ROCK ICONS展が3月29日からスタート
鋤田正義/グイード・ハラリ 珠玉のポートレート

ブリッツ・ギャラリーは、鋤田正義とイタリア人写真家グイード・ハラリによる20世紀ロックの伝説的ミュージシャンたちのポートレート写真展を3月29日(木)から開催する。

鋤田は日本、英国、米国、ハラリは欧州と活躍の地域は違うものの、70年代から90年代までの20世紀ロック黄金期のロック・アインコンを撮影してきた。撮影スタイルは違うものの、お互いの仕事をリスペクトする友人同士でもある。
二人は、ハラリが運営するイタリアのギャラリーでの写真展の際に知り合った。お互いにミュージシャンのポートレートを撮影してきたことからすぐに親しい関係となった。ハラリは熱心な音楽ファンの多い日本での作品展示を熱望して、今回の二人展開催となった。
本人は来日予定だったが、体調悪化でドクターストップがかかり急遽中止になってしまった。

鋤田正義といえば、デヴィッド・ボウイのポートレートを約40年にもわたり撮影し続けてきた写真家として知られている。本展でも、彼の膨大なアーカイヴスの中から、未発表を含む多数のボウイ作品が展示される。彼が時に語るボウイとのエピソードは二人の関係性が読み取れて興味深い。鋤田が撮影したボウイのポートレートが別格である理由がよくわかる。若かりし鋤田は、広告の仕事で資金稼ぎを行って、その時にしか撮れない被写体を求めて世界中を旅したいと考えていた。しかしボウイは、広告の仕事をあまりやるなと、よく鋤田にアドバイスしていたという。そういうボウイ自身は広告に出たりしていたので、鋤田はやや違和感を感じていたという。ボウイの80年の日本での広告の仕事では、最も信頼する写真家のはずの鋤田をあえて指名しなかったという。それは。ボウイが鋤田はアーティストであり、広告写真家ではないという、高いリスペクトを持っていたからだと思われる。

この辺りの価値基準は非常に分かりにくいので説明しておこう。欧米ではファインアート系と広告系の写真家は全く違うキャリアを歩み、仕事が重なり合うことはない。日本ではお金を稼ぐ広告写真家の社会的地位が高い。一方で欧米ではファインアート系の人は、お金よりも自由な表現を追求し、世の中に新しい視点を提供する存在として、社会的に尊敬されている。当然、鋤田は日本をベースに仕事をしており、当初は広告優先の価値観を持っていた。ボウイの広告撮影に指名されなかったときは残念に感じたそうだ。鋤田はボウイの趣旨を後になってから理解したという。彼はボウイとの付き合いの中で、アーティストとして社会で生きていく姿勢を学び実践していったのだ。
その結果、いまや彼のポートレート写真家としてのポジションは日本人としては別格と言えるだろう。海外の一流写真家は、どんな有名人を撮影してもそれは本人の作品として扱われる。それは両者は平等にアーティストだと考えられるからだ。作品は自由に発表できるし、ギャラリーではアート作品として取り扱われる。日本人写真家の場合は、ミュージシャンの方が地位が高く、写真家はただ指示通りに撮影するだけの場合が多い。テレビ局のカメラマンと同じような感じだ。もちろん写真を自由に使用することはできない。鋤田はただ単にボウイのヒーローズのLPジャケットを撮っただけの写真家ではないのだ。日本人で数少ない業界でアーティストとして広く認識されている写真家なのだ。

鋤田はただミュージシャンの写真撮影だけを行っているのではない。たぶんこの点もボウイからアーティストとして認められた理由なのだろう。俳優、文化人から一般人まで幅広い人を被写体にするほか、長年にわたりランドスケープやシティー・スケープの写真にも取り組んでいる。優れたアーティストは、マンネリに陥ることを恐れて、常に新しいテーマを追い求める。彼らは写真での表現者であり、お金稼ぎは重要と考えるが最優先順位ではないのだ。現在は、ボウイが亡くなったことから、ミュージック系のポートレート写真を撮影してきた写真家だと思われがちだ。しかし、彼には過去に撮影した膨大な作品アーカイヴスがある。いまその整理整頓に真剣に取り組んでいる。
過去に撮影した作品の現在の視点での再解釈も行っている。それには彼の代名詞のボウイのポートレートも含まれる。最近フィーチャーされる機会が多い、”Heroes”と同じく1977年に撮影された”Just for one day”。(本展でも展示中) 同作は長らく未発表だった。それは、ロックミュージシャンである強いイメージのボウイの表の顔の緊張が途切れて、リラックスして優しい表情を見せた瞬間をとらえた写真。ロックのカリスマの顔をしている”Heroes”のLPジャケット写真とまさに表と裏の作品だ。鋤田はずっとそれはボウイのイメージに似つかわしくないと考えて発表してこなかった。しかし、長い時間が経過し考え方が変化したという。いまではボウイの好きな写真の1枚だと本人が語るようになっている。

今後は、ミュージック系だけにとどまらないポートレート、そしてランドスケープやシティー・スケープの見直しや編集作業と共に、精力的に新作にも取り組んでいる。4月3日から5月20日、地元福岡県の直方谷尾美術館で鋤田正義 写真展「ただいま。」が開催される。同展では、彼のキャリアを網羅する展示が試みられる。どのような視点で彼のキャリア全体を一貫性を持って提示するか。今後は国内外の様々なプロジェクトで試行錯誤が行われるだろう。

本展は、日本におけるグイード・ハラリ作品のギャラリー初展示となる。彼は自らのギャラリーを設立して写真を販売するとともに、デザインにも関わって写真集やカタログまでを製作してしまう。実は本展のカタログ、ポスター、案内状のデザインも彼のスタジオが手掛けている。
彼のロック・ミュージシャンのポートレートは、いくつかのおおきなカテゴリーに分類できる。ボブ・ディラン、ボブ・マーレィ、エリック・クラプトンなどのカリスマ性を持つ強い被写体の時はモノクロのストレート写真で表現している。それ以外では、ミュージシャンに様々なポーズや動きを提案したり、様々な場所に連れ出したりして撮影。さらに写真をべースにして画像・色彩を重ねたりして全く新しい作品を作り上げている。それらは被写体との信頼関係がないと制作できない一種のコラボレーション作品とも解釈できる。撮影後に作品に手を加える作業や、被写体に過度の指示を与える撮影に対しては、様々な意見があるだろう。ミュージシャンのポートレートは、音楽が存在していた時代性がイメージに反映されると、見る側にはより魅力的な作品となる。優れた写真家は、被写体をストリートに連れ出したり、一緒に長期間行動することで、そのような作品を制作している。しかし、相手に信頼されないと、なかなか時代性が反映された写真は撮影できない。ミュージシャンの写真がアート作品になるか、単なるポートレートで終わるかは両者の関係性に強く影響される。ロックがビッグ・ビジネスなりに従い、かつてのように写真家に多くの自由裁量が与えられるケースは少なくなっている。ハラリ作品は、このような創作に厳しい状況であっても、写真家に作家性を発揮する可能性があることを示している。被写体の動きや、撮影のバックグラウンド、そしてポスト・プロダクションを駆使することで、音楽が奏でられていた時代の気分や雰囲気が表現可能なのだ。彼のミュージシャンへのリスペクトと、音楽への高い理解力がこれらの作品を製作可能にしているのだろう。単にデザイン性、奇抜さ、目新しさを追求したのではないと感じる。彼の様々な作品から音楽の背景にあった時代を感じられるか、ぜひ来場者自身の目で判断してほしい。

