神話化されたヴィジュアル世界 ライアン・マッギンレー写真集
「WHISTLE for the WIND」

ライアン・マッギンレー(Ryan Mcginley, 1977-)の新作写真集「WHISTLE for the WIND」(Rizzoli、2012年)が刊行された。2000年~2011年までに撮影された約130作品が収録されたキャリア初期から中期を回顧するものだ。カラー作品は、昨年に刊行された「You and I」(Twin Palms,2011年)とかなり重なる。 違いは2010年以降にスタジオで撮影されたモノクロのヌード作品が収録されていること。
ダストジャケットに採用されているのは、ヌードで走る若者たちの背中を明るめに撮影した”Highway,2007″。これはアイスランド出身バンドのシガー・ロスによる”Med Sud I Eyrum Vid Spilum Endalaust”(2008年)のCDジャケットにも使用されている。
音楽の好みや感じ方は人によって違うし、それを言葉で伝えるのは非常に難しい。私は人に音楽勧めることはしないのだが、このバンドの作りだす寂寥感を持つサイケデリックで美しい音の世界はマッギンレーの自由と美を追求する写真世界と通じると個人的に感じている。

本書「WHISTLE for the WIND」を見るとき、いくつかの注意点がある。
まず写真集として個別の写真を流れで連続して見ない方がよいだろう。実は彼の多くの作品は巨大サイズなのだ。72 X 110インチ(182X279cm)もの壁画のような作品もある。このスケール感は写真集では理解できない。実物の展示見るのがベストだが、展示風景の写真をみてもその感覚がつかめると思う。 つまりアート写真というよりも、現代アート作品として認識して本のページを見たほうがよいのだ。彼は写真で表現する現代アート作家で、本書は代表作を収録したカタログもしくは画集と理解すればしっくりくる。それぞれの作品は映画のワンシーンを切り取ったような連続性、ストーリー性を感じるが、作品自体は独立して存在する。マッギンレーを一般的な写真家と先入観でとらえない方が良いだろう。
カタログ的な写真集の刊行が続いた背景には、自分の世界観はすでに世の中で受け入れられているという認識があると思う。今度はそのイメージを定期的に大量に発信することで自らの世界観を強化しようと目論んでいるのだろう。

前回も紹介したが、マッギンレーは、「私の写真は人生を謳歌するもので、その喜びで、美しさだ。しかし実際の世界にはそれらは存在しない。私が生きていたいと思う、本当に自由で、ルールがない、つまりファンタジーの世界なのだ。」と語っている。彼は気が滅入るようなイメージは作りたくないと一貫して主張しているのだ。
本書ではマッギンレーが紡ぎだしてきたそんなポジティブな写真世界が明確に展示されている。以前紹介したが、彼の作品は初期作品を除いてほとんどがキュメントではなく作り込まれたフィクッションなのだ。(文章最後のリンクの記事を参考にしてください) 私たちは誰も実現したいと願いながら、決してできないファンタジーの世界を持っている。特に高度資本主義社会のなかで交換可能な存在である多くの人は、かけがえのない自分を実現する場所を熱望している。マッギンレーの写真世界では、実生活における偶然性が演出されている。そこでは健康的な若い男と女たちが美しく特別な自然環境の中で、服を着ないで自由に走り、飛び跳ね、またたたずんでいる。誰もが現実には存在しないそんな特別な場所に身を置きたいと熱望するのだ。

マッギンレーの写真世界には様々な仕掛けがある。彼は決してプロのモデルを使わない。素人のモデルたちをヌードで撮影するのが彼の写真の持つリアル感の源泉だろう。ヌードに日本人は違和感を感じるだろう。日本では刑法上の問題が生じてくる。しかし、欧米には裸で自然の中で暮らすヌーディズムの歴史があり、それは衣服の拘束からの解放や、裸で日光、水、大気に触れることを目的とした一種のレクリエーションとして実践されている。基本は他人の裸を見るのではなく、自分が裸になることがも目的だという。彼はインタビューで、モデルたちは服を着ているときの方がセクシーに見えると語っている。つまり服が人を魅力的に見せるからそれを避けようとしたのだ。素人のモデルから、さらに素のリアルさを引き出すために服を着せないのだと思う。

彼の写真ではフレーミングが特徴的だ。多くのイメージは、モデルたちが複雑に絡み合い動き回り、写真の枠を超えて存在する。一瞬をとらえるのではなく、特異な状況の中で、被写体が飛んだり、ジャンプしていたり、落下していたりすることで見る側の心をとらえているのだ。彼は5歳から18歳までほぼ毎日スケートボードをしていた。写真撮影の時もスケードボードに乗っている方法で行うという。ヴィデオでスケードボーダーを撮っていた経験が生かされているのだ。
また彼の世界観は完全にアメリカ文化を下地にしたものだ。野原を駆け抜ける写真などは、明らかにアメリカの原風景とそこで暮らす人々を描き続けた画家アンドリュー・ワィエスの精神と通じている。それは、ラルフ・ローレンやトミーヒルフィルガーの世界観ともつながると写真集巻頭のテキストでも指摘されている。

そんな彼の写真から私たちは自然と様々な意味を読み取ることになる。アメリカの伝統文化を取り込んだヴィジュアルは、直感的にアメリカン・ドリームを思い起こさせる。若干24歳でのホイットニー美術館の個展開催など、彼は実社会ではありえない成功を成し遂げている。若くしてのアーティストとしての成功は彼の神話性を強化する役割を果たしているのだ。 彼の写真世界は、自分の実力で若くて成功を手にするアメリカンドリーム、そして健康、自由、美の象徴なのだ。それが社会環境の変化により、もはや奇跡的な出来事になったからこそ多くのオーディエンスを魅了する。特に彼と同世代の「ジェネレーションY」からは圧倒的に支持されているという。彼の神話性は中間層の没落とともに強化されてきたのだ。

写真集の巻頭で、写真家としても知られる映画監督ガス・ヴァン・サント(1952-)との会話が収録されている。それによるとマッギンレーは次の展開として映画撮影を考えているらしい。元々彼は家族のスーパー8ムーヴィーカメラでスケートボーダーを撮影していた。また毎夏に行っているロードトリップは映画のアイデアを写真にしたとのことだ。入念に仕込まれた撮影アプローチや、動きのあるシマティックな広がりを持つイメージ類をみるに自然な展開だろう。いまや神話化されつつあるライアン・マッギンレーのヴィジュアル世界。こんどは映画形式で多くの人の心を魅了するのだろう。

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