2017年秋のNYアート写真シーズン到来!最新オークション・レビュー
(パート2)

今秋の大手3社による定例オークションは、複数委託者セールとともに、珠玉の名品を含む単独コレクションのセールが多く開催された。
フィリップスでの今春に続く“The Odyssey of Collecting”229点のセール、クリスティーズでは“Visionaries: Photographs from the Emily and Jerry Spiegel Collection”の40点と、“Important Photographs from the Collection of Donald and Alice Lappe”67点が開催された。また同社の“Photographs”では、ニューヨーク近代美術館(MoMA)コレクションからのセールが含まれる。同時にMoMAコレクションのオンライン・オークション“MoMA HC Bresson”35点、“MoMA Pictorialism to Modernism”58点も行われた。
2017年春は合計5つのオークションが開催された。出品数は741点、落札率は約73.8%、総売り上げは約1801万ドル(約19.8億円)だった。
今秋はオンラインを含めると合計8つのオークションが行われ、出品数は今春から約18%増加して874点、落札率は約69.8%、総売り上げは約6.1%増加して約1912万ドル(約21.4億円)だった。これは好調な企業決算やトランプ政権の税制改正や規制緩和期待から、ダウ工業株平均株価が史上最高値付近の2.2万ドル台で取引されているという好調な経済環境が影響しているといえるだろう。また最高の来歴のMoMAコレクションの売却や、多数の質の高いヴィンテージ作品を含む上記のような単独コレクションのオークション開催も大きく貢献している。
ちなみに3つの単独コレクションのセールは、平均落札率が約80.9%、売り上げは全体の52%を占めている。
オークションの総売り上げは、リーマン・ショック後の2009年に大きく落ち込み、2013年春から2014年春にかけてやっとプラス傾向に転じた。しかし2014年秋以降は再び弱含んでの推移が続き、ついに2015年秋にはリーマンショック後の2009年春以来の低いレベルまで落ち込んだ。2016年はすべての価格帯で低迷状態が続いていた。2017年は春から市場が回復傾向を示し、年間実績はちょうど総売上高が急減する前の2015年春のレベルを上回ってきた。過去5年の売上平均値を春・秋ともに上回った。売り上げサイクルは、2016年秋を直近の底に回復傾向にあると判断できるだろう。
ただし、クリスティーズで開催された2つのMoMA作品のオンライン・オークションの結果にはやや気になる点があった。5万ドルを超える高額予想のアンリ・カルチェ=ブレッソン、エドワード・スタイケン、クレランス・ホワイトなどの作品が軒並み不落札だったのだ。これはオンライン・オークションが高額作品には向いていないのか、それとも、20世紀を代表する写真家の最高の来歴の作品が過大評価されていたかのどちらかだと思われる。現時点で判断を下すのは難しいところだろう。
MoMA作品オンライン・オークションでは来年にかけて合計約400点が7つのオークションで売りだされる。今後の動向を注視していきたい。
今シーズンの高額落札を見ておこう。
1位はクリスティーズの“Important Photographs from the Collection of Donald and Alice Lappe”のエドワード・ウェストンによる“Betty in her Attic, 1920”。落札予想価格60万~90万ドルの範囲内の約73.2万ドル(約8198万円)で落札。
2位はクリスティーズの複数委託者オークションのピーター・ベアードの“Orphaned Cheetah Cubs, Mweiga, near Nyeri, Kenya, March 1968”。落札予想価格30万~50万ドルの上限を超える約67.25万ドル(約7532万円)で落札されている。
3位はクリスティーズの“Visionaries: Photographs from the Emily and Jerry Spiegel Collection”のポール・ストランドの“Rebecca, New York, 1923”。落札予想価格50万~70万ドルのほぼ下限の約49.25万ドル(約5516万円)で落札。
4位もクリスティーズ“Important Photographs from the Collection of Donald and Alice Lappe”のエドワード・ウェストンによる“Dunes, Oceano, 1936”。落札予想価格25万~35万ドルの上限越えの約43.25万ドル(約4844万円)で落札された。
ランク外だが、杉本博司の海景作品“North Atlantic Ocean, Cape Breton Island, 1996”は、予想外の高額で落札された。これはエディション25の銀塩作品、落札予想価格上限3.5万ドルの4倍近い15万ドル(約1680万円)だった。
大手3者の実績を比較してみよう。
落札上位の結果からわかるように、今秋はクリスティーズがMoMAなどの単独コレクションセールで市場をリードした。売上トップは2014年秋以来ずっとフィリップスだった。今シーズンはクリスティーズが2013年春以来に久しぶりに奪い返した。一方でササビーズは、売り上げ、落札率ともに元気がなかった。
11月には、アート写真オークションの舞台は欧州に移る。
クリスティーズはパリで“Stripped Bare: Photographs from the Collection of Thomas Koerfer”と“Photographies”。ササビーズもパリで“Importante Collection Europeenne de Photographies”と“Photographies”。フィリップスはロンドンで“Photographs”を開催する。
なおヘリテージ、10月19日のスワンなど、フォトブックを含む中低価格帯のオークション結果は後日にお伝えする予定だ。
(1ドル/112円で換算)

2017年秋のNYアート写真シーズン到来!最新オークション・レビュー
(パート1)

今秋の定例オークションは、前半の10月第1週の2日から5日にかけてボンハムス(Bonhams)、フリップス(Phillips)、ササビーズ(Sotheby’s)が、後半の10月第2週からは、10日にクリスティーズ(Christie’s)、11日にヘリテージ(Heritage Auctions)、19日にスワンで(Swann Auction Galleries)で開催される。今回は前半のレビューをお届けしよう。
 前半の注目はフリップスで開催される“The Odyssey of Collecting”セール。これは春にも開催された、米国の金融家・慈善家のハワード・スタイン (1926-2011)の膨大な写真コレクションがベースの非営利団体Joy of Giving Something Foundationからのセール。いままで2回行われて今回が最終回となる。
19~20世紀の貴重なヴィンテージ・プリントから、20世紀写真、コンテンポラリー作品まで、幅広いジャンルの作品229点(春は228点)が出品された。今回は春と比べて中低価格帯の出品が中心。春の落札予想額合計の上限は約795万ドルだが、今回は470万ドルになっている。落札率は約83.4%で春とほぼ同じ、総売り上げは前回の638万ドルから363万ドル(約4.06億円)に減少しているが、事前予想の範囲内だった。やはり来歴がよいことはブランド価値を高めることになるようだ。
最高額を付けたのは、アルフレッド・スティーグリッツが編集した“Camera Work: A Photographic Quarterly”の雑誌セット。1903年~1917年に刊行された1号のみが欠落した2号から50号までのほぼ完璧なセット。落札予想価格10万~15万ドルの範囲内の約13.1万ドル(約1470万円)で落札されている。
ラースロー・モホリ=ナジの“Self-Portrait, 1925”は、落札予想価格上限の約2倍の11.25万円(約1260万円)で落札されている。
興味深い出品には、いまDIC川村記念美術館で展覧会が開催されているフェリーチェ・ベアトの写真アルバム“Japan, 1863-1866”があった。43点の鶏卵紙プリントが収録されている。こちらは、落札価格上限の3万ドル(約336万円)で落札されている。
複数委託者のオークションには、134点が出品された。こちらの落札率は67%にとどまった。
最高額はマン・レイの1点もの銀塩写真の“Rayograph, 1922”で、予想落札価格内の30万ドル(約3360万円)だった。
続くのはウィリアム・エグルストンの“Untitled, 1971-1974”。これは96.5 x 147 cmサイズ、エディション2の、ガゴシアン・ギャラリーで売られたピグメント・プリントになる。彼の作品は、いまや写真ではなく現代アートのカテゴリーと考えられている。落札予想価格7万~9万ドルを超える13.75万ドル(約1540万円)で落札されている。
現代アート系のクリスチャン・マークレー(Christian Marclay)によりサイアノタイプ技法で制作された“Untitled (Luciano Pavarotti, Halo and Four Mix Tapes II), 2008”は、カタログのカヴァー作品。なんと作家のオークション落札最高額の10.25万ドル(約1148万円)で落札された。
おなじく、セバスチャン・サルガドの179.1 x 245.1 cmの巨大作品“Southern Right Whale, Navigating in the GolfoNuevo, Valdes Peninsula, Argentina, 2005”も作家のオークション落札最高額の10万ドル(約1120万円)で落札されている。
フィリップスの総売り上げは約640.4百万ドル(約7.12億円)で、落札率は約77%だった。売り上げは、昨秋よりはよいものの、春の899万ドルよりは約29%減少している。落札率はほぼ春並みだった。

