1962/1963″で、51.15万ドル(約5625万円)だった。
2017年春のNYアート写真シーズン到来 最新オークション・レビュー(2)
1962/1963″で、51.15万ドル(約5625万円)だった。
米国人女性写真家テリ・ワイフェンバック(1957-)の「The May Sun」展がIZU PHOTO MUSEUMでスタートした。彼女は写真で表現するアーティストとして20年以上のキャリアを持つが、国内外の美術館では初個展とのことだ。
本展は、ワイフェンバックのキャリアの中で極めて重要な展示になっている。
今春は、複数委託者による通常オークション前の4月3日~4日にフィリップスが”The Odyssey of Collecting”セールを行った。
これは米国の金融家・慈善家のハワード・スタイン (1926-2011)の膨大な写真コレクションがベースの非営利団体Joy of Giving Something Foundationからの出品となる。同財団からのセールは2014年12月11日~12日ササビーズNYで開催された”175 Masterworks To Celebrate 175 Years Of Photography: Property from Joy of Giving Something Foundation”以来となる。同セールでは、単独コレクションからの最高合計落札金額の2132万ドルを達成している。
1月6日から代官山 蔦屋書店、アクシス・ギャラリー・シンポジア、ブリッツの都内3会場を巡回してきた”BOWIE : FACES”展。早いもので、いよいよ最終週に突入した。展示主要作品は同じなのだが、会場ごとにかなり大胆に壁面展示を変えてきた。現在のブリッツでは、1967年~2002年までの47点の作品を、作家、撮影年代、作品サイズなどをあえて混在させて、壁面全体をフルに利用して展示している。
会期はいよいよ4月2日(日)までとなる。アートとしてのポートレート写真コレクションの考え方や購入後の展示方法など、相談があれば遠慮なく問い合わせてほしい。
参加写真家
ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、
テリー・オニール(Terry O’Neill)、
鋤田正義(Masayoshi Sukita)、
ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)、
ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)、
マーカス・クリンコ (Markus Klinko)、
ジェラルド・ファーンリー (Gerald Fearnley)
ロバート・メイプルソープ(1946-1989)は、エイズでわずか42歳で亡くなった伝説の米国人写真家。80年代に写真をファイン・アートのコレクション対象物に広めたことで知られている。彼は、当時はタブーだった黒人メールヌードやSMなどをテーマにするとともに、自らがエイズで若くして亡くなったことからスキャンダラスな写真家の印象が強い。アート性の評価は、ゲイの美意識により制作された、モノクロの抽象美を追求した高品位のファインプリント作品のというものだった。フォーマル・デザイン、被写体のディーテールや対称性、フレーミングへのこだわりが結合して、耽美なメイプルソープの写真世界が構築されていた。
カタログの紹介文でシャネルのコラス社長は、メイプルソープとシャネルの革新性を指摘し、「メイプルソープもシャネルも、物議を醸しだしたり、ルールを破ったり、予想を裏切ることを恐れませんでした」と書いている。しかし、死後約28年が経過し、メイプルソープの革新性はもはやクラシックになったのではないだろうか。私は、本展は現代アートが市場を席巻する前夜の、アナログ写真の歴史と伝統の集大成を見ているように感じる。それは老舗シャネルのブランド・イメージとも重なるだろう。
評価は第三者の直感による見立てにより行われる。現代アートのようにテーマやアイデア・コンセプトは写真家自身から語られない。民藝が職人の手作業に注目したように、クール・ポップ写真では写真家が心で世界を見る行為に注目する。しかしそれは評価者の主観的な好き嫌いや思いつきでは行われない。また瞑想のような見る行為自体に安易に価値を見出すのには注意が必要だろう。それは優劣がない感覚自体の評価と表裏一体だからだ。またインテリア写真のようにデザイン的視点からだけの評価でもない。「直感」は見る人の美術・写真史や各種情報の集積、様々な感覚に対する理解の結果もたされる。写真家が無意識のうちに提示しようとしている新たな組み合わせ、融合された視点に気付くこと。そしてそれが時代の中にどのような意味を持つかの判断だ。
