“BOWIE : FACES”展は4月2日(日)まで開催 いよいよ最終週

1月6日から代官山 蔦屋書店、アクシス・ギャラリー・シンポジア、ブリッツの都内3会場を巡回してきた”BOWIE : FACES”展。早いもので、いよいよ最終週に突入した。展示主要作品は同じなのだが、会場ごとにかなり大胆に壁面展示を変えてきた。現在のブリッツでは、1967年~2002年までの47点の作品を、作家、撮影年代、作品サイズなどをあえて混在させて、壁面全体をフルに利用して展示している。

キャリアを通してボウイは各時代の才能ある写真家、デザイナーなどのクリエーターを多数起用し、彼らとコラボレーションして自らのビジュアル・イメージをセルフ・プロデュースしてきた。その多様さは驚くべきもので、ボウイを知らない子供が会場に来ると、全く違う複数の外国の人のポートレートだと信じているくらいだ。言葉で説明すると回りくどいのだが、その歴然たる事実が今回の展示により、来場者は直感的に理解できるのではないだろうか。
たとえば、若手や新人が今回のような展示を行ってもヴァリエーションが少なく単調になる。いくら作品数が多くても見ていて直ぐに飽きるのだ。しかし、ボウイの複数クリエーターとコラボレーションして制作された作品だと展示にリズムが感じられる。これは想像だが、ボウイの一見ばらばらな姿には適度な規則性があり、壁面の空間周波数は1/fゆらぎにちかくなっているのではないか。様々なクリエーターを採用しているものの、彼らが勝手に創作するのではなく、すべてボウイのディレクションの範囲内に収まっているという意味だ。会場内に身を置くとそのような印象が直感的に湧いてくる。それが理由かは不明だが、本展来場者の滞在時間が普段よりかなり長いのだ。私は約3か月に渡り作品とともにいたのだが、まったく飽きることがなかった。
本展では、このようなボウイの各時代の代表的な写真作品がすべて購入可能なのだ。ここからは、少しばかりセールストークを展開してみよう。
ポップ・アルバム・カバーのモナ・リザといわれるダフィーの”アラジン・セイン”。本作のLPサイズ判のマット入り作品などは、オープンエディション、アーカイブのスタンプ付きで約2万円で買える。
また、今年発売40周年を迎える”ヒーローズ”。1977年の同じセッションからセレクションされた鋤田正義の小さめの8×10″(約20X25cm)作品はエディション100、作家サイン入りで額装しても約3万円くらいで入手可能なのだ。こちらの販売開始は”BOWIE : FACES”東京展からなので現時点ではまだ予約可能だ。鋤田はこれから、ベルリン、イタリア、ロンドンでの個展開催が予定されている。写真は外国の方が売れるのでこれから完売する可能性もあるだろう。エディションは多く感じるかもしれないが、世界全体で100枚なのだ。
テリー・オニールの”ダイアモンド・ドッグ”プロモーション用に1974年に撮影された大型犬が吠えているアイコニックな作品もまだ購入可能。大判サイズは完売しているが、12X16″(約30X40cm)サイズなら30万円程度。また私がお買い得だと考えるのが、”ダイアモンド・ドッグ”のコンタクト・シート作品。セッションの9作品がグリッド状に配置されている。こちらは最近に販売開始されたので、16×20″(約40X50cm)作品がまだ22万円程度で入手できる。テリー・オニール作品はすべてエディション50、作家サイン入りだ。
エディション付きの写真作品は1枚ごとの受注生産となる。展覧会開催時は注文がまとまるので写真家も快く制作してくれる。展示作品以外でも入手可能なのだ。

会期はいよいよ4月2日(日)までとなる。アートとしてのポートレート写真コレクションの考え方や購入後の展示方法など、相談があれば遠慮なく問い合わせてほしい。

(*作品サイズは印画紙サイズ、価格はフレームは別)
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“BOWIE : FACES”展
4月2日(日)までブリッツで開催
Open: 13:00-18:00

