が画面上ですれ違い、車道の向こう側の左側にジュリーと友人の姿が小さく写っている作品がある。彼らの後ろの壁面には「Second Hand Bookshop」という古書店の看板が見られる。画面右側後方にはロンドン・バスの停留所があり、ロンドンで撮影された作品であることがわかる。本作は3種類あるミニ・プリントにセイケがセレクションした本人お気に入りの1枚だ。写真の中の車は、欧州フォード社製のカプリ・クーペと、GM資本のボクスホール社製のカヴァリエⅡハッチバックだ。ダンサーのジュリーが北米のカナダ人であることは前にも触れたが、本作で撮影された2台もアメリカ資本による欧州製の乗用車なのだ。
今回の展示作品は、昨年リヴァプールの若者グループを撮影した「Liverpool 1981(リヴァプール 1981)と対になっている。英国では、伝統的にその人が育ってきた家系や地域が重要視されてきた。「自分の未来を簡単には変えられない」という認識がある。リヴァプールの若者グループの明るさや笑顔は、現状は変わらないのだから、今を楽しく生きようという諦観が根底にあるのだ。それに対して、アメリカンドリームを信じる北米の人は「未来は変えることができる」と考える。英国のロンドンで、米国資本の会社の自動車と明るい未来を信じるカナダ人のストリート・パフォーマーを撮影した本作は、セイケの本展の作品テーマを象徴的に表しているのだ。たぶん、当時のセイケは、階層社会が残っていて閉塞感が漂う英国よりも、北米のポジティブな考えに魅力を感じていたのだと思う。
次回作の「Portraits of Zoe」のモデルになったのはゾイという米国人女性だ。作家活動には高いテンションの維持が必要だ。ポジティブな姿勢を持つ人と組むほうが、相乗効果で新たな創作が生まれやすい。英国に在住しているセイケが米国人を被写体に選んだのは、この辺の心理が影響しているのではないか。
本作は、写真撮影と発表時期の関係性が作品テーマに大きく関わる事実を示してくれる。ちょうど撮影された80年代の前半はポスト工業社会、いわゆるニューエコノミーが北米と英国で始まった時期にあたる。リヴァプールの若者グループに象徴される英国の労働者階級は、その後にニューエコノミーの結果による経済グローバル化の影響を受けることになる。工場移転、移民増加、緊縮財政などに直面して、厳しい生活環境を強いられるのだ。作品中の看板があった古書店も、ニューエコノミーと同時進行したIT社会化によるオンライン・ブック・ショップの乱立に直面する。資本の原理が働き、結果的にコストのかかる多くの業種が廃業に追いやられるのだ。
それが2016年になり、ついにグローバル化の欧州版であるEUからの英国離脱決定(ブレグジット)へとつながっていく。グローバル化によって置き去りにされた、リヴァプールの若者たちに重なる先進国の労働者階級が、ついにエリート層に対して反旗を翻したのだ。
本作が2017年に公開されたのは非常に重要な意味がある。セイケの1982年撮影の写真作品には、世界でその後に起きた35年のストーリーの原点がある。35年前の作品には、21世紀社会の時代性が反映されているのだ。また日本で公開されたことで、日本人(特に若い層への)、今後の生き方を考えるきっかけにしてほしい、という問いかけも含まれている。
優れた写真作品に能動的に接すると、このように様々なストーリーが読み取れる。つまり、作品のテーマ性の見立てが可能なのだ。
トミオ・セイケの「Julie – Street Performer(ジュリー –
ストリート・パフォーマー)」展は、12月2日(土)まで開催。うまい写真を撮りたい人はもちろん、写真で自己表現したい人にとっても必見の写真展といえるだろう。

