アート写真市場の現状 長引きそうな心理的な影響

東日本大震災が起きて2カ月以上が経過した。アート写真の世界もやっと落ち着きを取り戻したようだ。現在は、ほとんどの業者が通常業務を行っている。しかし、来廊者数はまだ大震災前には戻ってない。ギャラリーでは、鑑賞目的の人が大きく減少している。特に有名作家以外は苦戦しているという。アート写真の主要顧客は中間層だ。まだ彼らのセンチメントは本格回復には程遠いのだ。

写真作品は、写真家寄付による販売イベントではよく売れているという。作品相場がある人とない人が、すべて均一価格で販売することには様々な意見があるだろう。今後はより市場性を考慮したオークション形式でのチャリティー販売もあるそうだ。同じチャリティーでも市場価格で販売して一部を寄付する形式だと動きは鈍いという。 要はチャリティーにより新たな需要が創出されるわけではなく、作品次第ということだ。

アート系の写真集の状況も厳しいようだ。洋書専門店での店頭売り上げはかなり苦戦しているという。5月の連休明けには代官山の専門店がクローズ。目利きのコレクターが経営していた地方の専門店も廃業したという。ネットでの売り上げは特に大震災後も大きく変わっていない。昨年から緩やかな売り上げ低下傾向が続いているが、特にショック的な売り上げ急減は発生していない。ただし円高をより享受できるネット購入の傾向が強まっている可能性がある。

ファッションやインテリア感覚で写真集や写真を買っていた人は、いまのところ様子見を決め込んでいるようだ。しかし、まったく売れなくなったわけではない。来廊者の減少ほどには、作品売り上げは落ちていない。写真が好きでコレクションしていた人は適正価格の気に入った作品があれば相変わらず買っている。最近は80円に近い円高なので、海外作家の作品や洋書の動きは悪くない。
全体をまとめると、もともと不況だったのが大震災をきっかけに状況がやや悪化した感じだろうか。

その他、ワークショップ関連は特に大震災の影響は感じられない。アート写真関連講座の参加者やポートフォリオ・レビューの依頼も減っていない。復興時にはアーティストの役割が重要になる。日本ではもともと新しい生き方の提示が求められていた。今後、アーティスト志向の人の動向がより注目されるだろう。
写真家の作品発表意欲も特に大きく落ち込んでいないようだ。運営のお手伝いをしている広尾のIPCのレンタル予約も、節電のある夏場を除いて、 秋以降はかなり入ってきている。写真展開催を考えている人は出遅れないようにしてほしい。

今後のギャラリーの課題は、15%節電がいわれる夏場の営業をどうするかだ。マスコミ等ではエアコン設定温度28度といわれている。これだと多数のスポットライトを使用するギャラリーでは来廊者に快適に作品を見てもらうのは困難だと思う。今年の夏は長期休廊というギャラリーも出てくるだろう。
今はいったん平時に戻った気がするが、夏の節電、長引く原発事故などがあるかぎり心理的な影響は続きそうだ。もしかしたら、このような不透明な状況が定常化するかもしれない。長期夏休みで新しい時代をサバイブする中長期戦略を考えるのも必要かもしれない。

ソウル・フォト2011(Seoul Photo 2011)アジアのアート写真最前線 Part-2

ソウル・フォト2011のレポート第2弾です。

中国や韓国には欧米や日本のように銀塩写真の歴史がない。写真独自に発達してきた市場は存在しないのだ。複雑な政治、社会環境で自由に写真が撮影できる状況ではなかったのだろう。だから、ソウル・フォトの意味合いは欧米のフォト・フェアとは違う。欧米では現代アートや絵画などと、写真は全く別の歴史と伝統がある。その延長上にアート・フェアとフォト・フェアが個別に存在する。韓国では、その境界線はかなりあいまいだ。ソウル・フォトは、ここ10年で表現メディアとして一般化した写真を使用して制作された作品を扱うギャラリーのフェアなのだ。たぶん、彼らには写真専門ギャラリーというは認識はないと思う。

前回に紹介したように、大陸のテイストは繊細な感覚を持つ日本人の好みとはかなり違う。韓国では、少し前までモノクロ写真はドキュメントでアート表現ではないと考えられていたようだ。今回のフェアでもデジタル出力によるモノクロの大判作品の展示はあったが、小振りの銀塩写真を展示する地元ギャラリーはほとんどなかった。しかし、状況には変化の兆しも。それは、今回招待作家だったベー・ビョンウがモノクロで作品制作を行うようになり、その可能性に気付いた人が増えてきたという。いまでは、現代アート写真の新たな表現としてモノクロの写真作品が認知され始めたとのことだ。