限界写真のクール・ポップ写真では、アーティストとは、ライフワークとして能動的に社会と接する人の生き方を意味する。カタログのプロフィールを見るに山崎は作品の評価や市場性を求めることなく、写真を教えながら約45年も制作を継続している。彼の人生はまさに上記のようなものだったと解釈可能だろう。カタログでは石田氏が、山崎のフィルムの時代のケミカル・プロセスへのこだわりも評価している。ここも手作業に価値を置くクール・ポップ写真の評価と重なる。
新分野の写真は、誰かが見立てを行うことで評価される。今回の展覧会開催で美術館が見立てを行ったということだろう。山崎作品の評価は、20世紀写真の美意識にこだわる人や、現代アート的なテーマ性、アイデア、コンセプトを重視する人にはすんなりと理解できないかもしれない。しかし、日本の美術界に限界芸術や民藝が存在していたように、写真界にも独自の価値基準が存在していたことが本美術館展により明らかにされたのではないか。私どものような単なる業者が主張するのとは重みが違う。
同館での展示方針は、現代アートと20世紀写真の基準が混在した形式だと理解している。世界的にも珍しい”写真”の美術館であるから、このような展示スタイルになるのは自然だと感じている。しかし、海外から日本は特殊だと指摘される可能性もある。誤解を避けるために、将来的にはどこかの段階で日本独自の写真カテゴリーの提示は必要だろう。今回の展覧会を、その価値観を発信するきっかけにして欲しいと願っている。
エグルストンは、80年代に撮影した作品を1989年に”The Democratic Forest”(Doubleday刊)として発表している。”その他より違う特定の重要な主題は存在しない”と語るように、彼は高尚な主題に対するのと同様の複雑さと重要性をもって、非常にありふれたものにも取り組んでいる。同シリーズは、彼の民主的なヴィジョンを示唆した代表作品として知られている。
引用の範囲はミシシッピィ出身の小説家のウィリアム・フォークナーにまでおよぶ。彼の自分を見下げたような感覚をエグルストンの写真にも見ている。エグルストン作品の持つ不完全さ、緩い感じにフォークナー作品の諦観力との類似性を発見し、それが作品の永遠性を呼び起こすと指摘。このあたりの分析は、両者の作品に精通したネムロフ氏ならでは。ある程度の前提知識を持たないと理解し難い箇所だろう。
写真集の紹介は以下からどうぞ
市場価値はどうだろうか?同じ作品はアンセル・アダムスの”Winter sunrise. Sierra Nebada, From Lone Pine,1944″を発見した。サイズ、プリント年ともほぼ同じだった。1991年は5000~8000ドルだったが、2016年には25,000~35000ドルになっていた。中間値で比較すると約4.6倍の価値上昇だ。アンリ・カルチェ=ブレッソンのボトルを抱えた少年をとらえた代表作”Rue Mouffetard,1954″は、サイズが2016年の方が多少大きいが、2000~3000ドルだったのが、15,000~25,000ドル。こちらは約8倍になっている。アルフレッド・スティーグリッツのフォトグラヴュールの代表作”The Steerage”は、5000~7000ドルだったが、15,000~25,000ドル。こちらは控えめの約3.3倍になっている。作品の骨董品的価値が強いものはあまり上昇していない。
2月14日のバレンタイン・デーに、米国の中堅業者スワン(Swann Auction Galleries)で”Icons & Images:Photographs & Photobooks”オークションが開催された。ドナルド・トランプ米国新大統領選出後の初のニューヨークでのオークションとなった。経済環境は、新大統領の政策による景気回復期待からダウ工業株平均が史上初の2万ドルの大台を越えて推移している。株高で利益を上げたコレクターは作品を買いやすい状況だといえるだろう。
最高額は、エドワード・マイブリッジ(EADWEARD MUYBRIDGE、1830-1904)の”Animal Locomotion、1887″から50枚セレクションされたセット。落札予想価格上限を超える、6.25万ドル(約706万円)で落札された。スワンのニュースレターによると、マイブリッジ作品は同社にとって非常に縁深い写真作品とのことだ。
全体的に好調な結果だったスワンのオークション。しかし、中低価格帯の19~20世紀写真、フォトブックが中心で、中高価格帯のファッション系、現代アート系の出品は非常に少なかった。春の大手業者の定例オークションではそれらセクターの動向を見極めたい。