トミオ・セイケ 写真展 見どころを紹介(2)
「Street Portraits : London Early 80s」

ブリッツでは、トミオ・セイケの「Street Portraits: London Early 80s (ストリート・ポートレーツ:ロンドン・アーリー・80s)」展を開催中。今回は先週に続き、個別作品の見どころを紹介しよう。

一連のセッションで撮影された若い女性の写真が2枚展示されている。

デジタル・アーカイヴァル作品(左側)と、もう1枚は銀塩のヴィンテージ・プリント(右側)による。セイケによると、最初の写真では、女の子はストリートで異邦人の日本人に声をかけられての撮影だったので緊張気味だったという。2枚目の写真では、撮影場所をストリートではなく、白ペンキで塗られた住居の玄関ドア前に移している。女性の表情からは明らかに緊張感が薄れ、リラックスした様子に代わっている。その瞬間をセイケのカメラがとらえている。セイケによると、ストリートでこのような自然の表情を撮影できるのは奇跡的なことだという。
また2枚を比べると、20世紀のアナログ銀塩写真が黒と白の解釈であり、その中での抽象美の追求であるのがよくわかる。細部までの精緻な再現力では、デジタル・アーカイヴァル作品の方が優れている。銀塩写真は、部分的に黒はつぶれて、白はとんでいるのだ。銀塩と比べるとデジタルは中間トーンの再現力が優先されている印象だ。興味深いのは、長年にわたり写真に親しんできた年配の人は銀塩写真を好み、若い人はデジタル・アーカイヴァル作品の方が好きだという傾向があることだ。つまり、二つの写真表現を比べて優劣を語るのは全く意味がないということ。人の好みは、普段自分が見慣れた方に無意識のうちに親近感を持って形成されるのだろう。
かつてデジタル・アーカイヴァル作品で、銀塩写真っぽさを出そうとした写真家が多かった。しかしそれは意味のないことで、それぞれが全く別の表現だと考えるべきなのだ。セイケが2種類の写真を同時に展示しているのはそのような考えに至ったからだと思う。

若い男女のポートレートも人気の1枚だ。

二人の服装は男性が白系のセーターで女性がダーク系のコート、洋服のコントラストでモノクロームの抽象美を見事に強調した作品になっている。セイケは長年の習慣でファインダーをのぞくと、そこに見えるシーンが頭の中で自然にモノクロームになるという。たぶん、普通に街を歩いていても、そのようなシーンに無意識的に反応するのだろう。そしてフレーミングの絵作りで、黒と白の部分の調整をしているのだと思う。
セイケによると二人はかつてはお付き合いしていたが、ちょうど別れ話を終えたばかりの時に撮影されたとのことだ。そういわれると二人の表情に微妙な違いが見て取れる。男性は別れたことに未練を感じている風、一方で女性は妙にすっきりとした表情で既に新しい未来にわくわくしている感じに見えてくる。モノクロームの美しさと共にサイドストーリーを聞くとさらに味わいがある作品に感じてくる。

当時のファッションで最もアバンギャルドなのが、この若者の写真だろう。

アンティーク風のソフトハットをかぶり、ダブルのテーラード・ジャケットを羽織り、その下にはジギー・スターダスト時代のデヴィッド・ボウイがプリントされたT-シャツ、ボトムスにはサッカーなどの競技用と思われるややオーバーサイズのショート・パンツを合わせている。服のスタイル、デザイン、素材に統一感が全くないのだが、この若いハンサムな男性は自信に満ち溢れた堂々とした表情なのだ。伝統的なファッションは、数々の決まりごとがあり、そのルールの中でコーディネートを考えるが洗練されたセンスだと思われている。この写真のファッションはまさにその真逆なのだ。70年代後半に一世を風靡した、やりたいことをやれば良いというパンクの精神が色濃く反映されていると感じさせる。たぶんこのファッション・コーディネートの外し方は意図的で非常に高度な技なのだと思わされてしまう。

本展では、写真自体の洗練された美しさと共に、重層的なテーマ性、銀塩とデジタル・アーカイヴァル写真の対比、個別作品のストーリー性など、様々な見どころが発見できる。見る側は写真の表層だけを鑑賞するのではなく、ぜひ写真家のメッセージを意識的に読み解く努力を行ってほしい。コレクター、アート愛好家、アマチュア写真家が十分に楽しめる写真展だと思う。写真で行うアート表現のお手本だと言えるだろう。

トミオ・セイケ 写真展「Street Portraits : London Early 80s」は、12月16日まで開催。本展は日曜日もオープンしている。営業時間は午後1時~6時、月、火曜が休廊。

トミオ・セイケ 写真展 見どころを紹介 (1)
「Street Portraits : London Early 80s」

ブリッツでは、トミオ・セイケの「Street Portraits: London Early 80s (ストリート・ポートレーツ:ロンドン・アーリー・80s)」展を開催中。本展では、従来のファッションのルールを無視して、流行りの服、スポーツ・ウェアー、古着、安物アクセサリー、小物などを自由にコーディネートして楽しんでいる、80年代初めのロンドンの若者たちのポートレートを展示している。

前回その中の洗練されていない3名の若者たちの作品に触れた。MA-1っぽいフライトジャケットとロンデスデールのスウェット、フレッドペリーのポロシャツ、ローファー、ジーンズ、ジージャンを着た3人の若者が写っている。セイケがロンドンの若ものたちのファッションがカッコいいと感じたのは、当時の日本の若者のカジュアル・ファッションと比べてのことなのだと思う。
80年代初めの日本、多くの若者は自分で何が良いセンスなのか判断する基準を持っていなかったのではないか。したがって雑誌などが紹介するブランドの服を選びがちだった。大ブームになったボートハウスやデザイナー・ブランドのロゴやデザインがプリントされたスウェット・シャツ、ロゴマークがワンポイントで刺しゅうされた海外有名ブランドのポロシャツが、他人へのアピールの象徴だった。もちろん、当時の英国の若者はすべてお洒落で洗練されていたわけではなかった。日本人と同じようにブランド志向の人もいたわけだ。まさに本作の3人のファッションなのだ。私は、セイケが上記写真を展示作品にセレクションしたのには意図があると疑っている。

さて80年代初頭のロンドンの若者ファッションは、かなり今の日本の若者のファッションに近くなっていると感じるのは私だけだろうか。もしかしたら、本展のファッションを見た現代日本の若者は、それが当たり前すぎて自然に感じるかもしれない。日本人のファッションセンスが多様化、洗練化され、ロンドンのレベルに追いついたということだ。

