アート&トラベル
岡田紅陽「湖畔の春」撮影地
本栖湖/中ノ倉峠展望デッキ

風景写真が趣味の人は、機会があれば名作が生まれた撮影場所を訪れてみたいと思うものです。
北海道にはイギリス人写真家マイケル・ケンナが撮影した写真愛好家の聖地が点在しています。洞爺湖のおすすめフォトスポットでもある「ケンナの桟橋」、またいまは伐採されてしまった屈斜路湖畔のミズナラの木は「ケンナの木」と呼ばれていました。

岡田紅陽「湖畔の春」、1935年

今回の「アート&トラベル」は、東京からも日帰りが可能な、岡田紅陽(1895~1972年)が撮影した富士山撮影の聖地を紹介します。財布に入っている2004年に発行された1000円札の裏面には、桜越しの富士山と湖に映る「逆さ富士」の絵柄が描かれています。またいまは見られなくなった1984年の旧5千円札にも湖畔の松の木越しの富士山が描かれています。
これらお札に描かれたデザイン図のもとになっているのが、山梨県の富士五湖の一つ本栖湖(もとすこ)で岡田紅陽が1935年に撮影した「湖畔の春」なのです。お札の富士山は写真をベースに桜や松を加えたりしてデザインされているのです。

撮影地は本栖湖の北西湖岸の身延町にあり、実際のポイントは青湖峠の頂上のにある岩の上で撮影されたとのことです。さすがに一般の人が行くには危険が伴うので、近くの中ノ倉峠(標高1082m)に2016年11月に展望デッキが整備設置されています。いまでは湖畔の駐車場から山道を約30分登ると到達できます。

ここが湖畔の駐車場横にある登山道入り口。看板の裏側を登っていきます。

ここへはJR「下部温泉駅」からバス、タクシーでのアクセスも可能ですが、クルマが便利だと思います。東京方面からは中央自動車道河口湖IC経由で国道300号を西に進んで、中ノ倉トンネル手前を県道709号へ左折します。所要時間はICから約35分程度です。本栖湖畔の浩庵セントラルロッジ、公衆トイレが登山道入り口に近いので、ここを目指すとよいでしょう。 周りに駐車場がありますが、スペース数は多くなく、休日にはすぐに満車になりそうです。
ちなみに浩庵キャンプ場や公衆トイレ前のベンチは、アニメ『ゆるキャン△』第一話に登場した聖地とのことです。

この中ノ倉峠展望デッキとそこに至る山道については現地のパンフレットやガイド本を調べてもあまり詳しい情報がありませんでした。入り口で山から降りてくる女性を含む若者グループに出会いました。どのくらいかかりますかと聞いてみたところ、約20分くらいで行けますよと平然と言っていたので、初心者向けのハイキング・コースのようなイメージを持って出発しました。

このような急斜面のワイルドな登山道が続きます!

しかし、登り始めるとそのような甘い気持ちはすぐに吹っ飛びました。道は最低限の整備しか行われてなく、かなり急こう配が多く、またゴツゴツとした岩場や足場の不安定な場所をぬう細い道でつづら折りで登りが続くという状況で、完全に登山でした。急な山の斜面を登るので、靴が滑ったり、体のバランスを崩すと転げ落ちそうなスリルがあります。しかし、一本道なので道に迷う心配はないでしょう。
当日はローカットのソールが柔らかいスニーカー着用でしたが、登山靴・トレッキングシューズの方が登りやすいでしょう。また、ペットボトルを持って行かなかったのも失敗でした。ハードな運動で汗をかきまくるので、水分補給は絶対に必要です。私の当日の服装は半袖のカジュアルウェアでしたが、道中には大きな岩や倒木もあるので危険です。長袖、長ズボンの方が賢明、短パン、サンダルは絶対にやめた方が良いでしょう。