参加写真家
ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、
テリー・オニール(Terry O’Neill)、
鋤田正義(Masayoshi Sukita)、
ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)、
ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)、
マーカス・クリンコ (Markus Klinko)、
ジェラルド・ファーンリー (Gerald Fearnley)

・オフィシャルサイト

デヴィッド・ボウイのビジュアル・ワーク アート系ファッション写真との共通性

私は決してボウイ専門家ではないが、学生時代の1978年に武道館で開催されたボウイ日本公演に行ったファンの端くれだ。ここでは、専門のアートとしてファッション写真の見地からボウイを評価してみたい。

まず、”ポップ文化のモナリザ”と評価されることもあるという、1973年のアラジン・セインのカバー写真を見てみよう。

“Aladdin Sane” いまではこのヴァージョンの写真は”クラシック”と呼ばれている

本作を撮影したブライアン・ダフィーは、ロンドンで当時すでに有名ファッション写真家だった。実はこの作品、1973年用に前年に制作されたタイヤメーカー・ピレリの販促用カレンダーとの関わりがあるのだ。写真ファンなら知っていると思うが、ピレリ・カレンダーはその時代の最高の写真家とモデルを起用して制作される販促物。1964年から現在まで長きにわたり制作され続けている。販売用でなくVIPや重要顧客に配布されることから、入手困難なコレクターズ・アイテムとしても知られている。

