フォトブックのコレクションのいま 写真集ガイドブックの最新ガイド

2000年代に起きたフォトブック・コレクションの一大ブームは、
“Book of 101 Books, The: Seminal Photographic Books of the Twentieth Century”(Andrew Roth著、2001年刊)や、
“The Photobook: A History, Vol.1 & Vol.2” (Martin Parr他、2004年 & 2006年刊)などの、歴史的レアブックのガイドブックが次々と刊行されたことから始まった。そこでフォトブックが写真表現の一つの形態であることが学術的に語られたのが大きく影響していると思う。
またハッセルブラッド・センターでのフォトブック自体を展示する展覧会の開催などが2004年にあり、新しいコレクション分野を求めていたアート写真コレクターが注目する。
その中でもガイドに多数掲載されていた日本のフォトブックに世界中のコレクターが熱い視線を注ぐことになる。日本人写真家はオリジナルプリントよりフォトブック制作に重点を置き、初版本はヴィンテージプリント同様の価値があると解説された。日本にはヴィンテージプリントがないと諦めていたコレクターが一部のフォトブックに殺到した。市場のピーク時には、川田喜久治の傷みやすいことで知られる写真集「地図」の極上状態ものが500万円以上で取引されたそうだ。この金額は明らかにフォトブックではなくオリジナル・プリントの値段だ。

その後、2008年秋のリーマンショック後の景気悪化などが原因で低価格帯のアート作品市場は大きな打撃を受ける。それらの中心コレクターだった中間層が不況の打撃を一番受けたからだ。フォトブックはここ10年余りで市場が確立してきた低価格帯の新コレクション分野だった。市場自体にまだ厚みがなかったので景気後退の影響は大きかった。市場拡大により2006年からクリスティーズのロンドンなどで開催されていたPHOTOBOOKSのオークションも2009年を最後に休止されてしまった。いまではスワン・オークション・ギャラリーズなどで写真作品の一部として取り扱われるだけになった。またオンライン書店photoeyeが開催するネットオークションでは継続されている。かつての世界的なレアなフォトブック・ブームは一休みという感じだ。

いま思えばフォトブックのブームは明らかにバブルだったといえるだろう。Errata Editionsから”Books on Books”シリーズがリーマンショック後の2009年に刊行される。このあたりがブーム終了の始まりだったと思う。
これは、オークションなどで高額で取引される入手困難のフォト・ブックの全内容をなんと複写(!)して別の本として紹介するものだった。まともに考えればこのようなタイプの本が売れたこと自体がバブルだったのかもしれない。

さて今まで話題が少なかったフォトブック市場だが、2011年以降には新たなフォトブックのガイドブックが次々と刊行されるようになってきた。たぶん企画自体は以前からあったものが、世界的な金融緩和により大恐慌が回避されたことで再び発売が決定したのだろう。
2000年代に刊行されたガイドブック類に対しては、その収録するフォトブックセレクションに対して様々な意見があった。いわゆる、もっと良い本があるのに何で掲載されないのか?のようなつっこみだ。
ガイドの発売がきっかけで今までは散逸していたフォトブックの情報がかなり専門家の元に集約されたのではないだろうかと思う。それが更に新しい切り口のガイド刊行につながったのだろう。市場が先行してそれをアカデミックに評価していく流れがここにも見られる。
最近のガイドの特徴は、ラテンアメリカ諸国、スイス、オランダなどの地域ごとのくくりになって狭い範囲でより深く掘り下げていることだ。2013年には、人気アーティストのエド・ルシェのコンセプチュアルなアーティスト・ブックに注目し、過去30年間の世界中に広がった彼のフォロアーを紹介するガイドまで登場した。これらの中には初めて見た写真家のフォトブックも数多く含まれる。
写真家にとってどんな形式にしろ作品を本にまとめることが重要なことを痛感する。例え最初は評価されなくても、本として残ってさえすれば時代や地域を超えて再評価の網に引っ掛かる可能性があるのだ。
フォトブックの世界的ブームは落ち着いたものの、どうもこのカテゴリーは世界各国の研究者により探求がゆっくりと進んでいる感じだ。日本のフォトブックも含めて調査が手つかずの分野もまだまだ存在する。市場は、写真分野、刊行された地域、規模ともに徐々にだが拡大していくことだろう。