ササビーズは、10月5日に200点の“Photographs”オークションを開催。落札率は54%、総売上高は約290.1万ドル(約3.24億円)だった。売り上げはほぼ昨秋と同じだが春より約15%減少、落札率も昨秋66%、今春68%から低下した。
最初の53点が19世紀の貴重なダゲレオタイプ写真の単独コレクションのセールとなる“IMPORTANT DAGUERREOTYPES FROM THE STANLEY B. BURNS, MD, COLLECTION”。こちらの落札率は37.7%。多くの作者不詳作品が不落札だった。歴史的、骨董品価値の市場評価の難しさを感じさせられた。

複数委託者の147点の落札率は60.5%だった。最高額は19世紀中期のフィリップ・ハース作品“JOHN QUINCY ADAMS、1843”。被写体のジョン・クィンジー・アダムズ(John Quincy Adams)はアメリカ合衆国第6代の大統領だ。こちらは、 落札予想価格20万~25万ドルの上限を超える約36万ドル(約4032万円)で落札されている。
現代写真の最高値はロバート・フランクの“CHARLESTON, S. C.’,1955”歴史的フォトブック“The Americans”に掲載されている、黒人女性が白人の赤ん坊を抱いているイメージ。1969年にフィラデルフィア美術館で展示されたという来歴を持つ作品。こちらはほぼ落札予想価格下限の34.85万ドル(約3903万円)で落札されている。
しかし、フランク作品でも、代表作“New Orleans、1955 (Trolley)”は、落札予想価格20万~30万ドルだったが不落札だった。
高額落札3位は、エドワード・ウェストンの“NUDE ON SAND,1936”。落札予想価格20万~30万ドルの上限を超える約32.45万ドル(約3634万円)で落札された。
ロバート・メイプルソープの貴重な初期のコラージュ、ジュエリー、紙作品も7点が出品されるが、わずか1点のみが落札。これら有名アーティストの関連作品の市場性評価が極めて難しいことが印象付けられた。
ボンハムス(Bonhams)は2日に中低価格帯作品が中心108点の“Fine Photographs”を開催。こちらはすべての価格帯が低迷して落札率は約30.5%、落札額約72.9万ドル(約8164万円)だった。
最高額は、アーヴィング・ペンのフォトブック“Passage”のカヴァー作品の“Ginko Leaves (New York), 1990”で、落札予想価格内の19.95万ドル(約2234万円)で落札された。

全体的に中低価格帯で、人気、不人気作品の2極化が進んでいる印象だ。貴重な19世紀写真でも骨董品的価値しかないものへの市場の関心は低調だ。20世紀写真の有名写真家でも、絵柄によってはコレクターが関心を示さないという厳しい状況も見られた。ここ数年続いている傾向がより明確になってきた印象だ。一方で人気写真家の有名作品でも、強気の最低落札価格を設定している出品作は苦戦していた。2極化が進む中でも、人気作の高値はそろそろピークを迎えつつあるようだ。

さて10月第2週に開催されるクリスティーズは大忙しのスケジュールになっている。複数委託者によるオークションとともに、2つの単独コレクションからのオークションを開催する。また、同時にMoMAコレクションのオンライン・オークションも開催される。中低価格帯中心のヘリテージ、スワンのオークション結果とともにパート2でお伝えしよう。
(1ドル/112円で換算)

写真展レビュー : 東京都写真美術館
長島有里枝 “そして ひとつまみの皮肉と、愛を少々。”

本展は、長島有里枝(1973-)の公共美術館での初の展覧会。初期作のセルフ・ポートレートから新作までを一堂に展示する、キャリア中期の回顧展になっている。
彼女は学生時代から約24年間にわたり写真を撮影し続けているが、本展に至るまでに、いくつかの幸運に恵まれている。まず90年代のヘアヌード・ブームに乗ってキャリア初期に注目されたことだろう。当時、アート表現ならへアヌードも当局に容認されるという解釈が巻き起こった。出版業界はヌード写真バブル状態になった。どのようなスタイルでも、ヌードを撮影する写真家は一夜にしてアーティストになったのだ。それにはセルフヌードを撮影する写真キャリアの浅い若い女性も含まれた。この辺のきっかけは荒木経惟が登場してきたのと同じ構図だ。ちなみに長島は荒木に評価されて、1993年に“アーバナート#2”展でパルコ賞を受賞している。
また90年代中頃に起きた、若手女性の写真を評価する“ガーリー・フォト”のブームに乗ることもでき、2001年に木村伊兵衛賞を受賞している。この女の子写真ブームに対する的確な評価と解説は、同展カタログの掲載のエッセーで編集者のレスリー・マーチン氏が行っている。興味ある人は一読を奨めたい。
キャリア初期に評価されたことや、社会的ブームに後押しされた幸運を多くの人は羨むかもしれない。しかし人生はその後も続いていく。認められたワンパターンの撮影スタイルに陥り、そこから永遠に抜け出せない場合や、初期作を超えられなくて消えていく人も数多くいる。特に日本では若い女性が目新し方法論を駆使して表現しただけで面白がられる傾向がある。しかし、若い表現者は次々あらわれ、また誰しも年齢を重ねていく。
長島の素晴らしさは、キャリア初期に評価された後も、約24年間にわたり、留学、結婚、出産、離婚などのライフイベントを乗り越えて活動を継続してきたことに尽きるだろう。資料によると、最近は活動の幅を広げてエッセー執筆や、共同作業で縫い合わされたテントやタープのインスタレーション作品も発表している。写真展では異色の、巨大なインスタレーションは同展会場で鑑賞することができる。
最初に注目されても、まったく評価されなくても、作家活動を何10年も継続するのは普通の人には絶対にできない。それが可能だったのは、本人にカメラや写真を通じて社会とコミュニケーションを行うという強いモーチベーションがあったからだ。作家活動を継続した末に、本人の持つ社会と関わりを持つ語られないテーマ性に専門家が気付くようになるのだ。長島の場合、一般的に認識されている作品のテーマ性は、本展キュレーターの伊藤貴弘氏が指摘するように“社会における「家族」や「女性」のあり方への違和感”となるだろう。
同氏は、本展のカタログでは、英国の女性小説家のヴァージニア・ウルフ(1882-1941)の評論『自分だけの部屋』から「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」を引用。見事に長島作品と歴史との関係性も見立てている。
またカメラがデジタル化して、誰にでも簡単に写真が撮れるようになった。いまセルフィー(自撮り)といい、自分自身の写真を撮影する人たちが数多く存在する。写真の専門家は、カメラはアナログだったものの、長島はその元祖的な存在だと評価している。
今回、初めて彼女の話を聞く機会をえた。美大出身で挑発的なセルフ・ヌードなどを撮影しているので、かなり個性的で自我が強い人かと先入観を持っていた。しかし意外にも、ナチュラルで虚勢を張ることない、全く嫌みのない人に感じられた。自分のプライベートなことも抵抗感なく晒すことができるのだが、そこには見る側に同情を求めるような嫌らしさは微塵もないのだ。無理して格好をつけて、自分が消化していない現代アート的なコンセプトを語ることもない。初期作品での、女性肉体のヴィジュアルが男性に消費されることやその背景の社会構造への違和感を淡々と語っていた。ここらへんがキュレーターや編集者などが、上記のようなテーマ性の提示だと指摘したいところだろう。しかしこれは意識的というよりも、自然と湧き上がってきた感覚的なものではないだろうか。
ビジュアルの良し悪しにこだわることなく、彼女は自然体で被写体に向かいあって撮影しており、人に褒められる良い作品を制作しようなどといった邪念が少ないのだと思う。キャリア初期に写真家として認められた後も偉ぶり虚勢を張ることもないスタンスに変化がないのだ。
想像するに、初期作で全員が躊躇なくヌードになるような家族環境が彼女のような社会のしがらみをあまり気にしない存在を育んだのだろう。写真には撮影者の人格が投影されるといわれるが、このような取り組み姿勢があるからこそ、彼女の写真に多くの人が引きつけられのではないか。