会場ではそんなコレクターの好みを意識した現代アート風の、インパクトが強く、カラフルな大判作品が数多く展示されていた。作品のレベルは様々だ。仕上げ面では特に問題ないものの、コンセプトが弱い「壁紙」のような作品も数多く存在していた。しかし不思議なことに、それらのうちかなりの作品が売れているのだ。どうもこの状況は、当局がビル新築時に必ず文化的スペースを設置するようにと指導しているという、韓国市場の特性がかなり影響しているらしい。要は、大きなサイズの作品を求める企業ニーズが相当あるということ。あるギャラリーのディレクターに聞いたら、対企業の売り上げ比率は約20%以上あるという。金額ベースの比率はもっと高いのだろう。日本の写真ギャラリーでは考えられないことだ。購入の判断基準は、作家のアート性だけではなく、ギャラリーと企業との人間関係やコネクションも大きく関係しているらしい。だから、日本のギャラリーが単に大判作品を持ってきても決して売れないのだ。もちろんオークションで取引されるようなブランド作家の大作なら話は別だろう。色々と情報収集してみると、個人コレクターが求める作品サイズはそんなには大きくないようだ。たぶん企業にコレクションされた作家がブランドとなり個人が購入するのでないか。ここにもギャラリストとの人間関係が重視されているようだ。
欧米では、富裕層がコレクションするのが現代アートで、アート写真分野では中間層がメインプレーヤーだ。彼らはアーティストの作家性やメッセージを自ら判断、評価することが多い。しかし、韓国ではまだアート写真に特化した中間層のコレクターは少数で、企業と富裕層が人間関係とブランドで写真作品を買っているようだ。作品の評価基準は、ヴィジュアル的にきれい、面白い、カラフル、奇抜なモチーフ、目新しい制作方法なのだろう。歴史がないことから、オリジナルであることの基準がまだ明確ではないようだ。表現は自由だが、まだ洗練されていない感じだ。

さて、韓国市場は上記のような状況だが、今回のブリッツの展示は、小振りのファッション系の写真が中心だった。他のギャラリーと比べてかなり個性的な展示だろう。実は、アジア地域でも私どもの扱うファッション系写真に可能性があると考えているのだ。現在の富裕層コレクターはともかく、もし中間層コレクターが育ってくると彼らはソウル・フォトで地元ギャラリーが展示しているような作品にリアリティーを感じないのではないかと考えている。ファッションの意味だが、それはカッコいい写真のことだ。もう少し難しく説明すると、共同体社会のウェットなしがらみから解放されたいという、ドライで自由な感覚が表現されている写真作品のことなのだ。つまりイメージ自体ではなく、その背景にある思想やライフスタイルを重要なセールスポイントとしている。
儒教的精神が強かった韓国でも、核家族で育った若者の中にはドライな人間関係を求める層も増加しているという。大家族的な伝統的文化との軋轢が生まれつつある状況は容易に想像できる。これは、アメリカン・カジュアル・ファッションのブランド戦略と類似しているかもしれない。実際、ソウルの街中で見かけるファッションや関連広告はアメリカン・カジュアルが中心になっている。それらを好む層は、ドライな感覚のモダンな写真に魅力を感じるのではないだろうか。
実際、今回主要作品を展示したマイケル・デウイックの写真には現地のギャラリストたちも魅力を感じていた。あるギャラリストは、ドライでクールな雰囲気を持つマイケル・デウイックの世界に若い世代は共感はするだろう、しかし最低でも2000ドル以上する作品は高額でなかなか売れないと話していた。これは日本と同じ状況だと感じた。市場拡大のための課題はやはり値段だろう。欧米写真家の作品はまだ高価。同じようなテイストを持つアジアの若手や新人なら可能性は十分にあると思う。どちらにしても、作家と中間層のコレクターの育成のために地道な啓蒙活動の継続が必要なのだと思う。

ソウル・フォト2011(Seoul Photo 2011)アジアのアート写真最前線 Part-1

 

先週末に開催されたソウル・フォト2011(Seoul Photo)に参加してきた。とりあえず速報をお伝えしよう。
このイベントは今回で4回目になるアジア最大級のフォト・フェアだ。昨年の来場者は約47,000人だったとのことだが、今年もかなり混雑していた。展示者は昨年の22から31に大きく増加、新たに経済発展が続いている中国のギャラリーが多く参加している。日本からの参加ギャラリーはブリッツのみだった。(ブックショップ部門には小宮山書店さんが参加している)主催者によると東日本大震災の心理的影響による参加キャンセルがかなりあったようだ。
会場では本当に多くの参加者、入場者から日本への見舞いの言葉をもらった。今年は大震災復興支援のために、「Japan Again」というチャリティー販売の特別ブースが設置されていた。個人的には、もっと多くの日本のギャラリーが元気な姿を見せてほしかった。ソウル・フォトはアジアのアート写真市場で韓国のハブ化を目指して開催しているという。アジア地域での、日本の経済、政治面の存在感低下がいわれて久しい。アート写真分野においても同じような状況になりつつあるようだ。

今回は中国の存在感を強く感じた。中国からギャラリーとともにコレクターも数多く来ていた。彼らは韓国の現代アート的な大判作品よりも、モノクロの小さな銀塩写真に興味を示していた。少なくとも、彼らは韓国人コレクターよりは欧米的な感覚を持っているようだ。
中国を代表するアーティストの王慶松(ワン・チンソン)は、大判作品4点が専用ブースに展示されていた。本人も来場していたことから多くの来場者の注目を浴びていた。何と1点3億ウォン(約2200万円)の作品2点が売れたとのことだ。そのせいか、ご本人はずっと上機嫌で気軽に記念撮影に応じていた。
昨年は、全般的に作品が売れている印象はなかった。今年は一転して地元作家中心にかなりの数が売れていた感じだった。3日目終了時点まで、約60点以上に赤丸シールが付いていた。

