植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ 写真で遊び続けた天才たち

本展はジャック・アンリ・ラルティーグ財団と東京都写真美術館とによる共同企画とのこと。ではなんで植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグの二人展になったのだろうか。 二人の間に特に交流があったわけではないようだ。またともにキャリア後半に世間で認められたアマチュア写真家という切り口にはかなり無理があるように感じる。
色々と調べてみると図録の資料に、植田は「写真に関する自分のゆるぎなき師匠は”ジャック・アンリ・ラルティーグ”である」と1993年のインタビューで語っていたという記述を発見した。二人展のアイデアはこのあたりが発端らしい。

会場では、「実験精神」、「インティメイト:親しい人たち」、「インスタント:瞬間」、「自然と空間」のセクションに分けられて二人の作品が互いに展示されていた。
写真展タイトル「写真であそぶ」が示す通り、ともに写真を楽しむことを貫いた点に共通性を見出したという企画になっている。これは非常に興味深い二人展での見せ方だといえよう。
二人の写真に共通しているのはエゴが微塵も感じられないことなのだ。実はこれは本当に難しい。作家活動を長年続けている写真家は、年齢を重ねるに従いどうしても社会の評価が気になってくる。アマチュア写真家も最初は純粋に好きで写真を撮っている。しかし少し認められると自分が特別だと思い始める。そのような人たちは、もし思い通りにならないと焦りがでてくる。残念なのだが、エゴが次第に態度に出てきて環境などに責任転嫁するようになる。その結果、他人の心を動かすような写真が撮れなくなるのだ。結果を求めず純粋に写真撮影の行為自体に意味を見出し続けるのはとても困難なのだ。ラルティ-グと植田が「偉大なアマチュア写真家」だというの正確ではなく、かれらこそ作家性を追求し続けた真のアーティストなのだと思う。写真を遊ぶ、はそれを象徴した意味なのだ。だから写真自体の表層的な共通性というよりは、写真に対する共通の姿勢が二人展開催の主な理由になるのだろう。

ラルティーグ作品に関するマルティーヌ・ダスティエ氏による図録巻頭掲載のエッセーは、作品を見る視点が明確に提示された素晴らしいものだった。図録を購入した人はぜひ読んで欲しい。
それによると、彼は若い時から自分の未来に希望を見出すことが出来ずに、楽しかった過去の記憶を写真アルバムと日記で残して満足しようとしていたという。その中でフランスの小説家ベルトラン・ポワロ=デルペシュが、陽気で軽薄だと評されるラルティーグ作品の二面性を指摘していることが引用されている。ラルティーグの写真には、彼の人生の苦悩の裏面も感じるということなのだ。つまり、彼は自然の中で生かされている人間の無力さ、生まれた瞬間から死に向かっているとい歴然たる事実をかなり若い段階から見抜いていたということ。たぶん幼いころから写真と日記をつけることで深い思索の世界で生きてきたのだろう。 しかし、彼はそれで絶望して厭世的になるのではなかった。逆にだからこそいまという瞬間を一生懸命、できるだけ明るく生きようとしている。それを支える手段として写真、日記などがあった。それらで楽しかった過去の蓄積を行い、それをベースに未来を信じるのではなく”いま”を生きようとした。将来天国に行くというキリスト教的な未来信仰にすがらない、強い意志を持った現実的な大人の人間だったのだ。その姿勢を理解した人には、ポワロ=デルペシュが指摘しているラルティーグ作品の闇の部分を感じることができ、彼のさらに深い写真世界に魅了されるのだ。それは見る人も作家本人と同じ世界観を持つことに他ならない。

専門家はラルティーグは一つのジャンルでは収まらない写真家と評価している。しかし、私は彼の写真こそはファッション写真だと思う。ラルティーグは、カメラで何かを記録しようとはしていない。また単に自分のフィーリングを重視していただけではない。自分がカッコいいと感じるものにカメラを向けている。
それはスポーツ、飛行機、自動車、自転車、着飾った上流階級の女性たちだった。カッコいいということは時代を感じさせるシーンであるということで、ベルエポック期の気分や雰囲気を伝えるものになる。それらは非常に移ろいやすいもので、見る側の趣味性や感受性に左右される。現代ではファッション写真家がその役割を担っている。ラルティーグは上流階級出身だったがゆえに当時の最先端の時代性を感じ取ることが出来たのだろう。
つまり彼の写真はアートになり得る優れたファッション写真と同様の要素を持つと考えればよい。誤解を避けるために確認しておくが、ファッション写真とは単に洋服を撮影したという狭義ではなく、時代性が反映されたという広義の意味だ。