約30分のかなりハードな登山ののち、展望デッキに到着です。
厳しい肉体運動で日常の邪念は完全に消え去り、真っ新な心で富士山や本栖湖と対面できます。デッキは木製の階段状の作りになっており、座って景色を堪能できます。
ここから見られる、濃い緑の山肌、ブルーの本栖湖、そして壮大な富士山の風景はまさに絶景。疲れも吹っ飛んでしまいました。かなり寒いと思いますが、富士山の山頂に雪が残っている季節に来てみたいと、すぐに邪念がわいてきました。平日だったこともあり、展望台には外国人カップル一組がいただけ、登山、下山の途中に誰とも会いませんでした。

湖畔の駐車場の周りでも、十分に美しい富士山と湖の風景は満喫できます。しかし、峠の高い位置にある展望デッキから風景は全く違って感じられました。ちなみに、スマホの運動データを確認したところ、当日の歩数は5500歩くらいでしたが高低差はなんと38階と出ていました。

本栖湖畔の看板を改めて確認すると、「中ノ倉峠登山道」展望地まで680m(約30分)と記載されていました。これは楽なハイキング30分ではなく、ハードな登山30分だったのです。

実際に撮影地に赴くと名作が生まれた背景に思いを馳せることができます。当時40歳くらいだった岡田江陽は、まだ山道が整備されていなかった戦前に、それも雪が残る寒い時期に大型カメラを背負って、常宿にしていた民宿の浩庵と峠を何度も往復したのだと思います。ちなみに逆さ富士は年間を通して春に1~2回くらいしか見られない稀な現象とのことです。
富士山の名作を撮影するための写真家の並々ならぬ執念が感じられます。撮影と登山は一体で、それ自体が一種の修行のような行為であり、作品コンセプトの一部だったのです。

身延山ロープウェイ、奥に富士山の頂が見えます。

本栖湖がある山梨県身延町には東京から日帰りは可能です。もし時間的余裕があれば日本の名湯百選にも選出された下部温泉郷に一泊して、歴史と文化が息づく日蓮宗総本山身延山久遠寺も訪れたいです。

身延山久遠寺と身延山山頂・奥之院思親閣を結ぶ関東一の高低差763mを誇る身延山ロープウェイもお薦めです。全長1,665m、片道所要時間約7分で、富士山や南アルプス、八ヶ岳連峰や駿河湾までの絶景の大パノラマを満喫できます。

岡田紅陽(おかだ・こうよう)OKADA,Koyo
1895(明治28)年~1972(昭和47)年
1895年、新潟県十日町市中条生まれ。1918年、早稲田大学法律科を卒業。早稲田大学在学中からライフワークとして約60年以上に渡り富士を撮り続けた富士山写真の第一人者。富士山に関わる多数の写真集があります。最初は富士の秀麗な姿、美しいフォルムを追求していましたが、50歳を超えたくらいから撮影スタンスが変化。次第に自分の精神状態や心が反映した富士を撮影するようになります。1935年に本栖湖で撮影された作品「湖畔の春」は旧五千円札、千円札の図版デザインのベースになっています。

(参考記事)
新旧お札・逆さ富士の不思議
日本富士山協会のウェブサイト

アート&トラベル
広島市現代美術館
アルフレド・ジャー展

今回は広島市現代美術館を紹介します。2023年5月に第49回のG7サミット(主要7カ国首脳会議)が開催され、ウクライナのゼレンスキー大統領が来日して注目された広島市。世界遺産の原爆ドーム、宮島の厳島神社、広島平和記念資料館など観光名所が数多く、また広島お好み焼き、瀬戸内の魚介類、広島牡蠣、穴子など地元グルメも充実しています。
かつては修学旅行の定番だった町に、いま多くの外国人が訪れていると報道されているのを見聞きした人も多いでしょう。私は平日に訪れましたが、まさに噂通りで、外国人旅行者がどこに行っても多いのに驚かされました。個人的には、欧米の白人が目立っていた印象で、英語以外にも、スペイン語、ドイツ語、イタリア語、フランス語などの会話が聞かれました。中国人の存在感は感じませんでした。私は主に市内循環バスを利用して市内を移動。乗客の8割が外国人のこともあり、報道されているインバウンド客で賑わっている観光地を実感しました。
地元のタクシー運転手によると、彼らは路面電車、バス、電動レンタサイクルなどを自由に使いこなし、観光を楽しんでいるそうです。まだ地元では、オーバーツーリズム的な環境客増加によるネガティブな印象は持たれてないようです。

