トミオ・セイケ 写真展 見どころを紹介 (1)
「Street Portraits : London Early 80s」

ブリッツでは、トミオ・セイケの「Street Portraits: London Early 80s (ストリート・ポートレーツ:ロンドン・アーリー・80s)」展を開催中。本展では、従来のファッションのルールを無視して、流行りの服、スポーツ・ウェアー、古着、安物アクセサリー、小物などを自由にコーディネートして楽しんでいる、80年代初めのロンドンの若者たちのポートレートを展示している。

前回その中の洗練されていない3名の若者たちの作品に触れた。MA-1っぽいフライトジャケットとロンデスデールのスウェット、フレッドペリーのポロシャツ、ローファー、ジーンズ、ジージャンを着た3人の若者が写っている。セイケがロンドンの若ものたちのファッションがカッコいいと感じたのは、当時の日本の若者のカジュアル・ファッションと比べてのことなのだと思う。
80年代初めの日本、多くの若者は自分で何が良いセンスなのか判断する基準を持っていなかったのではないか。したがって雑誌などが紹介するブランドの服を選びがちだった。大ブームになったボートハウスやデザイナー・ブランドのロゴやデザインがプリントされたスウェット・シャツ、ロゴマークがワンポイントで刺しゅうされた海外有名ブランドのポロシャツが、他人へのアピールの象徴だった。もちろん、当時の英国の若者はすべてお洒落で洗練されていたわけではなかった。日本人と同じようにブランド志向の人もいたわけだ。まさに本作の3人のファッションなのだ。私は、セイケが上記写真を展示作品にセレクションしたのには意図があると疑っている。

さて80年代初頭のロンドンの若者ファッションは、かなり今の日本の若者のファッションに近くなっていると感じるのは私だけだろうか。もしかしたら、本展のファッションを見た現代日本の若者は、それが当たり前すぎて自然に感じるかもしれない。日本人のファッションセンスが多様化、洗練化され、ロンドンのレベルに追いついたということだ。

いままでの約35年間に何が起きたかを見てみよう。80年代、ブランド志向の日本の若者は、学校を卒業すると企業に就職して、終身雇用、年功序列の、管理社会システムにがんじがらめになっていった。しかし彼らはロンドンの若者よりも自由はなかったが金銭的には安定していた。社会の大きなシステムから、消費の選択肢を与えられて、そのわずかな差異の追求が個性だと思い込まされて、企業のために働かされてきた。その典型例が、ブランド・ファッションとポップ・ミュージックなどだった。
そして21世紀の日本の若者はどのようになったのか。その後の経緯をあえて簡単なキーワードだけで語ると、バブル経済が崩壊して終身雇用は消失。グローバル化、新自由主義の浸透により、経済格差が拡大した。そしていま自国第一主義回帰の流れが世界的に起き、社会の未来像が極めて描きにくくなっている。80年代後半にかけて、一人当たりの名目GDP(米国ドル)は日本の方が大きかった。いまでは信じられないが、2000年は世界2位だったのだ。それが2017年は25位となり、24位の英国以下に順位を落としている。80年代と比べて拠り所だった経済の凋落は明らかで、多くの人は未来への大きな不安を抱えて日々暮らすようになった。まさに80年代のロンドンの若者が置かれたのと同じような状況になってきたと言えるだろう。

セイケは、80年代のロンドンの写真を21世紀の東京で見せることで、現代の日本社会についても語っているのだと思う。今や日本社会には、かつてのような安定した生き方はなくなってしまった。しかし、経済的に保証されるが管理社会の中で自分を殺して生きていくよりも、不安定でも、多少自由があり、ある程度自分で意識的にコントロールしていく人生も悪くはないというメッセージだと理解したい。

本作のロンドンの若者たちは、厳しい経済状況に関わらず決して悲観的ではなく、ポジティブな表情の人たちが多い。「Liverpool 1981(リヴァプール 1981)」展、「Julie – Street Performer(ジュリー – ストリート・パフォーマー)」展でセイケが一貫して提示してきたロンドンの若者たちの姿と同じだ。現代の日本では、80年代と違い人生の選択肢は生きている人の数だけ存在するようになった。そこには一つの正解はない。社会に共通の価値基準がなくなったいま、私たちは自分で考えて行動してその答えを探さなければならない。
本作は、そのようなことを考えるきっかけになるのではないだろうか。