その50年以上の歴史の中で極めて話題性が高かったのは英国人ポップ・アーティストのアレン・ジョーンズ(Allen Jones、1937- )が起用された上記の1973年判なのだ。彼がデザインとアートディレクションを手掛け、ブライアン・ダフィーが写真撮影、映画”時計じかけのオレンジ”のポスター手掛けたフィリップ・カストルがエアブラシを使用してその二つを合体させて制作したという異例のカレンダーなのだ。ファイン・アートが写真カレンダーの世界を侵略したとも言われた。制作過程でアーティスト間で様々な確執があったことや、発売わずか1か月前に社会に誤解を生む可能性があるとのことで一部写真作品が不採用になったエピソードなどでも知られている。当時アレン・ジョーンズを取り扱っていたマルボロ・ギャラリーは、販促用に無料配布されたカレンダーを求める多くの人々にとり囲まれたそうだ。ボンテージ、フェティシュ系の写真作品は、いま見るとたいしたことはない。しかし70年代としてはかなり斬新かつ挑発的だったようだ。
ピレリー・カレンダー関連の写真集は多数出版されている。興味ある人はアマゾンや洋書店で探してほしい。
さてボウイのアラジン・セインだが、全体のアートディレクションはダフィーがボウイと相談の上で行っている。カメラは中判のハッセルブラッド、コダック・エクタロ―ムというリバーサル・フィルムを使用。フィルムの特性上やや青白い仕上がりになっているが、逆にそれがヴィジュアルのシュールな雰囲気を高めている。稲妻のメイクもダフィーの発案。彼はローリングストンーズの1970年に制作された赤い舌のロゴマーク「tongue」を意識したらしい。
メイク自体はピエール・ラロシェが担当、鎖骨の水の滴はピレリ・カレンダーで一緒に仕事をしたフィリップ・カストルによりエアブラシを使用してイメージ上に描かれている。LP内側の見開き部分では、ボウイの全身のイメージが収録されているが、胸から下部分はエアブラシのデザインワークが見て取れる。同様のスタイルはピレリーカレンダー6月の写真にも発見できる。
英国ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で開催された”DAVID BOWIE is”展では、メイン・ヴィジュアルに2011年に再発見されたアラジン・セインのセッションでのボウイが目を開いた未使用カットが使用され話題になった。この2枚の大きな違いは、目開きの写真の方には、涙がなくボウイの胸毛が見られることだ。1973年のクラシック・イメージではこの部分はエアブラシで修正され白くなっている。顔の部分も目閉じがやや赤らみ、クラシックはやや白い。たぶんここにも加工がされているのだろう。目開きの写真は、フィリップ・カストルの手が入っていないダフィーによるオリジナル写真なのだ。こちらの方がボウイの肉体の生々しいリアルさが感じられる。実はカストルの匠の技は細かいところまでなされている。クラシック・イメージの目を閉じたボウイのまつ毛のマスカラ部分は彼の手で書き加えられているという。アイラインも描かれているようで、作品を近くから見るとその痕跡が発見できる。
ブリッツで開催中の写真展では2枚が同じ壁面に展示してある。ぜひじっくりと見比べて欲しい。
私が最もファッション写真らしく感じるのは、ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴが撮影したボウイ初のカバー・アルバム”Pin Ups”(1973年制作)のジャケット写真だ。
実はそう感じるのも当然、この写真は当初はヴォーグ誌の表紙用に制作されたものだったのだ。写真家のヴィルヌーヴは、ボウイと一緒に写っている元祖スーパーモデルのツイッギーのマネージャーでパートナーだった人物だ。彼は、ロサンゼルスで歌手ピーター・フランプトンがLPのアラジン・セインを持ってきたことでボウイの存在を知る。一部の歌詞にツイッギーを連想させる部分があり、彼はロンドンに帰るとボウイと面会してヴォーグ誌のカバー撮影の提案をしている。ボウイとツイッギーのヴォーグ・カバー案は早々に認められ、撮影はボウイが”Pin Ups”のレコーディングを行っているパリで行われた。撮影時のエピソードも面白い。ちょうど、ツイッギーはカリブ海のバハマ帰りで日焼けしていった一方で、ボウイの肌は真っ白だったのだ。そこでメイク・アーティストのピエール・ラロシェが二人の顔に同じ色のマスクを描くことでこの有名作品が完成するのだ。ボウイはテスト用のポラロイド写真をたいへん気にいり、レコーディング中の”Pin Ups”のジャケットに使用したいと提案。ヴィルヌーヴは悩んだものの、ボウイのLPは百万以上の販売見込みがあり写真は歴史に残る、一方でヴォーグの発行部数8万で発売後すぐに写真は忘れ去られることを熟考して提案を受け入れたのだ。しかし、彼には二度とヴォーグ誌の仕事の依頼はなかったとのこと。21世紀の現在でも”Pin Ups”の写真は多くのボウイ・ファンに愛でられている。結果的に、彼が1973年に下した判断は正しかったのだ。

ボウイはその時代の才能ある写真家、デザイナーなどのクリエーターを見つけ出して、彼らとコラボレーションすることで自らを作品として提示してきた。結果的に、自らをモデルとしたヴィジュアルは時代の気分や雰囲気を色濃く反映された作品に仕上がっていた。彼の関わった写真をいま多くの人が懐かしく感じるのは、それを通して当時の自分を思い起こしているからに他ならない。まさにアート作品として認められているファッション写真と同じコミュニケーションが起きているのだ。
ボウイの関わったヴィジュアルの変遷を見ると、彼が決してマンネリに陥ることなく、果敢に変化してきた過程がよくわかる。アーティストは、いったん成功するとその体験にとらわれて変化を避けるようになる場合がある。そのような人は一発屋としてすぐに消えてしまう。また変化を目的化し、自己満足を追求し奇をてらった表現に陥る人も多くみられる。ボウイのヴィジュアルは明らかにそれらとは違う。彼のような長年にわたってブランドを確立してきたアーティストは、自分の見立て力を生かして多くの才能を積極的に取り込み、新しいボウイのスタイルを作り上げてきたのだ。この点が非常に重要だと考える。