広島市現代美術館のエントランス

さて広島市現代美術館は、1989年に開館した日本初の公立現代美術館です。建物の設計は日本を代表する建築家の黒川紀章が担当。しかし老朽化により施設の経年劣化が進み、改修工事が2020年12月から行われ、建物の総合的な補修とともに、環境を意識して展示室の照明のLED化などが行われました。そして約2年3か月振りに2023年3月18日にリニューアルオープン。市内が一望できる緑豊かな比治山公園にあり、施設は古代ヨーロッパの広場を思わせる円形の広場、日本の蔵を思わせる外観の三角屋根などで構成。割と急な通路を上がっていくにしたがい、自然石、磨き石、タイル、アルミへと人工的素材に変化し、過去から未来への文明の発展や時間の流れを表しているとのことです。

同館は以下の3つの方針に沿って各分野の優れた作品を系統的に収集保存しています。(公式サイトによる)

1.「主として第二次世界大戦以降の現代美術の流れを示すのに重要な作品」
2.「ヒロシマと現代美術の関連を示す作品」
3.「将来性ある若手作家の優れた作品」

今までに「ヒロシマ賞」受賞者の三宅一生やシリン・ネシャット、オノ・ヨーコらによる展覧会など、国内外のアート動向を意識した多彩なアート作品を紹介しています。「ヒロシマ賞」は、美術分野で人類の平和に貢献したアーティストの業績を顕彰し、世界の恒久平和を希求する「ヒロシマの心」を現代美術を通して広く世界へとアピールすることを目的として、広島市が1989年に創設したもの。3年に1回授与されます。

カフェ「KAZE」はガラス張りで、明るい光が差し込む開放的なスペース。屋外を眺めながら料理やドリンクを楽しめます。

訪問時は、2020年ハッセルブラッド国際写真賞受賞者のアルフレド・ジャーによる、「第11回ヒロシマ賞受賞記念 アルフレド・ジャー展」が開催中。2023年8月12日付の日本経済新聞の文化欄で増田有莉記者が同展を紹介していて、ジャーが「アイデアや衝動のままに作品を作る人もいるかもしれないが、私はそれを自分に禁じている。リサーチが99%、製作が1%だ。アーティストというのは物事を批判的に考え、コンテクスト(状況)を分析して、変えていこうとする人のことだ。モノを作る前に、考えて、調べて、理解することから始めるようにしている」と発言していることを知って興味を持ちました。

ジャーは、1956年、南米チリ生まれ。82年に渡米して、それ以降はニューヨークを拠点に活動中です。これまでにニカラグアの報道写真から構成され、父親の死を知った二人の娘が悲観に暮れる姿を強烈な光で抽象化して見せる「シャドウズ」(2014年)、ケヴィン・カーターという南アフリカ出身の写真家の悲劇的な人生を、1枚の有名作、テキストのビデオ、LEDライトのオブジェなどで伝える「サウンド・オブ・サイレンス」(2006年)、難民問題をテーマにした「100のグエン」(1994年)などで、現代社会の極めて複雑な社会政治問題を写真、映画、精巧なインスタレーションを通して探求してきました。同展は第11回ヒロシマ賞受賞を記念して開催されるジャーの日本初の本格的個展です。