いままでの約35年間に何が起きたかを見てみよう。80年代、ブランド志向の日本の若者は、学校を卒業すると企業に就職して、終身雇用、年功序列の、管理社会システムにがんじがらめになっていった。しかし彼らはロンドンの若者よりも自由はなかったが金銭的には安定していた。社会の大きなシステムから、消費の選択肢を与えられて、そのわずかな差異の追求が個性だと思い込まされて、企業のために働かされてきた。その典型例が、ブランド・ファッションとポップ・ミュージックなどだった。
そして21世紀の日本の若者はどのようになったのか。その後の経緯をあえて簡単なキーワードだけで語ると、バブル経済が崩壊して終身雇用は消失。グローバル化、新自由主義の浸透により、経済格差が拡大した。そしていま自国第一主義回帰の流れが世界的に起き、社会の未来像が極めて描きにくくなっている。80年代後半にかけて、一人当たりの名目GDP(米国ドル)は日本の方が大きかった。いまでは信じられないが、2000年は世界2位だったのだ。それが2017年は25位となり、24位の英国以下に順位を落としている。80年代と比べて拠り所だった経済の凋落は明らかで、多くの人は未来への大きな不安を抱えて日々暮らすようになった。まさに80年代のロンドンの若者が置かれたのと同じような状況になってきたと言えるだろう。

セイケは、80年代のロンドンの写真を21世紀の東京で見せることで、現代の日本社会についても語っているのだと思う。今や日本社会には、かつてのような安定した生き方はなくなってしまった。しかし、経済的に保証されるが管理社会の中で自分を殺して生きていくよりも、不安定でも、多少自由があり、ある程度自分で意識的にコントロールしていく人生も悪くはないというメッセージだと理解したい。

本作のロンドンの若者たちは、厳しい経済状況に関わらず決して悲観的ではなく、ポジティブな表情の人たちが多い。「Liverpool 1981(リヴァプール 1981)」展、「Julie – Street Performer(ジュリー – ストリート・パフォーマー)」展でセイケが一貫して提示してきたロンドンの若者たちの姿と同じだ。現代の日本では、80年代と違い人生の選択肢は生きている人の数だけ存在するようになった。そこには一つの正解はない。社会に共通の価値基準がなくなったいま、私たちは自分で考えて行動してその答えを探さなければならない。
本作は、そのようなことを考えるきっかけになるのではないだろうか。

“トミオ・セイケ 写真展 見どころを紹介 (2)”に続く

◎トミオ・セイケ 写真展
「Street Portraits : London Early 80s」
2018年 12月16日(日)まで開催、
1:00PM~6:00PM
休廊 月・火曜日 / 入場無料

ブリッツ・ギャラリー
http://www.blitz-gallery.com

 

見どころ満載!トミオ・セイケ 写真展
「Street Portraits : London Early 80s」

ブリッツは、10月12日からトミオ・セイケの「Street Portraits: London Early 80s(ストリート・ポートレーツ:ロンドン・アーリー・80s)」展を開催する。

ここ数年、ブリッツはセイケが1980年代初めに英国で制作した初期作品を集中的に紹介している。2016年にリヴァプールの若者グループを撮影した「Liverpool 1981(リヴァプール1981)」展、2017年には、ロンドン在住の若きストリート・パフォーマーの生き方をテーマにした「Julie – Street Performer(ジュリー – ストリート・パフォーマー)」展を行っている。
本作は、若かりしセイケが前2作に続いて1983~1984年にロンドンで取り組んだプロジェクトとなる。ちょうど代表作「ザ・ポートレート・オブ・ゾイ」に取り組み始めた時期とも重なってくる。

実は本シリーズの一点は、2007年秋に上海アート・ミュージアムで行われた「Japan Caught by Camera :Works from the Photographic Art in Japan」に展示されていた。私は同展カタログでセイケ作品を発見。本人に確認したところ、1984年にツァイト・フォトサロンで発表されたシリーズの一部であることが判明した。ツァイト・フォトサロンのコレクションが同展で展示されたのだと思われる。今回の写真展はなんと約34年ぶりの日本での本格的な公開となる。

80年代の初頭、セイケはロンドンのストリートでファッションを通して自らのアイデンティティー探しを始めた若者たちに興味を持つ。戦後から70年代後半くらいにかけて、英国を含む西洋先進国の個人は、かつての因習やタブー、家族や他人の期待から自由になる。戦前までファッションは常に階級と深く関連していた。この時代は一般大衆向けの実用的な様々なストリート・ファッションが普及して状況が激変していくのだ。しかし本作が撮影された80年代前半ごろは、大きなファッション・トレンドが存在するというよりも、まだ複数の価値基準が混在している状況だった。多くの人は何を着て、どのように暮らせばよいかの拠り所がなく、自らのスタイルを探し求めていた。このころからファッション写真も雑誌などを通して一般大衆のスタイル構築に重要な役割を果たすようになる。セイケは、このような状況下でファッションでの自己表現に目覚めたロンドンの若者たちの姿を的確にドキュメントしている。

彼らは、いままでのファッションのルールを無視して、いま流行りの服、古着、安物アクセサリー、小物などをごっちゃに取り入れていた。いろいろな時代のファッションを組み合わせ、独自のコーディネートに挑戦しているのだ。セイケは、当時の日本の若者の型にはまったカジュアル・ファッションとのセンスの違いに驚かされたという。ロンドンの若者たちの洗練されたファッション・センスは現在でも十分に通用するだろうと語っている。

注目してほしいのは、洗練されていない感じの若者たちのポートレートが展示作の中に1枚あることだ。前記した上海の展覧会のカタログ掲載作品だ。その写真には、MA-1っぽいフライトジャケットとロンデスデールのスウェット、フレッドペリーのポロシャツ、ジージャンを着た3人の若者が写っている。自分たちのセンスを表現しているのではなく、当時のブランドものファッションを着ている。私はこれこそは、80年代の日本の若者のファッションを象徴的に表している作品ではないかと疑っている。3人の若者の背格好も、白人というよりも、アジア系に近い感じだ。セイケらしい、非常に高度なウィットとユーモアを密かに仕組んだ作品ではないかと思う。80年代の日本のファッションを知っている世代の人は、ぜひ当時を思い出しながら見比べてほしい。

本シリーズは、被写体のファッションと、その背景のストリートシーンを通して、80年代初めのロンドンの気分や雰囲気を私たちに伝えてくれる。そして日本で撮影された写真はないが、日本のファッション・シーンについても語っている。これらは、時代性が反映された優れたドキュメントであるとともに、アート作品になりうる広義のファッション写真ともいえるだろう。