アーティストを目指す人、とくに独りよがりになりがちな若い人には、ボウイのキャリア分析は非常に参考になると思う。

ボウイは、自分自身のブランディングへのヴィジュアルの効果を誰よりも理解していて、キャリアを通してそれを的確に利用してきたアーティストなのではないだろうか。

“BOWIE:FACES”展と、”Duffy Bowie Five Sessions”展は、その軌跡を垣間見ることができる展示になっている。ボウイのファンはもちろん、アート系のファッション写真に興味ある人もぜひ見てほしい写真展だ。
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1.”BOWIE : FACES”展
1月6日から4月2日までの期間に、代官山蔦屋書店、アクシス・ギャラリー・シンポジア、ブリッツの都内3会場で開催
参加写真家は、ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、テリー・オニール(Terry O’Neill)、
鋤田正義(Masayoshi Sukita)、ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)、
ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)、マーカス・クリンコ (Markus Klinko)、
ジェラルド・ファーンリー (Gerald Fearnley)。
・オフィシャルサイト
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2.ブライアン・ダフィー写真展
“Duffy/Bowie-Five Sessions”
(ダフィー・ボウイ・ファイブ・セッションズ)
2月5日まで、ブリッツ・ギャラリーで開催
本展ではダフィーによる、デヴィッド・ボウイの5シリーズからのベスト作品約18点を展示。
参考図書
・Duffy Bowie Five Sessions、ACC、 2014
・BOWIE:FACES Exhibition Catalogue、2017
・The Pirelli Calendar Album、Pavilion、1988

“BOWIE:FACES”&”Duffy/Bowie” 2017年はデヴィッド・ボウイでスタート!

2017年1月からはデヴィッド・ボウイ関連の二つの写真展を開催する。ちょうど1月8日は、彼が生きていれば70歳の誕生日、そして1月10日は1周忌に当たる。また1月8日からは、英国ヴィクトリア&アルバート美術館企画による”DAVID BOWIE is”の巡回展が、東京天王洲の寺田倉庫G1ビルで開催。今回の二つの写真展は、これらのボウイや彼のファンにとって重要な日程に合わせて1月~4月にかけて都内複数の場所で行う予定だ。ぜひこれらの展示を通して、ボウイのヴィジュアル・アートへ与えた多大な影響の軌跡を見てもらいたい。もちろん会場では、様々な価格帯の各種オリジナル・プリント、写真集、展覧会カタログなどが販売される。
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1.”BOWIE : FACES”展

1月6日から4月2日までの期間に、代官山蔦屋書店、アクシス・ギャラリー・シンポジア、ブリッツの都内3会場で開催。
本展は、テリー・オニール、ブライアン・ダフィー、鋤田正義など、7名の有名写真家による、1967年~2002年までに制作されたデヴィッド・ボウイの珠玉のポートレート、写真家とのコラボレート作品を紹介する写真展。ボウイによる9枚のアルバムのオリジナル写真、および関連するアート作品が含まれる。

