トーマス・ルフ展 東京国立近代美術館
現代アート最前線の作品を体感しよう!

本展は、写真を使用した現代アート作品で知られるドイツ人アーティストのトーマス・ルフ(1958 – )の展覧会。キャリアを代表する18のシリーズをセレクションして、彼のキャリアの概観しようとするもの。初期作の約2メートルの巨大ポートレートから、過去の報道写真から制作された最新作まで約125点が展示されている。今秋に日本で開催されている写真関連美術展の中で最も注目されている展覧会となる。
 
展覧会のレビューを書くにあたり、ルフ作品の実像を知るために、展覧会のカタログ、IMAマガジン17号の特集記事など関連の資料に目を通した。
カタログには、「世界の探求と写真家の変容」(増田 玲)、「トーマス・ルフ「写真」の臨界へ」(中田耕市)。IMAには、ルフのインタビュー、「「画像化する写真」をめぐるアート」(若林 啓)、「写真そのものへの問い」(鈴木 崇)、「世界が無意味である真実」(山形浩生)のエッセーが収められていた。インタビュー記事の最後に「時代とともに移り変わる写真とメディアに向き合い、世界に対する新たなヴィジョンを打ち出してきたルフの全体像が、いまここに立ち現れる」とまとめている。これが多くの識者の大まかなエッセーの要約に近いのではないか。私はルフの一環したテーマは、世の中の様々な仕組みをヴィジュアル化して提示することなのだと理解した。

彼はデュッセルドルフ芸術アカデミーでベッヒャー夫妻に写真を学んでいる。アンドレアス・グルスキー、トーマス・シュトゥルートらとともに、「タイポロジー(類型学)」の方法論を取り組んで写真で作品制作する"ベッヒャー派"の代表的アーティストとして理解されている。

私はそれとともに、おなじドイツのオットー・シュタイナートが50年代に提唱したサブジェクティブ・フォトグラフィーとの関係性を感じる。サブジェクティブ・フォトグラフィーは、カメラの持つ特徴や撮影テクニックを駆使して、現実世界に存在する多様なフォルムやシーンを発見して自由に表現することを目指した。これは、写真家は主観的に自らの考えや人生観を表現に生かすという意味でもある。
写真表現の幅は非常に広く、造形美を追求した抽象的作品から、リアリズム的作品までを含む。これは、1920~30年代に登場した、ラズロ・モホリ=ナジ、マン・レイ、アルベルト・レンガー=パッチェらによる、新しい写真のリアリズムとフォトグラムやフォトモンタージュのような造形美を追求した、いわゆる「新興写真」を発展継承した運動だった。
シュタイナートは、「サブジェクティブ・フォトグラフィは、非対称的(ノン・オブジェクティブ)な、画面の抽象的な構成を中心とする実験写真なフォトグラムから、深みのある、美学的に満足できるルポルタージュまで、個人的な写真創造のあらゆる局面を含んだ枠組みを意味する」と語っている。
 
ルフの一連の作品を見るに自分の周りの世界を綿密に観察・探究し、情報収集しているのがわかる。以前も指摘したが、観察を行う前提として、目の前に広がる世界は見る人によって違って存在しており、客観的な見え方などないという理解がある。綿密な観察を行った結果、世界で見たり、感じるものに一連の法則を見つけ出し、一貫してそこから創作テーマへと展開していく。ルフの内面にはその法則に従った宇宙観が形作られて、それに従って世の中を解釈してきたのではないだろうか。その視点で、ストリートシーン、シティースケープ、ランドスケープ、自然植物、静物、ヌード、星空などをモチーフに作品制作してきたということだ。
巨大な作品スケールも、観客が彼の宇宙観と一体化するための仕掛けなのだ。小さいと作品を客観視してしまい一体感は生まれない。
画家が筆と絵具を通して絵画でその法則を描くように、彼は写真撮影、既存イメージと画像ソフトを駆使して写真作品を作り上げる。その写真を使用した方法論の探求自体に意味があるのではない。ここの理解ができないと、"頭でっかちな"アーティストというような評価が下されるだろう。私たちが写真などのビジュアルを見ていだく認識には、なんら客観的な根拠があるわけではないことを作品で問題提起しているのだ。
 