フォトブックはアート写真のカテゴリーとして市場ではすでにポジションが確立されている。中長期的には現在のやや弱気な相場は絶好の買い場だと思う。日本のコレクターにはドル高による円貨額の上昇も気になるところだろう。もし狙っているフォトブックがあるならば、いまこそ買うつもりで市場を見た方が良い。 歴史的なレアブックの場合、真剣に買おうと思うと、案外お値打ちの良品の流通が少ないことに気付くのだ。状況を正しく把握して、心構えができていると肝心な時に判断に悩むことはない。

2011年以降に発売されたフォトブックのガイドブック

The Latin American Photobook, Aperture (2011/10/31)

・Swiss Photobooks from 1927 to the Present, Lars Muller Publishers; Mul版 (2011/12/5)

The Dutch Photobook: A Thematic Selection from 1945 Onwards, Aperture (2012/5/31)

VARIOUS SMALL BOOKS: Referencing Various Small Books by Ed Ruscha ,The MIT Press (2013/2/1)

大手オークションハウスが演出?ブランド化するアート写真

アート写真オークションでの作品評価はどのように決まるのだろうか?もちろん過去のオークションでの取引実績などが参考になる。実は作品の人気度が非常に重要な要素となる。同じ作家でも絵柄によって人気度が極端に異なることもある。ロバート・メイプルソープの場合、花は高額で取引されることが多いが、メールヌードは概して低評価なのだ。
ギャラリーの店頭では絵柄による値段の違いはないが、セカンダリー市場のオークションでは人気度により非常に大きな違いがでてくる。高人気は値段が高いとほぼ同じ意味。低人気の低価格作品の場合、大手オークションハウスは取り扱いに積極的でない。

オークションに出品される作家の顔ぶれをフォローしていると、特に最近は何十人かの特定の人気写真家の出品が半ばレギュラー化しているような気がする。ここ10年くらいは判断基準が写真史だけでなく、話題が多く知名度が高い人がレギュラー化している。自殺したダイアン・アーバス、エイズで亡くなったロバート・メイプルソープ、ハーブ・リッツ。それに最近再評価されている、これも自殺したフランチェスカ・ウッドマンを加えようとしている気配も感じる。
その他には、社交界のセレブでもあるピーター・ベアード、美術館で本格的回顧展が開催され過去の写真集が次々と復刻されているロバート・フランク、ウィリアム・エグルストン、アンリ・カルチェ=ブレッソンなどだ。リチャード・アベドン、アーヴィング・ペン、ヘルムート・ニュートンなどのファッション系の重鎮も完全にレギュラー化している。
もちろん上記のように、これらの人気作家の人気絵柄が高額で取引されているのだ。

最近はオークションで高額をつけるような珠玉のヴィンテージ・プリントの流通量が減っている。つまり美術館や有名コレクションに入った貴重な作品は2度と市場には出てこない。それでは500万円を超える高額セクターのセカンダリー市場はどんどん縮小してしまう。関係者が指摘しているのは、大手オークションハウスは、イメージがわかりやすく、流通量がある程度ある戦後作家からスターを作りあげ、新しいコレクターにアピールすることを画策しているのではないかということ。それが最近の市場における一部作家の人気に反映されているという見立て。売れ筋とその周辺をどんどん押していき実績を作り、相場を上昇させていく作戦だ。
実際、歴史的的価値が高いと思われる19世紀から20世前半の写真よりも、戦後のファッション写真のほうが遥かに高価であることはいまや珍しくない。
現代美術市場がアート写真市場に影響を与えていることから、アイデア、コンセプト面で上記の写真家を再評価して市場価値を正当化しようという流れも同時に起きている。どちらの意図が強いかは明確ではないが、たぶん市場サイド、学術サイドからともに起きている現象なのだと思う。私はこの重層的な戦略こそが欧米のアート写真市場がダイナミックに発展してきた理由だと思っている。