本展で紹介されるミュージシャンは、鋤田が、デヴィッド・ボウイ、マーク・ボラン、デヴィッド・シルヴィアン、イギー・ポップ、YMO (イエロー・マジック・オーケストラ)、忌野清志郎、シーナ & ロケッツ、SUGIZO(スギゾー)など、ハラリが、ピーター・ガブリエル、ボブ・ディラン、トム・ウェイツ、ルー・リード、ローリー・アンダーソン、ボブ・マーレィ、エリック・クラプトン、パティー・スミス、ケイト・ブッシュ、イギー・ポップ、坂本龍一、ジョニー・ミッチェルなど。モノクロ・カラーのよる様々なサイズの約45点を展示する。

展示予定作の一部は以下からご覧いただけます。
・鋤田正義 作品
http://blitz-gallery.com/sukita.html
・グイード・ハラリ 作品
http://blitz-gallery.com/Harari.html

なお本展ではブリッツは19時まで営業、日曜日もオープンする。ただし、月曜に加え火曜水曜も休廊なのでご注意ください。(ゴールデン・ウィーク中も同様)

(開催概要)
ROCK ICONS SUKITA X HARARI 鋤田 正義 / グイード・ハラリ
2018年3月29日(木)~ 5月20日(日) 1:00PM~7:00PM
休廊 月・火・水曜日
入場無料

ブリッツ・ギャラリー
〒153-0064  東京都目黒区下目黒6-20-29  TEL 03-3714-0552

2018年ブリッツの写真展開催予定
高橋和海「Eternal Flux」展

2018年は、高橋和海の「Eternal Flux」(- 行く水の流れ -)からスタートする。会期は、1月9日(火)から3月10日(土)まで。

Ⓒ Kazuumi Takahashi

高橋の展示は、2009年開催の 「Moonscape – High Tide Wane Moon-」以来となる。彼は、前作で月と海の組写真を通して、月の引力と地球の海との関係性や、その潮の満ち引きの私たちの行動への影響を提示。作品は、大型カメラ(4×5版)を使用し、自然との長時間の対峙の中から生みだされた。静謐かつ瞑想感が漂う風景シーンは、人間が自然の大きな営みのなかで生かされている事実に直感的に気付かせてくれる。無限な宇宙の中では、一人の人間の人生の悩みなど取るに足らない、などとよく人生論の本などに書いてある。しかし、日々忙しい生活を続けていると、様々な悩みごとやトラブルが世の中のすべてのように感じてしまう。言葉を変えると、自分の持つ狭いフレームを通して世界を把握しているともいえる。瞑想や座禅を通して、自らを客観視する方法もある。しかし、私たちは優れたアート作品と対峙することで直感的に自らの思い込みに気付くのだ。宇宙飛行士は、宇宙空間に身を置くことで直感的に何か神々しいものの存在を感じたという。それに近い体験だと思う。私たちは気軽に宇宙に行くことはできないが、優れたアートを体験できるのだ。高橋の作品は、見る側が自らを客観視するきっかけを提供してくれる。私たちはそれらによって、癒されるとともに、枯渇していたエネルギーが再注入される。ただしアートの効用をうまく生活に取り込むには、本人がどれだけ人間の認知能力の特性を学び理解しているかが問われる。

「Eternal Flux」は、永遠に続く絶え間ない変化、という意味。サブタイトルの「行く水の流れ」は、方丈記を意識して付けられている。本作で、高橋はライワークとしている宇宙の営みの視覚化をさらに展開させている。今回は、海の水は太陽によって蒸発し、再び水に還り、雨として陸地に降り、そして再び海へと還るという、完全なる水の循環サイクルを意識して作品を制作。その自然サイクルから現代社会の諸問題の解決ヒントを導き出そうとしている。人間が自然を支配するという西洋的な思想が、地球の資源を消費し自然破壊を引き起こしてきた。それに対して、仏教の輪廻に通じる自然サイクルを重視する考えが、この問題への対処方法になるのではないかと示唆しているのだ。

いまや日本の伝統的美意識の「優美」をテーマにするのは風景を撮影する写真家の定番といえるだろう。私は写真家の知識、経験の違いにより、見る側が受けるコンセプトの深みがかなり違うと考えている。例えば、ネット上の解説を引用しているだけのものと、長い人生経験を通して自らが紡ぎだしてきた感覚がテーマに昇華した作品は全くの別物だろう。高橋の場合、作品のテーマ性が人生と深いかかわりを持つ。彼は潮の満ち引きが生活に根付く漁師の家に生まれ、常に自然のリズムを意識しながら生きてきた。その延長線上に、宇宙の営みの仕組みを解明して視覚化するというテーマを膨らましてきたのだ。

本展では、デジタル化進行で制作が困難になった貴重な銀塩のタイプC・カラープリントによる作品16点が展示される。ぜひアナログ・カラープリントの持つ、ぬめっとした芳醇な質感を実感してほしい。会場では、フォトブック「Eternal Flux」(SARL IKI 2016年刊)も限定数販売される。プリント付き限定カタログも現在進行形で制作が行われている。2018年正月は、新年にふさわしい清々しい風景写真をぜひご高覧ください。