セイケといえば、 ライカ・カメラを使用していることで知られている。しかし、本作では、6X6cmのスクエア・フォーマットの2眼レフカメラ、ローライフレックスを使用している。70年代後半から80年代にかけては、フリークスのドキュメントのダイアン・ アーバスや有名人ポートレートのリチャード・アヴェドンのように、ローライフレックスでの作品制作がブームだった。キャリア初期のセイケも、様々なフォーマットのカメラを使用して、自らの作品スタイル構築を模索するとともに、様々な創作の可能性を探求していたのだろう。

本展では、セイケの初期作約22枚が展示される。ほとんどが、貴重な撮影当時に制作されたヴィンテージ・ゼラチン・シルバー・プリントとなる。印画紙の銀の含有量が多いためか、非常に濃厚で芳醇な印象の美しいモノクロ・プリントだ。アート写真ファンには必見の作品だろう。
毎回好評ですぐに売り切れるフレーム付きミニ・プリント。今回も4セット、各15作品のみの限定販売で用意している。非常にレアなトミオ・セイケ写真集「Paris」のサイン入りデッドストックの入札式オークションも企画している。
「Street Portraits : London Early 80s」は、見どころ満載の写真展だ。アート写真ファンはもちろん、ファッションに興味ある人もぜひ見に来てほしい。なお本展は日曜日もオープンする。

トミオ・セイケ 写真展
「Street Portraits : London Early 80s」
(ストリート・ポートレーツ : ロンドン・アーリー80s)

2018年 10月12日(金)~ 12月16日(日)
1:00PM~6:00PM
休廊 月・火曜日入場無料

ブリッツ・ギャラリー
http://www.blitz-gallery.com

 

BOWIE:FACES 名古屋展
鋤田正義 トークイベント

“BOWIE:FACES”名古屋展は、先週日曜16日に10日間の会期を無事に終了した。来場してくれた多くの人たちに心より感謝したい。

初日には同展関連イベントとして鋤田正義のトークイベントが開催された。私も、聞き手として参加した。
最近の鋤田は、自らのキャリアを紹介するドキュメント映画公開や回顧展開催などがあり、数多くのトークイベントを行っている。本人も人前で話すのに慣れてきたと語っていた。それらの多くは、音楽関係者が聞き手になって、鋤田の目を通してのミュージシャン(特に多いのはボウイ)のエピソードやその音楽性や人間関係を語ってもらう傾向が強かったと思う。私はアート写真に関わる人間だ。今回のトークでは、鋤田のポートレート写真のアート性に焦点を当てたものにしようと考えた。

世の中にはボウイを撮影した膨大な写真が存在する。それらは大きく分けて二つの種類に分類できる。ほとんどは、彼をスナップしたブロマイド的な写真。しかし、それとは別にファインアートとして認識されているボウイの写真がわずかだが存在する。以前にも述べたように“BOWIE:FACES”展では、そのような写真作品を展示しているのだ。
両者の違いは、被写体と撮影者との関係性にある。スナップには両者の一瞬の出会いがあるだけ。深い関係性は存在しない。ファインアート系では、被写体と写真家が知り合いであり、二人が互いにリスペクト持つことが重要。被写体が、自分のいままでに気付かなかった斬新なヴィジュアルを写真家に引き出してほしいという心理状態を持つ時に、奇跡のようなポートレート写真が生まれるのだ。BOWIE:FACES展では、ブライアン・ダフィー、テリー・オニールなどのファインアート系の写真作品をアイコニック・イメージのロビン・モーガン氏が取捨選択してキュレーションが行われた。そして唯一の日本人として鋤田正義が選ばれているのだ。
彼は1972年のボウイとのロンドンでの出会いから約40年以上に渡り交流を持っている。トークの中にも、ボウイが鋤田をアーティストとしてリスペクトしていた例として、1980年にボウイが出演した宝焼酎「純」のエピソードが紹介された。当時、日本人写真家でボウイと一番懇意にしていた鋤田にこの仕事の依頼は来なかったのだ。しかし、ボウイはコマーシャル撮影後に京都でのプライベートの撮影を鋤田に依頼している。当時、鋤田は仕事が依頼されなかったことを残念に感じたという。しかし、ボウイは鋤田を企業の希望する広告用の写真を撮る人ではなく、写真で自己表現を行うアーティストとしてリスペクトしていたのではないかと、かなり後になって気付いたという。それは写真集や展覧会などの主要な写真セレクションはすべて鋤田自身に一任されていることから意識したそうだ。デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップ、YMOなどの大物でも鋤田の判断に一切口を挟まないという。それらの写真はファインアート写真としてギャラリーで取扱いができるのだ。
一方で日本のミュージシャンの写真の方が、はるかに所属事務所からの使用指示が細かいと語っていた。
日本では、写真家はアーティストだと考えられていないからこのような状況が起こるのだ。欧米ではファインアート系写真家と、広告写真家とは明確に線引きされている。前者は自己表現追及を行う人だとリスペクトされるが、広告写真家は写真でお金を稼ぐ職業人だと思われている。

今回、鋤田正義の写真流儀を聞いたとき、彼の母親の話になった。2014年に富士フィルムの創業80周年記念コレクション展“日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」”が開催された。日本写真界の代表写真家が自分のお気に入りの1枚を選んで展示するという企画だ。鋤田はその1枚を代表作であるデヴィッド・ボウイのポートレートと、初期作“母”のどちらにしようか悩んだ。そして、彼は“母”を選んでいる。彼は事あるごとに同作は自身の最高傑作で今でも超えることができないと語っている。
また、子供の時に母親から聞かされていた二つのメッセージを語ってくれた。
“好きこそものの上手なれ”ということわざと、“世の中寝るほど楽はなかりけり”という江戸時代の狂歌だ。私は特に前者のことわざが鋤田のキャリア形成に大きな影響を与えたと感じた。このごろ、ビジネス界では人生や仕事の成功には、生まれながらの能力や生活環境とともに、仕事を継続して“やり抜く力”が重要だといわれている。英語では“グリット”などと呼ばれている。鋤田の母親が語った“好きこそものの上手なれ”はまさにそのことで、彼はそれを実践してきた。
しかしそれは、ただ何かをやり抜くことではない点にも触れておこう。また嫌なことを歯を食いしばって継続することでもない。本当に自分に合った好きなことを見つけなくてはならないのだ。私はその部分が極めて難しいと理解している。多くの人がそれが見つからないで、また捜し求めないで不本意な人生を送ることになる。

鋤田が人生をかける写真の仕事と出会ったのは母親のおかげである事実がトークからは伝わってきた。鋤田の母親はカメラが欲しいといった鋤田少年に当時としては高価な2眼レフのリコーリフレックスを買い与えている。親ばかだったかもしれないが、そのよう大胆な決断を下せた母親が偉かったのだ。これは多くの人が納得するところだろう。