“トミオ・セイケ 写真展 見どころを紹介 (2)”に続く

◎トミオ・セイケ 写真展
「Street Portraits : London Early 80s」
2018年 12月16日(日)まで開催、
1:00PM~6:00PM
休廊 月・火曜日 / 入場無料

ブリッツ・ギャラリー
http://www.blitz-gallery.com

 

写真展レビュー
“写真 X 建築 ここのみに在る光”
@東京都写真美術館

東京都写真美術館は、膨大な数の写真コレクションをどのような切口で紹介するか常に試行錯誤を行っている。本年5月には、写真を“たのしむ、学ぶ”をキーワードに展覧会を企画している。
今回は“建築”の写真によるキュレーションに果敢に挑戦。しかし、雑誌カーサ・ブルータスを愛読しているような建築写真好きな人を想定しての企画ではない。あくまでも、写真ファンやカメラ愛好家を想定した、非常にオーソドックスな写真展だ。19世紀から現在まで続いている、拡大解釈された建築物を被写体として撮影された写真の歴史を網羅する構成になっている。
ちなみにカーサ・ブルータスは、2005年7月号で“見る、撮る、買う! 建築写真の愉しみ。”という特集号を出している。そのなかで、巻頭でトーマス・ルフ、ベッヒャー夫妻、カンディーダ・ヘーファを紹介。さらに“建築を記憶する傑出した10人。”として、ルネ・ブリ、エズラ・ストーラー、石元泰博、ジュリアス・シュルマン、ハイナー・シリング、アンドレアス・グルスキー、トーマス・シュトルート、ホンマタカシ、畠山直哉、ルイザ・ランブリをピックアップ。ギャラリー小柳の紹介ページでは杉本博司の「建築」シリーズを取り上げている。こちらは明らかにいま流行りの現代アート系作家の作品紹介を中心としていた。
本展と重なる写真家は、ベッヒャー夫妻、石元泰博だけ。同じ建築の写真だが切口が全く異なっている。

今回の展示で、現代アート系写真の重鎮であるベッヒャー夫妻の作品“9つの戦後の家”が含まれているのは非常に意味があるといえるだろう。これにより本展は、従来の写真表現自体でのアート性の追求から、現在の現代アート系写真につながる、写真がより幅広いアート表現の一形態となっていく未来像を示唆するものとなっている。以上から、この建築写真の企画は、現代アート系をフォーカスした第2部に展開する可能性を感じさせられる。もしかしたらその舞台は、現代アート系をカヴァーする東京都現代美術館かも知れない。

作品展示は2部で構成されている。写真の専門美術館らしく、ダゲレオタイプ、カロタイプ、アンブロタイプ、鶏卵氏、ゼラチン・シルバー・プリント、タイプCプリントなどのアナログ写真から、最新のデジタル技術で制作されたインクジェット作品までを含む、写真表現の歴史を提示する展覧会にもなっている。

第1章では同館が収蔵する貴重な作品群が展示されている。建築の写真なのだが、まるで19世紀から20世紀の写真史の教科書を見るようだ。一番古い写真はジャン=バティスト・ルイ・グロの“ボゴタ寺院の眺め”。これは1842年制作の1点物のダゲレオタイプ。世界初の写真集“自然の鉛筆”で知られるウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットのオックスフォードのクイーンズ・カレッジ、横浜に写真館を開き、日本全国を撮影したイタリア人写真家フェリーチェ・ベアトの“愛宕山から見た江戸のパノラマ”、ウジェーヌ・アジェの19世紀末のパリ、ベレニス・アボットの30年代の変わりゆくニューヨーク、ウォーカー・エバンスの米国南部の街並み、前記のベッヒャー夫妻によるタイポロジー作品も必見だろう。アート写真ファン、コレクター、写真やアートを学ぶ学生ならば、第1章の29作品を見るだけでも十分に本展を訪れる価値がある。