長島はまだ40歳代中盤、美術館での回顧展を開催するには異例の若さだ。キャリア初期での成功が大きく影響しているものの、邪念を持たずに長い期間に渡って表現を継続すると、第3者が作家性を見立ててくれる好例といえるだろう。
本展開催は都写真美術館にとっても英断だったと思うが、写真文化の振興を標榜するという同館の方向性と見事に合致していると思う。エゴとお金にまみれた現代アートやマーケットとは一線を画す、独自の写真文化萌芽の可能性を感じた。本展は写真を撮る若い人に、写真家のキャリア展開のひとつの道筋を示しているのではないだろうか。

長島有里枝
そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。

トミオ・セイケ写真展 見どころを解説!「Julie – Street Performer」
10月3日スタート!

ブリッツ・ギャラリーでは、海外を中心に活動する写真家トミオ・セイケの「Julie – Street Performer (ジュリー – ストリート・パフォーマー)」展を10月3日から開始する。本展では、若きストリート・パフォーマーであるジュリーを中心に撮影された1982年の作品が世界初公開される。昨年に当ギャラリーで開催して好評だったリヴァプールの若者グループを撮影した「Liverpool 1981(リヴァプール 1981)」と、本作はセイケが80年前半に英国で出合った若者たちをドキュメントしたシリーズの2部作となる。
ⒸTomio Seike 禁無断転載
ストリート・パフォーマーは大道芸人と日本語に訳される。外国ではライブ演奏も含まれる。ロンドンでは、行政からライセンスを得たパフォーマーが指定された路上で、歌、踊り、演技、演奏、アートなどのパフォーマンスを行い、観光客を楽しませてくれる。
1982年10月、セイケはロンドンで、カナダから来た若き4名のストリート・パフォーマーに出合う。彼らは男女二人ずつのグループで、ギターなどでの演奏をバックに男女のペアがダンス・パフォーマンスを行っていた。セイケは、彼らに興味を持ち、約1週間にわたりグループと行動を共にする。コヴェント・ガーデン、カムデン・マーケット、ポート・ベロー・マーケットで、主に女性ダンサー・ジュリーのパフォーマンスや私生活を集中的にドキュメントした。セイケのカメラがとらえたのは将来の大きな希望と現実の不安の中で揺れ動く若者たちの表情や態度。前作のリヴァプールの若者たちと同様に、青春の光と影が表現されている。
この80年代初頭の2作では、ともに厳しい環境下で暮らす若者たちが撮影されている。リヴァプールの若者は、常にジョークを言い合い、表情は明るかったという。少なくとも彼らには、十分ではないにしても行政の支援があり、親元にいたので住む家はあったのだ。英国経済は79年~81年にかけて高インフレの進行と景気の後退に直面していた。当時の若者たちは、自分たちの現状は変わらないという一種の諦観があり、そんな自分たちを俯瞰して笑い飛ばすようなシニカルな緩い表情が見受けられる。
一方で、カナダ出身で、旅の中で暮らすストリート・パフォーマーたちの生活環境は、リヴァプールの若者よりも厳しいと思われる。しかし、彼らの表情からは凛としたような強い意志が感じられる。たぶん自己表現の道を歩むという、将来の目標を自らで考えて、決断を下したことによる覚悟がその背景にあるのではないか。
このあたりは、社会階層の変動が乏しい英国と、努力すれば自分の可能性は開ける、と考える新大陸の北米との考え方の違いなのだろう。80年代前半の北米では、まだアメリカンドリーム的な考えを持つ若者が多かったのだろう。セイケは長年英国に暮らし、同国文化をよく理解している。彼が感じた、ストリート・パフォーマーとリヴァプールの若者との生きる姿勢の違いが本作制作の動機の一つだと思われる。
いまや北米社会は超格差社会になってしまった。21世紀のいまあえて本作をセイケが発表するのは、努力すれば自分は変わることができる、という楽観的なアメリカンドリームの勘違いの行く末を提示したかったのではないか。そして、北米と英国の二つの全く違う生き方の姿勢を示し、幸せな人生とは何かをいまの日本人、特に若者に考えて欲しいのだろう。
判断は写真を見るそれぞれの人に任せるとして、私の個人的な意見を述べておこう。たぶん、この二つの考え方の中間がバランス的にが良いのではないか。重要なのは、現実検討能力だろう。米国文化に影響された日本人にも、積極的な思考を追求する人が多くいる。日本人は欧州・英国よりもアメリカ的な考えを持つ人が多いと思う。しかし、彼らはうまくいったらその原因を自分に求め、失敗したときの原因を外部に求める傾向がある。ポジティブな姿勢は良いのだが、同時に客観的に自分の能力を見極めて、自らの判断に全責任を負う覚悟を持つことが重要なのではないだろうか。頑張る一方で諦める、そのバランス感覚だと考える。

セイケの代表作はアメリカ人女性のゾイを20歳から約5年間にロンドン、パリ、ニューヨーク、東京で撮影した「ポートレート・オブ・ゾイ」シリーズだ。「Julie – Street Performer」は、ちょうどそれを開始する1年前の1982年に取り組んだ作品となる。カメラはライカM4とライツ-ミノルタCL、レンズはズミルクスの35mmと50MM、ズミクロン90mm。そしてあのノクチルクス50mmf1.0が使われている。特に本作はセイケがノクチルクスを使用して撮影を行った初めての作品となる。レストランパブ、地下鉄などの光が弱い環境のポートレート撮影ではレンズの能力が見事に発揮されている。それらはセイケ写真の特徴であるモノクロームの抽象美を追求する作品スタイルへの展開を予感させる。