そして、二つ目の“世の中寝るほど楽はなかりけり”だ、この狂歌には“浮世の馬鹿は起きて働く”という文章が続いている。正確な解釈はないが、世の中には寝ることを惜しんで無理して働くことなどない、という意味ではないだろうか。
いま過労死などが問題視されているが、好きでもない仕事を無理して頑張る必要はないともとれる。そう解釈すると、ことわざと狂歌の暗示している意味が見事に関連しているのだ。鋤田は写真の仕事は徹夜などがあり大変だったけれど楽しんでいた、特に苦痛ではなかったと語っている。そして疲れたら、“世の中寝るほど楽はなかりけり”の部分をまさに実践していたのだろう。また、これはストレスをため込まずに生きていくとも解釈できる。鋤田は今年5月に80歳になった。今でも精力的に写真撮影や講演活動を行っている。その元気の源は母親の言葉を実践しているからではないだろうか。そしていま、それを若い人や子供を持つ人へのへのアドバイスにもしているのだ。

最後に鋤田は、いま最も美しい究極の風景写真を撮影したいと語っていた。彼は“あこがれ”を撮り続けてきたというが、80歳を迎えその対象が風景に変わりつつあるようだ。そのシーンは九州にあるはずだとイメージしているようで、いま活動拠点を生まれ故郷の九州福岡に移す計画を立てている。鋤田はポートレート写真で知られるが、キャリアを通してランドスケープやシティースケープも撮影し続けている。将来的に風景の展覧会や写真集制作の企画を温めているのだ。たぶん、その風景写真シリーズの最後を飾る1枚がまだ撮れていないのだろう。
私はそれは無駄がない非常にシンプルな写真になるのではないかとイメージしている。禅僧が一生に一度描くという、図形のマルを一筆で描いた「円相」がある。それは宇宙の心理や悟りを象徴的に表しているという。たぶん鋤田の究極の風景はその写真版のようなヴィジュアルではないかと想像している。

鋤田正義の名古屋トークイベントでは、彼の何気ない言葉の中に多くの深い意味が発見できた。今回のイベントで鋤田の話を聞いたことで、見る側がその作家性を認識できたのならば、写真作品にも特別の価値を見出せるようになったはずだ。
トーク終了後は、BOWIE:FACES名古屋展会場の高山額縁店には多くの人が来てくれた。彼らは、ただボウイのポートレートを鑑賞するだけではなく、自分の価値観を揺さぶるアート作品と対峙していたのだと思う。

BOWIE:FACES名古屋展(納谷橋高山額縁店)

“BOWIE:FACES”名古屋展
9月8日より開催
鋤田正義スペシャルトーク開催!

2017年の1~3月にかけて、東京の3会場で開催し好評だった“BOWIE:FACES”展。いよいよ今週から名古屋に巡回する。会場はJR名古屋駅からも近い納屋橋 高山額縁店。会期は9月8日(土)~16日(日)まで。

本展では、テリー・オニール、ブライアン・ダフィー、鋤田正義など7名の有名写真家による、1967年~2002年までに制作されたデヴィッド・ボウイの珠玉のポートレート、写真家とのコラボレート作品約30点を紹介する。ボウイによる9枚のアルバムのオリジナル写真、および関連するアート作品が含まれる。
参加写真家は、ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、テリー・オニール(Terry O’Neill)、鋤田正義(Masayoshi Sukita)、ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)、ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)、マーカス・クリンコ (Markus Klinko)、ジェラルド・ファーンリー (Gerald Fearnley)。なお彼ら全員が、昨年春に東京展が行われたヴィクトリア&アルバート美術館企画の”DAVID BOWIE is”に協力している。

実は、”BOWIE:FACES”展の巡回先探しには非常に苦労した。本展は、2016年に亡くなったデヴィッド・ボウイとセッションを行った複数の有名写真家の珠玉のオリジナル・プリントを展示。“アラジンセイン”、“ダイヤモンド・ドック”、“ヒーロース”などの当時のLPジャケットを飾った写真のオリジナル作品が含まれる。超一流の展示コンテンツだといえよう。
ただしプロジェクトのビジネス・モデルが東京以外の地域ではなかなか理解されなかった。つまり、本展は日本の一般的な、入場料収入を主な売り上げとするものではない。入場は無料で、スポンサーの協賛金、展示作品、カタログ等の販売で経費を賄い、利益を目指すもののだ。
東京ではブリッツとテリー・オニールのエージェントである英国のアイコニック・イメージスが中心になって、主催の実行委員会を立ち上げた。会場費、輸送費(海外/国内)、フレーム、ブックマット、会場設営、カタログ製作費、広報活動、スタッフなどの経費はすべて主催者が負担しないといけない。またスポンサー探しも独自に行うことになる。ブリッツは写真作品販売の経験が豊富なのでプロジェクト全体のリスクとビジネスの可能性はすぐに把握できた。
またアイコニック・イメージスは国内の外資系中心にスポンサー探しに尽力してくれた。協賛企業にとってはボウイのヴィジュアルを使用してブランド力の向上が図れる。外資系はこの点をよく理解して協力してくれた。

私どもの決断を後押ししてくれたのが、過去に行ったテリー・オニール展の経験だ。アート・ファン以外に、写真作品の価値が判断できる非常にリテラシーが高いロック音楽ファンが顧客として存在することが確認できたのだ。お陰様で、2017年1月~4月までに3会場で開催した東京展は、予想以上のコストがかかった割に赤字を出さずに終わることができた。
しかし東京以外の地域では、自らが主催者となって写真展を実行する会場がなかなか見つからなかった。ほとんどの企画スペースは、交渉してみると実際は場所貸のレンタル・スぺースだった。日本では写真は売れないとよく言われるが、東京以外では、状況はさらに厳しいのだと思う。

名古屋巡回展が実現できたのは、ブリッツと長く付き合いがあるコピー・ライターの岡田新吾氏の協力があったからだ。実は、彼は筋金入りのアート写真コレクター。以前、好きが高じて自らのアート写真ギャラリーを名古屋市で運営していたこともあるくらいだ。もちろん、昨年の“BOWIE:FACES”東京展も見に来てくれた。この企画を持ち込んだら、すぐに名古屋の実行委員会立ち上げに動いてくれた。岡田氏の今までの経験から、これはいけると判断してくれたのだろう。彼は優秀なプロデューサーでもある。瞬く間にアートやビジネス関連のネットワークを駆使して、展示会場を提供してくれる納屋橋 高山額縁店、アートへの協賛に理解を持つ、株式会社マグネティックフィールド、諸戸の家株式会社を見つけてきてくれた。彼の実行力にはいつも驚かされる。
“BOWIE:FACES”名古屋展は、岡田氏をはじめ実行委員会のメンバーの尽力と、協賛企業の援助により開催決定までたどりつけた。心より感謝したい。

