写真展レビュー
立木義浩 写真展 Yesterdays
黒と白の狂詩曲(ラプソディ)
@シャネル・ネクサス・ホール

ⓒ  Yoshihiro Tatsuki

立木義浩(1937-)といえば、代表作は“舌出し天使”だろう。カメラ毎日の伝説の写真編集者・山岸章二氏が、1965年の同誌4月号の巻頭56ページに掲載した立木の伝説のデビュー作だ。
これは当時売り出し中の若手写真家立木による、一人のハーフ・モデルのスナップで構成された都市のファンタジー作品。同誌に掲載された草森紳一氏の解説には、“・・・・文明批評などと考えないでほしい。夢の観客であってほしい。立木義浩も夢の運転者であると同時に観客なのだ。この写真集の新しさはそこにある。これは従来の数々の主観写真、心象写真などとももちろん異なっている。彼は、写真が文学や絵画の弾力を受けないこと、つまり象徴におちいりがちなセンス(意味)と構図の魅惑を一応放棄したのだ”と書かれている。
草森氏の解説には、編集者の山岸氏の意図が反映していると思われる。これは、立木の写真は、当時のアート写真・広告写真のジャンルにとらわれない写真であり、言葉では表現できない時代の持つ気分や雰囲気を巧みに掬い取った作品という評価だろう。60年代の英国ロンドンのストリート発ファッション写真が意識されており、その日本版を意識したのでないかかと思う。

同作には当時の若い日本人男性があこがれていた、西洋的な顔立ちのハーフの女性がモデルとして採用されている。それは海外では、西洋文化の真似の表現のように写ったと思われる。西洋では各国の伝統文化の独自性を愛でる多文化主義の流れがある。残念ながら本作はその評価軸には乗ってこなかった。当時の日本は、まだアート系写真と商業写真が併存していた。私は、山岸氏は本作などを通して、欧米とは違う日本独自のアート写真の価値基準の提示を考えていたのではないかと想像している。
しかし、山岸氏は79年なくなってしまい、その後の日本の写真界はバブル経済に突入し、商業写真が席巻してしまう。多くの人が、膨大な予算を持つ商業写真の先に、自由なアート表現の可能性があると考えてしまったのだ。しかし、それは不況と共に夢と消えてしまう。その時に、商業写真に背を向け生き延びた数少ない写真家が、いま海外から多文化主義の見地からアート系作家として評価を受けているのが現状なのだ。

さて、日本では自らの作品メッセージを写真家自身が語らないときに、第3者による見立てが行われることになる。そして長年の創作の過程で、複数の人による見立ての積み重ねが行われ、ブランド構築につながる。
見立ては自分が持つ作品への感覚、つまり感じたことを言語化することではないと考える。内観は自分に嘘をつくと心理学では言われている。ここは見立ての理解の上で勘違いを生みやすい箇所だ。
さて当然のこととして、日本には長く活動を続けている写真家が数多くいる。その中にはテーマ性が見立てられる人がいる一方で、感覚的に好みが語られるだけの人がいる。その違いはどこから来るのだろうか。たぶん前者は、人間社会は幻想のようなものであるが、人間はそこで生きる以外の選択肢がないと諦観しているリアリストの人で、後者は自分の感覚を重視するロマンチスト的の人なのではないかと疑っている。両者の作品制作の姿勢も明らかに異なる。前者は、創作は多くの人とのコラボレーション的要素が強いと理解している。後者は自分のやりたいことだけを追求しがちになる。そして後者の中で、優れた時代感覚を持つ写真家は、単にフィーリング重視でスナップ撮影するだけではない、社会に横たわる気分や雰囲気が反映された広義のアート系ファッション写真的な作品を提示しているのだ。立木義浩の写真はこのカテゴリーに入り、シャネル・ネクサス・ホールはその視点から彼を評価したと私は考える。

それでは。今回の展示作品はどのように理解すればよいのか。プレスリリースには“日常のなかでふと眼にした光景にレンズを向けるスナップショットを軸に、4人の女性とのフォトセッションを交え、構成されている”と書かれている。詳しい撮影年などの記述はプレスリリースなどで発見できないが、現代の東京でモデルを使って撮影されたポートレート、風景などのスナップ作品のようだ。ほとんどがモノクロのスクエアーの作品、一部にタテ長のカラー作品が含まれる。
これは立木が21世紀の東京において、彼自身がパーソナルに感じている時代の気分と雰囲気を表現した作品なのだ。“舌出し天使”のDNAが確実に受け継がれていると理解できるだろう。しかし、現在は“舌出し天使”が発表された1965年とは社会状況が全く違う。このような写真は多くの人が共通の価値基準と、同じ将来の夢を持つような時代背景があって成立する。1965年はそのような時代だった。しかし90年代以降の、価値基準がばらけて多様化した。このような時代には、多くの人の共感するようなアート系ファッション写真は成立しにくくなる。このたび“舌出し天使”が再版されるという。若い時にこの時代を生きた団塊の世代が主要な顧客になるだろう。別の言い方をすると、“カッコイイ”の意味が時代によって変遷するということだ。

20世紀に活躍した写真家を、21世紀に紹介する場合、無理矢理に現代アート的なテーマ性をキュレーターや編集者が作品にくっつける場合がある。しかし写真家自らがテーマ性を紡ぎだしたのでないので、体裁を整えただけに見えて違和感を感じる場合が多い。立木はそのようなことはせずに、今回“舌出し天使”の2018年版と解釈できる作品を提示したのだ。
ただし、山岸が亡くなって以来、立木のような写真家の評価軸は誰からも明確に語られなくなった。特にいまの外国では彼らを評価する基準は存在しない。このたび世界的なブランドが運営するシャネル・ネクサス・ホールで立木の写真展が行われたことは重要だと思う。本展開催で日本の写真史の未開拓分野を暗に指摘したているといえるだろう。これがきっかけになって、国内外からの関心が集まり、日本独自のアート写真の論議が巻き起こることを期待したい。

立木義浩写真展
Yesterdays 黒と白の狂詩曲(ラプソディ)

会期:2018年9月1日~9月29日
会場:シャネル・ネクサス・ホール
東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング4階
開館時間:12:00~19:30 (9月14日 17:00まで)
休館日 :無休

https://chanelnexushall.jp/program/2018/yoshihiro_tatsuki/