大陸のテイストは、繊細な感覚を持つ日本人の好みとはかなり違う。カラフルで大きな作品が好まれるようだ。中国や韓国には欧米や日本のように銀塩写真の歴史がない。絵画や現代アート分野の作家が写真を表現方法に取り入れて市場が展開していったそうだ。今年もコレクターの好みを意識した現代アート風の大判作品が数多く展示されていた。多くが、欧米ではあまり見られなくなったアクリル版への直接貼りだった。しかし、現代アートの要である作品コンセプトや時代性はやや弱いと感じた。この点が、現代中国の変化をテーマにする王慶松とは決定的に違う。
私は市場特性を意識した作品展示の必要はないと考えている。今年も、11×14″から20X24″位のサイズの作品を展示。マイケル・デウィック、トミオ・セイケなど、大震災チャリティー関係で横木安良夫、下元直樹だった。コンセプトが明快な写真作品は、サイズが小さくても、メッセージがあいまいな現代アート作品より優れていると思う。面白かったのは、多くの人がブリッツを日本のギャラリーだと気付かなかったこと。ステレオタイプの日本的写真を紹介していなかったからだろう。
アート写真の歴史と伝統は国ごとに違うし、独自に発展している。あえてその違いを地元に見せることもフォト・フェアに参加する外国ギャラリーの役割だと思う。
なお韓国写真事情と市場の分析は近日中にお届けします。

2011年春のNY写真オークション速報 根強い優良作品への需要!

 

さて、現在のアート写真を取り巻く環境はどのようになっているのだろうか。いまのところ米国の経済活動はリーマンショックから立ち直り改善傾向にあるようだ。 しかし、これは金融緩和策による資金の大量供給による効果だ。新たなバブルを起こして需要や雇用を喚起しているのではないか? 新興国の輸出依存、米国の消費拡大と海外の資本依存の構造は以前と変わっていない。金融市場は安定しているものの、問題は根本的に何も改善されていないように感じられる。もしかしたら新たなリスクをはらんでおり、いまの状況は嵐の前の静けさかもしれない。 実際に商品、海外不動産市場などには投機的な価格上昇が起きている。

次のリスクは中国発になるかもしれない。過剰流動性により不動産などの資産バブルが起き、物価も上昇しているのだ。リーマンショック後に行った金融緩和は経済の失速を救ったが再びバブルを発生させた。中国はこの半年で4回の利上げを行っている。明らかにバブル潰しに取りかかっている。 なぜか? それは中東で起きた市民革命の影響だ。貧富の格差拡大、高いインフレ率が革命の背景になっている。中国当局者にとって体制維持が最優先順位。これ以上一般市民の不満を高めることはできないのだ。

中国発バブルは世界のアート市場にも波及している。以前、中国の花瓶が歴史的な高額で落札されたことを紹介したが、いまや中国人コレクターが世界中の市場で圧倒的な存在感を示しているのだ。米国総合誌ザ・アトランティックのアソシエート・ライターのディレック・トンプソン氏は、オークション・ハウスのササビーズの株価上昇からアート・バブル崩壊のにおいを感じ取って記事を書いている。いま、ササビーズの株価がここ数年の高値圏で推移しているのだ。特に今年になってから急上昇している。過去20年間に3つのアートバブルがあった。 それらはササビーズの株価に反映されている。80年代後半の日本のバブル期、90年代後半のITバブル期、そして2006~2007年のリーマンショック前のグローバル経済期だ。いずれもバブルは崩壊して同社の株価も急落している。そして2011年の今が中国発バブル期というわけだ。金に糸目をつけない彼らの買い方はバブル期の日本人に似ていると感じる。しかし、上記の国際的な状況変化から中国主導のアートブームもさらに続くとは思えない。歴史が示すようにバブルは必ずはじける。かつての日本のようにそのただ中にいると分からないのだ。バブル崩壊がなくても、資金流通量が萎んでくるとアート熱は次第に沈静化していくだろう。

さて、春のニューヨーク・アート写真オークションだが、オークションハウスの出品作のエディティングが見事だったという印象だ。市場性の高い作品、貴重な作品を中心に絶妙に品揃いをしている。落札予想価格も市場実勢を的確に反映していた。クリスティーズは、いま売れにくいファッション系写真を単一コレクション形式の”The Feminine Ideal”としてうまくさばいている。この分野では珍しいヴィンテージ・プリントを含んだセールだったことも大きなアピールだった。通常オークションだと売れにくい作品も、知恵を絞ればコレクターを呼び込み、高く売ることが出来るのだ。
また開催時期のNYダウ株価は昨秋の11000ドル前後から約10%上昇。最近の高値近辺の12000ドル台だっことも市場にはフォローだった。結果的には、主要3社ともに落札総額、落札率が上昇している。特にフリップスは好調で、売り上げが45%以上伸び、落札率も94.5%と大幅にアップさせている。
一番高額落札は、クリスティーズに出品されたリチャード・アヴェドンの有名なマリリン・モンローのポートレート。これは、1980年にプリントされた102X76.6cmという巨大作品。予想落札価格上限を大きく上回る$482,500.(約4100万円)で落札されている。次は、ササビーズのカタログ表紙を飾るマン・レイのフォトモンタージュ作品。これも予想落札価格上限の2倍以上の$410,500.(約3489万円)だった。
春のオークションは順調だったものの、コレクターの興味が資産価値が高い優良作品からさらに広がるかは不透明だろう。上記のように先行きに様々な不安要因がある。市場の雰囲気は慎重ながらやや強気に傾きつつあるといった感じだろう。

掘り出し物のお宝が続出!幻のアンセル・アダムス(?)ネガの価値は?