さて会場では幅広い価格帯のオリジナル・プリントを展示販売する。中心価格帯は、10~30万円。しかしお買い求めやすい作品も数多くある。憧れの鋤田正義作品も、一部の小さいサイズの作品だと、額・マット込みで約3万円から、ブライアン・ダフィーのあの有名作“アラジン・セイン”も、LPジャケットのサイズのマット付きエステート・プリントならで約2万円で購入可能。
週末には私も現地で接客に当たる予定だ。見かけたら気軽に声をかけてほしい。

また、デヴィッド・ボウイの“Heroes”のジャケット写真で知られる鋤田正義氏を招いてスペシャルトークを開催する。鋤田氏の名古屋でのトークは今回が初めてとのことだ。ボウイを含む、鋤田正義氏の数々の作品画像やミニ・ドキュメンタリー動画をプロジェクターにて紹介。鋤田正義の写真家キャリアの変遷と将来の計画、デヴィッド・ボウイ撮影にまつわるエピソード、撮影と作品制作の流儀、国内外での最近の活動などについて語ってもらう予定。ただし、鋤田氏による会場でのサインは行わない。ご本人が高齢であることと、会場の混乱を避けるためなのでどうかご理解いただきたい。
ただし鋤田氏がカヴァーにサインを入れたカタログを限定数だけ販売する。こちらは希望者が多い場合は抽選販売となる。

“BOWIE:FACES”展は、東京、名古屋に続く巡回先をまだ募集中だ。興味ある人はぜひ問い合わせてほしい。

・鋤田正義スペシャルトーク概要
日 時:9月8日(土)14:00~15:30(開場13:30)
会 場:電気文化会館イベントホール
定 員:200名 ※お申込み方法は オフィシャルサイトをご覧ください。
http://bowiefaces.com/

参加費:2,500円

・写真展の概要
開催時期:
2018年9月8日(土)-16日(日)9:00-19:00
(日曜/12:00-19:00)
最終日は18:00より撤収作業を開始します。お早めに来場ください!

開催場所: 納屋橋 髙山額縁店2F
名古屋市中村区名駅南一丁目1-17
http://nayabashi-gakubuchi.jp/publics/index/7/

夏休み期間の営業について
各種相談会、イベントを開催!

まず最初に念のため”Heliotropism”展の会期延長を伝えておきたい。
同展は、会期中にわたって、豪雨、酷暑、台風に見舞われたことから
作家の提案で会期を8月12日まで延長している。まだ見てない人はどうかお見逃しなく!

さて商業ギャラリーを経営していると、どうしても作品販売と、写真展の運営・企画の業務を優先せざるえない。今年は”ROCK ICONS”展、”Heliotropism”展では、普段はセミナーなどを行う日曜も営業している。8月の夏休み期間には、普段は時間が取れなくてできなかったワークショップ・相談会を集中的に開催したい。アートは大衆向けの娯楽ではない。アート写真リテラシー向上に興味のある人を対象に考えている。全くの素人というよりは、ある程度の経験や知識がある初心者から中級者向けだと思う。多くの人に分かりやすいようなイベントではなく、知的好奇心が高い人向けのマニアックでディープな内容のイベントとなる。
複数人数のグループ、仲間などにも対応していく。興味ある人はぜひ参加してほしい。

(写真鑑賞が趣味の人・フォトグラファー、キュレーター向け)
・「写真の見立て教室」開催
今年も開催します。
ブリッツは日本の新しいアート写真の価値基準として限界芸術や民藝の写真版としてクール・ポップ写真を提案しています。
今回もその考え方をギャラリストが最新の実例を提示しながら紹介します。この提案に興味を持っている、意見交換に興味のある人はぜひご参加ください。

開催日時:8月19日(日) 午後2時~
場所:ブリッツ・ギャラリー
参加費:1000円
講師のスケジュールの関係で今年はお盆期間の開催となります。
参加希望者が少ないと延期になる場合があります。

(アート写真コレクター向け)
・オリジナル・プリント無料鑑定
お持ちの写真作品の価値を無料で鑑定します。売却希望者には個別アドバイスを行います。予約制です。

・フォトグラフィー・コレクション無料相談
アート写真を買いたい初心者向けの個別相談会です。
資産価値を持つコレクションの構築法や考え方をアドバイス。
インテリアへの作品展示の提案もします。予約制です。

(フォトグラファー向け)
・ファインアート・フォトグラファー講座を開催
こちら有料になります。
参加希望者には夏休み期間中に個別で開催。
二人以上のグループでの開催も行っています。予約制です。

内容は、ファインアート写真の定義、日本市場の現状分析、デジタル時代の市場展望、ファインアート系写真家の実例研究、参加者の作品の評価、アドバイスです。

下記ウェブサイトの”をご参照ください。
http://www.artphoto-site.com/seminar.html

・ポートフォリオ・レビュー/コンサルテーション開催
過去にファイン・アートフォトグラフィー講座を受講した人が対象です。こちらは有料になります。予約制です。

下記ウェブサイトの”その他”の項をご参照ください。
http://www.artphoto-site.com/seminar.html

(お問い合わせ・お申し込み)
上記相談会・レビューは以下の日程で予約制で行います。
期間:8月13日~8月下旬まで
時間:午後1時~6時

ご予約・お問い合わせはすべてEメールでお願いします。
“「写真の見立て教室」参加希望”、”オリジナル・プリント無料鑑定希望”など件名、希望日を明記のうえで
ご連絡ください。

info@artphoto-site.com

“Heliotropism”のメッセージを読み解く
異常豪雨や酷暑もテーマとつながっている!