彼の持つ宇宙観とは、無限の宇宙の中では一人の人間の悩みなど意味をなさない、というような当たり前のことなのだと思う。彼の作品には、天文写真を用いた"Stern(星)"、土星とその衛星を素材にした"Cassini(カッシーニ)"などがある。彼は子供の頃から宇宙に関心があったという。これら宇宙と関わる作品群があるのは偶然ではないと考える。「宇宙からの帰還」(立花 隆 著)に書かれていたと記憶があるが、宇宙飛行士は、宇宙空間で漆黒の闇と明るい地球を見ると、何らかの人間を超えたパターンの存在を直感するという。ルフ少年は宇宙の観測とサンプリングを続けながら、自分なりの世界を理解する法則を探し求めたのではないか。
忙しい現代人は宇宙の中の自分の存在などをすっかり忘却して、日々の些細なことがらに心悩ませながら暮らしている。ルフは写真やヴィジュアル素材を通して、私たちにそんな当たり前の事実に気付かせようとしているのだ。
 
彼の優れている点は、そんな自分の作品さえも根源的には意味を持たないと分かったうえで確信犯で創作を行っていることだ。上記の山形浩生氏による「世界が無意味である真実」の分析に近いだろう。釈迦は、人間の行為そのものも結果も存在する。しかしそれを行った人間は存在しない、と語ったという。私たちの多くは、いくら社会に意味がないと思っても山里の草庵で一人の人生を送ることはできない。社会の中で一定の役割を担って生きていくしか選択肢はないのだ。しかし、自分なりの宇宙観を持ったうえで生きるのと、ただ社会に流されて生きるのでは、私たちに見える世界の光景はかなり違ったものになるだろう。
アートの使命は、私たちに新しい視点を提供して、自らの思い込みに気付かせることだ。ルフは、様々な写真の方法論を駆使して、アートの王道を行くテーマを私たちに問い続ける。強いて欠点をあげるとすれば、テーマのスケールがあまりにも大きすぎて伝わりにくい点だろう。多くの人は、将来にわたって"自己の感覚"に囚われ続けながら生きていくのだ。
そのような人はルフのメッセージに気付くことすらなく、写真の表層をただ通り過ぎていくだろう。
例えば、同様のメッセージを持つ杉本博司の"海景"などは、一般の人でも海と空と空気による抽象的なヴィジュアルから彼の世界観へ入って生きやすい。アンドレアス・グルスキーも、一般人がリアリティーを感じやすい高度消費社会の最前線のヴィジュアルを提示している。大きなテーマには、わかり易いヴィジュアルがセットされる場合が多いのだ。たぶんその方が作品を売りやすいという事情もあると思う。
しかし、ルフはインタビューで"人がまだ見たことのなりような新しイメージを生みだしたいのです"と語っている。もしかしたら、彼は確信犯で一般の人が既視感を持たないヴィジュアルを制作しているのかもしれない。
 
最後に彼の作品相場にも触れておこう。
2016年春にニューヨークのDavid Zwirnerで開催された"Thomas Ruff, press++"展では、2メートル近くある巨大作品が8.5万ユーロ(@118/約1003万円)で販売されていた。ルフはオークションでも頻繁に取引される人気アーティストだ。相場はシリーズごとにかなり異なるが、Stern (Stars) の人気が高いようだ。2015年5月のササビーズ・ニューヨークでは、"STERN 16H 30M/-50°,1989"が18.75万ドル(@110/約2062万円)で、2012年11月のフリップス・ニューヨークでは、"21h 32m/-60˚,1992"が19.45万ドル(@110/約2139万円)で落札されている。
 
トーマス・ルフ展は、写真やアートに興味を持つ人には必見の展覧会だ。いろいろ考える前に、まずは作品のスケールや存在を会場内で体感してほしい。現代アート系の作品は、写真集やウェブ上の画像だけを見ても決して理解できない。自分自身で体験し、感じて、そして考えなければならないのだ。
 
トーマス・ルフ展
東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー 
2016年8月30日(火)~2016年11月13日(日) 
開館時間:10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)
*入館は閉館30分前まで 
休館日:月曜日(9月19日、10月10日は開館)、9月20日(火)、10月11日(火) 
 
観覧料: 当日(前売/団体)
一般  1,600(1,400/1,300)円
大学生 1,200(1,000/900)円
高校生  800(600/500)円