 

中国人のアート熱の高まりはマスコミで多く報道されている通りで凄まじい。
特に清朝の陶器は昨年11月に56億もの高額で取引され話題になった。これは中国の美術品のオークション最高額とのこと。大きく報道された理由は、そのサイドストーリーによるところが大きい。実はこの陶器、価値を知らないある英国人の家で偶然発見された。ロンドン郊外の小さなオークションに出品され、高額落札されたのだ。もしこれが、大手のササビーズ、クリスティーズなどで取引されたものなら業界内での話題に終始しただろう。価値がないと思われていた陶器が思いがけない掘り出し物だったからマスコミで話題になった。「なんでも鑑定団」が長い人気を保っているのと同じような背景だ。アヘン戦争後中国の美術品は大量に英国に持ち出されたそうで上記の陶器はそれらの一部なのだろう。たぶんいま多くの英国の家庭が倉庫、納屋、屋根裏を調べていると思う。もしかしたら新たな掘り出し物が見つかるかもしれない。

 

今月になってこんどはササビーズのニューヨークで再び衝撃的な掘り出し物が見つかった。20世紀制作として、落札予想価格約10万円で出品されていた花瓶に約15億(!)というとんでもない値段がついた。複数の目利きが、陶器は実は清朝時代のものと判断したこと。7人による熾烈な競り合いになったようだ。

最近は、このような信じられないような掘り出し物のニュースが多い。まだ真偽のほどは確定していないが、英国ではノーザンプトンのガラクタ屋で僅か1万円ほどで購入された古い額についていた絵画がポール・セザンヌの初期作品ではないかといわれている。もし本物なら、6500万ドル(約55億円)の価値があるそうだ。

さて写真でこのような掘り出し物はあるだろうか?
実は昨年同じような出来事があったのだ。2010年7月に、カリフォルニアのガレージセールで約10年前に45ドルで買われたガラスプレート・ネガティブが1937年の火災で消失したと思われていたアンセル・アダムス作と認められたとの発表があった。専門家がその価値が2000万ドル(約170億円)と評価したのことだった。発見者リック・ノーシジアン(Rick Norsigian)はそれらを売却してビーチに家を買いたいと発言していた。彼は発見されたネガから制作されたプリントをアンセル・アダムスとしてウェブサイトで販売を開始する。これにアンセル・アダムス出版権財団が異議を申し立て裁判となる。
この一連の出来事にはドラマチックな紆余曲折がある。その後、鑑定した専門家の一人が、ネガはアンセル・アダムスではなくアマチュア写真家アール・ブルックス撮影であったと、間違いを認めるのだ。2011年の3月に裁判は結審。発見者は作品販売に関してアンセル・アダムスの名前を使わないことが合意された。
しかし、お互いに本物、偽物の主張を続けた上での和解ということのようだ。

この一連のマスコミの騒ぎにアート写真界はいたって冷静だった。なぜか?それは本当にアート作品として価値があるのは、作家が制作してサインをしたオリジナル・プリントだからだ。2000万ドル(約170億円)という評価の根拠はその発見物の価値ではない。もし本当にアンセル・アダムスのネガだった場合の、将来的な出版、ポスターやプリントの売り上げ予想から現在価値を導いたものなのだ。それゆえ、アンセル・アダムス作という表記が出来ないことはネガの現在価値に著しく影響を与えるだろう。
すなわち、仮にネガが本物であっても既に作家本人は亡くなっているから、それらから制作されたプリントはアート的価値はないのだ。ネガティブだけでは、インテリアのディスプレイ用の写真を制作するものとして役に立つだけ。実際アンセル・アダムス・ギャラリーはオリジナルのネガからプリントしたヨセミテ・エディションと呼ばれるエステートプリントをわずか約2万円で販売している。

アート写真の世界では、有名写真家のネガは資料的な価値しかない。価値があるのは本人が制作して、サインが入ったプリントなのだ。骨董店などで売っている古写真はどうかというと、写真家のブランドが確立していない人の撮影したプリントには古物としての価値しかない。海外でも無名写真家の19世紀や20世紀初頭の作品はわずか数百ドルだ。
また20世紀の中盤ころまでは写真は雑誌などの為に撮影されていた。たまに写真原稿が小規模オークションなどにでてくることがある。厳密にいえば、ヴィンテージ・プリントといえないことはない。しかし、それらの写真は注文仕事で撮影されたもの。つまり、アートで重要視される自己表現ではない場合が多い。だいたいサインも入っていない。それらは、写真集に収録されているなどの例外を除いて、有名写真家のプリントでも高額で取引されることは少ない。大手のオークションハウスは取り扱わない。

どうも写真では掘り出し物はあまり期待できないようだ。そういえば前記の「なんでも鑑定団」では、歴史的人物のポートレート以外の写真が鑑定に出されたことはないように記憶している。

2月はアート・フェアが花盛り 写真ファンにはフォト・フェアーも開催

2月には各種のアート・フェアが開催される。まずは今年2回目の”G-tokyo 2011″。15の現代アート・ギャラリーが集まり六本木の森アーツセンターで開催される。