ギャラリーでは、テリ・ワイフェンバックとケイト・マクドネルの二人展の“Heliotropism”を開催している。
会場でよく聞かれるのは、ケイト・マクドネルの作品タイトル“Lifted and Struck”の意味。そして、作品解説に書かれている、ネイチャー・ライティング系作家のアニー・ディラードの著作「ティンカー・クリークのほとりで」の世界観を写真で表現するの意味だ。これらが難解なのは私どもも承知しているので、色々なところで解釈を書いたり話したりしている。たぶん、それを読んでの質問でもあるだろう。
風景写真では、文脈の中で写真家のメッセージを読み解くことがほとんどないだろう。それは日本だけでもない。ある外国人来場者は海外でもテーマ性を明確に提示する自然風景がモチーフの写真は少ないと言っていた。多少は過去の解説の繰り返しになるが、いま一度ケイト・マクドネル作品の説明をしておこう。

Median, 2009 ⓒ Kate MacDonnell

作品タイトル“Lifted and Struck”は、彼女が本作で表現しようとしているアニー・ディラードの著作「ティンカー・クリークのほとりで」から引用されている。

I had been my whole life a bell, and never knew it until at that moment I was lifted and struck.
(“Pilgrim at Tinker Creek” Annie Dillard(1974年刊))

ここでのbellとは、広がった逆カップ状の鐘、もしくは鈴のようなものだとろう。“Lifted”は“Lift”の過去形・過去分詞で、持ち上げられた。“struck”は“strike”の過去形・過去分詞で鳴らされたという意味になる。

全文を直訳すると、
私のいままでの全人生はベルでした、しかし持ち上げられて鳴らされるまでそれに気づきませんでした、

となる。まるで禅問答のようだ。海外の英文による解説を探してみた。かなり有名な文章なのだろう、英語圏のウェブサイトに、膨大な数の個人的意見や解説が発見できた。解説自体も本文同様にかなり難解なものが多かった。その中で私が反応したのは以下のような解説だった。

“あなたが求めることを止めたとき、世界はあなたが探していたものしか見せてくれない事実に気付いた”というもの。これをさらに意訳してみると“私たちは自分の見たいものしか見ていない”、言い方を変えると“自分のフレームワークを通してしか世界を見ていない”のようなことではないか。

実はこの文章はいきなり登場するのではない。これは、女の子がティンカー・クリークのほとりで「内側から光る木」を発見したことがきっかけで起こった反応なのだ。女の子は作家自身と重なるのだろう。「内側から光る木」は原文では“the tree with the lights in it”となる。調べてみると、雷が木に落ちると、木の幹の中が燃えることがあるそうだ。どちらにしても極めてまれに起こる現象、自分の今まででの人生で出会ったことがないシーンに直面したことで、作者は自らを直感的に客観視できたのではないかと想像できる。以前にも述べたが、立花隆が”宇宙からの帰還”で書いている、宇宙から暗闇の中に浮かぶ地球をみた宇宙飛行士が直感的に神の存在を感じた、のような経験ではないだろうか。
これまでの説明で、マクドネルの、アニー・ディラードの「ティンカー・クリークのほとりで」の世界観を写真で表現するの意味が多少は理解できるようになるのではないか。

以前に、彼女は既存のどんなシーンにもとらわれないヴィジョンを持っており、いまの宇宙や自然界のどこかでで発生しているが、誰も気付かない、見たことがようなシーンを探し求めている、と解説した。それこそが、彼女にとっての、森の中で「内側から光る木」を探す行為なのだ。前回も書いたが、今回の展示作品はそのような一種の求道の旅の中で「はっ、ドキッ」とする瞬間を撮影したものなのだろう。しかしマクドネルは、まだディラードの「内側から光る木」のような強烈なインパクトがあり、意識が瞬間で裏返るようなシーンには出会ってないのだろう。本作は彼女の現在進行形のライフワークで、これからも「内側から光る木」を探し求める旅は続くのだ。彼女にとってその撮影旅行自体が作品であって、それに意味を見出しているのだろう。ぜひ、上記の作品解説を含んだうえで、いまいちど“Lifted and Struck”を見てみてほしい。

本展は、二人の写真で重層的なテーマを見る側に提供している。マクドネルは、人生で出会ったことがないシーンを探し求める。これは宇宙を集中して観察する行為に他ならない。これこそは西洋社会の自然観を象徴しているといえるだろう。
一方で、ワイフェンバックの”The May Sun”は俳句のような写真作品。伊豆の山河で自然に神々しさを感じるという、古来の日本の自然観が反映されている。
西洋と古来の日本の自然観を対比させているのは、神が創造した自然を人間が自由にコントロールできるという考えの背景にある西洋の自然観、つまりその延長上の化石燃料を燃やして経済成長を続けることが、いまや地球の温暖化などの顕在化で持続できないという問題提起がある。最近の異常豪雨や酷暑は温暖化と関係があるといわれている。
しかしワイフェンバックは、単純に世界の人々は古の日本の自然観を見習うべきだとは考えていない。私たち日本人も、明治以降は自然と人間が一体という優美の美意識を忘れて、西洋の考え方を取り入れて経済成長を果たてきたのだ。彼女には、近代社会では生物と自然との関係のバランスが崩れて、一方へ傾きすぎていると認識があるのだと思う。西洋の自然観一辺倒になったので、そろそろ東洋の自然観の方への揺り戻しが必要ということだろう。
私は専門家でないので詳しくは触れないが、その背景には地球と生物は相互に関係しあいながら環境を作り上げている、という思想があると想像している。

「Heliotropism」
テリ・ワイフェンバック / ケイト・マクドネル
2018年 6月1日(金)~ 8月5日(日)
1:00PM~6:00PM/ 休廊 月・火曜日(本展では日曜も営業) / 入場無料
ブリッツ・ギャラリー
http://www.blitz-gallery.com

 

 

“BOWIE:FACES”展が名古屋に巡回決定
鋤田正義スペシャルトーク開催!

 

2017年春に東京の3会場で行い好評だった”BOWIE:FACES”展。9月に名古屋に巡回することが決定した。会場は納屋橋 高山額縁店。会期は9月8日(土)~16日(日)までとなる。

本展では、テリー・オニール、ブライアン・ダフィー、鋤田正義など7名の有名写真家による、1967年~2002年までに制作されたデヴィッド・ボウイの珠玉のポートレート、写真家とのコラボレート作品約30点を紹介する。ボウイによる9枚のアルバムのオリジナル写真、および関連するアート作品が含まれる。

参加写真家は、ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、テリー・オニール(Terry O’Neill)、鋤田正義(Masayoshi Sukita)、ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)、ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)、マーカス・クリンコ (Markus Klinko)、ジェラルド・ファーンリー (Gerald Fearnley)。なお彼ら全員が、昨年春に東京展が行われたヴィクトリア&アルバート美術館の”DAVID BOWIE is”に協力している。

会場では幅広い価格帯のオリジナル・プリントを展示販売する。中心価格帯は、10~30万円。しかし憧れの鋤田正義作品も、一部の小さいサイズの作品だと、額・マット込みで約3万円から、ブライアン・ダフィーのあの有名作“アラジン・セイン”も、LPジャケットのマットサイズのエステート・プリントならで約2万円購入可能。