第2章では、渡辺義雄、石元泰博、原直久、奈良原一高、宮本隆司、北井一夫、細江英公、柴田敏雄、二川幸夫、村井修、瀧本幹也の日本人写真家11人のポートフォリオをミニ個展形式で紹介。こちらの方が展示数も多く、はるかに広いスペースが割り当てられている。
日本人の写真家の作品も、建築やインテリア自体が撮影されている写真と、広く建築写真と定義することは可能だが、写真家の表現が第一義になっている作品も混在している。写真家の代表作の一部といえる、石元の“桂”、宮本の香港にあった“九龍城壁”、細江の“ガウディの宇宙”、渡辺の“伊勢神宮”、奈良原の“緑なき島-軍艦島”、原の“イタリア山岳丘上都市”(展覧会チラシの写真)、北井の長きにわたり忘れ去られていた“ドイツ表現派1920年に旅”などのオリジナル作品を鑑賞することができる。多くは貴重なヴィンテージ作品だと思われる。最後の展示スペースでは瀧本が2017~2018年に撮影したという、“Le Corbusier”を展示。現在の広告分野の写真家が考える、建築に触発された作品が、抽象的でデザイン感覚重視の大判サイスの現代アート風であることを象徴的に紹介している。

本展カタログの解説で、キュレーターの藤村里美氏は、“渡辺、石元、二川は明らかに記録としての要素が強い”、“奈良原と細江は「パーソナル・ドキュメント」であり、あくまで個人に視点を強調している”、“原、北井、宮本の作品は(中略)個人の意識を抑制したフォト・ドキュメントである”、“柴田、瀧本は、全体像を追うのではなく、独自の視点から細部を強調し、対象の本質に迫ろうとしている”と展示作品を分析している。
専門家の視点からは様々な見方があるが、一般の観客はもっとシンプルに見ればよいだろう。本展の提示作品の中で、19世紀写真は表現というよりも記録目的だった。しかし、20世紀以降の写真になると建築自体を表現しようと撮影された写真と、写真家の自己表現の中に建築が写っている写真が混在している。私はこの大きな二つの方向性の違いを意識して作品に接することを提案したい。本展は建築がメインテーマなので、個別作品の生まれた詳しい解説はあまり紹介されていない。しかし見る側が作品と能動的に接したときに、写真家が何かを語りかけてくるのか、それとも建築物が主張しているかで違いが判断できるのではないだろうか。

“建築 x 写真 ここのみに在る光”
東京都写真美術館(恵比寿)
開催中 2019年1月27日まで
詳しい開催情報は以下を参照ください。

http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3108.html

2018年秋・英国/欧州アート写真オークション・レビュー
景気先行き不安が落札結果に反映

いままで、ユーロ圏経済は緩やかな回復傾向が続いてきた。昨年は2008年の経済危機後のもっとも高い2.4%成長を達成した。しかしマスコミ報道によると、ここにきて主要な輸出相手国である中国経済の減速、イタリアの財政リスク、米国との貿易摩擦、英国のEU離脱などで、先行きは不透明感が漂ってきたようだ。経済指標も景況感指数などで弱めの数字が出始めてきた。欧州委員会は2019年のユーロ圏の実質成長率を1.9%に下方修正している。
さて先週にかけて、ロンドンとパリでアート写真オークションの欧州ラウンドが行われた。昨年は、クリスティーズ・パリの“Stripped Bare: Photographs from the Collection of Thomas Koerfer”で、マン・レイの“Noire et Blanche, 1926”が268.8万ユーロ(3.57憶円)の高額で落札されたり、全般的に好調な結果だった結果だった。しかし今年は経済の先行き不安が多少なりとも反映されたやや弱含みの結果となった。

11月1日にフィリップスはロンドンで、8日から9日にかけてササビーズとクリスティーズがフォト・フェアーに合わせてパリで、合計5つのアート写真セールを開催した。

PHILLIPS London “Photographs”