以上の動きのなかで、いまオークションハウスのなかで、クリスティーズ、ササビーズ、フイリップスの大手3社を頂点としての序列化が起きている。当然のことなのだが、プライマリー市場のギャラリーにも明確なブランド化の波が訪れつつある。
有力写真家が、現代アートのブランド・ギャラリーで取り扱われる傾向さえみられるようになった。かつてのアート写真市場は、その他のアート分野とくらべて誰でも参加できる民主的なところだった。90年代のオークションは価格も安く牧歌的な感じでさえあった。初期の写真ギャラリーはフレンドリーな雰囲気で敷居も非常に低かった。ビジネスよりも本当に写真好きがギャラリーを経営している感じだった。
その後、相場が一貫して上昇してきたことでその他のアート市場と同様になってきたのだ。最近の有力フォト・フェアなどはお金の匂いがムンムンする。私の概算だと、オークション規模から2012年の米国アート写真市場規模はだいたい百十億円くらいになっていると思われる(現代アート分野の写真は含まない)。
相場が上昇し市場規模が拡大したことは喜ばしいことなのだが、個人的にはやや複雑な心境だ。その間の日本は正に失われた20年と重なる。完全に欧米から取り残されてしまった。日本市場の低迷は決して経済的な理由だけではない。写真がアート作品として認知されず、作家、コレクターが育ってこなかったことにつきると思う。

大手オークションハウスは、高人気、優良来歴、優良状態のいわゆる高級品中心の取り扱いに特化する傾向だ。それら条件が揃わない低額評価作品の売買は、中堅オークションハウスを利用するしかない。ちなみに、GORDON’S Blouin Art Sales Indexによると2011年にアート写真が出品されたオークションは世界中で約416回も開催されている。
以下にそれらのなかで比較的アート写真に力を入れている中堅業者と最近の実績をわかる範囲で抜粋してみた。ほとんどが500万円以下の中間価格帯から100万円以下の低価格帯の作品の取り扱いになっている。これらのオークションの落札率は大手と比べてかなり低くなっている。欧州でのオークションは長引く経済低迷が影響しているのだろう。
また、彼らは大手とは違い特に厳密な作家と作品のエディティングを行わない。委託希望作品は、重複作や悪い状態の作品以外をほとんど受け入れているからでもあると思われる。個人的にはアート写真市場の実態がより正確に反映されているとみている。

  •  Swan Auction galleries,  New York, U.S.A. 2013年4月18日
    Fine photographs & Photobooks Auction
    総売り上げ1,191,594ドル  落札率 66.11%
  • Bonhams,  New York, U.S.A.  2013年5月7日
    Photographs Auction
    総売り上げ674,750ドル 落札率 63.7%
  • Bloomsbury Auction, London, UK  2013年5月17日
    Photographs and photo books
    落札率 57.1%
  • Kunsthaus Lempertz,  Cologne, GERMANY   2013年5月24日
    Photography and Contemporary Art
    総売り上げ471,590ユーロ 落札率 63%
  • Villa Grisebach Berlin, GERMANY  2013年5月29日
    Photographie Auction
    総売り上げ553,636ユーロ 落札率 68.9%
  • WestLicht Photographica Auctions  Vienna, AUSTRIA
    2013年5月24日  8th WestLicht Photo Auction
    落札率 76%

現代のお伊勢参り?「アートな旅」のブーム到来

いま「アートな旅」がちょっとしたブームになっているようだ。今年5月の日本経済新聞には「アート町に咲く」という、町を活性化させる手段としてのアートの有効性を考察する連載記事が掲載されていた。数年前には、「観光アート」(山口裕美著、光文社新書2010年刊)という日本全国のアート観光ガイドも刊行されている。

日本人は美術鑑賞も旅行がともに大好きな国民だ。「アートな旅」はその二つがうまく合致しているからブームになったと考えられるだろう。
これには歴史的な背景がないとは言えない。「アートな旅」は一生のうちに一度は訪れたい、といわれたお伊勢参りの現代版と言えないこともないだろう。伊勢神宮以外でも、日本では古来から神社仏閣は神聖な場所と考えられている。そのことを現代ではパワースポットというような呼び方をする。実はファイン・アートも神聖なものであると考えられている。
現代社会では全ての人間は単なる労働者で代替可能な存在だ。しかしアーティストは自らの創造性と努力の結果、世界でオンリーワンの作品を作り出す唯一無二の存在なのだ。アートは実用性から離れ、アーティストの創造性や論理性のみを愛でるもの。その面から現代社会ではアートは特別な存在で宗教的な要素を持つとも言われているのだ。多くの人々が(特に欧米では)アートやアーティストに対して高い尊敬の念を持っている。神を祀った神社仏閣や教会と、アート作品を展示するホワイトキューブの美術館とは共通する空気感があるのはこの神聖さによる。