(作家来廊予定)
セイケ氏は最終日の午後1時30分くらいに来廊予定。

マン・レイ作品がクラシック写真の
世界最高落札額!
欧州英国オークションレビュー

11月、大手業者のアート写真オークションは舞台を欧州英国に移して開催された。
まず2日にロンドンでフリップスの”Photographs”が開催。続いてパリフォトの開催に合わせて、クリスティーズとササビーズが、それぞれ単独コレクションと複数委託者のセールを開催した。ちなみに春には、大手3社ともにフォト・ロンドンに合わせてロンドンでオークションを開催している。
合計5セールの総出品数は486点で前年同期より約3%減。しかし落札率は約58%から約64%に改善した。売り上げ高は、ロンドンのフィリップスが約43%も減少したものの、パリの2社合計は約64%増加。トータルではユーロとポンドを円貨換算して合計すると約12.56億円となり、昨年同期を約33%上回る結果となった。
各社の売上結果を見る比べると、クリスティーズは約71%増、ササビーズが約57%増。数字からは、市場の中心地がロンドンからパリに移りつつある印象を受ける。
今回のロンドン・パリの結果は、2017年に回復傾向を示し始めたニューヨークと同様といえるだろう。景気が順調に回復して、株価も1年前と比べて上昇している状況が素直に反映しているのだろう。ちなみに為替レートは対ポンド・ユーロ共に昨年と比べて円安になっている。
最高額は、クリスティーズ・パリの”Stripped Bare: Photographs from the Collection of Thomas Koerfer”に出品されたマン・レイの”Noire et Blanche, 1926″。落札予想価格上限の150万ユーロを大きく超える268.8万ユーロ(3.57憶円)で落札された。(上記のカタログ表紙作品)
クリスティーズによると、これはオークションでのマン・レイ作品の最高額であるとともにクラシック写真の世界最高額とのことだ。クラシック写真の時期の定義は難しいのだが、もちろん現代アート系の写真作品は含まれない。続いたのは同じオークションに出品されたダイアン・アーバスの双子を撮影した代表作”Identical twins, Roselle, N.J, 1966″。落札予想価格の範囲内の54.75万ユーロ(約7281万円)で落札されている。

アーヴィング・ペンの”The Hand of Miles Davis (B), New York, 1986″も人気が高く、落札予想価格上限の10万ユーロの2倍近い19.95万ユーロ(約2653万円)で落札された。

今シーズンは、ペンのスティル・ライフや花などの作品の高額落札が多くみられた。ササビーズ・パリの”Collection Europeenne de Photographies”では、ダイ・トランスファー作品の”STILL LIFE WITH WATERMELON, NEW YORK, 1947″が、落札予想価格上限の8万ユーロを超える15万ユーロ(1995万円)、プラチナ・プリントの”PICASSO (B), CANNES,1957″が11.87万ユーロ(約1578万円)、”FROZEN FOODS, NEW YORK, 1977″が8.75万ユーロ(約1163万円)で落札されている。

フリップス・ロンドンでも、写真集”Flowers”に掲載されている”Single Oriental Poppy, New York, 1968″(上記画像の作品)が落札予想価格上限の7万ポンドを超える11.87万ポンド(約1780万円)で落札されている。今年はペンの生誕の百年を祝ってニューヨークのメトロポリタン美術館で大規模回顧展が開催された。ここ数年はやや上値が重かったペン作品だったが、再び注目が集まるようになったのだろう。

欧米では美術館での展覧会開催は作家の相場に大きな影響を与える。現代アート分野では2017年2月~6月にかけては、ウォルフガンク・ティルマンスの回顧展”WOLFGANG TILLMANS:2017″が英国ロンドンのテート・モダンで開催された。今年になって彼の巨大抽象作品は急騰しているのだ。

フィリップス・ロンドンで、6月29日に開催された”20th Century & Contemporary Art”では、彼の”Freischwimmer #84,2004″が、落札予想価格上限の約2倍の60.5万ポンド(約9075万円)で落札。ちなみに、同作は2012年10月フリップス・ロンドンでわずか3.9万ポンドで落札されている。4年間で約15倍に高騰したのだ。
現代アート分野の写真作品の動向は機会を改めて分析してみたい。
(1ユーロ/133円、1ポンド/150円)

アート系ファッション写真の
フォトブック・ガイド(連載3)
ファッション雑誌の中だけではない
幅広い分野にあるアート系ファッション写真

前回から人気の高いアート系ファッション写真のフォトブックのガイドが出版されていない理由を考えてきた。
ファッション写真自体の評価の難しさも、いままでにガイドが制作されなかった背景にあると考えている。ここからはやや小難しい解説になるが、どうかご容赦いただきたい。
つまり、ファッション写真には、単に洋服の情報を伝えるだけのものと、ファッションが成立していた時代の気分や雰囲気を伝える、アート系と呼べるものが混在しているのだ。たとえば現代アート作品の場合、写真家は時代が抱える問題点をテーマとして見つけ出し、それに対する考えをコンセプトとして提示する。アート系ファッション写真は、頭でテーマを考えるのではなく、各時代を特徴づける言葉にできないフィーリングを写真家が感じとり、ヴィジュアルで表現することになる。分かり難いのは、その時代に生きる人が共有する未来の夢や価値基準の存在が前提条件となることだろう。アート系ファッション写真は、それらが反映された時代性を写真家が抽出しているわけだ。
例えばヘルムート・ニュートンは、早い時期から、男性目線ではない自立した女性を意識した作品を提示してきたのが評価につながっている。見る側にこの部分の明確な認識がないとファッション写真の区別や評価はできない。