また次作の「ポートレート・オブ・ゾイ」撮影の発想の原点だと思われる作品も発見できる。鏡を見ているピエロの化粧を落としたジュリーの素顔の表情は、ゾイ・シリーズの未発表作と勘違いしてしまう印象だ。一部には、ドキュメント的、また中望遠で撮られた作品が見られる。またセイケ作品は、洗練された、静的な雰囲気のものが多いのだが、本作中にはカジュアルで動きのある写真も発見できる。写真家がどのようにオリジナリティーや撮影スタイル確立に試行錯誤したかの痕跡だといえるだろう。

このように、同作には見どころが満載だ。セイケ写真の原点ともいえる、ファンには非常に興味深い展示だといえるだろう。本展では、デジタル・アーカイヴァル・プリントによる作品21点が展示される。昨年限定発売して好評だったフレーム入りミニプリント。今年も販売する予定だ。こちらは店頭のみの販売となる。トミオ・セイケは土曜の午後に来廊する予定。来廊予定は、ギャラリー・ホーム・ぺージやツイッターを参考にしてほしい。

 トミオ・セイケ 写真展
「Julie – Street Performer」

コンテンポラリー・アートを恐れるな!
難解な現代アートのシンプルな解説書
“Who’s Afraid of Contemporary Art?”

いまやブームは去ったが、かつては男性誌、ライフスタイル系雑誌では現代アート特集が盛んに行われていた。その少し前は、東京でも国際的フォトフェアが開催されていたこともあり、写真がアートになるような特集も見られた。仕事柄、それらの特集にはだいたい目を通す。しかし、現代アートがどのような表現なのか、的確に語られていた特集はほとんどなかったと記憶している。それらは、一時期に話題になったキュレーションサイトの雑誌版のような印象が強かった。雑誌作りの経験豊富なエディターや専門家が、アート関連情報を幅広く収集して、巧みに編集して作られたものだった。つまり、コンテンツ全体への目配りがされていないのだ。たとえば海外の専門家の解説やコメントが掲載されている。それらは様々なアートの前提を理解している人向けに語られている場合が多い。それが和訳され掲載されても、知識を持たない人には内容が理解できないのだ。現代アートはテーマやアイデア・コンセプトが重視され、その理解には経験や知識が必要となる。一般大衆向けの単純なわかりやすさが求められる雑誌とは相性が良くないのだ。アート特集として成立するのは、見てきれいな印象派絵画や、とっつきやすいポップアートくらいまでではないだろうか。

本書“Who’s Afraid of Contemporary Art?”は、このようなわかり難い現代アートの入門書。著者はグッゲンハイム美術館ニューヨークのアシスタント・キュレーターのキョン・アン(Kyung An)と、Carroll/Fletcherギャラリー・ロンドンの展覧会マネージャーのジェシカ・セラシ(Jessica Cerasi)。現代アートとは何か、どのような表現が現代アートになるのか、誰のためにあるのか、何で高額なのかなどのアートの部外者が持つ素朴な疑問に対して非常にわかりやすくかつ丁寧に解説している。
私は夏休み用の本として買い求めた。この手のアート本は難解な場合が多いのだが、非常にわかりやすく書かれていたので約3週間で読破できた。また英語の文体もとてもシンプルで、難しい単語も少ない、ほとんど辞書を引かなくても理解できた。
私が興味を持った箇所をいくつか紹介してみよう。
本書では、何がアートなのかという基本的な疑問に対しても丁寧に解説している。アート作品はアーティストによる提案だとし。作品の各部分の総体での提示というよりも、アートとして何かを見る一種の誘いである。何かを新しい見方と違うパラメータ―で把握するもの。アーティストは作品がアート表現だと信じ、その意図が見る側に作品(それが何であっても)から何らかの意味を引きだすことを強いる、としている。アートの認識は時代の価値とリアリティーとともに変化する。世代によっても無価値だと思われていたものに突然価値が見出される例もあると指摘。重要なのは”それはアートなのか?”という問いかけではなく、”それが優れた作品なのか”だと説明している。
アーティストのブランド化、つまり市場価値構築にアート界の誰が影響力を行使しているのか、どのように注目されるようになるのかを説明した章も興味深い。ここでは、サーペンタイン・ギャラリー・ロンドンのハンス・ウルリッヒ・オブリスト(Hans Ulrich Obrist)などのスーパー・キュレーター、メジャー・コレクター、アート批評に関わる評論家・歴史史家・ブロガーなど、主要な美術賞とそれを決める人たちなどが挙げられている。
一般にはあまり知られていない、アート・ギャラリーや美術館の多様な仕事や社会的役割についても書かれている。
現代アート表現の広がりを示すために、パフォーマンス・アート、インスタレーションアート、パブリック・アート、ストリート・アートなどにも触れている。
個別のアーティストが評価されている理由などにも踏み込んでおり、コンセプチュアル・アートのピエロ・コンゾーニ、パフォーマンス・アーティストのマリーナ・アブラモヴィッチ、タニア・ブルゲラ、ミニマムアートのカール・アンドレ、パブリック・アートのクリスト、バンスキー、シカゴ「ドーチェスター・プロジェクト」のシアスター・ゲイツなどが紹介されている。世の中には本当に自由な発想をもつ数多くのアーティストがいるのだ。写真の世界の人は、とてつもなく刺激的で新鮮に感じると思う。
多くの人が直面するのは、一見では何が表現されているか理解できない現代アート作品をどのように個人的に扱うかだろう。ここの解説が個人的には最も興味深かった。
まず、世の中には膨大な種類と数の作品が存在していて、いま見ているのはその僅かな一部にしか過ぎない事実に思いを馳せろと提案。現代アートは、挑発、挑戦、意外性に関するものなので第一印象は良くないことが多い。また、すべてが新しい表現なので、時間的にまだ何が良くて悪いかの基準ができていない場合がある。新しい表現に関しては絶対的なルールがあるわけではなく、何が良いかを私たちが考えなければならないとしている。現代アートの価値基準は表現と同様に現在進行形で構築されているわけだ。
ただし、一般的なコンセンサスはある。それは良いアートは、アートの歴史に新しい展開をもたらす、いままでと全く違う感情を呼び起こす、最初の出会いの後にも強く印象に残るなどだ。そして、現代アートがわからなくてもあなたが愚かだということではなく、逆に理解できないアートが馬鹿げたものだという意味でもないと主張している。
続いて語られる、現代アートの理解力を高めるアドバイスは意外なほど目新しさはない。好きな作品やアーティストからその背景を掘り下げ、情報収集に励むこと。アートに対して関係者に質問したり、友人たちと語り合うことを提案している。
本書は、英国の大手Thames & Hudsonにより出版されている。最前線のキュレータによる現代アートのわかりやすい解説書なので、たぶん日本語版が出るのではないだろうか。もしかしたら翻訳が進行中かもしれない。ただし現代アートは英語で語られるのが主流なのでアーティスト、キュレーター、ギャラリストを目指す人は原文で読むことを薦めたい。
“Who’s Afraid of Contemporary Art?”
Kyung An/Jessica Cerasi
ハードカバー: 136ページ
出版社: Thames & Hudson (2017/3/21)
言語: 英語 発売日: 2017/3/21
商品パッケージの寸法:  15.2 x 2 x 20.6 cm

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フォトマルシェ4が今週末開催!ミュージック系~アート系まで幅広く展示