新たなイベントとしては、”東京フロントライン”が、千代田区外神田の3331 Arts Chiyodaで開催される。主催者によると、「見本市型とは異なる開発型のアート・プラットフォームを目指すアート・フェア」とのこと。

そして、私も関係する広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで行われる、”ザ・JPADS・フォトグラフィー・ショー”だ。

その他、横浜でも2011年ヨコハマ・フォト・フェスティバルの関連イベントとしてヨコハマ・フォトマーケットが開催される。

日本のアート・フェアは美術館の展覧会のように、見るためのイベントになりがちだ。広告代理店が絡んだり、イベント屋さん主催が多く、来場者アップにより入場料で収入を上げる、宣伝効果を上げるというビジネスモデルなのだ。行政が開催に関わっている場合は、観客動員数を成功の基準として非常に気にする。集客目的のためにイベントのプロモーションが派手に行われる。またフェアの話題性を高めるために、様々な見どころが用意され、賞、イベント開催が企画されるのだ。しかし、メッセージの詰め込みすぎで中心テーマがあいまいになり、何のイベントなのかよくわからない場合も多い。もともと、アートとは非常に抽象的な広い概念を持っている。メインテーマが弱ければ、興味本位の観客は来るがコレクターの集客は見込めないだろう。参加ギャラリーは多額の参加料を支払い、主にギャラリーと作家の広告宣伝を行っている。得しているのは出品者ではなく、会場、デザイン会社、広告代理店、イベント設営会社、運送会社などの周辺業者ような気がしてならない。最近はアート・フェア自体の目新しさもなくなってきた。費用対効果が低いフェアは次第に淘汰されていくだろう。

さてザ・JPADS・フォトグラフィー・ショーの運営方針は他のイベントとはまったく違う。もともと、写真が売れないからでもあるのだが、できる限り低予算で行うことをモットーに運営している。プロモーションにはほとんど予算をかけていない。ハガキサイズのDMを配るくらいだ。企業やメディアの支援も当然ない。ギャラリーの参加料も破格に安く設定されている。売れない写真のイベントなので、継続するには当然だと思う。ヒントにしているのは、最近米国で増加している、シンプルを心がけたテーブル・トップ・フェア。リーマンショックを契機に、膨大なコストがかかるアート・フェアへの反省が行われるようになった。見栄より実を取るスタイルが増加してきたのだ。
JPADSはアート写真の販売業者の組織。開催の目的はシンプルに新規顧客開拓と販売だ。 最大のプロモーションは、フェアのコンテンツだと考えている。つまり、展示・販売される作家の知名度と作品の内容が重要ということ。そこだけを徹底的にアピールすることにしている。
参加業者は、フォト・ギャラリー・インターナショナル、フォトクラシック、ブリッツ・ギャラリー、MEM 、G/Pギャラリー、ピクチャー・フォト・スペース:Viewing Room。
現在までの参加予定作品は、アンセル・アダムス、エドワード・ウェストン、イモジン・カニンガム、ハリー・キャラハン、ウィリー・ロニス、ジャンルー・シーフ、リー・フリードランダー、ダイアン・アーバス、ジョエル・ピーター・ウイトキン、ヘルムート・ニュートン、ハーブ・リッツ、マイケル・デウィック、久保田博二、三好耕三、伊藤義彦、北野謙、澤田知子、椎原治、榮榮&映里、HASHIなど。珍しいダゲレオタイプ、貴重なヴィンテージ・プリントも出品される。

今年は、昨年話題になったG-Tokyo に刺激されて複数のアート・フェアが企画されたということだろう。冬場2月のアート・シーンは通常あまり盛り上がらない。これからアート月間として盛りあがれば素晴らしいと思う。

リチャード・アヴェドンは何ですごいのか?パリの財団主催オークションで高値続出!

 

11月20日にクリスティーズ・パリで開催された、リチャード・アヴェドン財団のオークションは大成功に終わった。財団から出品された、最高の来歴の作品65点は見事に完売。1点物や非常に貴重な作品は熾烈な入札競争になり高値を呼んだ。売り上げ総額は、約546万ユーロ(約6億2800万円)と予想落札価格の上限を超えた。

オークションの最高価格は、アヴェドンのファッション写真の代表作”Dovima with elephants,1955″。1978年にメトロポリタン美術館で開催された個展で展示された作品だ。サイズは約216X166cmと同イメージでは最大級の大きさになる。予想落札価格上限の60万ユーロを大きく超えて、約84万ユーロ(約9600万円)で落札。 落札者は、なんとメゾン・クリスチャン・ディオール。作品のイーブニング・ドレスがイブ・サンローランのデザインによるディオール製であることから、価格に関係なく入手したかったのだろう。もちろんこれはアヴェドン作品のオークションの最高落札価格となる。欧州で落札された最高価格の写真作品だそうだ。ドル換算価格だとアヴェドン初の100万ドル超えの作品となった。