参加写真家は、ブライアン・ダフィー(Brian Duffy)、テリー・オニール(Terry O’Neill)、鋤田正義(Masayoshi Sukita)、ジュスタン・デ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve)、ギスバート・ハイネコート(Gijsbert Hanekroot)、マーカス・クリンコ (Markus Klinko)、ジェラルド・ファーンリー (Gerald Fearnley)。なお彼ら全員が、ヴィクトリア&アルバート美術館の”DAVID BOWIE
is”展に協力している。
・プレスリリース
・オフィシャルサイト
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2.ブライアン・ダフィー写真展
“Duffy/Bowie-Five Sessions”
(ダフィー・ボウイ・ファイブ・セッションズ)
1月8日から2月5日まで、ブリッツ・ギャラリーで開催
ブライン・ダフィーは60~70年代に活躍した英国人のファッション・ポートレート写真家。彼はまた70年代にデヴィッド・ボウイと5回の撮影セッションを行っている。”ジギー・スターダスト Ziggy Stardust “(1972年)、”アラジン・セイン Aladdin Sane” (1973年)、”シン・ホワイト・デューク The Thin White Duke”(1975年)、”ロジャー Lodger”(1979年)、”スケアリー・モンスターズ Scary Monsters”(1980年)だ。特にアラジン・セインのアルバムジャケットに使用された写真は有名で、”ポップ・カルチャーにおけるモナリザ”とも呼ばれている。写真家ダフィーの名前を知らない人でもこの写真は見たことがあるだろう。
2013年夏、英国ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で開催された”DAVID BOWIE is”展では、メイン・ヴィジュアルにアラジン・セインのセッションでのボウイが目を開いた未使用カットが使用され話題になっている。
本展ではダフィーによる、デヴィッド・ボウイの5シリーズからのベスト作品約18点を展示する。
・プレスリリース、プレス用プリント
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ヴィクトリア&アルバート美術館の”DAVID BOWIE is”はボウイ・ファンには必見の展覧会だ。一方”BOWIE: FACES”と”Duffy/Bowie”は、ボウイ・ファンはもちろん、アートやファッション写真のファンも十分に楽しめる写真展だ。多くの写真家たちが、彼に多大な刺激を受けていた状況がヴィジュアルで体験できる。こちらは入場無料。ご来場をお待ちしています!

テリ・ワイフェンバックの写真世界 デジタルで広がる表現の可能性!

現在、ブリッツで開催中の”As the Crow Flies”展。長年にわたる友人のテリ・ワイフェンバックとウィリアム・ウィリーによる二人展だ。10月に始まった写真展の会期も今週末までとなった。
ここで改めて写真展の見どころを紹介しておこう。以前、ウィリアム・ウィリーの詳しい解説は行ったので、今回はテリ・ワイフェンバックを取り上げる。
Ⓒ Terri Weifenbach 禁無断転載
ワイフェンバックは長年ライカ・カメラを使用してタイプCプリントで作品制作してきた。今回の作品は、ソニーα7RⅡというデジタルカメラで撮影され、インクジェットで制作されている。レンズは彼女が長年使用してきたライカ・カメラのものを利用している。彼女はデジタルカメラを使用して表現の幅を大きく広げている。私たちが普段見過ごしている自然をカメラを通して提示することが彼女の大きな作品テーマだ。今回写真展タイトルにもはいっている鳥。彼女は、自然の一部として常に気にかけていた。しかし鳥は動きが早いのでアナログのフィルムではうまく表現することができない。彼女の過去の作品にも、空中で静止している蜂やトンボなどの昆虫類は登場するものの鳥はでてこない。デジタルカメラを手にしたことでかなり早いシャッタースピードでの撮影が可能になった。デジタルの採用により鳥が作品の中心として登場可能になったのだ。
また今回の作品で彼女は自宅裏庭の自然風景の四季を表現している。個別タイトルの”The 20X35 Backyard”は彼女の裏庭の広さを意味する。季節によっては光線が弱い時期もあるわけで、フイルムでは限界があった状況でもデジタル利用で撮影が可能になったと推測できる。
もう一つの新しい表現は、抽象的な作品が含まれていること。デジタルの方が抽象的なヴィジュアルを作りやすいかどうかは私は専門家でないので判断できないが、明らかに絵画を感じさせる表現が増えている。フィルムだと現像しないと画像がわからないが、デジタルはその場で確認できる。たぶんそのような作成過程の違いが、抽象的なヴィジュアル探求のきっかけになったのだろう。彼女は元々は絵を描くアーティストなので、新たな方向性としてカメラによる絵画制作に挑戦していると思われる。
ワイフェンバックは来年4月に静岡県三島のIZU PHOTO MUSEUMの個展が決定している。伊豆で撮り下ろされた作品群を中心に、2005年のモノクロ作品”The Politics of Flowers”も展示されるという。新作の一部を見せてもらったが、古の日本人が山河で感じた自然の神々しさが表現されているように感じた。そこにも抽象画を感じさせるような作品が含まれていた。同展ではかなり大きなサイズの作品が展示されるという。これもデジタル写真の恩恵といえるだろう。全貌が明らかになるのが非常に楽しみだ。
なお、ブリッツでも4月にテリ・ワイフェンバックの個展開催を予定している。