時代性が反映された写真という前提に立つと、アート系ファッション写真の定義は従来のステレオタイプ的なものよりかなり広範囲になってくる。

80年代を代表する米国人写真家ブルース・ウェバーは、”私は新聞に掲載されている消防士の写真や、30年~50年代のパリのドキュメントやストリート写真にファッション性を感じる”と”Hotel Room with a View”(Smithsonian Institution Press, 1992年刊)掲載のインタビューで語っている。
“Hotel Room with a View”(Smithsonian Institution Press,  1992年刊)

また、”被写体となる人間自身が最も重要で、もし彼らが自らのライフスタイルを表現して、とてもパーソナルな何かを着ていれば、私にとってそれらの写真は人生の何かを伝えている”とも発言。評論家のマーティン・ハリソンは、ウェーバーはキャリアを通して、確信犯でファッション写真を次第にブルース・ウェバーの写真に展開させてきた。と評価している。

ハリソンは彼の著書”Appearances”でヴォーグ誌のアート・ディレクターのアレクサンダー・リーバーマンが理想としているファッション写真を紹介している。それは、最高のセンスを持つアマチュアで、写真家の存在を感じられない写真、だとしている。1940年代に新人編集者にそれに当てはまる、アーティストの自己表現とファッション情報の提供がバランスしている2枚の写真を紹介している。

 

最初の1枚は、エドワード・スタイケンによるヴォーグ誌1927年5月号に掲載されたマリオン・モアハウス(Marion Morehouse)をモデルとした写真。
“Appearances”page 47 掲載のエドワード・スタイケン作品 
リーバーマンは、その写真は流行りのシェルイ(Cheruit)のドレスを明確に撮影しているものの、女性に敬意を表し彼女の最高の魅力的な瞬間を表現している、としている。ハリソンは、この写真は1920年代に欧米で流行した革新的なフラッパーの要素を従来の婦人像と融合させている、と評価している。
もう1枚はファッションとは縁遠いウィーカー・エバンスがキューバのストリートで1923年に撮影した白いスーツを着た男性のドキュメント写真。
“Appearances”page 46 掲載のウォーカー・エバンス作品

彼は”これは明らかにファッション写真ではないが、私はこれこそが根源的なスタイルのステーツメントだ”と語っていると引用されている。これも上記のウェバーと同じ意味だ。本稿の中でセレクションしていくアート系ファッション写真も同様の基準で行われることになる。つまり、雑誌用などでファッション写真として制作されたもの以外にも、時代性が反映されたドキュメント系、ストリート系、ポートレート系が含まれることになる。

次回は時代で移ろうアート系ファッション写真の前提条件に触れる予定だ。もう少しで具体的なフォトブックの紹介となる。

トミオ・セイケの初期作品発見!
カメラ毎日76年3月号・山岸章二との出会い

トミオ・セイケ写真展に和歌山から来廊されたT氏が、カメラ毎日1976年3月号を持参してくれた。そこには当時新人だったセイケによる初期のカラーとモノクロの風景作品が“Landscape”というタイトルで10ページに渡り紹介されていた。これらは、1974年9月から1975年5月までの在英中に撮影された作品で、写真家自らがカメラ毎日の山岸章二(1930-1979)に売り込みに行って、採用されたとのことだ。

カメラ毎日76年3月号 98ページ Ⓒ Tomio Seike

最初の5ページはセイケでは珍しいカラー作品が紹介されている。

カメラ毎日76年3月号101ページ Ⓒ Tomio Seike

それらはリバーサル(ボジ)フィルム「コダクローム」と望遠レンズを使用して、手持ちの多重露光で撮影された、センチメンタルで絵画的な作品だ。50年代前半のアーヴィング・ペンの風景から人物が消えたような雰囲気に感じられる。