東京展では、初めてアート写真を購入したという人が多数いた。実際に買うかどうかは別にして、買おうと思って会場に行くと展示作品への興味が一段と増す。コレクション初心者は、提示されている写真の価格が適正なのかが判断できないだろう。まずは買うつもりになって、作品を色々と見比べて、情報を集めていくと、自分なりの相場観ができてくるのだ。販売価格が、割安、割高、適正かがなんとなくわかってくる。高額作品は、現存するエディション数、イメージの人気度、サイズなどの高くなった理由がある。まず最初は安い作品からコレクションを始めて経験を積めばよい。そのきっかけになる作品が見つかる写真展だと思う。また、経験豊富なコレクターにも、真剣に探せば、名古屋で好まれる“お値打ち感”のある作品がかなり見つかるだろう。私は週末にはだいたい会場にいる予定だ。興味ある人はぜひ声をかけてほしい。ディープな情報を提供するつもりだ。

また、デヴィッド・ボウイの“Heros”のジャケット写真で知られる鋤田正義氏を招いてスペシャルトークを開催する。鋤田氏の名古屋でのトークは今回が初めてとのことだ。“BOWIE:FACES”展・展示作品を含む、鋤田正義氏の数々の作品画像やミニ・ドキュメンタリー動画をプロジェクターにて紹介。鋤田正義の写真家キャリアの変遷 と将来の計画、デヴィッド・ボウイ撮影にまつわるエピソード、撮影と作品制作の流儀、国内外での最近の活動などについて語ってもらう予定だ。ただし、サインは会場内で販売する限定カタログのみとなる。ご本人が高齢であることと、会場の混乱を避けるためなのでどうかご理解いただきたい。販売方法は、会期前に実行委員会から発表になると思う。

・鋤田正義スペシャルトーク概要
日 時:9月8日(土)14:00~15:30(開場13:30)
会 場:電気文化会館イベントホール
定 員:200名 ※予約制、全て自由席
参加費:2,500円

詳しくは以下をご覧ください

http://www.artphoto-site.com/inf_press_bowiefaces_nagoya_talk.pdf

・写真展について

開催時期: 2018年9月8日(土)-16日(日)
9:00-19:00(日曜/12:00-19:00)

開催場所: 納屋橋 髙山額縁店2F
〒450-0003 愛知県名古屋市中村区名駅南一丁目1-17

オフィシャルサイト
http://bowiefaces.com/

ケイト・マクドネルの風景写真
「はっ、ドキッ」とする瞬間の訪れ

ⓒ Kate MacDonnell “Caddis fly hatch by the Gallatin River, MT, 2014”

ケイト・マクドネルは、“Lifted and Struck”のアーティスト・ステーツメントで自作を以下のように語っている。

「見ることはなんと素晴らしいことでしょう!それでも、美の事例を捕まえるのは本質的に悲しい行為です。捉えたつかの間の閃光はすぐに消えていくからです。人生は時によって長くも短くも感じます。私は人生で努力して、これらの言い表せない瞬間の痕跡を集めるために働きます。時間をかけて、もっと近くで世の中の美しさやきらめきを見てほしい、そして不安で未知数だけど次のステップへと進んでほしい、私は皆さんにそう伝えたいのです」

マクドネルが、ネイチャー・ライティング系作家アニー・ディラードの“ティンカー・クリークのほとりで”(1974年刊)という著作に多大な影響を受けている事実は以前に紹介した。ディラードと同様に彼女は自然と対峙する。それを丹念に観察し自分との関係性を見出して、独自の宇宙や自然のヴィジョンを確立させている。それをヴィジュアルで作品として表現しているのだ。
このような説明だとアートに詳しくない人は意味が不明だと感じるだろう。それでは彼女の宇宙のヴィジョンとは何か?もう少し探求してみよう。やや難解なのだが、風景写真のアート性に興味ある人はどうか付き合ってほしい。
それはもちろん多くのアマチュア写真家のように、ただ感覚的に優雅で美しい瞬間や情景を探しているのではない。多くのアーティストは、自分の持つビジョンを自然や宇宙に探し求め、それが出現したシーンを作品化する。しかし、彼女は既存のどんなシーンにもとらわれない、というヴィジョンを持っている。まるで禅問答のようなのだが、そこには、いまの宇宙や自然界のどこかで発生しているが、誰も気付かない、見たことがようなシーンが存在するはずという認識がある。彼女の創作とはそのような現象を新たに発見して写真で表現することに他ならない。その作品制作のアプローチは、まるでビジネスでイノベーションを起こすための過程のように感じられる。
これは、上記のアニー・ディラードの語る以下の文章からの影響だと思われる。

「美しさと優雅さは私たちがそれらを感じるかどうかに関係なく出現している。 我々ができるせめてものことは、その場所に行こうとすることです」

作品制作時には、彼女は自分をニュートラルな心理状態にして、自然と対峙しながら「はっ、ドキッ」とする瞬間の訪れをひたすら待つのだ。一般的な美しい風景とは、見る側の解釈に他ならない。それは時にデザイン的要素が強い。彼女は目の前のシーンの観察に集中することで、その先入観から自由になろうとする。マクドネルは”心理学者と脳神経学者によると、混乱している状態は何か新しい知識を得ることと関連している”という引用を2017年のステーツメントで行っている。なにか自分に居心地がよくない状況こそが、宇宙での新たなシーンとの出会いにつながと認識しているのだ。普通の人は嫌な感じを避けようとする。しかし、彼女には自分の既存のフレームワークだけで世界を見ていても新たな発見がないという確信があり、あえて自分を追い込むのだ。たぶんその瞬間の訪れまでシャッターはむやみに切らないのではないか。
繰り返しになるが、それは美しいから、優雅に見えるからという認識ではなく、上記のように言葉で言い表せない「はっ、ドキッ」とする瞬間をとらえる行為だと思う。デジタルカメラ使用は、この作品コンセプトと見事に合致している。気候や光の状態や被写体の移動速度など、アナログでは再現できなかったシーンも作品として表現が可能になったのだ。

彼女は、自然風景だけでなく自分の身の回りにも同じ視線を向けている。これは自分の日常の中で作品制作を行うワイフェンバックの影響もあるだろう。被写体が異なるが、二人の対象を見つめる撮影アプローチは非常に類似している。それが今回の二人展につながるとともに、作品タイトル「Heliotropism」になったのだろう。二人の違いは、マクドネルが意識的に幅広く移動することを心がけている点だろう。それは自分を新鮮な状況に置くことが、新たな作品が生まれる可能性を高めるという考えによる。