フィリップス・ロンドンの出品数は108点、落札率は約73.1%、総売り上げは約127万ポンド(約1.9億円)だった。ちなみに昨年は出品数97点、落札率は77.32%、総売り上げは約154万ポンド(約2.32億円)。売り上げは約17.5%減、落札率も若干低下した。売り上げ減少は、注目されていた10万ポンド以上の落札予想価格が付いていたシャルル・ネグレ(Charles Negre)などを含む19世紀フランス写真からなるハイマン・コレクションの12点が出品取りやめとなったのが影響したと思われる。

パリの大手2社の4つのセールは、出品数218点、落札率約56.88%、総売り上げ約348万ユーロ(約4.53億円)だった。昨年は、出品数は389点、落札率は約61.18%、総売り上げは約758万ユーロ(約10.23億円)。パリの結果は昨年と比較すると、落札率が悪化、総売り上げも、出品数と高額落札の減少が影響して約54%減だった。

高額落札が期待されていたササビーズの“Photographs”に出品されたリチャード・アヴェドンの代表作“Dovima with Elephants, Evening Dress by Dior, Cirque D’hiver, Paris, 1955”。124.5 x 100cmの大判作品で、落札予想価格は60~90万ユーロ(約7620~1.14億円)だったが不落札だった。
またササビーズ“Modernism: Photographs from a Distinguished Private Collection”に出品されたポール・ストランドの“FERN, EARLY MORNING DEW, GEORGETOWN, MAINE, 1927”も、落札予想価格は20~30万ユーロ(約2600~3900万円)だったがこちらも不落札。2016年に低迷した市場は、2017年は秋にかけて回復傾向を示していた。しかし、ここにきて再び息切れしてきたようだ。

高額落札は、クリスティーズで開催された杉本博司の28点単独オークション“Hiroshi Sugimoto Photographs: The Fossilization of Time”に出品された“Sea of Japan, Rebun Island, 1996” 。

Christies Paris “Hiroshi Sugimoto Photographs: The Fossilization of Time”

極めて人気の高い海景シリーズからの、119.2  x 148.5 cm、エディション5の作品。落札予想価格は20~30万ユーロ(約2600~3900万円)だったが、30.75万ユーロ(約3997万円)で落札。同じシリーズの、“Bass Strait, Table Cape, 1997”も、27.15万ユーロ(約3529万円)で落札。しかし単独オークション全体の落札率は約53.5%、総売り上げは約120万ユーロ(約1.57億円)と低調だった。

先日にニューヨークのスワン・ギャラリーに出品されたコンスタンティン・ブランクーシ(1876- 1957)の“Vu d’atelier, c1928”。落札予想価格を大きく上回る12.5万ドル(約1400万円)で落札され話題になった。今回ササビーズ・パリの“Photographies”にもブランクーシが自身の彫刻をスタジオを撮影した“VUE D’ATELIER, C. 1923”が出品された。落札予想価格は3万~5万ユーロ(約390~650万円)だったが、前記スワンとほぼ同じ10.625万ユーロ(約1381万円)で落札されている。

これで年内の大手によるアート写真オークションは終了。これから年末にかけては、中堅のヴェストリヒト(WestLicht)・ウィーンの”18th Photo Auction”が11月23日、レンペルツ(Lempertz)・ケルンの“Photography”が11月30日、ドイル(Doyle)・ニューヨークの“Photographs”が12月13日が行われる予定。

(1ユーロ/130円、1ポンド/150円))

 

アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(連載) (7)
“Appearances : Fashion Photography Since 1945”の紹介

前回に続きロンドンのケンジントンにあるヴィクトリア&アルバート美術館で1991年に開催された、1945年以降のファッション写真に焦点を合わせた展覧会カタログを紹介する。

戦後のファッション写真のアート性を定義したのはロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館なのだ。歴史学者のエマニュエル・トッドは“問題は英国ではない、EUなのだ”(文春文庫)で、絶対核家族のアングロサクソン文化の不安定性、柔軟性を指摘し、イギリスを断絶文化と呼んでいる。イギリス文化を遡ると突然の変化にぶつかるとし、とても振幅の激しい文化だからこそ、ビートルズやデヴィッド・ボウイがでてくると書いている。いままで無視されていたファッション写真をアートの文脈で評価する柔軟性を英国の美術館は持っていたのだと思う。
そういえば、ロックスターのデヴィッド・ボウイのアート性に注目して、展覧会“David Bowie is”を企画したのもヴィクトリア&アルバート美術館なのだ。