アヴェドンはファッションをどのように考えていたのか。オークション・カタログ収録の語録によると、”世界とファッションは分けられない。ファッションは私たちの生き方そのものだ。T.Sエリオットは、人の顔に会うために私たちは顔を作ると語っているが、それがまさにファッションだ。私が撮影している服や帽子の下に隠れている女性の真の精神性を和らげるために、デザイナーは布の感触、シェープ、パターンを貸し与えてくれるのだ。”と語っている。
アヴェドンのファッション写真が何で偉大なのか、アート作品として評価されるのか。それは、彼は洋服を撮影しているのではなく、女性の精神性と、それに影響を与えている時代性とをファッション写真で表現しようとしていたからなのだ。

カタログに序文として掲載されている、「ストレンジャー」という文章もアヴェドンのポートレートへの取り組み方が垣間見れて興味深い。モデルは、彼自身が関心を持って選んだ人だけだった。選ばれた人たちの共通項は、人間の精神力の限界を超えかかっている人たちだったという。面白いのは彼自身が有名写真家だと意識していたこと。モデルとなった有名人たちは、選ばれて招待されてスタジオに来たという感覚を持っていたというのだ。スタジオに入る時点で彼らは有名写真家に新たな自分を引き出してもらうという心構えを持っていた。撮影がモデルと写真家による共同作業であるという高い意識が両者に共有されていることが良く分かる。アヴェドンのポートレート写真は最初から特別だったのだ。撮影セッションのことをアヴェドンは全く覚えていないという。それが写真家とモデルとの濃密な真剣勝負のだったことがよくあらわれている。そして、撮影が終了すると再び「ストレンジャー」つまり他人に戻っていくという。

1957年に物憂げで孤独な表情のマリリン・モンローを撮影した有名なポートレートがある。今回のオークションの表紙にもなっている。有名なスターがこのような表情を撮らせるのは当時としては非常に珍しい。アヴェドンによると、マリリン・モンローというイコンは彼女が作りあげた創作物だという。それは小説家が登場人物を創作するのと同じだという。彼は創作物ではない素の彼女を撮りたいと考えたようだ。 スタジオでテンションを上げてマリリン・モンローを演じ続けた後に、彼女は隅に座り素顔に戻った。ファインダー越しに彼女はノーと言っていなかったことがわかったからその表情を撮影したという。名作にはよくできたストーリーがあるものだ。1960年にプリントされた本作品は落札予想価格上限を大きく上回る約16万ユーロ(約1943万円)で落札されている。

アヴェドンといえば白バック。それは彼の持つ人生哲学と関わっている。人生は実存主義的な感覚のものだと感じている、と彼は語っている。それは、いまここに生きている自分自身の存在を意味する「実存」に根差した思想のことだろう。
アヴェドンは、人は無の中に生きていて、過去にも未来にも存在していない。白バックは人生の無の象徴で、そこでは被写体の表情に本人の本質が象徴的に表れる、という。彼は白バックで被写体の人生を象徴的に表現しようとしていたのだ。
今回のオークションでも白バックのポートレートは高い人気だった。写真集”In the American West”に収録されている、”James Story, coal miner, Somerset, Colorado, 12-18-79″の、142X114cmという大判作品が落札予想価格上限を大きく上回る約12万ユーロ(約1391万円)で落札されている。

その他の高額落札作品も紹介しておこう。2番目の高値は”The Beatles Portofolio, London, England, 8-11-67″。カラーのダイトランスファー作品で、落札予想価格上限を大きく上回る約44万ユーロ(約5117万円)で落札されている。3番目は、アンディー・ウォーホールとファクトリーのグループを撮影した3枚組の大判作品。1点ものということで落札予想価格上限の2倍以上の約30万ユーロ(約3461万円)で落札されている。

最後にアヴェドンのアート観を以下に引用しておく。”アート作品が心を動揺させるべきでないという意見に私は違和感を覚える。私はそれこそがアートの特性だと考える。それは人を困惑させ、考えさせ、心を動かすものだ。もし私の作品が人の心を動かさなければ、それは私的には失敗だ。アートはポジティブな意味で人の心を動揺させなければならない”と語っている。
ここの解釈には注意が必要だ。これは、彼の先生のアレキセイ・ブロドビッチが語っていた、”私を驚かせる写真を見せろ”と同じ意味だと思う。しかしそれは、決して奇をてらうことではないのだ。アヴェドンは、”ポジティブな意味で”と語っているが、意図するのは”より洗練された方法で”、ということなのだ。ブロドビッチの影響を感じさせる、非常に高レベルのアート観だと思う。

今回のクリスティーズ・パリのオークションはアヴェドンの偉大さを改めて多くの人に再認識させたと評価できるだろう。全作完売と、高い売り上げ数字がそれを証明している。彼の世界観や、写真へのアプローチを伝えてくれるカタログの編集も見事だったと思う。
アヴェドン財団はアヴェドンの存命時に設立されている。彼は財団に自身の作品を所有して、運営の為に売却益を使うように遺言を残しているとのことだ。それに従い今回の全収益は財団の行う写真教育の慈善事業支援の寄付に使われるとのことだ。天国のアヴェドンも心から喜んでいることだろう。

アート・コレクションという趣味 現代日本写真は宝の山か?