 後半5ページは「イルフォードHP4」で撮影されたモノクロ風景。近景を撮影した作品は、フランス人写真家エドワール・ブーバ(1923-1999)を思い起こさせてくれる。この当時のセイケは、まだ30歳代前半。カラー、モノクロ、そして広角、標準、望遠と様々なレンズを使って、自らのオリジナリティーを探そうとしていた様子が垣間見れる。ちなみに使用していたカメラはニコンF2だ。セイケは、“ファッショナブルではなく、美しさと洗練さを兼ね備えた写真”を目指して取り組んだと同誌に記している。
カメラ毎日76年3月号105ページ Ⓒ Tomio Seike
山岸は1960~1970年代に活躍した伝説的な写真編集者。当時は、欧米で「ライフ」などのグラフ雑誌が衰退し、自己表現としての写真が注目されてきた時代だった。山岸は欧米の最前線の現代写真を雑誌で次々と日本に紹介していった。若い才能ある写真家の発掘にも力を発揮して、20歳代の森山大道、篠山紀信、立木義浩を雑誌でいち早く取り上げている。
また写真展の企画も手掛けており、ダイアン・アーバス、リチャード・アヴェドン、J-H・ラルティーグ、ピーター・ベアードなどを日本に紹介。海外への日本写真紹介も行っており、1974年には、ニューヨーク近代美術館で“New Japanese Photography”展、1979年にニューヨーク国際写真センタ―(ICP)で”日本の自写像”展をキュレーターとして開催しているのだ。ネット上では、写真評論家の飯沢耕太郎氏が“Photologue – 飯沢耕太郎の写真談話”で詳しく語っているので参考にしてほしい。
私は窓社の西山俊二社長が手掛けた“写真編集者 山岸章二へのオマ―ジュ”(西井一夫 著、窓社 2002年刊)を読んで、山岸の極めて個性的な人物像を知ることができた。著者の西井一夫(1946-2001)は、山岸の部下として一緒に仕事をした人物で、85年4月号で休刊になったカメラ毎日の最後の編集長。同書には、山岸の写真界での功績や、彼と森山大道、東松照明らとの興味深いインタビューも収録されている。興味ある人は一読を進めたい。
若かりしセイケが、カメラ毎日の山岸によりデビューの機会を得たのは新たな発見だった。山岸は1976年から編集長になるが、3月号の編集長は北島昇となっていた。セイケが会った時はまだ副編集長だったと思われる。セイケによると、売り込みに行ったら、山岸はいきなり10ページを与えてたという。山岸が初対面だった森山大道の持ち込み写真の雑誌掲載を即断したエピソードは伝説になっているが、同じようなことがセイケにも起きていたのだ。
この号の多くの掲載写真の中で、セイケの実験的要素があるが洗練された作品は全く異質に感じられる。たぶん山岸には、外国人写真家を紹介するようなニュアンスがあったと思われる。またセイケの欧米写真家的な写真への取り組み姿勢を評価して発表の場を与えたのだろう。山岸は、約40年以上前にセイケの現在の写真家としての成功を見事に見抜いていたのだ。
同誌は、セイケにとって初めての雑誌掲載だった。雑誌の刊行を待ちわびていたセイケは山岸に連絡をとったという。直ぐに編集部に来いといわれて訪問すると、編集部用の早刷り雑誌をセイケに渡してくれたとのことだ。セイケがこのようなエピソードを話すのは珍しい。山岸の何気ない厚意にとても感動し、その人間性に魅了されたのだと思う。
参考のために同誌「今月登場」のセイケのコメントの最終部分を転載しておく。
「渡英中、日本の写真雑誌を見ては、流行ではない、洗練されたきれいな写真を撮りたいと思っていたという。コンポラでもない大型カメラでもないもの、そういう写真を掲載してくれる雑誌は、もう日本にはないのか、と思っていたが・・・・・・・。」
山岸は1979年に初老性鬱病を患い自死している。その後、日本はバブル経済へと進んでいく。ここから日本の写真は欧米と全く違う方向に進むのだ。写真でのパーソナルな表現よりも、好景気でお金が流れてくる商業写真が中心となる。多くの写真家がその延長線上に自由な自己表現の可能性があると信じた。しかしバブル崩壊によりあっけなくそれが幻想だと気付かされるのだ。2000年、上記の編集者の西井は山岸を約20年ぶりに振り返り、“遂に、日本には、写真雑誌は根付かず、写真エディターも育たず、写真批評の地平線も生まれなかった。山岸章二はいまだ必要なのか?”と記している。
欧米の写真状況を熟知しているセイケも、山岸の死後、日本の写真状況は悪化していると語っている。
この国では、いまだに欧米のような「写真」での表現は生まれず、「写真」はその領域の中で様々な価値基準とともに存在している、という意味だと理解している。日本で写真作品が売れない理由もここから来ているのだ。