本展は“SHOTS OF STYLE”も手掛けたマーティン・ハリソンがキュレーションを担当。前回の展示でファッション写真のアート性に確信を持ち、さらに調査を進めて自らの価値基準を展開していったと思われる。
カタログとなる本書は、ファッション写真を扱うディーラーにとっての教科書。私も何度も読み返し、多大な影響を受けている。ちなみに、1991年に開催された実際の展覧会をロンドンで見てギャラリーの方向性を決めた。

ハリソンは、本書巻頭でスーザン・ソンダクの”偉大なファッション写真は、ファッションを撮影した写真以上のものだ”という発言を引用。洋服の情報を正確に伝えるファッション写真が存在している一方で、最先端の写真家による洋服販売目的にあまりとらわれないファッション写真が存在するとしている。

彼はいままで美術館やギャラリーで紹介されることがなかったリリアン・バスマン、ギイ・ブルダン、ソ-ル・ライターなどのファッション写真家を初めて本格的に取り上げている。本書がきかっけで、90年代後半にファッション写真家の再評価が行われ、ギャラリーでの写真展開催や写真集刊行につながっている。
またハリソンは、リチャード・アヴェドン、アーヴィング・ペン、ヘルムート・ニュートンなどのようにファッション分野中心に活躍していた人以外の、ドキュメント系のウォーカー・エバンス、ブルース・ダビットソン、ロバート・フランク、ルイス・ファー、映画監督として知られるジェリー・シャッツバーグ、現代アート系のナン・ゴールディン、シンディー・シャーマン・ロバート・メイプルソープらのファッション写真にも注目している。

表紙に採用された動きのある美しいファッション写真は、ニューヨークのストリート写真で知られるルイス・ファーの“French Vogue、March 1973”(fashion:Gres)。(上記画像を参照)

アレクセイ・ブロドビッチの“Ballet”の画像

本書は、過小評価されていたハーパース・バザー誌アート・ディレクターだったアレクセイ・ブロドビッチも積極的に取り上げている。彼はファッション写真、に動きのフィーリングの取入れを求め、ドキュメンタリー写真の方法の採用を写真家にアドバイスしている。それは、動きのブレ、カジュアルなフレーミング、力強いクローズアップで、ヴィジュアルの力強さをページ内で最大限に生かすことだった。ブロドビッチはその信条を、自らの写真集“Ballet”(1945年刊)で提示し、それはハーマン・ランドショフ、そしてリチャード・アヴェドンに受け継がれていく。彼は1941年から約20年間に渡り、いわゆる“デザイン・ラボラトリー”で、グラフィック・ジャーナリズム、広告、デザイン、ファッションの指導を行っている。アーヴィング・ペンは、彼の戦後ファッション写真への長きにわたる影響について指摘。“すべての写真家は、その人が知っていようがいまいが、すべてがブロドビッチの生徒だ”と語っている。

本書では、1980年代に登場したブルース・ウェバーも高く評価している。彼は新鮮味がないプロのモデルを採用しないことで知られるが、自分のテイストを追求した写真をファッションでも追及し、ファッション写真をブルース・ウェバー写真にしたとハリソンは指摘している。ウェバーは自身のファッション写真観を、“人がライフスタイルを表現し、とてもパーソナルな着こなしをしているとき、それらを撮影した写真は私たちの人生に何かをもたらす”と語っている。ウェバーは、ロバート・メイプルソープとともに、男性がモデルのファッション写真を作り上げた点も重要だろう。
1980年には、ヴォーグ英国版、イタリア版がブルース・ウェバー、パオロ・ロベルシ、ピーター・リンドバークなどに多くの自由裁量を与えた点にも注目している。この時代にファッション写真が洋服の情報を提供するメディアから大きく変化していくのだ。いわゆるアート系のファッション写真は、洋服を撮影した写真だけではなく、時代の気分や雰囲気が反映された写真であることを多くのヴィジュアルを通して提示している。それらは、洋服の情報をうまく美しく伝えることを意識するのではなく、ファッションが存在する時代に対する明確な認識があり、鋭い嗅覚でその時代の持つフィーリングを写真で見る側に伝えようとしている写真家による作品を意味するのだ。