いまなんでロック系のミュージック写真が売れるのだろうか。
それは、90年代くらいまでは音楽が時代の気分や雰囲気作りの一翼を担っていたからだ。つまり優れたロック系ミュージック写真は、アート系ファッション写真と同じといえるのだ。この時代を生きた人は、自分が愛聴していた有名ミュージシャンの1枚の写真から過去の記憶が蘇る。当時はいまのような音楽配信ではなく、LPが中心だった。楽曲やミュージシャンの思い出はいま以上にヴィジュアルとともに強く残っている。これは日本だけではなく、世界的な現象になっている。市場規模はファッション写真よりも大きいと思われる。過去の良き時代を懐かしむ流れの一環なのだろう。
しかし、それは単にブロマイド的な有名ミュージシャンの写真が売れるのとは意味が違う。やや分かり難いので、ファッション写真に置き換えてさらに詳しく説明しよう。アート作品にならないファッション写真は、単に服の情報を提供しているだけだ。ミュージック系でも、スナップ、ライブ、広報用などの写真はミュージシャンの情報を提供しているだけなのだ。これらのヴィジュアルにはドキュメント性はあるが写真家やミュージシャンの創造性が作品に反映されていない。
アートになり得る優れたミュージック系写真が生まれるには、写真家とミュージシャンとの深い関係性が非常に重要となる。それは才能を認めあった両者によるコラボ作品なのだ。そのような、作品はLPジャケットでのセッションやプライベートでの撮影の中から生まれることが多い。
市場には、アート系とブロマイド系が混在している。ミュージック系の作品をコレクションする際は注意してほしい。アート系は一般的に限定数の販売で価格が高い。しかし、アート作品なので資産価値を持つ点が大きく違う。
例えば、昨年にデヴィッド・ボウイが亡くなったことで、彼と人間関係が深く、数多くのセッションを行っていたブライアン・ダフィー、テリー・オニール、鋤田正義らの作品相場は大きく上昇した。ボウイ作品でも、スナップ、ライブの写真の価値に変化はない。
さて、今週末から始まるフォトマルシェ4のテーマはMUSUICだ。
メイン展示では、鋤田正義が、デヴィッド・ボウイ、デヴィッド・シルヴィアン、イギー・ポップ、マーク・ボラン。
グリード・ハラリが、ボブ・マーレー、ルー・リード、フレディ―・マーキュリー、エリック・クラプトン、ケイト・ブッシュ、パティー・スミス、ジョニー・ミッチェル、デヴィッド・ボウイのポートレートを展示する予定となっている。
ボウイのようなビッグ・ネームは多くの人が時代性を共感する。しかし、いまほどでないにしても70~80年以降には上記のような数多くのミュージシャンが活躍している。それらのヴィジュアルに感銘を受けるかは、見る側がその時代をどのように生きたかによる。アート系でも、ミュージシャンや写真家の知名度によりお求めやすい価格の作品も数多くある。今回のフォトマルシェでは、来場者がかつて自分が生きた時代を思い起こす写真との出会いが数多くあることを願っている。写真がきっかけで、好きだったミュージシャンを語る場になってくれたら本望だ。
○ブリッツ・ギャラリー展示予定写真家
ブライアン・ダフィー、テリー・オニール、スティーブ・パーク、テリ・ワイフェンバック、鋤田正義、杵島 隆、新山 清、高橋和海、伊藤雅浩など。
○トミオ・セイケ写真展の案内状を配布!
ブリッツでは10月3日からトミオ・セイケ写真展「Julie – Street Performer」を開催する。毎回、好評の展覧会案内状。いつも会期開始直後になくなってしまう。本展のA5サイズカードを、フォトマルシェ4のブリッツのブース内のみで限定数無料配布する。希望者はブースのスタッフに声をかけてください。
○アート・フォト・サイトとJPADSも参加。
約15年にわたり開催しているファインアート・フォトグラファー講座。以下の参加した写真家の作品が展示される。
大塚卓司、橋村豊、柳田友希、今野光、藤原感市、安部礼子、伊藤雅浩。
今回はすべて小ぶりでお求めやすい価格の作品を展示している。私は日本の新しい分野の写真家に育つ可能性を持つ人たちだと評価している。週末には参加写真家も会場にいる予定だ。
○トークイベント開催
・「写真の見立て教室@フォトマルシェ」開催
ここ数年に渡り、ブログで提案している日本の新しいアート写真の価値基準。限界芸術や民藝の写真版としてクール・ポップ写真と呼んで普及に努力している。
7月29日は、初の「写真の見立て教室」を開催して、非常に好評だった。今回はその考え方のエッセンスを実例を提示しながらコンパクトに紹介していく予定。全く新しい枠組みで、現在の日本の写真の世界を分析していく。ブログを読んで興味を持って興味を持った人、写真家、コレクター、キュレーター、写真鑑賞が趣味の人はぜひご参加ください。
・伊藤雅浩(写真家)トーク・イベント
「宇宙の営みを可視化する」
伊藤雅浩(1983年生まれ)は、写真での現代アート表現に挑戦し続けている新進気鋭作家。これまでに、空間周波数に注目して写真のビジュアル分析を行い、ゆらぎ理論を用いたアート写真の客観評価の探求などを行っている。
今回フォトマルシェでは最新の2作品を公開。「陽はまた昇る(The Sun Also Rises)」で、目に見えない大地震のヴィジュアルによる可視化に挑戦。また「Life is a series of choices」では、カオス図形による抽象作品に取り組んでいる。
本トークでは、ユニークな作品メッセージの背景にある発想法やアイデアの見つけ方について本人が語る予定。
聞き手:福川芳郎
○テリ・ワイフェンバック初期作のコレクション相談会を実施
2017年10月1日より、アナログの写真用紙で制作されていたワイフェンバックの初期3作品の販売価格が改定されることになった。残念ながら従来の用紙がデジタル化進行により、生産が中止となり新たに作品制作ができなくなったことによる。エディション数が残っている作品も現在までに制作されたプリント数で制作終了となる。作品の希少性を鑑み、今回は40~50%の大幅な価格改定となる。
In Your Dreams、Hunter Green、Lana/Snake Eyesの作品購入を考えている人は、ぜひ価格改定前のこの機会に作品のコレクションを検討してほしい。会場では、ワイフェンバック作品も一部展示する予定。ブリッツのブースでは作品にご興味を持つお客様向けに随時相談会を開催する。既に売り切れの人気作品もあるが、まだ購入可能な素敵な彼女らしい作品も残っている。
期間中は購入可能作品を旧価格にて提供する予定。ただし、海外でも販売していることから人気作売り切れの場合はご容赦いただきたい。
私はだいたいブリッツのブースにいる予定だが、打ち合わせなどで席をはずすこともある。ご興味のあるお客様は、もし可能なら事前にお出でになる日時をメールで連絡してほしい。フォトマルシェに来場できない人に対してはブリッツで随時相談会を開催。(メールで予約受付中)旧価格でのご提供は9月30日受注分までとなる。

秋のニューヨーク・アート写真オークション クリスティーズがMoMA所蔵品セール!