http://blitz-gallery.com/

トミオ・セイケ写真展いよいよ最終週!個別作品の見どころを解説

トミオ・セイケの「Julie – Street Performer」展は、いよいよ今週末の12月2日まで。どうぞお見逃しがないように!今回は、写真展をより楽しめるように個別作品の見どころを紹介しておこう。
Ⓒ Tomio Seike 禁無断転載
 地下鉄の入口付近に座ってジュリーが大判の新聞を見ている作品がある。紙面サイズからして、大衆が読むタブロイド判の夕刊紙ではなく一般紙だと思われる。
紙面から、「Dancer」、「Perfection」などの文字が読み取れ、縦位置のダンサーの写真が確認できる。ジュリーが読んでいるのはアート・文化欄だと思う。ストリート・パフォーマーが一般紙を読むのはやや意外な感じがするが、インテリ層が読む英国の一般紙は、バレー、演奏会、舞台などの公演の論評に大きく紙面スペースをさいている。
私がロンドンに住んでいた時に驚いたのは、公演記事の迅速性だった。前の晩に見た公演の評論と評価が、早ければ翌日の朝刊、もしくは数日のうちに紙面に掲載されていた。それを見て、自分が実際に鑑賞した演奏などの印象と専門家の評価との違いを確認し勉強していた。ジュリーは、当時はストリート・パフォーマーだったが、バレーを幼少時から学んでいて、将来は舞台などでの表現者になるのを夢見ていたという。それゆえ、毎夜ロンドンで開催される各種の公演(たぶんダンスやバレー系)の専門家の意見に関心が高かったのではないか。
偶然、ギャラリーでこの作品を見ていた人が新聞社に勤めていて、日本と西洋との一般紙のアート欄の違いへと話題が展開した。一般的に、海外の記事は過去のその分野の実績の積み重ねとの比較で優劣の判断を下す傾向がある。日本のアート記事は、プレスリリースの内容そのままの紹介である場合が多い。今年話題になったキュレーションサイトのアート版に近いともいえるだろう。小説家や評論家が文章を寄せる場合もあるが、それらは本人が好き嫌いの理由を探して書いている場合が多い。好き嫌いは本来言葉で簡単に表せない。それを無理に語ろうとすると感想文的になってしまう。どうしてこのような違いが出てくるかというと、西洋では長年にわたり業界の動きをフォローする専任の記者が存在するものの、日本では文化欄の担当者が頻繁に内部移動するからだと思われる。またアートについてコメントする作家は文章執筆には慣れているが、決して一分野の専門家ではない。アートや文化分野はあまり専門知識や経験の蓄積が重要視されないのも背景にあるだろう。海外の読者は、公演などを判断する上での専門的な視点の提供を求めるが、日本の読者は小難しい文章よりも、よい情報を選んで整理整頓して伝えてほしいという要望が強いのだと思う。結局、新聞自体ではなく一般大衆の求める情報の違いが日本と西洋の文化関連の記事に反映されているのではないだろうか。新聞社の人との止めどない会話はこのような結論となった。
Ⓒ Tomio Seike 禁無断転載
進行方向が違う2台の車が画面上ですれ違い、車道の向こう側の左側にジュリーと友人の姿が小さく写っている作品がある。彼らの後ろの壁面には「Second Hand Bookshop」という古書店の看板が見られる。画面右側後方にはロンドン・バスの停留所があり、ロンドンで撮影された作品であることがわかる。本作は3種類あるミニ・プリントにセイケがセレクションした本人お気に入りの1枚だ。写真の中の車は、欧州フォード社製のカプリ・クーペと、GM資本のボクスホール社製のカヴァリエⅡハッチバックだ。ダンサーのジュリーが北米のカナダ人であることは前にも触れたが、本作で撮影された2台もアメリカ資本による欧州製の乗用車なのだ。
今回の展示作品は、昨年リヴァプールの若者グループを撮影した「Liverpool 1981(リヴァプール 1981)と対になっている。英国では、伝統的にその人が育ってきた家系や地域が重要視されてきた。「自分の未来を簡単には変えられない」という認識がある。リヴァプールの若者グループの明るさや笑顔は、現状は変わらないのだから、今を楽しく生きようという諦観が根底にあるのだ。それに対して、アメリカンドリームを信じる北米の人は「未来は変えることができる」と考える。英国のロンドンで、米国資本の会社の自動車と明るい未来を信じるカナダ人のストリート・パフォーマーを撮影した本作は、セイケの本展の作品テーマを象徴的に表しているのだ。たぶん、当時のセイケは、階層社会が残っていて閉塞感が漂う英国よりも、北米のポジティブな考えに魅力を感じていたのだと思う。
次回作の「Portraits of Zoe」のモデルになったのはゾイという米国人女性だ。作家活動には高いテンションの維持が必要だ。ポジティブな姿勢を持つ人と組むほうが、相乗効果で新たな創作が生まれやすい。英国に在住しているセイケが米国人を被写体に選んだのは、この辺の心理が影響しているのではないか。
本作は、写真撮影と発表時期の関係性が作品テーマに大きく関わる事実を示してくれる。ちょうど撮影された80年代の前半はポスト工業社会、いわゆるニューエコノミーが北米と英国で始まった時期にあたる。リヴァプールの若者グループに象徴される英国の労働者階級は、その後にニューエコノミーの結果による経済グローバル化の影響を受けることになる。工場移転、移民増加、緊縮財政などに直面して、厳しい生活環境を強いられるのだ。作品中の看板があった古書店も、ニューエコノミーと同時進行したIT社会化によるオンライン・ブック・ショップの乱立に直面する。資本の原理が働き、結果的にコストのかかる多くの業種が廃業に追いやられるのだ。
それが2016年になり、ついにグローバル化の欧州版であるEUからの英国離脱決定(ブレグジット)へとつながっていく。グローバル化によって置き去りにされた、リヴァプールの若者たちに重なる先進国の労働者階級が、ついにエリート層に対して反旗を翻したのだ。
本作が2017年に公開されたのは非常に重要な意味がある。セイケの1982年撮影の写真作品には、世界でその後に起きた35年のストーリーの原点がある。35年前の作品には、21世紀社会の時代性が反映されているのだ。また日本で公開されたことで、日本人(特に若い層への)、今後の生き方を考えるきっかけにしてほしい、という問いかけも含まれている。
優れた写真作品に能動的に接すると、このように様々なストーリーが読み取れる。つまり、作品のテーマ性の見立てが可能なのだ。
トミオ・セイケの「Julie – Street Performer(ジュリー –
ストリート・パフォーマー)」展は、12月2日(土)まで開催。うまい写真を撮りたい人はもちろん、写真で自己表現したい人にとっても必見の写真展といえるだろう。

(作家来廊予定)
セイケ氏は最終日の午後1時30分くらいに来廊予定。

トミオ・セイケの初期作品発見!
カメラ毎日76年3月号・山岸章二との出会い

トミオ・セイケ写真展に和歌山から来廊されたT氏が、カメラ毎日1976年3月号を持参してくれた。そこには当時新人だったセイケによる初期のカラーとモノクロの風景作品が“Landscape”というタイトルで10ページに渡り紹介されていた。これらは、1974年9月から1975年5月までの在英中に撮影された作品で、写真家自らがカメラ毎日の山岸章二(1930-1979)に売り込みに行って、採用されたとのことだ。

カメラ毎日76年3月号 98ページ Ⓒ Tomio Seike

最初の5ページはセイケでは珍しいカラー作品が紹介されている。

カメラ毎日76年3月号101ページ Ⓒ Tomio Seike

それらはリバーサル(ボジ)フィルム「コダクローム」と望遠レンズを使用して、手持ちの多重露光で撮影された、センチメンタルで絵画的な作品だ。50年代前半のアーヴィング・ペンの風景から人物が消えたような雰囲気に感じられる。

