アメリカとイスラエルが2月28日、イランに対して大規模な戦闘作戦を実施した。このような現実社会が世界中で常時激動しており、未来予想が極めて困難な時代では、アーティストが多くの人が共感する作品提示は極めて難しいといえるだろう。また世の中の多様化、複雑化が進行する中で、作品のヒント発見までにも従来以上の長い暗黙知の養成期間が必要になる。創作を続けてもすぐに結果は出ないので、ブランド価値が未構築の学生、若手、新人がキャリアを継続するのは極めて困難な環境なのだ。またもともと私たちは社会生活を送る以上、様々な認知バイアスや社会/文化的刷り込みの影響を受け、思い込みにとらわれやすい。表現を行う人は自己が起点となって作品創作を始める場合が多い、どうしても思い込みがアイデンティティーと重なり強化されがちだ。特に経験や学習量が少ない人はその傾向が強くなる。そうなると非認知スキルを養成する重要性を感じなくなり、創作の自由度が失われてしまう。柔軟な思考ができる人は自らを客観視する術を持っている。しかし痛々しいのがエゴの押し付けのような創作に陥ってしまう人だ。そのような人は他人を自我の延長線上にしかとらえられない。ギャラリーやキュレーターが、作品の見立てやアドバイスを試みても聞く耳を持たないのだ。思い込みにとらわれている自分に気付かないので、永遠に成長ができない悲劇的な状況に陥ってしまう。
今回は、このような現代アート的創作に厳しい環境の中、アーティストの創作アプローチのひとつを提案する。まずは、自らが作品のアイデア、コンセプトやテーマ性を見つけるのではなく、既存作品のオマージュ、もしくは本歌取りを行う方法を提案したい。最初から好きで尊敬する写真家/アーティストのポートフォリオの持つ作品テーマやアイデアなどを意識、そのルールや見立てを意識して写真を撮る行為になる。
さてオマージュはフランス語の「hammage」が語源。英語では「homage」と表記。好きな写真家のスタイル/作品アイデアを取り入れる創作になる。芸術や文学において、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事を指す用語で、しばしば「リスペクト」(尊敬、敬意)と同義に用いられる。(参考 Wikipedia) 単純に元の作品をそのまま流用するのではなく、尊敬・賞賛の意味を込めて、独自の手法で表現される。オマージュやパロディは一つの芸術スタイルとして確立されているのだ。実際のところ、創作自体は過去の先人たちの作品の要素をベースとして、アーティストが新たな組み合わせの発見や、突然変異を起こして生まれるもの。もともと無意識の中で起こるオマージュ的な要素を持つのだ。また写真史やアート史とのつながりの提示は、過去の作品と現代の作品への影響を可視化するので、両者にオマージュ的要素の関係性を発見するのと同じような意味になる。
よく盗作と混同されるが、「パクリ」とは他の作品やアイデアを盗用し、利益のために自分の創作として提示する行為で、著作権の侵害となる。この判断は、主に第三者により行われるので、作家本人はオマージュのつもりでも、他人が見るとパクリだと受け取られてしまう可能性もある。

写真表現では、方法論やテーマ性など、様々なオマージュ作品がある。また日本には先行作品への敬意を前提にする古来の和歌の伝統技法である本歌取りがあり、これは西洋のオマージュに近いものといえる。杉本博司は写真技法を「本歌取り」のアプリーチを取り入れて、創作の幅を大きく広げている。最近では、松濤美術館で2023年秋に「杉本博司 本歌取り 東下り」が開催されている。

実際にどのような写真表現での可能性があるのだろうか。まず抽象表現主義の絵画に触発されて写真で作品制作を行ったアーロン・シスキン(1903-1991)をとり上げる。抽象表現主義は、1940年代後半に米国で起こった美術界のムーブメント。抽象表現を行った代表作家には、ジャクソン・ポロック、バーネット・ニューマン、マーク・ロスコ、ロバート・マザウェルなどがいる。シスキンは、テーマがないこと自体をテーマにしている写真家。写真で絵を描いたともいわれる。ストリートの壁面などを絶妙なフレーミングとクローズアップで抽象的に撮影。しかし当時の写真界では理解されず、抽象表現主義の画家が最初に評価した。シスキンの70年代の作品をまとめた写真集「Places」(Light Gallery1976年刊)には、作品タイトルがなく、撮影場所と撮影地の制作番号のみが記載。抽象表現主義絵画とシスキンの写真とは、カラーとモノクロとの違いがあるだけだ。絵画との比較参考例として、ロバート・マザウェル(Robert Motherwell, 1915 – 1991) の《Elegy to the Spanish Republic No. 110》(1971年)を挙げておく。

この流れで90年代からカラー写真で抽象的表現に挑戦してきたのがテリ・ワイフェンバックだ。彼女はもともと抽象画を描く画家だった。写真家に転向して、眩い太陽が照った野外での風景写真で画面上の複数のフォーカスを利用し、ボケを積極的に取り入れてカラーによる抽象的世界の表現に挑戦している。

ドイツのベルント&ヒラ・ベッヒャーは、グリッド状に提示されるタイポロジー(類型学)作品で、アートとしてのドキュメント写真の可能性を開拓。これは考古学や考現学などにおいて、物質をその特質・特性によって分類し、その結果を考察すること共通性や差異を明確にして、対象の理解を深める手法。「テーマ」よりも方法論(typology)へのオマージュ作品だといえるだろう。二人は59年から、給水塔、冷却塔、溶鉱炉、車庫、鉱山の発掘塔などドイツ近代産業の名残が残る、戦前の建築物をともに撮影し、「無名の彫刻」と命名。それらの写真を比較対照し機能種別に組み合わせたタイポロジー(類型学)的作品により、過去を内在した現在を指し示そうとしたのだ。

さらに、彼らのタイポロジー、ドキュメント、コンセプチュアル・アートの要素を併せ持った写真作品は、20年代ドイツで発生した徹底的な客観描写を掲げて絵画から写真を自由化した「新即物主義」のアルベルト・レンゲル・パッチュやアウグスト・ザンダーなどの延長上にあるオマージュ作品とも認識できるのだ。

シンディー・シャーマンの初期シリーズ「Untitled Film Stills」もオマージュ的作品。1950–60年代のB級映画スチル写真の手法を取り入れ、当時の偏見に満ちたステレオタイプの女性像を可視化している。またジェフ・ウォール、グレゴリー・クリュードソンなど写真で表現する現代アート系アーティストの作品も創作ヒントにオマージュ的要素が見られる。
しかし、オマージュ的作品への取り組みには、本当に自分が尊敬、敬愛するアーティスト/写真家との出会いが必要になる。そして作品文脈の的確な理解の上にオマージュ作品が生まれる土壌が作られる。そこに行きつくまでには、膨大な時間と、関連フォトブックなどの資料収集などの金銭的負担、美術館/ギャラリーでの実物の作品鑑賞などの実経験の積み重ねが求められる。現代アート系作品と同様に、タイパ、コスパはあまり良くない。特に学生や若手/新人にはかなり敷居が高いと思われる。そこで、次に比較的手軽に取り組みが可能な定型ファインアート写真の可能性を提案したい。
(ファインアート写真は何を表現するのか(3)に続く)
