今秋のニューヨーク定例オークションでの大きな話題になっているのは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の所蔵品がクリスティーズで競売されることだ。
まず10月10日に“Photographs From The Museum of Modern Art”のデイ・オークションが開催。続いて同月の“MoMA: Pictorialism into Modernism”、“MoMA: Henri
Cartier-Bresson”を皮切りに、12月に“MoMA: Women in Photography”、来年1月に“MoMA: Garry  Winogrand”、”MoMA: Bill Brandt”、4月の“MoMA: Walker Evans”まで、テーマやアーティストを絞って複数回のオンライン・オークションが行われるという。オークション前には全米各都市で内覧会が行われるという。写真部門ではとても珍しく、クリスティーズの本セールへの異例の力の入れようがわかる。
ちなみにササビースは、オンラインのみのオークションの落札手数料の廃止を発表したが、クリスティーズのポリシーに変更はない。
美術館がコレクションをオークションで売却するのは、日本人にはやや違和感があるかもしれない。しかし、欧米の主要美術館だと、複数のプライベート・コレクションから節税目的で作品が寄贈される。当然のこととして、特に写真の場合は有名作品が重複する場合もでてくる。また、コレクションには各館の方針があり、それ以外のカテゴリーの作品の収蔵数が意図せずに増える場合がある。その場合は、将来の収蔵予算捻出を理由としての作品売却が可能なのだ。決して経営が苦しくて運営費用のためにコレクションの切り売りをしているのではない。
今回は約400点が売却され、落札予想価格は1000(約11万円)~30万ドル(約3300万円)まで、総額約360万ドル(約3.96億円)の売り上げを見込んでいるとのことだ。出品されるのは、20世紀初期から戦後にかけて活躍した写真史を代表する人たちが中心になる。アルフレッド・スティーグリッツ、エドワード・スタイケン、マン・レイ、エドワード・ウェストン、アンリ・カルチェ=ブレッソン、ウォーカー・エバンス、アンセル・アダムスなど。
目玉になるのは、1923年と1928年にマン・レイにより制作されたともに1点もののレイヨグラフ作品。20~30万ドルと、15~25万ドルの落札予想価格になっている。前者はマン・レイの友人の、詩人、ダダイズムの創始者のトリスタン・ツァラ(Tristan Tzara)が寄贈した作品とのことだ。

ニューヨーク近代美術館同館は1940年に全米で初めて専門部門を設立している写真コレクションの殿堂。同館でコレクションされていたことは、作品評価上で最高の来歴となる。世界中の美術館、企業や個人コレクションが強い興味を示すと思われる。

(為替レート 1ドル/110円換算)

ブリッツ2017年後半の予定
フォトマルシェ4/トミオ・セイケ展

早いもので夏休み期間も終わり、
アート業界はいよいよ秋のシーズンに突入となる。
ブリッツの秋以降の予定を紹介しよう。
○「AXIS フォトマルシェ 4」に参加
9月15日(金)~18日(祝・月)11:00~19:00
会場: アクシスギャラリー
(東京都港区六本木5-17-1 アクシスビル4F)
入場料 : 無料
主催・企画: アクシスギャラリー
六本木のアクシスギャラリーで4回目の開催となるフォトマルシェ。今年のテーマは「MUSIC」となった。メイン展示は、鋤田正義と、イタリア人写真家グイード・ハラリ(GUIDO HARARI)の豪華なロック系ミュージシャンのポートレート。ミュージシャン名は以下の通り。
○鋤田正義
デヴィッド・ボウイ、デヴィッド・シルヴィアン、イギー・ポップ、マーク・ボラン
○グイード・ハラリ
ボブ・マーレー、ルー・リード、フレディ―・マーキュリー、エリック・クラプトン、ケイト・ブッシュ、パティー・スミス、ジョニー・ミッチェル、デヴィッド・ボウイ、ニック・ケイブなど

その他、テリー・オニールのザ・ビートルズ、ザ・フー、ブライアン・ダフィーのデヴィッド・ボウイ作品。また、プリンスのオフィシャル・フォトグラファーだったスティーヴ・パークの作品も展示される。ちなみに9月には彼の写真集「Picturing Prince」日本版も発売される。

それ以外にも、参加ギャラリーやブックショップが新進作家から巨匠の名作までを持ちより展示販売。作品価格帯も、お求めやすい1万円前後から高額なものまで。お買い得な写真集なども出品される予定だ。各種のトークイベントも予定されている。

オープニングイベントは9月15日に開催。18時〜19時に鋤田正義と広川泰士のトークが行われる。

AXIS フォトマルシェ4
○「トミオ・セイケ写真展」
「Julie – Street Performer」
( ジュリー – ストリート・パフォーマー )
2017年 10月3日(火)~ 12月2日(土)
1:00PM~6:00PM/ 休廊 日・月曜日 / 入場無料
ブリッツでは、海外を中心に活動する写真家トミオ・セイケの「Julie – Street Performer」展を開催する。本作は、若きストリート・パフォーマーであるジュリーの生き方をテーマにした初期作。なお、昨年当ギャラリーで開催して好評だったリヴァプールの若者グループを撮影した「Liverpool 1981(リヴァプール 1981)」とともに、本作はセイケが80年前半に英国で出合った若者たちをドキュメントしたシリーズとなる。1982年はちょうどセイケの代表作「ザ・ポートレート・オブ・ゾイ」に取り組む直前の時期で、自らのオリジナリティーや作品スタイル構築を模索していた。本展示作の中には、その後のモノクロームの抽象美を追求する作品スタイルへの展開を予感させる作品が数多くみられる。本展では、セイケの世界初公開の初期作約20枚がデジタル・アーカイヴァル・プリントで制作されて展示される。

*フォトマルシェで案内状を差し上げます!
毎回、好評のトミオ・セイケの展覧会案内状。いつも会期開始直後になくなってしまう。本展のA5サイズカードは、上記フォトマルシェ4のブリッツのブース内のみで限定数無料配布される。希望者はブースのスタッフに声をかけてください。

荒木経惟 写真展レビュー
「センチメンタルな旅」/「東京墓情」24年後の”オリジナルプリントとしての
荒木経惟の作品”

 2017年は、春ころから東京各所の美術館やギャラリーで荒木経惟の写真展が相次いで開催されている。
その中で、最も注目されている東京都写真美術館(以下TOP)とシャネル・ネクサスホールの展覧会を紹介しよう。

荒木の長いキャリアをどのように写真展で紹介するかはキュレーターの腕の見せ所だろう。TOPは彼の原点である妻陽子との新婚旅行を撮影した「センチメンタルな旅」からのキャリア全貌提示に挑戦している。そこを彼のキャリアの原点として、陽子の死、その後の現在に至るまでのつながりのある作品群をセレクション。彼のキャリア自体を「センチメンタルな旅」と重ね合わせているのだ。
荒木は有名人として様々な活動や発言を行っている。ともすれば話題先行となり、作家性は不明瞭になりがちだ。TOPの展覧会では、原点を深堀することて見事に彼の作家像を明確化している。本展が、いままでに開催された複数の荒木写真展のコアとなり、すべてが関連付けられる構図になっている。