 後半5ページは「イルフォードHP4」で撮影されたモノクロ風景。近景を撮影した作品は、フランス人写真家エドワール・ブーバ(1923-1999)を思い起こさせてくれる。この当時のセイケは、まだ30歳代前半。カラー、モノクロ、そして広角、標準、望遠と様々なレンズを使って、自らのオリジナリティーを探そうとしていた様子が垣間見れる。ちなみに使用していたカメラはニコンF2だ。セイケは、“ファッショナブルではなく、美しさと洗練さを兼ね備えた写真”を目指して取り組んだと同誌に記している。
カメラ毎日76年3月号105ページ Ⓒ Tomio Seike
山岸は1960~1970年代に活躍した伝説的な写真編集者。当時は、欧米で「ライフ」などのグラフ雑誌が衰退し、自己表現としての写真が注目されてきた時代だった。山岸は欧米の最前線の現代写真を雑誌で次々と日本に紹介していった。若い才能ある写真家の発掘にも力を発揮して、20歳代の森山大道、篠山紀信、立木義浩を雑誌でいち早く取り上げている。
また写真展の企画も手掛けており、ダイアン・アーバス、リチャード・アヴェドン、J-H・ラルティーグ、ピーター・ベアードなどを日本に紹介。海外への日本写真紹介も行っており、1974年には、ニューヨーク近代美術館で“New Japanese Photography”展、1979年にニューヨーク国際写真センタ―(ICP)で”日本の自写像”展をキュレーターとして開催しているのだ。ネット上では、写真評論家の飯沢耕太郎氏が“Photologue – 飯沢耕太郎の写真談話”で詳しく語っているので参考にしてほしい。
私は窓社の西山俊二社長が手掛けた“写真編集者 山岸章二へのオマ―ジュ”(西井一夫 著、窓社 2002年刊)を読んで、山岸の極めて個性的な人物像を知ることができた。著者の西井一夫(1946-2001)は、山岸の部下として一緒に仕事をした人物で、85年4月号で休刊になったカメラ毎日の最後の編集長。同書には、山岸の写真界での功績や、彼と森山大道、東松照明らとの興味深いインタビューも収録されている。興味ある人は一読を進めたい。
若かりしセイケが、カメラ毎日の山岸によりデビューの機会を得たのは新たな発見だった。山岸は1976年から編集長になるが、3月号の編集長は北島昇となっていた。セイケが会った時はまだ副編集長だったと思われる。セイケによると、売り込みに行ったら、山岸はいきなり10ページを与えてたという。山岸が初対面だった森山大道の持ち込み写真の雑誌掲載を即断したエピソードは伝説になっているが、同じようなことがセイケにも起きていたのだ。
この号の多くの掲載写真の中で、セイケの実験的要素があるが洗練された作品は全く異質に感じられる。たぶん山岸には、外国人写真家を紹介するようなニュアンスがあったと思われる。またセイケの欧米写真家的な写真への取り組み姿勢を評価して発表の場を与えたのだろう。山岸は、約40年以上前にセイケの現在の写真家としての成功を見事に見抜いていたのだ。
同誌は、セイケにとって初めての雑誌掲載だった。雑誌の刊行を待ちわびていたセイケは山岸に連絡をとったという。直ぐに編集部に来いといわれて訪問すると、編集部用の早刷り雑誌をセイケに渡してくれたとのことだ。セイケがこのようなエピソードを話すのは珍しい。山岸の何気ない厚意にとても感動し、その人間性に魅了されたのだと思う。
参考のために同誌「今月登場」のセイケのコメントの最終部分を転載しておく。
「渡英中、日本の写真雑誌を見ては、流行ではない、洗練されたきれいな写真を撮りたいと思っていたという。コンポラでもない大型カメラでもないもの、そういう写真を掲載してくれる雑誌は、もう日本にはないのか、と思っていたが・・・・・・・。」
山岸は1979年に初老性鬱病を患い自死している。その後、日本はバブル経済へと進んでいく。ここから日本の写真は欧米と全く違う方向に進むのだ。写真でのパーソナルな表現よりも、好景気でお金が流れてくる商業写真が中心となる。多くの写真家がその延長線上に自由な自己表現の可能性があると信じた。しかしバブル崩壊によりあっけなくそれが幻想だと気付かされるのだ。2000年、上記の編集者の西井は山岸を約20年ぶりに振り返り、“遂に、日本には、写真雑誌は根付かず、写真エディターも育たず、写真批評の地平線も生まれなかった。山岸章二はいまだ必要なのか?”と記している。
欧米の写真状況を熟知しているセイケも、山岸の死後、日本の写真状況は悪化していると語っている。
この国では、いまだに欧米のような「写真」での表現は生まれず、「写真」はその領域の中で様々な価値基準とともに存在している、という意味だと理解している。日本で写真作品が売れない理由もここから来ているのだ。

トミオ・セイケ写真展 見どころを解説!「Julie – Street Performer」
10月3日スタート!

ブリッツ・ギャラリーでは、海外を中心に活動する写真家トミオ・セイケの「Julie – Street Performer (ジュリー – ストリート・パフォーマー)」展を10月3日から開始する。本展では、若きストリート・パフォーマーであるジュリーを中心に撮影された1982年の作品が世界初公開される。昨年に当ギャラリーで開催して好評だったリヴァプールの若者グループを撮影した「Liverpool 1981(リヴァプール 1981)」と、本作はセイケが80年前半に英国で出合った若者たちをドキュメントしたシリーズの2部作となる。
ⒸTomio Seike 禁無断転載
ストリート・パフォーマーは大道芸人と日本語に訳される。外国ではライブ演奏も含まれる。ロンドンでは、行政からライセンスを得たパフォーマーが指定された路上で、歌、踊り、演技、演奏、アートなどのパフォーマンスを行い、観光客を楽しませてくれる。
1982年10月、セイケはロンドンで、カナダから来た若き4名のストリート・パフォーマーに出合う。彼らは男女二人ずつのグループで、ギターなどでの演奏をバックに男女のペアがダンス・パフォーマンスを行っていた。セイケは、彼らに興味を持ち、約1週間にわたりグループと行動を共にする。コヴェント・ガーデン、カムデン・マーケット、ポート・ベロー・マーケットで、主に女性ダンサー・ジュリーのパフォーマンスや私生活を集中的にドキュメントした。セイケのカメラがとらえたのは将来の大きな希望と現実の不安の中で揺れ動く若者たちの表情や態度。前作のリヴァプールの若者たちと同様に、青春の光と影が表現されている。
この80年代初頭の2作では、ともに厳しい環境下で暮らす若者たちが撮影されている。リヴァプールの若者は、常にジョークを言い合い、表情は明るかったという。少なくとも彼らには、十分ではないにしても行政の支援があり、親元にいたので住む家はあったのだ。英国経済は79年~81年にかけて高インフレの進行と景気の後退に直面していた。当時の若者たちは、自分たちの現状は変わらないという一種の諦観があり、そんな自分たちを俯瞰して笑い飛ばすようなシニカルな緩い表情が見受けられる。
一方で、カナダ出身で、旅の中で暮らすストリート・パフォーマーたちの生活環境は、リヴァプールの若者よりも厳しいと思われる。しかし、彼らの表情からは凛としたような強い意志が感じられる。たぶん自己表現の道を歩むという、将来の目標を自らで考えて、決断を下したことによる覚悟がその背景にあるのではないか。
このあたりは、社会階層の変動が乏しい英国と、努力すれば自分の可能性は開ける、と考える新大陸の北米との考え方の違いなのだろう。80年代前半の北米では、まだアメリカンドリーム的な考えを持つ若者が多かったのだろう。セイケは長年英国に暮らし、同国文化をよく理解している。彼が感じた、ストリート・パフォーマーとリヴァプールの若者との生きる姿勢の違いが本作制作の動機の一つだと思われる。
いまや北米社会は超格差社会になってしまった。21世紀のいまあえて本作をセイケが発表するのは、努力すれば自分は変わることができる、という楽観的なアメリカンドリームの勘違いの行く末を提示したかったのではないか。そして、北米と英国の二つの全く違う生き方の姿勢を示し、幸せな人生とは何かをいまの日本人、特に若者に考えて欲しいのだろう。
判断は写真を見るそれぞれの人に任せるとして、私の個人的な意見を述べておこう。たぶん、この二つの考え方の中間がバランス的にが良いのではないか。重要なのは、現実検討能力だろう。米国文化に影響された日本人にも、積極的な思考を追求する人が多くいる。日本人は欧州・英国よりもアメリカ的な考えを持つ人が多いと思う。しかし、彼らはうまくいったらその原因を自分に求め、失敗したときの原因を外部に求める傾向がある。ポジティブな姿勢は良いのだが、同時に客観的に自分の能力を見極めて、自らの判断に全責任を負う覚悟を持つことが重要なのではないだろうか。頑張る一方で諦める、そのバランス感覚だと考える。