“As the Crow Flies”展は、アート写真のコレクターはもちろん、写真撮影を趣味とする人にも技術的に興味深い展示だ。ワイフェンバックはフルサイズのデジタル・カメラで、ウィリーは8X10のアナログ・カメラを使用。両者の写真には、絞り解放のカラーと絞り込んだモノクロという明確な違いがある。そしてともにインクジェットで制作された作品なのだ。ワイフェンバックは元々はCプリントのプリントを自身で行っていた。いまでも学校で写真とプリントを教えている。今回のカラーの展示プリントもプリント専門家の彼女により制作されている。

ウィリーの作品は専門のプリンターがスキャンからプリントまでを手掛けた現在のアメリカのインクジェットによるモノクロ・ファイン・プリントのスタンダードだ。銀塩写真の表現力を凌駕しているという意見も聞かれるクオリティーだ。アマチュアはもちろん作家を目指す人もプリント基準を知るために必見だ。
「As the Crow Flies」
テリ・ワイフェンバック & ウィリアム・ウィリー
2016年12月17日(土)まで開催
1:00PM~6:00PM/ 入場無料
ブリッツ・ギャラリー
(*ギャラリー特別オープンのご案内)
好評につき12月18日の日曜日もブリッツはオープンします。
日曜しか来廊できない人はぜひお出でください!
1:00PM~5:00PM

ブリッツ次回展「As the Crows Flies」自然を愛する米国人写真家の二人展を開催!

ブリッツでは、10月20日(木)から米国人写真家テリ・ワイフェンバックとウィリアム・ウィリーの二人展「As the Crows Flies」を開催する。
ⓒWilliam Wylie
ワイフェンバックは日本でも知名度が高いが、ウィリーの名前は知らない人が多いだろう。彼は多方面の日本文化に興味持っていて、来年は歩いて四国八十八ヶ所の巡礼の旅を敢行するという。実は2年前にも来日していて、友人のワイフェンバックの紹介でブリッツに来ている。日本での個展開催を希望しており、それ以来ずっと定期的に連絡はとっていた。しかし、彼のはヴァージニア大学のアート部門の教授であり、米国ではそれなりにキャリアを持つ、写真集も数多く出版している写真家なのだが、日本では知名度が全くない。このような場合は非常に多く、ギャラリーは中長期的なスタンスで日本市場での写真家の名前の浸透を図るためのマーケティング努力を行うのだ。通常は、まずグループ展やアートフェアに展示してオーディアンスの反応を見ることになる。
本展の企画は、この長年の友人である同世代の二人の写真家の発案で始まった。2016年の年初、ニューヨークで行われた共通の友人の写真展会場で二人は偶然再開する。ワイフェンバックは、ちょうどワシントンD.C.の自宅裏庭で野鳥、自然風景、季節の移り変わりをテーマにしたカラー作品が完成したところだった。ウィリーも2015年から始めた、8X10大判カメラを使用して樹木を探求したモノクロ作品のシリーズ”Anatomy of Trees”(樹木の解剖学)を撮り終えたばかりだった。
二人の写真の表面的な印象は、カラーとモノクロということもあり全く違う。しかし、ともに撮影対象は植物や自然風景。ワイフェンバックが撮影している野鳥は、ウィリーが撮影している木々に住んでいるという関係性もある。また二人はともに自然世界を愛し崇拝する感覚を持って作品を制作している。
ちょうど、ウィリーが東京での個展開催を希望していることを知るワイフェンバックが私どもに二人展開催を提案してきたのだ。日本でのワイフェンバックの知名度を使って、ウィリーの作品を知ってもらうのは上記のギャラリーの中期的プログラムともマッチする。このような経緯で今春には秋の二人展開催が決定したのだ。今年の6月には二人展を意識してウィリーの「Route 36」シリーズをアクシスで開催されたフォトマルシェで展示してみたりした。