展覧会のフライヤー、LED蛍光管による「サウンド・オブ・サイレンス」の作品

同展では上記を含むいままでの代表作とともに、ヒロシマを今日につながっている問題としてとらえることを目指した新作「ヒロシマ、ヒロシマ」を展示。これはドローンを使用して市内や原爆ドームを撮影した動画をベースに製作されたビデオ・プロジェクションで、見る側に原爆投下時の爆心地を意識させる作品。スクリーン上で、上空真上から見た原爆ドームの円形のフォルムの映像が次第に抽象画像に変化していきます。ドーム屋根の切り取られた丸い画像が次第に画面上で拡大され突然回転を開始。そして、最後にスクリーンが上がり同じような円形のフォルムの23個の産業用送風機が出現して強風が見る側に一斉に吹き付けられます。見る側は否応なしに爆風を意識し過去の記憶を呼び覚まされる仕組みなのです。ともすると時代経過により風化する過去の記憶、そしてウクライナで見られるような核戦争の脅威が今でも存在している事実をビジュアルと強風という肉体の強烈な体験を通して呼び起こさせる、思考にとらわれない五感に訴えかけるアート作品なのです。

ジャールの行動の根底にあるという「イメージの政治学」のアプローチと斬新なアイデアにより制作された展示からは、写真やビジュアルが他のメディアと組み合わされることで、まだ新しい表現が可能なのだと強く感じさせられました。

ALFREDO JAAR展の展覧会カタログ。円形のイメージは「ヒロシマ、ヒロシマ」の原爆ドームの真上から見た抽象化されたフォルム。

さて美術館へのアクセスがややわかりにくいので説明しておきます。多くのアート好きの旅行者は広島駅から同館を目指すでしょう。公式サイトの「アクセス」をみると、広島駅からは、路面電車、バス、タクシー10分、徒歩約25分だと紹介されています。地図を広げてみると、路面電車の「比治山下」駅下車、徒歩約500メートルで行くのが最短のようです。しかし、よく考えてみると同館は比治山の上に立っている事実に気付きました。つまりこれはフラットな道を歩くのではなく、登坂を500メートル上るという意味なのです。当日は気温も高かったので、観光案内からさらに詳しい情報収集を行いました。案内所で「旨い!広島・宮島」というかなり使える1冊を発見。エリアマップの最初に紹介されている、広島駅北口を起点として市内循環バスの「めいぷるーぷ」の存在を見つけます。これのオレンジルートを利用すると山上の「現代美術館前」まで行けるのです。

市内循環バス「ひろしま めいぷる〜ぷ」

改めて美術館のガイドを見ると、市内循環バス「ひろしま めいぷる〜ぷ」(オレンジルート)は下の方に紹介されていました。ただし、このバスは原爆ドーム前や、市内の観光名所を巡って最後に美術館に立ち寄るので時間がかかるのが難点です。しかし、美術館に行く途中にコンパクトに市内観光ができてしまうとも言えます。行きたい場所があれば途中下車すればよいでしょう。最終的に美術館から広島駅には直接向かうルートなので、帰りの時は極めて便利です。ただし、1時間に一本しか運行していないので、バスの到着時間を考慮して鑑賞時間を調整すればよいでしょう。時間に余裕があまりない人は、行きは駅からタクシー、帰りは市内循環バスが良いでしょう。ちなみに運賃は220円、PASMOも使えました。