セイケの代表作はアメリカ人女性のゾイを20歳から約5年間にロンドン、パリ、ニューヨーク、東京で撮影した「ポートレート・オブ・ゾイ」シリーズだ。「Julie – Street Performer」は、ちょうどそれを開始する1年前の1982年に取り組んだ作品となる。カメラはライカM4とライツ-ミノルタCL、レンズはズミルクスの35mmと50MM、ズミクロン90mm。そしてあのノクチルクス50mmf1.0が使われている。特に本作はセイケがノクチルクスを使用して撮影を行った初めての作品となる。レストランパブ、地下鉄などの光が弱い環境のポートレート撮影ではレンズの能力が見事に発揮されている。それらはセイケ写真の特徴であるモノクロームの抽象美を追求する作品スタイルへの展開を予感させる。

また次作の「ポートレート・オブ・ゾイ」撮影の発想の原点だと思われる作品も発見できる。鏡を見ているピエロの化粧を落としたジュリーの素顔の表情は、ゾイ・シリーズの未発表作と勘違いしてしまう印象だ。一部には、ドキュメント的、また中望遠で撮られた作品が見られる。またセイケ作品は、洗練された、静的な雰囲気のものが多いのだが、本作中にはカジュアルで動きのある写真も発見できる。写真家がどのようにオリジナリティーや撮影スタイル確立に試行錯誤したかの痕跡だといえるだろう。

このように、同作には見どころが満載だ。セイケ写真の原点ともいえる、ファンには非常に興味深い展示だといえるだろう。本展では、デジタル・アーカイヴァル・プリントによる作品21点が展示される。昨年限定発売して好評だったフレーム入りミニプリント。今年も販売する予定だ。こちらは店頭のみの販売となる。トミオ・セイケは土曜の午後に来廊する予定。来廊予定は、ギャラリー・ホーム・ぺージやツイッターを参考にしてほしい。

 トミオ・セイケ 写真展
「Julie – Street Performer」

フォトマルシェ4が今週末開催!ミュージック系~アート系まで幅広く展示

いまなんでロック系のミュージック写真が売れるのだろうか。
それは、90年代くらいまでは音楽が時代の気分や雰囲気作りの一翼を担っていたからだ。つまり優れたロック系ミュージック写真は、アート系ファッション写真と同じといえるのだ。この時代を生きた人は、自分が愛聴していた有名ミュージシャンの1枚の写真から過去の記憶が蘇る。当時はいまのような音楽配信ではなく、LPが中心だった。楽曲やミュージシャンの思い出はいま以上にヴィジュアルとともに強く残っている。これは日本だけではなく、世界的な現象になっている。市場規模はファッション写真よりも大きいと思われる。過去の良き時代を懐かしむ流れの一環なのだろう。
しかし、それは単にブロマイド的な有名ミュージシャンの写真が売れるのとは意味が違う。やや分かり難いので、ファッション写真に置き換えてさらに詳しく説明しよう。アート作品にならないファッション写真は、単に服の情報を提供しているだけだ。ミュージック系でも、スナップ、ライブ、広報用などの写真はミュージシャンの情報を提供しているだけなのだ。これらのヴィジュアルにはドキュメント性はあるが写真家やミュージシャンの創造性が作品に反映されていない。
アートになり得る優れたミュージック系写真が生まれるには、写真家とミュージシャンとの深い関係性が非常に重要となる。それは才能を認めあった両者によるコラボ作品なのだ。そのような、作品はLPジャケットでのセッションやプライベートでの撮影の中から生まれることが多い。
市場には、アート系とブロマイド系が混在している。ミュージック系の作品をコレクションする際は注意してほしい。アート系は一般的に限定数の販売で価格が高い。しかし、アート作品なので資産価値を持つ点が大きく違う。
例えば、昨年にデヴィッド・ボウイが亡くなったことで、彼と人間関係が深く、数多くのセッションを行っていたブライアン・ダフィー、テリー・オニール、鋤田正義らの作品相場は大きく上昇した。ボウイ作品でも、スナップ、ライブの写真の価値に変化はない。
さて、今週末から始まるフォトマルシェ4のテーマはMUSUICだ。
メイン展示では、鋤田正義が、デヴィッド・ボウイ、デヴィッド・シルヴィアン、イギー・ポップ、マーク・ボラン。
グリード・ハラリが、ボブ・マーレー、ルー・リード、フレディ―・マーキュリー、エリック・クラプトン、ケイト・ブッシュ、パティー・スミス、ジョニー・ミッチェル、デヴィッド・ボウイのポートレートを展示する予定となっている。
ボウイのようなビッグ・ネームは多くの人が時代性を共感する。しかし、いまほどでないにしても70~80年以降には上記のような数多くのミュージシャンが活躍している。それらのヴィジュアルに感銘を受けるかは、見る側がその時代をどのように生きたかによる。アート系でも、ミュージシャンや写真家の知名度によりお求めやすい価格の作品も数多くある。今回のフォトマルシェでは、来場者がかつて自分が生きた時代を思い起こす写真との出会いが数多くあることを願っている。写真がきっかけで、好きだったミュージシャンを語る場になってくれたら本望だ。
○ブリッツ・ギャラリー展示予定写真家
ブライアン・ダフィー、テリー・オニール、スティーブ・パーク、テリ・ワイフェンバック、鋤田正義、杵島 隆、新山 清、高橋和海、伊藤雅浩など。
○トミオ・セイケ写真展の案内状を配布!
ブリッツでは10月3日からトミオ・セイケ写真展「Julie – Street Performer」を開催する。毎回、好評の展覧会案内状。いつも会期開始直後になくなってしまう。本展のA5サイズカードを、フォトマルシェ4のブリッツのブース内のみで限定数無料配布する。希望者はブースのスタッフに声をかけてください。
○アート・フォト・サイトとJPADSも参加。
約15年にわたり開催しているファインアート・フォトグラファー講座。以下の参加した写真家の作品が展示される。
大塚卓司、橋村豊、柳田友希、今野光、藤原感市、安部礼子、伊藤雅浩。
今回はすべて小ぶりでお求めやすい価格の作品を展示している。私は日本の新しい分野の写真家に育つ可能性を持つ人たちだと評価している。週末には参加写真家も会場にいる予定だ。
○トークイベント開催
・「写真の見立て教室@フォトマルシェ」開催
ここ数年に渡り、ブログで提案している日本の新しいアート写真の価値基準。限界芸術や民藝の写真版としてクール・ポップ写真と呼んで普及に努力している。
7月29日は、初の「写真の見立て教室」を開催して、非常に好評だった。今回はその考え方のエッセンスを実例を提示しながらコンパクトに紹介していく予定。全く新しい枠組みで、現在の日本の写真の世界を分析していく。ブログを読んで興味を持って興味を持った人、写真家、コレクター、キュレーター、写真鑑賞が趣味の人はぜひご参加ください。
・伊藤雅浩(写真家)トーク・イベント
「宇宙の営みを可視化する」
伊藤雅浩(1983年生まれ)は、写真での現代アート表現に挑戦し続けている新進気鋭作家。これまでに、空間周波数に注目して写真のビジュアル分析を行い、ゆらぎ理論を用いたアート写真の客観評価の探求などを行っている。
今回フォトマルシェでは最新の2作品を公開。「陽はまた昇る(The Sun Also Rises)」で、目に見えない大地震のヴィジュアルによる可視化に挑戦。また「Life is a series of choices」では、カオス図形による抽象作品に取り組んでいる。
本トークでは、ユニークな作品メッセージの背景にある発想法やアイデアの見つけ方について本人が語る予定。
聞き手:福川芳郎
○テリ・ワイフェンバック初期作のコレクション相談会を実施
2017年10月1日より、アナログの写真用紙で制作されていたワイフェンバックの初期3作品の販売価格が改定されることになった。残念ながら従来の用紙がデジタル化進行により、生産が中止となり新たに作品制作ができなくなったことによる。エディション数が残っている作品も現在までに制作されたプリント数で制作終了となる。作品の希少性を鑑み、今回は40~50%の大幅な価格改定となる。
In Your Dreams、Hunter Green、Lana/Snake Eyesの作品購入を考えている人は、ぜひ価格改定前のこの機会に作品のコレクションを検討してほしい。会場では、ワイフェンバック作品も一部展示する予定。ブリッツのブースでは作品にご興味を持つお客様向けに随時相談会を開催する。既に売り切れの人気作品もあるが、まだ購入可能な素敵な彼女らしい作品も残っている。
期間中は購入可能作品を旧価格にて提供する予定。ただし、海外でも販売していることから人気作売り切れの場合はご容赦いただきたい。
私はだいたいブリッツのブースにいる予定だが、打ち合わせなどで席をはずすこともある。ご興味のあるお客様は、もし可能なら事前にお出でになる日時をメールで連絡してほしい。フォトマルシェに来場できない人に対してはブリッツで随時相談会を開催。(メールで予約受付中)旧価格でのご提供は9月30日受注分までとなる。