今回の展示作の中に、2羽のフクロウと3匹の鹿の写真が含まれている。

ⓒ Kate MacDonnell “Broken winged owls, 2009”
ⓒ Kate MacDonnell “Deer corn, 2013”

これもアニー・ディラードの著作「イタチのように生きる」からの影響だろう。そこで彼女は、イタチは“必然”に生き、人は“選択”に生きる、と書いている。自らを客観視するきっかけとして、自我を持たず目的なく生きるイタチに思いをはせている。本作のマクドネルの動物たちも、人間が自然の一部である客観的な事実に気付くために意識的に収録されているのだ。写真のシークエンスのアクセントとして登場しているのではない。

マクドネルの“Lifted and Struck”は、フォトブックのフォーマットにより、より多くのヴィジュアルが紹介されることで、メッセージの強度が増すと思う。実際に来場者の多くがもっと多くの写真を見てみたいという意見を聞かせてくれる。ぜひ多くの出版関係者に見てもらい、フォトブックの可能性を検討してもらいたい。

また、本作は日本では珍しい、写真で自己表現する米国の若手アーティストの紹介となる。開催期間は8月まである。アート写真を学びたい人には絶好の教材となるだろう。ぜひ多くの人に見てもらいたい作品展示だ。

ケイト・マクドネル(Kate MacDonnell)
1975年米国メリーランド州、アッパー マールボロ出身。大学時代にワシントンD.C.移り住む。
子供のころから両親のサポートで写真を学ぶようになる。ハイスクール時代には、ヴィジュル・アートのカリキュラムの中で、絵画やドローイングと共にモノクロの暗室写真クラスを受講。1997年、コーコラン・アート・デザイン大学を卒業。自分が理想とするヴィジュアルつくりに写真が適していることに気づき、カラー写真による表現を開始する。
2000年代から、様々な研究奨励金を得て創作活動を行い、主にワシントンD.C.やニューヨークのギャラリーや美術館で作品を展示。2013年には、 ワシントンD.C.のシビリアン・アート・プロジェクツ(Civilian Art Projects)で個展「Hidden in the Sky」を開催。本展は初めて彼女の作品を日本で紹介する写真展となる。

「Heliotropism」
テリ・ワイフェンバック / ケイト・マクドネル
2018年 6月1日(金)~ 8月5日(日)
1:00PM~6:00PM
休廊 月・火曜日(本展では日曜も営業)
入場無料
ブリッツ・ギャラリー
http://www.blitz-gallery.com

 

「Heliotropism」
テリ・ワイフェンバック /
ケイト・マクドネル
@ブリッツ・ギャラリー

ブリッツ・ギャラリーの6月1日スタートの次回展は、米国人写真家テリ・ワイフェンバックとケイト・マクドネルの二人展「Heliotropism」となる。

二人はともにワシントンD.C.に在住する女性アーティスト。お互いに尊敬しあう友人同士だ。今回の写真展のアイデアは、主に地元で活動しているマクドネルが作品を世界に幅広く発信したいとワイフェンバックに相談したことから動き出した。二人はともに身の回りの出来事や風景をテーマに、自然世界を愛し崇拝する感覚を持って、カラーで作品制作を行っている。マクドネルが全米各地への旅で撮影している一方で、ワイフェンバックは一つの場所にこだわって撮影している。創作スタイルは違うものの、二人の作品には親和性がある。

ワイフェンバックは、自作が幅広く受け入れられている日本で、マクドネル作品の人気も出るのではないかと考えてブリッツに相談してきた。マクドネルは、作品集が出版されていないので、日本での知名度は全くない。個展を開催しても観客動員や作品販売は難しいと思われた。したがってワイフェンバックの知名度を生かして、二人展「Heliotropism」を開催する運びとなった。ワイフェンバックが展示作品のキュレーションを行っている。
ブリッツでは、ワイフェンバックとウィリアム・ワイリーとの二人展“As the Crow Flies”も2016年に開催している。日本で知名度のない外国人写真家の作品を紹介する手段として、有名写真家との二人展は効果的だと考えている。

さて作品タイトルの「Heliotropism」は、花・植物や動物が太陽に向かう性質、向日性を意味する。二人のヴィジュアルはかなり違うが、ともに宇宙や自然に畏敬の念をもって創作に取り組んでいる。その内面にある作品モチーフへの同じ方向性に注目して、二人で写真展タイトルを「Heliotropism」と決めたのだ。今回は英文タイトルをそのまま使用している。

マクドネルの“Lifted and Struck”は、ネイチャーライティング系で、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの「ウォールデン森の生活」(1854年)の流れを踏襲しているというアニー・ディラード著の「ティンカー・クリークのほとりで」に多大な影響を受けて制作。タイトルも同書の文章から取られている。上記の「ウォールデン森の生活」は、写真家のエリオット・ポーターが写真集”In Wildness Is the Preservation of the World”(1967年)でその世界観をカラー写真で表現している。マクドネルは”Lifted and Struck”で、ディラードによる「ティンカー・クリークのほとりで」の世界観をヴィジュアルで表現しようとしたのだろう。
“私の写真は日常生活の中にある、宇宙の神秘を探し求めています。宇宙に思いをはせると、私たちは無知で欠点だらけな小さい存在であることを実感します”と語っている。これは写真作品を通して世界の仕組みを理解したいという意味で、まさに本展の趣旨そのものといえるだろう。

本展では、ワィフェンバックは伊豆で撮影され、昨年IZU PHOTO MUSEUMでも展示された“The May Sun”からカラー作品17点、鳥のシルエットを捉えた新作“Centers of Gravity”からモノクロ作品9点、マクダネルは“Lifted and Struck”からカラー作品17点を展示する。
“The May Sun”が、デジタル・C・プリント、その他はデジタル・アーカイヴァル・プリントとなる。

本展では限定300部の展覧会カタログを制作した。写真集はワィフェンバックの“Centers of Gravity”(サイン入り)、“The Politics of Flower”(サイン入り)を限定数だけ店頭販売。またブリッツが過去に刊行した残り少ない関連展覧会カタログも販売する。

初夏らしい、とても爽やかなカラーによる風景写真の展示となる。アート写真ファンはもちろん、風景写真で自己表現に挑戦している人にとっても必見の写真展だろう。

「Heliotropism」
テリ・ワイフェンバック / ケイト・マクドネル
2018年 6月1日(金)~ 8月5日(日)
1:00PM~6:00PM  休廊 月・火曜日(本展は日曜も営業)
入場無料

ブリッツ・ギャラリー
〒153-0064
東京都目黒区下目黒6-20-29

JR目黒駅からバス、目黒消防署下車徒歩3分 / 東急東横線学芸大学下車徒歩15分