東京から広島までは新幹線のぞみで約4時間程度。広島市現代美術館へのアートの旅は日帰りも可能ですが、一泊すれば観光と地元グルメも十分に満喫できるでしょう。

広島お好み焼き

「第11回ヒロシマ賞受賞記念 アルフレド・ジャー展」は10月15日まで開催、「広島市現代美術館 コレクション展 2023-I」は11月12日まで開催。

広島市現代美術館

アート&トラベル
自分を取り戻すための旅
アンフォルメル中川村美術館

私たちはマンネリ化した仕事と日常の繰り返しの生活を送っています。このような忙しい現代人にとって、夏休みは旅行に出かけて体と心をリフレッシュする機会でしょう。しかし高度消費社会では、観光旅行や自然とのふれあいもグローバルに均一化し、記号消費化している事実を忘れてはいけません。多くのアーティストが作品を通してその事実を私たちに伝えています。
私がすぐに思い浮かぶのが、大判カメラのチルト・シフト技法を使用した模型のジオラマのような写真で知られるオリボ・バルビエリの「The Waterfall Project」(2008、Damiani刊)。彼は自然の象徴としての滝と、その近くに人工的に隔離されて存在している観光客を対比して提示し、自然や観光も消費のシステムに組み込まれている状況を表現しています。

一方で、私たちは旅に出かけることで、普段と違う環境に身を置いて新鮮な刺激を受けることもできます。自分探しは私たちが本能的に追い求めるライフワークですが、普段は忙しくてそんなことは忘れ去っています。夏休みの旅行をきっかけにして自らをリセットして、自分らしさを今一度考えてみたいものです。
そのような時の旅先には、誰もが行くような記号消費化された有名観光地ではなく、普段は絶対に行かないような場所が良いでしょう。またドライブ旅行ならば、運転に集中するので余計なことを考えなくなります。音楽もゆっくりと聞けて、気分転換になる場合もあります。ただし渋滞がない場合ですが…。

そのような目的の旅先に適しているのが今回紹介する長野県伊那郡のアンフォルメル中川村美術館です。中川村は南信州伊那谷のほぼ中央に位置する、南北に天竜川が流れる人口5000人足らずの自然豊かな村。また養命酒発祥の地としても知られています。

この地の山間に建つ美術館は、フランス芸術文化勲章を受章した画家で詩人の鈴木崧(すずきたかし)氏の構想のもとに、建築家毛綱毅曠(もづなきこう)氏の斬新な設計によるものです。建築や施設は鈴木氏から中川村が譲り受け、多くの作品も同氏から寄贈されて1993年に開館。同館は二つの建物で構成されており、本館ではコレクション展や企画展を開催、別荘住居跡のような佇まいのアトリエ棟では、鈴木崧の作品や遺品を展示しています。
アンフォルメル(INFORMEL)とは、1951年にフランスの批評家ミッシェル・タピエ(Michel Tapie)が名付けたもので、第2次大戦後のパリで起こった前衛絵画運動のことで、流動するような表現の中に無意識から生まれる「非定型」の絵画を模索しています。

いま同館では、“開館30周年記念展「新・空間縁起」”を、2023年7月27日ー11月30日まで開催中。期間中に7名のアーティストの作品が4期に分けて展示される予定です。期間中は参加者によるアーティストトークも各種企画されています。
詳しくは公式サイトでご確認ください。
今回、ブリッツで先日に個展を開催した地元長野出身の丸山晋一が参加していることから初めて訪れました。丸山の作品は7月27日~8月21日まで本館で展示されています。

同館は予算規模が小さい中川村が運営しているので、美術館としては非常にコンパクトなサイズです。記号消費化された、いわゆる“観光アート”とは違い、特にアート史上で有名なアーティストの高額作品は展示していません。眼前に雄大な中央アルプスが見渡せる山間の自然の中に存在している、毛綱毅曠氏設計のポストモダン的な建築物自体が作品であり、また同館の一番の見どころなのだと感じました。海外のインテリア雑誌で紹介されているような、山間の超モダン別荘を訪問するような感じです。都会では存在しない空間に身を置くことができて、まちがいなく新鮮な感覚を味わえます。

私どもはブログの別カテゴリーで定型ファインアート写真の可能性を提案しています。このような旅先では、邪念が消えた素直な写真撮影が可能だと思います。たぶんここでは無意識のうちにシャッターを押す回数が増えるでしょう。