被写体をモノのように並べる構図やポーズなど、演出がかった撮影アプローチが植田調と言われている。ある意味でこれは植田がディレクションしたファッション写真と言えないことはないだろう。ファッション写真は時代の最先端を意識するメデイアだが、植田作品には山陰の土着的なものローカル的なものが取り込まれている。しかしそれらは決して意識されたものではなく、彼は単純に当時の地元で自分がカッコいいと感じる写真を作りあげていただけなのではないかと思う。それが反映されたヴィジュアルは、当時の日本を知る人の記憶に残っている印象と重なり、懐かしいような感覚を覚えるのだ。
彼の作品は50年代~60年代くらいまでファッション写真同様に作り物のイメージとして低く見られていた。それが、70年代以降に優れたファッション写真のアート性が認められるに従い評価されるようになるのだ。90年代以降の海外での再評価は、土着的なところが逆に日本的で新鮮に感じられたからだろう。日本的なファッション写真と理解された面もあると思う。ラルティーグと植田には、ともにファッション写真的な要素を持つという共通性もあるのだ。

二人の写真家の「写真であそぶ」人生は、実は写真とともに生きることだったのだ。
いま日本では多くのアマチュア写真家、商業写真家がいる。二人の写真家人生は、アーティストになるには、アマチュア精神を持ち続けることが重要なのだと教えてくれる。
本展は、複数の奥深い視点が提示されている、見て考えて楽しむことができる優れた写真展だと思う。

フランシス・ベーコン作品が約142億円で落札 アート作品のオークション史上最高値!

今月のニューヨークの大手オークションハウスで開催された現代アートセールでは、アート作品のオークション史上最高額と第4位の落札があった。史上最高額を記録したのは、2013年11月12日にクリスティーズで開催された”Post-War & Contemporary Art”のイーブニング・セールに出品されたフランシス・ベーコン(1909- 1992年)の“Three Studies of Lucian Freud” (1969年)。友人の画家ルシアン・フロイドが木製の椅子に座ってポーズを取っている三連作(トリプティック)だ。ベーコンは今年春に東京国立近代美術館で開催された展覧会もまだ記憶に新しい20世紀を代表するアイルランド出身のアーティスト。落札予想価格上限を大きく超える142,405,000ドル(約142億4050万円)で落札され、2012年の春にササビーズ・ニューヨークでつけたエドヴァルド・ムンクの“叫び”の119,922,496ドルを上回った。

続いて開催されたササビーズの”Contemporary Art”イーブニング・セールでは、アンディー・ウォーホールの“Silver Car Crash (Double Disaster)” (1963)が、これも落札予想価格上限を大きく超える $105,445,000ドル(約105億4450万円)で落札。ウォーホールは、ベーコン、ムンク、ピカソに続きオークション史上第4位の高額落札となった。

現代アート分野の一部として取り扱われる写真作品では、特にクリスティーズで高額落札が散見された。シンディー・シャーマン(1954-)の71.1 x 121.9 cmの巨大作品”Untitled #92,1981″が落札予想価格上限を大きく超える2,045,000ドル(約2億450万円)で落札。
二人組アーティストのギルバート&ジョージの”Red Morning (Hate), 1977″が落札予想価格内の1,805,000ドル(約1億8050万円)で落札されている。

これらはいかにも景気の良い話なのだが、アート業界の全分野が活況なわけではない。
経済実態はというと、雇用や消費の先行きに不安が残る中で中央銀行の金融緩和策継続が株高や貴重な現代アート作品などの高騰を招いているわけだ。しかしここ数年続いている市場の2極化傾向にいまも変化はない。高額な希少作品への需要が強い半面、オークションに頻繁に出品される低価格帯作品の動きが鈍い。
またブランド化している大手高級オークションハウスでの落札は比較的好調だが、その他の知名度が低い業者での落札率は低迷傾向にある。特に低価帯アートが圧倒的に多い写真作品の動きは相変わらず低調だ。