アート系ファッション写真の
フォトブック・ガイド(連載-2)
玉石混交のファッション系の写真集

いままでに刊行されたフォトブック・ガイドはだいたい次のように分類できる。
著者の個人的な好み、刊行年代別、国や都市や地域別、カテゴリー別、単独コレクションの紹介などだ。最近はマグナム・フォトの写真家だけのフォトブック・ガイド“MAGNUM PHOTOBOOK”(Phaidon Press、2016年刊)も発売されている。
“MAGNUM PHOTOBOOK”(Phaidon Press、2016年刊)

そのなかで、種類が少ないのがカテゴリー別だろう。ヌード系をまとめた“Book of Nude”(Alessandro Bertolotti、2007年刊)があるくらいだ。

“Book of Nude” (Alessandro  Bertolotti、2007年刊)私が個人的に発刊を待ち望んでいるのが、アート系ファッションやポートレート分野のフォトブック・ガイドだ。ファッション写真自体だけなら、写真家、歴史、ヴォーグ/ハーパース・バザー/ザ・フェイスなどの掲載された雑誌メディア、またブランドやデザイナー、ファッション・エディターごとにまとめられて刊行されている。しかし、写真家のモノグラフの包括的なガイドブックは私の知る限り存在していない。

 この分野は、アート写真コレクターだけでなく、ファッション業界の人にもアピールできる。出版すればかなりの売り上げが予想できると版元も考えるはず。不思議に感じたので、いくつかその理由を考えてみた。
一番単純なのは、各時代を代表するファッション写真家のキャリアを回顧したフォトブックのガイドを制作することだろう。しかし、それだとすでに引退したり亡くなった人が対象になり、本の数があまり多くないのだ。ファッション写真のアート性が認められたのが比較的最近であることも影響している。それ以前に活躍した人の再評価は現在進行形なのだ。現役のファッション写真家の場合は、キャリアの途中でそれまでの仕事を回顧するケースは稀だと思われる。

また現役写真家の本の場合、かなりの数の自費出版が含まれているのが状況を複雑化していると思う。広告で稼いだ写真家が経費を思う存分に使って自分の広告写真のアザー・ショットやヌード、スナップ、風景などのプライベート写真を大手出版社を通して写真集化する場合が多く見受けられるのだ。それらは、仕事上のクライエントや広告代理店へのアピールが主目的で制作されるのだが、時に豪華本で、有名出版社から刊行される。広告業界で知名度が高いファッション写真家も含まれる。表面上は自費出版かどうかが非常にわかり難い。

“Understanding Photobooks” (A Focal Press Book、2017年刊)

以前のブログで紹介したヨーグ・コルバーグ(Jorg Colberg、1968-)著の、フォトブック解説書“Understanding Photobooks(The Form And Content of the Photographic Book) ”によると、いまほとんどのフォトブック出版では写真家が資金を出しているという。それゆえ、フォトブックを出している出版社からも、ファッション写真家の写真を本形式にした、自費出版本は刊行されているのだ。厳しい経営環境の中、有名出版社でも長い物には巻かれよになってしまうのは理解できる。またコールバークの本では、フォトブック制作では写真家は独裁者ではなく、多くの関係者間のコーディネーターの役割を果たすべきだとしている。しかし、上記のファッション系の本では、写真家が独裁者となりすべて自分の思い通りにする場合が多い。残念ながらアマチュア写真家の本作りと同じ構図になっているのだ。

それらはもちろんフォトブックではなく、ファッション写真家による写真集形式の作品カタログとなる。現存の写真家なので資料的な価値もない。
このように制作意図が全く違うファッション写真家の写真集が世の中には混在している。外見は豪華なのだが、内容が伴わない写真集が非常に多いのだ。膨大な数のなかから、アート系のフォトブックを区別するのはかなり難しい作業になるのだ。ファッション写真家による作品カタログのガイドブックをわざわざ制作しても、それは職業別の写真家ガイドでしかない。アートに興味を持つコレクターは全く面白味を持たないだろう。これこそがアート系ファッション写真のフォトブック・ガイド制作を考えるときに真っ先に直面する大問題なのだ。
アート系を分別するには、すべての刊行物を購入して内容を吟味するのが理想だ。しかし昨今の出版物の洪水のなかでは費用的、時間的に実際的ではない。私が判断する際に参考にしているのは、刊行後の古書市場での相場動向だ。アート系ファッション写真のフォトブックはプレミアムが付くが、それ以外は当初販売価格以下で売られている場合が多いのだ。また洋書店のバーゲンセールで売られている場合も多くみられる。ファッション雑誌の売り上げが落ちているように、ファッションのカタログ的な写真集も消費者になかなか買ってもらえないのだ。