ちなみに美術館に向かう途中には、南アルプスの伏流水で醸造された地酒今錦で知られる米澤酒造株式会社があります。明治から続く、酒槽に酒袋を丁寧に並べゆっくりと一滴一滴搾るという伝統の技法で酒造りを行っており、世界酒蔵ランキング2022で669蔵中トップ10にランクインされたそうです。お酒好きなら絶対に試してみたいですね。広い直営店が併設されており、おみやげ用や自分用に各種地酒を選んで購入できます。

今回は、ブリッツのある東京目黒から中央高速を使って諏訪湖を通り松川IC経由で行きました。8月上旬の平日でしたが、夏休み期間なので車も比較的多く、時折渋滞がありました。またリニューアル工事による車線規制や、酷暑による事故車や故障車もあり、休憩を含んで約4時間かかりました。ちなみに帰りは事故渋滞にはまってしまい、5時間以上も運転することに。往復で約500キロのドライブでした。ドライブがあまり好きでない人には、東京からの日帰りは難しいかもしれません。
高速が混みあう夏休み期間は、時間に余裕を持って行きたい美術館です。普段は行かないような少し遠い場所の温泉に一泊してはどうでしょうか。

アンフォルメル中川村美術館
長野県上伊那郡中川村大草2124番地

アート&トラベル
杉本博司 小田原文化財団
江之浦測候所

ブログのカテゴリーに「アート&トラベル」を新たに追加した。いま日本各地で地域振興のために現代アートを紹介するイベントが開催されている。また美術館の展覧会も東京中心ではなくなってきた。ファインアート写真のコレクターやアマチュア写真家の、写真趣味を刺激する旅の参考になるようなカテゴリーがあってもよいと考えた。ここではメディア取材のような情報提供ではなく、観客目線のよりパーソナルな感想を書きたい。

最初は日本を代表するアーティスト杉本博司(1948-)が手掛けた「小田原文化財団 江之浦測候所」を取り上げる。
杉本は、2009年に伝統芸能の次世代への継承と現代美術の振興発展に努め、世界的視野で日本文化の向上に寄与することを目的とする小田原文化財団を設立。2017年には箱根外輪山を望む小田原江之浦の地に、ギャラリー、茶室、庭園、光学硝子舞台、石舞台、門などを含む総合施設の江之浦測候所を開館した。同測候所は、なんと現代文明が滅びた後も古代遺跡として残ることを想定して作られているとのことだ。この地の詳しい見どころ/観光案内は、雑誌などいろいろなメデイアで取り上げられているのであえて触れない。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

まずアーティストの頭の中にある様々な作品制作意図や世界へのまなざしなどが、実際の地球上の小田原の地に物理的に出現して、可視化されているいる事実に感動を覚えた。これは2016年に東京都写真美術館で開催された「ロスト・ヒューマン」展にかなり近い発想で作られていると感じる。同展では、いま私たちが直面している現実をもとに、最終的に文明が終わるというストーリーを想像し、杉本自身のコレクションや作品を組み合わせてインスタレーションで表現したもの。「江之浦測候所」は、美術館の枠をとびだし、小田原の約1万坪の広大な土地の中で、自らの想像力を思う存分展開させ「人類とアートの起源」という大きなテーマに取り組んだのだ。全体が杉本ワールドを総合的に表現したテーマパークで、一種のインスタレーション作品なのだ。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

代表的建築物が「夏至光遥拝100メートルギャラリー」だ。
その中心線は夏至の太陽軸と同一線上にある、日の出の光は先端の展望台に直接当たる。現在、内部には杉本の代表作「海景(Seascapes)」の大判作品が展示してある。この作品制作の発想の原点となるのが、杉本が幼少の時に熱海から小田原に向かう湘南電車から見た相模湾の大海原のシーンだったという。100メートルギャラリー先の展望台からは、幼いに杉本が見たのと同じ海景が広がっていた。