ブリッツ2017年後半の予定
フォトマルシェ4/トミオ・セイケ展

早いもので夏休み期間も終わり、
アート業界はいよいよ秋のシーズンに突入となる。
ブリッツの秋以降の予定を紹介しよう。
○「AXIS フォトマルシェ 4」に参加
9月15日(金)~18日(祝・月)11:00~19:00
会場: アクシスギャラリー
(東京都港区六本木5-17-1 アクシスビル4F)
入場料 : 無料
主催・企画: アクシスギャラリー
六本木のアクシスギャラリーで4回目の開催となるフォトマルシェ。今年のテーマは「MUSIC」となった。メイン展示は、鋤田正義と、イタリア人写真家グイード・ハラリ(GUIDO HARARI)の豪華なロック系ミュージシャンのポートレート。ミュージシャン名は以下の通り。
○鋤田正義
デヴィッド・ボウイ、デヴィッド・シルヴィアン、イギー・ポップ、マーク・ボラン
○グイード・ハラリ
ボブ・マーレー、ルー・リード、フレディ―・マーキュリー、エリック・クラプトン、ケイト・ブッシュ、パティー・スミス、ジョニー・ミッチェル、デヴィッド・ボウイ、ニック・ケイブなど

その他、テリー・オニールのザ・ビートルズ、ザ・フー、ブライアン・ダフィーのデヴィッド・ボウイ作品。また、プリンスのオフィシャル・フォトグラファーだったスティーヴ・パークの作品も展示される。ちなみに9月には彼の写真集「Picturing Prince」日本版も発売される。

それ以外にも、参加ギャラリーやブックショップが新進作家から巨匠の名作までを持ちより展示販売。作品価格帯も、お求めやすい1万円前後から高額なものまで。お買い得な写真集なども出品される予定だ。各種のトークイベントも予定されている。

オープニングイベントは9月15日に開催。18時〜19時に鋤田正義と広川泰士のトークが行われる。

AXIS フォトマルシェ4
○「トミオ・セイケ写真展」
「Julie – Street Performer」
( ジュリー – ストリート・パフォーマー )
2017年 10月3日(火)~ 12月2日(土)
1:00PM~6:00PM/ 休廊 日・月曜日 / 入場無料
ブリッツでは、海外を中心に活動する写真家トミオ・セイケの「Julie – Street Performer」展を開催する。本作は、若きストリート・パフォーマーであるジュリーの生き方をテーマにした初期作。なお、昨年当ギャラリーで開催して好評だったリヴァプールの若者グループを撮影した「Liverpool 1981(リヴァプール 1981)」とともに、本作はセイケが80年前半に英国で出合った若者たちをドキュメントしたシリーズとなる。1982年はちょうどセイケの代表作「ザ・ポートレート・オブ・ゾイ」に取り組む直前の時期で、自らのオリジナリティーや作品スタイル構築を模索していた。本展示作の中には、その後のモノクロームの抽象美を追求する作品スタイルへの展開を予感させる作品が数多くみられる。本展では、セイケの世界初公開の初期作約20枚がデジタル・アーカイヴァル・プリントで制作されて展示される。

*フォトマルシェで案内状を差し上げます!
毎回、好評のトミオ・セイケの展覧会案内状。いつも会期開始直後になくなってしまう。本展のA5サイズカードは、上記フォトマルシェ4のブリッツのブース内のみで限定数無料配布される。希望者はブースのスタッフに声をかけてください。

テリ・ワイフェンバック写真展
“Certain Days”がスタート!

ブリッツ・ギャラリーは、米国人写真家テリ・ワイフェンバック(Terri Weifenbach、1957- )の写真展「Certain Days」を4月13日(木)から開催する。
ブリッツでは2014年に開催した「Hidden Sites」以来の5回目の個展となる。本展は2017年4月9日から静岡県三島のIZU PHOTO MUSEUMで行われている、国内外の美術館での初大規模個展「The May Sun」に合わせての開催となる。同展のパンフレットと入場割引券をブリッツ店頭で配布しているので興味ある人は声をかけて欲しい。(数に限りがあります)
今回の展示は、ワイフェンバックの約20年以上にわたる写真家キャリアを振り返る内容。IZU PHOTO MUSEUMでは、2005年に発表された「The Politics of Flowers」(onestar press刊)と、伊豆に長期滞在して撮り下ろされた最新作「The May Sun」シリーズ、映像やインスタレーション作品が展示されている。こちらのレビューは近日中に紹介する予定だ。
ブリッツの展示では、「In your dreams」(1997年)、「Hunter Green」(2000年)、「Lana」(2002年)、「Hidden Sites」(2005年)、「Some Insects」(2010年)、「Between Maple and Chestnut」(2012年)からの作品セレクションとなっている。
デビュー作の「In your dreams」は、マーティン・パーとジェリー・バジャー著のフォトブック・ガイド「The Photobook:A History volume II」(Phaidon Press、2006)に取り上げられている。同書で著者は”ワイフェンバックは美しい写真を撮影している。多くの写真家は美しさの表現で失敗を犯している。それは彼らが”きれい”や”かわいい”をアートと混同しているからだ。しかし彼女の写真はただ表層的に美しいのではなく、深い洞察力を持って表現されている”としている。そして、毎日の経験を日記的に抽出するアプローチは、撮影対象が全く異なるがナン・ゴールディンと同じだとしている。私はこの文章は彼女の作品を最も的確に評論していると考える。
デビュー作刊行から約20年が経過しても、ワイフェンバックの写真世界は一貫している。撮影された場所や時期が違っても、自然風景や植物が主要な撮影対象であることに変わりはない。そして、彼女はそれらに自然を愛し崇拝する感覚を持って接している。また私たちの目に見えない、場所特有の雰囲気や気分を感じ取り作品に反映させてきた。私たちが普段は見過ごしてしまうような何気ないシーンが、彼女の手にかかると特別な写真世界へと高められるのだ。
多忙な現代人にとって、身の回の自然や動植物、場所の記憶などは完全に無意識化された存在だろう。彼女は、自作を通して、忙しい生活の中で自分を見失いがちな人たちがそれらに意識的になり、さらに自らを客観視して元気になることを願っているではないだろうか。
写真作品と同様に、ワイフェンバックの写真集を通してのヴィジュアル表現は極めて高く評価されている。今までに刊行された多くの写真集のうち、初期作品は貴重かつ高価なコレクターズ・アイテムとなっている。
本展では、「Instruction Manual No1 : 21 May 1995」、「Instruction Manual No2 : 21 April 1996」、「Instruction Manual No3 : 25 June 1996」、「In your dreams」、「Hunter Green」、「Lana」、「The Politics of Flowers」、「Another Summer」など、彼女の手掛けた写真集も展示している。一部の写真集は購入可能だ。また同展の限定カタログには写真作品とともにコレクター向けに詳細な情報満載の写真集ガイドも収録している。
本展では、現在はデジタル化の進行で制作が困難になった貴重なタイプCプリント作品18点と、多数の写真集が展示される。ぜひワイフェンバックの20年以上にわたる写真世界の変遷を堪能してほしい。