美術館・博物館は日本全国に約1200施設あるそうだ。しかし全てが「アートな旅」の対象になっているわけではない。日本人は美術鑑賞好きだが、実は美術館を頻繁に訪れているのではない。多くの人が行くのはメディア主催で広告宣伝が盛んにおこなわれる大規模展覧会なのだ。
それらのイベントが開催されない美術館の集客は、展示作品のコンテンツの質と企画力が非常に重要になる。いくら外見が良くても優れた作品がなければ単なる箱でしかない。
最近話題の、金沢21世紀美術館、直島の地中美術館。これらはともに優れた常設展示の作品が有名建築家の設計した建物に展示されている。 それゆえ「アートな旅」の聖地になっているのだろう。
優れた企画展の開催も「アートな旅」を演出できる。例えば6月下旬まで開催されている、横須賀美術館の「街の記憶」展。一流作品が展示されている会場から私は神聖な空気を感じた。優れたアート展示なら、それを鑑賞するために旅する価値があると思う。

最近は全国で様々なアートプロジェクトが開催されている。これらも「アートな旅」の対象地になっている。2010年に開催された「瀬戸内国際芸術祭」は105日の会期中に93万人の来場者を集めたと上記の日本経済新聞の記事に紹介されていた。実際的には、多くの人はこれらのアート鑑賞は大規模展覧会や名所旧跡周りと同じようにとらえているのではないだろうか。
地方の芸術祭は何かに似ていると感じた。現在人気が高まっているNHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」だ。これでは海女による東北の過疎地の活性化がテーマになっている。モデルの漁村は非常に行き難い場所という設定。芸術祭の会場は行き難い場所に分散してある場合が多い。ドラマの登場人物による、苦労してわざわざ行くからありがたみや感動が生まれる、という分析は芸術祭にも当てはまると思う。ローカル線、ウニ、海女さんを、芸術祭、アーティスト、アート作品に置き換えると似たような構図になる。アートは食べられないのでかわりに地元のグルメをアピールすればよい。旅、アート、グルメという3つの娯楽が揃うことになる。
そしてマーケティング的にもアートがブレンドされることにより、他の町興しイベントよりも多少は神聖な感じがして差別化が可能になるという仕組みだ。

最近は写真でも多くのイベントが地方都市中心に開催されている。日本では写真は撮影するものでアートとは考えられていない。欧米と比べてアート写真のオーディエンスも少ない。どうしてもアマチュア中心の町興しイベントになってしまう。日本には膨大な数のアマチュア写真家がいる。彼らを集めての街を活性化プロジェクトはメーカーや地方都市にとってメリットがあるだろう。
しかし、アマチュア写真は自分の為に撮られたものなので、アート性や神聖さが決定的にないのだ。 写真愛好家同志が親交を深めるために集うのにはよいだろうが、優れたアート写真を求める人には行く意味が見つからない。その点では今年春に開催された「京都グラフィー」は優れたコンテンツが魅力的な会場で展示されていた。写真での「アートな旅」を成功させた類まれなイベントだったと思う。アート志向を持った企業やアーティストが中心に行われるイベントは日本の写真界では非常に珍しい。

いま流行りの「アートな旅」現象。どうも世間一般でアートへの理解が進んだから起きているのではないようだ。メディア主催の大規模美術展に旬のイベントとして訪れるアートファンの一部が流れているのだろう。アートが地方への集客と町興しのためのマーケティングの道具になっている感が否めない。
しかしアーティストにとっては、どのようなかたちでも作品が展示されるのは自身のブランディングにとってメリットはあると思う。写真も同じで、コレクター不在の日本ではアマチュア写真家に認知、支持されることは重要だ。もし機会があるのならば、アーティストは状況判断を正しくした上で確信犯でこれらのイベントを利用すればよいだろう。