最近、マスコミでアート・コレクションや市民コレクターを話題にした記事をよく見る。
米国のコレクター夫婦をテーマにしたドキュメンタリー映画”ハーブ&ドロシー(アートの森の小さな巨人)”は大きな話題になっている。日本経済新聞の”アートを支える人々”という特集記事では、未評価の現代作家をコレクションして公開したり、美術館に寄贈する個人コレクターの例が紹介されている。

前回も触れたが、最近はギャラリー店頭でもアート・コレクションに興味を持つ人が増えている印象だ。写真を買ってみたいと来廊者の方から声をかけてくれることも珍しくなくなった。古美術は買ったことがある、時計は集めているなど写真趣味以外の人も興味を示している。映画のハーブ&ドロシーを試写会で見て、壁をアートで埋め尽くす生活に魅了された、というようなコレクターもいる。
長い間写真コレクションの楽しみをギャラリー側から話しかけ続けていたので、最近の変化はとても感慨深い。

比較的低予算でもアートが買えることが知られてきて、コレクションにリアリティーを持つ人が増加したのだと思う。映画”ハーブ&ドロシー(アートの森の小さな巨人)”の宣伝コピー、”お金がなくても、情熱があれば夢はかなう!”はその象徴。サラリーマン・コレクターというような呼び名も同様の印象を与えている。

しかしこれは単純に低価格作品を買い集めることではない。厳密にいうと、アートの分野を絞り込むことで、低予算でも優れたコレクション構築が可能という意味だ。
私たちはコレクターと言うと富裕層を思い浮かべるが、彼らは既に成熟した市場で作品を買っている人たち。歴史がある成熟分野の市場では、ブランドが確立したセカンダリー市場の作家はもちろん、プライマリー市場の作品でさえ価格が比較的高いのだ。この分野でのコレクション継続にはある程度の資金が必要となる。
しかし実際のアート市場は非常に広いカテゴリーのマーケットの集合体であり、それぞれが別個な要因で動いている。発展途上や過小評価された分野も数多く存在するのだ。それらの一部は全体の相場が低いので一般の人でも十分に低予算でコレクションの醍醐味を満喫できるのだ。
ハーブ&ドロシーのコレクションもはまだ市場性がなかった60年代の米国現代アート市場だから可能だった。サラリーマン・コレクターとして注目される人たちもブーム到来以前の日本の現代アート市場でコレクションを始めている。実はアート写真市場もかつては過小評価されていた分野だった。市場黎明期の80年代からヴィンテージ作品を買っていた人たちのコレクションはいまや高い資産価値を持つようになっている。
それでは、アート市場のフロンティアはすでに消滅したかというとそうではない。市場が成熟した米国、西欧以外の国々の市場はまだ成長の可能性が高いと思う。景気の良い時は欧米のディーラー、コレクターがそれらの市場を物色した。不況の今、やはりそれぞれの国のディーラー、コレクターがその役割を果たしていくべきだろう。またある程度の経済力を持った国であることも市場拡大の必要条件だろう。その意味で、多少セールス・トークになってしまうが、日本の現代写真、ファッション系写真は市場自体が未発達で狙い目だと思う。
上記のような新しいコレクター予備軍が出てきたことで、市場が本格的に立ち上がっていく可能性は十分にあると思う。もしかしたら現在の市場の中には将来の有望作家や過小評価の作家が数多くいるかもしれないのだ。
10年後に、彼らが宝になり輝くか石ころで終わるかは、作家、コレクター、ギャラリー、ディーラー、評論家、美術館キュレーターらの関係者の情熱にかかっている。一般の人たちのアート写真・コレクションへの関心をミニブームで終わらせることなく、 大きな動きにつなげていきたい。

2010年秋アート写真オークション速報 不況でも根強い希少作品への需要

 

春と比べて景気の先行きにはやや雲がかかってきたという状況だろうか?
2008年のリーマン・ショックで大きな痛手を被った世界経済は各国政府による財政出動で徐々に回復し始めてきた。しかし、景気刺激策が終了するに従いその勢いが止まってしまった。内需が回復しないので日米欧は異例の金融緩和を続け、通貨安戦争へと発展した。輸出により自国経済を立ち直らせようということだ。もしかしたら先進国の景気低迷はまだしばらく続くかもしれないと多くの人が考え始めてきた。

今秋のニューヨークのアート写真オークション。主要3社の総売り上げは1,739万ドルだった。春は約1,777万ドルだったのでほぼ横ばいという結果。
しかし今年は6月に、ササビーズでポラロイド・コレクション485点のオークションが開催されている。総売り上げは約1,246万ドル、落札率約89%と好調だった。これを無事に消化した上での今秋のオークションだったので、結果は上出来だったと評価できると思う。質の高い作品を集めて、編集したオークションハウスの専門家たちの努力の結果だろう。

市場状況は、ササビーズのクリストファー・マホニィー氏のコメントに集約されている。彼は、”市場に初めて出てくる、真に貴重な作品に対して、市場は非常に強い関心を持っていることが証明された”と語っている。逆にいうと、凡庸なモダンプリントに対する需要はまだ回復途上ということだ。