“BOWIE : FACES”展は4月2日(日)まで開催 いよいよ最終週

1月6日から代官山 蔦屋書店、アクシス・ギャラリー・シンポジア、ブリッツの都内3会場を巡回してきた”BOWIE : FACES”展。早いもので、いよいよ最終週に突入した。展示主要作品は同じなのだが、会場ごとにかなり大胆に壁面展示を変えてきた。現在のブリッツでは、1967年~2002年までの47点の作品を、作家、撮影年代、作品サイズなどをあえて混在させて、壁面全体をフルに利用して展示している。

キャリアを通してボウイは各時代の才能ある写真家、デザイナーなどのクリエーターを多数起用し、彼らとコラボレーションして自らのビジュアル・イメージをセルフ・プロデュースしてきた。その多様さは驚くべきもので、ボウイを知らない子供が会場に来ると、全く違う複数の外国の人のポートレートだと信じているくらいだ。言葉で説明すると回りくどいのだが、その歴然たる事実が今回の展示により、来場者は直感的に理解できるのではないだろうか。
たとえば、若手や新人が今回のような展示を行ってもヴァリエーションが少なく単調になる。いくら作品数が多くても見ていて直ぐに飽きるのだ。しかし、ボウイの複数クリエーターとコラボレーションして制作された作品だと展示にリズムが感じられる。これは想像だが、ボウイの一見ばらばらな姿には適度な規則性があり、壁面の空間周波数は1/fゆらぎにちかくなっているのではないか。様々なクリエーターを採用しているものの、彼らが勝手に創作するのではなく、すべてボウイのディレクションの範囲内に収まっているという意味だ。会場内に身を置くとそのような印象が直感的に湧いてくる。それが理由かは不明だが、本展来場者の滞在時間が普段よりかなり長いのだ。私は約3か月に渡り作品とともにいたのだが、まったく飽きることがなかった。
本展では、このようなボウイの各時代の代表的な写真作品がすべて購入可能なのだ。ここからは、少しばかりセールストークを展開してみよう。
ポップ・アルバム・カバーのモナ・リザといわれるダフィーの”アラジン・セイン”。本作のLPサイズ判のマット入り作品などは、オープンエディション、アーカイブのスタンプ付きで約2万円で買える。
また、今年発売40周年を迎える”ヒーローズ”。1977年の同じセッションからセレクションされた鋤田正義の小さめの8×10″(約20X25cm)作品はエディション100、作家サイン入りで額装しても約3万円くらいで入手可能なのだ。こちらの販売開始は”BOWIE : FACES”東京展からなので現時点ではまだ予約可能だ。鋤田はこれから、ベルリン、イタリア、ロンドンでの個展開催が予定されている。写真は外国の方が売れるのでこれから完売する可能性もあるだろう。エディションは多く感じるかもしれないが、世界全体で100枚なのだ。
テリー・オニールの”ダイアモンド・ドッグ”プロモーション用に1974年に撮影された大型犬が吠えているアイコニックな作品もまだ購入可能。大判サイズは完売しているが、12X16″(約30X40cm)サイズなら30万円程度。また私がお買い得だと考えるのが、”ダイアモンド・ドッグ”のコンタクト・シート作品。セッションの9作品がグリッド状に配置されている。こちらは最近に販売開始されたので、16×20″(約40X50cm)作品がまだ22万円程度で入手できる。テリー・オニール作品はすべてエディション50、作家サイン入りだ。
エディション付きの写真作品は1枚ごとの受注生産となる。展覧会開催時は注文がまとまるので写真家も快く制作してくれる。展示作品以外でも入手可能なのだ。

会期はいよいよ4月2日(日)までとなる。アートとしてのポートレート写真コレクションの考え方や購入後の展示方法など、相談があれば遠慮なく問い合わせてほしい。

(*作品サイズは印画紙サイズ、価格はフレームは別)
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“BOWIE : FACES”展
4月2日(日)までブリッツで開催
Open: 13:00-18:00

参加写真家
ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、
テリー・オニール(Terry O’Neill)、
鋤田正義(Masayoshi Sukita)、
ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)、
ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)、
マーカス・クリンコ (Markus Klinko)、
ジェラルド・ファーンリー (Gerald Fearnley)

・オフィシャルサイト

デヴィッド・ボウイのビジュアル・ワーク アート系ファッション写真との共通性

私は決してボウイ専門家ではないが、学生時代の1978年に武道館で開催されたボウイ日本公演に行ったファンの端くれだ。ここでは、専門のアートとしてファッション写真の見地からボウイを評価してみたい。

まず、”ポップ文化のモナリザ”と評価されることもあるという、1973年のアラジン・セインのカバー写真を見てみよう。

“Aladdin Sane” いまではこのヴァージョンの写真は”クラシック”と呼ばれている

本作を撮影したブライアン・ダフィーは、ロンドンで当時すでに有名ファッション写真家だった。実はこの作品、1973年用に前年に制作されたタイヤメーカー・ピレリの販促用カレンダーとの関わりがあるのだ。写真ファンなら知っていると思うが、ピレリ・カレンダーはその時代の最高の写真家とモデルを起用して制作される販促物。1964年から現在まで長きにわたり制作され続けている。販売用でなくVIPや重要顧客に配布されることから、入手困難なコレクターズ・アイテムとしても知られている。