次回の第3回では、アート系ファッション写真の評価基準を少しばかり小難しく解説する。

ファッション写真を愛する人へ
新分野のフォトブック・ガイド (連載-1)いよいよ連載開始!

いままでになかった、ファッション系フォトブックのガイドブック。これから個人的に不定期の連載形式でまとめていきたい。最初の数回は、フォトブックやアートとしてのファッション写真の前提条件の確認を行っていく予定だ。たぶん完成までにはすごく長い道のりになると思われる。興味ある人はどうかお付き合いください。
(1)はじめに
まず最初に、フォトブックがどのような経緯でアート写真コレクションの一部になったかを見てみよう。アート系ファッション写真のフォトブックはその延長線上に登場することになる。21世紀になって、写真集のカテゴリーの一つであるフォトブックのガイドブックが相次いで発売された。念のために確認しておくが、フォトブックは写真家が本のフォーマットを利用して自己表現しているものを指す。世の中に氾濫している、写真を本形式にまとめたものとは別物になる。
いままでに、
“The Book of 101books”(Andrew Roth、 2001年刊)、
“The Open Book”(Hasselblad Center、2004年刊)、
“The Photobook : A History Volume 1 & 2 & 3”(Martin Parr &Gerry Badger、2004、2005、2014年刊)
が相次いで発売され、2009年には金子隆一氏による日本のフォトブックのガイドブック“Japanese Photobooks of the 1960s &’70s”が発売。私自身も“アート写真ベストセレクション101 2001-2014″(玄光社、2014年刊)を出版させてもらっている。

当時のアート市場の状況にも触れておこう。経済は2000年初めのITバブル崩壊から立ち直り、2008年ごろま景気拡大が続いていた。好況を背景にアート・ブームが起き、アート写真相場も同時に上昇していた。そのような環境下で、過去の出版物の系統だった情報と評価を提供するガイドブックの登場が、フォトブック・コレクションを後押しした。比較的割安だったフォトブックが、最後に残された未開拓のアート・コレクション分野としてにわかに注目されたのだ。

いままであまり知られていなかった60年代~70年代の日本のフォトブックも欧米に紹介され、ミニブームが到来した。浮世絵の伝統を持つ日本では、オリジナルプリントではなくフォトブックが写真の自己表現で、日本人写真家のヴィンテージ・プリントに該当するのが初版フォトブックだと解釈されるようになる。神田神保町の写真集専門店には海外からの引き合いが増大。ガイドブック掲載の日本人写真家の古書相場は急騰した。
いままで、この分野はスワン・オークション・ギャラリーズなどの中堅オークション業者が写真作品の一部として取り扱っていた。ブーム到来で大手オークション・ハウスもフォトブックに注目した。クリスティーズ・ロンドンは2006年に“Rare Photobooks”の単独カテゴリーのオークションを開催。ついに2008年4月には、クリスティーズ・ニューヨークで200冊のフォトブックの“Fine Photobook”セールが行われ、260万ドル(@102.685/約2.67億円)の売り上げを達成している。残念ながら、その後の2008年9月に起きたリーマン・ショックの影響で市場は急速に縮小。単独カテゴリーでのセールは2010年5月のクリスティーズ・ロンドンを最後に行われていない。現在では、レア・フォトブックは低価格帯アート写真を取り扱う、中小業者が取り扱っている。
Christie’s London 2006″Rare Photobooks”
Christie’s NY 2008 “Fine  Photobook”

2017年には、スワンが春に“Images and Objects: Photographs and Photobooks”、秋に“Art & Storytelling: Photographs & Photobooks”を開催している。大ブームは終焉したが、レア・フォトブックの地位はアート写真の一部のカテゴリーとして確立されたといえるだろう。

次回は、フォトブックガイドの分類と、アート系ファッション写真の評価基準を解説していきたい。