ヴィヴィアン・マイヤーとデジタル革命第2ステージ

ヴィヴィアン・マイヤー(1926-2009)は、死後に大きく再評価された欧米で話題の米国人アマチュア写真家。2007年にシカゴの歴史家ジョン・マーロフが発見するまでその存在は全く知られていなかった。一生独身で、親しい友人もいなかったとのこと。50年代から約40年間、主にシカゴで育児教育の専門知識を持つナニーの仕事に従事していた。
彼女は優れたヴィジュアル・センスと画面構成能力を持っていた。女性のロバート・フランクといわれたり、ダイアン・アーバスと対比されて語られることさえある。都市のなかの一瞬の詩的な瞬間をまるでアンドレ・ケルテスのように切りとり、また被写体に思い切り迫ってポートレートを撮影している。
まさにアマチュア写真家のリアルな夢物語で、いままでに25余りの写真展が開催されるとともに、2014年の秋にはハッセルブラッド・センターでの写真展も予定されている。フォトブックも既に3冊が刊行され、今秋には新刊が予定されている。
オリジナル・プリントは、ニューヨークの老舗写真ギャラリー、ハワード・グリンバーグでエステート・プリントとしてエディション15で販売されている。

彼女は50~90年代にかけて約10万点以上にもおよぶ写真をフランス、ニューヨーク、シカゴで撮影。モノクロ写真のカメラは主に2眼レフのローライフレックスを愛用していた。分類上、それらは20世紀クラシック写真に分類されるだろう。
しかし彼女の再評価はアート写真界における「デジタル革命第2ステージ」の訪れと深くかかわりがあると私は解釈している。「デジタル革命第2ステージ」とは、市場面では拡大する現代アート市場が従来のアート写真市場を飲み込み、また技術面では写真家・アーティストがデジタル技術を使い、自分の思い通りに表現することが可能になった新時代のこと。興味ある人は「写真に何ができるか」(窓社、2014年刊刊)に詳しく書いてあるのでそちらを読んでほしい。

デジタル革命を象徴するネットの普及で、いま優れたアマチュア写真家の作品がアート写真界で注目されやすい状況になっているといえるだろう。ヴィヴィアン・マイヤーの場合は、専門でない人が発見した写真がネット投稿を通して欧米に広まって再評価のきっかけとなった。アートとしての写真は、最終的にキュレーター、評論家、ギャラリストなどの専門家に作家性が認められ市場に紹介される。従来はそこに行きつくまでにかなりの高いハードルがあったのだ。またアート写真市場が欧米では大きな市場になっており、多くの関係者が優れた才能を常に探している点も見逃してはならないだろう。

彼女は撮った写真を誰にも見せなかったとのことで知られている。現像する際もお店で偽名を使っていたとのこと。多くの写真はプリントされず、未現像フィルムも数多く残されていたそうだ。彼女が周りの評価を求めなかったのは当時の写真界の環境も影響していただろう。まず彼女がモノクロで撮影していた50~70年代の写真の主流はドキュメンタリーだった。 また一部にアート写真といわれていたのは、モノクロの抽象美とファインプリントのクオリティーを愛でる高尚なものだった。今のデジタル時代と違い、プロとアマには撮影時とプリント時に決定的な技術的な違いがあった。かつては写真は暗室で写真家本人がプリントするのが当たり前だった。もしかしたら、マイヤーは撮影は好きだがプリント作業は苦手だったのかもしれない。 実際に80年代以降は、モノクロをやめてカラーポジによる撮影にシフトしている。たぶん自分の写真が認められる分野はプロの世界に存在しないと考えていたのだろう。

彼女の発見と再評価は「デジタル革命第2ステージ」の訪れで、写真が大きなくくりの現代アートのひとつの分野と理解されるようになったのが影響していると思う。それは評価の上でアーティストの作品制作の動機が最も重要視されるということだ。プロ写真家、アマチュア写真家でも自分の名誉欲や金銭欲などのために作品を作る人は、その技術が評価されることはあっても、決してアーティストとし認められることはないだろう。そのような人は意識的に世の中に対峙していないので、作品には観る側を感動させるメッセージ性がない。専門家が評価しようとしてもその中身自体が存在しないのだ。
一方でマイヤーには社会で認められたいとか、評価されたいというエゴが微塵もないのだ。自分が感動する被写体を単純に追い求めて撮影し続けてきた。50~70年代のシカゴ、ニューヨークなどで撮影された写真は繁栄を謳歌するアメリカのダークサイドにも目を向けていた。黒人、浮浪者、貧困者、子供など社会の周辺に生きる人も撮影。そして100%パーソナルな視点で被写体と対峙している。彼女に乳母として面倒を見てもらった人が、彼女は社会主義者だった、と表現していたという。もしかしたら社会主義的な視点でアメリカ社会をカメラで見つめていたのかもしれない。

私は彼女の写真の本当の魅力はこの作家性にあると思う。米国人写真家スティーブン・ショアは「私は、写真、世の中、自分自身を知りたいがために作品を作る。優れた作品は何らかの個人的な探求の結果としてに生まれている」と、「Image Makers Image Takers」(Thames& Hudson,2007年刊)のインタビューに答えている。彼女は間違いなくその実践を行っていた。
また、いまやアーティスト自身がプリントしなくても全く問題ないし、カメラを使用しないでアート写真作品を制作する人さえ珍しくなくなった。アート写真界で長きにわたり重要視されていた価値観が大きな変化に直面しているのだ。従来は写真家がプリント制作していない、本人のサインなしのエステート・プリントの価値はあまり高くないと考えられていた。しかし、現在は厳密な管理下で限定制作されるものは資産価値が認められるようになってきたのだ。
彼女は「デジタル革命第2ステージ」というアート写真にとって全く新しい環境が整いつつあった絶妙なタイミングで奇跡的に発見され、その流れに乗ったのだ。たぶん20年前なら、いまほどアート写真界で熱狂的に受け入られることはなかったと思う。
いまアート写真界では、新たな視点からアマチュアを含む過去の写真家の仕事の再評価が始まっている。ギャラリストのハワード・グリーンバーグはインタビューで「自分が彼女の写真アーカイブスを発見したかった」と語っているのが象徴しているだろう。いま密かに第2のヴィヴィアン・マイヤー探しが行われているのだ。