もう一つの注目作の「冬至光遥拝隧道70メートルトンネル」は冬至の太陽軸上にあり、冬至の朝日はこの普段は暗いトンネル内を一直線に照らし、出口にある巨石に当たる仕掛けなのだ。受付時に入り口で配られるパンフレット表紙にその写真が紹介されている。
春分、秋分の日の出の方向には、古墳時代の石像鳥居、そして巨石で作られた石舞台の軸線が合わせて立てられている。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

古の日本人は森羅万象に神が宿るという「八百万の神」の精神を持っていた。太陽の高度変化の周期で季節の移り変わりを意識していたのだ。北半球球にある日本では、夏至の頃に太陽の高度が高くなり、それだけ地表面が熱くなり夏になり、冬至の頃は反対に太陽高度が低くなり、地表面が冷えて冬になる。夏至、冬至、春分、秋分を意識する感覚は、農作業など生活に密着した自然歴に繋がっているわけだ。現代日本人が忘れ去っていた自然や太陽とともに生きるという感覚。この地の構造物と一種のインスタレーションは、来場者がその中に身を置くことで、直感的に昔の日本人の持っていた自然と共に生きる感覚を蘇らせて欲しいという、杉本の意図なのだろう。夏至方向の100メートルギャラリー棟のかなり下に、冬至方向の70メートルトンネルがあることは、「夏至の日」には太陽高度が高く、逆に「冬至の日」の太陽高度が低い事実にも気付かせてくれる。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

ちなみに2022年の冬至は12月22日。天候が良くて冬至の朝日がこの中を貫く光景を見たいものだ。今年は日の出の6時48分ごろに合わせて、ライブ配信が予定されているとのこと。
https://www.odawara-af.com/ja/news/wwn2022winter/

広大な測候所の敷地内各所には長い時間が刻まれた様々な石材や石塔などが設置されている。それらはすべて、杉本が長年にわたり蒐集してきたものなのだ。パンフレットで石材の年代や来歴を確認すると、それらは、明治、江戸、室町、鎌倉、平安、白鳳、天平、飛鳥、桃山、縄文、古墳などの時代にまたがる。外部環境から隔離された美術館のような屋内ではなく、野外の自然環境で自分のコレクションを展示している。石材はこの地の自然環境の中で、さらにその歴史を積み重ねていくのだ。

「小田原文化財団 江之浦測候所」


測候所の案内では、この広い敷地内をすべて見て回るのには2時間から2時間30分くらいかかると書かれている。 ギャラリー棟から、茶室を回り、さらに榊の森の斜面を下っていくと道具小屋を改装した「化石窟」にいたる。そこには文字通り多種多様な化石や桃山時代の秀吉軍禁令立て札などがある。竹林エリアを更に下ると片浦稲荷大明神に行きつく。そこからみかん道を上って、展望台を経てギャラリー棟に戻ることになる。急こう配の上り下りがあるので、ここまでの全工程で60~90分となる。未舗装道なので、来場者はスニーカーなどを履いたほうが良いだろう。またトイレは待合棟にあるが、離れた竹林エリアにはない。スマホを確認したら歩数は全部で約7000程度だった。しかし高低差があったので、もっと歩いた感じだった。

「小田原文化財団 江之浦測候所」

多くの人は、点在する展示物をパンフレットの記載をみて、製作意図や年代などを頭で確認する。これは美術館でのアート鑑賞と同じ構図だろう。しかし高低差のある土地を長時間にわたり歩き筋肉を酷使すると、しだいに疲労が蓄積されてくる。しだいに様々な邪念が消えて、頭の中が空っぽになって杉本作品/コレクション/インスタレーションと無の境地で対峙できるようになるのだ。自然の中を歩き回って見る行為も杉本の仕掛けなのではないかと感じた。
100メートルギャラリー棟の下の崖部分はいま工事中だった。そこには2025年に新展示施設がお目見えするという。杉本の頭の中の創造の世界は今でもさらに広がっているようだ。

小田原文化財団 江之浦測候所