新婚旅行の写真というと、スイス人写真家ルネ・グローブリ(Rene Groebli)の“Eye of Love”を思いだす。全く同じモチーフなのだが、それは東洋の「センチメンタルな旅」の真逆の西洋の写真作品になっている。作品はフランスの雰囲気のあるホテル室内で撮影されている。そこには若い新婦のヌードや着替えのシーンなども含まれる。光と影を巧みに操ってシルエットで表現された被写体は絵画的であり、月並みの言葉になるがアートしているのだ。荒木のストレートな写真はまさに対極だといえるだろう。開放的な旅館での撮影、新婦の野外のヌードなど、西洋人が生々しい荒木作品を見て驚愕し、そこに東洋のオリジナリティーを見たであろうことは容易に想像できる。海外で評価される彼の作家性のエッセンスが本作に散りばめられている。
一方でシャネル・ネクサス・ホールの「東京墓情」展は、フランス国立ギメ東洋美術館で開催された荒木の回顧展「ARAKI」がベースとなり、亡くなった妻陽子や猫のチロ、ストリートのスナップ、依頼された写真、有名人のポートレート、新たな撮り下ろし作品がセレクションされている。それに加えて、荒木が選んだ、同館の花、ポートレート、風景などの19世紀日本写真コレクションも展示されている。現在を含む長く多彩なキャリアのエッセンスをコンパクトに紹介する展示になっていた。モダンにデザインされた空間で、フレームの外枠がない設えで作品が展示されている。荒木作品の濃さが失われていない上に、シャネル・ネクサス・ホールとの取り合わせにも違和感がなかった。海外コレクターの荒木作品の展示が想像できる空間だった。荒木経惟が世界的なブランド・アーティストであることが本展では高らかに謳われている。
私はいままで仕事で荒木経惟の作品を取り扱ったことがない。
しかし、1993年6月発行の雑誌“SH・I・N・C”の荒木経惟特集号で“オリジナルプリントとしての荒木経惟の作品”という巻頭エッセーを書いている。いま読み返してみると、様々な興味深い点があったので一部を紹介してみよう。
 まず2ページにわたるエッセーの最後の部分を引用しておこう。

「(前略)いままで述べてきたように、現代の日本を象徴する荒木経惟の作品はファインアートフォトグラフィーとしての独自性は持っているが、国内のプライベート・コレクターには買い難い作品である。一方、あまりにも日本的であることから価値観が違う海外コレクターには理解されにくいとも思われる。しかし、楽しみなのが日本のコンテンポラリー作家のコレクションを避けて通れない写真専門美術館もできた公共美術館の動きだ。一般的に彼らはコンテンポラリー作品の積極的な評価を下しにくい。プライベートではコレクションが難しい世紀末の日本を代表する荒木経惟を(美術館は)どう評価していくだろうか」

約24年が経過して“オリジナルプリントとしての荒木作品”の評価は確定した。彼はその後も作品制作を継続し、現在でも現役として活躍している。その過程で複数のアート性の見立てが行われて、いまや確固たる作家のブランドを確立させている。実際のところ、90年代から継続して作家活動を行っている日本人写真家はほとんどいないのだ。私が読み間違えたのは、荒木作品の見立てを行ったのが海外のコレクターや美術館だったことだ。当時の私は、欧米とは違う価値観を持つ荒木写真は外国人には理解されないと考えていた。しかし、実際は多文化主義の流れで、西洋の価値観にない日本文化の独自性が海外で評価されたのだ。逆に、西洋的なテイストを持つ日本人写真家の作品は、海外の作家との熾烈な生き残り競争の中で苦戦を強いられることになったのだ。残念ながら彼らは思いのほか評価されなかった。

そして、海外での評価があったことから、日本の美術館が荒木の展覧会を開催するようになった。私は、まず国内美術館で評価され、その流れで海外に紹介されると考えていた。残念ながらここでも予想は外れてしまった。
荒木作品の展示は年末にかけてさらに続く。締めくくりは12月17日から丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開かれる「荒木経惟 私、写真。」展。これまでの膨大な作品のなかから、プリントへの着色やコラージュ、フィルムの腐食などによって生と死を強く意識させたり、反転、撹乱させる作品を中心に展示するという。
2017年の日本の写真界は荒木経惟の年として記憶されるだろう。
東京都写真美術館 「センチメンタルな旅 1971-2017-」
シャネル・ネクサス・ホール「東京墓情」(会期は終了)
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

欧米のフォトブック解説書を読み解く
(パート2)写真集との違いを知っていますか?フォトブックの作り方(17の基本ルール)

前回に続き、ヨーグ・コルバーグ(Jorg Colberg、1968-)による、フォトブック解説書「Understanding Photobooks(The Form And Content of the Photographic Book)」(A Focal Press Book、2017年刊)のレビュー・パート2だ。