展覧会に際してウィリアム・ウィリーは来日を予定するとともに、教授を務めるヴァージニア大学の関係で日本の学校で学生に話す機会を求めていた。運よく日本大学芸術学部写真学科がレクチャー開催を快諾してくれた。これはギャラリーの営業活動と直接関係はないものの、写真家来日時のマネージメントはギャラリーの仕事の一部となる。写真家が気持ち良く仕事を行う環境作りは、信頼関係構築のために非常に重要なのだ。

レクチャーはちょうど17日に開催され、私も同行して彼の話を聞くことができた。彼は人前でのトークには慣れているようで、通訳付きの英語の話だったが非常にわかりやすかった。スライドで自作を見せながら、キャリア変遷、作品制作のきっかけ、背景、エピソードを聞かせてくれた。私が特に納得したのは、どうすればアーティストになれるかという部分だった。
彼は、”まず前提が「オリジナル(original)」な作品制作は難しいという認識を持つこと。写真やアートの長い歴史の影響を誰もが受けている。自分の風景作品もロバート・アダムスの影響がある。しかし、自分にしかできないこと、「インディビジュアル(indivisual)」な視点を大切にしてほしい。自分にしかできないことを継続していけば、ある日周りの人がそれをオリジナルだというようになるかもしれない”と語っていた。
レクチャー内ではないが、米国で今人気のある写真家名も聞かせてくれた。あくまでも独断だとしながらも、最初にあがったのがアレック・ソス。やはり、ウォーカー・エバンスからロバート・フランクへの流れかあっての評価のようだ。彼の地元写真家のサリー・マン。ドイツ・ベッヒャー系の、トーマス・シュトルート、アンドレアス・グルスキーも人気アーティストとのこと。
日本の写真家に対する米国での人気度についても面白かった。プロヴォーグ時代の、森山大道、荒木経惟、東松照明などは日本写真の教科書的なクラシックと考えられているらしい。現代では断トツに杉本博司、それに続くのはかなり離れて柴田敏雄とのことだ。若手では畠山直哉の作品は知っているとのこと。
さて二人展に戻るが、写真展タイトルの「As the Crows Flies」も二人で決めている。ワイフェンバックは自宅の庭で数々の飛ぶ回る鳥を撮影している。それを踏まえて感覚的につけたのだろう。ちなみに本作のシリーズ名は「The 20 x 35 Backyard」という。自宅の庭のサイズを表している。「Under the Sun」というタイトルも最後まで候補に残ったことを付け加えておこう。私たちは、忙しい現代生活の中、身の回りにある樹木などの自然や鳥などの動植物の存在を完全に忘れている。二人は本作をきっかけにして、それらに意識的に接してみて欲しいと希望しているのだ。アートに触れることで視点が変わると、当たり前だった環境が突然魅力的に感じるようになるかもしれない。
本展では、ワィフェンバックはカラー作品約15点、ウィリアム・ウィリーはモノクロ作品約15点を展示する。彼は8X10カメラを使用して撮影している。ともに全作がデジタル・アーカイヴァル・プリントとなる。
最後にウィリーの日本語読みについて触れておこう。アクセントにより聞え方にかなり幅があり、ワイリーの方が近いという人もいるようだ。実は彼の「Route 36」作品を今年6月のフォトマルシェで展示した時はウィリーの表記だった。混乱を避けるために今回も敢えて変更はしなかった。日本語読みは本当に微妙に違うことがあり悩ましい。ワイフェンバックもワイフェンバッハの方が響きが近いという人もいるのだ。母国語表記が基本で、日本語読みには正解や不正解はないと理解している。それゆえ、カタログと案内状にもあえて日本語表記を行っていない。
「As the Crow Flies」
テリ・ワイフェンバック & ウィリアム・ウィリー
2016年 10月20日(木)~ 12月17日(土)
1:00PM~6:00PM/ 休廊 日・月曜日 / 入場無料
ブリッツ・ギャラリー

トミオ・セイケ「Liverpool 1981」
写真展の見どころを解説!