高額落札は、クリスティーズに出品されたアンセル・アダムスの裏打ちされた雄大な”Grand Tetons and the Snake River, Grand Teton National Park, Wyoming,  1942″。
60年代にプリントされた約77X115cmの巨大作品。現存するのはわずか6点とのことで、338,500ドル(@85.約2877万円)で落札されている。
ちなみに、上記ポラロイド・コレクションのオークションでは、アダムスの同様の巨大作品”Clearing Winter Storm,Yosemite national Park, 1938″が作家のオークション最高価格の$722,500.(@85.約6141万円)落札されている。
ササビーズのトップは、ロバート・フランクの”U.S.90, En Route Del Rio, Texas,1955″。266,500ドル(@85.約2265万円)で落札されている。
全体の印象としては、クラシックなモノクロ作品が増えて、ファッション系と現代アート系の出品が目立って減少していること。現代アート系の作品がカタログ表紙を飾ることが多いフィリップス(Phillips de Pury & Company)だが、今回はアンドレ・ケルテスだった。ササビース、クリスティーズのカタログは90年代を思い起こさせてくれるような内容だった。ファッション系のニュートンやペンは慎重にセレクトされていたものの、絵柄によっては不落札なものが散見された。

個人的に嬉しかったのは、丸山晋一の作品Kusho#1がフィリップス(Phillips de Pury & Company)に出品され、$18,750.で落札されたこと。同イメージは10枚のエディションが既に完売している。現代アート系でも人気のある作品には需要があるようだ。ちなみに、Kusho#1の大判銀塩写真版は現在東京広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで開催中の”Imperfect Vision”で展示中です。

私が気になるのは、以前も触れたが米国で起きている株価の上昇予想の変化だ。いままでの写真オークションでの落札額の推移はほぼニューヨーク・ダウ株価と連動していた。株価上昇の背景には中長期的に価格が上昇するという一種の共同幻想があったと言われている。写真も同様に、有名作家の優れた作品を買っておけば値段はあがると信じられていた。実際に過去20年くらいの相場はその通りに動いていたのだ。
ここにきて専門家が指摘しているのは、長引く不況の影響で投資家の運用姿勢が慎重になり、株価の上昇神話が揺らいできたという事実だ。中長期的な株価上昇期待の減少はアート写真市場にも影響してくると思う。投資的見地で買っていた人は慎重になり、本当にアート写真を愛するコレクターが適正相場で買う市場になるだろうということだ。大幅な価格上昇見通しがないので、貴重な作品以外は高値での競り合いもなくなるだろう。
相場の上昇期待で買われるのは決して好ましいことではない。しかし、それが市場規模を拡大させ、新人や若手までもが注目されたのも事実だ。ブランド未確立の作家は苦戦する時代になる気がする。
今後のコレクターの志向は、多文化主義から自国主義、新人から中堅作家へ、サイズは大から中小へ、数から質へ、アバンギャルドからクラシックへと、いままでの揺り戻しがしばらく進む感じだ。

詳しいオークション結果については後日、アート写真の総合情報サイトのアート・フォト・サイトの海外オークション情報欄で紹介します。

バランス感覚を取り戻せ
トミオ・セイケ写真展が語るもの

現在開催中のトミオ・セイケ写真展「Untitled」では、デジタル・カメラによるアート作品制作の可能性を示唆している。それが作品コンセプトとどのようにつながるかを考えてみたい。

セイケが今回撮影したのは、プラハ、アムステルダム、ブライトンなどのシティー・スケープ。彼は単純に欧州に残る古い街の外観を愛でているのではない。欧州人は古いものを大事にする一方で、優れた新技術を受け入れる柔軟性も持っている。古い外見の建物の中に暮らす人々は、薄型テレビ、インターネット、携帯電話、携帯型デジタル音楽プレイヤーも利用しているのだ。西洋文化には古いものと新しいもの意識的に組み合わせる知恵がある。その精神性こそが欧州都市の魅力の源泉なのだ。

なんで、セイケの撮影した欧州のシティースケープに私たちは惹かれるのだろう。それは、日本の現在の都市環境に本能的に違和感を感じるようになったからに他ならない。いままでは、こんな状況を成長、進歩の最前線として、まるで映画ブレード・ランナーの世界だなどと肯定的に解釈してきた。しかし、その前提が崩れた現在、革新的だったはずの未来都市がただエゴに満ちたなカオスの集積に見えてくる。実は、日英を往復しているセイケによる日本都市の認識はずっと一貫していた。欧州でしか作品制作を行わないのはそのためだったのだ。
戦後日本人の進歩と成長のみを妄信する一元的な価値観がいま大きく揺らいでいる。今回、セイケが長い歴史を持つ欧州都市を日本製最新デジタル・カメラで撮影したのは、西欧のようなバランス感覚を意識したらという、迷える私たちへのメッセージではないだろうか。

彼は欧米市場を中心に活躍している作家だ。当然、今回の試みは彼らへのメッセージも含んでいる。欧米市場はいまだに銀塩写真が中心。デジタルプリントはかなり普及しているが、カメラはまだフィルム式だ。しかし技術進歩により、伝統的な写真に見えても、実はデジタル写真だったという状況も、もはやおかしくないのではないか。ただし、作品クオリティーは絶対条件。銀塩写真の歴史が長い欧米写真界でも、最新デジタル写真のクオリティーを見れば考えが変わるかもしれない、という期待が感じられる。実際にセイケの話を聞いたロンドンの老舗写真ギャラリー、ハミルトンズのディレクターは、初めてのデジタル写真により写真展開催を意識したとのこと。
来年には、何とデジタル・カラー作品によりセイケの個展が開催されるかもしれないのだ。
セイケのデジタル作品は本家本元のアート写真の歴史を変えるきっかけになるかもしれない。