ハリソンは、本書を通して戦後ファッション写真が洋服の情報を提供するメディアから写真家の自己表現の一部のメディアに進化していく過程を紹介している。最後に、彼はそれを“ファッション写真の終わり”と表現している。その象徴として最終ヴィジュアルに、リチャード・アヴェドンが1989年に雑誌エゴイストのために女優イザベル・アジャーニを起用して撮影した作品を紹介している。(上記画像を参照)何かにとりつかれたかのようにやや不気味な表情のアジャーニを墓地で撮影したアレ・ボケ写真を、アヴェドンは“ファッション写真の終わり”と関わると説明しているという。彼女は、撮影用に用意されたハイ・ファッションの洋服ではなく、アヴェドンが所有する古いボロボロのコートを着て、自己が無視され虚構の中に生きるセレブリティーの苦悩を表現。文字通りこの写真こそはファッションの墓場で笑っているモデルということなのだろう。

ハリソンは、90年代に入り洋服の情報を提供するファッション写真は残るが、今やそれを超えた新しい種類の、人のスタイルや意思表示を語るファッション写真が存在するとしてまとめている。これは、現代アート表現の一部として、価値観が多様化した現代社会における時代性が反映されたシーンを切り取った写真表現として存在すると解釈したい。それ以降のアート系ファッション写真の論理的な背景は本書により明確に示されたのだと思う。
また彼の考え方はアート系のポートレート写真にも同様に適応されると考えてよいだろう。

“Appearances : Fashion Photography Since 1945”
(Martin Harrison著、1991年刊), 310 x 290 mm, 312 p

本書には、英国版(Jonathan Cape)、米国版(Rizzoli)、フランス版、またハード版、ペーパー版がある。ハード版は重くて分厚いので状態が悪いものが多い。古書市場の流通量は豊富。相場はハード版の普通状態で5000円~、良い状態だと1万円~。海外から取り寄せる場合は重い本なので送料が高くなるので要注意。
ファッション写真に興味ある人には、まず本書を買って自分好みの写真家を探すようにアドバイスをしている。

以下が収録写真家リスト。
Anthony Armstrong-Jones
Diane Arbus
Richard Avedon
David Bailey
Gian Paolo Barbieri
Lillian Bassman
Cecil Beaton
Guy Bourdin
Bill Brandt
Alexey Brodovitch
Erwin Blumenfeld
Alfa Castaldi
Cliford   Coffin
Ted Croner
Stephen Colhoun
Baron Adlf de Meyer
Louise Dahl-Wolfe
Bruce Davidson
Terrence Donovan
Richard Dormer
Arthur Elgort
Walker Evans
George Hoyningen-Huene
Robert Frank
Louis Faurer
Nan Goldin
Jean-Louis Gregoire
Leslie Gill
Ernst Haas
Bill Helburn
Hiro
Paul Himmel
Frank Horvat
Horst P.Horst
Constantin Joffe
Art Kane
William Klein
Genevieve Naylor
Norman Parkinson
Irving Penn
Harman Landshoff
Saul Leiter
Gerge Platt Lynes
Richard Litwin
Peter Lindbergh
Frances MacLaughlin-Gill
Robert Mapplethorpe
Kurt Markus
James Moore
Jean Moral
Sarah Moon
David Montgomery
Duane Michals
Martin Munkacsi
Helmut Newton
Gosta Peterson
Harri Peccinotti
John Rawlings
Paolo Roversi
Bob Richardson
Francesco Scavullo
Jerry Schatzberg
Jeanloup Sieff
Bill Silano
Melvin Sokolsky
Edward Steichen
Bert Stern
Cindy Sherman
Ronald Traeger
Deborah Turbeville
Chris-von Wangenheim
Bruce Weber
以上