その50年以上の歴史の中で極めて話題性が高かったのは英国人ポップ・アーティストのアレン・ジョーンズ(Allen Jones、1937- )が起用された上記の1973年判なのだ。彼がデザインとアートディレクションを手掛け、ブライアン・ダフィーが写真撮影、映画”時計じかけのオレンジ”のポスター手掛けたフィリップ・カストルがエアブラシを使用してその二つを合体させて制作したという異例のカレンダーなのだ。ファイン・アートが写真カレンダーの世界を侵略したとも言われた。制作過程でアーティスト間で様々な確執があったことや、発売わずか1か月前に社会に誤解を生む可能性があるとのことで一部写真作品が不採用になったエピソードなどでも知られている。当時アレン・ジョーンズを取り扱っていたマルボロ・ギャラリーは、販促用に無料配布されたカレンダーを求める多くの人々にとり囲まれたそうだ。ボンテージ、フェティシュ系の写真作品は、いま見るとたいしたことはない。しかし70年代としてはかなり斬新かつ挑発的だったようだ。
ピレリー・カレンダー関連の写真集は多数出版されている。興味ある人はアマゾンや洋書店で探してほしい。
さてボウイのアラジン・セインだが、全体のアートディレクションはダフィーがボウイと相談の上で行っている。カメラは中判のハッセルブラッド、コダック・エクタロ―ムというリバーサル・フィルムを使用。フィルムの特性上やや青白い仕上がりになっているが、逆にそれがヴィジュアルのシュールな雰囲気を高めている。稲妻のメイクもダフィーの発案。彼はローリングストンーズの1970年に制作された赤い舌のロゴマーク「tongue」を意識したらしい。
メイク自体はピエール・ラロシェが担当、鎖骨の水の滴はピレリ・カレンダーで一緒に仕事をしたフィリップ・カストルによりエアブラシを使用してイメージ上に描かれている。LP内側の見開き部分では、ボウイの全身のイメージが収録されているが、胸から下部分はエアブラシのデザインワークが見て取れる。同様のスタイルはピレリーカレンダー6月の写真にも発見できる。
英国ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で開催された”DAVID BOWIE is”展では、メイン・ヴィジュアルに2011年に再発見されたアラジン・セインのセッションでのボウイが目を開いた未使用カットが使用され話題になった。この2枚の大きな違いは、目開きの写真の方には、涙がなくボウイの胸毛が見られることだ。1973年のクラシック・イメージではこの部分はエアブラシで修正され白くなっている。顔の部分も目閉じがやや赤らみ、クラシックはやや白い。たぶんここにも加工がされているのだろう。目開きの写真は、フィリップ・カストルの手が入っていないダフィーによるオリジナル写真なのだ。こちらの方がボウイの肉体の生々しいリアルさが感じられる。実はカストルの匠の技は細かいところまでなされている。クラシック・イメージの目を閉じたボウイのまつ毛のマスカラ部分は彼の手で書き加えられているという。アイラインも描かれているようで、作品を近くから見るとその痕跡が発見できる。
ブリッツで開催中の写真展では2枚が同じ壁面に展示してある。ぜひじっくりと見比べて欲しい。
私が最もファッション写真らしく感じるのは、ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴが撮影したボウイ初のカバー・アルバム”Pin Ups”(1973年制作)のジャケット写真だ。
実はそう感じるのも当然、この写真は当初はヴォーグ誌の表紙用に制作されたものだったのだ。写真家のヴィルヌーヴは、ボウイと一緒に写っている元祖スーパーモデルのツイッギーのマネージャーでパートナーだった人物だ。彼は、ロサンゼルスで歌手ピーター・フランプトンがLPのアラジン・セインを持ってきたことでボウイの存在を知る。一部の歌詞にツイッギーを連想させる部分があり、彼はロンドンに帰るとボウイと面会してヴォーグ誌のカバー撮影の提案をしている。ボウイとツイッギーのヴォーグ・カバー案は早々に認められ、撮影はボウイが”Pin Ups”のレコーディングを行っているパリで行われた。撮影時のエピソードも面白い。ちょうど、ツイッギーはカリブ海のバハマ帰りで日焼けしていった一方で、ボウイの肌は真っ白だったのだ。そこでメイク・アーティストのピエール・ラロシェが二人の顔に同じ色のマスクを描くことでこの有名作品が完成するのだ。ボウイはテスト用のポラロイド写真をたいへん気にいり、レコーディング中の”Pin Ups”のジャケットに使用したいと提案。ヴィルヌーヴは悩んだものの、ボウイのLPは百万以上の販売見込みがあり写真は歴史に残る、一方でヴォーグの発行部数8万で発売後すぐに写真は忘れ去られることを熟考して提案を受け入れたのだ。しかし、彼には二度とヴォーグ誌の仕事の依頼はなかったとのこと。21世紀の現在でも”Pin Ups”の写真は多くのボウイ・ファンに愛でられている。結果的に、彼が1973年に下した判断は正しかったのだ。

ボウイはその時代の才能ある写真家、デザイナーなどのクリエーターを見つけ出して、彼らとコラボレーションすることで自らを作品として提示してきた。結果的に、自らをモデルとしたヴィジュアルは時代の気分や雰囲気を色濃く反映された作品に仕上がっていた。彼の関わった写真をいま多くの人が懐かしく感じるのは、それを通して当時の自分を思い起こしているからに他ならない。まさにアート作品として認められているファッション写真と同じコミュニケーションが起きているのだ。
ボウイの関わったヴィジュアルの変遷を見ると、彼が決してマンネリに陥ることなく、果敢に変化してきた過程がよくわかる。アーティストは、いったん成功するとその体験にとらわれて変化を避けるようになる場合がある。そのような人は一発屋としてすぐに消えてしまう。また変化を目的化し、自己満足を追求し奇をてらった表現に陥る人も多くみられる。ボウイのヴィジュアルは明らかにそれらとは違う。彼のような長年にわたってブランドを確立してきたアーティストは、自分の見立て力を生かして多くの才能を積極的に取り込み、新しいボウイのスタイルを作り上げてきたのだ。この点が非常に重要だと考える。

アーティストを目指す人、とくに独りよがりになりがちな若い人には、ボウイのキャリア分析は非常に参考になると思う。

ボウイは、自分自身のブランディングへのヴィジュアルの効果を誰よりも理解していて、キャリアを通してそれを的確に利用してきたアーティストなのではないだろうか。

“BOWIE:FACES”展と、”Duffy Bowie Five Sessions”展は、その軌跡を垣間見ることができる展示になっている。ボウイのファンはもちろん、アート系のファッション写真に興味ある人もぜひ見てほしい写真展だ。
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1.”BOWIE : FACES”展
1月6日から4月2日までの期間に、代官山蔦屋書店、アクシス・ギャラリー・シンポジア、ブリッツの都内3会場で開催
参加写真家は、ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、テリー・オニール(Terry O’Neill)、
鋤田正義(Masayoshi Sukita)、ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)、
ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)、マーカス・クリンコ (Markus Klinko)、
ジェラルド・ファーンリー (Gerald Fearnley)。
・オフィシャルサイト
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2.ブライアン・ダフィー写真展
“Duffy/Bowie-Five Sessions”
(ダフィー・ボウイ・ファイブ・セッションズ)
2月5日まで、ブリッツ・ギャラリーで開催
本展ではダフィーによる、デヴィッド・ボウイの5シリーズからのベスト作品約18点を展示。
参考図書
・Duffy Bowie Five Sessions、ACC、 2014
・BOWIE:FACES Exhibition Catalogue、2017
・The Pirelli Calendar Album、Pavilion、1988