ちょうど10月~11月にかけて、中堅以下のブランド力にやや欠けるオークションハウスでの写真オークションが相次いで開催された。Bonhams(ニューヨーク)の総売上高54.9万ドル(約5490万円)、不落札率は約45%。Yann Le Mouel(パリ)の総売上高31.7万ユーロ(約4280万円)、不落札率は約60%。Heritage Auctions(ダラス)の総売上高46.1万ドル(約4610万円)、不落札率は約18%。 売り上げは総じて低調で、特にBonhamsとYann Le Mouelの不落札率は際立って高いといえよう。

アート写真市場でのオークションは、ディーラーの在庫を仕入れる場でもある。最低落札価格の下限近くでは必ずその作家を取り扱う業者のビットがある。店頭での顧客の買いが強い場合は、多少多くの金額を支払っても在庫を補充しようとする。現在のオークションの低迷は、彼らが運よくバーゲン価格でなら買おう、という弱気姿勢の表れだと思う。店頭での低価格帯作品の売り上げがそんなに強くないことを反映しているのだろう。
主要コレクターはアート分野によって異なる。それは現代アートでは富裕層だが、アート写真では中間層だと言われている。いまの状況は所得や雇用が伸びない中間層の状況が反映されているのだろう。

11月大手オークション・ハウスはパリで写真オークションを行う。ササビーズ、クリスティーズは、ともにパリフォトの期間に合わせて開催。クリスティーズは3つのセールを実施している。こちらの結果分析は別の機会に行いたい。

(1ドル@100円、1ユーロ@135円換算)

ジョセフ・クーデルカ展(Josef Koudelka) 旅の人生からのメッセージ

ジョセフ・クーデルカ(1938-)は、ハイ・コントラストのモノクロ写真で知られるマグナム所属の写真家。彼はソヴィエト軍のプラハ侵攻を撮影、それが原因で国を離れて亡命者として旅の人生を送ることになる。代表作に「ジプシーズ(1962~1970年撮影)」、「エクザイルズ(1968~1994年撮影)」などがある。彼の本格的な展覧会が先ほど東京国立近代美術館でスタートした。初期作品から最新作の「カオス」までの約280点でキャリアを回顧するものだ。日本では2011年春に東京都写真美術館で開催された「ジョセフ・クーデルカ プラハ
1968」以来の写真展となる。

どの場所や時代でも写真だけで生活していくのは容易ではない。クーデルカも最初は航空技師として働きながら写真家活動を行っている。1962年ごろに劇場の撮影から写真家キャリアをスタートさせ、1967年にフリー写真家に転じている。
1962年~1970年までに撮影された劇場写真では、演劇のリアリティーや演技シーンのモノクロームでの抽象性を追求。虚構世界の演劇を単に記録ではなく作品として取り組んでいる。
ほぼ同時期に取り組んでいたチェコスロバキアのジプシーをテーマにしたシリーズでは、彼らの存在をドキュメントとしてではなくパーソナルな視点で撮影している。一般社会から離れて独自のコミュニティーの中で暮らすジプシーたち。彼らの存在はクーデルカにとっては劇場と同じ非日常の世界だったのだ。クーデルカの視線には、それはまるでストリートで演じられている演劇のように映っていたのだろう。

そして有名なプラハの春の写真ではソ連軍の侵攻というリアルな出来事をドキュメントというよりも、これもチェコスロバキア人の視点でとらえ撮影している。 あたかも映画のワンシーンのように見えないこともない。図録収録のカレン・フィシダーラとのインタビューの中で、彼は当時の状況を以下のように語っている。
“写真をとることが重要だと思ったから撮影した。自分が何をしているかについては深く考えなかった。後になって、君は殺されるところだったかもしれないぞと言われたが、その時はそんなことなど考えもしなった”(図録インタビュー、P53)