ブリッツでは、9月7日からトミオ・セイケ”Liverpool 1981″がスタートする。

1981年、当時まだ30歳代後半だったセイケは、経済的に最悪期のリヴァプールを訪れる。彼は市内のストリートで、当時流行のパンクの髪型とファッション姿の「スキンズ」という若者グループと知り合う。彼らは毎日市内を徘徊してまわり、遊技場や行政が用意した更生施設で時間をつぶしていた。セイケが驚いたのは、このような厳しい経済状況に陥っているのにもかかわらず、彼らが底抜けに明るかったこと。彼はその中の二人の男女に興味を持ち、数日間行動を共にして撮影を敢行。リヴァプールの若者たちの青春の光と影を表現した本作が生まれたのだ。
このわずか数日の撮影を当時のリヴァプ―ルのドキュメント作品だと解釈すべきではない。これはいま写真家として活躍しているセイケによる、パーソナルな原点の確認行為なのだろう。1981年はセイケにとってもキャリア上とても重要な時期にあたる。ちょうどギャラリー・デビュー作”ポートレート・オブ・ゾイ”に取り組む直前で、自らの作品スタイル構築を模索している時期なのだ。本作には、その後のモノクロームの抽象美を追求する作品スタイルへの展開を予感させる作品も数多くみられる。実はセイケは、本作の翌年からロンドンの大道芸人のスナップを撮影している。最終的に、この二作でポートレートの撮影スタイルをある程度確立させたのだろう。
作品テーマ的には、セイケはスイス人写真家ルネ・グル―ブリ(Rene Groebli)の”Das Auge Der Liebe”に多大な影響を受けたと語っている。新婚旅行での新婦をパーソナルにスナップした同書と、”Liverpool
1981″、”ロンドンの大道芸人”が原点となり名作”ポートレート・オブ・ゾイ”へと展開していったと想像できる。本作の発表により、スナップやポートレート中心のトミオ・セイケのキャリア前期の作品展開が、はじめてオーバービューできるようになったといえるだろう。
展示作品はすべて、インクジェットプリンターで制作されたデジタル・アーカイヴァル・プリントとなる。古いモノクロ・フィルムのネガからデジタル・データを作り、インクジェット・プリンターで銀塩写真に近い作品を制作するのは非常に難しい。モニターの画像と、実際のプリントが全く違ったという経験はカメラ趣味の人なら誰もがあるだろう。銀塩写真時代、セイケはファイン・プリント美しさで定評があった。どうしてもアナログかデジタルかという二元論的な視点から作品が解釈されがちになる。しかし今回の展示作品は、作家により過去のアナログ作品が新たに解釈されて制作されたと理解しなければならないだろう。つまりそれは自分がファインダー越しに見たヴィジュアルを、デジタル技術を駆使して、アナログの限界を超えてより自分の当時の感覚に近く再現するということ。これはまさに現代アート的なアプローチに近く、デジタルでアナログに近いプリントを目指して制作しているのではない。これらはキャリア最初期の彼の思い出深い作品群になる。その当時を懐かしむ心的感覚が作品のトーンに反映されているように感じられる。銀塩写真でのプリント制作もできたのに、あえてデジタルで制作した理由はこのあたりの思いの表現を意識したからではないか。
本展では、トミオ・セイケのデビュー作20点が世界初公開される。ぜひご高覧ください!