今回は、”フォトブックの作り方(17の基本ルール)”を以下に簡単に紹介してみよう。

  1. “なぜこのフォトブックが作られなければならないか”という質問に対する明確な回答を持とう
    フォトブック制作上で一番重要なのは、作品コンセプトを本の形式で展開していくことだとしている。つまり、それぞれのフォトブックは作家が発見した社会における問題点をまず提示して、それに対しての自分なりの解決法を提示している。私は問題提起のみでも十分にフォトブックとして成立すると考えている。
    写真のオリジナル・プリントがアート作品になる場合があるのと同じく、写真集の中のフォトブックは、ここの部分が担保されてアート表現になり得るのだ。フォトブックを作る理由が明確に語られない場合、それは写真を集めて本にしたフォト・イラストレイテッド・ブックとなる。同じ写真集のフォーマットなのに、写真家のアート表現と、写真がデザイン的に素材として編集・収録されたものがあるのだ。初心者には、この2種類の写真集の区別は非常に難しいだろう。特に最初に写真ありきで、”フォトブックを作る理由”が後付けされて制作されたケースは厄介だ。それらは、体裁上はフォトブックの制作理由が語られているように見える。しかし多くの場合、写真と制作理由との関わりが不自然、不明瞭で、違和感が感じられるのだ。
    これらの例は、商業写真家やアマチュア写真家の自費出版本に非常に多く見られる。アート写真の専門家が見たらすぐにわかる。しかし、それらが本として悪いという意味ではないので誤解しないでほしい。アート表現としてのフォトブックではないが、写真を掲載したフォト・イラストレイテッド・ブックとしては完成度が高い場合も散見される。両者は外見にはあまり違いがないが、異なる価値観で作られている別物なのだ。
    またパート1でも述べたが、私は最初に写真ありきで、写真家本人は何も語っていないが第3者により制作理由が語られる方法(見立て)もあると思う。ここでは詳しくのべないが、それは欧米とは違うアプローチで作られる、日本独自のフォトブックになり得ると考えている。実際に、いま高く評価されている60~70年代の日本のフォトブックは、海外の専門家に見立てられたものが多い。個人的には、現在の自費出版本の中にも見立てられる可能性を持つものが存在していると認識している。しかし、いまや世界中で出版される写真関連本が膨大な数にのぼる。その中には良質なフォトブックや見立てられる可能性のある本がある一方で、レベルの低い本も数多く存在している。専門家の目に留まらないで、本の洪水の中に埋没して忘れ去られるものもかなりあると思われる。
  2. リサーチの実践
    写真家の心が動いて、読者に伝えたいと考えたメッセージを写真で伝えるには様々な方法がある。それを実践したのが過去に出版されたフォトブックとなる。成功作、失敗作があるが、それらを分析することは自身のフォトブック作りに非常に役に立つ。海外の優れた写真家は、フォトブック・コレクターの場合が多い。それは収集趣味というよりも、自作のためのネタ集めの意味合いが強いと思われる。
  3. ショート・カットを避けよう
    優れたフォトブック作りに近道はないということ。フォトブック制作には多様な分野の膨大な仕事量がある。一人で取り組むとどうしても手抜きが起きる。専門家を雇い入れることがその解決になる。
  4. フォトブックは専門家のコラボレーションで作られる
    本書は写真家の独断主義をいさめている。”My way or the highway”(私のやり方に従うか、それとも出て行くか)が、写真家の出版社に対しての最悪の態度だとしている。大手の場合でも、アドバイスを聞かないような自己主張が強い写真家には自己での出版を進めるとのことだ。出版社は経験豊富でポリシーを持っている、写真家が思い通りにやりたくて出版社の主張が聞かない場合はプロジェクトがすすまない。また自費出版では、写真家がすべての制作過程を同時にこなそうとする場合がある。本書では、それこそは諸悪の根源としている。
    以前のブログ「独りよがりが失敗を生む すぐれたフォトブックの作り方」で、2015年秋の”The Photo Book Review”第9号を引用した。そこには、フォトブック制作プロジェクト時における写真家の心がけについて、自分以外の専門知識を持つ人を利用すること、つまりコラボが良いプロジェクトにするためには必要だ、と提案している。
    本書でも上記の内容を引用していた。つまり優れた写真家でも、フォトブック制作に求められる様々な分野の仕事の素養を持っているわけではない。写真家は、デザイナー、エディター、ライターなどからなるチームのコーディネーターになるべきということ。写真家の主張や思いを実践するためのチームではないことが注意点だ。
    ビジネスマンの人は、会社での仕事の流れを思い起こしてほしい。役職についた人は、各分野の専門家の能力を生かして仕事を遂行していくだろう。それは全体のコーディネーターであり、決して独裁者ではない。フォトブックの制作過程も全く同じなのだ。会社は利益を生むため、フォトブックは作家のメッセージを伝えるためにチームワークで仕事を進めていくのだ。
    フォトブック作りでは、上記のルール#1が明確で、各担当者に浸透していないと、チームワークが上手く働かない。関係者のエゴのぶつかりあいに陥りがちになると指摘している。
  5. どのフォトブックも写真家の出費が必要だ
    まずフォトブックを出版するには写真家のコスト負担が必要だということ。ファンがいる有名写真家で、コンテンツが素晴らしければ出版社が全てのコストを負担する場合もある。しかし、多くは写真家がフォトブックを買い取るなどでコストの一部を負担するのが一般的とのこと。
    本書では大手のDewi Lewisの例を紹介している。それによると、最近は50~60%程度のコストを写真家に負担してもらっているとのことだ。アーティストとしての評価が定まっていない、広告写真家やファッション写真家が有名出版社から豪華なフォトブックを刊行することがある。どうもそれらは、写真家が仕事での儲けをフォトブック製作に投資している事例のようだ。アーティストのブランド構築のために、フォトブックが使われているとも言えるだろう。
    歴史的にも17世紀からアートブックにはスポンサーやパトロンがついていた。出版の際は、写真家はどのような方法でもコスト負担が求められ、ほとんどの場合も儲けを得ることができない、と厳しく断言している。
  6. すべてはフォトブックのために
    これはルール#4のフォトブックは共同作業と関連する。
    編集、シークエンス、写真セレクション、デザイン、素材、サイズ、装丁など、すべての判断は、良いフォトブック制作と関わってくる。
  7. どの決断にも正しい理由がある
    ルール#6で上げた複数の項目の決断には明確な理由があるべきだ。それはそれぞれの担当者の好き嫌いのような感覚重視で行うものではない。繰り返し出てくるが、ここでも最終的にはフォトブックのコンセプトと予算とに関連しなければならない。
  8. 妥協することを恐れるな
    人生と同じで、フォトブック制作にも妥協はつきものだ。妥協は様々な理由から求められるだろう。まず共同作業には妥協はつきものだ。コンセプト重視の制作手法も写真家の個人的好みと相反するかもしれない。一番大きな実際的な妥協は、予算からくるだろう。
  9. 完璧を目指し、できる限りベストを作ろう
    フォトブック制作は、オール・オア・ナッシングの選択ではない。最終的に必要なら妥協しても本を世に送りだすべきだ。その制約の認識と妥協の判断は、一人で行うよりもチームで行った方が的確にできる。
  10. 完璧なフォトブックなどは存在しない
    一つのフォトブックのプロジェクトには様々な方法が存在する。そこには、パズルや模型キットのように絶対的な正解は存在しない。パーフェクトなフォトブックではなく、できる限りベストなものを作ればよい。またその創作過程は従事した人には重要な経験となる。
  11. フォトブックは写真家に多様な効用をもたらす
    重要なのは出版できた事実だとしている。また本は写真家のプロモーション用の手段でもある。それがきっかけで、世間からの何らかの承認を得る可能性がでてくる点を考慮すべき。
  12. あなたの読者を想定して作ろう
    これは、自分でどれだけ数多くのフォトブックを購入したかの経験がものをいう。それは、写真家ランク、内容、装丁などによるフォトブック市場における価値観が持てるようになること。それに照らし合わせて、自分の本の造りや販売価格の適正な判断が下せるようになる。フォトブックをあまり買った経験がないのに、作りたいという人が割と多いものだ。
  13. 編集とシークエンスは謎だらけの黒魔術ではない
    写真作品のコンセプトをより的確に伝えるために、編集とシークエンスが行われる。これが前提だ。写真の見方、複数の写真の関係性の理解なしでは的確にその作業ができない。ラズロ・モホリ=ナジは、”1枚の写真は独立した存在意義を失い、それは全体の構造の一部となる”と、フォトブックと写真の理想の関係を語っていると本書は引用している。その実践には、読者を納得させるシークエンスのロジックの存在が必要だという。
    またシークエンスは最初から最後までに至る”動き”とも理解できる。これは経験を積み、優れた手本を研究することで学べる。教材として提案しているのはウォーカー・エバンスの「American Photographs」と、ロバート・フランクの「The Americans」。納得である。
  14. プロセスに時間をかけろ
    これは文字通りの意味で、時間制限のある中でも必要なら制作期間を延長する余裕が必要だということ。問題があるのに、その回答が見つからないまま制作を続けても良い本はできない。
  15. フォトブックを現物として作業しろ
    本は物理的なものだ。ダミーを制作して実物のサイズ、質感、装丁などをチームで議論して確認したほうが賢明だ。
  16. 制作の要素は全てが重要だ
    ここはルール#4の”コラボ”とルール#8の”妥協”と関わってくる。フォトブック制作過程がすべてうまくいくのが理想だ。しかし、多くの場合は問題に直面する。問題は制作の最終段階よりも、最初の段階で判明する方が対処が容易だ。早い段階から関係者とのコラボを行うことで、問題点に早く気付いて、適切な対応(妥協)が可能になる。
  17. 制作費に思い悩むな
    フォトブックと予算に対する基本的な認識を持たないといけない。それは、制作には多大な費用を写真家が負担しなければならない。出版社が無料で制作してくれるとも、儲けられるとも期待してはいけない、というものだ。以下のようなフォトブック制作者のジョークが紹介されている。”豊富な予算を持って開始すれば、フォトブック制作後に少しのお金が儲かるかもしれない”。つまりフォトブックを制作したいと考える写真家は、事前にある程度の予算を確保しておかなければならないというアドバイスだ。
    そして制作に取り組むにあたり、以下の理解が必要であるとしている。それは、お金儲けを考えるなら、フォトブック以外にもっと有効的な手段がある。フォトブック制作は、無駄になるかもしれない金融的な投資で、金銭的な負担によって持たされるアーティストのステータスであると考えよう。
    本書は、フォトブック制作への取り組み方がかなり具体的に、それも生々しく書かれている。所々に、制作者への厳しいアドバイスもある。本書をまとめると、すべてのフォトブック制作を考えている人は、まずルール#1のフォトブックを作る理由を厳しく自分に問い詰めなければならない、ということだろう。