東京国立近代美術館の増田玲氏は図録に収録されたエッセーで、クーデルカにとってのプラハの春を以下のように解説している。
“世界を陰影に富んだものとしてとらえる世界観を獲得していったプロセスだったと考えていいだろう。何しろ、クーデルカがその時プラハで目の当たりにした事態とは、「現実それ自体が非現実」な出来事だった”(図録 クーデルカの世界、P158)

彼は、プラハの春の写真がきっかけで亡命者として生きることになる。誰もが思い浮かぶ疑問は、なぜ彼が旅の中に生き続けてきたかだろう。彼はそれまでの両極端の実体験により、世の中には客観的な現実などは存在しない、すべて見る側の意識がつくりだしている虚構のようなものだと気付いたのだと思う。そしてカメラを通すことでそれらは並列して提示することが出来ると考えたのではないか。彼の写真に写されているのはこの社会に幻想を持たない人が目の当たりにしているシーンなのだ。

図録のカレン・フィシダーラとのインタビューの中で、彼は自分の人生を以下のように 語っている。
“私は私の生きたいように人生を生きてきた””私はつねに自分にできる最良のものは何かを見究めようとしてきた”(図録インタビューP122.)

多くの一般人は妥協した人生を送ることで不自由だが安定した生き方を選択する。好きに生きることの追求は社会の最下部の人生をいきることになるかもしれないのだ。 それでもそれを追求する人は、自分の中に強い心のよりどころを持たないと、本能から湧き出で膨張していく不安や欲望に負けてしまう。彼は旅の中で生き続けることで世界に客観的な実体がないことを確認しているのではないか。
依頼仕事を受けないのも、お金をもらうことで不自由になることを避けるためなのだ。 危険にさらされている人たちにカメラを向けるのも同じような理由があるだろう。やや乱暴だが、危険を感じることで人はいまこの瞬間に生きることが可能になるからだ。

図録のインタビューでこんなエピソードが語られている。(図録インタビューP23.)
あるジプシーがクーデルカの旅の人生を、”おまえが旅を続けるのは、まだ(1番と思える)土地をみつけていないからだろう。まだそんな土地を探しているからなんだろう”と質問している。それに対するクーデルカの答えは”それはちがうよ。私はそんな場所を見つからないように必死になってがんばっているんだよ”
つまり彼にとって旅は人生の何かを見つける手段ではなく、旅自体が人生であり目的なのだ。

展覧会のレセプションにご本人が参加していて遠目でゲストの人たちと歓談しているシーンを拝見することができた。一瞬だがお会いして短い会話を交わすこともできた。とても気さくで、気取りや、飾り気のないまるで童心を持ったような人物に感じられた。 彼は自らの高い意志と感情により行動する力強い人物なのだと思う。
日本人の私には、それがまるで旅の途中で亡くなった松尾芭蕉の「軽み(かろみ)」に通じる境地に達した写真家ではないかと感じてしまう。「軽み(かろみ)」を簡単に語るのは難しいが、人生は良いことばかりではないが他に選択肢があるわけではないのだから、逆にそれを楽しむ、のような意味。
そのように気付くと、1986年~現在まで取り組んでいるカオスシリーズには俳句のような「間」を感じられる。組写真の余白スペースはまさに「間」だ。またパノラマ作品では長さがあるので視点を何度か変えて見ることになる。その視点の移動が「間」を生むのではないだろうか。その効果の結果、私たちは現実からクーデルカの心の世界に誘われる。観客はいままで会場で見てきた彼の旅の人生そのものに思いをはせることになる。クーデルカのような人生を歩むことはできないことを思い知らされて、改めて彼の写真に惹きつけられるのだ。カオスシリーズは、クーデルカの回顧展でこそ魅力が強調されると感じた。

彼のオリジナルプリントはニューヨークの有名ギャラリー、ペース・マクギルが取り扱っている。オークションでの取扱いはまだ多くはないが相場は、数千ドル~4万ドル程度。2011年春、クリスティーズ・ニューヨークではジプシーからの1枚、銀塩の”Romaina,1968″が、43,750ドルで落札されている。これは80年代にプリントされた作品。ちなみに本展でも同作は展示されている。サイズも同じだ。(図録P.60)

本展は今秋開催のベストの写真展。アート写真ファンは必見だろう。