宮本隆司(1947-)は、建築写真を通しての都市の変容、崩壊、再生などのドキュメントで知られる写真家。建築解体現場を撮影した「建築の黙示録」(1986年)、香港の高層スラムを撮った「九龍城砦」(1988年)などが評価され、1989年に第14回木村伊兵衛賞を受賞している。1996年に、第6回ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展に参加し、阪神淡路大震災により破壊された建築物の作品で金獅子賞を受章。2004年には世田谷美術館で「宮本隆司写真展」を開催。2005年、第55回芸術選奨文部科学大臣賞、2012年、紫綬褒章を受章している。2001~2005年、京都造形芸術大学教授、2005~2017年、神戸芸術工科大学教授を歴任、着実にキャリアを積み重ねている写真家だ。
本展では、会場後半の約半分の大きなスペースで、自らの出身地の奄美群島の徳之島で撮影された「シマというところ」、「ソテツ」、「面縄ピンホール2013」を展示。入口から続く前半の展示では、ネパールの標高3,789メートルの辺境地にある城壁都市を撮影した「ロー・マンタン1996」、アジアのマーケットを撮影した「東方の市」、いま東京都写真美術館の建っている旧サッポロビール恵比寿工場の解体を撮影した「新・建築の黙示録」、イタリアのシュルレアリスム画家キリコの絵画に触発されたというスカイツリーの建築過程をピンホールで撮った「塔と柱」が展示されている。
展示作品数は合計112点、全体を通して写真のドキュメント性に注目した作品の展示。しかし特にキャリア自体を本格的に回顧するものではない。自らの生まれ故郷の徳之島に残る現地住民の祭りや生活にフォーカスした、キャリアの回顧と共に自分のルーツ探し的な要素が強い作品展示となる。
私たちは、普段は自分の見たいものだけに意識を向けるという認知的な特徴があると言われている。いわゆる認知バイアスと呼ばれ、心理学の世界でよく知られている傾向だ。これは個人だけの傾向ではなく、集団や社会にも当てはまるのではないだろうか。効率化が求められる現在社会では、その流れから外れて、人々に見られなくなった多くのものが、気付かないうちにどんどん世界から忘れ去られ消えていく。歴史の必然と言えばその通りかもしれない。
本展タイトル「いまだ見えざるところ」は、色々な解釈が可能だろう。私は、「いまだ見えざるところ」を意識する重要性を示唆していると直感した。タイトルの“見えざる”は“見えていない”、もしくは“見ていない”なのだ。それは宮本自身が自らの生まれ故郷を見ていなかったという意味でもあるのだろう。
写真家である宮本は意識的に世の中を客観的、批判的に見る習慣を持っている。今回展示の一連のドキュメント作品は彼の冷徹なまなざしの存在をよく物語っている。優れた写真家は、思い込みにとらわれず、感情的にならず、自分自身をも客観視できる人なのだ。このような素養を持った写真家は案外少ない。
宮本の両親はともに徳之島出身。しかし彼は幼少期に島で短期間だけ暮らしたものの、その記憶を持たないまま世界中で仕事を続けてきた。しかし彼の心の中には、生まれ故郷の徳之島の無意識化した記憶がひっかかっていた。キャリア後期になり、自分のルーツへの対峙を意識する。2014年に手掛けた「徳之島アートプロジェクト」以来、この島での作品制作に取り組むことになる。そこで「見えてきた」、琉球文化の影響を受ける島の特徴的な文化の存在の提示が本展の大きなテーマなのだ。
宮本が撮影した、サトウキビやソテツ、現地住民のポートレートを見ていると、本土とは全く違う時間が流れているのがわかる。しかし、これらは厳密な民俗学的ドキュメントではない。彼は自分の無意識化した幼い時の島の思い出を、現在の島に残る様々な断片的なシーンの中からパーソナルな視点で紡ぎだしたのだ。ソテツやサトウキビ畑が展示の中でフィチャーされているのは、幼少時に感じたそれらの存在感が記憶に強く残っていたからだろう。
本展には、1968年、彼が21歳の時に島を再訪した時に撮った、たぶんオリジナルはやや変色しているであろうカラー作品3点が展示されている。その他の最近に撮影されたカラー作品も、何か色のトーンが1968年作品に近いように見えてきてしまう。特に図録の図版にはそのような印象が強い。現在と過去との時間感覚が混ざりあい、まるで幼少の宮本が見たであろうシーンが現代に蘇ったようだ。
島の特徴的な文化や人々の生活風習を写真で撮影する行為は、効率重視で多様性を失っていく現代社会の是非を世に問う、より広い社会的メッセージ性も感じられる。メインビジュアルに抽象的なアナログのピンホール写真を持ってきたのは、現代社会の象徴であるデジタル技術を駆使したヴィジュアル・テクノロジーに対抗する表現だからではないか。それは現代建築技術の粋を集めて制作されているスカイツリーをピンホールカメラで撮影したのと同じアプローチだと思う。
いま時代の流れは大きく変化し始めたように感じられる。1990年代から拡大してきた貿易重視の経済のグローバル化が大きな曲がり角を迎えている。経済のナショナリズム化、ローカル化が今後の大きな流れになるような予感がするのは私だけだろうか?いままでのグローバル化の世界は効率重視で、文化の多様性にあまり寛容ではなかった。本展の「東方の市」、「建築の黙示録」などの前半展示の流れは、まさにそのような今までの世界的な流れを回顧している。最初のロー・マンタンの展示は、全体との関連はややわかり難い。しかし、世界から隔離された電気もガスも通っていない、標高3,789メートルの城壁都市のシーンは、グローバル経済から孤立した世界として象徴的に展示されていると読み取れる。それは日本に当てはめると、徳之島と同じような場所だという意味でもある。そしてメイン展示である徳之島のシリーズでは、世界の現状と変わりゆく未来を暗示していると解釈できるのではないだろうか。
宮本隆司 いまだ見えざるところ
東京都写真美術館(恵比寿)
5月14日(火)~7月15日(月・祝)
10:00~18:00、木金は20:00まで
入館は閉館の30分前まで
休館日 毎週月曜日 ただし、7月15日(月・祝)は開館
入場料:一般 700円/学生 600円/中高生・65歳以上 500円